テレ朝・おはよう時代劇『暴れん坊将軍3』第29話「阿呆と呼ばれた名将軍」(1988年放送の再放送)(2024年1月19日記載)

◆第29話「阿呆と呼ばれた名将軍」(2024年1月19日再放送)
 以下の通り、記事を紹介しておきます。

番組詳細|テレビ朝日
第29話「阿呆と呼ばれた名将軍」
 料亭『花菱』の仲居・お種(志乃原良子)が殺され、家に火をつけられる騒ぎが起こった。そして、それに関して吉宗(松平健)を「目安箱作って上様ご機嫌なれど斬られてしまえばまるで逆さま」と批判する落首が何者かによってはり出されたのだった。吉宗の調べで、女髪結・お駒(京唄子*1)の亭主・伊之助(園田裕久)が吉宗批判の落首を作ってはり出していることがわかった。だが、伊之助もお駒も認めようとはしない。やがて、お種が何かを目安箱に訴えようとして、それが果たせぬうちに殺されたことが判明。しかも、お駒が殺しの現場を見たようで

今日の上様~暴れん坊将軍Ⅲ~ - 天下御免のすっとこどっこい
第29話「阿呆と呼ばれた名将軍」
 女が武士に襲われるところに出くわした女髪結い。
 女は隠した書付を目安箱に入れてくれと頼んで息絶える。この話を聞いた髪結いの亭主は吉宗批判の落首「目安箱作って上様ご機嫌なれど斬られてしまえばまるで逆さま」を貼る。
 吉宗は殺された女が茶屋女であったことと、落首の内容から老中の不正の件と関係があるとにらむ。
 女髪結いをを京唄子、亭主を園田裕久が演じ、初めから終わりまで夫婦漫才のようにテンポがよく面白い。
 さすがに新さんやお庭番の出番が少なかった。
<今回のみどころ>
「女髪結いは上方で始まった職業で、江戸で盛んになったのは10代将軍*2の頃からである」
(ナレーションより)
ほー、ためになるねえ。

暴れん坊将軍 III
第29話「阿呆と呼ばれた名将軍」
 髪結いの亭主・伊之助のひそやかな趣味は落首。ある日女房が見た殺人事件をもとに、将軍と目安箱を皮肉る一首「目安箱作って上様ご機嫌なれど斬られてしまえばまるで逆さま」を高札に掲げたことが上様を動かし、料亭政治でウハウハの老中「有馬左京太夫」(遠藤太津朗)を追い詰めることになる。
※お駒に京唄子、亭主は第一期小頭の園田裕久*3。タイトルは亭主の落首ではなく、老中の手下に囲まれ恐慌をきたした唄子師匠が口走る雑言「(有馬のような悪人を老中にするとは上様は)阿呆や、間抜けや、こんこんちきや」。

白ぱんだ
 「佐久間」(芝本正さん)、直参旗本なのに、(老中に)まるで幇間太鼓持ち)のような真似(裸踊り)をさせられています。というか、さすが見事な幇間の演技

あふろん@芝神明
長崎奉行二千両、佐渡奉行五千両、老中「遠藤さん」の思うまま
◆「上様は文武両道と言うがそんな物より出世に必要なのは金よ」となにげに熱い将軍批判も忘れない遠藤さん
◆(佐渡奉行五千両より高額とは)やはり普請奉行と勘定奉行は高いのか
◆遠藤さん「かくなる上は、ひと思いにお命頂戴仕るまで!、出会え!出会え!」
◆遠藤さん自刃!、老中けっこう潔い。シリーズ3初期は自刃パターン多い気が
◆(最後の若山弦蔵のナレーション)
 (老中・有馬(遠藤太津朗)に賄賂を送って役を得ようとした佐久間(芝本正)、桜井(田中弘史)といった)不正のあった旗本らは甲府勤番*4の閑職に追放され程なく新任の各奉行に新進気鋭の士が抜てきされたのはそれからまもなくであった
甲府勤番送りで済ませるのも結構甘い

 落首を見て「上様に対し無礼にも程がある。軽くても犯人は八丈島あたりに遠島にすべき(重ければ勿論、斬首や市中引き回しの上、磔獄門、つまり死罪?)」と過激(?)なことを息巻く「御側御用取次」田之倉(船越英二)に対し「『斬られてしまえば』ということは、落首の男は『目安箱に何かを投じようとして、殺された人間がいる』と指摘しているのでは?」と冷静な吉宗(松平健)。
 吉宗に対し南町奉行・大岡(横内正)は「落首はお種殺しに関係があるのではないか?」と「落首の男」を見つけようと捜査を行っていることを報告。
 「落首の男は殺人現場を目撃したか、何かこの事件と関係があるのかもしれない」「殺害犯人が男を口封じする危険がある」として処罰などしなくていいので「落首の男を早く捜す」ように忠相や御庭番・左源太(三ツ木清隆)に命じるとともに「落首の男を探して欲しい」とめ組を訪れると「あいつが落首の男かもしれない」と言い出す小頭「半次郎(佐藤B作)」。
 張り出された下手な落首を「くだらない」と半次郎が悪口したところ、伊之助(園田裕久)が「俺が書いたわけじゃないが」と言い訳しながらも「俺はいい落首だと思う」とムキになっていたという。
 吉宗や半次郎の追及に、処罰を恐れ「知らない」という伊之助だが、「伊之助の青くなった顔色」を見た吉宗は伊之助が落首の犯人だと確信する。
 さて「殺された女の娘」を引き取る伊之助・お駒夫婦。殺された女・お種(志乃原良子)は髪結い女「お駒(京唄子)」に「書き付けを隠した場所」について「淡島様」と言う謎の言葉を残す。「淡島様とは何か」が一つの謎になります。
 さて場面は変わって料亭で「お役につきたい」という無役旗本・桜井(田中弘史)に「(就任したい役職が)長崎奉行なら二千両、作事奉行なら三千両、佐渡奉行なら五千両、勘定奉行と普請奉行はそれ以上(を賄賂として自分に寄越せ)*5」と語る老中「有馬左京太夫」(遠藤太津朗)。
 最初「長崎奉行なら2つだな」といい「二百両ですか?」という桜井に「額が一桁少ないわ」とすごむ有馬がおかしい。
 また、場面が変わり、桜井は田之倉相手にも「お役につけるならばいくらでも金を用立てる」と言いだし、老中・有馬と違い清廉潔白な田之倉は「今回は事を荒立てる気はないが今後もそのような愚劣なことをするようならば、上様に報告する」とかえって激怒。桜井の名前は出さないまでも「そのような馬鹿者がいた」という田之倉の報告に「そうした役職の売買を料亭で目撃したこと」がお種殺害の理由ではないかと気づく。
 さて場面が変わり「落首を褒める浪人」に気が大きくなって事実上「落首の主」が夫・伊之助だと認めてしまうお駒。
 しかし浪人は「南町同心の変装」で、お駒は危うく捕縛されそうになるが吉宗に助けられる。
 しかし、その直後、お種を殺した連中に「お種殺害の目撃者」として襲われる吉宗とお駒。勿論吉宗によってまたも救われるお駒。
 完全に吉宗を「命の恩人」として信用したお駒は、お種殺害を目撃したことを認め、お種の「淡島様」という謎の言葉を吉宗に告げる。
 紀州藩出身の吉宗は「紀州(和歌山)の淡嶋神社*6ではないか」と気づき、お種が「淡嶋神社*7の札」を張った場所を探して「長崎奉行なら二千両、作事奉行なら三千両、佐渡奉行なら五千両、勘定奉行と普請奉行はそれ以上」と役職の売買を老中・有馬がしていたことを書いた「お種の書き付け」を見つける。
 その書き付けを持って、「め組の辰五郎と吉宗」を護衛に有馬のいる料亭に乗り込む伊之助・お駒夫婦。
 伊之助・お駒夫婦らを口封じに殺そうとする有馬に対し「こんな酷い男を老中にするなんて上様はアホや、間抜けや、こんこんちきや」と悪口するお駒に「確かに有馬を老中にしたのは俺の不明」と有馬を成敗する吉宗。
 徳田が吉宗と気づき、吉宗を酷評した落首「目安箱作って上様ご機嫌なれど斬られてしまえばまるで逆さま」を理由に処罰されることを恐れ、夜逃げしようとする夫婦だが「鼻息の荒いお駒の手綱取り、仲良く歩め二人三脚」と書いた吉宗の落首に気づく。
 その場には都合良く、辰五郎が登場し「徳田様は旗本の三男坊、夜逃げする必要はない」と語る。結局、夜逃げをせず「お種の娘」を引き取り、今まで通りの生活をする夫婦。 

【参考:甲府勤番

(325)甲府勤番(こうふきんばん) | 江戸老人のブログ
山本博文*8『江戸の組織人*9
 江戸時代後期には、甲府勤番は不良旗本の溜り場になっていた。
 例えば遊郭などに入りびたっている旗本が借金だらけになる。吉原の亭主が返済を督促しても、一向に返そうとしない。仕方なく町奉行所に訴え出ると、旗本は用人などを出頭させ、「自分の主人は吉原などへは行かない。別人が主人の名をかたったものだろう」などと返答する。
 江戸時代、旗本の身分は高く、町奉行もその旗本を直接審理することはできないから、結局、うやむやになる。
 しかし、そうしたことを繰り返すと、幕閣の知るところとなり、甲府勤番を命じられる。

怨念に朽ちた甲府勤番 忌み嫌われた甲府行き | 山梨県歴史文学館 山口素堂とともに - 楽天ブログ
竹内勇太郎氏*10著、『歴史と旅』「特集・江戸サラリーマン武士道」(昭和39年10月刊)一部加筆
 はっきり言って、甲府勤番士を命じられる旗本や御家人は、その過去に於いて、なんらかの罪状・悪事・不屈の行跡をのこした者たちばかりである。上司に対し不敬・不遜の振舞に及んだとか、あるいは深川芸者や吉原の遊女に迷い、放蕩の限りをつくしたとか、博徒と交って自分の屋敷で賭場を開帳したとか、とにかく無頼放蕩、あるいは反体制の男たちを、懲罰の意味で送り込んだとみていい。

 時代劇ファンにとっては「不良旗本の左遷場所」としておなじみの「甲府勤番支配」ですが、単なる「時代劇のフィクション」ではなく、「少なくともある時期から」は実際に「左遷場所」だったようです。

*1:1927~2017年。1945年、「なでしこ劇団」に入り、京町唄子の名で女優となる。1956年に「瀬川信子一座」で座付き作家を務めた鳳啓助(1923~1994年)と出逢い、漫才コンビ唄子・啓助」を結成して漫才を始める。後、鳳と結婚するが1965年に離婚(但しコンビは続行)。1969年から1985年まで16年間続いたフジテレビのトーク番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』で啓助とともに司会を務めた。1993年からはTBS『渡る世間は鬼ばかり』で、岡倉家の五女・長子(藤田朋子)の姑である本間(後に神林)常子役として出演。2008年、上方演芸資料館が選出する「上方演芸の殿堂入り」入り表彰を「唄子・啓助」で受章(京唄子 - Wikipedia参照)

*2:8代将軍吉宗の孫で、9代将軍家重の子である家治のこと

*3:松平健が所属する芸能事務所「三喜プロモーション」所属

*4:江戸時代中期に設置され、幕府直轄領化された甲斐国に常在し、甲府城の守衛や城米の管理、武具の整備や甲府町方支配を担った(甲府勤番 - Wikipedia参照)

*5:なお、あくまでも本作の設定であり、実際の奉行職が「この順に評価されていたかどうか」は不明

*6:婦人病治癒を始めとして安産・子授け、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに霊験のある神とされ、江戸時代には淡島願人(あわしまがんにん)と呼ばれる人々が淡島神の人形を祀った厨子を背負い、淡島明神の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がった(淡島神 - Wikipedia参照)

*7:淡嶋神社粟島神社)は日本国内に約1000社余りあるが和歌山の淡嶋神社が総本山とされる(淡嶋神社 - Wikipedia参照)

*8:1957~2020年。東大教授。著書『江戸お留守居役の日記:寛永期の萩藩邸』(1994年、講談社文庫→2013年、講談社学術文庫)、『対馬藩江戸家老』(1995年、講談社選書メチエ→2002年、講談社学術文庫)、『江戸城の宮廷政治:熊本藩細川忠興・忠利父子の往復書状』(1996年、講談社文庫→2004年、講談社学術文庫→『宮廷政治:江戸城における細川家の生き残り戦略』と改題し、2021年、角川新書)、『参勤交代』(1998年、講談社現代新書)、『長崎聞役日記:幕末の情報戦争』(1999年、ちくま新書)、『江戸を楽しむ:三田村鳶魚の世界』(2000年、中公文庫)、『江戸のお白洲』(2000年、文春新書→2011年、文春文庫)、『サラリーマン武士道:江戸のカネ・女・出世』(2001年、講談社現代新書→『江戸の金・女・出世』と改題し、2007年、角川ソフィア文庫)、『島津義弘の賭け』(2001年、中公文庫)、『「葉隠」の武士道』(2001年、PHP新書)、『鬼平と出世:旗本たちの昇進競争』(2002年、講談社現代新書→2011年、角川ソフィア新書)、『切腹』(2003年、光文社新書→2014年、光文社知恵の森文庫)、『徳川将軍と天皇』(2004年、中公文庫)、『鳶魚で江戸を読む:江戸学と近世史研究』(2005年、中公文庫)、『徳川将軍家の結婚』(2005年、文春新書)、『お殿様たちの出世:江戸幕府老中への道』(2007年、新潮選書)、『大奥学』(2010年、新潮文庫)、『徳川将軍15代』(2011年、小学館101新書)、『これが本当の「忠臣蔵」:赤穂浪士討ち入り事件の真相』(2012年、小学館101新書)、『「忠臣蔵」の決算書』(2012年、新潮新書)、『江戸人のこころ』(2014年、角川選書)、『大江戸御家相続:家を続けることはなぜ難しいか』(2016年、朝日新書)、『家光は、なぜ「鎖国」をしたのか』(2017年、河出文庫)、『東大教授の「忠臣蔵」講義』(2017年、角川新書)、『武士の人事』(2018年、角川新書)、『「関ヶ原」の決算書』(2020年、新潮新書)、、『殉死の構造』(2022年、角川新書)等

*9:2008年、新潮文庫→2022年、朝日新書

*10:1919~1993年。脚本家、作家。1957年、TBSラジオのドラマ『赤胴鈴之助』に脚本家として参加。脚本作品としてフジテレビ『三匹の侍』(1964~1969年)、『お耳役秘帳』(1976年)、日本テレビ新五捕物帳』(1979~1982年)等(竹内勇太郎 - Wikipedia参照)