特集「屯倉(みやけ)・国造(くにのみやつこ)から見る古代東国の地域社会」
◆屯倉から評・郡へ:橘花屯倉から官衙・寺院の成立(三舟隆之*1)
◆考古学から見た東国(関東地方)の官衙遺跡:橘樹官衙遺跡群を中心に(栗田一生)
◆武蔵国造の乱と橘樹郡の古墳(新井悟)
◆国造制研究とミヤケ(篠川賢*2)
◆武蔵国造の乱の再検討:古代東国の国造と屯倉(鈴木正信*3)
◆ミヤケ研究の現状と課題(堀川徹*4)
◆屯倉の経営と氏族:橘花屯倉を中心に(田中禎昭*5)
◆文字瓦から見た地域社会:古代影向寺の建立と橘樹評・荏原評(中林隆之*6)
◆ミヤケから評家・郡家へ:研究の現状と課題(仁藤敦史*7)
(内容紹介)
ネット上の記事紹介で代替。後で紹介する「シンポの登壇者」と「歴史評論論文の筆者」が大きくかぶってる*8のは偶然ではなく、「登壇者に、登壇時の発表を踏まえて論文執筆を依頼している」からです。
川崎市教育委員会 : 「橘花(たちばな)屯倉(みやけ)ミニシンポジウム-橘樹官衙(たちばなかんが)遺跡群成立の前段階-」を開催しました
令和6年4月27日(土)、高津市民館で「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」を開催し、260人近い参加者がありました。
◆発表1 橘樹官衙遺跡群について(川崎市教育委員会 栗田一生)
これまで実施した橘樹官衙遺跡群の調査成果及び史跡整備について。
今後も調査研究を続け、橘樹官衙遺跡群の解明を進めます。
◆発表2 蟹ヶ谷古墳群の発掘調査成果(専修大学教授 高久健二)
専修大学をはじめとする大学等と川崎市教育委員会で2013~2023年に実施した蟹ヶ谷古墳群の調査成果について。
今年度、最終報告書の刊行を予定しています。
◆発表3 屯倉研究の現状と課題(星槎大学准教授 堀川徹)
戦前から現在までの屯倉研究について。
「倭王権の直轄地・土地*9」から「政治的軍事的拠点*10」「貢納奉仕の拠点*11」へと屯倉への理解が変化しています。
◆発表4 武蔵国造の乱と橘花屯倉(成城大学准教授 鈴木正信)
(ボーガス注:横渟屯倉(よこぬのみやけ)、橘花屯倉(たちばなのみやけ)、多氷屯倉(おおいのみやけ)、倉樔屯倉(くらすのみやけ)の)4つの屯倉の比定地と橘花屯倉の役割について。
橘花屯倉は、多摩川水系・鶴見川水系の河川交通と東京湾の海上交通をつなぐ結節点の役割を担う支配拠点と考えられます。
◆発表5 橘花屯倉と氏族(専修大学教授 田中禎昭)
タチバナ地域の氏族分布と屯倉経営について。
物部氏(県守郷:高津区坂戸周辺に比定)、刑部氏(橘樹郷)、飛鳥部吉志氏、複数の異姓氏族が橘花屯倉を重層的に支配していた可能性を指摘。
◆発表6 影向寺遺跡と橘樹官衙遺跡群(東京医療保健大学教授 三舟隆之)
橘花屯倉は、周辺の荏原郡や都筑郡などに及ぶ広大な屯倉であった可能性と、影向寺遺跡は、橘樹の豪族が自らの居宅を780~790年頃に寺院として造営した可能性を指摘。
◆発表7 「无射志国荏原評(むざしのくにえばらこおり)」文字瓦と地域社会(専修大学教授 中林隆之)
古代影向寺遺跡建立の背景について。
律令政府は、屯倉経営に関わった刑部氏の歴史的功績を踏まえ、南武蔵地域での伝統的権威を承認して、刑部氏を主要檀越とする影向寺の建立を助成した。
◆パネルディスカッション
(司会)三舟隆之
(パネリスト)栗田一生・高久健二・堀川徹・鈴木正信・田中禎昭・中林隆之
(コメント)新井悟(川崎市教育委員会)
仁藤敦史(国立歴史民俗博物館教授、総合研究大学院大学教授)
橘花屯倉ミニシンポジウム 川崎市高津市民館 - 週末は古墳巡り
川崎市初の国史跡である橘樹官衙遺跡群が成立する前段階の「橘花屯倉(たちばなみやけ)」をテーマとしたミニシンポジウムで、7件の発表とパネルディスカッションの構成。
記憶に残った部分をメモすると、
・「屯倉(みやけ)」はよくわかっていない(三舟)
・古墳、古代寺院、官衙が揃っているところは滅多にない(三舟)
・ここで「屯倉」から「評(ひょう)」への変化を議論するのは全国のモデルケースになる(三舟)
・蟹ヶ谷古墳群の発掘調査(2018〜2023年)の最終報告書は今年度刊行予定(高久)
・蟹ヶ谷古墳群の1号墳は埴輪から古墳時代後期(6世紀後半)、2号墳は陸橋部から周堀に落ち込んだ状態で見つかった土師器から5世紀前半に遡る可能性が高く、多摩川左岸の野毛大塚古墳とほぼ同時代(中期古墳の初期段階)の築造と考えられる。須恵器散布地は7世紀代の横穴墓と関連する祭祀遺構で、その後、古墳文化は終焉、橘樹郡衙・影向寺が造営され律令社会へシフトした(高久)
・高校教科書での屯倉制の説明「大和王権の直轄地」は古い理解で、研究者の理解は「政治的軍事拠点」「貢納奉仕の拠点」が一般的(堀川)
・「みやけ」の表記は屯倉、官家、弥移居、弥夜気、屯家、屯宅、三宅、御宅、三家とばらつく(堀川)
・1970年代に入ると記紀批判を踏まえた屯倉制研究で、土地所有との関連性が否定された(堀川)
・屯倉の研究はヤケに難しい(三舟)
・日本書紀の継体21年(527年)の「磐井の乱」、安閑元年(534年)の「武蔵国造の乱」の屯倉の設置は、 朝鮮半島をめぐる対外情勢の緊張から6世紀前半との見方が一般的(鈴木)
・「武蔵国造の乱」は、武蔵地域に初めて国造制が施行された際に起きた争乱と考えられる(鈴木)
・埼玉古墳群の被葬者集団(笠原直使主)が武蔵国造に任命され、武蔵直(无射志直)を名乗ったと見られる(鈴木)
・かつては小杵を南武蔵の勢力とする見方があったが、現在では北武蔵内での争いと見るのが主流(鈴木)
・「武蔵国造の乱」で設置された橘花(たちばな)屯倉は橘樹(たちばな)郡、横渟(よこぬ)屯倉は横見郡(埼玉県吉見町)、多氷(おおい)屯倉の「多氷(おおい)」は「多水」の誤写で多摩郡(東京都多摩地域)、倉樔(くらす)屯倉の「倉樔(くらす)」は「倉樹」の誤りで久良(くらき)郡に所在したと見られる(鈴木)
・橘は「支配のシンボル」「神の依り代」、生命力や不老不死の象徴(鈴木)
・橘花屯倉は河川交通と海上交通をつなぐ結節点、横渟屯倉は河川交通と陸上交通の分岐点、多氷屯倉は多摩川中流域、 倉樔屯倉は大岡川水系の河川交通を掌握する支配拠点(鈴木)
・古代氏族の文献史料は8世紀以降、屯倉は6世紀から7世紀前半、橘花屯倉に関連する史料は3点、天平勝宝7歳(755)から神護景雲2年(768)の史料(田中)
・万葉集防人歌の橘樹郡を本貫とする上丁・物部真根(物部氏は県守郷一帯、高津区坂戸付近と推定)、正倉院宝物調庸合成布の橘樹郡橘樹郷を本貫とする「刑部直國當」と「郡司領外従七位下刑部直名虫」、続日本紀神護景雲2年の飛鳥部吉志五百国(久良郡で白雉をとらえ献上、吉志集団、渡来系氏族)(田中)
・影向寺金堂跡出土の文字瓦「无射志国荏原評」の国評標記から天武12(683)年から文武4(700)年までの間に瓦葺建物造営が始まった可能性が高い(三舟、中林)
・荏原評の瓦が橘花評の影向寺に使われた理由として、古代影向寺を造営した在地豪族の私的な労働力編成(知識=仏教的結縁行為)の結果と考える(三舟)。中央政府の意向(寺院造営の奨励)を前提に国司が主導して荏原評に命じ瓦が調達・供給されたものと考える(中林)
・『和名類聚抄』によれば橘樹郡で8世紀初頭に成立していた郷は、高田、橘樹、御宅、県守の4郷。荏原郡、都筑郡、豊島郡は郷数が橘樹郡より多いが古代寺院は確認されていない。古代影向寺は郡域を超えた中核的な地位を政府-国によって与えられた寺院であった蓋然性が高い(中林)
・6世紀前半に矢上川流域に馬絹古墳、梶ヶ谷古墳群、野川古墳群が築造された。馬絹古墳は上円下方墳の可能性がある(新井)
・橘樹官衙遺跡群のⅠ・Ⅱ期が橘樹評の時期、Ⅲ〜Ⅴ期が橘樹郡の時期、Ⅱ期とⅢ期の正倉は建物主軸方位が異なるが、建物が規則的に配置されていて、Ⅰ期とⅡ期の間に画期が認められる(栗田)
・影向寺の瓦は生産地がわかっていない(高橋)
・橘花屯倉は広範囲であったのであろう(三舟)
わが街・川崎市に飛鳥時代の倉庫が復元。初日見学レポ。(橘樹歴史公園) – ヤスミドコロ
2024年5月18日、神奈川県川崎市の橘樹官衙遺跡群が橘樹歴史公園として整備され、飛鳥時代(7世紀後半)の復元倉庫が公開された。
飛鳥時代の倉庫として復元は全国初。
当日はオープン記念式典が催され、橘樹郡司に扮した福田紀彦*12市長のあいさつ、閉封の儀と称した倉庫に鍵を掛けるセレモニー、建物新築の際に用いられる雅楽「賀殿」が上演された。
(ボーガス注:今年で)川崎市制100年という節目ということも相まってか、市はかなりここの整備・活用に注力している様子。
現存する飛鳥時代の倉庫建築はないため、年代の近い奈良時代の倉庫の事例・文献史料や、発掘調査を基に、有識者の意見も参考にしながら設計が行われたらしい。
公園には復元にあたっての考証を解説している案内板も立っている。
後日知ったのだが、先立って4月27日に、高津市民館で「橘花屯倉ミニシンポジウム-橘樹官衙遺跡群成立の前段階-」が開催されていたそうだ。
飛鳥時代の「倉庫」全国初の復元進む…川崎の橘樹官衙遺跡群 2024年5月の開園目指す歴史公園:東京新聞デジタル2023年10月29日
飛鳥時代の倉庫 復元着々 川崎・橘樹官衙遺跡群でかやぶき作業 市教委見学会で職人が工程解説:東京新聞デジタル2023年11月19日
飛鳥時代の倉庫を復元 古代の役所跡に「橘樹歴史公園」完成 川崎市 [神奈川県]:朝日新聞デジタル2024年4月17日
市教育委員会によると、文化庁の承認を得て自治体が手がける飛鳥時代の復元倉庫は全国で初めてという。
飛鳥時代の倉庫復元 古代衣装も試着できる 川崎「橘樹歴史公園」5月18日に開園:東京新聞デジタル2024年4月17日
全国初、飛鳥時代の倉庫を復元 川崎「橘樹歴史公園」5月オープン | カナロコ by 神奈川新聞2024年4月19日
全国初、川崎市が飛鳥時代の倉庫復元 国史跡に新名所誕生へ 18日、「歴史公園」としてオープン /東京 | 毎日新聞2024年5月7日
1300年前の巨大倉庫が川崎によみがえった 飛鳥時代の遺跡群がある高津区の公園「すごく立派」:東京新聞デジタル2024年5月18日
神奈川:橘樹歴史公園 古代の音色開園祝う 飛鳥時代の倉庫を復元:地域ニュース : 読売新聞2024年5月19日
川崎・高津に飛鳥時代の遺跡復元! 橘樹歴史公園がオープン、450人祝う | カナロコ by 神奈川新聞2024年5月19日
特集「第58回大会準備号/歴史認識のポリティクス:地域・国家・市場Ⅲ」
◆「歴史」の共有と継承:京都・西京神人を例として(三枝(みえだ)*13暁子*14)
(内容紹介)
「三枝論文から小澤論文まで」第58回大会(2024年11月30日、12月1日)で行われる報告内容(予定)の概要が説明されている。
なお、第58回大会は以下の通り。
【全体テーマ】歴史認識のポリティクス:地域・国家・市場Ⅲ
11月30日(土)
【テーマ】歴史認識を共有するとはどういうことか
【報 告】三枝暁子氏「「歴史」の共有と継承:京都・西京神人を例として」
【報 告】岩橋清美氏「近世後期における歴史認識の生成・展開とその特質」
12月1日(日)
【テーマ】偽文書・偽史にどのように向き合うか
【報 告】馬部隆弘氏「椿井文書の史学史」
【報 告】武井彩佳氏「歴史の「法的ガバナンス」の行方」
【報 告】小澤実氏「アメリカのルーン碑文:移民・偽史・想像力」
『日本中世の民衆世界:西京神人の千年』(2022年、岩波新書)の著者である三枝氏が「北野天満宮とつながりのある」西京神人(にしのきょうじにん)が自らの歴史*15をいかに共有し、継承していったかについて論じる予定。
参考
中世に生きた民衆の歴史明らかに 『日本中世の民衆―西京神人の千年』著者・三枝暁子氏が講演 西京神人の末えいらが企画 | 京都民報Web
西京神人の末裔により明治40(1907)年に結成された「七保会」によると、西京神人は、北野の地に「京都における最初の天満宮」となる安楽寺天満宮を創建し、菅原道真*16手彫りの「御自身像」をまつった、と伝えていることなどを紹介。
【書評】『日本中世の民衆世界 西京神人の千年』三枝暁子著 - 産経ニュース2022.10.16
著者が西京神人に注目したのは、その共同体が現在も存続しているからだ。毎年秋に神人家によって神前に供えられる兜形の赤飯は、幕府の軍勢に加わった歴史を伝えているという。神人家に長槍が残っているなど千年の都の奥深さを感じる。
[頼迅一郎(平野周)] [頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー] 第28回「日本中世の民衆世界 -西京神人の千年」(岩波新書) | 歴史行路 ~日本の歴史と文化を物語る~
西京神人は、酒麹役を免除され、その代わりに北野天満宮の神役を負担すれば良いこととされました。同時に、室町幕府から京における麹の製造、販売の独占を許されるのです。
いったいそれはなぜなのでしょうか。また、どのような経緯で西京神人が麹業を営むことになったのでしょうか。(第2章)
京の酒屋、土倉の約8割は、比叡山延暦寺の支配下にありました。彼らは西京神人の麹業独占を喜ばず、ついに独占停止を求めて幕府に強訴します。
嘉吉の乱(1441年)で将軍・足利義教を暗殺され、翌年、跡を継いだ義勝をわずか10歳という若さで亡くしていた幕府(管領・畠山持国)は、洛中の酒屋・土倉に酒麹の製造を認める裁許をくだします。
当然、この決定に怒ったのは西京神人たちでした。彼らは北野天満宮に立て籠もります。
しかしながら、管領・畠山持国は、侍所に命じて彼らを実力で排除しようとします。
結果、合戦になってしまい、北野天満宮社殿が炎上してしまいました。これにより西京神人の中には、家を自焼きして没落していく者が出てしまいます。(第4章)
自焼きした跡地は、闕所となりますが、そこへ進出してきたのが、幕府政所・伊勢氏だったのです。伊勢氏の被官となった西京神人の中には、名字を名乗る者が出てくるようです。
文安の麹騒動後、西京神人の麹業は衰退していきましたが、麹業そのものは生き続けたようです。
天文14年(1545)8月、西京神人は、伊勢氏の幕府政所に対し、義持政権時代のように、西京神人のみが麹業を担えるよう将軍から命じてほしいとの訴えを起こしています。
これは伊勢氏の被官となったことが関係しているようですが、その縁からか、16世紀になると、北野天満宮支配下の神人という性格を保ち続けながらも、ときに将軍の命令により人足役を負担したり、軍勢に参加したりするなど、幕府の直接支配をも受ける存在になっていたようです。(第5章)
豊臣政権は、西京神人が北野天満宮神人であると同時に、「侍分」すなわち「侍」身分の者であったと認識していたようですが、結局、豊臣政権は、彼らを町人身分として位置づけていきます。
西京神人は、豊臣政権、その後の徳川幕府へも麹業独占の申立を行いますが、すでに麹業は広く普及しており、彼らの主張は通りませんでした。
近世の西京神人は、「装束」を着用して奉幣を行い、御旅所に拝殿を設けて独自の祭祀を行う、いわば神職へと変わっていったのです。(第6章)
そして、近代を迎えて神仏分離の時代に入ります。西京神人は、それをどのように受け止め、どのように変わっていったのでしょうか。(第7章)
◆近世後期における歴史認識の生成・展開とその特質(岩橋清美*17)
(内容紹介)
村の由緒を記した「村方旧記」を元に近世後期における歴史認識の生成・展開とその特質について論じる予定。
◆椿井文書(つばいもんじょ)の史学史(馬部隆弘*18)
(内容紹介)
『椿井文書:日本最大級の偽文書』(2020年、中公新書)の著者である馬部氏が
1)椿井文書を偽作した椿井政隆(1770~1837)の偽作目的
2)椿井文書の後世への影響
等を論じる予定。
参考
『椿井文書―日本最大級の偽文書』/馬部隆弘インタビュー|web中公新書
◆インタビュアー
椿井文書とは何でしょうか。
◆馬部
現在の京都府木津川市山城町椿井を出自とする椿井政隆が偽作した古文書類を椿井文書(つばいもんじょ)と呼んでいます。実際には江戸時代後期に作成されているのですが、中世のものという体裁をとっています。巧みにつくられているため、近畿地方一円に正しい古文書として広まっていました。
◆インタビュアー
はじめて「椿井文書」をご覧になったときは、どんな感じでしたか。
◆馬部
大阪府の枚方市教育委員会に非常勤職員として勤務しているときに初めて見たのですが、ずっと本物だと思っていました(笑)。だって、著名な研究者がこぞって本物のように扱っていたのですから。当初は、活字になったものしか見ていなかったのですが、写真をみて何ともいえない雰囲気を感じました。それでいくつか似たものを見て、ようやく偽物だと気付きました。活字になってしまうと、偽物独特の雰囲気が薄れてしまうんですね。
◆インタビュアー
研究過程でのご苦労をお教えください。
◆馬部
私の説明を聞いて偽物だと納得してくださる方が大多数でしたが、椿井文書に基づく歴史が定着している地域で、かつその歴史を多方面に語ってきた方からは反発が激しかったです。それも覚悟のうえで、誤った歴史を正そうとこの研究を始めました*19ので、そういう方々にもできるだけ丁寧に説明はしてきました。
でも、だいたいの場合は、理論的に説明しても聞く耳を持ってくれないです*20。論文を発表した当初はまだ大学院生*21だったので、著名なあの先生もこう言っているのでこっちの方が正しいはずだと反論されたり。椿井文書に関する最初の論文は、ちゃんとした査読誌に掲載されているんですが、お前の勝手な思い込みだとか言われましたね。
◆インタビュアー
「椿井文書」の魅力とはなんでしょうか。
◆馬部
私が研究を始めた当初は、椿井文書の存在はほとんど知られていませんでした。ですので、私一人で椿井文書の事例をせっせと集めていました。慣れてくると、椿井政隆が好んで偽文書をつくりそうな集落もわかってくるので、私だけのコレクションがどんどん増えていきました。収集癖がある方なら、この面白さはわかりますよね。
ちなみに、昨年度、私が勤務する大阪大谷大学*22ではまとまった数の椿井文書を購入しましたが、そのきっかけは古典籍商の方が中世文書としてツイッターにあげていたこの写真です。これを見た瞬間、椿井文書だと確信しました。自分でも不思議なんですけど、15年以上も見続けると、こんな写真だけでも判断できるようになるんです。
◆インタビュアー
今後、どんな研究を進めようとお考えですか。
◆馬部
椿井文書の研究はいわば寄り道で、本来の関心は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった統一権力が形成されていく過程にあります。
椿井文書の場合もそうですが、できるだけ普通の人がしないような研究をしようと心掛けています。ですので、畿内で統一権力が出てくる過程をみるために、まずは室町幕府管領家の細川家まで遡って研究をしてみました。これは『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年)という著書にまとめました。
今度は、細川家の家臣のなかから三好長慶が一歩抜け出す過程を具体的に描きたいと思っています。その次は長慶から信長への展開。生きているうちに家康まで辿り着くかどうか心もとないですね(笑)。もちろん、偽史を通じて、歴史学の今日的な役割も考え続けるつもりです。
偽文書が照らす組織の体質 馬部隆弘氏 ソフィア 京都新聞文化会議|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞
正しいものとして世間に通用していること、あるいはそう信じていること、もしくはそう主張したいことが、虚偽であると他人に指摘された場合、みなさんはどのように反応するだろうか。もちろん内容次第だが、虚偽である理由を説明されて、素直に納得する人もいるだろう。
その指摘が不都合であれば無視するかもしれないし、虚偽であるはずがないと徹底して抗論するかもしれない。○○先生がそう言っていたから正しいはずだという権威主義的な人*23もいるだろう*24。いずれにしても、このような時にこそ、人の本質的な性格や思考回路は表に出やすい。
私は研究するなかで、上述のような現場に立ち会うことが多かった。なぜなら、椿井文書(つばいもんじょ)という偽作された古文書を研究対象としてきたからである。この偽文書は、木津川市山城町椿井出身の椿井政隆という江戸時代後期の人物が、依頼者の求めに応じて創作したものである。
近畿地方一円に数百点も伝わり、巧みに創られているため正しい古文書として活用する研究者も多かった。地域の歴史を語るうえで欠かせない存在になっている事例も多々ある。それを偽文書だと指摘したため上述のような現場に度々遭遇した。
もちろん、人の反応を観察するためにこのような研究を始めたわけではなく、単純に誤った歴史を正したかっただけである。ところが、私の説明に納得しない方々が意外と多かったことから、結果的に「偽文書に基づく歴史観」を払拭できない「現代人の心の内面」にも迫ることができた。
分析対象としての偽文書には、次のような有効性もある。文字は、事実を伝達したり残したりするものというのが一般的な理解と思われるが、書き手に都合の悪いことはわざわざ記さない。よって、正しい古文書であっても、書き手の本心を理解するには文字にならない行間を読み取る必要がある。それに対して偽文書は、こうあってほしいという本心の部分が文字として前面に押し出される。
椿井文書は江戸時代以降の幅広い時代の人々の心の内面を読み取ることができる貴重な素材と言える。しかし現状では、江戸時代以前の地域史を学ぶ素材に椿井文書を用いている自治体も多い。
その点は、中公新書として公刊した『椿井文書―日本最大級の偽文書』でも指摘した。今後は、椿井文書に対する自治体の対応からも、組織としての体質が透けてみえてくると思う。
「日本最大級の偽文書」か 郷土史の定説ひっくり返るかも…京都・山城の古文書|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞2020.5.8
京都府山城地域の自治体史に数多く引用されてきた史料「椿井文書(つばいもんじょ)」を偽文書と指摘する新書が先頃出版され、地元の歴史関係者らに波紋を広げている。
以前から椿井文書の信頼性を疑う研究者はいたが、積極的に否定する研究はされてこなかった。そんな中、2003年から椿井文書を研究してきた馬部隆弘・大阪大谷大准教授*25が先月、一般向けに「椿井文書:日本最大級の偽文書」(中公新書)を出版。椿井文書の作成過程や影響などをまとめた。
椿井文書とされる史料の具体例として、興福寺(奈良市)の末寺を列挙した「興福寺官務牒疏(こうふくじ・かんむちょうそ)」や「南山雲錦拾要(なんざんうんきんしゅうよう)」などを挙げる。いずれも山城地域では欠かせない史料とされ、京都府田辺町史*26(1968年)や木津町史(1984年)*27、山城町史*28(1987年)など近隣府県も含む多くの自治体史で同文書が引用されている。
山城地域の歴史関係者からは馬部氏の主張について「緻密に実証されており、反論は難しい」との声がある一方、椿井文書が長年重視されてきたこともあり、戸惑いも大きい。
馬部氏は一方で、椿井文書が人々の願う歴史に沿って作られたことから「当時の南山城の人たちの心の内側を分析する貴重な材料でもある」と評価する。
嘘でつくられた歴史で町おこし 200年前のフェイク「椿井文書」に困惑する人たち(Yahoo!ニュース 特集)2021.2.5
地元で語り継がれる「歴史」が真っ赤な嘘だった。
そんな馬部さんの指摘によって当惑する人たちもいる。菩提寺まちづくり協議会の田中秀明さんもその一人だ。
偽文書は、何らかの目的をもって偽作された古文書のことだと馬部さんは言う。
「たとえば、ある村や地主がその地域の価値を高めたいと考える。そのときに、著名な寺社と過去に深い関わりがあったという『歴史』が古文書に示されていれば、効果的な説得材料になります。そんな権威づけのために事実を偽って制作された古文書は多く、椿井文書もその一つです」
椿井文書が『ふるさとの歴史』として語られているのは、菩提寺だけではない。滋賀県北部の米原市では、「七夕伝説」が地元のお祭りや地域振興に用いられてきた。この伝説のもととなっているのが椿井文書だ。
1987年に「世継神社縁起之事」という古文書が、近江町(現米原市)の史料調査で発見された。天正15(1587)年に世継六右衛門定明という人物が書いたとされ、七夕の由来となった「史実」が記されていた。
この古文書の発見を、当時の中日新聞は「七夕伝説の湖北発祥説が浮上」という刺激的な見出しで報じた(湖北とは米原市と長浜市を合わせた地域の呼び名)。
しかし、馬部さんによれば、「世継神社縁起之事」は椿井文書で、内容のほとんどがフェイクだという。
「この七夕伝説は、それ以前の古文書にはまったく見当たらないのです」
ところが、1987年の「世継神社縁起之事」の発見以降、地元ではこの「七夕伝説」の伝承が町おこしや教育に活用されてきた。実際、米原市は朝妻神社の彦星塚を指定史跡としている。
蛭子神社の七夕まつりは年々盛んになり、七夕の日が近づくと地元の小学生にふるさとの歴史を伝える特別授業(七夕教育)もある。
米原市の北村喜代隆市議は、これらの活動を積極的に進めてきた一人だ。じつは北村市議らは2010年、郷土史料を正しく保存するため、博物館や市の学芸員に「世継神社縁起之事」など複数の古文書を調べてもらった。その際、古文書や絵図は「椿井文書という偽文書の可能性がある」と指摘された。それでも、七夕の催事は続けてきた。
「椿井文書だと言っても、史料の発見以来、七夕教育は長く地元の行事として親しまれてきたものです。そうしてできた近年の歴史もまた郷土の歴史になっているのだと私は思うのです」
だが、馬部さんの著書を読んで、複雑な気分になったという。同書には「世継神社縁起之事」と、椿井文書の一つで古地図の写しと伝えられてきた「筑摩社並七ヶ寺之絵図」について、<大人が勝手に楽しむ分には構わないが、子供にすり込むのは教育上いかがなものかと思われる>という記述がある。
北村市議は「ひどい書かれ方」と思ったという。そして、「いまは絵図の地形が現在と異なる点から、過去の大地震について学んでいる」など防災教育への活用が中心だと反発した。そのうえで「ここまで書かれたのであれば」と続ける。
「しっかり行政として椿井文書を研究すべきだと市教育委員会の担当部署に提案しました。偽史として記されてきた背景が明らかになれば、それはそれで面白い。ですから、小学生に配る地元の歴史年表では、江戸時代の欄にあえて椿井政隆の名を入れました。偽文書作者とはいえ、地元の歴史に深くかかわる人物と捉えたからです」
数百点の史料を検証していくと、椿井政隆の偽文書は依頼者の求めに応じて制作したケースが多いという。
たとえば「筑摩社並七ヶ寺之絵図」は、現在の米原駅周辺を椿井が描いた。絵図には、筑摩神社や前述の世継神社のほか周辺の村が描かれている。馬部さんは、制作した背景には、江戸時代の琵琶湖の漁業権をめぐる地域の対立があったと説明する。他の史料によれば、この絵図の地域では磯村という村が支配権をもっていたとされる。だが、この椿井が描いた絵図では磯村の存在は大きく後退し、一帯が筑摩村の土地だったように表現されている。
「つまり、この絵図があれば『もともとここは筑摩村の領地で、ほかの村はもっと狭かった』と主張することができる。それが制作の目的だったと思われます」と馬部さんは指摘する。
対立があるところに椿井政隆はよく出現し、偽文書を制作していった。ただし、金銭目的とは考えにくいところもあると馬部さんは言い添える。
「彼は椿井村の地主のようなので、おそらく暮らしは豊かでした。ですから、金銭目的がメインではないでしょう。彼は複数の偽文書によって、壮大な偽りの世界を構築しました。まるで、子どもがブロックを組み合わせてジオラマを作って楽しむようなところがあります。結果的に自分が知恵を絞って偽作した文書が人々に認められればうれしかったでしょうが、そもそものモチベーションは自己満足にあったと言えます」
ただし、厄介なのは椿井文書のすべてが偽りではないことだ。椿井は一定の事実の上に少しずつ嘘を織り込んで制作する傾向があるという。滋賀県立大学名誉教授で考古学者の林博通さん*29も、椿井文書のすべてがフェイクというわけではないと指摘する。
馬部さんが椿井文書に出合ったのは、大阪府枚方市で市史担当部署の非常勤職員をしていた2003年のこと。歴史学者の間で疑問視されていた椿井文書が、『枚方市史』で中世史料編に収められているのを見つけた。そのことに疑問を覚え、椿井文書の研究を始めた。
「これまで椿井文書の存在に気づいた研究者たちは、偽文書を研究するのは時間の無駄だと黙殺してきたのでしょう。でも、そういう情報が広く共有されなかったから、郷土史の根拠として使われ続けてきたのです」
15年以上も研究したおかげで、今では部分的な画像を見ただけでも、字体や筆跡から椿井文書が判別できるまでになった。
中世史が専門である馬部さんが、近世の椿井文書にこだわったのは、自治体の非常勤職員として苦い思いを何度も経験したからだという。
「地域の歴史は観光資源であり、町おこしや経済振興にも生かされます。史実としての正しさより、利用価値が優先されることは少なくない。そのため歴史学者の意見は無視されるのです」
椿井文書が偽文書として郷土の史料から排除されれば、偽の歴史は時間の経過とともに忘れ去られる可能性はある。しかし自治体が史料として扱い、記念碑などを建造すれば、椿井のつくった偽の歴史は生きつづける。馬部さんはその点に警鐘を鳴らしてきた。
日本最大級の偽文書の価値は 滋賀・湖南市「椿井文書」異例の文化財解除へ - 産経ニュース2024.5.29
日本最大級の偽文書「椿井文書(つばいもんじょ)」の一つであることを理由に、滋賀県湖南市*30の文化財保護審議会が江戸時代の絵図の指定解除に向けた動きを進めている。焼失や盗難以外での現存文化財の指定解除は極めて異例で地元住民や有識者からは「椿井文書というだけで結論を出している。調査、検証をすべきだ」と反対の声が上がっている。
対象となっているのは、湖南市菩提寺の西応寺が所蔵する「紙本著色少菩提寺絵図(しほんちゃくしょくしょうぼだいじえず)」(円満山少菩提寺四至封疆之絵図)。戦国時代に焼失した良弁僧正(東大寺初代別当)創設の山岳寺院「少菩提寺」を含む菩提寺山(標高353・2メートル)周辺が描かれており、昭和52年、甲西町(現湖南市)が室町時代の絵画として文化財指定した。
作者は江戸後期の国学者、椿井政隆(1770~1837年)で、実際は室町時代の古図を江戸時代に模写したものとされる。中京大の馬部(ばべ)隆弘教授(日本中近世史)の調査で、元号が明応(1492~1501)に改元されたのは7月なのに絵図には明応元年4月と記載されていること*31などから偽物と判明し、令和2年に公表された。椿井が作成した偽文書は多岐にわたり、「椿井文書」として知られる。
湖南市では、「市指定文化財の指定基準」を3年度に新たに作成。この基準に沿って市文化財保護審議会(土井通弘会長)が4年10月、室町時代の絵画ではない▼絵図として指定は厳しい▼史料・古文書として正確性に欠く―などの理由で、解除方針を決めた。ただ、時期は未定としている。
生田邦夫*32市長は、「今の段階で話すことはない。指定解除の際は改めて審議会に諮る」としている。
この流れに地元の文化財保護団体が反応、今月8日、解除に反対する緊急の要望書を生田市長に提出した。要望書を提出した「菩提寺の文化財を守る会」事務局の田中秀明さん(77)は、「江戸時代に住人や寺が希望して椿井に描いてもらったもので、椿井は現地調査している。椿井文書だから解除するのではなく、中身をしっかり見てほしい。市は何が文化財かを考えてほしい」という。
西応寺住職の奥野賢悟さん(76)も、「椿井文書をもって『偽物』『意味がない』というのは、あまりに短絡的。100%確かではないかもしれないが、地域の人々は昔も今もよりどころにして生きてきた。今回の問題を通して、文化財の在り方を考え直してもいいのではないか」という。
馬部教授*33は、「湖南市の審議会では『偽物はだめ』の1点張りで、価値の議論をほとんどしていない。調査もせずに結論を出しており、指定文化財解除の理由になっていない」と指摘する。大津市や滋賀県日野町も椿井文書を指定文化財としており、今回の湖南市の指定解除に向けた動きは文化行政に影響を与える可能性もある。馬部教授は「椿井文書は江戸時代の人々の心性(しんせい)や歴史観に迫る上で格好の素材だ。行政判断によって『価値がない』となると、貴重な史料の散逸につながる。偽文書とわかったうえで、歴史的な価値を位置付け直す動きもあり、それに水を差すことになる」と警鐘を鳴らす。
西応寺所蔵絵図が「椿井文書」を理由に滋賀県湖南市指定文化財解除へ : 歴史探訪京都から2024.5.20
異例「日本最大級の偽文書」文化財の指定解除へ なぜ? 滋賀県の寺に伝わる江戸の絵図|社会|地域のニュース|京都新聞2024.5.20
日本最大級の偽文書「椿井(つばい)文書」の一つで湖南市の西応寺に伝わる「紙本著色少菩提寺絵図(しほんちゃくしょくしょうぼだいじえず)」(江戸時代)について、市は19日までに文化財指定を解除する方針を固めた。虚偽記述があることなどが理由だが、現存文化財の指定解除は全国的にも極めて異例だ。他市町の文化財行政に影響する可能性があり、専門家は「近世の庶民の歴史観を知る上で貴重な資料と言える。『偽』の文字に惑わされず本来の価値で判断すべきだ」と批判している。「ええっ」と今朝の京都新聞を二度見しちゃいました。
(中略)
私個人の思いとしては、指定解除はやむを得ないと思いますが、江戸後期から地元のお寺で大切に守り続けられてきたという事もまた地域の歴史ですので、きちんと検証をしたうえで、それを明記してこれからも保存していただきたいと思います。
「椿井文書」は近畿一円に夥しい枚数が作られていますので、この文化財指定解除の動きは、他にも影響が及ぶことが懸念されます。どんな事情があって高いお金を苦労して工面しながら偽文書作成を依頼したのか、それを調べる意味でも必要な資料ですので、「偽文書」だからと処分されることがないよう取り扱いに注意をお願いしたいと、記事を読みながら思いました。
りおかんぽす@riocampos
文化財指定を外して「無かったことにしたい」のだろうが、それまでこの図を用いて地域振興を行い、現在もまちづくりの中心となっている事実は消せない。それよりも「指定解除という方向で考えるのではなく、歴史的な価値を位置づけなおす方向で考えていく余地はある」(馬部隆弘「椿井文書」p.181)。
令和6年6月3日定例記者会見/湖南市
◆記者A
令和4年に文化財保護審議会の議事録を見ていると、令和4年には、椿井文書、いわゆる少菩提寺絵図ですね。これを(ボーガス注:文化財指定を)解除するということが、方針が決まってます。かなり強い調子でどうもこれ動かないと。翌年度の審議会でも委員が発言してます。多分委員長だと思いますが。そこからですね、かなり時間が経って1年ちょっとかかってます。1つ、本来だったら、諮問をした上で審議していくという形をとるのが本来だと思います。ちょっと他にも確認しましたが、普通議案書があって議案説明書があるという形で審議していくっていうのが、普通だと思いますが。何でその審議、そういうものがないままに、こういう重要な、おそらく全国的にはないであろう、指定解除ということを進めていったのかというのを伺えればと思います。
◆商工観光労政課長
指定の解除というのは基本的に例えば建物であれば、焼失したりとか、そういうことがある場合はもちろん解除されることがございます。全国的にもほとんどないという事例も確認はしております。今回については解除が全国的にもほとんどない事例でもあるということと、それから地元の方たち、今の所有者の方もそうですけれど、『椿井文書』という馬部先生が書かれた本が出てからやっぱり不安に思われたというようなところもあって、どうしていく方がいいかというような、解除されるんじゃないかというような疑念もお持ちでございました。諮問答申というのが正式な手続きでございます。それはもう間違いございません。そんな中で、まず、今、委員の皆様、この案件についてどういうふうなご意見をお持ちであるか。例えば指定の解除の方向であるのか、例えば変更して再指定するのかとか、その辺のご意見をまずお聞きしたいと。その上で、その審議会の中でも現地調査等ももう一度こうやってみてはどうか、というようなご意見もいただいておりまして。そういうまず、諮問答申までに一旦お聞きしたというような経緯をとらさしていただいたので、正式といいますか、そういう手続きまで至ってないという状況でございます。以上でございます。
◆記者A
今の話についてはあまりにも齟齬があると思います。というのは、おそらく委員長と思われる方が、(ボーガス注:指定解除の)判断は動かないと。はっきり言ってます。委員意見が聞きたいということであるんだったらそれはそういうことだろうなということはよくわかりますが、もう意見を聞きたいというレベルじゃなくて、各委員が意見を交換し合った上で、指定解除の方針だと。これはもうはっきり言っています。
もう1つ、この指定解除というのは、まずいつ、諮問されるんでしょうか。諮問するとすれば時期はいつでしょうか。
◆市長
ごめん、わからんなりにちょっとだけ発言させてもらうと、私が(ボーガス注:2020年に)市長にならしていただいたときに、すぐにね、地元からこういう案件がある、こういうのがあるから、十分考えてやって、ということは言われました。個人的に言われました。そして、わかりましたわというのと、これは(ボーガス注:仮に偽造文書でもそれとは関係なく歴史的な)値打ちあんねやと、言い方悪いけどね。値打ちあるのと、いやこれはちょっと問題やわ、といういろんな意見の人がおられました。これ私、正式の諮問じゃないんやな。簡単に言うとな。正式の審議会の委員の方の答申をお受けして、それで解除するかどうか、という手続きは、正直言ってまだしてないと。それやったらそれだけちょっと待てよということで。私としてはちょっと待ってやと。もうちょっと勉強してからどうするかいうことを決めようや、という多分自分なりの意見を言うてたと思いますので、いきなりこういう形で出てきたんで、正直言ってびっくりしてます。ですので、もう少し時間いただいて、正式にどうするかということ。現段階では正式な諮問答申というのではないし、まだそこまで至ってないと思います。いろんなこと言われます。地元は地元で言わはるし。正直言うて何ヶ月かにいっぺん、市長室に来て言わはる。資料もいただきました。自分なりに、ここの問題に突っ込んでいこうかなと思ったんですけども。いろんな意見があってね。これは、正直なかなかやなあというふうに思います。すんません。言葉濁して悪いけどそういう段階です。
◆記者A
市長はそういう話もありましたが、ただその議事録を見てる限りではもう(ボーガス注:指定解除の方針で)はっきりもう決まってると。これで市から諮問が出れば、そのまま多分指定解除になるだろうと。そこまで踏み込んでいるような議論になっています。やっぱりそれは具合が悪いかなというふうに思いますので、市長のお話にもあった通り、そこをもう少し考えていただけたらなと思います。その上で、ここまで議論が煮詰まってるので、諮問をすることもあるかもしれません。委員のメンバー構成を見ていると、比較的中世の専門家の方が多いと思います。絵図を見ればわかるんですけれども、指定は室町となっていますが、僕みたいな素人でも一見して江戸時代だなと。しかも後期だなというのはわかります。その価値を図るには、やっぱり近世の専門家が必要かなと思います。文化財保護審議会の規定、条例を見てみると、常任の委員以外に、案件によっては、特別に委員を入れられると、独自に入れられるということがあります。なので、もしも諮問になった場合、先の話ということではありますが、例えばこの案件について、特に詳しいのは馬部先生だと思いますが、そういった方を、或いは違う近世の専門家でもいいと思いますが、そういった方を入れられるという考え方はあるんでしょうか。
◆環境経済部長
先ほども市長からのお話にもありましたけども、市といたしましては、この絵図についても、大変貴重な資料でございまして、地元がですね、まちづくりの資料であったり、心の拠り所にされておられるということもありますので、解除という方向ではなくて、今、室町の絵図、絵画ということで指定されておりますけども、指定の内容ですね、基準を変えるであったり、(ボーガス注:江戸時代に)所属を変えるであったり、そういうことも検討しておるところでございますけども。今、Aさんからご説明あった通り、審議会の中ではそういう方向性ということを言っていただきました。ただ審議会の中ではですね、Aさんが言われるようにですね、もし諮問があった場合に馬部先生のご意見を伺うとか、そういった新たな近世の歴史に詳しい方に臨時で審議会に入っていただくとか、そういうことは、検討して参りたいと考えております。
◆記者A
もう1つあります。議事録を見ていると、馬部先生がこういうことを思っているみたいなこともあるんですけれども。馬部氏も批判してるように正しくないものを指定していこうとしたら行政としてよくないというふうになってるんですが、馬部先生はここをすごく批判してまして。(ボーガス注:「偽造文書だ」「今のまま室町時代で指定し続けるのは良くない(指定するなら江戸時代に時代変更すべき)」とは指摘したが、「文化財指定を解除しろ」なんて)そんなこと言うてないと、議論するんだったらきちんと本ぐらい読んでくれ、というようなこと言ってました。というわけでかなり誤解のある中での議論となってると思うので、そこはきちんとしてもらった方がいいなと思います。もう1つ、この議事録を読んでると、新聞にも書きましたが、令和4年からスタートしています。そのきっかけはおそらくヤフーニュースだと思うんですけれども、その中で、市の方がですね、令和4年度の最初の審議会、この中で、本年度中に方向性を出したい、ということをはっきり書いてます。それで、私はちょっと疑念があるんですけれども、もしかすると、当時は教育委員会ですが、今は別の所管となってますけれども、もしかすると諮問から答申という手続きを知らないまま、こういう議論を事務局の方が打ち出したんではなかろうか、というふうに思ってるんですが、そこはどうなんでしょうか。
◆商工観光労政課長
今年度中に回答を欲しいっていうようなお話があったと思うんですけど、所有者さんの方から一定の方向を教えて欲しいというようなことはずっとおっしゃられてましたので、会議で委員に対して1度お聞きしたい、してみますと、いうような中で、今年中にやりますとは書いてないと思うんですけれど、そういう発言になってたかなというふうに思います。もちろん諮問答申っていうことは、こちらも存じ上げた中での扱いでございまして、やり方としては、今Aさんが言われた通り、ちょっと本来の手続きじゃない中で結論までいってるというようなことだと思いますけれど、そういう経緯で今年度中というような言葉が出てたというふうに理解しております。以上でございます。
◆記者A
最初の話では、そのままでって話が出てきてますんで意見を聞きたいという話だったのに、それがなぜ本年度中に結論を出したいということになるのかと。どっちが本当なんでしょう。
◆環境経済部長
ちょっとその当時のことについては詳しく調査したわけではございませんけども、先ほどAさんからご説明あったように、当時教育委員会の方で文化財の保護の事務をしておりまして、その年度中にまた所管替えするようなこともありましたし、当時先ほども説明のあった担当者の退職もその年度中ということも関係するのかもわかりませんけども、自分の在任中に決着をつけたいというような思いもあったのかもわかりません。また、文化財の指定についてもご説明あったように、平成22年に合併してから1件だけ指定があって、それ以降15年近くですね、市の方では、文化財の指定も、当然解除というのもなかったわけでございますけども、そういう事務に精通してなかったという部分もあろうかと思いますので、その辺が複合に絡み合ってたのではないかなと思うところでございます。
◆市長
そんなね、言うたら悪いけどね、本物やと言う人いはるんやね。ほんで、一方では、いやそんなことないで、これはもう真っ赤なあれやと言われたりね、その中間とかいろんな人が意見を言われます。これを今、日にちを切って結論出すんやということは、できへんと思ってますよ。だからその議事録あるのやったら、私も見たいなあと思って。そんなんあるねんな。それはねえ、Aさん、この状況の中において、(ボーガス注:今すぐに)結論出すということ自体が、私はもう無理やと思うで。それぐらい両極端の人から、いろんな人がいっぱいおられます。例えばこの人から話聞いたら本物と思うよね。でも、この人から聞いたら、真っ赤な偽物やんかと思うとこいっぱいあります。よう結論付けませんというのが私の本音。
◆記者A
いろんな意見があるっていうのは大分取材しましたんでそれは存じてます。ただ、その指定の中身が、現状は室町期ってなってます。これは(ボーガス注:江戸時代の偽作という馬部説を支持するならば)もう明らかにいかがなものかと思いますので、そこの議論をしなければならないと思います。これに絡んで取材を結構たくさんあちこちで聞きました。審議会では半分、半分ぐらいかな。いや、むしろその指定解除の方はちょっと強いかな、というような感じでしたけれども、文化財保護行政に関わる人4、5人に聞きました。ことごとく(ボーガス注:江戸時代の偽文書として指定変更すべきとして)指定解除には否定的でした。それはやり方があるだろうとそれだけ指定解除は重いということだと思いますので、これから議論あると思うんですが、そこはきちんとやっていただけたらなと思っております。以上です。
「文化財指定の解除」の是非はともかく「偽造文書だから歴史資料としての価値がない、とはいえない→文化財指定解除で散逸などしてはかえって困る(馬部氏など)」というのはその通りです。
「本物としては使えない」一方で、「何故偽造したのか(偽造動機)」「その偽造は後世にどんな影響を与えたのか」と言う意味では「価値がありうる」からです。
◆歴史の「法的ガバナンス」の行方(武井彩佳*34)
(内容紹介)
ホロコースト研究者の武井氏が「ホロコースト否定論の刑事処罰」を主たる題材として『歴史の「法的ガバナンス」(あるいは『歴史記憶の「法的ガバナンス」』と呼ぶ)』について論じる予定。
参考
ホロコースト否認 - Wikipedia
ホロコースト否認の主張を行うことは、ヨーロッパの大半の国(ドイツの刑法130条、フランスのゲソ法など)やイスラエルとカナダの法律で明示的に禁止されている。
ギュンター・デッカート - Wikipedia
1940~2022年。極右政党・ドイツ国家民主党の党首(在位:1991~1996年)。ロイヒター・レポート(ユダヤ人を殺戮するためのガス室はドイツ第三帝国にはなかったとするホロコースト否定文書)を翻訳したことを含む複数の罪に問われ、5年の禁固刑に服した。
◆アメリカのルーン碑文:移民・偽史・想像力(小澤実*35)
(内容紹介)
「コロンブスの『アメリカ到達(最近は『発見』とは表現されない)』」以前にいわゆる「バイキング」がアメリカ大陸に到達していたというのが学界通説です。
ヴァイキング、1000年前に北米で定住 遺跡の木片で特定=研究 - BBCニュース2021.10.22
北欧のヴァイキングが今からちょうど1000年前に、北米で定住していたとする研究結果が20日、学術誌「ネイチャー」に掲載された。イタリア人探検家クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達する何世紀も前のことになる。
1492年にコロンブスが到達するよりも前に、欧州人がアメリカ大陸に渡っていたことは長く知られていた。しかし、正確な年代が示されたのは今回が初めて。
研究を行ったのは、オランダのフローニンゲン大学やカナダ国立公園局などの科学者チーム。
科学者たちは、樹木の年輪を分析する新しい年代測定法を用いて、ヴァイキングがカナダ・ニューファンドランド島の土地を1021年に占領していたという証拠を得た。
但し、「ケンジントン石碑(ミネソタ州ケンジントンで『発見』)」など、「バイキングのアメリカ到達」の証拠として「アメリカで『発見(発掘)』されたルーン碑文(バイキングが使用していたルーン文字による碑文)」は「本物ではなく全て後世の偽作」というのが通説です。
偽作「ルーン碑文」について「何故、誰が、いつ、どのように作ったのか」や「多くの人間が偽作と主張しているのにそれを無視して未だに本物扱いする人々の心性」などが論じられる予定。
*1:東京医療保健大学教授。著書『日本古代地方寺院の成立』(2003年、吉川弘文館)、『浦島太郎の日本史』(2009年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本古代の王権と寺院』(2013年、名著刊行会)、『「日本霊異記」説話の地域史的研究』(2016年、法蔵館)、『古代氏族と地方寺院』(2020年、同成社)
*2:成城大学名誉教授。著書『国造制の成立と展開』(1985年、吉川弘文館)、『日本古代国造制の研究』(1996年、吉川弘文館)、『日本古代の王権と王統』(2001年、吉川弘文館)、『飛鳥の朝廷と王統譜』(2001年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『大王と地方豪族』(2001年、山川出版社日本史リブレット)、『物部氏の研究』(2009年、雄山閣)、『継体天皇』(2016年、吉川弘文館人物叢書)、『古代国造制と地域社会の研究』(2019年、吉川弘文館)、『国造』(2021年、中公新書)、『物部氏』(2022年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)等
*3:成城大学准教授。著書『日本古代氏族系譜の基礎的研究』(2012年、東京堂出版)、『大神氏の研究』(2014年、雄山閣)、『日本古代の氏族と系譜伝承』(2017年、吉川弘文館)、『古代氏族の系図を読み解く』(2022年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『古代豪族大神氏』(2023年、ちくま新書)、『日本古代の国造と地域支配』(2023年、八木書店)
*5:専修大学教授。著書『日本古代の年齢集団と地域社会』(2015年、吉川弘文館)
*6:専修大学教授。著書『日本古代国家の仏教編成』(2007年、塙書房)
*7:国立歴史民俗博物館教授、総合研究大学院大学教授。著書『古代王権と都城』(1998年、吉川弘文館)、『古代王権と官僚制』(2000年、臨川書店)、『女帝の世紀』(2006年、角川選書)、『卑弥呼と台与』(2009年、山川出版社日本史リブレット人)、『都はなぜ移るのか:遷都の古代史』(2011年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『古代王権と支配構造』(2012年、吉川弘文館)、『藤原仲麻呂』(2021年、中公新書)、『東アジアからみた「大化改新」』(2022年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『加耶/任那』(2024年、中公新書)、『古代王権と東アジア世界』(2024年、吉川弘文館)
*8:勿論「登壇してない筆者」「登壇しているが筆者でない人間」も一部いますが。
*9:歴史評論の『国造制研究とミヤケ』(篠川賢)、『ミヤケ研究の現状と課題』(堀川徹)によればこの立場に立つ学説として井上光貞『国造制の研究』(井上著作集4『大化前代の国家と社会』(1985年、岩波書店)収録、初出は1951年)、『国造制の存否について』(井上著作集1『日本古代国家の研究』(1985年、岩波書店)収録、初出は1960年)、上田政昭『国造制の実体とその本質』(上田著作集1『古代国家論』(1998年、角川書店)収録、初出は1959年)、平野邦雄『6世紀の国家組織』(平野『大化前代政治過程の研究』(1985年、吉川弘文館)収録)、鎌田元一『屯倉制の展開』(鎌田『律令公民制の研究』(2001年、塙書房)収録、初出は1993年)
*10:歴史評論の『国造制研究とミヤケ』(篠川賢)、『ミヤケ研究の現状と課題』(堀川徹)によればこの立場に立つ学説として山尾幸久『大化改新論序説』(1968年)、館野和己『屯倉制の成立』(1978年)、『ミヤケ制研究の現在』(2012年)
*11:歴史評論の『国造制研究とミヤケ』(篠川賢)、『ミヤケ研究の現状と課題』(堀川徹)によればこの立場に立つ学説として仁藤敦史『古代王権とミヤケ制』(仁藤『古代王権と支配構造』(2012年、吉川弘文館)収録、初出は2005年)
*12:松沢衆院議員秘書、神奈川県議(2003~2009年)、松沢県知事秘書等を経て2013年から川崎市長
*13:「三枝」は三枝博音 - Wikipedia(1892~1963年:マルクス主義哲学者)、三枝成彰 - Wikipedia(作曲家)などは「さいぐさ(あるいは、さえぐさ)」と読みますが、三枝暁子 - Wikipediaによれば彼女は「みえだ」だそうです。
*14:東京大学教授。著書『比叡山と室町幕府』(2011年、東京大学出版会)、
*15:[頼迅一郎(平野周)] [頼迅庵の新書・専門書ブックレビュー] 第28回「日本中世の民衆世界 -西京神人の千年」(岩波新書) | 歴史行路 ~日本の歴史と文化を物語る~も指摘しているが、西京神人においては「室町時代の麹業独占とその喪失→神職への変化」が重要な歴史的変化と言える。
*16:宇多天皇に重用されて、醍醐天皇時代には右大臣にまで上り詰めたが、左大臣・藤原時平の讒言(昌泰の変)により、大宰府へ左遷され現地で没した。死後は怨霊になり、清涼殿落雷事件(道真の左遷に関わった藤原清貫(死亡当時、大納言)が落雷で即死)などで日本三大怨霊(他は「将門の乱」の平将門、保元の乱に敗れ讃岐に流罪となった崇徳上皇)の一人として知られる。後に天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神様として親しまれる(菅原道真 - Wikipedia参照)
*17:國學院大学教授。著書『近世日本の歴史意識と情報空間』(2010年、名著出版)
*18:中京大学教授。著書『戦国期細川権力の研究』(2018年、吉川弘文館)、『由緒・偽文書と地域社会』(2019年、勉誠出版)
*19:馬部 隆弘 (Takahiro Babe) - マイポータル - researchmapによれば椿井文書関係の論文として『偽文書からみる畿内国境地域史:「椿井文書」の分析を通して』(2005年)、『椿井政隆による偽文書創作活動の展開』(2008年初出、後に馬部『由緒・偽文書と地域社会』(2019年、勉誠出版)に収録)、『偽文書「椿井文書」が受容される理由』(2017年初出、後に馬部『由緒・偽文書と地域社会』(2019年、勉誠出版)に収録)、『これからの椿井文書研究のために:椿井家と今井家に関する基礎的考察』(2021年)
*20:認知的不協和と言う奴です。
*21:馬部隆弘 - Wikipediaによれば大阪大学大学院
*23:とはいえ、大抵の場合は「権威者が言うこと(慰安婦問題での吉見義明・中央大名誉教授、沖縄集団自決での林博史・関東学院大名誉教授、南京事件での笠原十九司・都留文科大名誉教授など)は正しい」のですが。
*24:もちろん内容次第だがと馬部氏が書くように、ホロコースト否定論、関東大震災・朝鮮人虐殺否定論、南京事件否定論、沖縄集団自決「軍命令」否定論、温暖化CO2原因否定論、『ブチャ虐殺・ロシア犯行否定論(ウクライナ自作自演説)』など、「虚偽主張」が「まともでない代物(いわゆる陰謀論、デマ)」なら話は勿論別になります。その場合は「納得」ではなく徹底して抗論(勿論まともな抗論の根拠を挙げる必要がありますが)が正しい態度です。
*26:1997年に田辺町は市に昇格し京田辺市(和歌山県田辺市との混同を避けるため『京』とつけた)
*29:著書『古代近江の遺跡』(1998年、サンライズ出版)、『大津京跡の研究』(2001年、思文閣出版)、『幻の都・大津京を掘る』(2005年、学生社)、『地震で沈んだ湖底の村:琵琶湖湖底遺跡を科学する』(2012年、サンライズ出版)
*31:ネタばらしになりますが、これと全く同じネタ(元号の間違いから偽造文書であることがばれる:例えば第6692回「新潮版・昭和ミステリー大全集 第26話 團十郎切腹事件 戸板康二、ネタバレ」 | 新稀少堂日記参照)が出てくるのが、戸板康二の直木賞受賞作品『團十郎切腹事件』(戸板『中村雅楽探偵全集〈1〉團十郎切腹事件』(2007年、創元推理文庫)に収録)』)です。
*32:甲西町議(2000~2004年)、滋賀県議(2007~2012年、2014~2020年)を経て、2020年から湖南市長(自民党所属)(生田邦夫 - Wikipedia参照)。なお、湖南市長選挙が告示 元市長と新人の3人が立候補|NHK 滋賀県のニュース](2024.10.20)等によれば2024年選挙には生田氏は体調不良を理由に出馬せず1期4年で退任。選挙には元湖南市議の藤川みゆき氏、元湖南市教育長の松浦加代子氏(生田市長時代の教育長で、生田氏が後継指名)、元甲西町長(2003~2004年)、元湖南市長(2004~2020年まで4期16年)の谷畑英吾氏が立候補(名前は届け出順)。おそらく松浦、谷畑の一騎打ちという形になるのでしょう
*33:馬部 隆弘 (Takahiro Babe) - マイポータル - researchmapや文学部/馬部隆弘教授 美術の窓に寄稿|News&Topics|中京大学によれば馬部氏はこの問題について『文化財の指定解除と椿井文書』(美術の窓2024年8月号)を発表
*34:学習院女子大学教授。著書『戦後ドイツのユダヤ人』(2005年、白水社)、『ユダヤ人財産はだれのものか:ホロコーストからパレスチナ問題へ』(2008年、白水社)、『〈和解〉のリアルポリティクス:ドイツ人とユダヤ人』(2017年、みすず書房)、『歴史修正主義:ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』(2021年、中公新書)