テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍3』第7話「運命(さだめ)のめぐりあい」(1988年放送の再放送)(2023年12月15日記載)

◆第7話「運命(さだめ)のめぐりあい」(2023年12月15日再放送)
 以下の通り、記事を紹介しておきます。

番組詳細|テレビ朝日
第7話「運命(さだめ)のめぐりあい」
 旗本屋敷だけを狙う盗っ人が出没し、江戸の町を騒がせていた。そんな中、目安箱の訴状から、最近一部の旗本たち*1の行状に目にあまるものがあることを知った吉宗(松平健)は怒りが爆発、悪徳旗本の一掃を決意する。そんなある日、吉宗は深川の芸者・おこう(剣幸*2)と知り合う。だが、彼女はなぜか侍に怨みを持っているようで、吉宗にも心を開こうとしない。やがて、旗本屋敷を狙う盗っ人は女と判明。どうやらそれが、おこうらしいことを突き止めるが

暴れん坊将軍 III
第7話「運命(さだめ)のめぐりあい」
 水茶屋の女と大身旗本の間に産まれた娘おこうは、長じて父のことを知るが名も判らず。知りたくてとる行動は、盗みに入ったあちこちの旗本屋敷に母の名「梅」にかけて(ボーガス注:母親が18歳でおこうを生んだ直後、体調不良で死亡したことから「お梅18歳」と書いた短冊をつけて)梅花一枝を置いてくること。そして、それと知らず顔を見ていた「義弟」は札付きの悪党だった。
※おこうは気風のいい芸者が表の顔で、盗っ人は養父から習い覚えた裏稼業。め組小頭の半次郎(佐藤B作)なんか一発でめろめろのイイ女、ヅカの元男役「剣幸
悪事を重ねる息子「倉林丈之助」(冨家規政)を成敗する悲哀の父「倉林弥一郎」に睦五朗。

甘えん坊将軍
#暴れん坊将軍Ⅲ 7話
新さん(松平健
『そうだ。姉さん(おしの:奈波登志子)は死んだんだ。もう帰っては来ないんだ。姉さんは、どんな想いで死んでいったことか。きっと最後までおみよちゃん(原彩子)のことを想っていたに違いない。そのおみよちゃんがこんなことでは、姉さんどう思う!姉さんに申し訳ないとは思わんのか!』
おみよ(原彩子)
『姉さんもう帰って来ないんでしょ!死んじゃったんでしょ!ひどい…おこうさんまで私のことだまして!』
おこう(剣幸
『おみよちゃん!』
おさい(浅茅陽子
『おみよちゃん!やめなさい!』
 (ボーガス注:悪役が多い)睦五朗さん、今回は善人役。男手一つで育てた一粒種が悪事に加担しすぎで自ら成敗→腹切り

あふろん@芝神明
(ボーガス注:エンドの前に毎回流れる若山弦蔵*3の締めのナレーション)
「人の世は回るえにしの糸車。
 一人残されたおこうのことを哀れに思いながら、悲しみや苦しみを越えて生きて行く人の力を信じよう。
 強くそう思う吉宗であった。」

 一部の旗本たちの行状ということで今回は権力犯罪というよりは、親父の権力を笠に着て、数々の非行行為(例:水茶屋の娘おしのを拉致し、性的暴行を働いたあげく死なせる(強姦傷害致死)等)をやらかすバカ息子という設定。
 それにバカ息子ら「不良旗本」を「彼らの犯罪行為」をネタに脅して「寺社などから高価な仏像などを盗ませる」窃盗行為をやらせ「盗ませた仏像」を闇市場で高値で売る悪徳商人・肥前屋武兵衛(鹿内孝)が絡む。そういう意味ではいつもほどの「巨悪、権力犯罪(例:官製談合を行う普請奉行と悪徳商人)」ではない。
 肥前屋の命令で、仏像窃盗をやらかし、あげく押し込み先で尼僧(富永佳代子)に顔を見られたが故に殺人(結果として強盗殺人)にまで及ぶバカ息子「丈之助」(冨家規政)。
 最後の「吉宗の殺陣直前」のシーン、殺された「おしの」「尼僧」が知人であるおこうが、「丈之助」「肥前屋」を殺そうと匕首で襲うが、返り討ちに遭い殺されかかる(なお、この直前、おこうは吉宗に諭され、盗賊を止めることを決意しているが、それでも「知人の恨みは晴らす」と復讐を決意)。
 そこを救う吉宗。なお、赤字にあるように、いつもは「悪代官に悪徳商人」等、「二人の悪が最後に御庭番二人に成敗されるパターン」だが殺陣前に「丈之助」は父「弥一郎」によって成敗*4され、今回、吉宗と御庭番に成敗される「巨悪(?)」は肥前屋のみ。「弥一郎」は成敗直後「徳田新之介=吉宗」と気づき、バカ息子の愚行について、自らを恥じて即座に切腹肥前屋は吉宗の顔を知らないので今回はいつもの「うつけ者め、余の顔を見忘れたか」はありません。
 おこうは結局「盗賊から足を洗う(吉宗や大岡の温情で捕縛されない)」が、実の父(切腹した弥一郎)の正体を知らずじまい(吉宗もあえて知らせない)。
 「これで良かったのか」という辰五郎(北島三郎)に「人間には知らなくてもいいこともある」と思いやる吉宗。まあ、父が切腹しなければ吉宗も知らせたのかもしれませんが。
 その後、江戸城中で大岡(横内正)から「旗本屋敷から盗まれた金が盗賊(足を洗ったおこう)によって、全て元に戻された報告」を受けてエンド。
【参考:旗本奴】

旗本奴 - Wikipedia
 「旗本奴」の流行は、「大小神祇組(白柄組)の水野成之(水野十郎左衛門)らの切腹」等、幕府による厳正な取締りにより終焉した。

水野成之 - Wikipedia
 寛永7年(1630年)生まれ。慶安3年(1650年)、3,000石で小普請組に列した。旗本奴「大小神祇組(白柄組)」を組織。大身旗本であったため、誰も水野には手出しできず、行状はエスカレートしていった。そのため、同じく男伊達を競いあっていた町奴と激しく対立した。
 明暦3年(1657年)、水野は町奴の大物・幡随院長兵衛を殺害。この件に関してはお咎めなしだったが、行跡怠慢で寛文4年(1664年)3月26日に母・正徳院(徳島藩初代藩主蜂須賀至鎮の娘)の実家・蜂須賀家の江戸藩邸にお預けとなった。翌27日に評定所へ召喚されたところ、月代を剃らず着流しの伊達姿で出頭し、あまりにも不敬不遜であるとして若年寄の土屋数直*5の命により即日切腹となった。享年35歳。2歳の嫡子・百助も誅されて家名断絶となった。
 なお、母と共に蜂須賀家へ預けられた弟の水野忠丘が、元禄元年(1688年)に赦され、元禄14年(1701年)に旗本となったことで家名は存続した。

*1:旗本奴のような不良旗本(バカ息子たち)のこと(旗本奴は江戸時代初期の話ですが)

*2:1954年生まれ。1974年宝塚歌劇団に入団。1985年、退団した大地真央(1956年生まれ、1973年入団)の後を受け月組のトップスターに就任。以降、退団する1990年まで5年間トップを務めた。

*3:1932~2021年。樺太大泊町(現・ロシアサハリン州コルサコフ)生まれ。幼少期に北海道札幌市に転居。札幌南高校卒業後の1952年、NHK札幌放送劇団に入団し、ラジオドラマへの出演で芸能界デビュー。1956年に主演したラジオドラマ『パイロットファーム』が文部省芸術祭で団体奨励賞を受賞し、特に若山の演技は、審査員の円地文子が絶賛するなど好評を博した。このことがきっかけで、1957年に活動拠点を東京へ移し、ラジオドラマ出演の傍ら、海外ドラマや洋画の吹き替えの仕事も始める。映画『007』シリーズでは、ジェームズ・ボンドを演じるショーン・コネリーの吹き替えを担当し、若山の代表作の一つとなる。TBSラジオ『パック・イン・ミュージック』を2年間(1968~1970年)担当したことを皮切りに、ラジオのパーソナリティの仕事も開始。1973年からはTBSラジオ若山弦蔵の東京ダイヤル954』(当初は『おつかれさま5時です』)のパーソナリティーを一度も休むことなく1995年まで22年間務めた。後に「TBSラジオを支えた大功労者」と評されることとなった。放送劇団(ラジオドラマ)出身であり、日本での専業声優確立以前から活動している者の中では、舞台や映画、テレビドラマの仕事をしたことがほとんどなく、声優を専業として活動してきた数少ない人物である。テレビ黎明期の吹き替えに参入してきた新劇俳優について、後に「大部分の連中にとっては片手間の仕事でしかなかった」、「日本語として不自然な台詞でも疑問も持たず、台本どおりにしか喋らない連中が多くて、僕はそれがすごく腹立たしかった」と語っている。アニメに関しては、線どり(絵が全て完成していない状態でアフレコをすること)は避けていたことから出演作は少ない。日本テレビのアニメ『宝島』(1978~1979年)のシルバー役はアフレコ時に絵が全て完成しているという前提で引き受けたが、実際には絵が完成していることは一度もなく、納得のいく演技ができなかったという(若山弦蔵 - Wikipedia参照)

*4:テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍3』第6話「紅蓮の炎に消えた恋」(1988年放送の再放送)(2023年12月14日記載) - bogus-simotukareのブログもそうですが「成敗はされるが、成敗するのは吉宗や御庭番ではない」ケースは珍しいと思う。

*5:書院番組頭、駿府城番、小姓組番頭、若年寄、老中を歴任。元は旗本だが加増により、大名(常陸土浦藩の初代藩主)となる。