テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍9』第13話「襲われた寝室!吉宗を狙うお姫様」(1999年放送の再放送)(2023年11月1日記載)

◆第13話「襲われた寝室!吉宗を狙うお姫様」(2023年11月1日再放送)

暴れん坊将軍9
 上様暗殺を企む薩摩の姫、しかし江戸家老に騙されてのことで、改易を避けてやりたい上様の温情に救われる。江戸家老が情報を遮断しているせいで出府できない薩摩藩主が傑作、「ボクの代になってから密貿易ヤメたのに」と案じる殿様は峰蘭太郎だったり。

 テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍9』第10話「美人後家を守れ! 弁護人になった将軍」他(1999年放送の再放送)(2023年10月27日記載) - bogus-simotukareのブログで紹介した
◆第12話「吉宗危機一髪! 美しき婚約者の献身」(2023年10月31日再放送)同様、「馬で遠乗りする吉宗」の襲撃シーンから始まり、その後も「大奥の部屋子」が江戸城内で吉宗を襲い、捕縛される謎展開。
 部屋子は自害するが、調査を行った「吉宗の側近」である南町奉行大岡越前田村亮)は彼女が「薩摩藩関係者」であることを突き止める。
 そして回想シーン。
 その数日前、病気を理由に参勤交代を免除*1されていた薩摩藩主・島津継豊(峰蘭太郎*2)について「本当に病気なのか」と薩摩藩江戸家老「伊集院帯刀」(黒部進初代ウルトラマンだが時代劇の悪役としても常連)を問いただしていた吉宗。
 なお、実際の島津継豊については以下を紹介しておきます。

島津継豊 - Wikipedia
 元禄14年(1701年)、第4代藩主・島津吉貴の長男として生まれた。正徳5年(1715年)、第7代将軍・徳川家継より、偏諱(「継」の一字)を与えられ、初名の忠休(ただやす)から継豊に改名。享保6年(1721年)、父・吉貴の隠居に伴って家督を継ぐ。
 当初、継豊は長州藩主・毛利吉元の娘を正室としていたが、正室が早世した後に8代将軍・徳川吉宗の斡旋もあって、5代将軍・徳川綱吉の養女・竹姫*3と再婚した。竹姫は吉宗と恋愛関係があるのではないかという臆測があり、継豊の父・吉貴はじめ薩摩藩では好意的にはとっていなかったという。しかし、吉貴の友人である老中・松平乗邑*4の斡旋もあって、継豊には既に側室のお嘉久(渋谷氏)との間に嫡男(後に第6代藩主となる島津宗信)が生まれていることから、竹姫との間に子が生まれても嫡子としないなど様々な条件をつけた上で受け入れたという。
 継豊は病気がちであり、享保21年(1736年)に江戸に参勤した後帰国できず、翌元文2年(1737年)に在府の願いを幕府に出して許可され、以後12年にわたって江戸に滞在することとなった。

魔境夢御殿
 『暴れん坊将軍9』第13話「襲われた寝室!吉宗を狙うお姫様」。江戸家老(黒部進)に唆されて上様の命を狙う薩摩藩のお姫様を演じるのは五十嵐いづみ*5。彼女は以前加賀藩のお姫様も演じてたなぁ。
 その父の島津継豊を演じるのは峰蘭太郎。継豊は28話でも竹姫様(久我陽子)の嫁ぎ先として名前だけ出てくる。

 ということで「病気で参勤交代できなかった」のは事実のようですが、実際は「病気で出府できなかった」のではなく、逆に「病気で帰国できなかった」ようですが、それはさておき。
 さて、◆第12話「吉宗危機一髪! 美しき婚約者の献身」(2023年10月31日再放送)同様、当初は悪人や悪事について明らかにせず「新機軸」を狙ってるとは言えるでしょう。
 とはいえ、◆第12話「吉宗危機一髪! 美しき婚約者の献身」に比べ伊集院の悪事については早い段階で明らかになります。
 お庭番の調査で「今回の暗殺未遂の黒幕」が(藩主ではなく)伊集院であること、伊集院が薩摩藩御用商人「南国屋藤兵衛(田中弘史)」と手を組み藩主に隠れて「琉球を使った密貿易(しかも阿片密売までやってる)」で私腹を肥やしてるらしいこと、伊集院の個人的暴走であるにもかかわらず、江戸藩邸に住む「藩主の娘・佐知*6(五十嵐めぐみ)」を「藩主の命」と騙して吉宗暗殺未遂に協力させてるらしいことを突き止める吉宗。
 「とにかく2度も将軍暗殺未遂を起こした伊集院を呼び出し、彼を即刻切腹させるべき」「その結果、薩摩藩改易になっても構わない。薩摩は西の脅威でありむしろ改易は好都合」「たとえ暗殺未遂が伊集院の個人的暴走だとしても、藩主の管理不行き届きは改易や藩主切腹に十分値する」と「伊集院の吉宗暗殺未遂」に憤激し、息巻く大岡(田村)や側用人「宍戸官兵衛(高島忠夫)」に対し、「藩主父娘が今回の暗殺劇に関係ない*7なら改易や藩主切腹などせず伊集院処罰のみで穏便に済ませたい」と語る「人情派」吉宗。
 吉宗はおりんのつてで、「徳田新之介」として佐知と会い、彼女に「伊集院が違法な密貿易(しかも阿片密売までやってる)」に手を染めていることを知らせる。
 自分が騙されていたことに憤激する彼女。しかし「江戸家老・伊集院の悪辣さ」から「若い姫君の彼女」には伊集院追及(切腹など厳罰に処すること)は荷が重い、下手をすれば彼女を暗殺した上、病死に偽装されかねない、自分が知り合いである南町奉行「大岡(田村)」に全てを明かすべきだ、大岡も吉宗も「薩摩藩改易、藩主切腹」等はせずに「直接の実行犯(伊集院ら)処罰にとどめるだろう」と語る吉宗に、幕府への不信感があるのか「私が処断する」と語り拒絶する佐知(この時点では吉宗は自らの正体を明かしておらず、彼女は吉宗を「公儀隠密の徳田」程度にしか思ってない)。
 勿論予想通り「佐知が逆に伊集院に暗殺されそうになる」時に現れる吉宗。そして「悪の黒幕」伊集院と共犯「南国屋」をいつも通り成敗する吉宗。
 しかし吉宗に命を救われながら「騙されていたとはいえ、伊集院の吉宗暗殺計画に加担し、また伊集院の密貿易を見抜けず彼を江戸家老として重用したこと」を恥じ自害しようとする佐知。
 「生きることこそがむしろ罪の償い」と語る吉宗。吉宗の温情で彼女の薩摩帰国が許されるシーンでエンド。

*1:当初は確かに病気だが、病気快癒後も江戸家老・伊集院が藩主(幕府が江戸入府を認めない)、幕府(藩主は病気)双方を騙して藩主を上京させない設定

*2:時代劇の斬られ役(悪役)として知られるが、今回は「薩摩藩の名君」役。「(ボーガス注:江戸藩邸に住む娘の)佐知からは?、如何致したのであろう。月に一度は必ず(ボーガス注:手紙を)寄越す筆まめな娘であったに。」「(ボーガス注:江戸家老・伊集院に寄れば)幕府は余にまだ江戸入府には及ばずと申しておるぞ。幕府は我が藩への謀反の疑いを捨ててはおらんのだ。何としてもその疑いを解かんと。余の代になって密貿易も止め、ご定法に叶った交易のみにと厳しく藩政を改めてまいったものを」(峰蘭太郎ファンサイト:出演作品・暴れん坊将軍9・10参照)ということで「セリフのほとんどない斬られ役(場合によっては「悪代官の家臣A」等の扱いで役柄の名前もない)」と違い、短時間の出演とは言え、セリフもそれなりにあります。

*3:宝永2年(1705年)、清閑寺熈定の娘として京都で生まれる。宝永5年(1708年)に、会津藩主松平正容の嫡子の久千代(正邦)と縁組するが、同年12月、久千代は早世した。宝永7年(1710年)、有栖川宮正仁親王と婚約するが、享保元年(1716年)親王は死去した。8代将軍吉宗の代になると、既に正室を亡くしていた吉宗に継室に望まれたというが、実際の血縁は一切ないとはいえ、5代綱吉の養女という立場の竹姫は吉宗にとって義理の大叔母ということになるため、第6代将軍・家宣の正室(御台所)であった天英院から「人倫にもとる」と反対され、改めて8代将軍吉宗の養女という身分となった。吉宗は新たな嫁ぎ先を探すものの、過去に2度も婚約者が没しているということで不吉な噂も立ったらしく、さらに竹姫と吉宗は男女関係にあったという噂もあり、どの大名家・公家も敬遠したため、婚家探しは難航した(要出典)。享保14年(1729年)、島津継豊と縁組が成立した。継豊の父・島津吉貴の友人である老中の松平乗邑の斡旋もあり、さらに天英院が実家の近衛家を通して縁談を持ちかけてきたため、近衛家と婚姻関係が深い島津家は断り切れなかったといわれている。将軍家息女の婚家先には多くの経済的負担がかかるため、財政難であった薩摩藩にとってこの縁組みは災難以外の何物でもなかった。加えて継豊は側室腹とはいえ長男の益之助(後の藩主・宗信)が誕生したばかりであったため、島津家は、もし竹姫に男子が誕生しても、継嗣にはしないなどの条件をいくつも要求した。吉宗はこれを受け入れ、結婚当時は夫となる島津継豊が未だ四位以上に任官していなかったにもかかわらず、「夫が四位以上の将軍家出身の姫」に与えられる「御守殿」の敬称の名乗りを竹姫に許すなど、異例の厚遇を与えた。また、竹姫の住まい用として芝屋敷の北側に6千890坪の屋敷地を無償で下賜された。さらに婚姻後、継豊は従四位上左近衛中将に昇進し、玉川上水を芝の薩摩藩邸に分水することが許されるなど、特別な利権を多く獲得した。後に隠居した継豊は鹿児島に帰国したが、竹姫は江戸に留まり、10年後に継豊が鹿児島で没するまで再会することなく別居生活を送った。竹姫は将軍家の養女という立場を大いに利用し、薩摩藩第9代藩主・島津重豪正室一橋徳川家の当主・徳川宗尹の娘・保姫を迎えさせた。また竹姫の死後、その遺言として、重豪の娘茂姫(広大院)と第11代将軍徳川家斉との縁組が行われた。この縁組はのちに、天璋院篤姫が島津分家の出身でありながら、島津本家(藩主・斉彬)養女、近衛家養女という格式を踏みながら、徳川将軍家(第14代将軍家定)の正室になる前例を作った。これらの婚姻の結果、外様であった薩摩藩の幕府に対する発言力が大いに増すこととなり、幕末に薩摩藩が台頭する大きな要因の一つになった(浄岸院 - Wikipedia参照)

*4:貞享3年(1686年)、唐津藩2代藩主・松平乗春の長男として誕生。元禄3年(1690年)、父・乗春の死により家督を相続(その後、志摩国鳥羽藩、伊勢国亀山藩山城国淀藩に転封)。享保8年(1723年)老中となり、淀藩から下総佐倉藩に転封。享保15年(1730年)に水野忠之岡崎藩主)が老中を辞任したあとは老中首座に、元文2年(1737年)には勝手掛老中となる。将軍後継問題に関して、吉宗の次男の田安宗武御三卿・田安家初代当主)を将軍に擁立しようとしていたが、長男の家重が後継と決定されたため、家重から疎んじられるようになった。延享2年(1745年)、酒井忠恭(前橋藩主)が老中に就くと、忠恭が老中首座とされ、次席に外れた。同年11月、家重が9代将軍に就任すると直後に老中を解任され、隠居を命じられる。次男・乗祐に家督相続は許されたが、間もなく出羽山形に転封を命じられた。延享3年(1746年)に死去、享年61歳(松平乗邑 - Wikipedia参照)

*5:1968年生まれ。1987年に映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲』のヒロイン「如月翔子」役でデビュー。映画公開とあわせてシングル曲『スカイバレー』も歌いアイドル歌手としてもデビュー。フジテレビの連続ドラマ『少女コマンドーIZUMI』(1987~1988年、ヒットした『スケバン刑事III』(浅香唯主演)の後番組としてスタートしたが、一度も視聴率が10%を超えず、最低視聴率がわずか3.6%(第14話・1988年2月11日放送分)と低視聴率にあえぐなど前作ほどの人気は得られず、20話以上制作する予定が大幅に短縮され、放送開始から4か月で打ち切りとなったが、物語は完結させている(少女コマンドーIZUMI - Wikipedia))で主演し、挿入歌の『エスケイプ!』もヒット。『少女コマンドーIZUMI』終了後もテレビドラマを中心に出演し、1991年度下期の朝の連続ドラマ『華の宴』(日本テレビ)で当時最年少のヒロイン(22歳)に抜擢されて約4年ぶりで連続ドラマを主演した。その後も女優として活動したが、2001年に結婚したのを機に芸能界を引退(五十嵐いづみ - Wikipedia参照)

*6:偶然、おりん(松金よね子:め組の頭・長治郎(山本譲二)の姉で産婆)とも知り合いという設定

*7:江戸家老・伊集院(黒部)に騙されてるとは言えがっつり関わってる藩主娘「佐知(五十嵐)」はともかく藩主(峰)は何も知らない設定です。