反党分子『松竹伸幸』『紙屋研究所』に悪口する(2024年11/23日分)(副題:毎日新聞の悲惨な経営状態)

裏金問題、2000万振り込みのスクープも 共産党が伸びないワケ | 毎日新聞
 【1】「反党分子」紙屋が嬉しそうにリツイートしていた
 【2】「反党分子」紙屋が嬉しそうに記事メルマガは「赤旗」への反論文掲載の意味 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaに書いていたので気づきました。不愉快なので「毎日記事」「紙屋ツイート」「松竹記事」の紹介はしません。
 有料記事なので途中までしか読めませんが「党に敵対的な、紙屋や松竹(あるいは中央大教授の中北)にコメントを求めてる」と言う時点で「除名云々」「閉鎖的云々」→「議席減」の「結論ありきの駄記事」というべきでしょう。
 「ならば、議席が増えた、れいわや国民民主党はそんなに自由な党風なのか?」と聞きたくなります。
 実際には国民民主は「減税(基礎控除引き上げ)アピール」が受けただけでしょうし、れいわにしても「元芸能人である山本代表のパフォーマンスが受けただけ」でしょう。要するに「石丸の都知事選2位」と似たり寄ったりのポピュリズムです。どこまで国民民主やれいわの今の支持率が続くかどうか。
 大体その毎日新聞(そして紙屋や松竹)の理屈だと「パワハラ斎藤」が再選されたことはどう理解されるのか。「斎藤のパワハラは事実無根だと選挙民が認めた→だから斎藤は無実だ」とでも言うのか。「活動が正しければ議席が増える」という単純な話なら誰も苦労しません。
 良かれ悪しかれ選挙民は、紙屋や松竹、毎日新聞が強弁するほど「党風が自由かどうか」等気にしてないでしょう。
 そしてふざけたこと(共産への不当な悪口)を抜かす毎日新聞には、共産に悪口する前に「毎日新聞、経営危機(あるいは倒産など)」で俺がググってヒットした記事(後で紹介します)に書かれている「自社の経営危機(今は最悪の時期に比べれば、一息ついたのかもしれませんが、それでも毎日を部数で上回る朝日、読売よりは経営は厳しいでしょう)」をどう考えてるのか聞きたいところです。

◆販売店の営業力がない
◆広告部門の営業力がなくて広告が取れない
◆記者の能力が低く低レベルな記事が多い
◆社風が閉鎖的で(あるいは経営危機だからやむを得ないとは言え、低賃金すぎて)記者にやる気がない

等「朝日や読売に比べ毎日新聞に何か劣る点(等)」があるから、こういう惨状になったのではないのか?。毎日新聞は共産に悪口する前に「朝日や読売に劣る悲惨な経営状態」について「どう挽回するか」真摯に考えたらどうか。いっそ「朝日に買収でもされた方が良い」のではないか(多額の借金を抱える毎日を、朝日が買収したがるかという問題はありますが)。毎日新聞には「産経新聞(毎日同様に【1】経営難で【2】反共)と一緒にとっとと潰れろよ」というネガティブな思いを持たざるを得ません。
 まあ、その点は「世間から、まるで相手にされてない紙屋や松竹」も同じですが。「自分の体たらくを棚上げして、毎日も松竹、紙屋も共産に悪口とかふざけんな。身の程を知れ」が俺の感想です。
毎日新聞の悲惨な経営状態】

毎日新聞が「虎の子」大阪本社を差し出し資金捻出、急場しのぎの弥縫策スキーム | Diamond Premium News | ダイヤモンド・オンライン2021.3.24
 毎日新聞の部数はピーク時の1979年の426万部から、2019年は243万部へと43%も減少。反転攻勢の兆しは見えない。

 「3年前の古い記事」ですが「ざまあ、毎日。とっとと潰れろ」と悪口しておきます。

毎日新聞社、24年3月期決算は2期連続の赤字 最終利益も赤字転落 | RTB SQUARE2024.6.29
 毎日新聞社は、2024年3月期決算を発表しました。売上高は減収で、利益も2期連続の赤字となりました。営業赤字は拡大、経常赤字はやや縮小、最終利益は赤字転落となりました。同社は昨年購読料の値上げなども行いましたが、売上高の減少には歯止めはかかっていない状態です。

毎日新聞が富山で配送休止 全国初、取材体制は維持 - 日本経済新聞2024.7.17
 毎日新聞社は17日、富山県での新聞の配送を9月末で休止すると発表した。全国47都道府県に配送網を保ってきた同社の休止は初めて。印刷と輸送コストが増大したことに加え、県内での発行部数の減少で配送体制の維持が困難になったためとしている。

 「ざまあ、毎日。とっとと潰れろ」と悪口しておきます。

ある新聞記者の歩み 13 会社“倒産”!それでも新聞記者で生きる。|MENJO,Satoshi(校條諭)2021.7.30
 元毎日新聞記者佐々木宏人さん*1からの聞き書きも13回目(聞き手:校條諭*2(めんじょう・さとし))
◆佐々木
 昭和52(1977)年暮に、毎日新聞社は事実上の倒産となるわけです。
 新旧分離*3という手法で事業の継続をはかりました。その5年前の外務省機密漏洩事件、いわゆる西山事件などをきっかけに部数がどんどん落ち、最盛期600万部近くあったのが公称450万部といわれていて、「実際には300万部を切ってる」なんて、囁かれていました。さらに第一次石油危機(1973年)後の経済危機の中で高度成長が止まり、1974年には戦後初のマイナス成長という逆風を毎日新聞は受け止められなかったんでしょうね。
 借金が700億円近くふくらみ、実際は自転車操業状態で、1974年以降41億円、1975年56億円という巨額赤字決算を計上して経営危機が表面化する状態でした。広告収入は石油ショック前には月42億円あったのが10億円に落ち込んでいたんですね。誰の目にも倒産寸前と写っても仕方がない状況に追い込まれていたように思います。
◆校條
 社史の「「毎日」の3世紀」(下巻、2002年刊)によると、経営危機については週刊誌が「毎日新聞倒産に瀕す!」などと書き立てたようですね。
◆佐々木
 「毎日は経営状態がピンチ!」というのは、「ジャーナリズムの本流は新聞」とふんぞり返ったいたわけですから、ここぞとばかりに「週刊新潮」を筆頭に、週刊誌などはセンセーショナルにしょっちゅう取り上げていました。すでに部数的には「朝毎読(朝日、毎日、読売)」の時代は過ぎて、販売面では完全に「朝読毎」、あるいは「朝読」の時代に変りつつあったように思います。
 でも(中略)一線の記者のプライドにも変化はなかったように思います。「まあ、何とかなる。日本社会にとって必要な社会インフラとしての毎日新聞は生き残るよ!」なんて考えていたフシがあります。今考えれば、いい気なもんですね。
 債務返済は一切合切旧社にまかせて、新生毎日新聞社を発足させて事業をそのまま継続できたわけですが、新社がもし赤字を出したら倒産まちがいなしだから経営的にはシビアでした。
 当時は福田内閣で、毎日政治部OBの安倍晋太郎さん*4安倍晋三*5前首相の父)が官房長官坊秀男さん*6が大蔵大臣だったということもあったでしょうから、政治部は安倍さん、坊さんを通じて財界、大蔵省などに「毎日を助けてほしい」と頼み込んでいたようです。
 新旧分離の現実をわが身に突き付けられたのは、その年の暮れのボーナスが社員一律10万円ポッキリ。春闘の賃上げもゼロ。それまで肩を並べていた朝日、読売は70、80万円という時代だったと思います。子供と住宅ローンなどを抱えていた先輩記者は大変だったようです。
 その後、ずっと毎日新聞はマスコミ業界では知る人ぞ知る低賃金会社になり、その中で子ども四人も育てるのですから、女房には頭が上がりません。ですから当時の経済部、政治部、社会部などの編集局の記者たちは、減収分をカバーするべく月刊誌、週刊誌、経済誌、などに「アルゲン(アル原)」と我々は呼んでいましたが、アルバイト原稿に精を出す人もいました。なかには会社の原稿より、アル原の収入が多いとウワサされる、「アルゲン(アル原)帝王」などと称される記者もいましたヨ(笑)。もちろん私もせっせと、やりましたけど(笑)。
 朝日新聞なんかはホントかどうか知りませんが、編集局に「アルバイト原稿禁止令」が出ていたと聞いたことがあります。それだけの給料を払っていたということなんでしょうけど、社論と違うことを書いて問題になっては困るという事もあったんでしょね。なんかうらやましかったことを憶えていますね。
◆校條
 やはりこの時期、毎日の記者がかなり辞めたと聞いています*7。社内的には動揺はあったのですか?
◆佐々木
 経済部に限ってみれば力量のある記者が相次いで辞めていますね。
 TBSのニュースキャスターになった僕より2年後輩の嶌信彦*8
 この時期ではありませんがTBSの社長・会長になる武田信二君*9野村総研に行き立教大学の教授になった福島清彦君*10なども1990年前後に経済部を飛び出しています。
 政治部は少なかったと思います。記憶にあるのは福田番記者を一緒にやっていたことのある稲岡稔君が、1984年頃辞めてイトーヨーカドーに転職、常務までやられています。同期では1989年に辞めて、テレ朝のニュースキャスターになり、都知事選にも出馬した社会部記者、サンデー毎日編集長をやった鳥越俊太郎*11もそうです。
 なまじ毎日新聞はジャーナリズムの世界では、ネームバリューは大きかったですから、その中でやはり低賃金というのは響きますね。そういうできる人が退社したから、僕のようなぼんくら人材でも経済部長になれたのかな(笑)。
◆校條
 佐々木さんは辞める気はなかったんですか?
◆佐々木
 当時40歳前ですから深刻に悩みましたね。というのは、会社側はこの新旧分離に合わせて要員千人削減という人員整理にも乗り出していました。これに合わせて会社を去った人も多いわけです。
 一度、エネルギー担当記者時代世話になり、産経新聞系列の日本工業新聞の長老記者の林勉さんのところに、今後の身の振り方の相談に行ったことがあります。
 「よし稲葉さんのところに行こう」
 林さんは、後に昭和シェル石油の永山時雄社長(元通産省事務次官*12)から誘われて転職し副社長にもなります。産経新聞の社長もやったことのある、当時、エコノミストとしても有名だった財界にも顔の効く稲葉秀三さん*13のところに連れていかれました。
 霞が関ビルにあった稲葉さんの事務所に二人で行き、林さんから「毎日新聞はああいう状況だから、佐々木君をはめ込むところありませんかね」というような紹介をされて、転職相談に乗ってもらったことがありました。でも当方履歴書も持っていかず、本気度は今一歩伝わらなかったようで、オファーはありませんでした。でも林さんとはその後も門前仲町の天ぷら屋で、年に二回ぐらい会合をして当時のことを話したりしています。あの時、もっと真剣に頼んでいればどんな人生が開けていたか考えることがあります。
 現時点で考えるとあれから40年以上経ちますが、毎日新聞がデジタル化の波の中でもなんとか新聞社として生きてこれたのも、この新旧分離路線が軌道に乗ったからと思いますよ。でもまあ、これからどう生きていくのか、問われますね。僕も育ててくれた新聞社ですから、なんとか生き残ってほしいと願うや切、という感じです。
 200万部ギリギリというところまで来ている毎日新聞が取材網を維持して、デジタルの読者の期待に応えるところまで持ちこたえるのか、心配ですね。

ある新聞記者の歩み 20 禁断の木の実を食べたらどうなるかと案ずる人たち|MENJO,Satoshi(校條諭)2022.2.26
 元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリーの20回目(聞き手:校條諭)
◆校條
 1965(昭和40)年に入社された佐々木宏人さんは、在職中に100周年を迎えました。100周年はどんな感じだったのですか?
◆佐々木
 100周年の時は1972(昭和47)年でしょう。130周年の際に出された『毎日の三世紀 新聞が見つめた激流130年』を見ると「1972(昭和47)年2月21日に各本社で『百年記念式典』を挙行」とあります。でも、全然覚えてないなあ。
 2ヶ月後に表面化して大騒ぎになった、外務省沖縄密約機密漏洩事件で祝賀ムードは吹っ飛んじゃったことを思い出します。政治部の外務省キャップだった西山太吉*14記者が国家公務員法違反で逮捕されました。われわれ現場の記者は役員室まで乗り込んで「権力の横暴を許すな」と抗議して、紙面もその論調で行きました。ところが起訴状で西山記者が女性秘書と「情を通じ」て、情報を入手したことが書かれました。その結果、抗議の論調は腰砕けになり、読者の反発はすさまじく部数は減らすし、経営的にもピンチになり5年後の1977(昭和52)年12月、経営危機に陥り事実上の「倒産」、新旧分離につながっていくわけで、この経緯を振り返るといい思い出ではないなあ。
 でもまあ、毎日新聞、よく150年、持ったと思います。
 毎日新聞はデジタル化の波を受けて、厳しい環境にあることは承知していますが。ぜひ頑張って欲しいですね。

ある新聞記者の歩み 22 記者から労組委員長へ 2年間の得がたい経験|MENJO,Satoshi(校條諭)2022.6.9
◆校條
 (ボーガス注:毎日新聞の子会社の)東日印刷が優良会社と聞きますが、創価学会の機関紙の印刷*15を引き受けているということですね?
◆佐々木
 創価学会もそうだけど、当時は伸びていた東スポ東京スポーツ新聞社)の印刷も大きな収益源だったと思います。東スポの本社は、スポニチと一緒に東日のビルに入ってますよ。東スポの太刀川恒夫さん(現会長)というのは児玉誉士夫の秘書だった人で、ロッキード事件のときに(ボーガス注:児玉の共犯で)逮捕されました。僕はわりと親しかったんですよ。山梨県の出身です。時々会いに行きましたね。
◆校條
 ときどき東日印刷の全面広告が毎日に載りますが、あれはやっぱり義理で載せているんでしょうか?
◆佐々木
 利益の吸い上げとにらみますね。東日の主要役員はほとんど毎日からでしょう。だからまあ文句言えないでしょうね。関連会社をみんな集めて毎日ホールディングスにしたのはさすがで、毎日新聞は、(ボーガス注:毎日新聞の収入だけでは生きていけず、東日印刷など子会社の)その利益で生きているようなもんだと思うんです。

ある新聞記者の歩み 25 支局の若手の一人は未来の社長!|MENJO,Satoshi(校條諭)2022.10.1
 元毎日新聞記者佐々木宏人さんからの聞き書き第25回です。(聞き手:校條諭)
◆佐々木
 今年2月、毎日の創刊150周年のデジタル・イベント「毎日ジャーナリズムとは」で元NHK池上彰さんと、朝日新聞政治部出身で、テレビコメンテーターの星浩さん*16との対談イベントをやりましたよね。星さんが(ボーガス注:毎日の経営が苦しいので、毎日にとって右派の読売、産経、日経に比べたら、論調の近い)朝日と毎日が合併したらいいんじゃないかと言ってたけど。
◆校條
 朝日との合併はあんまりいい案じゃないなと私は思います。論調はともかく、社風というか文化はかなり違いますし。
◆佐々木
 僕が経営企画室にいた1990年頃、米国の高級紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」を筆頭に米国、英国、豪州などで次々に大手新聞を買収して有名だった、ルパード・マードックが来日の際、毎日新聞に来て買収の話を持ってきた*17ことがありました。「ふざけんな」っていう話になったんですが。
◆校條
 (ボーガス注:元朝日の星氏に「朝日と合併したらいいのでは?」と言われるくらいなら、マードックの買収提案に)乗ってもよかったかもしれませんね(笑)。
◆佐々木
 (ボーガス注:経営が改善しない)今になってみればね(笑)*18。とにかく今の毎日新聞山梨県版は長野県版と合同のようになって、松本支局は廃止するなど地方機関の合理化に必死*19のようです。部数断トツ700万部の読売が今のところ独り勝ちのように見えるけど。
◆校條
 (ボーガス注:新聞業界全体が苦しいので、部数日本一の)読売も安泰という事はないと思いますが。

 なお、佐々木氏ですが

ある新聞記者の歩み 37 地球を考える会で元東大総長に質問したこととは? ネット炎上も経験|MENJO,Satoshi(校條諭)2024.11.6
 元毎日新聞記者佐々木宏人さんのオーラルヒストリー37回目です。(聞き手:校條諭)
◆佐々木
 大学当時からカトリックだった女房と話し合って、2006年4月にカトリック荻窪教会で洗礼を受けたことは大きかったですね。
 それがきっかけとなって、終戦3日後の1945(昭和20)年8月18日、横浜の保土ヶ谷教会で射殺された戸田帯刀神父の事件を追いかけることになり、全国、北は北海道から、南は九州まで取材に赴いたり、関係書籍を購入したりして、上下巻のノンフィクション(『封印された殉教』フリープレス社刊)を2018(平成30)年に出版することもできました。でも、ホント取材費用が掛かりましたから、今となれば老後資金をチャンと残しておけばよかったと、後悔する部分もありますがね(笑)

ということで『封印された殉教』(2018年、フリープレス社)と言う著書があります。

【参考:戸田帯刀

戸田帯刀 - Wikipedia
 1898~1945年。
 太平洋戦争中の1942年(昭和17年)3月、「米英を相手に戦争したらどうなるか分からない」と同僚神父に話したとして旧陸軍刑法違反で逮捕された。4回の公判の後、無罪となり釈放された。
 1945年8月16日に山手教会に行き、当時山手教会を接収していた海軍に早く返還するよう要請している。その2日後18日午後、保土ヶ谷教会で射殺体となって発見された。
 事件から約10年後、吉祥寺教会に「わたしは戸田教区長を射殺した者です。今は心から罪を悔いています。どうしたらよいでしょうか」と訴える者が現れたが、姿を消した。当時、横浜地区にいた憲兵の一人だとされるが詳細は不明。

「平和」があってこその「信教の自由」―戸田帯刀・横浜教区長暗殺70周年に思う ジャーナリスト・佐々木宏人 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ2015.8.15
 戸田師のことを知ったのは30年前、毎日新聞社甲府支局長として戸田師の出身地である山梨県甲府にいたとき、偶然、カトリック甲府教会に掲げられていた出身聖職者の顔写真を見たからだ。
 「戸田帯刀とはまた珍しい名前、お武家さんを先祖に持つ人かな?」と思った程度だった。しかしその年(1988年)、ミラノ外国宣教会のイタリア人神父が自分の足で書いた『山梨県カトリック宣教100年誌』で戸田師の項目を見たとき、この事件の概要を知り驚いた。当時存命だった戸田師の親族、関係者などに丁寧に取材を重ねてこの事件を書いている。
 おかげさまで連載を続ける中で、各地で戸田師に対する関心は高まりつつあるように思う。既に北海道、甲府保土ヶ谷、吉祥寺、岡山などで講演会が開かれ、この事件について新聞報道もされたりしている。講演に来てくださる方も段々と増えている印象がある。「そんな事件があったんですね、初めて知りました。カトリック教会の戦前の重い歴史を知る必要があると思います。こういう犠牲があって私たちの教会は成り立っているんですね。ぜひ本にしてください」と感想を残される方もおられる。5年がかりで連載してきて本当によかったと思う。

平和追求した戸田帯刀神父に学ぶ 佐々木宏人氏がカトリック吉祥寺教会で講演 2016年9月17日 - キリスト新聞社ホームページ2016.9.17
 戸田神父が札幌教区長時代に、司祭仲間に戦局を憂う発言をしたことを軍部に密告され逮捕された時点から、横浜市の保土ケ谷教会内で何者かに頭部を撃たれて死亡するまでの流れと、当時の風潮を解説した。
 1956~57年頃、吉祥寺教会に「わたしが射殺犯です」と名乗る男性が現れたが、同教会が東京教区本部に相談したところ、本部は「赦しを与える」と伝え、男性は姿を消したという。事件は未解決のままだ。佐々木氏はこの処置について「いきさつをきちんと聞き、事実を明らかにすべきだった。国体教育を受けた神父たちの自己保身だったのでは」と語った。

「封印された殉教」が現代に問い掛ける課題 終戦3日後に教会で起きた神父射殺事件を追って : 社会 : クリスチャントゥデイ2018.7.4
73年目の戸田帯刀神父射殺事件を考える―「赦すこと」と「赦せないこと」 ジャーナリスト・佐々木宏人 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ2018.8.15

「神父射殺事件を取材して見えてきたもの」 毎日新聞東京本社で講演 : 社会 : クリスチャントゥデイ2019.7.5
 終戦3日後に、横浜の教会内で射殺死体で発見された戸田帯刀(たてわき)神父(当時47)の事件を、長年にわたって追ってきたジャーナリストの佐々木宏人カトリック荻窪教会会員)が6月20日、毎日新聞東京本社1階で開かれた「毎日メディアカフェ」で講演した。
 戸田神父が、銃声と共に右目を銃で撃ち抜かれた状態で倒れているのが見つかった。憲兵服姿の男の目撃証言もあり、現場からは憲兵が使用していた型の薬莢も発見される。戸田神父は事件の2日前、海軍の港湾警備隊に接収されていた横浜市内の別の教会に一人で行き、返還を要求して警備隊を激高させる出来事を起こしていた。そのため、警備隊の怒りが憲兵に伝わり、逆恨みされて銃殺されたというのが定説となっている。
 「現代であれば、1面に掲載か、社会面のトップ記事になるような事件」(佐々木氏)だが、当時、憲兵の犯行であれば警察は手を出せなかった。事件から約10年後には、犯人らしき男が別の教会に自首しに来るが、教会は詳細を確認することもなく不問にしてしまう。そのため、事件は迷宮入りし、カトリック教会内でも知る人は少なく、戸田神父の死は長年にわたって「封印された殉教」となっていた。
 佐々木氏は、戸田神父の故郷である山梨県甲府支局長を務めていた1980年代に事件を知った。しかし、現役時代は時間がなく、詳しく調べることはできなかった。本格的な取材を始めたのは定年退職後。

*1:1941年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、毎日新聞社入社。毎日新聞甲府支局長、経済部長、広告局長、中部本社代表等を歴任(73年目の戸田帯刀神父射殺事件を考える―「赦すこと」と「赦せないこと」 ジャーナリスト・佐々木宏人 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイの経歴紹介を参照)

*2:著書『ニュースメディア進化論』(2019年、インプレスR&D

*3:債務と資産をすべて旧会社が負って、新たに設立した新会社が事業を継承してそれまで通り続ける方式。会社更生法などを適用する倒産に陥らず、この方式が取れたのは、事業継続最優先を期待する各方面(金融機関、財界、労働界、学界、読者など)の支持・応援があったからだと言えよう。

*4:1924~1991年。三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党幹事長(竹下総裁時代)等を歴任

*5:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官等を経て首相

*6:1904~1990年。佐藤内閣厚生相、福田内閣蔵相等を歴任

*7:そう言えば、古森義久(1941年生まれ)が毎日新聞を辞めて産経新聞に移ったのもこの時期(1987年)ですね(古森義久 - Wikipedia参照)。異動先が毎日より経営が悪く、非常識極右の産経とは「お前はアホか」ですが。

*8:1942年生まれ。1987年に毎日新聞を退職。著書『ニュースキャスターたちの24時間』(1999年、講談社+α文庫)、『首脳外交』(2000年、文春新書)、『日本の「世界商品」力』(2009年、集英社新書)、『伝説となった日本兵捕虜:ソ連四大劇場を建てた男たち』(2019年、角川新書)

*9:1952年生まれ。1991年毎日新聞社退職(TBS入社)。TBS常務、専務、社長、会長等を歴任(武田信二 - Wikipedia参照)

*10:1944年生まれ。1978年に野村総合研究所野村総研)に入所。野村総研主任研究員、ワシントン事務所長、経済調査部副部長、政策研究部長、野村総研ヨーロッパ社長等を歴任。2004年の野村総研定年退職後は2005~2010年まで立教大学教授。著書『ヨーロッパ型資本主義:アメリ市場原理主義との決別』(2002年、講談社現代新書)、『アメリカのグローバル化戦略』(2003年、講談社現代新書)、『アメリカ型資本主義を嫌悪するヨーロッパ』(2006年、亜紀書房)、『環境問題を経済から見る:なぜ日本はEUに追いつけないのか』、『オバマがつくる福祉資本主義』(以上、2009年、亜紀書房)、『日本経済の「質」はなぜ世界最高なのか』(2016年、PHP新書)等(福島清彦 - Wikipedia参照)

*11:1940年生まれ。1989年8月に毎日新聞社を退職し、同年10月、テレビ朝日ザ・スクープ』の司会に就任。著書『ニュースの職人』(2001年、PHP新書)、『あめりか記者修業(増補改訂版)』(2003年、中公文庫)等(鳥越俊太郎 - Wikipedia参照)

*12:原文のまま。但し永山時雄 - Wikipediaによれば「1912~1999年。1935年、東京帝国大学法学部卒業し、商工省(通産省の前身)に入省。1955年、通産省繊維局長で途中退官(つまり事務次官になってない)」し「1956年に参院議員選挙(神奈川地方区)に自民党公認で立候補するが落選。1965年、昭和石油入社。1968年2月から1984年12月まで昭和石油社長。1979年石油鉱業連盟会長。1985年、昭和石油シェル石油が合併して誕生した昭和シェル石油(現在は出光興産が吸収合併)の会長に就任」

*13:1907~1996年。産経新聞論説主幹、日本工業新聞社長、産経新聞社長等を歴任

*14:1931~2023年。著書『沖縄密約』(2007年、岩波新書)、『記者と国家:西山太吉の遺言』(2019年、岩波書店)等

*15:勿論どんだけ効果があるか知りませんが、創価学会公明党による毎日新聞買収の目的ですね。毎日に経営体力があれば「李下に冠を正さず」で引き受けず「公明党批判が毎日新聞にはできないと疑われては困るから別の印刷会社でお願いします」となったでしょうがそんな贅沢が言えないのでしょう。

*16:著書『自民党と戦後:政権党の50年』(2005年、講談社現代新書)、『安倍政権の日本』(2006年、朝日新書)、『官房長官』(2014年、朝日選書)、『自民党幹事長』(2024年、ちくま新書)等

*17:マンガ「美味しんぼ」第63巻(東西新聞の危機)でアメリカのメディア王「トレバー・コドラム」が主人公「山岡士郎」の勤務する東西新聞社の買収を画策する話(勿論失敗に終わりますが)がありましたが、恐らく元ネタはこれでしょう(東西新聞社のモデルは朝日新聞であって毎日新聞ではありませんが)。

*18:「1990年代にマードックに買収された方が、毎日新聞の経営的には良かったかも、ワハハ(苦笑)」とは完全に自虐ギャグです(苦笑)。

*19:「ざまあ、毎日。とっとと潰れろ」と悪口しておきます。