手塚治虫のある逸話について

 手塚治虫が、選挙で共産党の候補と自民党の候補の応援をはしごしたという話は、事実確認ができないらしい(「なかった」とは断言できないが) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)及び唐沢俊一氏がツイートしてた手塚治虫が共産党の応援演説後、同日に自民党の応援をしたという話の出典がわからない - 電脳塵芥を読んでの感想を適当に書いていきます。

手塚治虫が、選挙で共産党の候補と自民党の候補の応援をはしごしたという話は、事実確認ができないらしい(「なかった」とは断言できないが) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
>終わったあと食事を勧められると 「いや、これから自民党の応援に行かないといけないので……」とそそくさと立ち去ったという(笑)。

 id:Bill_McCrearyさんも突っ込んでいますが、そんなことを言う人間がいるわけがないでしょう。二股かけてる不実な男が恋人相手に「これからA子さんと食事の約束があるから」といって食事を断る(浮気がばれるだろ!)くらい非常識です。「用事がある」とはいってもそんなことは言うわけがない。

唐沢俊一氏がツイートしてた手塚治虫が共産党の応援演説後、同日に自民党の応援をしたという話の出典がわからない - 電脳塵芥
 きょうは上田耕一郎*1先生の応援にかけつけました。上田先生はみなさんご存じないと思いますけど、実は漫画家なんです。だからといってぼくが漫画家だから上田先生の応援にきたわけじゃありません。

 上田が趣味でマンガを描いていたと言うことでしょうか?

唐沢俊一氏がツイートしてた手塚治虫が共産党の応援演説後、同日に自民党の応援をしたという話の出典がわからない - 電脳塵芥
 「月刊自由民主」の1984年10月号です。

 私は子どもたちをめぐるマスコミや娯楽の規制には大反対だが、むしろ、子どもの自体から生きもののの生命を尊重し、生きるということの大切さを充分知らしめる教育をほどこすことは絶対に必要だと思う。そのことを認識して育った子どもは、くだんの好戦的なアニメを見てもその内容の善悪を、はっきり判断するだろう。

 くだんの好戦的なアニメて何だろうと思いました。
 1984年という時期からし

ロボットアニメ - Wikipedia参照
機動戦士ガンダム - Wikipedia(1979~1980年、テレビ朝日
太陽の牙ダグラム - Wikipedia(1981~1983年、テレビ東京
超時空要塞マクロス - Wikipedia(1982~1983年、TBS)
装甲騎兵ボトムズ - Wikipedia(1983~1984年、テレビ東京

等でしょうか。まあ、読みようによってはこの手塚文章は当時の「ロボットアニメへのかばい手」にも見えます。

 自由新報では漫画家は何人も確認でき、例えば翼賛漫画家ともいえる近藤日出造などは何回も出ます。

 近藤は

近藤日出造 - Wikipedia参照
 近藤(1908~1979年)は1967年(昭和42年)末、新生「漫画社」から『漫画』を復刊させた。
 この復刊版『漫画』は若手漫画家をほとんど起用しなかった。峯島正行*2はこの復刊版『漫画』について、著書『近藤日出造の世界』(1984年、青蛙房)で「新鮮味のある内容ではなかった」「時代逆行も甚だしい」と酷評している。復刊版『漫画』は翌年の1968年(昭和43年)に廃刊し、「漫画社」は2000万の負債を抱えた

ということで晩年は「過去の人」と化していきます。
 また

近藤日出造 - Wikipedia参照
 近藤は借金の返済のため、パンフレット制作の請負事業に乗り出すことにした。
 民社党の政策集『心配にっぽん、この道がある』(1972年)、外務省広報課のパンフレット『これからの日本外交:大平*3外務大臣に聞く』(1973年)、電気事業連合会電事連)のパンフレット『電気は心:原子力発電を考える』(1974年)などを発行した。

と言う人間です。
 手塚も一時は虫プロ倒産で借金返済に苦しんだとはいえ、恐らくこんなことはやってないわけで、結局、近藤は「右寄りの人間だった」ということでしょう。

*1:1927~2008年。日本共産党宣伝局長、政策委員長、副委員長などを歴任

*2:1925~2016年。1950年、実業之日本社に入社。1959年『週刊漫画サンデー』創刊に伴って同誌編集長に就任。1980年、有楽出版社を創業。著書『評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭』(2001年、青蛙房)、『荒野も歩めば径になる:ロマンの猟人・尾崎秀樹の世界』(2009年、実業之日本社)、『回想・私の手塚治虫:『週刊漫画サンデー』初代編集長が明かす、大人向け手塚マンガの裏舞台』(2016年、山川出版社)など

*3:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、蔵相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相