「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート12(追記・訂正あり)

 パート11の続き。


■「大人 故田中明先生」への突っ込み(その1)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00619
 河野談話を出した河野洋平*1を「韓国に媚びて事実無根の談話*2を出した」(http://gendaikorea.com/20070915_tanaka.aspx)と誹謗中傷した「小人(しょうじん)」田中明を大人(たいじん)と強弁する三浦。
 バカも大概にしろ。むしろ自民党右派の反発を抑え、河野談話を出した河野氏こそ大人の名にふさわしい。
 改めて三浦のバカさに吐き気がした。そして三浦が代表の「守る会」に入って恥じないid:noharraと野原のブログに賛同のブクマやコメントしかしないid:morimori_68(森永博雄)は本当にバカだと思った。ああ、「人格者」のid:morimori_68さん、俺のことを幼稚と思うのでしたら思って結構です、自分でもある程度自覚してますから(居直り)。
 それよりも野原を絶賛するご自分の態度に問題はないか、真剣にお考えになっては?。「森永博雄のハッピー日記」(http://d.hatena.ne.jp/morimori_68/)によれば社会思想研究をしてるそうですが、野原を絶賛するような頭の悪さで研究成果が出るのかとかね。

調査会の荒木代表を中心に、しのぶ会も先日開かれ

まともな人なら荒木にしのばれても迷惑だろうが田中はまともじゃないからな(苦笑)。
そして桂三木助がなくなった時(ウィキペ「桂三木助」参照)のように誰かが「しのばず会」でもやれば良かった(毒)

人間の『格』というものを思わせる経験であった。

確かに「田中」を日本人と言うだけで非難しなかったその韓国人は「格」があるだろうが、それをネタに「日本批判は格がない、韓国人は日本批判するな」と言いたいらしい田中と、その田中を好意的に紹介する三浦にはまるきり格を感じない。まさに日本の恥。

アメリカをきちんと研究することも、ソ連、中国、北朝鮮などの真実の姿を『反米、親米』のどちらかのフィルターを通してしかみることもできなかった戦後日本の言論人

 おいおい、学者・研究者やジャーナリストによる戦後日本でのアメリカやソ連、中国や北朝鮮についての研究、言論を根拠レスで全否定できるほどいつから三浦は偉くなった?。

天国で(注:生前つきあいがあった司馬遼太郎氏と)楽しく語らっている田中先生にお悔やみの言葉はふさわしくないでしょう。

 司馬は天国に行っても、田中みたいな屑は地獄に行ってるだろ(天国、地獄が本当にあるのか知らないが)。
 いずれにせよお悔やみの言葉がふさわしくないというのは同感。田中には「死んで良かった、万歳!」「もっと早く死ね、老害」「そもそも生まれてくるな」「死もまた社会奉仕」等がふさわしい言葉だろう(毒)
 河野氏のような大人なら、河野氏を誹謗中傷した田中にも内心、呆れてたり、腹が立ったりしていても礼儀正しい態度をとるだろうが、俺は小人なので田中のような屑は当然、罵倒します。
 田中みたいな屑と司馬につきあいがあったとは信じられないが、司馬存命中は猫をかぶっていたのか?。いずれにせよ、嫌韓バカ・田中を仮にあの世が実際にあるとして、あの世の司馬が温かく迎えるかは疑問だ。むしろ司馬は田中を無視するのではないか?
 司馬にはその程度の良識はあると俺は思ってる。


■雑誌「道標」に中江兆民論を掲載させていただきました(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=411
1冊1000円って随分高い。
そう言う高い雑誌を買って欲しいのなら、ちゃんとした宣伝をしないと。目次ぐらいは全て紹介するとか。

ナチスの収容所を生き延びたフランクル(「夜と霧」*3著者)の劇作「ビルケンヴァルトの共時空間」*4が初の翻訳で紹介されています。

以外に見所がないのではおそらく誰も買わない(「初翻訳」は「翻訳が酷い」か「作品に価値がない」場合以外は見所になるだろう)。初翻訳でも「フランクル」ファン以外は買わないだろうが。
 渡辺さんが自由民権論を、俺・三浦は中江兆民論を書いたと言われてもね。
 自由民権論も中江兆民論ももう飽きるほど出てる。どこが過去のものと違うか、お書きにならないんじゃ。
 ご紹介の詩もどこがいいのかわかりません。「世界は裂けている、そして愛が実ってる、ざくろのように」(俺の恣意的要約)って何が言いたい?。俺(高野義裕)は今巧いこと言ったってドヤ顔か?。そういうのは詩じゃなくて「笑点大喜利」だ。高野先生は落語家になればいい。それとも熊本では落語家のことを詩人と言うのか?(毒)

こういう試みが、地方で静かに同人誌の形で続けられているところにこそ、私は文学の希望のようなものを見たいと思います。

と言うほど良い雑誌とは思えない。


金正日とその仲間達(統一日報記事)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00618
 申相玉と言って分かる人間ばかりだと三浦は思ってるのか(苦笑)。ググればどういう人間か分かるが、簡単な説明ぐらいしろ。

申相玉(1926年10月18日〜2006年4月11日:ウィキペ参照)
 韓国の映画監督。
 1978年香港で北朝鮮によって妻・崔銀姫(女優)が拉致された後、彼も拉致された。ただし事件当時北朝鮮側は亡命と発表した。彼が北朝鮮で『帰らざる密使』*5、『プルガサリ*6などの製作に携わったため、亡命説は多くの人に信じられた。しかし1986年3月13日、オーストリアのウィーン滞在中に妻とともにアメリカ大使館に亡命し、亡命ではなく拉致だったと語った。1987年には北朝鮮の体験を記した著書『闇からの谺』(邦訳:文春文庫)を上梓した。同書によれば、二人を拉致するよう指示したのは当時朝鮮労働党宣伝部長だった金正日である。
 大使館亡命後は、アメリカに居を移した。1994年にはカンヌ国際映画祭審査委員を務め、2000年にアメリカから韓国に帰国したが、2006年に死去した。金賢姫を主人公に大韓航空機爆破事件を描いた映画『真由美』*7(1990年)を監督したことがある。

馬賊団ですよ」

 北朝鮮に拉致された申氏がこういうのは仕方ないがそれを垂れ流すな。いくら独裁国家でも北朝鮮に失礼極まりない。
 まあ、「馬賊出身でも偉大な人はいますね、抗日の英雄・馬占山将軍」とか「馬賊ってラーメン屋ですか?(何故か馬賊でググったらラーメン屋が大量にヒットした)」とか言えばいいのかも知れない(毒)

北韓住民たちを飢えさせて殺しながら、彼ら同士は贅沢なパーティーを楽しんでも何ら良心の呵責を感じない集団

「御名御璽・朕はたらふく食ってるぞ、汝臣民飢えて死ね」ってことですね、わかります(三浦への皮肉のつもり)
 冗談はともかく申氏がこう言うのは別に構わないが「北朝鮮人民が餓死しても構わない、食料援助するな」という三浦がこの文章を平然と引用できるのがすごい。
そして三浦には「日本にも自分の趣味(五輪招致や新銀行東京、税金観光旅行)に無駄金突っ込んで恥じない石原慎太郎という屑がいますが」「公害輸出って言葉を知りませんか?。我々、経済先進国の人間はある意味、発展途上国の人間を苦しめてるのではないか?(最近もモンゴルに日本や欧米の核廃棄物捨てるという新たな公害輸出計画が発覚した)」とも突っ込んでおく。世の中には「自分の利益のために他人を苦しめて恥じない人間」は珍しくないし、三浦御大もどっちかっていうとそっち側の人間だと俺は思う。石原を評価するような人だから。
 まあ、俺も「どっちかっていうとそっち側の人間」ではあるが。積極的に苦しめるマネはもちろんしていないが、かといって弱者のための戦いに立ち上がってるわけでもない。

「公害輸出」(コトバンク参照)
 先進工業国(例:日本)の企業が公害規制の緩い開発途上国(例:中国や東南アジア)に工場を進出させ,そこで公害を発生させること。途上国が外国企業の進出を積極的に歓迎する姿勢の場合,公害輸出が発生しやすい。

ある米国人*8は、馬賊団よりは組織暴力団により近いと言った。

そう言う誹謗中傷をして人として恥ずかしくないか?

姜錫柱、金桂寛、趙明禄、金英徹のような部下たち

どんな人たちかググって調べる。
姜錫柱:副首相(第一外務次官、第一副外相と外交畑の要職を歴任)
金桂寛:第一外務次官
趙明禄:2010年11月死去。朝鮮人民軍総政治局局長、国防委員会第1副委員長など軍事畑の要職を歴任。
金英徹:ウヨサイトや韓国の中央日報に寄れば人民武力部偵察総局長。軍の諜報・工作部門の幹部らしい。

金正日の側近たちが政策の失敗で粛清される例は殆どない。裏切ったとか、派党を作ったか、上に報告せずお金を着服したとかした場合のみ除去される。金正日と韓国大統領*9を両方会って見たある米国人*10は、「金正日の周辺がはるかに権威的でなかった」と言った。

 いいことじゃないか?。それとも「政策の失敗で粛清があった方」が、「権威主義的な方」が「北朝鮮を叩けて良かった」と言うことか?。そして批判すべきでないこと(権威主義的でない)を「なれあい」とか無理矢理批判しない方がいいと思うぞ。

金正日ファミリーの安全が危険だと思えば、戦争をするか開放に乗り出すはずだ。

だから金大中氏の太陽政策に好意的に応じるなどして開放にのりだしてるだろ?。「河信基の深読み」(http://blogs.yahoo.co.jp/lifeartinstitute)でも読めよ。
で、太陽政策に反対してる君らは北朝鮮と戦争がやりたいという理解でいいのか?

大韓民国の大統領を殺そうと4回も暗殺を試みたのに、われわれ(南)は暗殺者を(北へ)送らなかった。天安艦を爆沈しても「錦繻山記念宮殿」*11をミサイルで攻撃しなかった。延坪島を砲撃してもわれわれ(南)は対岸の砲台を爆撃しなかった。金正日がこうやったら私が死ぬかも知れないと思わせてこそ、韓半島の現状打破の出口が開かれる。

 金正日が死ぬ以前に全面戦争が起こって多くの韓国人が死にかねないだろ。そんなに戦争がやりたかったら、お前一人でゴルゴ13みたいに北朝鮮に戦争を仕掛けて一人で死ねよ。
 なお、「4回も暗殺を試みた」のうち3回は「1968年の青瓦台襲撃未遂事件」「1974年の文世光事件」*12(以上、朴政権)、「1983年のラングーン事件*13(全政権)ということは素人の俺でも分かるが後の1件って何だろう?。
 まあ、朴も全も軍人出身でタカ派だし、現大統領李明博氏(天安艦爆沈、延坪島砲撃時の大統領)も保守だが、極右と違って北朝鮮と全面戦争しない程度の常識はあるということだ。

われわれ(南)は暗殺者を(北へ)送らなかった。

 いや、北朝鮮へ刺客を送る計画はあった。韓国映画にもなった「シルミド計画」というのが。結局ぽしゃったが。俺は「ぽしゃって良かった」と思うがこういう極右はそうは思わないのだろう。

青瓦台襲撃未遂事件」(ウィキペ参照)
■朴政権の対応
 朴大統領は事件直後、駐韓アメリカ大使に「北を攻撃しなければならない。2日で平壌まで進める」と、憤りをあらわにした。襲撃未遂事件を北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡をアメリカのジョンソン大統領に送った。
 ところが、直後にプエブロ号事件が発生する。アメリカは空母を派遣するが、すでにベトナム戦争を戦っている中で新たに朝鮮半島で軍事行動を起こす余力が無く、また北朝鮮と同盟していたソ連と直接戦争に至る可能性を考慮して、ジョンソンは外交交渉を選んだ。アメリカの援助を受けられないと知った朴は軍の北進を断念した。
 しかしやられて黙って引き下がる朴ではなかった。「われわれは日夜、このようにやられてばかりいるのか。何か報復する方法はないのか。」政権内部での発言力を強めたかった中央情報部(KCIA)の金炯旭部長(注:部長退任後、朴に反目したため、皮肉にもKCIA要員によって暗殺される)が金日成暗殺部隊の創設を決意した。
 これによって1968年4月創設された空軍2325戦隊209派遣隊は創設年月日の68年4月から通称684部隊と呼ばれ、青瓦台を襲撃した北朝鮮工作員の人数と同じ31人の隊員から構成された。部隊は仁川沖合の実尾島(シルミド)で訓練を受けたが、1970年以降南北融和の流れが加速したために金日成暗殺は現実的でなくなり、1971年に計画は撤回された。
 完全に宙に浮いた存在となった684部隊の待遇は悪化し、不満が増大した部隊員は1971年8月23日に叛乱。バスを乗っ取ってソウル市内に向けて進み、軍・警察と銃撃戦となって自滅した。この実尾島事件は、後に『シルミド』として映画化されるなど、韓国国内で見直しが進んでいる。

『南北共同声明』(ウィキペ参照)
 1972年7月4日に、韓国と北朝鮮が同時に発表した朝鮮半島の南北対話に関する宣言文章。
 韓国と北朝鮮は厳しい対立を続けており、対話の糸口すら掴めない状況が続いたが、1970年代に入ってアメリカと中国の接近(1972年のニクソン訪中)や、アメリカとソ連との間にデタントが進行するなど国際情勢の緊張が緩和されつつある中、1971年8月より韓国と北朝鮮赤十字社接触が開始された。
 続いて1972年5月に韓国の李厚洛中央情報部長が平壌を極秘訪問し、金日成実弟・金英柱朝鮮労働党織部長(後に国家副主席)並びに金日成首相と会談し、続いて金英柱の代理として朴成哲第二副首相(後に首相、国家副主席を歴任)がソウルを極秘訪問し、李厚洛や朴正煕大統領と会談を行い、その結果、合意文章として南北共同声明が発表された。
 声明には祖国統一は武力行使によらず平和的に南北間で自主的に行っていくこと、南北赤十字会談や南北調節委員会などの南北交流を進めていくことなど、7項目にわたる祖国統一原則が列挙された。しかし南北共同声明発表後の1972年10月、韓国の朴政権は「祖国の平和統一のための体制強化」を名目として十月維新を開始、独裁体制を強化した。一方北朝鮮の金政権も1972年12月に新憲法を制定、金日成国家主席に就任しやはり独裁体制を強化した。南北対話は1976年に発生した板門店でのポプラ事件などの衝突の中、1976年8月30日には南北直通通話が切断されるなど、1970代後半には一旦ほぼ中断した。
 しかし南北対話はその後も、盧泰愚政権下での南北基本合意書が締結され、そして2000年6月の金大中大統領と金正日国防委員長との間で南北首脳会談が行われるなど、紆余曲折はありながらも現在まで続けられている。

これは筆者の趙氏の意図を超えて、意外と金正日政権の本質をとらえているような気がします。

 どこがだよ。「北朝鮮を口汚くののしる」趙とそんな趙を褒める三浦が「常軌を逸した反北朝鮮極右」と言う以外に何が分かる?

子どもの頃からイエスマンに囲まれ、まともな意味での人間との付き合いもなく(おそらく父親とも普通の親子関係ではなく)権力闘争と趣味の世界という両極しか見てこなかった金正日

 別に金正日閣下は好きではないが、根拠レスで中傷か。はっきり言って「東北の避難民に暴言はいた三浦の友達・チャンネル桜連中」より、動機がどうあれ、義捐金を出した金正日閣下の方が何倍も人としてまともだと思う。
 そして「子どもの頃からイエスマンに囲まれ、まともな意味での人間との付き合いもなく(おそらく父親とも普通の親子関係ではなく)権力闘争と趣味の世界という両極しか見てこなかった」ってのは、むしろまともな父親だったとはとても思えない石原慎太郎と子どもたちの関係にあてはまることじゃないのか?。石原の子どもはどう見ても、実力で頑張ってる「タレント*14気象予報士*15の良純」以外、「自称画家」だの「政治屋」だのでまともな大人には見えないが。

子供は自分の自由で好きな空間を外から壊されそうになるとき、極めて激烈な反撃をしたり、うそをつきまくってでもその空間を守ろうとすることがあります。

東京在住のフランス人に、独裁体質を批判されたら「フランス語は数が数えられない」とガキみたいな低レベルな暴言はいた石原のことか。

自らの悪行を知られたくないために被害者を死んだなどとうそをついている

根拠レスで嘘つき呼ばわりか。外務省の斎木先生だって「死亡推定」してるってのに(毒)。

韓国も(注:平昌での2018年冬期)オリンピック開催が決まり、今の一定の経済発展を失いたくないのは当然です。

 オリンピック開催が決まらなくたって、「今の一定の経済発展を失いたくないのは当然」だろ。「経済発展を失っても構わない、北朝鮮と戦争しろ」と無責任な煽りでもする気か?。お前がランボーみたいに北朝鮮に戦争しかけてお前一人で死ねよ。

朝鮮総連諸氏も、こういう文章を翻訳掲載して恥ずかしくないのでしょうか

 「the facts支持者」「新風支持者」「放射線ホルミシス効果理論信奉者」の荒木や、チャンネル桜文化人の西村とつるんで恥じない珍右翼のお前が言うな。
 お前ら救う会は「小泉首相が訪朝した2002年に拉致があった」とか「山梨県警が遺体を発見したといった人間は実は北朝鮮に拉致されてかの地で生きてる。県警発表はねつ造」とかどう見てもデマとしか思えないことを垂れ流してる癖に偉そうに。
 珍右翼の分際で何、穏健保守気取ってるんだよ。


拉致被害者「再調査」の可能性と危険性(下)及び脱北者ドキュメンタリー番組紹介
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00610
以前、
拉致被害者「再調査」の可能性と危険性(中)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00609

明日(注:このエントリが書かれた2011年6月23日(木)の翌日、24日(金))、現在起こりつつある日朝国交交渉議連(注:誤記だろう。どう考えても「議連」はいらないと思う)について、そして「再調査」について私なりの結論を述べてこの話題は終えたいと思います。

と言う三浦の文章に

三浦先生は反北朝鮮極右なので「北朝鮮叩きに終始し、交渉も再調査も全否定だろう」と大体予想がつくが、「明日」以降に書かれたものを読んでから突っ込む。

と書いたが予想通り「北朝鮮叩きに終始し、交渉も再調査も全否定(三浦先生は極右のくせに極右と思われるのがお嫌らしい「自称中道」なので「いや結果が出ればいいけど、でも出ないでしょ?」的な持って回った言い方ではあったが)だったのでその部分には突っ込まない。予想通りの文章に突っ込んでも面白くない。ということで、そこ以外に突っ込む。

まず番組紹介。深夜の放送ですが、フジテレビです。
第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品
脱北者たち 大阪・八尾に生きて…』
(制作:関西テレビ
<2011年6月28日(火)26時45分〜27時40分>
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/20th/11-137.html

「深夜の放送」
 今ドキュメンタリーってNHK(Nスペや、ETV特集)と、TBS報道特集と「テレ東の経済ネタドキュメンタリー(ガイアの夜明け)」以外、ゴールデンや昼間にやってるのは多分ない(昔はテレ東も経済ネタ以外のドキュメンタリーも「ガイア」の時間帯でやってたんだけどね)。ドキュメンタリーが深夜にしか見れない低レベルな国・日本万歳!(毒)
 しかし、三浦が万歳するんじゃ、北朝鮮叩き系か?。「脱北者の日常生活を撮っただけのもの」で北朝鮮叩きでなきゃいいけど。
 ちなみにピーター・フォーク追悼「刑事コロンボ」第1話深夜放送なら起きて見るかも知れないが、北朝鮮問題に限らず、深夜に起きるほど俺は社会問題に興味はないし、見てただの北朝鮮叩きだったら不愉快になるから確実に寝てる。しかも土曜ならともかく火曜日放送って夜更かししたら確実に翌日の仕事に響く。
・全然このエントリに関係ないが、名優ピーター・フォーク氏の死去をここに追悼したいと思います。
・ちなみに第20回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品には他にもいろいろなものがあります
(フジのサイトhttp://www.fujitv.co.jp/b_hp/fnsaward/backnumber/20.htmlで確認が出来ます)。反北朝鮮極右が調子に乗るのは不愉快なので、失礼ながら関西テレビが大賞から落選することを願ってやみません。他局の作品も力作のようなので「出来レース」でもない限り大賞受賞は楽ではないだろうが。

この中(注:日朝国交正常化議連のメンバーのこと)には明確に親北*16派、今の北体制に融和的*17と思われる方の名前もありますが、同時に、真摯に北の人権問題に取り組んできた方のお名前もあります。

 「親北派」「北の人権問題に取り組んできた方」って具体的に誰のことか言えよ(「親北派、融和派」=「北の人権問題に取り組んでこなかった方」って決めつけも酷いが)。
 それはともかく
衛藤征士郎自民党、現衆議院副議長)
額賀福志郎自民党衆議院議員額賀派会長、森内閣で経済財政担当相、小渕、小泉内閣防衛庁長官、安倍、福田内閣財務相
河村建夫自民党衆議院議員、党選挙対策局長。小泉内閣文科相安倍内閣政務調査会長代理、麻生内閣官房長官・拉致担当大臣)
中谷元自民党衆議院議員小泉内閣防衛庁長官
保守政党自民党の閣僚経験者や派閥ボスという大物が名を連ねるが為に、この議連を全否定できない「自民党シンパ」三浦の態度が笑える。断言して良いと思うが、これほど自民党幹部の参加がなかったら、この議連を「北朝鮮シンパの集まり」として確実にぶっ叩いてるだろ。

小泉首相の訪朝は確かに歴史的な意義がありました。しかし、絶対に全員を救出するという外交方針ではなく、根本目標を日朝国交回復においていた(少なくとも外務省は)ことが、現在の情況につながっているのです。

・現在の状況になったのはお前らウヨが「交渉するな、経済制裁で締め付ければ北朝鮮が折れる」と無責任なこと言って政府に交渉を打ち切らせたからだろうが。小泉さんと外務省のせいにするな、屑が。
 で、そんな状況に呆れて、三浦たちウヨを批判したら、不当にも家族会を除名されたのが蓮池透さんの訳だ。
私見だがむしろ「日朝国交正常化を根本目標としていなかった」から現在の状況になったのであり、「日朝国交正常化を根本目標としていた方が少なくとも今よりはまし」だったと思う。


拉致被害者「再調査」の可能性と危険性(中)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00609

拉致被害者救出運動に求められているのは「論より救出」です。

 良く心にもないことを言える。「論より救出」「救出のためなら、制裁解除も選択肢に入れるべきだ」と言った蓮池透さんを家族会から除名し、その後も、「北朝鮮シンパ」であるかのように蓮池氏を中傷してるのはどこの誰だ。
 連中にとって最大のウィークポイントは拉致被害者家族であり、一時は家族会事務局長や副代表を務めた蓮池さんだろう。蓮池さんを北朝鮮の手先とは言いにくいが、かといって氏の主張を認めることは連中には出来ない以上蓮池さんの存在はスルーするしかない。スルーできずに救う会・福岡「相変わらずの蓮池透氏」(http://sukuukai.jugem.jp/?eid=345)のように誹謗中傷するバカも一部いるが。

制裁は言うまでもなく(注:拉致被害者)奪還のための手段です。

じゃあ制裁を政府が「手段として有効でないことが分かった」として取りやめても文句いわないな?

明日(注:このエントリが書かれた2011年6月23日(木)の翌日、24日(金))、現在起こりつつある日朝国交交渉議連(注:誤記だろう。どう考えても「議連」はいらないと思う)について、そして「再調査」について私なりの結論を述べてこの話題は終えたいと思います。

三浦先生は反北朝鮮極右なので「北朝鮮叩きに終始し、交渉も再調査も全否定だろう」と大体予想がつくが、「明日」以降に書かれたものを読んでから突っ込む。


拉致被害者「再調査」の可能性と危険性(上) まず3年前の「再調査」発表時点の記録
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00608

明日(注:このエントリがアップされた2011年6月21日(火)の翌日・22日(水))以後、私なりの「再調査」の可能性と危険性について書かせていただければと思います。

ということなので、「明日」以降、三浦の文章を読んで変な所があれば突っ込む(この文章では三浦は「救う会」の方針について何も評価していない)。
私の意見を言えば最低限、「特定失踪者」を持ち出すのは止めるべきだ。政府が拉致と認定してない人間を持ち出しても、北朝鮮がまともに対応するわけがないし、以前も突っ込んだが、救う会連中が拉致だと主張する特定失踪者には「2002年3月に失踪した人(小泉訪朝が2002年9月であることを考えればこの時期に北朝鮮が拉致を実行するとも思えないし、仮に実行しようとしたとしてもそれを日本の公安警察が阻止できない程無能とも思えない)」「山梨県警が遺体が発見されたと公式発表した人(救う会曰く山梨県警の捏造だそうだ)」もいるのだからお話にならない。

今政治家の中で確実に起こりつつある北朝鮮政府との妥協・対話論

俺が「日朝国交正常化推進議員連盟の本格的活動を強く願う(追記・訂正あり)」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110617/5432109876)で取り上げた議連のことだろう。強硬論でうまくいかないのだからいい加減、対話路線で行くべきと思うが救う会界隈の連中(三浦の「守る会」も含む)にとって大事なことは「拉致問題や核ミサイル問題の解決」ではなく、「北朝鮮バッシング」だから連中が方針を変えることなどあり得ない。連中はどうでもいいので家族会がいい加減、蓮池透氏のように考え方を変えて欲しい。


阪神大震災オウム真理教(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=386
・内容は俺が以前、叩いた「柄谷行人、震災、永田洋子」(http://miura.trycomp.net/?p=383)と全く同じ。「震災やそれによって発生した原発事故でヒステリーになるな、デマに踊らされるな」と言う三浦だが何がヒステリーで、何がデマか明確、具体的に書かないのだから、これではNATROMの日記「放射線被ばくで集患を」(http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110620#p1)が批判する原発事故関連・震災関連のデマに何の効き目もないし、むしろ正当な原発事故批判、政府の震災対応批判に対する抑制力として働く危険性すらある(実際には、三浦は原発推進勢力「旧民社党」支持者の一員として原発を擁護したいが露骨にやるとどん引きされるので、あいまいな物言いをしているだけだろうが)。
・そもそも「放射線ホルミシス効果」支持者の荒木と一緒になって「飯館村は安全」と言う男(三浦)に原発事故問題でどうこう言う資格など全くない(ちなみにウヨの愛読紙・産経(http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110622/dst11062203240004-n1.htm)もホルミシス効果支持らしい)。
・大体、震災や原発と言った難しい問題は専門家に任せろと言うなら、君らも北朝鮮問題は外交の専門家である外務省に任せたらどうか?。ウヨ仲間の荒木に「低放射線ホルミシス効果でむしろ健康に良い」「だから飯館村は安全」と言う声明の賛同を求められても賛同などせずに三浦は「自分は素人だからそういうことには責任持てない」と断るなり、「専門家に任せた方が良くないか?」と荒木に忠告するなりしたらどうか?(実際は三浦は賛同者に名を連ねた)。それに「専門家に任せろ」と言うなら何故専門家(歴史学者)を無視してド素人の癖にウヨが歴史教科書の問題に口を出すのか。言ってることがデタラメすぎる。
・こんなバカが代表の会にいて恥じない上に、格好つけで心にもない原発批判を自ブログでやるとは、id:noharraはどんなに糞なのか?
・また震災下の混乱事例としてオウムをあげることもおかしい。オウムは震災下の混乱から犯罪に走ったわけではない。震災後の混乱による犯罪なら「関東大震災での朝鮮人虐殺」が適切だろう。ウヨの三浦がそう言う事例を挙げるとは期待していないが。
・他にも軽く突っ込む。

彼らの政治観、国家観は極めて単純な東西文明対立論とユダヤ陰謀論に根ざしており、アメリカの消費資本主義こそアジアの精神文明を破壊する敵であり、その背後にあるのはユダヤフリーメーソンに代表される国際的な闇の権力機構だという、オカルト雑誌や怪しげなユダヤ陰謀論本でおなじみの陰謀史観だ。

この種の「ユダヤ陰謀史観」支持する人間には三浦のお仲間・ウヨが多いし、オウムもウヨがかっていたと思うが。まるで他人事の文章だ。そして陰謀史観云々言うならお友達・田母神の「張作霖暗殺は旧ソ連の犯行」説という陰謀史観を批判したらどうか(毒)

参考

日本人における反ユダヤ主義(ウィキペ参照)
 1918年日本はシベリア出兵を行うが、日本兵接触した白軍兵士に『シオン賢者の議定書』が配布されていたことにより、日本兵反ユダヤ主義の存在を知ることになる。シベリアから帰った久保田栄吉は1919年初めて日本にこの本を紹介した。陸軍将校・四王天延孝も同書を翻訳し、反ユダヤ協会の会長を務めた。後の大連特務機関長・安江仙弘はシベリア出兵で武勲を上げたが、日本に帰ってくると酒井勝軍にこの本を紹介し訳本を出版させたり、また安江自らも1924年荒子ペンネームで『世界革命之裏面』という本を著し、その中で初めて全文を日本に紹介した。また独自に訳本を出版した海軍の犬塚惟重とも接触し、陸海軍のみならず外務省をも巻き込んだ「ユダヤの陰謀」の研究が行われた。しかし、陰謀の発見等の具体的成果をあげられなかった。
 『シオン賢者の議定書』が日本に持ち込まれる際に、シベリアから『マッソン結社の陰謀』という小冊子が持ち込まれた。これが日本では、フリーメーソン陰謀論ユダヤ陰謀論と同時に語られるきっかけになった。『マッソン結社の陰謀』は1923年に「中学教育の資料として適当なものと認む」という推薦文とともに、全国の中学校校長会の会員に配布された。
 国際情勢に占めるユダヤ人の影響やフリーメーソンによる世界戦略を真面目に研究するために、1924年には「日本民族会」、1936年には「日本政経学会」という組織が結成された。これら組織からは『国際秘密力の研究』や『月刊猶太(ゆだや)研究』という雑誌が発行された。これらの組織の主要メンバーであった赤池濃(注:静岡県知事、警視総監等を歴任)は貴族院議員であった。赤池国際連盟で日本の立場が悪くなった1933年2月21日に、貴族院国際連盟の動きを「ユダヤ人の策動即ちフリーメーソン」による中国擁護の結果だとして、政府はどう対処したかを質問した。作家山中峯太郎は少年向け雑誌少年倶楽部に1932年から1年半『大東の鉄人』という小説を連載する。この小説では、ヒーローが戦う相手は日本滅亡を画策するユダヤ人秘密結社シオン同盟とされた。山中は安江の陸軍士官学校における2年先輩であった。また、海野十三北村小松ユダヤ人を敵の首領とする子供向け冒険小説を書いている。戦後しばらくはユダヤ問題はほとんど動きは無かったが、1986年宇野正美によって「ユダヤが解ると世界が見えてくる」(徳間書店)が出版される。この本は一大ベストセラーとなり、戦後の反ユダヤ主義の動きを決定づけることになった。この本の影響によって、オカルト雑誌「ムー」(学研)や多数出版された他の書籍において「ユダヤ人が世界を操っている」などの陰謀を説く言説が流布されていった。これらの日本の書籍は、ユダヤ陰謀論と関連づけられて語られることが多いフリーメーソンイルミナティ、薔薇十字などの、いわゆる秘密結社と共に扱われることが多い。この動きはその後、マルコポーロ事件を始めとするホロコースト否認論に繋がっていく。
 また、1981年に五島勉によって出版された『ノストラダムスの大予言3-1999年の破滅を決定する「最後の秘史」』(祥伝社)でもユダヤ陰謀説は展開されており、この本が後年ユダヤ陰謀説の流行する下地を作っていたのではないかとする意見もある。

オウムはそれまでも、自らの宗教体験や「奇跡」「修行の成果」と証するものを、しばしば科学的に意味づけようとした。私からすれば、体験や信仰は非合理なものであるからこそ尊く、その科学的証明や検証などは非信仰者に任せておけばいいと思うのだが、彼らは自らの信仰や体験には科学的根拠がなければならないとする、「科学信仰」の持ち主だった。

「信仰を科学で証明しよう」と言うのは別にオウムだけじゃない。そして少なくとも他人に迷惑をかけない限り、それはその人の勝手だ(オウムの場合は「奇跡」は捏造なので、キリスト教のイエス復活などとはまた話が違うとは思うが)。

私たちは今回の東日本震災に対し、ごく一部とはいえ、震災をそのまま事実として受け止め、災害に耐え、また冷静に対策を練るのではなく、オウム真理教ほどではないが「妄想的」言動に走り、いたずらな危機を煽る危険性はないか、あるいは自らがそのような妄想に足をすくわれはしないか、少なくとも被災地以外の人々は充分心を配る必要がある。

・妄想とは具体的に何か言わないと意味がない。既に突っ込んだが「素人は黙ってろ」「政府を無条件で信じろ」と言う意味と理解されても仕方のない悪文。
・むしろ妄想で危機を煽ってるのは「対馬が危ない」だの「中国の土地買収で水源地が危ない」だのデマ飛ばすウヨの方だろう。で、そう言うときは「専門家に任せろ」「政府を信じろ」「いたずらに危険を煽ってないか注意しろ」とは言わないのが三浦たちウヨだ。
・そして三浦もそうした妄想の一つ「ホルミシス効果説」に荷担してる癖によくも偉そうに(毒)
 そういえば三浦と「反北朝鮮極右」仲間の「救う会福岡」も地震を契機に北朝鮮が拉致を再開するかもと言う「北朝鮮」に対しても「震災被害者」に対しても失礼な酷いデマ(http://sukuukai.jugem.jp/?eid=381)飛ばしてた。いつ、三浦先生は「救う会福岡」を批判するの?。id:noharra君はこんな人が代表の会に入っていて人として恥ずかしくないか?。今日も俺の突っ込みは華麗にスルーですか、そうですか。


柄谷行人、震災、永田洋子(三浦の個人ブログ)
 http://miura.trycomp.net/?p=383
 文芸評論家・柄谷行人永田洋子について書いたエッセイ『マクベス論』(後に、柄谷『意味という病』(1989年、講談社文芸文庫)収録)の紹介を始める三浦(なお、この三浦の文章は小沢秘書逮捕・検察陰謀論を唱えるゴミウヨ雑誌「月刊日本」に掲載されたらしい)。「タイトルが『柄谷行人、震災、永田洋子』って事は後で震災の話をするということか?」「『マクベス論』の内容の是非はともかく、それが震災と何の関係がある?」と思って読み進めると

今現在必要なのは、将来の原発放射能汚染などの「終末論」に怯えることではない。あえて言えば、将来の事態がどうあれ、今の自分の生活と日常性の確実さを守ることである。*18

が三浦の結論らしい。あまりにも奇想天外な斜め上の結論に呆れる(そもそもそんなこと、柄谷は言ってないだろうし、永田洋子と何の関係もない)。要するに「反原発脱原発」とか「放射能汚染」とかを議論することは三浦にとって無意味な「終末論におびえること」(ノストラダムスの予言を信じて1999年の到来にびびるのも同然の行為)で「自分の生活と日常性の確実さを守ること」とは関係ないらしい(もちろん必要以上に怖がることやデマに流されることは原発事故に限らず何であれ良くないが、この三浦の文章はそのようには読めないだろう)。いや、反原発派・脱原発派は「自分の生活と日常性の確実さを原発事故の恐怖から守る」ために運動してると思うが。そしてそう言う運動は福島原発事故前からあったが(世界的にも日本的にも運動が活発化したのは、福島事故後だろうが)。要するに三浦は政府を信じろ、政府が原発を推進するなら従えと言いたいのだろう。しかし露骨にそう言うことがはばかられるのであいまいな言葉遣いでごまかそうとしていると。ごまかせてないと思うが(なお、菅首相脱原発の方向へ動く可能性もあるが、そのとき、三浦は何というのだろうか)。
 さすが、三浦は「放射線ホルミシス効果」支持者の荒木と友達で、旧民社党自民党と並び称される原発推進勢力)支持者なだけはある。こういうバカが「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表ってコントか。三浦にとって原発事故被害者の人権はどこ行ったんだ。この三浦の文章をどう思いますか、「守る会」会員で、ご本人の自ブログでの主張を信じれば「反原発脱原発派」らしい、id:noharra先生?。あっ、俺悪いこと聞いちゃった*19、今日ももちろん、俺の突っ込みは「華麗にスルー」ですよね(毒)

他の三浦の文章にも突っ込む。

連合赤軍の犯罪を指弾するのは当然だ。しかし、彼らに革命と言う観念を吹き込んだ魔女達は、その一切の責任を取らずともよいのだろうか。

・「彼らに革命と言う観念を吹き込んだ魔女」ってのは具体的に誰なのか、言ってみろ。
・「革命という観念」それ自体は非難されることではあるまい。「革命=政治を変えること」で「人殺しすること」じゃない。つうか、ウヨの諸君も「YP体制打倒」とかある種の革命(呼び名は維新でも何でも良いが)を唱えてるんじゃないのか?
・「正しい目的のためならテロが許される」というのはサヨ限定ではない(戦前の515事件や、戦後の浅沼稲次郎刺殺事件など)し、仲間殺し(例:ウヨ仲間の筈の血盟団員に狙撃され重傷を負った西田税とか、仲間殺しで刑務所に行った見沢知廉とか)もサヨ限定ではないが。よく自分たちウヨのことを棚に上げられる。

そして、この必然と言う観念、世界に解決と意味をもたらしたいという観念が人を捕らえるのは左派革命運動に限らない。宗教原理主義*20や終末思想も同様である。

・「必然と言う観念(自分がやることは必然的なこと(つまり不可避なこととか、絶対正しい事とか)だという観念?)」はともかく、「世界に解決と意味をもたらしたいという観念」それ自体は何ら問題ではないだろう。「解決と意味をもたらすため」の手法の是非はともかく。
・戦前の極右テロ(原敬首相刺殺事件、浜口雄幸首相狙撃事件、永田鉄山軍務局長斬殺事件、226事件など)をこの話に持ってこないのが実にウヨらしい。

私達は阪神大震災の後、明らかに地震を「世の終わり」ととらえたオウム真理教によるサリン事件が起きたことも忘れてはならない

何が言いたいのかまるで分からない。そもそも「地震を世の終わりと捉えた」からオウムはサリン事件を起こしたわけではない。


北朝鮮最新情報 :中国, 金正日に息子の同行を要請
http://hrnk.trycomp.net/information.php?eid=00084
 これが事実なら中国はジョンウン氏を後継者として認めていると言うことでしょう(中国の了承無しにそもそも後継指名はしないだろうが)。読んではいませんが、タイトルからして五味洋治『中国が準備する「金正男擁立シナリオ」』(守る会理論誌「光射せ!」第7号)と明らかに矛盾するように思うがその辺り、「守る会」的にはどうなっているのか?  


■守る会理論誌「光射せ!」第7号発行
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00606

本当は読んで批判すべきだが、その辺の本屋や図書館にはないし、かといって買う気もないし、タイトルだけで批判。

目次
中国が準備する「金正男擁立シナリオ」  五味洋治*21

 妄想乙。金正恩氏後継に際して中国の了解は取っただろうし、既に正恩氏後継が既定路線化してるのに何を口実に「金正男」を担ぎ出すのか?。そしてそんな無理をして正男を担ぎ出すことに意味があるのか?
 百歩譲ってそう言う説があるとしてもそれは争いのない通説じゃないだろうし、拉致問題の解決にも関係ない(正男氏なら日本に取って状況が好転するとは限らないから)と思うが?

日本の原子力発電と第五福竜丸事件  安井波太

北朝鮮と「日本の原子力発電と第五福竜丸事件」*22に何の関係があるのやら。関係がなくても「原子力発電はもういい加減撤退すべき」とか「第五福竜丸事件のような悲劇をもたらす核実験には反対だ」とかならいいのだが、この種の団体に集まるウヨは原発万歳、米軍の核実験容認*23が多いからな。予想を超えるトンデモの予感。


渡辺京二コレクション(ちくま文庫*24発売(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=375
 「絶望した!。ゴミ本*25をコレクションと言って出版する、金儲け主義、銭ゲバ*26筑摩書房絶望した!」(久米田の真似)
 「筑摩書房は再建しないで倒産していればよかった!」(こういうことを言うと筑摩社員は怒るだろうがそれくらい酷い本の出版だと俺が認識していると言うこと)。
 ああ、でも俺、五十嵐仁「労働再規制」(ちくま新書)とか筑摩の本いくつか持ってたな(自爆)。まあ、産経でも時々いい本は出しますから。持ってる数的には筑摩より他の本屋の方がたぶん多いし(不破氏の本を出してる新日本出版社とか、安心の日本史ブランド吉川弘文館or校倉書房*27とか、安心のミステリーブランド東京創元社とか)。筑摩はぶっちゃけ、ろくな本屋じゃないと思う。

【追記】
ウィキペ「渡辺京二」によるとこの企画を筑摩に持ち込んだのは今はフリーの編集者で、大和書房や洋泉社と言う筑摩より劣る出版社(と俺は認識している)にいて渡辺本を編集したことがある某氏らしい。だったらあんたのいた大和書房や洋泉社に企画を持ち込めよ。筑摩の歴史をゴミ本で汚すな。

私は西郷論は葦津珍彦氏の「永遠の維新者」とこの渡辺京二に止めを刺すと思っています。

西郷でググったら見つかった、以下の歴史学者の方々が書いた本を読んだ方が多分有益だと思う。

・猪飼隆明(大阪大学名誉教授)『西郷隆盛西南戦争への道』*28(岩波新書)、『西南戦争』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)
・家近良樹(大阪経済大学教授)『西郷隆盛と幕末維新の政局』(ミネルヴァ書房
・小川原正道(慶應義塾大学准教授)『西南戦争西郷隆盛と日本最後の内戦』(中公新書)、
・落合弘樹(明治大学教授)『西郷隆盛と士族』(吉川弘文館

本書に収録された司馬遼太郎批判

どんな批判か気になるが俺が以前紹介(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091122/1256425374)した中村政則「『坂の上の雲』と司馬史観」(2009年11月刊行、岩波書店)のような批判でないことだけは確かだろう。

光栄なことにこの本には私が解説を書かせていただきました。

極右で、歴史の専門家でもない三浦に解説を書かせるとは筑摩も渡辺もドンだけバカかと。

私の書いた文章など、まず後世には残らない。しかし、渡辺京二の文章は永遠に読み継がれる。そんな人の本に解説が書けたということ、これ以上の光栄はありません。

渡辺の書いた文章だって残らないだろ。ゴミだから。そのうち絶版になるだろ。

 西郷は明治維新の指導者のうち、ただ一人、近代国家の建設ではなく、政治権力と最も遠いところで生を受け、人知れず死んでいく民の位相を自らの思想の原点としていた。

「近代国家の建設ではなく」
 明治新政府のメンバー(参議・陸軍大将)として廃藩置県、地租改正、学制、徴兵令、国立銀行条例公布といった近代化政策にコミットした人間・西郷が「近代国家の建設」に関係がない?。意味不明すぎる。

「人知れず死んでいく民の位相を自らの思想の原点としていた」*29
 征韓論朝鮮侵略戦争)を唱える人間が庶民の立場ですか。戦争すれば朝鮮人も日本人も死ぬし、戦費調達には庶民増税が不可避と思いますが。
 赤報隊(もちろん朝日襲撃犯行声明を出したのとは別の奴)を偽官軍として処刑した人間が庶民の立場ですか。
 大政奉還で武力倒幕理由がなくなったので、幕府を挑発して戦争を起こすために薩摩藩士・益満休之助たちを江戸で暴れさせた人が庶民の立場ですか(その結果、庄内藩佐幕派)による江戸薩摩藩邸焼き討ち事件が起こり西郷の謀略は成功した。幕府挑発と同じ事を朝鮮で実行しようとしたのが征韓論だろう)。
 西南戦争で「西郷札」(松本清張氏の小説で有名)と言う紙くずを暴力をバックに押しつけた人が庶民の立場ですか。
 西南戦争の「警視庁抜刀隊」についてはどう考えているのやら。会津人が白虎隊の悲劇などで西郷を恨んでることを考えたらとても彼を「庶民の立場」だの「反近代」だの言えないと思うが。

「抜刀隊」(ウィキペ参照)
 1877年(明治10年)に起きた西南戦争田原坂の戦いにおいて、明治新政府側で警視庁の警察官の中から選抜して臨時に編成された白兵戦部隊。
 田原坂の戦いにおいて、西郷軍による抜刀攻撃により、政府軍では死傷者が続出した。数に勝る政府軍において将兵の大多数を占める中核的存在たる「兵」は、主に徴兵令によって徴兵された農民・町人出身者で構成されており、士族の西郷軍との白兵戦には対応できなかったためである。
 当時の警察官は士族が多く特に剣術に秀でた者が多かったため、警視隊幹部の川畑種長、園田安賢、永谷常修らが、陸軍指揮官山縣有朋に対し、田原坂への警察部隊の投入を進言。山縣はこれを了承し、「抜刀隊」が編成された。
 なお、小説やドラマ等では、賊軍の汚名払拭に燃える旧会津藩士や、元新選組隊士の斎藤一ら、旧幕府出身者を抜刀隊員として描くことが多いが、それらの全員が選抜されたわけではない。実際には薩摩藩郷士出身者が主力を形成していた。
 もっとも、山川浩(元会津藩家老)や立見尚文(元桑名藩士)など旧幕府出身の将校や兵士たちの中には、西南戦争を「戊辰戦争の復讐」と考えていた者がいたことは事実である。山川は出陣に際し、「薩摩人 みよや東の丈夫が 提げ佩く太刀の利きか鈍きか」と詠んでいる。また、当時陸軍生徒であった会津藩出身の柴五郎(のちの陸軍大将)は、西南戦争での西郷隆盛の戦死と、その翌年の大久保利通の暗殺を合わせ、「この両雄維新の際に相謀りて武装蜂起を主張し、天下の耳目を惹かざれば大事成らずとして会津を血祭りにあげたる元兇なれば、結局自らの専横、暴走の結果なりとして一片の同情も湧かず、両雄非業の最後を遂げたるを当然の帰結なりと断じて喜べり」と書き残している

 西郷のこうした行為(征韓論赤報隊切り捨てなど)をどう評価しようとその人の勝手だが「西郷は反近代」だの「庶民の立場」だの、明らかに事実に反するデマ文章を書いて人として恥ずかしくないか。
 歴史的事実を無視して西郷を万歳したいのなら歴史小説でも書け。小説なら嘘を書こうと問題はない。歴史学者に相手にされてない癖に思想史家名乗るな。
 そんな人間(渡辺京二)が「現代最高の思想史家」のわけがないし、こんな奴を評価する三浦も「朝鮮学校教科書の歴史記述を批判する奴が歴史修正主義垂れ流すな」と言わざるを得ない。歴史学者も渡辺みたいなバカは言論戦で潰すべきだ(山本七平みたいに詭弁上手で叩きにくいのかも知れないが。死ねば七平と同じで急速に忘れ去られるだろう)。「賞(和辻哲郎文化賞大仏次郎賞←選考委員に日本史家が一人もいない点が重要なポイントです(毒))を受賞したから」とか「大学教員(熊本大学客員教授*30)だから」とかで批判しないでびびっては困る。つうか、こんな奴の本出したり、賞与えたり、大学教員にしたりするな(毒)
 大した影響力など渡辺にないだろうが、デマの黙認は問題がありすぎる。
 西郷の人生は「明治維新を実現した偉大な人間」といえても「反近代」*31とか「庶民の立場」と言える代物ではないと思う。
 むしろ(財政難や諸外国の内政干渉で)日本が滅びかねない無謀な朝鮮侵略征韓論)から日本を救った大久保こそ、「庶民の立場」だろう。

赤報隊」(ウィキペ参照)
 薩摩藩西郷隆盛や公家の岩倉具視の支援を得て、1868年(慶応4年)に結成される。隊長・相楽総三は、薩摩藩邸の浪士隊の総裁として、江戸市内において旧幕府軍に対する挑発的行為を行い*32、これが庄内藩による薩摩藩邸焼き討ち事件を招き、戊辰戦争の最初の戦いである鳥羽・伏見の戦いのきっかけにもなった。
 赤報隊は新政府の許可を得て、各地で「年貢半減」を宣伝しながら、世直し一揆などで旧幕府に対して反発する民衆の支持を得た。しかし、新政府は「官軍之御印」を出さず、文書で証拠を残さないようにした。そして、新政府は財政的に年貢半減の実現は困難であるとして密かに取消し、年貢半減は相楽らが勝手に触れ回ったことであるとして、偽官軍の烙印を押した。
 新政府軍は信濃各藩に赤報隊逮捕の命令を下し、2月17日には追分宿小諸藩などに襲撃され惨敗。3月3日、下諏訪宿の外れで相楽らは処刑された。しかし、赤報隊に加わっていた公家は処刑から外された。赤報隊は、新政府によって使い捨てにされたといえる。

ということで赤報隊にはもろに薩摩藩が関わっており彼らの「不当な処刑」に西郷も関与したことは間違いないだろう(この辺り歴史学者だと、もっと詳しいだろうが)。

この姿勢は、渡辺氏によれば西郷の遠島体験に深く根ざしている。西郷の二度目の遠島は寺田屋の変*33が原因だった。革命のために死地に赴こうとする尊攘過激派を平然と切り捨てた島津久光薩摩藩権力に対する不信感は、純粋な革命派は時の権力、もしくは革命政権後の権力によって必ず抹殺されるだろうという政治的確信を西郷に与えた。

・切り捨ても何も、久光は開国派で、かつこの時点では公武合体派でもあり、尊攘過激派じゃない。頼んでもないのに久光の意思だと勘違いし、勝手に暴走する部下を上司・久光が処分しただけの事件が切り捨てか?。そしてこの時、西郷の盟友・大久保は久光の腹心だったが(西郷も流刑にはなったが、尊攘過激派を支持したわけではなく、むしろ暴挙は止めろと説得しようとして「過激派を煽ってる」と久光に誤解された事による流刑だが。なおウィキペ「西郷隆盛」に寄れば久光がそう誤解したのは薩摩藩海江田信義堀次郎からそのように報告を受けたかららしい)。
 また寺田屋事件で上意討ちされた人間は不幸だが、生き残った人間(後の元老・大山巌西郷従道など)の立身出世にも触れないと不公平だ。寺田屋事件が起こらなければ生き残った人間は、テロ事件(彼らは京都所司代襲撃を計画していた)の咎で処刑、あるいは犯行現場で死亡していた可能性があると思う。
・「純粋な革命派は時の権力、もしくは革命政権後の権力によって必ず抹殺される」って、自分たちの手駒として使っていた赤報隊(純粋な革命派か知らないが)に偽官軍という濡れ衣着せて抹殺したのが西郷だろ(西郷だけじゃないが)。渡辺と三浦はアホか。俺の「中高生日本史レベルの知識」プラス「ウィキペディアの記述」だけでも疑問を感じずにいられない怪しい歴史認識(つうかデマだろうが)垂れ流すな。

死者の無念と共闘することを望み「馬鹿らしき忠義立ては取り止め申し候」と、政治権力の論理を拒否した

「ばからしい忠義立て」をどう解釈すべきかは西郷がどんな文脈で言ったかによる。「ばからしい忠義立てしない=政治権力の論理拒否」ではないだろう(西郷は島津斉彬によって藩重役に引き上げられたのであり、久光が引き上げた訳じゃないから、久光に好感情がなくて「ばからしい忠義立て」なんかしないと思っても不思議ではない)。

彼の本当の戦う相手は幕府ではなく、明治政府が導入する近代国家だったのである。

西郷は幕府を打倒*34し、また明治新政府の一員として近代化政策を推進したのに何故こういう理解になるのか。下野し、最後には反乱*35を起こしたのだから大久保の政策に批判があったかも知れないが、それは「反近代」ではなく「西郷流近代化」だろう。そして西郷について考える場合は「西郷同様、征韓論で下野し、乱を起こした江藤新平と西郷はどこが同じで、どこが違うのか」とか「西郷の征韓論と、大久保の起こした江華島事件はどこが同じでどこが違うのか」とか言った多面的な見方が大事だろうが、多分三浦や渡辺はそんな事はやってないだろう。

西郷の理想は明治革命戦争*36を戦い覚醒した革命兵士*37と、江戸時代の共同体を維持している農村*38とのコミューンだった。

 その根拠は何だ?。レーニンが長生きしたら「ネップによる市場に基づいた社会主義が進展したかも」の方がまだ説得力があると思う(少なくともスターリンほど酷い粛清だけはなかっただろう)。
 西郷が下野せず、征韓論朝鮮侵略戦争)を実行に移したらこういう寝言は出なかったと思う(大久保や木戸や岩倉が征韓論にストップかけなかったら、大久保らが危惧したようにやばいことになっていたかも知れない)。
 その時は「朝鮮支配の先駆者」という別の「かっこいい名札」が西郷に着けられたかも知れないが。

 西郷が鹿児島で行った様々な藩政改革、また征韓論争での彼のスタンスは、いずれも、明治国家の路線とは異なる、もう一つの近代、もう一つの日本を作り出そうという試みであった。

 征韓論の件は「他の征韓論派参議がどのような政治構想を持っていたか、それを西郷はどう評価したか」抜きでは議論できないだろう。
 藩政改革については、大久保が薩摩にいた頃は大久保抜きで議論できないだろうし、「大久保が中央に行ってから廃藩置県がなされるまでの間」に西郷がした藩政改革について猪飼『西郷隆盛』(岩波新書)は「薩摩藩関係者の意見の最大公約数的な改革」で「特定の政治構想が西郷にあるとは思えない対処療法的なもの」としているので、三浦や渡辺の理解には「眉につばをつけておく」。

ちょっとでも関心を持ってくださった方はぜひお求めください、読むべき一冊です。

歴史学者や歴史オタが渡辺や三浦、筑摩のバカさを叩くのにはいい本かも知れない。
最後にAmazonレビューで渡辺本を酷評してるレビューを引用する。猫猫先生小谷野敦)の意見は過去の無茶苦茶な行状を考えるとどこまで信用して良いか悩むが。

「逝きし世の面影」 (葦書房・日本近代素描 (1))
江戸幻想30%
By 小谷野敦*39
 名著「北一輝」(朝日選書、後にちくま学芸文庫)の著者渡辺京二だが、まことに失礼ながら、歳のせいか、事柄の奥底まで見抜く目を失ったようだ。確かに労作である。また「私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない」とあり、サイードオリエンタリズム*40に批判を加え、幕末明治初期に日本を訪れた西洋人の記録を博捜しつつ、彼らの日本を美化する言説だけでなく、否定的なものも数多く引用している。だが、最終的には、30%くらいの「江戸幻想本」になってしまっているのは否めない。
 なぜ日本の庶民は明るい笑顔を見せるのか。「自足」しているからである。身分の差があっても、それを所与として受け止めているからである。これを呉智英のいう「差別もある明るい社会」だと言うなら、それも良かろう。
 英国産業革命などというものは存在しなかったといった面では最新の学問の成果を参照する著者は、むしろ日本についての学問に疎い。「夜這いの慣行をもつ農村部で、娘たちが結婚まで性的な自由を享受していた事実はよく知られている」と無邪気に書くが、俗説である。通常の知力を働かせれば、避妊技術のない世界で、そのようなことが可能であるはずがない。
 売春施設経営者が「立派な市民であると考えられている」といった類の記述は、視覚的観察ではないから、西洋人の勘違いである。いわんや、「売春もまた明るかったのである。性は生命のよみがえりと豊穣の儀式であった。まさしく売春はこの国では宗教と深い関係を持っていた」とは、渡辺京二とはこの程度の著者であったかと思わないわけにはいかない。
 眉に唾して読むべき本である。

「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)
現代最大の悪書 , 2009/12/13
By 小谷野敦 (東京都杉並区)
 名著扱いされていなければ、よくある「お江戸礼賛」本の一つだろうが、名著扱いのために現代最大の悪書となっている本である。
 外国人、主として西洋人が、幕末・明治初期の日本を観察して描いた記録だけを読み、日本側の記録は一顧だにしないという偏った方法で、外国人が日本を褒めれば涙を流さんばかりに喜び、貶せば西洋人流の偏見だと怒る。だが朝鮮通信使もまた同様に日本を野蛮国として記述していたことは知らない(『申維録』)。また、日本人は裸体を気にしないという俗説は、同時代の川柳(渡辺信一郎『江戸の女たちの湯浴み』 (新潮選書) など)によって覆される。あるいは著者は無邪気にも、売春は明るかったのだなどと言うが、キャバレーのホステスであろうと、客を前にすれば明るく振る舞う。背後にどんな闇があろうとも。
 近世および明治という、過去礼賛に耽溺し、現実を直視できなかった著作であり、その一方で、この著を正しく批判できない多くの左翼知識人にも大いなる責任がある。

 最後の左翼云々は明らかに余計。左翼でも歴史に詳しくなければこの種の本はおいそれと批判できないし、左翼でなくても歴史家なら(猫猫先生が批判するようなトンデモなら)批判すべきだ。そもそも左翼が批判してないというのは先生の勝手な決めつけだが。
ちなみに参考までに『江戸の女たちの湯浴み』のAmazonレビュー。

『江戸の女たちの湯浴み』
「日本特殊論」にはまらないために, 2004/5/8
By小谷野敦
 巷には、妖しげな「お江戸本」が溢れているが、先般亡くなった渡辺氏や、花咲一男氏のような著者は、当時の資料を用いて最も信頼するに足る近世風俗史や心性史を提供してくれる。
近世日本の庶民は、混浴の銭湯に平気で入り、裸体を恥じなかったと、日本を訪れた西洋人らの記述から生まれた俗論が跋扈しているが、本書では、川柳を資料として、男たちが混浴でそれなりに興奮していたこと、娘たちがそれなりに恥じていたことを明らかにする。そして読物としても優れている。日本人は性に対して無感覚だった、の類の俗説を、穏やかに退ける好著である。

「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)
仰々しい帯ですが中味は外国人の目でみたDiscover Japan, 2009/8/2
By gehararigo
美しい国ならここにある。絶賛の声高きロングセラー」との帯と、各方面の高い評価にひかれて購入しました。内容は幕末から明治初期に来日した欧米人の目でみた当時の日本。気恥ずかしくなるほど理想化された情景描写が二次情報として延々と続きます。確かに、郷愁を覚える内容ですが、”So WHAT ?" (だからどうだと言うの?)といった念をぬぐいきれません。

「江戸という幻景」(弦書房
庶民の生活の話かと思ってました。, 2010/10/14
By NAVI
 江戸という時代に生きた人々の話がしたい。こう商品の説明がありましたので、学校などで教わった江戸時代の百姓や町人は どれほど自分の中のイメージと異なった実像であったのか。目からうろこが落ちるのを期待して読んでみました。
 しかし、内容は著者が資料の中から選んだ人物について、その人の生き様のようなものを紹介するという手法でした。
 それは確かに江戸時代の一般庶民の身分の人の話ではあるんだろうけども、生き方が文書の中に書かれていること自体、その人が一般とは変わった人であるわけであって、そんな人の話を紹介されても、「それで?」で終わってしまいました。「当時の町人は〜」という切り出しで生活を描いてあれば、「その時代に生きた人々」の話を聞いた気持ちになれますが、「○○という人は〜」と言われても、あくまでその人がそうなだけであって、それって江戸時代という時代を描いていることにはならないんではないかと思ってしまいました。残念。

「黒船前夜:ロシア・アイヌ・日本の三国志」(洋泉社
大佛次郎賞に値するのか?, 2011/3/15
By takenakanao
 独自のものは特に無し。すでにある研究や説をミックスしただけに思える。
 ファンタジーと思えば、それも良し。

ちなみに「takenakanao」とほとんど同じコメントを猫猫先生もレビューしている。

「日本近世の起源―戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ」 (洋泉社MC新書)
史学史に対して無知すぎる, 2008/7/15
By tukinoha
 冒頭、網野善彦を以て戦後歴史学を代表させようという時点で「この人はわかってないな」と感じました。マルクス主義史観についても全然わかっていません。網野善彦がそうだというのなら、ガチのマルクス主義歴史学者で、網野と論争を繰り返した安良城盛昭や永原慶二が異端になってしまうのですが…。著者は社会学が専門のようなので、まあ、この程度でしょうか。
 本文については、普通。少なくとも、本気で勉強しようという人に薦められるレベルには達していません。

「日本近世の起源―戦国乱世から徳川の平和(パックス・トクガワーナ)へ」 (洋泉社MC新書)
網野善彦は戦後歴史学では主流ではない, 2010/9/8
By haijin
 すでに指摘があるように、戦後歴史学の代表を網野善彦とするのは研究史を正確に把握していない証左である。確かに網野は最期を迎えるまで「マルキスト」を自称していた。しかし、戦後歴史学の中での彼の立場は主流ではない。網野批判の急先鋒である安良城盛昭の網野『無縁・公界・楽』(平凡社)への批判があったから、増補版が出た事情を理解していない。私は安良城による網野批判をまず口頭報告で聞いた。参加者の中から擁護する意見も多く出されたが、理論家である安良城はすべて一蹴した。のち「網野善彦氏の近業に関する批判的検討」として学術雑誌に掲載され、その後単著(注:安良城の遺著となった『天皇天皇制・百姓・沖縄』(1989年、吉川弘文館、2007年に復刻)のこと)にまとめられた。なお批判点の多くは(注:無縁所、公界についての中世の)史料解釈の問題に集中しており、マルクス主義歴史学とはほとんど無関係であった。戦後歴史学の代表は安良城や永原慶二、そして何と言っても石母田正であろう。網野の自由論に批判的な研究者は(注:マルクス主義歴史学者であれ非マルクス主義歴史学者であれ)決して少なくない。しかし、それは彼が戦後歴史学の異端児であったことと無縁ではない。もっといえば網野の功績は非農業民論*41・東西日本社会異質論*42・非単一民族国家論・天皇制論など多岐にわたっていて、それまでの戦後歴史学が見落としてきた点を拾い上げたところにある。『無縁・公界・楽』は確かに彼の代表作であり、出世作でもあるのだが、一作品に過ぎないこともまた事実である。こういった弁証法的表現を著者はマルクス主義的といって切り捨てるかもしれない。だが、著作集(注:岩波書店から出ている)を全文読んで頂きたいと思う。死人に口無しで網野本人が反論することはもう不可能だから。

安良城の遺著『天皇天皇制・百姓・沖縄』に寄れば植田信廣「中世前期の「無縁」をめぐって」(『国家学会雑誌』96巻3・4号)も網野の無縁理解に厳しい批判を加えたという。
Amazonレビューの他にも渡辺の主張に疑義を表明するものを紹介。

http://www.nurs.or.jp/~miyazaki/oodou.htm
子どもの虐待−虐待増加論への疑問と「子ども」の誕生−
九州保健福祉大学保健科学部・大堂庄三
出典:宮崎県小児科医会会報(平成13年12月)より一部引用
 わが国でも,古事記日本書紀など,神話の時代から子どもの遺棄はごく普通に行われていた。伊邪那岐命伊邪那美命の第1子は3歳まで歩かなかったので,葦船に乗せて流したとある。第2子も「人の類」に入らないものであったとあるから,おそらく奇形児であり,流されたものと推測される。
 平安時代は,優雅できらびやかな時代と思われがちであるが,疫病,災害,飢餓,貧困,ないも同然の治安など悲惨な時代であった。たとえば,養和元年(1181)の様子は,鴨長明の『方丈記』によると,疫病と飢餓のために都である京の町なかに乞食があふれ,捨てられた死体が道をうずめるという状況であった。当時,7歳以下の子どもが死ぬと,葬式はもちろん火葬などもせず,川原や墓地などに捨てるのが貴族も含めた習慣だったといわれる(服藤早苗「平安朝の母と子」1992年、中公新書)。
 戦国時代は文字通り弱肉強食の時代であった。天下を統一した秀吉は,1581年に大軍を率いて九州を平定したが,その際にポルトガル人が多数の日本人を奴隷として買い取り,国外に連れていくことについて,イエズス会の宣教師を詰問している。この詰問に対して宣教師は日本人が売りたがっているからだとつっぱねている(『イエズス会日本年報』下)。わが国の貿易上の主力商品は,そのごく初期から少年,少女の奴隷であった(藤木久志「雑兵たちの戦場」1995年、朝日選書)。江戸時代直前に来日したValignano(『日本巡察記』(邦訳:平凡社東洋文庫))は,当時の日本について,東洋で最も不毛で,貧困であると述べている。やはり同時代に来日したFrois(『日本史』(邦訳:中公文庫)『ヨーロッパ文化と日本文化』(邦訳:岩波文庫))は,「日本の女性は育てていくことができないと思われる子どもは,みな喉の上に足を乗せて窒息させてしまう」と記載している。
 江戸時代にも乳児殺し(間引き)は,日常的にみられた。九州では五子あれば二児を殺し,土佐では一家に一男二女を限度とする風習があったと伝えられる(立川昭二『病と人間の文化史』1984年、新潮選書)。江戸時代の末期に近い頃でも,「七歳未満之小児死スレハ鳥同然ニテ・・・」(楠瀬大枝の日記「燧袋」)葬式もせず,寺へも届けなかった(太田素子『江戸の親子』1994年、中公新書)。つまり,子どもはいつ死ぬかもわからない不確実な存在であり,時間やお金はかけられない存在であったのである。江戸時代の学者,佐藤信淵の著書『草木六部耕種法』や『経済要録』によると,上総国*43には約十万の農家があったが,そこで殺される子どもの数は年々3,4万人にのぼった。また,陸奥,出羽の国々*44では間引きする数が年々7,8万をくだらなかった。江戸末期の儒学者安井息軒(宮崎県清武出身)は『睡餘漫筆』のなかで,「衣食の為に子を殺す,其皮を衣て其肉を食うなり。其貧暴猫と同じ。其弊俗辺鄙より起りしと見へて,<子を間引馬に背をばはかせいで,濁り酒のむ日向路のく>と云古歌あり。今は其俗追々に弘まりて,子をまびかざる国少し・・」と述べている(安井息軒『睡餘漫筆』)。間引きは人口調節の手段がなかった当時では必要悪であった(光田京子『近代母性観の受容と変形』(脇田晴子編『母性を問う・歴史的変遷』(人文書院,1985年)収録))のである。当時は間引きのことを別に「子返し」ともいい,殺すのではない,ただ神様に返すのであって,子どもにしないだけだと考えた(今野信雄『江戸子育て事情』1988年、築地書館)。このような状況は,西洋でも同じであり,「子どもは,両親の寝ている寝台のなかでごく当然に生じうる事故として窒息して死んだのである」(Aries『<子供>の誕生』邦訳:1981年、みすず書房)。わが国で初めて人口調査が行われた亨保11年(1726)から江戸時代の人口がほとんど増加せず,ほぼ2700万人に安定していたのは,疫病による死亡だけが原因ではない。
 江戸時代には捨て子も多く,幕府から繰り返し捨て子禁止令が出ている。これは子どもの人権を守るという発想から出たものではなく,農家の労働力不足を防止するなどが目的であった。当時,国民の八割が農民であったが,農民が江戸に乞食として出ていくことが多く,「宿なし」「薦かぶり」の群れが吹きだまりのようにあふれていたといわれる。同時代には,嬰児殺しのほかにも,疫病や繰り返される大火,極度の貧困,流言蜚語,突然やってくる台風や治水の不備による洪水などの自然災害に加え,人殺し,辻斬りも多かった。疫病での死者も多かった。(立川昭二『江戸病草紙』1998年、ちくま学芸文庫)。
 一方,渡辺京二(『逝きし世の面影』1999年、葦書房)は江戸時代に関する多数の著作,文献を検索し,「18世紀初頭から19世紀にかけてわれわれの祖先の生活は,たしかに文明の名に値した。それを教えてくれるのは実は異邦人観察者の著述」であり,「滅んだ古い日本文明の在りし日の姿を偲ぶのは,私たちは異邦人の記述によらなければならない」と述べている。そのうえで,「今日の日本の論客は,彼らの日本賛美をオリエンタリズム的幻影として,否定する一方,彼らの日本批判について鬼の首をとったように引用し,まったく無批判に受容しているのだ」と述べている。また,渡辺は江戸または日本の乞食の存否について,Black*45の『ヤング・ジャパン』(邦訳:平凡社東洋文庫)を引用し,「思うに,他の国々を訪問したあとで,日本に到着する旅行者たちが一番気持ちのよい特徴の一つと思うに違いないことは,乞食がいないことだとこともなげに(Blackが)断言していることだけ紹介しておこう」としている。Blackが『ヤング・ジャパン』を記載したときにはすでに15年以上日本に在住していたのであり,「幕吏にあざむかれたというのは噴飯物である」とも述べている。
 同様に,当時の子どもの状況について渡辺は以下のように引用している。Alcock*46(『大君の都』(邦訳:岩波文庫))が「日本は,子どもの楽園」と最初に表現したこと,Morse*47(『日本その日その日』(邦訳:平凡社東洋文庫))が「私は日本が子どもの天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど,子どもが親切に取り扱われ,そして子どものために深い注意が払われる国はない」や,明治になってからのBird(『日本奥地紀行』(邦訳:平凡社ライブラリー))の「私はこれほど自分の子どもに喜びをおよぼす人々を見たことがない」と記載したことなどを引用して,わが国の知識人が「この種の欧米人の見聞記を美化された幻影として斥けたいという,強い衝動に動かされてきた歴史」を非難している。
 「書かれた歴史は書く人の数だけあり,彼が見直した回数と同じだけある」(山崎正和『歴史の真実と政治の正義』2000年、中公文庫)のであり,渡辺の記載も歴史の一つのとらえ方である。
しかし,行き倒れ,置き去りの孤児,貧民や無宿人の取り締まり令などが幕府から出ていたのは事実である。要人襲撃,押し込み・殺人,幕府浪士組による豪商からの略奪行為,窮民の蜂起などの社会不安があったことも歴史書に書かれている。江戸末期から明治時代初期の主なものをひろってみても,徘徊盗賊の撲殺令(1851),人別改めの強化,外国人旅宿や外国人通行の際の厳重警戒に関する取り締まり令(1860),浮浪者の厳重取締令(1864),外国人への投石厳禁令(1867),政府による非人・乞食の追放(1869),東京在留外国人の遊歩規定の布告(1870)などがある。明治5年(1872)7月,東京ではロシア皇太子の来日を機会に,浮浪者約240人を収容している。
 渡辺が引用したBirdも,津川,市野野,神宮寺などを旅した時にみた印象を「日本はおとぎの国ではない。男たちは何も着ていないといっていいだろう。女たちは短いスカートを腰のまわりにしっかり結びつけているか,あるいは青い木綿のズボンをはいている」だけであり,「子どもたちはとても汚く,ひどい皮膚病にかかっている」などと記載している。これらの状況は,Satow*48の『日本旅行日誌』(邦訳:平凡社東洋文庫)にも詳細に記載されている。以上に述べてきた記載を総合的に判断して,筆者はGriffisが『明治日本体験記』(邦訳:平凡社東洋文庫)に記載した「日本はその国について書かれた本の読者が想像していたような東洋の楽園ではなかった。その時はまだ日本についてほんの少ししか知らなかった。しかし後に日本を見て,その光景が悪夢のように私を苦しめた」という文章が,当時のわが国の実情について記載した欧米人の紀行文の総括になるものと考えている。
 当時のわが国の男女混浴や,入浴中の男女が通りがかりの外国人を見ようと裸で飛び出してきたり,夏とはいえ屋外で女性が上半身裸でいる状態や,行水を恥かしがることもなく行う風習などが外国人には見られない光景として記録されている。これらの行為を含めて,ヒュースケン(『日本日記』(邦訳:岩波文庫))が「この国の人々の質朴な風習とともに,その飾りけのなさを私は賛美する」とした記載は,Gauguinが未開地タヒチで,半裸で性的に開放的な娘達に抱いた楽園幻想と近い視点であり,筆者には素直には受け入れられない。
 江戸時代の日本を賛美した欧米からの旅行者や外交官,通訳などによる初期の記載や渡辺京二の大著も,筆者には偏った見方であるように思える。「近世日本に関する妄想じみた思い込み」に対して,小谷野敦は最近『江戸幻想批判』(1999年、新曜社)を著したが、そのことばを借りて表現すれば,江戸に乞食はいなかったとか,江戸時代の子どもは大切にされてたなどという記載は,一種の「江戸幻想」といえるのではないかと考える。
 江戸時代に日本人によって書かれた日記や旅行記,たとえば野田成亮(宮崎県佐土原の僧,石川英輔編『大江戸泉光院旅日記』(1997年、講談社文庫)),松崎慊堂(『慊堂日暦』(平凡社東洋文庫)),川路聖謨(『島根のすさみ』、『長崎日記・下田日記』(いずれも平凡社東洋文庫))などは子どもについてほとんど記載していない。外国でも,中世芸術では子どもは認められず,子どもを描くことが試みられることもなかった(Aries,P,前掲)。子どもに関心が注がれることがほとんどなかったのである。

*1:宮沢内閣で官房長官、村山、小渕、森内閣で外相

*2:そもそも事実無根の談話が宮沢内閣以降、現・菅内閣まで継承され続けたというのもスゴイ理解だ

*3:邦訳はみすず書房

*4:この戯曲がどんなものかもう少し説明しても良かろうに

*5:ハーグ密使事件がテーマ

*6:怪獣映画

*7:金賢姫の偽名・蜂谷真由美のこと

*8:要するに誰だよ?

*9:その大統領って誰?

*10:ある米国人って誰?

*11:金日成閣下のご遺体がある。ここは北朝鮮ウオッチャーの定番観光コースらしいので軍事攻撃したら外国人観光客に死人が出かねないがそれでも構わないと思ってるんだろうな。まあ、北朝鮮人民なら殺して良いというものでもないが

*12:ウィキペに寄れば朴は死ななかったものの朴の夫人が流れ弾で死亡した

*13:ウィキペに寄れば全は死ななかったものの、全に同行していた副首相、外相、大統領秘書室長などが死亡した

*14:親が有名タレントでも売れてない人間はいくらでもいるから、良純も努力し、それなりに実力があるのだと思う

*15:それなりに勉強しないとなれないよね、気象予報士

*16:もちろん「北」とは北朝鮮のこと。俺は「変な略し方じゃないですか」と言うご指摘に同意し、他人の文章の引用以外では使わないようにしている。

*17:北朝鮮は好きじゃないが政策的判断から融和路線の方が妥当という考えがあるので厳密には「融和的」イコール「親北朝鮮」ではないと思う。

*18:そもそも原発の問題点は事故だけではなく「原発労働者の被爆」や「廃炉問題」、「放射性廃棄物問題」もあるのだが無視するのが三浦のようなウヨ。

*19:我ながらわざとらしい(苦笑)

*20:これには、田中智学(「八紘一宇」概念の発明者と言われる人物)とか大本とか天津教とか戦前のウヨ宗教は入るんでしょうか?。連中の危なさはヤバイ系のキリスト教原理主義イスラム原理主義と引けを取らないほどの危なさだと思うが。なお、原理主義それ自体は「原理のためなら何でも許される」と言う極端な立場でない限り問題ないと思う

*21:東京新聞記者。著書に「どうしてアナタは韓国に来たんですか?―ソウル特派員の熱血1000日記」(エクスナリッジ)、「中国は北朝鮮を止められるか」(晩聲社)。しかし、朝鮮学校無償化除外論を批判するあのリベラルな東京新聞にもレイシストシンパはいるのか。

*22:そもそも原発と核実験にも直接の関係はないと思うが。原発批判派に核実験批判派が多い(そして原発容認派に核実験容認派が多い)と言う事実があったとしても、直接には関係はないだろう

*23:その癖中国やロシア、北朝鮮が核実験やると批判するのがこの種のウヨのご都合主義な所だ

*24:正確にはちくま学芸文庫

*25:俺は渡辺本を読んでないので本来批判はすべきではないが三浦の紹介が大筋で正しいならば(三浦は渡辺本の解説を書くことが許された人間だから正しくないとおかしいが)ただのトンデモ本でしかあるまい。正直、こんなトンデモ本は新刊で購入する気にならない。金の無駄だ。立ち読みか、古本屋(ブックオフとか)で購入か、図書館で読めば十分だ

*26:それとも銭ゲバじゃなくて日本に電波ウヨの妄想、邪説を広めたいんですか?

*27:俺が愛読してる雑誌「歴史評論」の版元でもある

*28:私はこの本を持っているが4つの章の内3つの章(つまり本の3/4)が明治新政府誕生後の話であり、是非はともかく島津斉彬に取り立てられてから幕府を打倒するまでの話の分量が少ないのが特徴である。具体的には「2章:『有司専制』の成立」、「3章:征韓論争」、「4章:西南戦争

*29:たとえば足尾鉱毒事件の田中正造がそうだというのならあまり異論はないが、西郷は明らかにそうじゃないだろう

*30:まあ客寄せパンダだろうが。国家財政の厳しい折、地方国立大学も今まで以上に経営努力が必要なようですから。心ある熊大教員は不愉快だろう

*31:新政府を批判したら反近代なら島津久光はどうなる?

*32:もちろん相良以外にも挑発行為をしたのは益満とかいろいろいるが

*33:ちなみに寺田屋事件で過激派鎮圧に向かった薩摩藩士の一人「奈良原繁(明治維新後に静岡県令、沖縄県知事などを歴任)」はウィキペに寄れば「西郷、大久保らの武力倒幕路線に否定的だった(要するに薩長だけでなく幕府や諸大名も入れた連合政権構想支持者だったのだろう)ため戊辰戦争直後は失脚していた」そうだがこういうのは三浦や渡辺的にはどう理解されるのか。奈良原路線なら戦争は起こらず死人が出ずにすんだ可能性があるが、それでも西郷は「庶民の立場」なのか?。また過激派鎮圧に向かった同じく薩摩藩士の一人「大山綱良西南戦争時の鹿児島県令)」は、西南戦争で西郷軍を支持したため斬首されたが、それは三浦や渡辺的にはどう理解されるのか。西郷が寺田屋事件に批判的なら大山の支援など拒否するのではないのか

*34:既に指摘したように薩摩藩にも、幕府も政権内に入れる連合政権構想の支持者はいた。

*35:反乱のきっかけ自体は私学校の暴走で、西郷が自主的に乱を計画したわけではないが、新政府に何の不満もなかったら乱は起こさないだろう

*36:革命なんて言葉を当時の人間は使ってない(使ってる言葉は「維新」だ)のに使うのはどうかと思う。そして革命戦争って具体的に何のことか?。戊辰戦争のこと?

*37:何にどう覚醒したのか?。革命兵士とは具体的に誰なのか?

*38:西郷が新政府メンバーだった頃に、西郷が実施した徴兵令や地租改正を理由に新政反対一揆が起きてることをどう考えてるんだろう

*39:この問題関係の著書では『江戸幻想批判――「江戸の性愛」礼讃論を撃つ』(新曜社

*40:イードオリエンタリズム』(平凡社ライブラリー

*41:『日本中世の非農業民と天皇』(1984年、岩波書店、後に全集7巻)

*42:『東と西の語る日本の歴史』(1982年、そしえて、後に1998年、講談社学術文庫

*43:今の千葉県

*44:今の東北地方

*45:『日新真事誌』の創刊者。コトバンクによると彼の息子が、美味しんぼの「ブラックさん」の元ネタとなった初代・快楽亭ブラック

*46:初代駐日イギリス公使

*47:大森貝塚の発見者として知られる

*48:駐日イギリス公使