「戦前最後の沖縄県知事」島田叡「美化」の批判記事を紹介(2024年6月9日記載)(追記あり)

【追記】 
 沖縄県最後の官選知事である島田叡は、第32軍司令官牛島満らの推薦で知事になった? - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でこの記事を紹介頂きました。いつもありがとうございます。
【追記終わり】
「牛島司令官の辞世の句」問題を契機にググって、偶然見つけたのですが「島田、荒井美化の批判記事」として早速紹介しておきます。

島田叡元知事の美化を疑問視 「建国記念の日」反対集会 沖縄 - 琉球新報デジタル(安里周悟)2023.2.12
 「建国記念の日」の11日、沖縄県憲法普及協議会などが主催する反対集会が那覇市古島の教育福祉会館で開かれ、オンラインを含めて約90人が参加した。「歴史の真実を次代へ」と題した報告では、研究者らが沖縄戦時の官選知事・島田叡(あきら)氏*1をたたえる近年の動きに対して疑問を呈した。
 元琉球新報社論説委員長の野里洋さん*2は、日本軍の要求に沿って、島田氏が住民の北部疎開、戦闘動員などを進めたと解説。「人格的に優れた人だったと思うが、実績と別に考えるべきだ」とし、映画「島守の塔」をはじめとした人格を強調して島田氏をたたえる動きに疑問を投げ掛けた。
 沖縄国際大非常勤講師の川満彰さん*3は、住民の北部疎開に対する島田氏と前任の泉守紀氏*4の姿勢を比較。泉氏が想定していた住民の移動、食糧を巡る混乱が島田氏の下で現実となったことを指摘し「失敗だった*5」とした。

「白人救世主」の構図 島田叡氏の美化を問う <乗松聡子の眼> - 琉球新報デジタル
 2月11日に那覇市内で開催された「2023『建国記念の日』に反対する2・11沖縄県集会:歴史の真実を次代へ」にオンライン参加した。「島田叡(あきら)や荒井退造*6・『沖縄の島守』像を検証する―何が問われるべきなのか」というテーマで、「汚名:第二十六代沖縄縣知事・泉守紀」(1993年、講談社)の著者の野里洋氏らが登壇した。
 野里氏は沖縄戦時の島田知事について、1945年1月の任命時、戦場になると分かっていた沖縄に自分が行くしかないとの使命感を持っていたことと、野球の名選手であったという要素が重なり「立派な人」とのイメージができたのではないかとの見方を示した。
 「偉人」像を補強したのが、前任者の泉守紀氏につけられた「逃げた知事」との汚名だろう。野里氏が泉氏や妻を直接取材し、託された日記を基に書いた「汚名」本からは、泉氏は軍に容易に同調しない知事であったことや、東京出張中に香川県知事への転任を命じられたのであって「逃げた」という理解自体が正確でないことが分かる。
 2000年代から、田村洋三*7著「沖縄の島守:内務官僚かく戦えり」(2003年、中央公論新社→2006年、中公文庫)が出て、TBS番組「生きろ~戦場に残した伝言~」(2013年)、同取材班の本「10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡」(2014年、ポプラ新書)と、救世主的演出が強まる。そして奥武山公園の顕彰碑建立(2015年)、佐古忠彦*8監督の映画「生きろ」(2021年)、五十嵐匠監督の「島守の塔」(2022年)と、英雄化傾向はここ数年で加速した。
 島田氏の偉人的描写の中には資料的根拠がないものや誇張もあることを、11日の集会で登壇した川満彰氏ら研究者が新聞などで指摘している。もちろん、島田氏と側近との信頼関係があったことは証言からも分かるし、沖縄に島田氏を評価する声があることは尊重したい。ただ、私が問題視するのは日本人がこれに乗っかることだ。
 米国では近年、抑圧された集団を白人ヒーローが救ってあげるという映画には「白人救世主」的だとの批判が集まる。先住民族の味方として共に戦う白人男性を描く「ダンス・ウィズ・ウルブズ」(1990年)、クリント・イーストウッドがマイノリティーを守る「グラン・トリノ」(2008年)、黒人音楽家への差別と闘う白人運転手を描く「グリーンブック」(2018年)などだ。これらの映画は、マイノリティーを弱い存在として描き、結局マジョリティーの優越性を強化し加害構造がぼかされる。一見感動的でありながら、根底にレイシズムがある。
 私は一連の、日本人による島田叡美化作品はまさしくこの「白人救世主」の構図と見ている。沖縄戦における「立派な」日本人知事に焦点を当て、見る日本人を気持ちよくするナラティブは、日本が「捨て石」として何十万もの沖縄人の命を奪い傷つけたという沖縄戦の本質の理解を妨げかねない。そしてそれは、現在進行する、日本が琉球列島を再び戦場化する動きと無縁ではないと思っている。

嶋田叡知事は沖縄戦での「恩人」か?(上) | OKIRON(伊佐真一*9
 嶋田叡が、「恩人」「島守」といわれる理由は、大きく3つあると思います。
 1つは「沖縄の住民を安全な場所に疎開させた」ということ。人数は10万人と言うのもおれば、20万人と言う人もいますが、まちまちで大雑把です。疎開先は九州の熊本や宮崎、大分などで、そして台湾。沖縄島の中では中南部からヤンバルへの疎開がありました。この疎開で多くの人を助けたというので、任務の第一線に立った警察部長の荒井は「沖縄疎開の恩人」とも呼ばれています。
 しかし疎開については、すでに沖縄戦が始まる前年の1944年7月に、日本政府が閣議疎開をさせるということを決めて沖縄県に通知しています。疎開をさせることを発案したのは日本の戦争を指揮していた大本営陸軍部でした。このことをまず頭に入れておいてほしいと思います。つまり、沖縄県知事や警察部長が独自に計画し決定し、そして実施したのではなく、戦争指導部の指令を忠実に実行したのです。
 2つ目が食糧についてです。沖縄戦が目前に迫る中で、台湾から米を持ってきて沖縄住民を飢えから救ったというわけです。「結局米は届かなかった」ともいわれてきましたが、積み下ろしの作業に当たった人たちの証言によると、1945年3月の慶良間諸島への米軍上陸の約1か月前に那覇港に、そして3月下旬には名護に届いていたようです。
 嶋田知事は同年1月下旬に沖縄に赴任し、2月下旬に蓬莱米をぜひ沖縄に譲ってほしいと台湾へ交渉に行きました。それは第32軍の軍用機で行ったのでした。往復の行き来などを世話したのは軍です。現在のJALANAのように民間機で行ったわけではありません。こうした渡航が可能になった事情を知らないと大変です。
 制空権がありますから軍が十分配慮した便宜供与なしに台湾へ行ったりはできません。沖縄で持久戦を準備する軍にとっても一番欲しかったのが食糧だったからこそ、軍用機に乗っていくことを許可したんですね。米が那覇港に着いたとき、牛島満*10第32軍司令官と海軍の大田実*11司令官がわざわざ巡視に来たのがいい証拠です。
 この米によって沖縄の住民を飢えから救ったといわれますが、では、この米が住民の餓えをしのぐのに大きな役割をもって配給されたという証拠があるんでしょうか。オリオンビールの創業者として知られる具志堅宗精さん*12は、その当時、那覇警察署長でしたが、艦砲下の3月下旬、台湾米が山積みになった武徳殿から繁多川の県庁・警察部壕に米を運ばせています。副署長だった山川泰邦さんが著書の『秘録沖縄戦記』にポロっと書いているのがヒントになる。ですから、この台湾米のほとんどは配給には至らず、その大方は軍と県が使ったと私は推測しています。
 3つ目は、前任の泉守紀(いずみ・しゅき)知事との比較ということがあると思います。泉知事は「仕事ができなかった」「十・十空襲のときには中部に逃げた」「沖縄戦で死ぬのがこわいと東京出張に行って、そのままほかの県に異動になった」ということで、「逃げた知事」といわれてきました。嶋田さんはこの泉知事とは対照的に、毅然と死を覚悟して沖縄に乗り込んできて、粉骨砕身、沖縄のために一身を捧げた立派な知事というわけです。
 泉さんは「逃げた」と一部では言われているけれども、ここでよく考えてほしい点は、日本の統治機構のなかで、官庁の中の官庁と言われていた内務省のことです。これは明治の初期、大久保利通(ボーガス注:内務卿)の頃からですが、内務省の官僚は自分たちが日本をリードしているというエリート意識が非常に強かった。
 ですから、まがりなりにも噂や風説ならともかく、実際に逃げたような行動があったと認められる者を他県の知事に、勅任官として転任させることは決してありません。泉さんは1944年12月、東京に正規の出張をして予算折衝等の仕事をしており、かりにその機会を利用して他県への転任活動をしたとしても、それが「職務放棄」とか「敵前逃亡」でないかぎり問題はなかったでしょう。
 「意気地がなかった」とかの風評はあったにしても、特別問題にもならなかったので、翌年1月に香川県知事に転任となったのです。逃げたという「事実」がはっきりすれば、文官懲戒令の対象になります。内務省が転任を発令したということはそういうことです。この点をきちんと押さえておいてほしいと思います。
 なお、泉知事は、沖縄県の意見や要望が第32軍によって軽視されているということで、沖縄の政治大権をもつ知事として大いに不満をもち、ときには抵抗もしていたようで、軍にとっては思うようにならない非常に厄介な知事であったことは確かです。泉さん個人にも多少は問題があったでしょうが、私にいわせれば、それは好悪の範疇に入るものが多かったという気がしますね。

嶋田叡知事は沖縄戦での「恩人」か?(下) | OKIRON(伊佐真一)
 沖縄戦の最末期、県庁の命令系統などすべてが崩壊したあと、嶋田さんは自分の身の回りを世話してくれた人や少年警察官に、「体に気をつけて頑張りなさいよ。命を粗末にしないで」などと言ったとかの証言があります。
 それは事実でしょう。しかし、それは何の行政権力も有しない状況で発した、彼個人のたんなる温情的な言葉にすぎません。どこにでもいるフツーの男性の私情にすぎません。家族や隣近所の人同士の会話と同じです。「官選」知事たる職務としての公的発言じゃないんです。「命を粗末にしてはならない」と市町村長たちに周知徹底させる県の方針が通知されたのではありません。そんなことは一度もないし、そんな公文書はどこにもないのです。
 つまり、このときの嶋田さんの言葉は公権力を失った一個人、「ただのおじさん」としての思いだったのです。その公私の違いをはっきりと区別しないと、人情話のヒューマンな県知事になってしまう。

対馬丸撃沈と島田叡・荒井退造 - アリの一言
 対馬丸撃沈を今日そして今後の平和に生かすためには、けっして欠かせない視点・教訓があります。
<1944年夏、日本は沖縄の地上戦は免れないと判断した。沖縄近海はすでに海の戦場となっていたにもかかわらず、軍が徴用した船舶に多くの県民を乗せて疎開させた。対馬丸が撃沈される前にも、17隻が沈められていたが、日本軍の軍事機密として箝口令が敷かれていた。撃沈を知らずに乗船した県民が多かった。>(5月28日付沖縄タイムス
 沖縄県知事は日本政府の指示に忠実に従い、箝口令で戦況を知らせないまま、警察の力で、戸惑う学童・市民を強制的に疎開船に乗せたのです。
 重要なのは、その張本人である県知事が島田叡で、疎開を強行する先頭に立ったのが、島田とともに映画「島守の塔」などで美化されている荒井退造警察部長だったことです。
 ところが、その島田や荒井が美化されています。「本土」の人間が美化する映画をつくり本を出版し、沖縄のメディアがそれを後援し、「平和・民主勢力」内でも両者への誤った評価がいまもまん延しています。島田・荒井の誤った美化を払拭し、天皇制内務官僚として果たした役割を正確にとらえ、今日の教訓にすることは、沖縄にとっても、「本土」の日本人にとってもきわめて重要な課題です。

『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』が射貫くメディアの責任 - アリの一言
 素晴らしい本が出版されました。『沖縄県知事・島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社、4月28日発行)。川満彰氏(沖縄国際大・沖縄大大学院非常勤講師)と林博史氏(関東学院大教授)の共著です。
 沖縄戦時の県知事・島田叡と県警察部長・荒井退造が、映画「生きろ」(2021年、佐古忠彦監督=TBS)や映画「島守の塔」(2022年、五十嵐匠監督)などで美化されていることの誤りと危険性については当ブログでも再三取り上げてきましたが、この本はその決定版といえます。
 この問題を早くから指摘してきた川満氏と、沖縄戦研究第一人者*13の林氏の徹底論及と豊富な資料は圧巻です。ここでは特に同書(担当林氏)が痛烈に批判しているメディアの責任に注目します。
 「島守の塔」の製作委員会には沖縄タイムス琉球新報はじめ沖縄のメディアが軒並み名を連ねています。林氏は「沖縄のメディアの責任」の項目でこう指摘しています。
沖縄の県民、住民の立場にたって沖縄戦を調べ、聞き取り、報道してきたのがこうした沖縄のテレビ、ラジオではなかったのか。なぜ沖縄戦について何十年にもわたって積み上げてきた住民の視点からの報道をかなぐり捨て、侵略戦争を推進した内務官僚たち(島田、荒井)を賛美する映画を後押しするようになったのか。
 沖縄のメディアが住民の立場に立とうとする意思がまだ少しでも残っているのであれば、自分たち自身で映画の内容を一つ一つ事実に照らして点検し、この映画の何が間違っているのか、事実でない捏造がなされているのはどこか、何を隠しているのか、何を見えなくしているのか、新聞であれば記者たち自身の責任で総点検した総括記事を出すべきだろう

 この本の出版が沖縄タイムスであることは意外でした。それについても林氏はこう指摘します。
沖縄タイムス社を批判する本書の出版を沖縄タイムス社が引き受けていただいたことには敬意を表しているが、外部者に書かせるだけでなく、社として責任を持って、いま述べたような総括記事を出すべきだろう。それが最低限のジャーナリズムとしての責任であろう。このことは映画を支援したすべての沖縄のメディアに言えることである
 もちろん、問われているのは沖縄のメディアだけではありません。
 島田の出身地「神戸」の神戸新聞や、荒井の出身地「栃木」の下野新聞も「島守の塔」の製作委員会に加わり、賛美する記事を書いてきています。林氏はこう指摘します。
 「神戸新聞下野新聞など島田と荒井の出身県の新聞が、沖縄戦を含めて戦争の問題を真摯に考えることを放棄し、ただただ「郷土の誉れ」として持ち上げ、虚像の「郷土愛」を「創作」している。ジャーナリズムの良心はどこに行ってしまったのだろうか
 TBSの「生きろ」取材班は、『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』(ポプラ新書、2014年)で、内務大臣・安倍源基が島田に送った称賛の言葉「官吏の亀鑑」(亀鑑=模範)を使って島田を賛美しています。林氏はこう指摘します。
「島田や荒井のような「天皇の官吏」にとっては天皇のために殉じること、県民すべてを天皇のために殉じるように指導することこそが内務官僚として立派な人物であった。「官吏の亀鑑」という言葉を島田賛美に使うTBS報道局のスタッフたちは戦中のウソで塗り固めたマスコミとどこが違うのだろうか
 同書はもちろんメディア批判だけではありません。島田・荒井(内務・警察官僚)美化の危険性、とりわけ今日の戦争国家化との関係、さらに、そもそも「本土」の日本人が沖縄戦・沖縄にどう向き合うべきかという根源的問題に多くの示唆を与えてくれます。
 「島田・荒井賛美」はきわめて今日的な重要問題です。ぜひ、一読をお薦めします。

Welcome to Hayashi Hirofumi'
2024.4.26
 2024年4月、新しい本を出しました。川満彰さんと共著『沖縄県知事 島田叡と沖縄戦』(沖縄タイムス社、1500円+税)です。
 ご存知のように、沖縄戦のときの県知事・島田叡が、「命どぅ宝」と訴え続けたという根拠のない話が、2本の映画となっています。すでに歴史の歪曲を行ってきた育鵬社が中学校歴史教科書にその話を載せていましたが、この4月からは小学校社会の教科書にも載せられるようになりました。
 こうした歴史の歪曲が、右翼/極右によってなされているのではなく、沖縄の琉球新報沖縄タイムス、沖縄の3つのテレビ局・2つのラジオ局というように沖縄のほぼすべての主要メディアが加担しているだけでなく、毎日新聞中日新聞東京新聞も含む)、神奈川新聞、北海道新聞中国新聞神戸新聞下野新聞など多くのマスコミがこの企てに加担していることにこの問題の特徴があります(これらのメディアの名前は、映画『島守の塔』公式ウェブサイトより抜粋。なお仕掛けたのはTBSです)。これによって沖縄戦平和教育の変質も始まっています。
 沖縄のなかではこうした歪曲した映画に対する批判・違和感は強いのですが、主要メディアがすべて加担している翼賛体制の状況にあり、きちんとした批判がなされないままに来ています。この点は本土でも同じで、こうした歪曲を批判すべきメディアが共犯者になってしまっています。
 そこで沖縄戦研究の第1線で論陣を張っている川満彰さんと二人で、沖縄戦(その準備過程も含めて)のときに島田知事や荒井警察部長が何を語り、何を行ったのか、歴史の事実に基づいて検証する本を出すことにしました。これまで美化されてきた彼らの実像がよくわかるように、くわしい資料編も付けており、事実に基づいて議論できる材料を揃えた本にしています(ほとんど知られていないような資料もいろいろ収録しています)。
 なお私はこの3月で関東学院大学を退職しました。在職中は長年にわたってお世話になりありがとうございました。今後は書きたい本がいろいろありますので、順次、発表していきたいと考えています。引き続きよろしくお願いします。

育鵬社教科書の「島田叡沖縄県知事」美化が示すもの - アリの一言
 育鵬社の社会科教科書が沖縄戦時の島田叡県知事を美化していることが分かりました。
育鵬社の歴史分野は「沖縄戦直前に赴任した沖縄県知事・島田叡」と題した記述で、島田氏が県民疎開などを速やかに進め、出会う人に「生きろ」と励まして県民から深い信頼を得たなどと記載した」(2024年3月23日付沖縄タイムス
 これに対し沖縄戦研究者の川満彰氏(沖縄国際大非常勤講師)は、「史実とも異なる一面的な評価だけが独り歩きし、戦争責任をうやむやにしている」(沖縄タイムス)と批判しています。
「出会う人々に『何があっても生きろ』と励ましたという史実はない」
「(北部疎開をはじめとする食料問題は)政策的に失敗で、棄民政策とも言える」
「(島田氏を)武勇伝化し、英雄的に記述することは、沖縄戦の実相をゆがめ、戦争責任をうやむやにするよう仕向けている記述だ」(沖縄タイムス
 島田叡美化の誤りと危険性については、当ブログでも再三書いてきました。それがついに教科書にまで拡散したことは軽視できません。改めて2点強調したいと思います。
 第1に、メディアの責任です。
 島田美化において、ドキュメント映画「生きろ」(佐古忠彦監督=TBS社員、2021年)、劇映画「島守の塔」(五十嵐匠監督、2022年)が果たした役割はきわめて重大です。いずれも監督が日本人(ヤマトンチュ)であることも見過ごせません。
 さらに問題なのは、琉球新報沖縄タイムスを含む多くのメディアが「島守の塔」を「後援」したことです。これについては新報、タイムスの編集幹部が個人的見解として誤りを認めていますが、社としてはいずれも、どのメディアも、いまだに公式に誤りを認めていません。
 第2に、今日の日本と沖縄をめぐる情勢との関係です。
 「戦争法(安保法制)」「軍拡(安保)3文書」によって戦争国家化が急速に進み、沖縄がその最前線とされようとしていることは周知の事実です。いわば“第2の沖縄戦前夜”と言って過言ではありません。
 その沖縄では、辺野古新基地はじめ、石垣、宮古、与那国などの離島のみならず本島のミサイル基地化、米軍・自衛隊の基地拡大が強行されています。それを阻止する上で沖縄県知事の役割はきわめて重要です。
 育鵬社の源流は「新しい教科書をつくる会」で、フジ・サンケイグループの扶桑社の100%子会社です。安倍晋三元首相らの歴史修正主義に手を貸し、「さながら“安倍晋三ファンブック”」(山口智*14米国モンタナ州立大教員、週刊金曜日2015年8月9日号)と言われたほどです。
 その育鵬社の教科書がこの情勢下で、日本軍に協力して多くの住民を死に追いやった島田を美化する意図は明らかでしょう。
 現在の玉城デニー知事(「オール沖縄」)は、もともと日米安保条約自衛隊の支持者です。21日の在沖米軍トップの四軍調整官ロジャー・ターナー中将との会談でも、「日米安保体制や在日米軍の必要性には理解を示した」(22日付沖縄タイムス)ばかりです。
 現情勢の下で、玉城知事は揺れています。いま大きな問題になっているうるま市陸上自衛隊訓練場でも、玉城氏は当初態度を明確にしていませんでしたが、県内で反対運動が広まる中で、ようやく「白紙撤回」を求めるに至りました。
 育鵬社教科書の島田美化を反面教師に、沖縄の地方自治を守り、米軍・自衛隊の基地強化、ミサイル基地化を阻止する声をさらに大きくする必要があります。それは言うまでもなく「本土」の日本人の責任です。

「島田叡知事美化映画」はなぜ問題なのか - アリの一言
 沖縄戦当時の県知事だった島田叡(あきら)を描いた映画「島守の塔」(五十嵐匠監督)がきょう22日東京で先行公開されます。
 広告文には、「県民の命を守り抜こうとした」「2人(島田と荒井退造警察部長)から命の重みを受け継いだ沖縄県民」などという記述があります。これは史実に反し、島田を不当に美化するものです。
 島田を描いた映画としては「生きろ」(ドキュメンタリー、佐古忠彦監督、2021年)が発表されたばかりです。2年続けて島田美化映画が制作・公開されるのは異常であり、その弊害はきわめて大きいと言わねばなりません。
 島田美化の誤りについては以前書きましたが、最近の論稿をもとに「島田知事」の本質を改めて確認しましょう。
◆牛島司令官・長参謀長が推薦
 「島田は上海時代(上海領事館の警察部長)に(のちに沖縄第32軍司令官の)牛島満中将、長勇*15参謀長と知り合っており、島田の知事任命には彼らの推薦もあったという」(川満彰・沖縄近現代史研究者、2022年6月28日付沖縄タイムス
◆「鉄血勤皇隊」覚書を交わし青少年を戦場へ
 第32軍は沖縄戦遂行のため県に「5項目」の要請を提示(1945年2月7日)。島田はそれを忠実に実行に移しました。その1つが、旧制中等学校や師範学校生を戦場へ動員することでした。そのため島田は軍と「鉄血勤皇隊の編成ならびに活用に関する覚書」(45年3月)を交わしました。
◆犠牲拡大した「北部疎開
 「5項目」のもう1つの柱は県民の「北部疎開」でした。前任の泉守紀知事は「食糧確保が困難」と反対*16していましたが、島田は軍の要請通り実行しました。「住民を救った」と美化されることが多い「北部疎開」ですが、その実態は「北部疎開10万人計画は、人口移動、食糧確保を含めいずれも失敗だったと言わざるを得ない。特に中南部の避難民が山中をさまよい飢餓状態に陥ったという証言は枚挙にいとまがない」(川満彰氏、2022年6月28日付沖縄タイムス
 島田は、「牛島満司令官とともに、沖縄戦を指揮した沖縄県政の最高責任者である。沖縄を「捨て石」にした国家の意思を、内務官僚として忠実に遂行した公人」(伊佐真一氏・沖縄近現代史家、2022年6月15日付琉球新報)なのです。
 見過ごせないのは、こうした問題をもつ映画「島守の塔」を、沖縄タイムス琉球新報琉球放送沖縄テレビ琉球朝日放送という沖縄のメディアがこぞって「映画『島守の塔』製作を応援する会沖縄」の「呼びかけ人」となって「後援」していることです。メディアとしての見識・責任が厳しく問われます。

*1:佐賀県警察部長、千葉県内政部長、愛知県警察部長等を経て沖縄県知事

*2:琉球新報社会部長、文化部長、論説委員長、専務を歴任。著書『癒しの島、沖縄の真実』(2007年、ソフトバンク新書)、『沖縄力の時代』(2009年、ソフトバンク新書)、『沖縄の乱:燃える癒しの島』(2016年、河出書房新社

*3:著書『陸軍中野学校沖縄戦:知られざる少年兵「護郷隊」』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦の子どもたち』(2021年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*4:北海道内政部長、沖縄県知事香川県知事等を歴任

*5:一般には「島田」に比べ「評判の悪い泉」ですが、少なくとも「北部疎開」については「反対した泉の方が正しかった(軍の要請に従った島田は間違っていた)」というのが川満氏の理解のようです。

*6:福井県官房長等を経て沖縄県警察部長

*7:著書『沖縄県民斯ク戦ヘリ:大田實海軍中将一家の昭和史』(1994年、講談社→2023年、光人社NF文庫)、『玉砕ビアク島:学ばざる軍隊帝国陸軍の戦争』(2000年、潮書房光人新社)、『ざわわざわわの沖縄戦』(2006年、潮書房光人新社)、『特攻に殉ず:地方気象台の沖縄戦』(2016年、中公文庫)、『沖縄一中鉄血勤皇隊:学徒の盾となった隊長・篠原保司』(2015年、光人社ノンフィクション文庫)、『彷徨える英霊たち:戦争の怪異譚』(2015年、中公文庫)

*8:著書『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』(2018年、講談社

*9:著書『伊波普猷批判序説』(2007年、影書房

*10:歩兵第1連隊長、歩兵第36旅団長、陸軍予科士官学校校長、陸軍士官学校校長等を経て第32軍司令官

*11:佐世保警備隊司令官兼佐世保海兵団長、第4海上護衛隊司令官等を経て沖縄方面根拠地司令官

*12:1896~1979年。1950年に具志堅醤油合名会社(現:株式会社赤マルソウ)を、1957年に沖縄ビール株式会社(現:オリオンビール株式会社)を創業

*13:沖縄戦関係の林氏の著書として『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『沖縄戦・強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)等

*14:著書『社会運動の戸惑い:フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動』(共著、2012年、勁草書房)、『海を渡る「慰安婦」問題:右派の「歴史戦」を問う』(共著、2016年、岩波書店)、『ネット右翼とは何か』(共著、2019年、青弓社)、 『宗教右派フェミニズム』(共著、2023年、青弓社

*15:歩兵第48連隊中隊長、台湾歩兵第1連隊大隊長上海派遣軍参謀、中支那方面軍参謀、歩兵第74連隊長、第26師団参謀長、印度支那派遣軍参謀長、第25軍参謀副長、機動第1旅団長等を経て第32軍参謀長

*16:一般には「島田」に比べ「評判の悪い泉」ですが、少なくとも「北部疎開」については「反対した泉の方が正しかった(軍の要請に従った島田は間違っていた)」というのが川満氏の理解のようです。