2年弱死が伏せられていたのだから、浜四津敏子もたぶん世間的には「過去の人」だったのだろう(外地・旧植民地で生まれたり育った人たちもどんどん亡くなっている)やはりコロナは怖い病気ではないか(2023年2月16日記載)(追記あり)

元公明党代表代行・浜四津敏子さん75歳、2020年に死去…羽田内閣で環境庁長官 : 読売新聞
 「そんな高齢なのか?」と思ったら75歳(1945年生まれ、2020年死去*1)だそうです。若いとは言えませんが

◆村山・元首相、カーター元大統領(1924年生まれ)
渡辺恒雄・読売新聞主筆(1926年生まれ)
◆不破・元共産党議長(1930年生まれ)
福田康夫・元首相(1936年生まれ)
◆森・元首相、河野・元自民党総裁(1937年生まれ)
◆細川・元首相(1938年生まれ)
◆二階・元自民党幹事長(1939年生まれ)
◆麻生・自民党副総裁(1940年生まれ)
◆バイデン米国大統領、小泉元首相、胡錦濤・前中国国家主席(1942年生まれ)
シュレーダー元ドイツ首相(1944年生まれ)

など、彼女より高齢の人間もゴロゴロいるし「人生80年時代」では早死にでしょう。
 というか、「2020年11月死去?」ですね。「見間違い?」「誤記?」「今年って2023年だよね?」と一瞬目を疑いました。
 2か月弱死が伏せられていたのだから、立花隆もたぶん世間的には「過去の人」だったのだろう(外地・旧植民地で生まれたり育った人たちもどんどん亡くなっている) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)どころの話ではない。「2年間*2も死去が伏せられて気づかれないとは浜四津敏子もたぶん世間的には「過去の人」だったのだろう(外地・旧植民地で生まれたり育った人たち*3もどんどん亡くなっている)」ですね。羽田内閣環境庁長官公明党代表代行という「それなりの大物政治家」だったのですが。遺族が公明党創価学会にまで伏せていたのか、さすがに公明党創価学会には遺族が知らせていたのか、いずれにせよ何故2年間も公表しなかったのか、何故今頃公表したのか、気になるところです。
 しかしこうなると「池田大作(1928年生まれ)死亡説、重病説(表舞台に出てこないため*4)」に信憑性が出てきますね(苦笑)。

【追記】

2か月弱死が伏せられていたのだから、立花隆もたぶん世間的には「過去の人」だったのだろう(外地・旧植民地で生まれたり育った人たちもどんどん亡くなっている) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)のコメント欄
id:Bill_McCreary
 もはやこれからは、数年遅れの死の発表などということはまるで珍しくなくなると思います。王貞治に756号を打たれた鈴木康二朗氏も3年以上後に発表したくらいですからね。

 鈴木氏については以下を紹介しておきます。

鈴木康二朗 - Wikipedia
 王貞治世界新記録となる756号本塁打を打たれて有名になる。王に756号を打たれた投手には「サイパン島ペア旅行券」をプレゼントされることになっていたが、プロとしての意地から受け取りを拒否した。漫画『がんばれ!!タブチくん!!』では当時のその様子が大げさに描かれ、試合で必ず「王に756号を打たれた鈴木」と呼ばれていた。通算81勝52セーブという堂々たる数字を球史に刻んでいるにもかかわらず、この話題は長く彼につきまとい、2017年夏に週刊文春で受けたインタビューもやはりこの件が見出しとなった。
 2019年11月19日、肺炎のため死去。70歳没。遺族の意向により、訃報は約3年後の2023年2月13日に公表された。

 まあ鈴木氏の場合

鈴木康二朗 - Wikipedia
 1986年のプロ引退後も社会人軟式野球で現役を続け、茨城県代表として1995年の国民体育大会(ふくしま国体)でも登板した。社会人野球引退後は故郷の北茨城市でアパレル会社や廃棄処理会社での勤務を経て2010年に定年退職し、以降は故郷の北茨城市で余生を送っていたが、その後脳梗塞を患い、福島市内の病院で療養していた。

なので浜四津以上に、本当に「過去の人(プロ野球関係者とほとんど交流がない)」だったのでしょうが。

*1:2020年死去の著名人としてはイラン・イスラム革命防衛隊司令官スレイマニ(1/3死去、米軍による暗殺)、元プロ野球選手、監督の野村克也(2/11死去)、デクエヤル元国連事務総長(3/4死去)、コメディアンの志村けん(3/29死去、コロナ死)、女優の岡江久美子(4/23死去、コロナ死)、元民社党委員長の塚本三郎(5/20死去)、元拉致被害者家族会代表の横田滋(6/5死去)、朴元淳ソウル市長(7/10死去、セクハラ疑惑を苦にしての自殺)、李登輝台湾総統(7/30死去)、デザイナーの高田賢三(10/4死去、コロナ死)、羽田雄一郎国交相(12/27死去、コロナ死)などがいる。

*2:「後で訂正される」のでしょうが、浜四津敏子 - Wikipediaには「2020年11月29日、死去。75歳没。訃報は遺族の意向も考慮され公表を控えていたが、約2年半後の2023年2月16日、公明党より公表された」とありますが「2020年11月29日死去で2023年2月16日発表」ならどう計算しても「2年半」では無いと思います(約2年2か月ではないか?)。「2020年8月死去」なら「2年半後」でしょうが。また「2023年(今年)マイナス2020年(浜四津の死亡年)=3年」とはいえ「丸3年後の発表(2020年2月に死去した)」わけではないので公明党 浜四津敏子元代表代行 死去を発表 3年前に75歳で | NHK | 訃報として「3年前」と表現するのも不適切でしょう。むしろ「約2年前」の方が適切でしょう。

*3:浜四津敏子 - Wikipediaによれば浜四津も「外地、旧植民地」生まれ(日本統治時代の台湾・台北市生まれ)だそうです。

*4:2010年5月13日の創価学会本部幹部会以降、体調不良から創価学会内の公式行事を全て欠席。そのため重病説や死亡説が一部マスメディアで取り上げられた。創価学会内の公式行事への出席は無いものの、聖教新聞紙面では定期的に現在の姿とされる写真が伝えられている。2019年10月3日の聖教新聞では、2019年9月28日に聖教新聞社の新社屋や世界聖教会館を訪問したとされる池田夫妻の写真が掲載された。2020年6月10日の聖教新聞では、2016年6月25日に創価学会総本部内の創価世界女性会館にて、夫人同伴でピアノを弾いているとされる画像が掲載された(池田大作 - Wikipedia参照)