今日の中国ニュース(2023年11月25日分)(副題:自公連立のルーツは出版妨害事件と竹入メモ)

産経抄 パンダ外交と一時代の終わり - 産経ニュース

 随分前の話だが、外務省の中国課長経験者から聞いた話である。自民党の某元幹事長と某元総裁は、どちらがより親中かを競い合い、片方が訪中するとすぐにもう一方もはせ参じた。元課長は嘆じた。
「そして時の日本の首相の悪口を言う。中国側は彼らを歓待するが、心の底では軽蔑していた」。

 「某」で名前を出せない点や、「随分前」と時期が曖昧な点は、「反中国」産経らしいデマではないのか、と疑います。中国課長経験者とやらも果たして本当に実在するのかどうか?

「山口氏は今さら何で中国へ行くのかな。習近平国家主席と会えるかどうかは分からない」。
 公明党関係者が事前に漏らしていた通り、過去に4度会っている習氏との会談は今回は実現しなかった。

 公明党のみに悪口する「反中国」産経ですが

“中国と政党間交流再開へ一致” 首相 公明 山口代表から報告 | NHK | 日中関係2023.11.24
 岸田総理大臣は24日午後、総理大臣官邸で公明党の山口代表と会談し、中国訪問の報告を受けました。
 この中で山口氏は、中国共産党の最高指導部の1人と会談し自民・公明両党と中国共産党の政党間交流を再開するよう取り組むことで一致したと伝え、幹事長レベルで調整を進めることを確認しました。
 また、日本産水産物の輸入停止措置をめぐり、山口氏が中国側に撤廃を求めたことを伝えたのに対し、岸田総理大臣はスピード感と国際社会の理解をえることを重視して対応していく考えを示しました。

から見て、当然ながら訪中は「岸田首相」「上川外相」「茂木幹事長(元外相)」等と言った政府や自民党側との相談の結果であり、公明党単独の行為ではないでしょうに。

 平成30年10月の安倍晋三首相訪中の際も、事前にパンダ貸与で合意するとの報道が出たが、安倍氏自身は否定した。
「勝手に外務省がやっていることで、パンダなんて頼みたくもない」。

 安倍を反中国と描こうとする産経ですが、「安倍、パンダ」でググれば以下の記事(平成30年(2018年)10月当時)がヒットします。

「パンダ貸与」中国と協議 菅官房長官 | 注目の発言集 | NHK政治マガジン2018.10.18
 安倍総理大臣が来週、中国を訪問することに関連し、菅官房長官は、記者会見で、中国からの新たな「パンダ」の貸与に地方自治体から期待が寄せられていることを踏まえ、政府しても中国側と協議を進めていく考えを示しました。

菅官房長官:中国からのパンダの誘致を支援する考え | 毎日新聞2018.10.19
 菅義偉官房長官は18日の記者会見で「国民に広く親しまれるパンダの来日が実現すれば喜ばれる。政府として自治体の取り組みを後押ししていく」と述べ、仙台市八木山動物公園*1や神戸市の王子動物園などが進めるジャイアントパンダの誘致を支援する考えを示した。

 産経はこれを「菅長官が勝手に言ったこと」とでも言うのか。

 公明党と中国の蜜月は昭和49年、党創立者である創価学会池田大作会長と周恩来首相との会談に始まる。

 「創価学会と中国」の蜜月ならともかく「公明党と中国」の関係は違います。
 もっと早く

竹入メモ - Wikipedia
 日中国交正常化交渉に関する1972年(昭和47年)の会談録で、田中内閣が首相訪中による直接交渉を開始する重要な契機となったとされる 。
 2001年に外務省が機密指定を解除した。
 1972年7月25日に竹入義勝公明党委員長は中国政府に招かれて訪中する。7月29日の3回目の会談で周恩来中国首相は日中共同声明の案を読み上げ、それを竹入が記録した。この記録が竹入メモである。
 竹入は帰国した翌日である8月4日に首相官邸を訪れ、田中*2首相と大平*3外相に竹入メモを手渡す。翌8月5日に田中と大平はホテルニューオータニで会談して、その場で訪中を決断した。
 大平外相の秘書官であった藤井宏昭*4は、竹入メモでは中国は日本に戦後賠償を要求しないとしていた点が重要であったとする(田中角栄 日中国交正常化交渉の舞台裏 台湾断交で開かれた道 | NHK政治マガジン(2022.9.28)参照)。

という「竹入訪中」の時に始まった。産経が
1)無知なのか
2)「自公連立」のルーツが「こうした長年の自民党公明党の友好関係にあること(今は岸田派が政権派閥で、最大派閥は安倍派だが、1998年の自公連立・小渕内閣のルーツは田中派田中派竹下派小渕派))」を「アンチ公明党」として否定したいから竹入メモを意図的に無視
3)自民党が田中政権以降は基本的に親中国であることを「アンチ中国」として否定したいから竹入メモを意図的に無視してるのか
何なのか知りませんが。
 なお、「竹入メモ→田中訪中」以前から以下の通り、竹入と田中には色々と関係がありました。

言論出版妨害事件 - Wikipedia
1969年(昭和44年)
10月4日
 自民党田中角栄幹事長(当時、後に首相)が、藤原弘達元明治大学教授、政治評論家)に電話をし、公明党竹入義勝委員長からの依頼だとして藤原の著書『創価学会を斬る』(1969年、日新報道)について出版中止の要請をする。
10月15日
 田中は公明党の竹入委員長、矢野絢也書記長(後に委員長)から頼まれ、藤原を赤坂の料亭に招き、改めて出版中止の要請をしたが、結果は破談だった。矢野の著書『二重権力・闇の流れ:矢野絢也回想録』(1994年、文藝春秋*5によれば、この時、矢野と竹入は、隣の部屋で控えていたという。
12月17日
 藤原弘達が、著書では名前を伏せていた「政治介入した大物政治家」は田中であることを日本共産党の機関紙『赤旗』(記事「公明党 言論・出版に悪質な圧力 田中(自民)幹事長を仲介に」)で公表
1970年(昭和45年)
1月5日
  竹入と矢野が記者会見。竹入は「私と矢野書記長が自民党の実力者を通じて出版を取り止めるよう依頼した事実はない」と述べた。後に著書『二重権力・闇の流れ:矢野絢也回想録』(1994年、文藝春秋)で田中への依頼の事実を認めた矢野もこの時点では「事実無根としか言いようがない」と述べた。
1月6日
 『毎日新聞』紙上で田中が「藤原と話し合いはしたが、公明党から頼まれた事実はない」旨を述べる。

赤旗創価学会・公明党の言論出版妨害事件とは?1999.10.28
 政治学者・藤原弘達氏の『創価学会を斬る』の場合、竹入義勝公明党委員長(当時)の要請で田中角栄自民党幹事長(当時、後に首相)が著者に出版の中止を求め、「初版分は全部買い取ろう」と圧力をかけました。

【参考:竹入メモ】

田中角栄 日中国交正常化交渉の舞台裏 台湾断交で開かれた道 | NHK政治マガジン2022.9.28
 田中はなぜ、訪中を決断したのか。
 決断の前に、公明党委員長の竹入義勝が独自のルートで中国の首相・周恩来と会談し、その内容が政府にもたらされたことが大きいと言う。
 藤井は、中国が日本に戦後賠償を要求しないとした点が重要だったと、証言した。
「『竹入メモ』って当時言われてましたけど、一番大きなところでは、『中国は賠償金は取らない』って書いてあるんですね。田中さんのところに大平さんはすぐ飛んで行ってね。それでメモを見て『うん、行こう』となったわけです。僕は総理の秘書官室かどこかで待って、帰りの車で大平さんから『もう(訪中を)決めたぞ』って」

*1:なお、今回、山口氏も仙台へのパンダ貸与を中国側に要請したとのこと

*2:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)等を経て首相

*3:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)等を経て首相

*4:外務省北米局長、大臣官房長、タイ大使、英国大使等を歴任

*5:矢野はこのほかにも著書『黒い手帖:創価学会「日本占領計画」の全記録』(2009年、講談社)、『乱脈経理創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント』(2011年、講談社)で創価学会公明党を批判し、元公明党委員長でありながら、今では創価学会公明党と完全な敵対関係になっている。