「直木賞」を受賞した小説ですら、文春文庫(他社の文庫)にもなっていないことがあるらしい

 「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した文藝春秋社の本ですら、文春文庫(他社の文庫にも)なっていないことがある - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で思いついたことがあったので書いてみます。
 何もこれは「大宅賞、文春」に限った話ではなくいろいろあると思います。
 以前小生が、「へえ、そうなんだ(まあ確かにそういう人間もいるだろうなとは思ってたけど)」というのが

川口則弘*1編著『消えた受賞作・直木賞編』(ダ・ヴィンチ特別編集)(2004年、メディアファクトリー
 第3回・海音寺潮五郎天正女合戦」、第13回・木村荘十*2雲南守備兵」、第18回・森荘已池*3「山畠」、「蛾と笹舟」、第19回・岡田誠三*4ニューギニア山岳戦」、第21回・富田常雄*5「面」「刺青」、第23回・小山いと子*6「執行猶予」、第53回・藤井重夫*7「虹」収録。
川口則弘編著『消えた直木賞:男たちの足音編』(2005年、メディアファクトリー
 第34回・邱永漢*8「香港」、第35回・南條範夫*9「燈台鬼」、第42回・戸板康二*10團十郎切腹事件*11」、第58回・三好徹*12「聖少女」、第80回・有明夏夫*13「鯛を捜せ」(『大浪花諸人往来』収録)

という奴ですね。結局売れなければ、人気がなければそうなるわけです。

【参考】

海音寺潮五郎海音寺潮五郎 - Wikipedia参照)
 1901~1977年。「天正女合戦」(文春『オール讀物』1936年4月号~7月号)と「武道伝来記」 (新潮『日の出*14』1936年3月号)で第3回直木賞(1936年上半期)を受賞。
【面白エピソード】
◆海音寺の筆名を初めて用いたのは昭和4年の上半期に「サンデー毎日」の懸賞小説に応募したときであるという。当時、海音寺は中学の教師をしていたが、小説を書くという行為に対して世間の理解が乏しかったため、本名を隠すためにペンネームを検討していた。なぜ「海音寺潮五郎」という名前が急に思い浮かんだのかについて海音寺は、「上田敏の訳詩集「海潮音」や近松門左衛門と才をきそった紀海音(江戸時代の浄瑠璃作家)などのことが意識の深層部にあったのかもしれない」と説明している。このとき懸賞小説として応募した『うたかた草子』は見事当選したが、本名(末冨東作)を秘匿して欲しい旨を明示していなかったため、ペンネームと共に本名が公開されてしまい、ペンネーム案出の苦心は何の役にも立たなかったというオチがついている。
◆海音寺は第1回直木賞から候補者として名を連ね、第3回で受賞しているが、この当時、既に多くの作品執筆依頼があり、作家としての生活が軌道にのっていた海音寺は、創設直後の直木賞にあまり魅力を感じなかったこともあり、同じく第1回から候補者となっていた浜本浩*15が受賞すべきだとして受賞辞退を申し出た。しかし、「既に決まったことだから」という関係者の説得に折れて、受賞を承諾している。
◆『梟の城』(1959年下期)で受賞者となった司馬遼太郎(1923~1996年)を海音寺が非常に高く評価し、受賞に導いた。
 一方で、恩田木工*16』(1956年下期)、『眼』(1957年上期)、『信濃大名記』(1957年下期)、『応仁の乱』(1958年下期)、『秘図』(1959年上期)で候補者となった池波正太郎(1923~1990年)に対しては酷評を繰り返し下しており、池波が『錯乱』で受賞した1960年上期では、「こんな作品が候補作品となったのすら、僕には意外だ」とまで酷評し、結局、直木賞選考委員を辞任した(これについては海音寺潮五郎の逸話:司馬遼太郎『ペルシャの幻術師』講談倶楽部賞を受賞海音寺潮五郎の逸話:直木賞選考で池波正太郎を厳しく評価海音寺潮五郎と池波正太郎: 海音寺潮五郎応援サイト ~ 塵壺(ちりつぼ) ~383 池波正太郎さんに立ちはだかった海音寺潮五郎 | 無無明録を紹介しておきます。)。
◆海音寺は西郷隆盛*17が登場する作品を多数執筆している。この理由は海音寺によれば、西郷は明治維新最大の功臣でありながら、後世の歴史家に誤解されている面が多々あり、その歪んだ西郷像が歴史知識として一般に定着してしまうことを避けるために、真の西郷像を書こうとしたとのことである。これは歴史を深く知る作家としての使命感からの執筆理由であるが、その背後にある感情として、西郷隆盛は海音寺の故郷である薩摩(鹿児島県)の英雄であり、幼い頃から西郷隆盛の話に親しんだ海音寺は「西郷のことが好きで好きでたまらないから」であり、また自身にとって〈西郷と西南戦争〉はたとえていうなら、「西洋人にとってのホーマーでありイリアッドの如きものである」とも述べ、いかに根本的なものであったかを強調している。
【著書】
◆『西郷と大久保*18と久光』(朝日文庫)
◆『西郷隆盛』(角川文庫)
◆『大化の改新』、『蒙古の襲来』(河出文庫)
◆『赤穂義士』、『江戸城大奥列伝』(講談社文庫)
◆『江戸開城』、『西郷と大久保』、『平将門』(新潮文庫)
◆『赤穂浪士伝』(中公文庫)
◆『明智光秀をめぐる武将列伝』、『加藤清正*19』、『史伝・西郷隆盛』、『戦国風流武士・前田慶次郎*20』、『寺田屋騒動』、『天と地と*21』、『吉宗*22と宗春*23』(以上、文春文庫)など

 しかし池波がテレビドラマ化もされた『鬼平犯科帳』、『剣客商売』、『仕掛人・藤枝梅安』などで今でも有名なのに対し、「池波を酷評した」海音寺の方は「昔はともかく(1969年のNHK大河『天と地と』は海音寺原作)」今はそれほど有名でもないのが皮肉です。

*1:著書『芥川賞物語』、『直木賞物語』(以上、2017年、文春文庫)

*2:1897~1967年。牛鍋チェーン店「いろは」の経営者木村荘平(1841~1906年)の八男として生まれる。1932年、『血縁』でサンデー毎日大衆文芸賞を、1941年、『雲南守備兵』で直木賞を受賞。画家・木村荘八(1893~1958年、木村荘平の六男)、映画監督・木村荘十二(1903~1988年、木村荘平の十男)は兄弟(木村荘十 - Wikipedia参照)

*3:1907~1999年。岩手県盛岡市出身。宮沢賢治岩手県花巻市出身:1896~1933年)と深い親交があり、賢治に関する文章を多く残している。著書『浅岸村の鼠』(2002年、未知谷)、『カエルの学校』、『山村食料記録:森荘已池詩集』(以上、2003年、未知谷)、『森荘已池ノート:新装再刊ふれあいの人々宮澤賢治』(2016年、もりおか文庫)(森荘已池 - Wikipedia参照)。

*4:1913~1994年。朝日新聞記者として南方戦線に従軍した経験を基に、短編小説『ニューギニア山岳戦』を著し、1944年上半期の直木賞を受賞。その後も朝日新聞学芸部記者として映画評などの記事を書き続け、定年退職後に創作活動を本格的に開始。サラリーマンの老後を描いた『定年後』(1976年、中公文庫)はベストセラーになり、NHK「ドラマ人間模様」で1976年にドラマ化された(岡田誠三 - Wikipedia参照)

*5:1904~1967年。柔道家富田常次郎(いわゆる講道館四天王の一人)の息子。代表作として『姿三四郎』(いわゆる講道館四天王の一人・西郷四郎がモデルとされる)、『武蔵坊弁慶』(1986年のNHK連続ドラマ『武蔵坊弁慶』の原作)(富田常雄 - Wikipedia参照)

*6:1901~1989年(小山いと子 - Wikipedia参照)

*7:1916~1979年。著書『虹』(2013年、角川文庫)(藤井重夫 - Wikipedia参照)

*8:1924~2012年。財テク関係(株式投資など)の著書を多数執筆、「金儲けの神様」の異名があった。著書『旅が好き、食べることはもっと好き』(新潮文庫)、『お金持ちになれる人』(ちくまプリマー新書)、『食は広州に在り』、『中国人と日本人』、『わが青春の台湾・わが青春の香港』(以上、中公文庫)、『損をして覚える株式投資』(PHP新書)など(邱永漢 - Wikipedia参照)

*9:1908~2004年。本名・古賀英正。1979年まで國學院大学教員(金融論、銀行論、貨幣論)。代表作として、映画『武士道残酷物語』(1963年)の原作となった『被虐の系譜』、テレビドラマ『素浪人・月影兵庫』(1965~1968年)の原作となった月影兵庫シリーズ。また古賀名義での著書として『支配集中論』(1952年、有斐閣)、『日本金融資本論』(1957年、東洋経済新報社)がある(南條範夫 - Wikipedia参照)

*10:1915~1993年。1944年、師匠である作家・久保田万太郎(1889~1963年)に誘われて日本演劇社に入り、『日本演劇』の編集長となる。1948年、33歳で『歌舞伎の周囲』(角川書店)を刊行してから、続々と歌舞伎や新劇・新派の批評、随筆、入門書を刊行、特に『歌舞伎への招待』はロングセラーとなる。44歳の時江戸川乱歩(1894~1965年)の熱心な勧めによって執筆した「車引殺人事件」で推理作家としてデビュー。「団十郎切腹事件」によって直木賞を受賞。著書『歌舞伎への招待』、『続・歌舞伎への招待』(以上、岩波現代文庫)、『歌舞伎の話』、『丸本歌舞伎』(以上、講談社学術文庫)、『グリーン車の子供』、『小説・江戸歌舞伎秘話』、『団十郎切腹事件』、『松風の記憶』、『六代目菊五郎』(以上、講談社文庫)、『團十郎切腹事件:中村雅楽探偵全集〈1〉』、『グリーン車の子供:中村雅楽探偵全集〈2〉』、『目黒の狂女:中村雅楽探偵全集〈3〉』、『劇場の迷子:中村雅楽探偵全集〈4〉』、『松風の記憶:中村雅楽探偵全集〈5〉』(以上、創元推理文庫)、『久保田万太郎』、『松井須磨子』、『ちょっといい話』、『新ちょっといい話』、『新々ちょっといい話』、『最後のちょっといい話』(以上、文春文庫)(戸板康二 - Wikipedia参照)

*11:ただしこの小説はその後、講談社文庫、創元推理文庫から再刊

*12:1931~2021年。本名は河上雄三。元検事で弁護士の河上和雄(1933~2015年)は弟。読売新聞元記者。読売の先輩である作家・菊村到(1925~1999年)、佐野洋(1928~2013年)の影響で小説を執筆。1966年に『風塵地帯』で日本推理作家協会賞を受賞した後、読売新聞を退職し、専業作家となる。『聖少女』で直木賞受賞(1967年下半期)。著書『評伝・緒方竹虎』(岩波現代文庫)、『政・財腐蝕の100年』、『政商伝』(以上、講談社文庫)、『史伝新選組』(光文社時代小説文庫)、『戦士の賦:土方歳三の生と死』(集英社文庫)、『近代ジャーナリスト列伝』、『私説・沖田総司』(以上、中公文庫)、『史伝・伊藤博文』(徳間文庫)、『風塵地帯』(双葉文庫日本推理作家協会賞受賞作全集)、『聖少女』、『増補版・チェ・ゲバラ伝』、『夕陽と怒涛:小説・松岡洋右』(以上、文春文庫)など(三好徹 - Wikipedia参照)

*13:1936~2002年。著書『大浪花諸人往来:耳なし源蔵召捕記事』(角川文庫)、『京街道を走る』、『蔵屋敷の怪事件』、『不知火の化粧まわし』、『脱獄囚を追え』(以上、講談社文庫「なにわの源蔵事件帳」シリーズ)、『大浪花別嬪番付』、『新春初手柄』、『艶女衣装競べ』、『絵図面盗難事件』(以上、小学館文庫「なにわの源蔵事件帳」シリーズ)(有明夏夫 - Wikipedia参照)

*14:1932年創刊。1945年に廃刊となり後継雑誌として1947年に「小説新潮」が創刊された(日の出 (雑誌) - Wikipedia参照)

*15:1891~1959年。直木賞に6回候補者(第1~6回)となったが結局受賞できなかった(濱本浩 - Wikipedia参照))

*16:松代藩家老(恩田民親 - Wikipedia参照)

*17:明治新政府で参議、陸軍大将、近衛都督

*18:明治新政府で参議、大蔵卿、内務卿を歴任

*19:熊本藩初代藩主

*20:加賀藩主・前田利家の家臣(利家の甥でもある)。後に前田家を出奔し、米沢藩主・上杉景勝に仕えた。信用できる一次資料が少なく、その人物像はよく分かってない(前田利益 - Wikipedia参照)

*21:1969年のNHK大河ドラマ天と地と』の原作

*22:将軍・徳川吉宗のこと

*23:尾張藩主・徳川宗春のこと