新刊紹介:「歴史評論」2015年7月号(追記・訂正あり)

★特集「歴史資料をつなぐ人びと」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。

■「日本社会において地域歴史資料を未来につなぐことの意味:歴史資料ネットワーク結成20年、大規模災害の中で考える」(奥村弘*1
(内容要約)
 阪神大震災を機に結成された「歴史資料ネットワーク(公式サイト http://siryo-net.jp/)」の活動紹介。

【追記】

WEB特集 その資料捨てないで! 被災地で「歴史」を守る | NHKニュース2020年2月21日 17時45分
 地震や台風などの災害で被災した歴史資料のレスキューを地道に続けているボランティア団体が、全国に点在している。「史料(資料)ネット」と呼ばれるこれらの団体、災害時には被災地を駆け回って、捨てられそうになっている古文書などを救い出し、その後、時間をかけて劣化防止の策を施す。阪神・淡路大震災をきっかけに始まったこの活動。なぜそんなことを行っているのか、そして私たちにできることは。(科学文化部記者 岩田宗太郎)
◆「史料ネット」って何?
 おととしの西日本豪雨岡山県の被災地に入って取材をしていた私は「岡山史料ネット」の活動に遭遇した。
 日本史の研究者などが物資が配給される施設に赴き、「水につかった歴史資料を捨てないで」と呼びかけながらチラシを配っていた。
 そのあと被災した図書館から連絡を受け、日ざしが照りつける中、古文書や民具、公文書などを救出した。
 福島県いわき市ではことし2月にも、「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」が救い出した資料に消毒用のアルコールをふきかけて、劣化を防ぐ活動を続けていた。
 災害が起きると、被災した家にある歴史資料は家財などと一緒に災害ゴミとして捨てられることがあるうえ、水につかると劣化が進んでしまう。
 「史料ネット」はこうして失われてしまう歴史資料をなくそうと、救出や劣化防止を行うボランティア団体だ。
◆活動のきっかけは阪神・淡路大震災
 「史料ネット」の活動のきっかけは、今から25年前の阪神・淡路大震災
 関西の歴史学会が中心になって、「歴史資料ネットワーク」が発足した。文化財に指定されていない歴史資料も地域の歴史を知るうえで欠かすことができないと考え、被災した古い家を回ったり連絡を受けた場所に行ったりして、古文書などを救出してきた。
 活動の動機は、「災害によって地域の歴史を断絶させてはならない」という思いだ。
 「歴史資料ネットワーク」の代表委員で、神戸大学大学院の奥村弘教授は、当時は人命救助や生活再建が叫ばれる中、こうした活動を行っていいのか分からないながらも、手探りで進めていったと振り返る。
◆奥村教授
「まずは人命救助から始まって、避難所ができて、私たちはいつから活動していいのか、そもそもこういう活動ってやっていいのか、そのことも分からなかった。震災から2週間たった2月になってから活動を始めてみると、逆に市民の方から歓迎されたんです。『もっと早く来てくれたらよかったのに』とか『ほかにもこういうところがある』とか。地域にあるもので何が大事か議論しながら、手探りで進めていった。そういうスタートだった」
 各地で災害が頻発する中、今では団体は25まで増え、活動は各地に広がっている。
 「歴史資料ネットワーク」のあと、平成12年の鳥取県西部地震をきっかけに、鳥取県島根県で活動する「山陰歴史資料ネットワーク」が発足し、その翌年には芸予地震を受けて愛媛、広島、山口で団体が立ち上がった。
 平成23年東日本大震災の際には、宮城と福島にはすでに団体があったが、岩手と茨城に新たな団体ができた。
 平成28年熊本地震では熊本に、そして去年の東日本台風では長野で団体が立ち上がった。
 また、ことしの2月16日には南海トラフの巨大地震を見据えて、「東海資料ネット」が新たに発足した。
 規模や活動の方法はさまざまで、歴史の研究者や学生などが多く参加している。
 奥村さんは当初、「活動は1年程度で終わる」と考えていたが、各地で災害が起きた際の取りまとめ役や、被災した歴史資料を残すための市民向けの勉強会など、今も活動を続けている。
◆奧村教授
阪神・淡路大震災の当時、『歴史資料ネットワーク』ができて、それで終わりかなと思っていた。しかし、次々災害が起きると、地域の方、博物館や大学が『史料ネット』を作っていく。東日本大震災を経てさらに広がり、お互いに協力して史料の保存にあたるようになった。若い仲間も入って大きく活動が広がった。とても驚いています」
◆活動25年の集会で課題を共有
 活動が始まって25年。2月8日と9日の2日間、「全国史料ネット研究交流集会」が神戸市で開かれた。
 全国からおよそ100人が集まり、去年10月の東日本台風の被災地となった長野や福島などの団体が、現場でどのような活動を行ったのかを報告した。
 この中で、いくつかの課題も提起された。
 毎年のように起こる災害に対応するために、「史料ネット」がない地域にも早急に組織を立ち上げること。
 そして、災害が起きた際にすぐに救出にいけるように、どこにどのような歴史資料があるのかを事前に把握しておくこと、などだ。
◆奧村教授
「全国の方からこういった形でいろんな事例をしゃべっていただけるのはとてもありがたいなと思いました。災害からの復興は、前よりもよいというのが基本だが、災害が起きる前の時代は、この地域が歴史的にどう成り立っていったのか分からないと、それよりいいものって作れないはずなんです。そのために歴史資料を守っていく地道な活動をしていくには、各地域に組織が広がっていくのが大事だと思っているので、大きな課題だが全国に広げていきたいし、つながりを、どうやったら維持できるか考えていきたい」
◆私たちにもできることは?
 歴史資料を残す取り組み、私たちにもできることがある。
 「ふくしま歴史資料保存ネットワーク」の代表を務める福島大学阿部浩*2教授が、ポイントを教えてくれた。
福島大学 阿部浩一教授
『まずは被害に遭わないように、ふだんから高いところに保管しておくなどの事前の対策を取っておくことが大切。
 写真や日記、新聞やチラシなど、今は当たり前に存在しているものでも、100年後にはその地域を知るための貴重な歴史資料になる可能性がある。自分が大切だと思ったものは被災しないようにしておく。
 もしも被災した場合は、まず優先すべきは水分を抜くこと。キッチンペーパーや古新聞に包み、押さえつけるようにして水分を吸収する作業を繰り返す応急処置を施し、各自治体の教育委員会や「史料ネット」に連絡してほしい』
としている。
 取材を通じて感じるのは、歴史資料はどんなものでも残していくという、この活動に携わっている人たちの強い思いだ。
 ひとたび災害が起きると、地域の歴史資料は一気に失われてしまうおそれがあり、これを阻止しないと地域の歴史が分からなくなってしまうだけでなく、過去を検証することもできなくなってしまう。
 「史料ネット」の活動を追うことで、歴史資料を守ることの大切さをこれからも伝えていきたい。

「史料を大切にする社会へ」 広がる文化財レスキュー :朝日新聞デジタル編集委員中村俊介)2020年4月14日
 文化財のレスキュー活動が本格化するきっかけとなった阪神・淡路大震災から四半世紀。神戸に芽ばえた歴史資料を守る運動は各地に広がっている。一方で、さまざまな課題もみえてきた。活動をさらに深く広く進めるための模索が続いている。
 地震、火災、水害、台風。
 相次ぐ自然災害のたびに多くの文化財や歴史遺産が傷つき、失われてきた。古文書などには未指定の文化財もあり、被害の実態把握さえままならない。そんな状況に危機感を抱く歴史系の研究者らが乗り出したのが、歴史資料保全への取り組みだ。
 全国の有志が神戸市に集った「第6回全国史料ネット研究交流集会」(2月)で、まず挙げられたのが、神戸の歴史資料ネットワーク(史料ネット)。25年前の阪神・淡路大震災を契機にできた。賛同する動きは全国に広がり、東日本大震災をへて各都道府県を中心に二十数件の団体があるという。東海地方など行政区域の枠組みを超えたネットワークも現れはじめている。
 昨年大きな被害をもたらした台風19号への対応などについて、各地域で活動を続ける代表の報告も。宮城歴史資料保全ネットワークの蝦名裕一さんは、文化財の位置情報を落とした地図づくりを紹介し、「ハザードマップに災害情報を重ねれば、どの地域で被害が出ているか現場に行かずにわかるし、シミュレーションもできて効果的に対応できる。建造物や美術品などの分野ともつながることができる」と語った。

会いたい・聞かせて:被災史料で「恩返し」を 「とちぎ歴史資料ネットワーク」発起人代表・高山慶子さん(45) /栃木 | 毎日新聞【李舜】2020.12.28
 自然災害が頻発する中、被災した歴史資料や文化財を救出し、保存・活用する活動が全国的に広がっている。県内でも昨年の台風19号被害をきっかけに今年8月、史料レスキューを目的とした「とちぎ歴史資料ネットワーク(とちぎ史料ネット)」が設立された。発起人代表の高山慶子*3・宇都宮大准教授(45)に聞いた。

被災文書の活用法探る 全国史料ネット、オンラインで集会 | 河北新報オンラインニュース / ONLINE NEWS2021.2.21
 災害によって破損した民間の古文書や復旧・復興の過程で作られる文書の保全を目指すボランティア団体による「全国史料ネット研究交流集会」が20、21日に開かれた。仙台市内で開く予定だったが、新型コロナウイルス感染対策のためオンライン開催となった。
 各地の30団体に所属する歴史学者、学生、市民ら約300人が参加。NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークの初代理事長を務めた平川新*4東北大名誉教授は東日本大震災後の10年間を振り返り「救出活動の主体が市民にも広がった。被災地の歴史書を地区単位で刊行するなど、保全した資料の活用が始まった」と成果を強調した。
 宮城学院女子大の高橋陽一准教授は震災当時、岩沼市史編さんに携わる傍ら、市内にあった避難所の掲示物などの保全に努めた。「震災に関する資料は将来、貴重な文化財となる。災害が頻発する中、次世代に活用される資料を残していきたい」と訴えた。
 13日に宮城、福島県を襲った地震によって被災した古文書などの救出活動についても情報交換した。

文化財 救い続け10年 県北部地震 栄で有志の会:朝日新聞デジタル(遠藤和希)2021.3.8
 長野県北部地震で被災した栄村で、県内外の研究者らが有志の会を作り、崩れた蔵などから古文書や民具を救い出しては、貴重な歴史的資料として保全する取り組みを続けている。これまでに救った資料は約3万点。2011年3月の被災からまもなく10年になるのを機に、14日、活動を振り返る報告会が開かれる。
 活動してきたのは、中央学院大の白水(しろうず)智*5教授(60)=日本史学=が代表を務める「地域史料保全有志の会」。白水教授は、同村の秋山郷で20年以上前から調査活動をしていたが、県北部地震の発生を受けて、村内全体の文化財を救い出す「レスキュー活動」を始めた。
 村教委の職員や村内の住民をはじめ、村外からも次々と賛同者が参加。被災して取り壊される家屋や蔵に駆けつけては、その家に長く保存されてきた古文書や、かつて生活や仕事に使われていた民具などを運び出した。その後も定期的に集まり、資料の読み解きなどをして歴史的価値を研究してきた。
 例えば、民家の土蔵から運び出した約10点の絵図には「善光寺地震」(1847年)による山崩れの場所が示されていた。村内の青倉地区と森地区の境辺りの山崩れの土砂が、支流をたどって千曲川に流れていった様子や田畑の被災状況などが詳細に描かれていた。被災の状況を後世に伝える貴重な資料だ。
 救い出した資料の多くは、栄村歴史文化館(こらっせ)に収められている。同文化館は、有志の会が廃校を改修しての設置を提案。村がそれに応えて2016年夏に開館した。管理人の広瀬幸利さん(63)は「見つけなければそのまま廃棄されてしまったであろう漆器や農機具、古文書などの資料がたくさんある。少しでも守ることができてよかった」と話す。
 白水教授は「村の文化財保全はライフワークになった。祭りや炊き出しなどを楽しみながら調査研究するのが方針。解読した資料はまだ半分程度でこれからも地道に続けていきたい」と語る。

東日本大震災で歴史文書を〝救出〟 存在感高まる「資料ネット」 - 産経ニュース(文化部 篠原那美)2021.3.9
 津波原発事故に見舞われ、数多くの文化財が被災した東日本大震災。被災家屋から古文書などを救出する「文化財レスキュー」の現場では、「資料ネット」と呼ばれる歴史研究者らによるボランティア組織が担い手として活躍した。近年、同様の団体が各地で設立される一方、被災地では、修復を終えた歴史資料の管理や継承の在り方が課題となっている。
 宮城県石巻市雄勝町。大浜地区にある葉山神社は、東日本大震災津波で社殿が全壊するなど壊滅的な被害を受けた。
◆江戸時代の古文書も
 津波で流され、隣の地区の船着き場にうち上がった社務所の屋根を調べると、海水で浮かび上がった畳と屋根に挟まれて流出を免れた神社伝来の古文書が、ほぼすべて見つかった。
 石巻市からの依頼で、レスキューを行ったのはNPO法人「宮城歴史資料保全ネットワーク」(宮城資料ネット)のメンバー。県内外の市民ボランティアの協力も得て、約500点を修復。昨年12月、残っていた最後の8点を神社に返還した。
 作業の中核を担った東北大の佐藤大*6准教授(江戸時代史)は「救出したもののなかには、神社の正月行事で読み上げられる、その年の作柄などの予測が記された江戸時代の古文書もあった。地域の伝統文化を未来につなぐことができた」と振り返る。
 宮司の千葉秀司さんは「古文書が戻り、ようやく震災復旧を遂げた思い。難しいくずし字を読めるようになり、中身を伝承していきたい」と語る。
◆全国に30団体
 阪神大震災を機に、文化財レスキューの担い手として注目されるようになった「資料ネット」。東日本大震災以降、歴史学系の大学教員らが中心となり、各地で設立が相次いでいる。南海トラフ巨大地震に備えて「東海資料ネット」が昨年誕生するなど、現在30団体が活動する。
 平成15年に設立された宮城資料ネットの場合、東日本大震災に先立って、個人が保有する古文書の所在を把握していたことが、震災直後の状況確認に役立ったという。
 佐藤准教授によると、東日本大震災で宮城資料ネットが救出した個人所蔵資料は83件。修復の際、冊子であればページを一枚ずつ扱うため、点数にすると約10万点に上る。
 「83件のうち32件は協力して資料保全活動に取り組む石巻市郷土史サークルから情報がもたらされた。サークルの人々が長年、所蔵者と交流をもち、信頼関係を築いていたため、多くの相談が寄せられた」と話す。
 ただ、震災から10年たった今も、救出された歴史資料のうち修復を終えたのは約3割にとどまる。
 海水に浸った資料を真水で洗い、泥やカビを落として乾かし、デジタルカメラで記録して目録を作るといった膨大な作業に加え、令和元年の台風19号や、宮城県でも最大震度6強を観測した2月の地震などで災害対応が重なり、関係者は「ボランティアである以上、できる範囲でしか進められない」と打ち明ける。
 救い出された歴史資料をどう保管し活用していくかも課題だ。多くは行政の保護を受けない未指定文化財。修復を終えれば、所有者に返還されるが、「震災前に古いものを収蔵してきた蔵を高台移転する際に再建できなかった家では保管が難しく、そもそも所有者が転居して連絡が取れないケースも多い」(佐藤准教授)。
 歴史資料の保全に詳しい国立歴史民俗博物館の天野真志*7特任准教授は「災害に限らず、少子化や過疎化で個人による歴史資料の継承は難しくなっている」と指摘し、その上で「歴史資料の保全活動を推進する資料ネットを基軸として、地元の博物館や大学、行政が連携し、歴史資料の継承に向けた環境をつくっていけたらいいのではないか」と話している。
文化財ドクターも浸透
 一方、東日本大震災で被災した歴史的建造物の調査や修復を担ったのは、建築学の研究者や建築士らだ。
 東日本大震災直後、文化庁は、被災建造物の調査、応急復旧のため「文化財ドクター派遣事業」を実施。建築学会をはじめ建築に関わる各団体が専門家の派遣に協力した。
 仙台市一級建築士、氏家清一さんは震災当時、建築学会と協力体制を築き、文化財ドクターとして活動した。「人手が足りず、多くの建築士が伝統工法などの専門知識を身に着ける必要性を感じた」という。
 氏家さんが所属する日本建築家協会は平成27年、文化財ドクター派遣事業の参加資格者を増やすため「文化財修復塾」を開始。現在約100人の協会員が受講を終え、熊本地震などでも活動したという。
 氏家さんがかかわった案件では、10年の節目に、修復に向けて動き出したものもある。宮城県山元町にある仙台藩家臣ゆかりの茶室は、町指定文化財東日本大震災の揺れで傷み、住民らの保存運動もあって修復が計画された。
 同町によると、修復のための設計予算がすでに計上されている。基本設計を担当している氏家さんは「修復が実現したら、町のシンボルとして活用してほしい」と話している。


■「内モンゴル自治区モンゴル語地名の漢字表記にみる政治性」(伊敏(イミン))
(内容要約)
・「満州族王朝」清朝統治時代においては、モンゴル語地名は公的には満州文字で表記されていた(漢字表記される場合も満州文字表記を似た音で漢字に置き換えるという形で満州文字がワンクッション入る)。満州文字モンゴル語は発音が近い面があり、この時点では、「モンゴル語地名と公式表記のズレ」はあまり大きくなかったと言える(もちろんゼロと言う事はあり得ないが)。
・しかし「漢民族国家」中華民国が誕生するとそうした事情が変わり、漢語表記されるようになる(こうした事情は中華人民共和国においても基本的には変わらないと考えられる)
 また文革期には「モンゴル語地名の『毛沢東主義的』改称」が頻繁に行われたという問題もある。
 こうした問題に配慮し、「もともとのモンゴル語地名を生かした表記方法」につとめることが民族宥和という意味でも重要であろう。またそうした「モンゴル語地名表記の変遷」をたどることにより「清朝中華民国中華人民共和国」におけるモンゴル統治の違いを読み取ることが可能であろう。

【追記】
 ふと思ったんですが「原語と漢字表記のズレ」といえば「北海道の地名(札幌、苫小牧など)」なんかも、そうですよね。


■「ベトナムの村落と地方文書」(上田新也)
(内容要約)
・地方に眠るベトナム古文書(18〜20世紀初頭)の紹介。なお、こうした古文書は「近代化の波による散逸」の危険性がある上、研究もまだ進んでいない。筆者は早急な文書保存と研究の進展を主張している。
・こうした古文書は「漢字」や「漢字から生まれたベトナムの伝統的表記法チュノム」で書かれており、ベトナム中華文化圏の一部であり、「中華文明との近さ」が前近代ベトナムにおいては「インテリの証明である」と認識されていたことが伺える。
・現在、ベトナムでの表記は「クオック・グー」が主流であり、チュノムは勿論、漢字表記も廃れている。こうしたことは古文書研究の点で重要なネックとなっている。

参考

クオック・グー
ラテン文字を使用してベトナム語を表記する方法。なお「クオック・グー」とは、「国語」のベトナム語読みである。
 1651年、カトリック教会のフランス人宣教師、アレクサンドル・ドゥ・ロードが作成した『ベトナム語ラテン語ポルトガル語辞典』において、ベトナム語をラテン・アルファベットで表記したものに起源をもつ。ベトナムのフランス植民地化後、フランスの公文書などで使用されるようになったことから普及し、1945年のベトナム独立時に漢字に代わりベトナム語を表記する文字として正式に採択され現在に至る。
■歴史
 ベトナムでは、公式な書き言葉として、20世紀に至るまで漢文が用いられてきた。また、チュノムも13世紀に発明されて以降徐々に発展し、知識人の間などで使用されてきたが、漢字をより複雑にしたものであり習得が難しく統一した規範も整備されなかった。18世紀の西山朝などの一時期を除き、公文書では採用されなかった。
 1651年に、フランス人宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが、現在のクオック・グーの原型となるベトナム語のローマ字表記を発明したが、主にヨーロッパ宣教師のベトナム語習得用、カトリック教会内での布教用に使用されるのが主であり、一般のベトナム人に普及することはなかった。
 こうした状況に変化を生じさせたのが、19世紀後半以降のフランスによるベトナムの植民地化である。しかしベトナムの伝統・文化を軽視するフランスの教育政策には反発が強く、漢文の素養を重んずる伝統的な知識人に受け入れられるところではなかった。またローマ字表記のクオック・グーは蛮夷の文字であるとの認識は一般大衆の間でも根強かったことから、20世紀初めの段階では国民文字としてベトナム人の間で認識されるまでには至らなかった。
 ただし一方で、フランスの植民地支配を受けるベトナム人知識人の間からもクオック・グーを蛮夷の文字として排斥するのではなく、むしろ受容することにより、ベトナム語話し言葉と書き言葉を一致させて民族としてのアイデンティティを獲得しようとする動きも出てきた。1905年にはハノイで初めての漢文、クオック・グー併記の新聞『大越新報』が創刊された。さらに1907年には、ファン・ボイ・チャウらとともに当時のベトナム独立運動の中心にいたファン・チュー・チンにより、ハノイに「東京義塾」が創立され、同校では、漢文に加え、クオック・グー、フランス語が教授された。
 フランス当局の後ろ盾により、総督府寄りの姿勢ではあったものの、クオック・グーを使用した文芸誌として、1913年にグエン・ヴァン・ヴィン主筆の『インドシナ雑誌』、1917年にファム・クィン主筆の『南風雑誌』が創刊された。
 このように、クオック・グーが浸透した都市部では、新興のエリート層を中心にクオック・グーの識字率が高まり、伝統的な漢文・チュノム識字層を少しずつ圧倒していく形になった一方、地方では依然として漢学教育が権威をもっていた。
 このような状況に終止符を打ったのが、1945年のベトナム民主共和国北ベトナム)の独立であり、政府は、識字率の向上を意図して、クオック・グーをベトナム語の公式な表記文字とすることを定めた。現在のベトナムでは漢字、漢文の使用は廃され、ベトナム語はもっぱらクオック・グーのみにより表記されている。
■問題点
 クオック・グーは、起源からしてフランスの植民地政府に近い側の知識人に由来するため、その綴りはフランス語中心的な視点にたち、必ずしもベトナム語に適していないものもある。
 またクオック・グーは中国のピンインや注音字母と違い、正式な文字として採用されたため、それまで多くの著作を著すのに使用されてきたチュノムや漢文を破滅に追いやったという側面もある。


■「旧ソ連中央アジアウラマー一族と『英知集』」(和崎聖日
(内容要約)
・タイトルの「旧ソ連中央アジア」てのは「カザフスタンキルギスタジキスタントルクメニスタンウズベキスタン」のことです。
 「ウラマー」てのは「イスラム知識人」のことです。
 「英知集」というのはアフマド・ヤサヴィーというウラマーの著書の一つです。
 ちなみにアフマド・ヤサヴィーを祀ってる「アフマド・ヤサヴィー廟」がカザフスタンにありこれは世界遺産です。
・「無宗教無神論の立場」が公式見解だった旧ソ連ウズベキスタンでのイスラム資料の継承について説明がされている。「1934年のムスリム文献調査」を取り上げた磯貝論文とややニュアンスが違う点(旧ソ連の反宗教的性格の強調)が気になるところではある。
 なお、ウズベキスタンは「1990年〜2015年の現在」までカリモフ*8大統領が「25年に及ぶ長期政権」を維持し、今のところ下野の見込みもない。
 ちなみにこうした超長期政権はカリモフ以外にも「アゼルバイジャンのヘイダル・アリエフ*9大統領(1993〜2003年)、イルハム・アリエフ*10大統領(2003年〜現在)」、「カザフスタンのナザルバエフ*11大統領(1990年〜現在)」、「タジキスタンのラフモン大統領(1994年〜現在)」、「トルクメニスタンニヤゾフ*12大統領(1990〜2006年)」、「ベラルーシのルカシェンコ大統領(1994年〜現在)」、「ロシアのプーチン*13大統領(2000〜2008年、2012年〜現在まで大統領、2008年〜2012年まで首相)」と、多くの旧ソ連国家に共通するところである。まあ、何が言いたいかと言えば「中国と北朝鮮だけが独裁的国家じゃないんやで」つうことですね。なんかネトウヨは中国と北朝鮮を「両国だけが世界に存在する独裁的国家であるかのように」やたら罵倒しますけど。まあ、それはともかく。
 筆者によれば「カリモフ政権誕生当初はともかく」、現在においてはカリモフによる「イスラム過激派取締」を理由としたイスラム締め付けが強まり、イスラム行事の実施やイスラム書籍の販売が事実上不可能という「旧ソ連時代*14とあまり変わらない状態」にあるらしい。

参考
産経新聞ウズベクでカリモフ氏4選/中央アジア長期政権…高齢、イスラム過激派に懸念』
http://www.sankei.com/world/news/150330/wor1503300042-n1.html


■「東洋学者とつながるムスリムの知識人」(磯貝真澄)
(内容要約)
 スターリンの大粛清によって頓挫した物の、計画されていた「1934年のムスリム文献調査」を取り上げ「旧ソ連は反宗教的だった」と見なすのは一面的であり、「もっと旧ソ連の宗教政策(対イスラム政策)は複雑であった」というお話。


■「価値を蓄積し続ける地域歴史資料:兵庫県三木市・旧玉置家文書を事例に」(三村昌司)
(内容要約)
 新聞記事等の紹介で要約に代替する。

■『旧玉置家住宅(三木市)』
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/720833/
■『襖の下張り文書(旧玉置家住宅)』
http://plaza.rakuten.co.jp/machi28kitaharim/diary/201106100000/
神戸新聞『当主の実像、史料から迫る 旧玉置家住宅で調査報告会』
http://www.kobe-np.co.jp/news/miki/201503/0007781491.shtml


■歴史のひろば『ボスニア・ヘルツェゴヴィナ文書館が燃えた日』(米岡大輔)
(内容要約)
 ブログ記事等の紹介で要約に代替する。

https://twitter.com/m_shou/status/472728277623140352
 今日知ったこと。今年*152月にボスニア・ヘルツェゴヴィナで反政府デモのあおりをうけて、国立文書館の収蔵史料が燃えたそうだ。日本ではあまり報じられていないようだけど

 まあ要するに放火ですね。反政府デモが常に「清く正しく美しいか」「非暴力で平和主義か」といったらそんなことないわけです(これは批判ではなく「単なる事実の指摘」です。俺個人は「暴力的デモは原則として不可(例外的に可となり得る)」の考えですが)。ただ米岡論文に寄れば「文書館に放火した」というよりは「大統領府に放火したら隣接している文書館に延焼した」そうですが。反政府デモの原因は深刻な失業率と不況だそうです。また旧ユーゴ国家の内、「スロベニアクロアチアEU加盟を果たしたのにボスニアは果たせてないこと」への不満もあるようです。

【参考】
◆旧ユーゴ頼りβ『ボスニア文書館支援プロジェクト:万国のユーゴクラスタよ、団結せよ!!』(百瀬亮司*16
http://postyugo.blog.fc2.com/blog-entry-110.html

*1:神戸大学教授。著書『大震災と歴史資料保存:阪神・淡路大震災から東日本大震災へ』(2012年、吉川弘文館)、『歴史文化を大災害から守る:地域歴史資料学の構築』(編著、2014年、東京大学出版会

*2:著書『戦国期の徳政と地域社会』(2001年、吉川弘文館

*3:著書『江戸深川猟師町の成立と展開』(2008年、名著刊行会)、『江戸の名主 馬込勘解由』(2020年、春風社

*4:著書『伝説のなかの神:天皇と異端の近世史』(1993年、吉川弘文館)、『紛争と世論:近世民衆の政治参加』(1996年、東京大学出版会)、『近世日本の交通と地域経済』(1997年、清文堂出版)、『戦国日本と大航海時代:秀吉・家康・政宗の外交戦略』(2018年、中公新書)など

*5:著書『知られざる日本:山村の語る歴史世界』(2005年、NHKブックス)、『古文書はいかに歴史を描くのか:フィールドワークがつなぐ過去と未来』(2015年、NHKブックス)、『中近世山村の生業と社会』(2018年、吉川弘文館

*6:著書『大災害からの再生と協働:丸山佐々木家の貯穀蔵建設と塩田開発』(2016年、蕃山房)

*7:著書『記憶が歴史資料になるとき:遠藤家文書と歴史資料保全』(2016年、蕃山房)、『幕末の学問・思想と政治運動:気吹舎の学事と周旋』(2021年、吉川弘文館

*8:旧ソ連時代からウズベキスタン財務大臣、副首相、ウズベキスタン共産党第一書記などを歴任した実力者

*9:旧ソ連時代からアゼルバイジャンKGB議長、アゼルバイジャン共産党第一書記などを歴任した実力者

*10:ヘイダルの息子

*11:旧ソ連時代からカザフスタン首相、カザフスタン共産党第一書記、カザフスタン大統領などを歴任した実力者

*12:旧ソ連時代からトルクメニスタン首相、トルクメニスタン共産党第一書記などを歴任した実力者

*13:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相などを経て大統領

*14:ただし旧ソ連時代でもゴルバチョフ時代はかなり縛りはゆるかったとのこと

*15:2014年のこと

*16:著書『セルビア語読解入門』(2012年、大阪大学出版会)、『旧ユーゴ研究の最前線』(編著、2012年、渓水社)など