「政治を変える」方法を考える選挙・4 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
選挙結果に関する予測を見ると、どの結果からも共通して読み取れるのは、この連載のテーマに関係する視点で言えば、「共産の協力なしに勝利できる立憲」の確立であろう。当初、野党がバラバラでは勝てないことが指摘されたが、まさにそのバラバラのままで選挙に突入したという事実が、「それなら立憲へ」という有権者の動向を生みだしたわけだ。だから今後の選挙では、共産の「票がほしければ言うことを聞け」という戦術は通用しなくなる。
「反党分子の松竹」的には「そういうことにしたい*1」のでしょうが「そういうことになるかどうか」は現時点では何とも言えないでしょう。
立民が
1)共産の協力が得られず負けた小選挙区
2)共産の協力を得て勝った小選挙区
→「党全体としての共闘はない」ものの「地域での部分共闘」ならあります。「野党共闘」を云々する松竹の立場なら「そうした選挙区」で「一人でも多くの議員が当選して欲しい」と書いてもおかしくないのにそう書かないのが「何だかなあ」ですね。
3)共産の協力を得られなかったが一応勝てた小選挙区
→その場合も苦戦したか(共産の協力があればもっと楽に勝てた可能性がある)、圧勝したかという違いも重要でしょう。
がどの程度生じて、それが立民党内においてどう評価されるかは何とも言えないからです。
また仮に今回「共産の協力無しでも勝てた選挙区が多数あった」としても「今後の選挙もそうなる保証」は勿論どこにもない。
「選挙直前に野党共闘が崩壊した」ので、「今回はあえて立民に投票した」が、「冷静になって考えると共産の立民批判に道理があるように思えてきた→立民支持しない(勿論そうした人間が共産支持するかどうかは何とも言えませんが)」と言う可能性は充分あるでしょう。
また、立民の態度は、共産の議席が「減少するか、増加するか」にも影響するでしょう(減少すれば、立民の共産軽視が助長されかねないが、増加すればそれなりに共産を重視する可能性がある。一方で増加すれば共産党支持者からは「野党共闘は重要だが、立民に無理に妥協する必要はない(議席の増減だけ考えればむしろ独立路線の方が有利)」という考えが強まる可能性もある)。
いずれにせよ「立民が共産と手を組む気がない」なら「組まない」だけの話です。
共産は立民の下部組織ではない。松竹のような「立民大好きな輩(そういう輩を共産支持者と呼ぶべきか疑問ですが)」を除けば「共産支持者の多く」は「党員、後援会員、サポーターといったコア支持者」は勿論「俺のような党外のソフト支持者」であっても「何が何でも立民と共闘すべきだ」とは思ってないでしょう。共産の独自性は大事だと思っている。
そういう支持者がいる以上、松竹のような「立民への迎合路線」は党は採用しないでしょうし、当然、松竹も党支持者からは評価されない。松竹が党支持者に評価されないのは「支持者が党に盲従してるから(反党分子id:kojitakenなどはそう悪口しますが)」ではなく、松竹の主張が「党支持者にとって立民にあまりにも迎合しすぎている」からでしょう。
それにしても「除名無効判決を得て、復党したいと自称する人間」が「建前」「きれい事」ですら「党の議席増を願ってる」と書けず「党の支援がなくても立民の議席が増えそう(俺の要約)」と党に悪口雑言なのだから松竹も呆れたバカです。どこが「党を愛してるのか(松竹の自称)」と心底呆れます。「党を愛してる」という偽装ポーズを取る気すらないのか(これは選挙中、ブログや旧ツイッターで党へ悪口しかしない「類友」紙屋も同じですが)。
あるいは松竹の立場(一応、自称「自公批判派」「野党共闘支持者」)なら、選挙について「党の支援がなくても立民の議席が増えそう(俺の要約)」と党に悪口雑言する以外にも(「党の議席増」云々については既に触れましたが)
「オール沖縄の完全勝利を願う」
「改憲勢力(自公、維新、国民民主)2/3阻止」
「自公(あるいは自民)過半数割れ希望」
→当初は「自民過半数割れはあり得ても自公過半数割れはない」と言う予想だったのが「あくまでも可能性にすぎない」とはいえ、「自公過半数割れで選挙後に維新や国民民主抱き込みに動くのでは」と言う予想も出てきました。勿論「楽観的なことは言えません」が石破の企みが失敗したことだけは確かでしょう。「俺の願望込み」ですが、「希望の党が急速に支持を落とした」ように石破自民も「俺にとってはまだ支持が高い(『自公あるいは自民過半数割れ』の『可能性』にすぎず、過半数割れは確実視されてはいないし、自民が相対的な第一党になることは確実なようなので)」とはいえ、急速に支持を落としてるのではないか。
「非公認*2(例:いわゆる安倍派五人衆)や『公認されたが比例立候補しなかった』裏金議員や統一協会議員を一人でも落選させたい(特に共産と立民の地域共闘が成り立った選挙区では)」
などと言及してもいいでしょうに、それもなし。「お前には党に対する憎悪しかねえのか?」と心底呆れます。
それはともかく「俺(松竹)の方向性なら立民との共闘が上手くいく」と言いたげな松竹ですが「アホと違うか?」ですね。
松竹など「立民関係者は全く相手にしてない」のに何でそんなことが言えるのか。これが立民関係者と松竹が親しく交遊してるというなら話も別ですが。「水面下で密かに交遊してる」と言う話では恐らくないでしょう。恐らく立民関係者と松竹の間に交遊など何もない(話が脱線しますが北朝鮮の拉致問題も恐らく交渉は何もないでしょう)。
いずれにせよ、勿論選挙結果がどんな結果になろうとも松竹や紙屋に「政治的出番はない」でしょう。何せ現時点において「一部のシンパ」以外彼らを相手にしてないのですから。そのシンパも大して政治力があるわけでも著名なわけでもない。
彼らに対する世間の評価はせいぜい「どんなに好意的な物」でも「(不当除名かどうかはともかく)除名されて可哀想」「紙屋の言うパワハラ云々が事実なら可哀想」レベルであって「政治論客」として「彼らの主張なら共産党が発展する」「日本政治が良い方向に変わる」だのと彼らを評価してる人間は皆無でしょう。
今回の選挙で、党が不幸にして議席を減らせば悪口し、議席を増やせば都合が悪いので黙りか、はたまた「最大野党・立民の議席増に比べれば少ない」「俺たちの方向性ならもっと議席が増えた」「(一部マスコミ予想のようにれいわや国民民主が共産議席を上回った場合は)れいわや国民民主の議席増に比べれば(以下略)」等と悪口するかそんなところでしょう。
どっちにしろ今後も「いろいろな機会に党に悪口し続ける」のでしょうがそんなことをしたところで「一部の反共マスコミ」はともかく、世間(与野党各党やマスコミ、市民連合等の市民団体など)はまともに相手をしないでしょう。何というか
「こういう人生は送りたくないな」
「何のために入党したんだか」
「そんなんなら離党して(というか除名されてますが)、山本のれいわ新選組、神谷宗幣*3の参政党、百田の保守党のように新党でも作ればいいのに*4」
「松竹(1955年生まれ*5:今年で69歳)も紙屋(1970年生まれ*6:今年で54歳)も、かなりのオッサンなのにな」と心底思います。
最近、ある学者*7と話していたのだが、その方は、所感派は暴力革命路線で、国際派は平和革命路線だと思い込んでいた
「何だかなあ(呆)」ですね。
第一に「そういう議論をするな」とは言わない。しかし「選挙のない時期」ならともかく選挙期間中の今「すべき話」なのか。到底そうは思えません。
所感派(いわゆる徳田派:いわゆる50年分裂当時、徳田は書記長で主流派)、国際派(いわゆる宮本派:徳田の病死(1953年)もあり、徳田派が失脚したことにより主流派になる)なんて今の選挙戦と何の関係があるのか。
選挙期間中に「社民党員」が「社会党の構造改革論(江田三郎など)やいわゆるマドンナブーム(土井たか子時代に女性議員が増えたこと)」の話を始めたりするぐらい「選挙戦に関係ない」でしょう。
こんな話をしても党支持者は勿論、それ以外も「はあ?」「松竹が本気で党を改革したいというなら選挙期間中は選挙に関係した話をしろよ」でしょう。
第二に何で「ある学者」とぼかすのか。ぼかす必要ないと思いますけどね。
斎藤幸平×内田樹×石川康宏講演会 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaに名前が出ている(松竹シンパらしい)斎藤幸平*8東大准教授、内田樹*9神戸女学院大学名誉教授、石川康宏*10神戸女学院大学名誉教授
のように名前を出せばいいでしょうに。「また、いつもの顔ぶれか」と思われるのが嫌なのか?
なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない」松竹のクズさにはいつもながら呆れます。
*1:但し「そういうことになった」としても「松竹の政治主張が世間(野党各党やマスコミなど)に評価されるわけではない」「松竹の政治主張の方向で日本政治が動くわけではない」ので松竹も全く滑稽です。もはや松竹も(そして神谷も?)建前はともかく本音は「党に悪口できればいい」「党が選挙で後退したり酷い目に遭えばいい」という「共産党への憎悪」しかないのではないか。
*2:とはいえ自民党を離党や除名されたわけではなく、当選後の『追加公認の可能性』を自民党が否定してないという酷い話ですが
*4:れいわを除けば参政党、保守党と昨今の新党が右翼ばかりなのにはげんなりします。日本の右傾化の表れでしょう。「共産の苦戦」について「内部原因(共産の党内の問題)」を否定して全てを「外部原因」に求めるのも勿論「不適切」ですが、こうした「『日本社会の右傾化』という外部原因」を無視するのも不適切でしょう。「内部原因」しかないのであれば「左派の社民、れいわ」がもっと議席があってもおかしくないし、最大野党立民が「保守派の野田氏」を担いで右派色を強めることもないでしょう。選挙結果がどうなるかは不明とは言え、マスコミ予想で「右派政党・国民民主」の議席増が予想されることもない。
*5:加藤財務相、紙智子参院議員(共産)、福島社民党党首、保坂世田谷区長などが同じ年生まれ
*7:「政治学者」と書いてないので「政治学者でない可能性」が当然あります。
*8:著書『人新世の「資本論」』(2020年、集英社新書)、『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(2022年、角川ソフィア文庫)、『ゼロからの「資本論」』(2023年、NHK出版新書)等
*9:著書『寝ながら学べる構造主義』(2002年、文春新書)、『ためらいの倫理学』(2003年、角川文庫)、『私家版・ユダヤ文化論』(2006年、文春新書)、『街場の現代思想』(2008年、文春文庫)、『街場の大学論』(2010年、角川文庫)、『街場のメディア論』(2010年、光文社新書)、『ハリウッド映画で学べる現代思想』、『ラカンによるレヴィナス』、『レヴィナスと愛の現象学』(以上、2011年、文春文庫)、『街場のマンガ論』(2014年、小学館文庫)、『街場の共同体論』(2016年、潮新書)、『街場の文体論』(2016年、文春文庫)、『街場の読書論』(2018年、潮新書)、『武道的思考』(2019年、ちくま文庫)、『街場の天皇論』(2020年、文春文庫)、『生きづらさについて考える』(2023年、毎日文庫)等。個人サイト内田樹の研究室
*10:著書『現代を探究する経済学』(2004年、新日本出版社)、『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう! 政治を変えるのは、あなたです。』(2007年、日本機関紙出版センター)、『覇権なき世界を求めて』(2008年、新日本出版社)、『人間の復興か、資本の論理か:3・11後の日本』(2011年、自治体研究社)、『マルクスのかじり方』(2011年、新日本出版社)、『橋下「日本維新の会」がやりたいこと:何のための国政進出?』(2012年、新日本出版社)、『「おこぼれ経済」という神話』(2014年、新日本出版社)、『社会のしくみのかじり方』(2015年、新日本出版社)等。個人サイトはげしく学び はげしく遊ぶ-石川康宏研究室