「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート13(追記・訂正あり)

 パート12の続き。

■「大人 故田中明先生」への突っ込み(その2)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00619
パート12に書いた突っ込みが書ききれなくなったので。

田中先生は確かに歴史問題などでは韓国の日本批判の主張に対し否定的でしたが、(中略)韓国に対しては深い愛情の念を持っていました。

河野談話」をデマ呼ばわりする男が「深い愛情の念」?。冗談も大概にしろ。それは「ストーカーの愛」「DV夫の妻への愛」「児童虐待親の子どもへの愛」のような身勝手なものだ。

「私が解放後の韓国で、悠揚迫らない大人風の紳士に親切に遇せられ、後でその人が、植民地時代には剛直な反日家だった、と聞かされてびっくりするような経験を何度かした。60年代のことである。この人たちは、『日本のおかげで、われわれはいまこんな苦労をしている』といったことを一言も言わなかった。そんなことを言えば、われわれはまだ、日本の影響下にある、と告白するみたいなものではないかと、その種の言葉を自らに禁じていたのである。」

 その韓国人がそう思うのはその人の自由ですが、1960年代って、朝鮮戦争の混乱もあるし、独立から15〜25年で日本の影響が全て消せるわけがないでしょうし、その種の言葉を吐いたからとて私は「格がない」とは思いません。
 大体、こういうことをいう田中や田中の文章を好意的に紹介する三浦がウヨの一員として「日本はアメリカのせいで酷い目にあった」言説(押しつけ憲法とかウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムとかという話)を吐くから呆れてしまいます。
 一方で場合によっては「日本とアメリカは同盟国で同じ価値観」と全く矛盾する話を吐くのにも呆れてしまいますが。
 「善意に理解」(?)すれば自分に出来ない事が出来る韓国人を見て感動したと言うことですか(毒)

日本の多くのオピニオン・リーダーが、結局アメリカの影響下から抜け出せない

 三浦の言うアメリカの影響とは何か、わかりませんが、一般論で言えば影響があるのは当たり前。アメリカは日本の最大の貿易国の一つで、安保条約によって日本中に米軍基地があるのですから。アメリカ文化も国民に広く受容されて、非常に深い関係にあるのだから、ないわけないんです。そして「影響がある」こと自体は善でも悪でもありません。


■著書紹介「オサマ・ビン・ラディンの生涯と聖戦」(朝日新聞出版)*1より(上)(下)(三浦の個人ブログ)への突っ込み(その1)
http://miura.trycomp.net/?p=402
http://miura.trycomp.net/?p=407

今回のアメリカの行動(注:ラディン暗殺のこと)が国際法パキスタンの主権上正当化されるか否かと言う議論には個人的には興味はない。

 わかりやすい従米ウヨぶり。自称・人権活動家の癖して、「いくらテロリストでも、暗殺は人権侵害だ」「パキスタンの主権侵害など国際法違反だ」「逮捕して裁いた方が殉教者にならず、テロ撲滅に効果的だった」「過去アメリカとつながっていたため、アメリカに都合の悪いことが漏れるのをおそれての口封じではないか」等と言われてる行為(ラディン暗殺)への批評(アメリカ批判であれ、アメリカ擁護であれ)が出来ないなんてヘタレにも程がある。
 自分に都合の悪いことにコメントを求められて「興味はない」で逃げられるのなら誰も苦労しない。サヨが「北朝鮮問題に興味ない」とでも言えば怒り出すであろうに。そう言う汚い言い訳が許されない大物政治家とか大物財界人とかじゃなくて、お仲間以外ほとんど誰も相手にしない無名の「小物ウヨ」で良かったな、三浦(毒)。

ビン・ラディン自身、主権国家だの国際法だのと言った、彼の思想に反する「反イスラム、欧米・ユダヤ的価値観」で弁護されることは望まないだろう。*2

 ラディンが望むか望まないか(三浦が言うように本当に望まないか疑問だが)じゃなくて、三浦がラディン暗殺をどう思うかが問題だろ(大体、「パキスタンの主権侵害問題」はラディンの意思と全く関係ない)。
 「ラディン暗殺を正当な行為として認めることと、不当な行為として批判すること」、どちらが世界平和や人権擁護に役立つか、社会のためになるかが議論されてるんだよ。言い訳にしても屁理屈過ぎる。
 アメリカのラディン暗殺について語りたくないのなら、ラディンのことを取り上げなきゃいいが、親米ウヨとしてラディンをネタにイスラム過激派を叩き、アメリカを持ち上げたいからこうなるのだろう。
 それはともかく、保坂修司氏(日本エネルギー経済研究所中東研究センター副センター長)の本*3は三浦がほめてるんじゃ読む気にならん。極右・三浦にほめられたら「褒め殺し」で迷惑だ。

ここで注目しておかなければならないのは、オサマも含め、彼ら「ジハード戦士」は、アフガニスタンがどのような国で、いかなる政治的構造や歴史の中にあったのか、全くと言っていいほど無知、いや、知ろうともしなかったらしいことだ。

 戦前日本のアジア主義者そっくりですね、わかります(毒)
 三浦先生には「北朝鮮に行ったよど号グループそっくり」とでも言えば喜ばれるんでしょうが(嘲)。

オサマは、イスラムの血がパレスチナイラクチェチェンボスニア・ヘルツェゴビナなどで、イスラエルならびに十字軍勢力、特にアメリカによって無残にも流されていることを説き、しかしサウジ政府は手をこまねいているばかりか米軍の駐留を許していると批判する。そして、サウジ軍にこのような反イスラム政府に対する決起をイスラムの精神から呼びかけている。

 無差別テロとか無法行為しない限り言ってることは正論だし、デモとか平和的な決起なら何の問題もない。「イスラエルアメリカ」などがイスラムに対して非道を働いてること、それをサウジが容認してることは事実だ。

アメリカはこのような残酷な原爆投下をしたのだから、イラク他他国にも核武装の権利はある

 「イラク」その他の国に核武装の権利はあると思わないが、アメリカなど一部の国だけが核武装してるのもおかしい。理想は核全廃だ。どこの国にも核保有の権利などない。従米ウヨの三浦が核全廃ということは全く期待していませんが(毒)

結局民衆を幸福にしない、自由を与えない独裁体制の言うアラブ民族主義や反欧米政策*4は権力者の民衆弾圧の方便にすぎない

 別に「方便」ではない。「民族主義や反欧米」と独裁は矛盾しない。
 大体、リビアも含めて、政変が起こった国は親米色を近年強めてるのに「反欧米」「民族主義」とはアホか?
 独裁で政治的自由がない上に、生活も苦しい(しかし政治家や高級官僚、政商だけはいい思いしている)し、民族主義でも反欧米でもない、つまり評価できるものがないから不満が爆発したと見るのが正しいだろ。エジプトでは今回の政変を契機に民族主義的な観点からの外交(特に対イスラエル、対アメリカ外交)見直し論が台頭していると言うし。


フランス革命メモ「テルミドール『反動』を再評価する」(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=400
・当初、三浦は個人ブログでは趣味のこと(ジャズとか)をもっぱら書きたいと書いていたはずだが、ウヨネタばっかじゃん。「ビール・イノベーション」(http://miura.trycomp.net/?p=163)のような話ばかりなら俺も突っ込まないが。
・だから歴史ネタを書くのなら参照した歴史書とか、根拠を出せと。三浦が書いてるのは「江戸幕府を造ったのは徳川家康」みたいな何ら争いのない客観的事実じゃない。
フランス革命批判であれ、何であれ事実に基づいた歴史的出来事の批判は大変結構だが、三浦の場合「サヨが評価するフランス革命をdisりたい(「いや、さすがに恐怖政治時代まで支持してる左派はいないと思うが」と俺は突っ込みたい)」「『それに比べて明治維新は』と言いたい」(「明治維新だって戊辰戦争士族反乱があるので血が流れなかったとは言えない」と俺は突っ込みたい)」と言うのが見え透いている。その上、三浦は戦前日本をデマ(南京事件否定論従軍慰安婦違法性否定論など)まで使って正当化しようとする歴史修正主義者の一員だからな(苦笑)
・なお、フランス革命について、俺は「新刊紹介:歴史評論2月号」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20100115/1260000031)で触れているので興味ある方は、俺のエントリ、あるいは俺が紹介した「歴史評論」の諸論文を読んでいただけると幸い。

テルミドール」という言葉自体が「反動」の代名詞になるほど、フランス革命におけるテルミドール(熱月)事件によるロベスピエール政権の崩壊は、革命が前進を止めた大きな曲がり角と考えられて来た。 

 ポストテルミドールである総裁政府や、ポスト総裁政府である統領政府やナポレオン帝政をどう評価するかによる(で、俺はこの話に詳しくないので意見保留)。「反動」と呼ぶ人間も決してロベスピエールの恐怖政治を肯定しているわけではなかろう。
 そしてテルミドールクーデターも、ロベスピエール派を粛清しているので、手法という点では手放しでほめられる代物ではない。
 また、「新刊紹介:歴史評論2月号」(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20100115/1260000031)で指摘したが

 テルミドールのクーデターには「パリ以上に行き過ぎた弾圧を行っていた地方派遣議員(ジョゼフ・フーシェ*5、ジャン=ランベール・タリアンら)は、ロベスピエールの追及を恐れて先制攻撃を画策していた」(ウィキペディア)と言う面があることに注意。恐怖政治でのテロは全てが中央の命令による物と言うわけではなかったし、フーシェやタリアンがテルミドールのクーデターに荷担したことはロベスピエールにとっては保身目的の裏切り以外の何物でもない

点に注意が必要だろう。

「権利と義務」はあくまで一体

 こういう価値観は容易に「障害者や、失業者、子ども」といった「経済力がない」等の理由で十分に義務を果たすことのできない人の人権を容易に制限することになりかねないがその辺り三浦はどう考えているのか?
「権利は義務に関係なく与えられる」と考えるべきではないか?。
「権利の適切な行使」と「義務の実行」は別問題ではないか?(正直考えがあまりまとまっていないが)

実はこの「革命権、反乱権」の思想こそ、六〇年代に吹き荒れた「造反有理」の掛け声に繋がるものであり、「権利」を振り回す大衆のルサンチマン*6と、それを利用する扇動者の結託による、あらゆる超法規的な独裁政治を生み出す劇薬である*7

・デマカセ吐くなと。確かに「革命権・反乱権」を安易に肯定したら、テロの口実になりかねないが、一方で全否定したら「カダフィのような独裁者に対する蜂起」も否定されるがそれでいいのか?
 問題は「いつ、どんな条件で革命権・反乱権の発動は容認されるか」と言う話だ。大体、イラク戦争などアメリカの軍事介入(国際法上、国連決議なしの軍事介入は違法だ)を肯定する男・三浦が革命権を全否定するとは。
・そして「ティーパーティー」運動などを見れば分かることだが、「合法的」なら独裁的でないというものでもない。

明治維新は革命か否か」を巡っての比較論はかって学会を賑わした。

「かつて」ではなく今も「明治維新の理解」は学会の重要テーマだと思う。もちろん昔の「講座派・労農派理論」がそのままのかたちで今、利用出来はしないだろうが。

国王の処刑、身分制度の破壊、そして民主主義を確立したフランス革命を賛美する人々は、この点で明治維新を「不徹底な革命」と呼んだ。 

「国王の処刑」
「民主主義の観点」からの批判(明治政府成立後しばらくは議会がなかったとか)はともかく、国王(明治維新だと最後の将軍・徳川慶喜か)の処刑がなかったから明治維新は不徹底という人間がどこにいるのか?。そもそも「王制の廃止」「共和制の誕生」ならともかく、「国王の処刑(王制廃止=処刑ではない)」を理由にフランス革命を評価する人がいるかも疑問だ。
身分制度の破壊」
そこは「破壊」と否定的表現ではなく「廃止」と中立的表現を使え。そして「皇族制度」「華族制度*8やそれに関連した制度(貴族院とか)」「(公的な制度ではないが)部落差別問題*9」を除けば、明治政府も「身分制度は廃止」しているが?
 身分制度問題での明治政府批判って俺はあまり聞かないが、「皇族制度」「華族制度やそれに関連した制度(貴族院とか)」「(公的な制度ではないが)部落差別問題」についての批判のことか?。そう言う批判があったとして何が問題か分からないが。

明治維新が「不徹底」であったそのこと自体に、私たちはもっとポジティヴな価値を見いだしてもよいのではないだろうか。

・三浦はバカの見本。民主主義の観点から「不徹底」であるからこそ、「自由民権運動」が起こったのではないのか?。部落差別が戦後まで残ったのではないのか?。そうした点を批判して何が悪いのか?
・「赤報隊」に「偽官軍」という濡れ衣着せて処刑したり、「大逆事件」という反政府運動弾圧目的のでっち上げ事件もあるのに明治政府にはロベスピエール的な「血の粛清」はなかったとでも言う気か?。「革命」と「粛清の有無」は何ら関係ない。反動的なら粛清がないわけではない。
・不徹底という論者も維新の価値(近代的改革)を全否定している訳ではない。
明治維新は「徳川幕府打倒(幕府側が狙った何らかの形での政権参加ははっきり否定された)」「天皇制の復興」「近代化導入」等と言う意味では、「徹底した側面」もあったといえるだろう。

そして、「権利義務の宣言」の次の言葉は、現在の様々な残酷な犯罪事件*10、また北朝鮮などのテロ国家の存在を思うとき、大きな説得力を持って私たちの心に呼びかけてくるものである。「(第六条)公然と法を侵害する人々は、自己が社会と戦争状態にあることを宣言するものである。」

意味不明。北朝鮮とは「既に戦争状態」にあるとして軍事攻撃でもやりたいのか?。大体「延坪島砲撃」ならともかく、拉致は北朝鮮が非を認めており、これを理由に「戦争状態」呼ばわりするのは無茶にも程がある。
 そして三浦にはウヨ仲間に左翼集会の妨害や政治家暗殺(例:浅沼稲次郎)など「公然と法を侵害する人々」がいること、戦前日本が南京事件バターン死の行進(以上、捕虜や非戦闘員の虐殺)、731部隊(細菌兵器の人体実験)、従軍慰安婦(強制買春)などで国際法を「公然と*11侵害していたこと」をどう思ってるのか聞きたい(毒)。


フランス革命メモ『ヴァンデ戦争』(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=396
・自ブログで藤岡信勝歴史修正主義運動を偉大だとたたえる三浦。いろいろな意味で呆れるし、こういう人間を評価する自称左翼(草加耕助のこと。id:noharraもそうか?)がいることにも呆れる。
 藤岡信勝の主張が歴史修正主義でしかないことは、歴史学者や歴史オタはもちろんだが、彼らに限らず、まともな人間はすぐに了解できることだ(そもそも既に藤岡批判言説はネット上にも出版物でも山のようにある)。
 たとえば明治維新が三浦や藤岡の言うように評価されないどころか、左派の歴史学者においても明治維新が高く評価されていること*12は、いわゆる講座派*13と労農派*14による戦前の「明治維新を巡る論争」でも明白だろう。重要視するからこそ議論の対象になるのではないのか(むしろ高く評価されすぎたが故に、薩長の研究ばかりが行われ、徳川幕府の幕末改革や奥羽越列藩同盟の動向などの研究が遅れたのが事実ではなかろうか。もちろん薩長の研究は必要だが)。

参考
「慶応の改革」(ウィキペ参照)
 長州征伐の失敗による江戸幕府の権威の動揺の中で将軍職に就いた慶喜は、薩摩藩長州藩とイギリスとの連携に共通の危機感を抱くフランス公使レオン・ロッシュの助言に基づき、江戸幕府にヨーロッパの行政組織の要素を取り入れるとともに諸藩や朝廷の権力を削減して、日本を幕府を頂点とする中央集権国家に体制そのものを変革することを意図する改革を図った。
 まず慶喜が正式に将軍に就任した慶応2年12月以後、既存の陸軍総裁・海軍総裁に老中を充て、翌慶応3年(1867年)の5月には会計総裁・国内事務総裁・外国事務総裁にも老中を任じて、老中を専任の長官とする「五局体制」を確立、唯一総裁に任じられていなかった老中首座の板倉勝静が五局を統括調整する首相役を務める事実上の内閣制度が導入され、若年寄・三奉行(寺社奉行勘定奉行町奉行)以下の位置づけも大きく変更された。
 更に人事制度の改革による人材登用の強化や新税導入も含めた財政改革、旗本の軍役を廃止(銭納をもって代替)してフランス軍事顧問団の指導の下での新制陸軍の整備、フランスの支援による横須賀製鉄所の建設などを行った。


・また司馬遼太郎登場以前から、明治維新歴史小説の人気分野であること(そしてそこでは薩長が善玉扱いされることが多いこと)は薩長派の倉田典膳が主人公の小説「鞍馬天狗*15で明らかだろう。明治維新が評価されてないなら、いかに人気作家・大仏次郎といえども「鞍馬天狗」と言うヒーローを生み出すことはできなかっただろう。
・藤岡支持を表明しながら三浦が「朝鮮学校教科書」を「歴史修正主義」と非難するとは盗っ人猛々しい。たとえ三浦の朝鮮学校教科書批判が正しいとしても、統一協会信者や幸福の科学信者が、自分のことを棚に上げてオウム真理教をカルトと非難するようなもので「お前が言うな」としか言いようがない。
 しかもフランス革命を語るのに何故、フランス史に詳しいわけでもない藤岡に触れる必要があるのだろうか?
 なお、ヴァンデ軍による捕虜の特赦の話*16を紹介し、たたえる三浦だが、中国軍捕虜を食糧不足を理由に虐殺した南京の日本軍については彼はどう思うのだろうか?(毒)


国益言論の自由(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=394

これも随分前に書いた文章ですけど、保守系ミニコミ月刊日本』に初めて連載をもてたときのものです。

 月刊日本歴史修正主義系で小沢秘書逮捕・検察陰謀論を唱えるところ。こんな所に書いて恥じないと言うだけでも三浦はまともではない。こんなところと共同講演会をやった週刊金曜日は自らを恥じるべきだ(佐藤優つながりらしい)。
 ま、最近はウヨとサヨの大同団結が一部で大はやりらしい(勿論皮肉だ)が味噌もくそも一緒ではだめだろう。
 ちなみに佐藤優現象で知られる金光翔氏がこの件で何か書いてないかと思い検索したらやはりあった。
 リンクだけはっておくので興味のある方はお読みになるとよいだろう。金氏ならおそらく例の原発デモの件でウヨ参加を擁護する輩をバッサリ切るであろうなと私は思うし、ウヨ参加を擁護する輩は金氏が批判するこの共同講演会もおそらく「快挙」と評価するのであろう。

私にも話させて
レイシスト保護主義グループの成立(1)」
http://watashinim.exblog.jp/9650470

「あなたは国益言論の自由、どちらが大切と思いますか。」


 最近、テレビで田原総一朗氏が、政治家相手に何度も口にする台詞がこれだ。問題になっている報道規制*17の法案についてはさておく。

 いや「さておく」なよ。一番それが大事なことだろ。敵を作りたくないから、報道規制の問題について賛成とも反対とも何も言いたくないのか(毒)
 なお、「国益言論の自由、どちらが大切」と言う質問は「環境保護と経済発展、どちらが大切」や「治安維持と個人の自由、どちらが大切」のようなもので、いい質問とは思わない。あまりにも抽象的すぎて「どちらも大切だが、どちらかを犠牲にせざるを得ないときは、デメリット、メリットを自分なりに検討し、ケースバイケースで決める」としか答えようがないからだ。むしろ具体的質問をした方がいい。

この質問と、「どちらも同じぐらい大切です。」と平然と答える政治家の反応を聴くたびに、ああ、この国では国益言論の自由も、共に危ういものになりつつあるのだなあと思う。

三浦の言いたいことが意味不明(最後まで読んでも意味不明だった)。もし「こういう意味ですよ」と説明できるという方がいたらトラバを送って欲しい(コメント欄に書くのは対応が厄介なので止めてほしい。コメ欄に仮に書き込みがあったとしても多分対応しない)。

言論の自由が自由として機能するためには、かっては国家権力の専制支配に抗しなければならない時代があった。

 「かつては」じゃなくて今だってそうだよ。今は「国家権力による言論の自由侵害」の危険性はないとでもこのバカ(三浦)は言う気か。もちろん昔と違って、大企業など国家以外の団体も力を付けており、スポンサータブーなど昔とは違うタイプの「言論の自由」侵害もあるが。

無責任で内省力に欠けた言論

・ド素人の癖に、放射線ホルミシス効果というトンデモ学説を理由に「飯館村は安全」と言う荒木和博とか、荒木に荷担するあんた(三浦)のことか?

参考
NATROMの日記
「それはホルミシス効果なのか?東電顧問・加納時男氏のインタビュー 」
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110505#p1


・「対馬が危ない」とヘイトスピーチ噛ますウヨの愛読紙・産経のことか?
参考
どいつもこいつもいっぺん死ね「「週刊金曜日」で産経の「対馬が危ない」キャンペーンを嘲笑している件」
http://georg-agricola.seesaa.net/article/132991550.html


・国籍法改正時に「改正すると日本が危ない」*18とデマ垂れ流してた、あんたの友達・西村幸祐のことか?(「西村幸祐」「国籍法改正」でググると西村のデマエントリ「国籍法改正案に反撃を!」(http://nishimura-voice.seesaa.net/article/110012132.html)、「国籍法改正案の問題点とTBSのおかしな <人権> 報道」(http://nishimura-voice.seesaa.net/article/111447233.html)がヒットする。)


参考
誰かの妄想・はてな版「国籍法改正に関する馬鹿げた妄想」
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20081209/1228835600
minx「やっぱり国籍法と人身売買は関係なさそう。」
http://d.hatena.ne.jp/macska/20081202/p1


まあ、ほかにもウヨどものデマを批判するエントリはあるので興味のある方は探してみてはいかがだろうか。

「(訪日は)『人道上の問題』*19だというが、人道や人権という言葉が非常に安易に使われている。(アメリカのように)人権や人道という言葉を戦争の理由に使うことだってありうる。人道や人権は、必ずしもオールマイティではないし、政治や平和の上にある存在でも無い。」 

 三浦が紹介する田英夫氏のこの言葉に俺は一般論としては異論ない(元台湾総統李登輝の訪日問題の議論はひとまず置く)。ときに「人道や人権」の名の下に戦争が起こされたこと(例えば日清・日露戦争は「朝鮮独立を清やロシアから守る」と言う口実の下に、太平洋戦争は「植民地解放」と言う口実の下に行われた)は歴史上の事実である。そう言う意味では「人道や人権は、必ずしもオールマイティではない」し「政治や平和の上にある存在でも無い」。
 李登輝訪日反対という結論ならまだしも、変な所にイチャモンつける三浦には呆れる。

これまでの自らの政治党派が表明して来た意見は一体なんだったのか。日本は当時の政治的環境を言い分けにせず、人道的立場から戦前の行為をアジア諸国に詫びよ。

 は?。田氏の「日本はアジア侵略と言う自らの罪業をわびるべき」という言葉と「人道や人権は、必ずしもオールマイティではない*20」という言葉がどう矛盾するのか?。いや、百歩譲って矛盾するとして三浦は何が言いたいのか?。田氏の発言が矛盾するから、『田氏は「アジア侵略を日本は詫びるべき」と言うな』とでも言いたいのか?。どう見ても三浦は「日本の過去の侵略戦争を正当化しようとする腐れウヨ」にしか見えない。
 いずれにせよ、俺には三浦の言いたいことがまるっきり分からない(わかりたいとも思わないが)。三浦を評価するid:noharra先生や、草加耕助先生には分かるのかも知れないが。

万が一侵略を受けても非武装で抵抗せよ(それでいながら北ヴェトナムによる南の「武力統一」全面支持と北朝鮮へのシンパシー*21

・「日本が侵略を受ける」云々について言えば三浦のような言いがかりではなく現実に即した議論をすべきだろう。非武装中立論の是非はともかく非武装中立派もすぐさまそれを実現すると言っていたわけではなく、国民の支持を得ながら、段階的に軍縮していこうと言っていたわけで。
 現実に日本が自衛隊在日米軍という巨大な軍事力を持っており、外国がおいそれと侵略など出来ないという事実を無視した三浦のような議論をすることには賛同できない(また、保守の「護憲派」もいることから分かるようにいわゆる「護憲派」は広く捉えれば「非武装中立派」に限定されるものでもない)*22
・三浦の因縁はともかく、別にベトナム戦争に限らず、「憲法9条の立場」から、他国の戦争をどう理解するかというのはなかなか難しい(少なくとも俺にとっては)。侵略戦争ならともかく、防衛戦争*23や独裁者打倒の戦争(今やられているリビアカダフィ相手のドンパチ)まで否定して良いかと言ったらおそらく良くはないだろう。
 いずれにせよ憲法9条は日本に戦争を禁じたものであり、単純に他国にスライドさせるのはまずい気がする(あまり考えがまとまっていないが)。

本来なら、これまで田氏を支持して来た人権派団体は、この発言を人権を政治の下に置く許しがたい国家主義として断固抗議すべきである。

お前がそう思うのはお前の勝手だが、俺は「李登輝訪日反対」という結論はともかく「この発言」に限ればそうは思わないし、そう思わない人が多いのだろうね。お前が一人で抗議すればいいだろ。

かってナチスドイツがチェコを侵略したとき、英仏はミュンヘン会談でヒトラーに妥協し、「平和」の為にチェコ民衆を見捨てた。

三浦たちウヨが「尊敬」しているらしい「昭和天皇」がヒトラーと同盟を結んだことは三浦の頭の中ではどう理解されているのか?。良く昭和天皇を評価しながらヒトラー批判などと言うバカなことが出来るものだ。

今日、日本も韓国も、平和のためには北朝鮮で独裁者に虐殺される民衆を見捨てている。

・お前らが北朝鮮以外の国の人権侵害行為への批判、たとえばミャンマーミャンマー軍兵士に殺された*24フリージャーナリスト長井健司さんのために、「殺害犯人をミャンマーは引き渡せ」と運動したらその言葉を信用してもいい。そうじゃないだろ?。お前ら北朝鮮叩きと中国叩きくらいしかやってないだろ(この文章の初出は長井さん暗殺より前だろうが、長井さん暗殺後、三浦が再掲載した以上、俺がこういう批判をしても何ら問題あるまい。)。
・大体、「平和」も「人権」もどちらも大事であるし、北朝鮮で戦争が起こったら、収容所の人間も命はないだろう。収容所の人は戦火に遭わないとでも三浦は思っているのか。三浦はバカすぎだ。

国家も、国益も、民主主義も、人権も、言論の自由も、平和も、いずれも重要で大切な近代的価値概念である。そして、それこそ政治党派やジャーナリズムによって「非常に安易に」使われすぎ、このいずれもが本来の価値を失いつつある。

「民主主義、人権、言論の自由、平和」はともかく、国家や国益という言葉を日本で一番安易に使ってるのはお前らウヨだろ?
愛国心はならずものの最後の砦」というブラックな言葉を知らないかね?


 ちなみに「言論の自由」で「田英夫」氏を話のネタにしながら田氏のTBS退職の経緯に触れないなんて悪い冗談かと思う(苦笑)。何故ならウィキペ「田英夫」に書いてあるが、田氏のTBS退職(田氏はTBSキャスターであった)は自民党の圧力というトンでもない話だったからだ。

田英夫*25(ウィキペ参照)
 1947年、共同通信社に入社し1960年に共同通信社会部長、1962年に文化部長を経て、同年11月にTBS(東京放送)に入社した。
 1962年10月から放送を開始した『JNNニュースコープ』の初代のメインキャスターとなり、1968年3月まで務めた。日本独特の文化であるニュースキャスターの先駆けであるとされている。
 『JNNニュースコープ』降板の原因は、西側のテレビメディア初の、北ベトナムでのベトナム戦争取材の最中に発生した。建前上の解雇理由は「『北ベトナムが負けていない』という『真実でない』報道」での放送法第3条2違反であるが、その真実は、報道姿勢そのものを反米的と見なした福田赳夫自民党幹事長*26が、TBSの今道社長を自民党本部に呼んでTBS首脳部に圧力をかけたからだとされている。TBSへの再免許不更新をちらつかせる最終段階まで経営首脳部は解任圧力に抵抗したが、1968年3月10日の成田空港建設反対集会取材のさなかTBSのドキュメンタリー製作スタッフのマイクロバスにプラカードを所持した集会参加者の反対同盟の農婦7人とヘルメットを着けた若い男3人を乗せたいわゆるTBS成田事件の影響もあり、最後の放送では降板の経緯に触れることなく「それではみなさん、また明日」を「それではみなさん、さようなら」と言い換えるのみでTV画面から去った。1970年TBSを退職。
 後日談として後の首相である自民党衆議院議員三木武夫*27が「田英夫君を励ます会」を帝国ホテルで主催し、同じく後の首相であり当時、佐藤内閣運輸大臣であった*28中曽根康弘をはじめ宇都宮徳馬など多数の自民党議員も出席した。


朝鮮総連本部ビルついに競売か(野村旗守氏記事紹介)
http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00611
 反北朝鮮極右・野村のレイシズム丸出しの文章(掲載されたのも極右雑誌SAPIO)とそれを得意げに紹介する三浦には、「こいつらが俺と同じ日本人か」と思うと、吐き気がしますが、まあ、裁判での敗訴自体は受け入れるほかないでしょう(まだ高裁段階ではあるが最高裁でひっくり返すことはやはりなかなか難しいらしい。個人的には最高裁でひっくり返ってウヨが最高裁への呪詛をはくのを見たいのですが)。何とか競売を避けるか、それが無理でも別の本部で何とか頑張って欲しいところです。私ごときには残念ながら何も出来ませんが。それにしても、RCC整理回収機構)も(借金をチャラにしろとは言いませんが)分割で払ってもらうとか何か競売を避ける手はなかったのかと思いますね。
 RCC側の主観がどうであれ、競売は確実に政治的性格を帯びてしまうわけですから。RCCは金が回収できればいいのであって、まさか朝鮮総連在日本朝鮮人総連合会)潰しなんかもくろんでないですよね?
 いずれにせよこれは「経営(非営利組織だから「運営」の方が妥当か?)が杜撰だった」と言う話であって、それ自体問題ですし、上層部が責任とって辞職したり、上層部に失望した人間が総連を離れたりしても文句言えない出来事でしょうが、政治方針がどうこう言う話とは全く関係ないのですが。自民党本部ビルだの社民党本部ビルだのが借金のかたに競売されたからって、「経営が杜撰」と非難する人間はいても、誰も「政治方針が間違ってるからだ」とは言わないでしょう。にも関わらず総連の政治方針云々言う三浦に苦笑。大体、チャンネル桜の経営難を考えたら他人(朝鮮総連)の経営難を笑えるほど、ウヨは経営上手ではないのだが。
 ちなみにウィキペ「民団」によれば、民団は「2000年に6億5000万円の手形詐欺事件」が起こったり、「2006年8月に韓国政府による監査で政府補助金についての虚偽報告」が明らかになったりしてるようですがこう言うのには三浦は何も言わないんだろうな。

同時に、総連内部の北朝鮮への忠誠心の定価(注:誤記が多すぎ。「低下」の誤記だろう)も指摘され「3月の終わり、総連中央では『将軍様*29からの(震災)慰問金に感謝する在日同胞中央大会』が開かれたが、一体何に感謝しろというのか。金正日日本赤十字に送ってきた10万ドル(約800万円)なんていうのは、韓国の芸能人1人*30にも及ばない。『恥ずかしいからやめてくれ』と同胞たちは口を揃えている。同胞被災者に送ってきたという50万ドル(約4000万円)が本当だったとしても、果たして被災者の元に届くかどうかもわからない。『また中央の幹部連中が借金の穴埋めにでも使ってしまうだろう』なんていう観測がもっぱらだ」(元総連中央関係者)」という生々しい声が紹介されています。

・本当かよ。「元総連中央関係者」は非実在関係者で、ウヨの誹謗中傷じゃねえの(あるいは実在でもあることないこと言うゲスとか)。大体「10万ドル(800万円)が端金」と言うなら、言ったお前が出せよ。出せるんだろうな(大抵の人にとって800万円は端金ではないと思うが)。そしてこういう物言いは北朝鮮だけでなく、韓国の芸能人レベル(1000万円単位)では義捐金を送らなかった個人、団体(国を含む)に対する誹謗中傷であると言うことが分かってるんだろうな?
 ちなみに外務省サイトをサイト内検索したところ、北朝鮮を越える多額の金額(1000万円単位とか億単位とか)を寄附した国ももちろんありますが、そうでない国も以下の通りありました。北朝鮮を「韓国の芸能人1人にも及ばない」と言った野郎にこれらの国をどう思うか聞きたいものです。「だせえな、ルワンダ、さすがアフリカの発展途上国は貧乏だな(嘲)」とかおっしゃるんでしょうか?(ちなみに外務省サイトには今も北朝鮮が載ってないみたい。やれやれ)。

ルワンダ:10万ドル(約800万円)
スーダン:10万ドル(約800万円)
カンボジア:10万ドル(約800万円)
ラオス:10万ドル(約800万円)
サモア:10万ドル(約800万円)
アルバニア:10万ドル(約800万円)
モルドバ:100万モルドバ・レイ(約720万円)
アイスランド:1,000万クローナ(約710万円)
エリトリア:5万ドル(約400万円)
ニジェール:2万5千ドル(約200万円)
ツバル:1万8,000豪ドル(約150万円)
タンザニア:2600万タンザニア・シリング(約140万円)

・どうせこういう奴は金将軍閣下が一円も義捐金を送らなかったら冷酷とかケチとかほざくんでしょうし、多額の金を送れば「貧乏国がつまらない見栄張ってる」だの「外国(日本)に送る金があるなら北朝鮮国内で有効に使え」だの「日本を懐柔しようとしても騙されないぞ」とか言い出すんでしょう。「金閣下を何が何でも叩く」という結論ありきの物言いですよね、明らかに。
 お前は方広寺鐘銘にイチャモンつけた徳川家康かと。イチャモンつけに人生でも賭けてるのかと。
・借金の穴埋めってそんな事が可能なのかよ?。そんなに朝鮮総連経理ってのはザルなのかよ?。それにそんな事をやったら犯罪だろ?
・「金を送ってくれたのは有り難いけど、延坪島砲撃とかいろいろ有り難くないこともあるからなあ」とか「いくら何でもそう言う大会を開くのって『金将軍閣下による善意』の押しつけとか『金将軍閣下への個人崇拝・媚びへつらい』ぽくって格好悪くねえか?」とかなら分かるが、三浦が紹介する発言はまるっきり理解が出来ん。

野村氏は総連内部の有志「朝鮮総聨の改革と祖国の統一・志向会」が今マスコミ関連に発行している文書を紹介、「一連の文書に共通するのは、組織を私物化し、腐敗と破綻をもたらした執行部、特に最高実力者である許宗萬責任副議長に対する凄まじいばかりの責任追及である。」と述べ、以下の文例をいくつか紹介しています。
(中略)
尚、この内部文書は、守る会理論誌「光射せ!」にも、2010年12月の第一報、2011年2月の第二報、3月の第3報が全文掲載されています。
(中略)
この第2報の文章を、朝鮮学校の無償化に『賛成』する人にこそ読んでほしい。

 たとえ読んだって手前ら反北朝鮮極右の朝鮮学校無償化反対論なんか支持しねえよ。「守る会」会報なんてその辺の図書館や本屋じゃ置いてないし、だからといって手前ら反北朝鮮極右に活動資金など一円も提供したくないから取り寄せてまで読む気もないので読まないけど(ちなみに雑誌が売れないと困るからか、私の見落としでなければ、「この第2報の文章」とやらは「守る会」サイトには掲載されていないようだ)。
 「正体不明の自称・朝鮮総連内部の批判派」なんて実在するか分からない得体の知れない人間の主張(要するに怪文書)なんか信用できない(だからウヨ系を除き、主要マスコミも相手してないのだろう)し、事実だとしても「それと無償化は全くの別問題」だからな(追記:「ブーメラン男・石丸次郎伝説」(http://sgwse.dou-jin.com/Entry/309/)によれば、皮肉にも、三浦先生の友人「石丸先生」はこの文書を怪文書扱いしてるらしい)。前も書いたが創価学会幸福の科学に問題があったら(つうか大ありだと思うが)、創価高校幸福の科学学園高校は無償化除外していいのか?
 これまた前も書いたが、「ならば無償化された学校は何の問題もないと証明できるのか」「その場合の判断基準は一体何だ?」。
 総連に変われという前に手前らの方こそ、「南京事件否定論などの歴史修正主義を平気で垂れ流せる腐った神経」を変えろよ。そうは思いませんか、id:noharraさん。今日も「華麗にスルー」ですか、はいはい(嘲)。
 最初は「反論する!」と言っていた「守る会会員」id:noharra先生が俺に反論しないと「俺の意見にもやはり一理はあるんだ」と自信がわいてくる。ツイッターはしてるし、エントリも書いてるのに俺に反論しないって事はそういうことでしょ、id:noharra先生。

前身である朝連*31、民戦*32の時代に皆さんが、皆さんの先輩が夢見ていたのはこのような結末ではなかったはずです。

・「今の状況はいいのか」と言う物言いには一理はあると思うが一理しかねえ(それ一本で話を展開するのは問題がありすぎる)と思うし、少なくとも部外者の上に、歴史修正主義ウヨという屑の三浦にそんな事言う資格はない。
・いろいろ問題があっても、総連みたいな在日の互助組織的なものはあった方がいいんじゃないの?
・前身の時代だって、北朝鮮との距離の取り方はなかなか難しいものがあったと思うが。金日成個人崇拝が本格的に始まるのは政敵を完全に粛清し、金一族支配が確立した1969年以降(ちなみに、総連の誕生は1955年、いわゆる帰国事業のスタートは1959年)らしいが建国時から金日成はトップの訳だし。
・「今のままでいいのか、反省も必要じゃないか」とか「設立時の初心と違うんじゃないか」とか言うなら民団(在日本大韓民国民団。1946年発足。1994年までの旧称:在日本大韓民国居留民団)はどうなんだよ?。あそこは公式には「軍事独裁政権支持」と言う恥ずべき過去*33を反省してないんだが(韓国が民団の方針に関係なく民主化されたのでそれに調子を合わせてるだけの話で)。ご都合主義極まりないな。
(なお、ウィキペによると、1980年代に韓国から来日したいわゆるニューカマーのうち、民団や総連に満足できない人々によって造られた在日本韓国人連合会(韓人会:2001年〜)と言う団体があるらしい)
・設立時の考えと違ってる団体なんか、他にも俺の知ってるのでは「遺族救済や親睦が目的だったはず」なのに「靖国公式参拝を求める」「会長が歴代ずっと自民党国会議員(しかも必ずしも遺族じゃない)」など、「完全に右翼化した日本遺族会」があるが、そういうのには三浦は何も言わないんだろうな、ウヨだから。
(こうした日本遺族会に批判的な人々が造ったのが平和遺族会である)


■書評 日本統治時代を肯定的に評価する*34(三浦の個人ブログ)
http://miura.trycomp.net/?p=391

・これにつけた俺のはてブ

こういう「歴史修正主義」本の好意的書評を「正論」に書く極右が朝鮮学校の教科書記述を批判。こいつが代表の「守る会」の面子(萩原遼id:noharra)には恥というものはないのか。こいつともども「死ねばいいのに」

で終わらせてもいいのだが突っ込む。例によって、三浦は極右と思われたくないのか、「日本の植民地統治を全肯定する気はないんです、闇もあったが光もあったと言いたいだけ」と言い訳してるが、それが事実だとしても(この本の版元は東中野南京事件否定本を出したあの「ウヨ御用達出版社」草思社なので、事実じゃなくてただの言い訳だろうが)それは加害者の国(日本)の国民が、被害者の国(韓国)に言うことじゃねえんだよ。三浦のやってることはただの居直りじゃねえか。
 第三者が言うのならともかく。こんな醜い言い訳に日本の左派や穏健保守、韓国人が騙されるとでも思ってるのか。人をバカにするのも大概にしろよ。
・この本のAmazonレビューでまともそうなのを紹介。まあ、Amazonレビューはウヨな意見が多いんだけどね、例によって例の如く。

単なる日記です, 2010/10/23
By キュウリとヒカルと小梅*35 
 日本が朝鮮を統治していた時代の朝鮮のブルジョアの単なる日記です。
 今まで色々と読書してきましたが、これほどつまらない本は久しぶりでした。
 著者の肉親の輝かしい経歴、それを誇らしげに書き連ねている内容。 *36
 最後まで苦しく読み終えましたが無駄な時間を消費した思いです。

 ま、この著者がいわゆる親日派の家庭(レビュアー曰く「ブルジョア」)に生まれたから、日本の韓国統治万歳、植民地統治万歳になってると言うだけの話だろう。植民地支配下で酷い目にあった人は当然いるし、そう言う人に本を書かせれば全く違う本が出来るだろう。
 こんな事が許されるなら「イギリスのインド統治」「アメリカのフィリピン統治」「イスラエルパレスチナ人統治」「中国のチベット統治」、何でも正当化することが出来るだろう。植民地統治(俺が出したイスラエルと中国の例は植民地ではないが)でメリットを受ける現地人もいるのは当たり前で、ノーメリットだったら統治がうまくいくはずがない。植民地統治は焼畑農業や海賊のようなものではなくて長期継続が前提だから、植民地にあるものを全部分捕って後どうなっても知りませんという代物じゃないだろ。
 可能な限りある程度、現地人に飴を与えるが、一番おいしいところは宗主国が持って行く、歯向かわない限り飴を与えるが歯向かったらムチで懲らしめるというのが植民地統治ではないのか。三浦のやってることは歴史修正主義以外何物でもない。こんな奴が朝鮮学校の教科書記述を非難するとは世の中なめるのもいい加減にしろ。三浦みたいな奴として、他にも石原慎太郎とか橋下とか産経新聞とかがいて、日本人であることが恥ずかしいというか、実に不愉快である。
 三浦が代表を務める「守る会」会員のid:noharra(自ブログで原発批判して正義漢ぶってやがるが)や萩原遼は人として恥ずかしくないか。萩原も反党行為で除籍されたとは言え元共産党員なのに中道右派とか非共産系の左派ならまだしも、反北朝鮮ってだけで真正保守とお手々つないで恥じないなんて落ちるところまで落ちたよな。「老害」「転落人生」「裏切者」「ゲス野郎」等等、共産党支持者として萩原の愚行には罵倒しても、し足りない思いで一杯。「反党行為で除籍はされたけど、あの人、敵ながらあっぱれだよね」と党員や支持者に言われるような生き方が萩原には出来ないのか。

著者は日本統治が、結果として李朝時代の封建制度を打破し、民衆を解放し、かつ近代化を成し遂げたことを正当に評価している

朝鮮の側でも「独立協会の運動」「甲午改革」「乙未改革」など改革の動きはあったのであり、著者と三浦の主張は盗っ人猛々しいとしか言いようがない。
しかも「封建制度打破」だの「民衆解放」(中国の場合は「農奴解放」)だの「近代化」だの言ってることがもろに「チベット解放についての中国の言い分」そっくりなんだが(苦笑)。

参考「人民日報の記事」

http://j.people.com.cn/94474/6933431.html
■1959年3月28日、世界人権史上の記念碑
 1959年3月28日、中国政府は旧チベット地方政府を解散する命令を発した。この時以来、チベット百万農奴の暗黒生活は、民主改革のラッパの音と共に終結し、高原の大地は人民が主人公となる新時代を迎えた。3月28日は、チベット新生の分水嶺であり、世界人権史上に高く聳える記念碑でもあるのだ。
 1959年の民主改革まで、チベットは長年政教一致、僧侶・貴族専政の封建農奴制社会におかれ、農奴主が地方政権を掌握し、無数の農奴には些かの政治的権利もなかったことを我々は知っている。人口のわずか5%足らずの農奴主が全ての生産資材を独占し、その刑罰には目をえぐる、鼻を削ぐ、手を切断する、足を切断する、腱を抜き取る、水に投じるなど、ショッキングなものもあった。農奴の命はわら縄1本の価値しかなく、意のままに売買され、譲渡され、贈呈され、借金の弁済に当てられ、交換された。50数年前のチベットは決して「シャングリラ」*37などではなく、ヨーロッパ中世にも増して暗黒で、残酷で、野蛮で、立ち後れた政教一致の封建農奴制社会だったのだ。
 2009年1月19日、チベット自治区の第9期人民代表大会第2回会議は、チベット280数万の各族人民の強烈な声と求めに応じて、毎年3月28日を「チベット百万農奴解放記念日」とすることを決定した。
 3月28日を「チベット百万農奴解放記念日」として確定することは、チベット人民の政治生活における重大な出来事である。当時、反乱の平定と民主改革の進行に伴い、チベットには政権の性質、所有制、人身の地位、経済の地位、法律の地位、宗教・信仰、教育の権利など各面で偉大な転換が発生したのだ。こうした偉大な転換によって、チベット人口の95%を占める農奴と奴隷の人権を持たぬ歴史に終止符が打たれ、無数の農奴と奴隷は徹底的に解放され、自らが主人となったのだ。

 著者は人間にとっての幸福とは、基本的人権*38と一定の生活水準が満たされていることだという現実的な視点にたち

 言ってることがチベット支配について語る中国共産党の同志*39の皆さんそっくりですね(毒)。
「わが中国共産党チベット解放でチベット住民の生活は豊かになった!」
 まあ、実際豊かになってるしね(苦笑)
(こう書くと『豊かならいいのか、中国シンパ』とid:noharra先生が噛み付きそうだがそう言うことが俺は言いたいのではなく、経済発展を理由に日本の韓国植民地統治を正当化するこの本の著者と、著者を支持する三浦への皮肉と言うことはまともな文章読解力の人なら分かるだろう。三浦たちウヨはチベット問題では「チベットは経済発展してる」として中国を擁護などしないダブスタ野郎である。三浦のようなウヨがチベットとの連帯を表明しても中国が「チベットの反体制派は日本ウヨとつるむような奴ら」とネガキャンの材料にするだけで迷惑だ。大体、連中の本心は「人権」ではなくただの「中国叩き」だろうし。もちろん、「中国のチベット政策批判派」には三浦のようなウヨとは違うまともな人間もいるわけだが)。
 何でウヨってこの件に限らず中国や北朝鮮批判しながら、自分がやってることはこの両国と一緒のことが多いの?。理由を教えてくれませんかね、id:noharra先生(毒)
 (マジレスすると、ウヨが万歳する戦前日本の統治システムをこの両国が参考にしてるって面もあるのだと思う。)
 まあ、腰抜け、腑抜けなあなたがどうせ今日も俺を「華麗にスルー」ってことはよくわかりますが。

参考「人民日報の記事」

特集ページ「チベット平和解放60周年」
http://j.people.com.cn/94475/102714/index.html

http://j.people.com.cn/94475/6605107.html
ダライ・ラマ、かつて黄金8千キロと農奴6千人を所有
 西蔵チベット自治区人民政府は2日、拉薩(ラサ)市内で「西蔵民主改革50年」白書に関する記者会見を行った。
 西蔵自治区の徳吉・副主席は、「西蔵民主改革50年」白書は大量の歴史資料を使って現在と過去の比較検証を行い、旧チベットの封建農奴制の極めて暗黒で残酷かつ旧態依然とした歴史を暴露し、西蔵で行われた民主改革の歴史的必然性とその重大な意義を解き明かし、西蔵民主改革の波瀾万丈の歴史絵巻を再現、西蔵民主改革50年の政治・経済・文化など各方面で発生した巨大な変化と、それによりもたらされた輝かしい成果が反映されていると述べた。
 副主席は記者の質問に対し、1959年の民主改革前のチベットには政教一致の封建農奴制社会が敷かれ、その暗黒で残酷な社会は中世ヨーロッパの農奴制社会よりもさらに残酷なものだったと述べ、このような社会制度の下で長期的に統治されてきたチベット人民は災難尽くめで、生きることすら困難だった。チベット社会は極度の貧困と旧態依然とした閉塞・萎縮した状態に陥っていたと語った。

http://j.people.com.cn/94476/7389556.html
チベット経済の60年(1)空前絶後の大発展
 西蔵チベット)は5月23日に平和解放60周年記念日を迎えた。
 今から60年前の昔の西蔵は、総人口の5%にも満たない官僚、貴族、寺院の上層の僧侶という三大領主が全ての土地とほとんどの家畜を占有し、総人口の95%を超える農奴や奴隷は基本的に生産資料をもたず、人身の自由もまったくといっていいほどなかった。当時の西蔵の人口は100万人で、うち90%は住居をもっていなかった。中心地・拉薩(ラサ)には小型の発電機が1基しかなく、ごく一部の官僚や貴族だけがこの希少な光明の恩恵にあずかっていた。農業生産は手で種をまき、足で地面をならすという具合で、作物の生産量は種子の5-6倍にとどまるのが常だった。
 これまでの60年を振り返れば、西蔵は千年の時を超えて発展を遂げたといえる。雪の降り積もる高原地帯の人々は、今では安心して暮らし、楽しんで働き、西蔵の特色を備えた経済発展の道を歩んでいる。
 1980年以来、中央政府西蔵業務座談会を5回にわたり開催し、全国の力を結集して西蔵を支援すべく、より綿密な計画をうち出した。こうして西蔵は歴史的な飛躍を遂げ、急速な発展のレールに乗ることになった。
 1959年から2010年までの約60年間に、西蔵の域内総生産(GDP)は1億7400万元から507億4600万元に増加し、可比価格で計算すると83.3%増加し、年平均では9.1%増加した。また同期間には一人当たり平均GDPが142元から1万7千元に増加した。
 西蔵自治区党委員会の向巴平措副書記(西蔵自治区人民代表大会常務委員会主任)は「西蔵の財政から10元を支出すると、うち9元は中央政府からの移転交付*40だ」と指摘し、次のように述べた。2001年に行われた中央政府の第4回西蔵業務座談会の後だけでも、国は西蔵に総額3100億元を超える財政補助と固定資産投資*41を行った。第10次五カ年計画(2001-05年、十五)期間と第11次五カ年計画(2006-10年、十一五)期間は西蔵が最も急速に発展した時期であり、この10年間に国の対西蔵固定資産投資は1100億元を超え、新たに297件の重要プロジェクトがスタートした。
 1994年に行われた第3回西蔵業務座談会では、全国の力を結集して西蔵を支援するという重大な政策決定がなされ、第一弾として全国14省・直轄市*42が10年にわたって西蔵の44県を個別支援することが決定された。01年の第4回座談会では、支援の期間をさらに10年間延長すること、支援対象を西蔵のすべての県・市に拡大することが決定された。全国の18省・直轄市、約60の中央政府機関、中央企業(中央政府直属の国有企業)17社が西蔵支援の任務を担当し、幹部4742人を相次いで派遣して西蔵での業務に当たらせた。支援の資金は累計133億元を超え、重要建設プロジェクト4393件が完了し、西蔵が強い自主発展の力を蓄えるのを助けた。1993年から2010年にかけて、西蔵経済は18年連続で2けた成長を維持し、空前絶後の大きな発展を遂げた。

http://j.people.com.cn/94476/7389740.html
西蔵経済の60年(2)立体的な交通網を整備
 現在の西蔵チベット)には立体的な交通網が基本的に整備されている。2010年9月26日、青蔵鉄道*43の初の支線となる拉薩(ラサ)−日喀則(シガツェ)鉄道が正式に着工した。完成すれば、西蔵の中心地域の経済的活力を大幅に高めるものと期待される。同年12月15日には墨脱道路の重要なプロジェクトであるカツ隆拉トンネルが開通し、全国でただ一つ道路が開通していなかった墨脱県で、今年は自動車が走行する見込みだ。現在、西蔵自治区のすべての郷・鎮と行政村の80%以上で道路が開通しており、自動車の走行可能な道路は5万8千キロメートルに達して、1950年より5万700キロメートル増加した。また7つの地級市に5つの空港があり、拉薩を軸とし、昌都、林芝、阿里、日喀則を支点とし、周辺の大・中都市に放射状に広がる航空路線ネットワークが基本的に整備され、国内・国際合わせて21路線が運航している。自治区のすべての地域でインターネットと電話が通じるようになり、テレビ・ラジオ放送を受信できるようになった。電力の設備容量は97万4千キロワットに達し、電力使用人口が人口全体に占める割合は82%に達した。また格爾木(青海省)から拉薩に至る石油パイプライン、羊八井の地熱発電所、蔵木の水力発電所、青蔵交流・直流送電ネットワークといった一連の重要なエネルギーインフラ設備プロジェクトも現在、急ピッチで建設が進められている。西蔵はこれからまた新たな飛躍の時を迎えるとみられる。

http://j.people.com.cn/94476/7389772.html
チベット経済の60年(3)特色ある農牧業で収入増
 西蔵チベット)では特色ある農牧業の発展、農牧業経営の大規模化、農牧業インフラ設備の充実にともなって、農牧業の生産レベルと農牧民の収入とが、歩調を合わせて急速に増加している。定日県曲宗村の卓瑪央措さんの一家は現在、家の敷地内にある蔵猪(チベットブタ)の養殖場の拡張工事で大忙しだ。卓瑪央措さんによると、3年前に県の資金的支援および技術的支援を受けて、ほかの村民たちとともに蔵猪の養殖事業を初めて以来、収入は年々増加し、昨年は蔵猪を売ったお金だけで11万元を超えたという。西蔵では特色ある栽培業や養殖業を重要なルートとして、農牧民が急速に収入を増加させている。
 特色ある農牧業の発展は、西蔵自治区が農牧業の産業構造を調整し、農牧民の収入を増加させる上での重要な着眼点だ。第11次五カ年計画(2006-10年、十一五)期間には、自治区全体で14億6千万元の資金が投入され、383件の特色ある産業開発プロジェクトが実施されて、北東部のボウ牛、北西部の絨山羊、中部の乳牛、中北部の綿羊、中部の高品質穀物・植物油・野菜、蔵猪、蔵鶏といった7つの特色ある産業帯が基本的に形成された。また一連の農牧業商品の生産拠点が急速な発展を遂げている。昨年は特色ある商品の生産だけで、プロジェクト実施地域の農牧民の一人当たり平均収入が659元増加した。
 西蔵は総人口の80%が農牧民であり、農牧業が基幹産業だ。1984年に行われた中央政府の第2回西蔵業務座談会では、西蔵の住民に対する特別な優遇政策がうち出された。土地を世帯ごとに使用させ、家畜の私有や個人での養殖を認め、牧草地帯を世帯ごとに管理させるなどして、西蔵の農牧業を安定的かつ急速に発展させた。昨年の穀物生産量は92万トンに上り、12年連続で90万トンを超えた。一人当たり平均純収入は4138元で、長年にわたり2けたの伸びを維持している。
 十一五以来、中央政府の関心と支援を受けて、西蔵自治区全域で遊牧民の定住、牧畜地の緑化、農村のメタンガス利用、質の高い裸麦生産拠点、特色ある農牧業の開発、栽培業の優良種子プロジェクト、農牧業の科学技術普及サービスシステムといった重要な農牧業インフラ建設プロジェクトが実施され、総投資額は43億2千万元に達したほか、生態環境保護のための補助奨励金は4億元に上り、第10次五カ年計画(2001-05年、十五)期間の中央政府の投資額の5倍を超えた。

http://j.people.com.cn/94476/7389778.html
チベット経済の60年(4)特色あふれる工業化の道
 西蔵チベット)は中国の河川の源であり、生態環境の源でもあり、現在、3分類10項目の生態環境保護・建設プロジェクトが行われ、国の生態環境の安全を守るカベとなっている。こうした背景の下で、西蔵は極めて特色ある工業化の道を歩んでいる。
 2010年に行われた中国(上海)万国博覧会(上海万博)の会場や北京市天津市を結ぶ京津高速鉄道の車内で、多くの人が「5100ミネラルウォーター」を目にしたが、このブランド名の由来を知る人はそれほど多くないとみられる。この商品は念青唐古拉山の南山麓の海抜5100メートルのところにある氷河で採水したところから名付けられた。リチウム、ストロンチウム、メタケイ酸などのバランスが人体に適しているため、珍重されるミネラルウォーターとなった。青蔵鉄道が開通したことにより、現在では全国に普及し、すべての省都都市と多くの大・中都市に専門店があるほか、北米市場にも進出を果たした。このほか優良な資源を利用して開発された裸麦ビールや甘露蔵薬は、国内市場はもとより海外市場にも進出し、製造メーカーは西蔵の新型工業企業の中心として日々成長を遂げている。
 西蔵は鉱物資源が豊富で、これまでに発見された鉱物資源のうち、18種類は埋蔵量が全国10位以内に入り、12種類は同5位以内に入り、クロムと銅は全国トップだ。西蔵は国の戦略資源備蓄拠点に位置づけられている。西蔵の鉱物産業の発展では、「環境の優先」と「保護を前提とした開発」が遵守すべき大原則だ。西蔵華泰竜公司西蔵盛源鉱業集団、西蔵高新建材集団、西蔵天路建築工業集団といった資源面での優位性を備えた企業が、西蔵の工業経済の発展を牽引する新たなエンジンとなっている。
 このほか西蔵絨毯、西蔵香、タンガ*44西蔵式食器、西蔵式家具を代表とする民族手工業が盛んに発展しており、勢いある一連の中小企業が形成されている。観光客向けの工芸品メーカーに指定された企業は56社あり、生産される製品は800種類を超える。こうした数多くの素晴らしい工芸品は、神秘的で華麗な西蔵文化を今に伝えるもので、欧米市場や東南アジア市場にも進出している。手工芸品の製作は多くの農牧民にとって主要な収入源だ。

http://j.people.com.cn/94476/7389797.html
チベット経済の60年(5)観光業が経済の柱に
 西蔵チベット)の神秘的な魅力と華麗さは世界中の目を引き寄せる。中央政府の第5回西蔵業務座談会では、西蔵を重要で世界的な観光地にすることがうち出された。観光業は現在、西蔵の重要な経済的柱の一つとなっている。
 林芝県魯朗鎮扎西崗村の平措さんの家は、村はずれの川の畔にある。庭にはナシの花やモモの花が咲き乱れ、庭全体が小さな公園に仕立てられている。2棟ある建物の一つは民宿になっており、一度に20人以上の受け入れが可能という。平措さんによると、県が一昨年、村に80万元の補助金を拠出し、村の20世帯が民宿業の発展資金として1世帯あたり4万元を貸し受けた。返済期限は3年で、返済された資金はまた別の農民世帯に貸し出されることになっている。平措さんの民宿はこの補助金を借りて建てたものだという。
 平措さんの民宿は昨年、2千人を超える観光客を受け入れ、うち半分が宿泊客だった。民宿の収入のほか、西蔵特産品の販売、観光客向けキノコ狩り、乗馬観光などの収入もあり、平措さん世帯の観光収入は10万元を超えた。
 現在、西蔵には平措さんの民宿のような「星級」民宿が315軒ある。観光サービス業に従事する農牧民世帯は1万1千を超え、直接的な従業員数は4万人、間接的な従業員は23万人を上回る。
 2009年以降、国は西蔵の観光業の発展に向けて3億5千万元を投入した。地級市7カ所に観光総合サービスセンターを設立したほか、県級市の一級レベル観光エリアにおけるサービス施設や郷村における観光による一級レベルの村おこしプロジェクトを支援してきた。西蔵の民族手工芸品産業への支援の実施に伴い、西蔵の観光消費市場が拡大を続けており、現在では旅行記念品の消費支出が観光収入全体に占める割合が約30%に達する。
 現在、自治区には1千軒を超える観光ホテルがあり、うち星級ホテルは165軒に上り、ベッド数は8万床を超える。
 第11次五カ年計画(2006-10年、十一五)期間に西蔵を訪れた国内・海外の観光客はのべ2125万人に上り、第10次五カ年計画(2001-05年、十五)期間の2.8倍に達した。観光収入は226億2千万元で、十五期間の2.7倍だった。観光業が第三次産業に占める割合は20%を超えている。

 中国はチベットについて、農牧業、鉱工業、観光業のバランスの取れた経済発展をめざし、一定の成果を上げているという話。

それ(注:一定の生活水準が満たされていること)がある程度実現していたからこそ、統治時代には目立った反日独立運動が民衆の中には生まれなかったとする。*45

 デマカセも大概にしろ。日本史の教科書にも、三・一独立運動(日本で恐らく一番有名な朝鮮独立運動)は載ってるんだが。
 「三・一独立運動」は「目立った反日独立運動」じゃねえのか。
 今も、伊藤博文(韓国統監)を暗殺した「安重根同志」が民族の英雄とされていることはどう説明する気だ?。
 桜田門事件(昭和天皇暗殺未遂事件)を実行した「李奉昌同志」、上海天長節爆弾事件上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将が死亡)を実行した「尹奉吉同志」も民族の英雄とされていることはどう説明する気だ?。

三・一運動」(ウィキペ参照)
 1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった運動。独立万歳運動や万歳事件、三・一事件、三・一独立運動ともいう。韓国では3月1日を三一節として祝日に指定している。
 第一次世界大戦末期の1918年(大正7年)1月、米国大統領ウッドロウ・ウィルソンにより「十四か条の平和原則」が発表されている。これを受け、民族自決の意識が高まった李光洙ら留日朝鮮人学生たちが東京府東京市神田区*46のYMCA会館に集まり、「独立宣言書」を採択した(二・八宣言)ことが伏線となったとされる。これに呼応した朝鮮半島キリスト教、仏教、天道教の指導者たち33名が、3月3日に予定された大韓帝国初代皇帝高宗の葬儀に合わせ行動計画を定めたとされる。
 三・一運動の直接的な契機は高宗の死であった。彼が高齢だったとはいえ、その死は驚きをもって人々に迎えられ、様々な風説が巷間でささやかれた。その風聞とは、息子が日本の皇族・梨本宮方子と結婚することに憤慨して自ら服毒したとも、あるいは併合を自ら願ったという文書をパリ講和会議に提出するよう強いられ、それを拒否したため毒殺されたなどといったものである。
 実際のところは不明であるが、そうした風説が流れるほど高宗が悲劇の王として民衆から悼まれ、またそれが民族の悲運と重ねられることでナショナリズム的な機運が民衆の中に高まったことが、運動の引き金となった。
 高宗の死後、国葬が行われる3月3日に向けて独立運動が計画されるようになった。中心となったのは天道教キリスト教、そして仏教の指導者たちである。3月1日午後、京城(現・ソウル)中心部のパゴダ公園(現・タプコル公園)に宗教指導者ら33名が集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。実際には仁寺洞の泰和館に変更され、そこで宣言を朗読し万歳三唱をした。
 独立宣言書は崔南善によって起草され、1919年(大正8年)2月27日までに天道教直営の印刷所で2万1千枚を印刷し、その後、天道教キリスト教の組織網を通じて朝鮮半島の13都市に配布されたとされる。
 運動の発端となった宗教指導者ら33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に市民が参加し、数万人規模となったという。以降、運動は始め朝鮮北部に波及し、その後南部に及んだ。結果、朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。これに対し日本側は憲兵や巡査、軍隊を増強し、一層の弾圧強化を行った。こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名なのは堤岩里事件である。この事件は4月15日に堤岩里の住民30余名を教会堂に集めて一斉射撃の後放火焼殺され、他にも日本側が放火し15村落317戸が延焼し、39人が亡くなったというものである。この他の悲劇としては江西事件、砂川事件、密陽事件、孟山事件、陝川事件、定州事件、南原事件、京畿道狩川及び花樹里の焼き討ち、ソウルの十字架虐殺事件などがある。
 以上のような運動弾圧中、悲劇の死を迎え、特に人々の記憶に残った女生徒がいる。故郷の天安で独立運動を行い、逮捕・起訴後懲役3年の有罪判決を受けてソウルの西大門刑務所に収監され、獄中で死去したという梨花学堂学生柳寛順(当時17歳)である。彼女は、後に「独立烈士」として顕彰され、韓国ではフランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクになぞらえ「朝鮮のジャンヌ・ダルク」と呼ばれ、現在まで尊敬を集めている。
 三一運動は、朝鮮の人々に今なお深く記憶され、独立運動の様子を描写したレリーフソウル特別市のタプコル公園に作られており、毎年3月1日に同公園に人々が集い独立運動を偲んでいる。

安重根」(ウィキペ参照)
■獄中における日本人との関わり
 安重根は獄中において、多くの日本人の共感を得たと伝えられている。
 安の監視を任ぜられた日本人看守の千葉十七は、当初は伊藤を暗殺した安を憎んでいた。 ところが、話を重ねるごとに千葉は安の思想に共感を覚えるようになっていった。
 千葉は終生、安の供養を欠かさなかった。
 千葉の墓がある宮城県栗原市の大林寺には、1981年に安重根の顕彰碑が建立された。また、1992年9月6日からは日韓合同で毎年、安と千葉夫妻の合同供養が執り行われている。

■韓国での評価
 韓国において安重根は、抗日闘争の英雄と評価され、「義士」と呼ばれる。ソウル特別市には安の偉業を伝える「安重根義士記念館」が1970年に建設されている。
 彼の功績を称えて、韓国海軍では、2008年に完成した孫元一級潜水艦3番艦の艦名に「安重根」を用いている。また伊藤博文暗殺から100年にあたる2009年10月26日にはハルビンで記念式典が開催された。また、伊藤の暗殺という事実だけでなく、彼の唱えた「東洋平和論」や教育啓蒙活動など彼の思想を照明する動きも活発になっている。

李奉昌」(ウィキペ参照)
 1932年1月8日に桜田門外で昭和天皇の暗殺を試み失敗(桜田門事件)。同年10月10日大逆罪で市ヶ谷刑務所にて処刑された。
 1946年、遺骨は在日朝鮮人が発掘した後ソウル市に於いて国民葬が行われた。韓国では独立三義士(注:李の他は尹奉吉と白貞基)の1人とされる。韓国の小学校歴史教科書では義士として讃える1ページにも亘る記述が有り、独立記念館で顕彰されている他、孝昌公園にも像と墓が建てられている。1962年には、韓国政府*47から建国勳章大統領賞を追叙され、1992年*48には逝去60周年を記念する百ウォン切手が発行された。現在は『李奉昌義士記念事業会』が定期的に追慕式を行っている。

尹奉吉」(ウィキペ参照)
 1932年4月29日天長節天皇誕生日)の日、上海の日本人街の虹口公園で行われた祝賀式典会場に爆弾を投げ爆発させる事件(上海天長節爆弾事件、あるいは虹口公園爆弾事件と呼ばれる)を実行した。上海派遣軍司令官・白川義則陸軍大将、上海日本人居留民団行政委員長で医師の河端貞次を死亡させ、第3艦隊司令長官・野村吉三郎海軍中将*49、第9師団長・植田謙吉陸軍中将、上海駐在総領事村井倉松*50、上海駐在公使重光葵*51、上海日本人居留民団書記友野盛ら多数に重傷を負わせた。尹は現場で取り押さえられ、5月25日上海派遣軍軍法会議で死刑判決を受け、12月19日銃殺刑に処された。
 遺骨は1946年3月6日に在日韓国・朝鮮人によって発掘され、京城(ソウル)で葬儀を挙行した後、国立孝昌墓地公園に改葬された。韓国政府は1962年建国勲章を贈り、独立運動の義士として顕彰し、独立記念館に祀っている。

「白貞基」(ウィキペ参照)
 1933年3月に上海の虹口公園(現在の魯迅公園)で同志らとともに駐華日本公使・有吉明を暗殺しようとしたが、失敗。逮捕起訴され無期懲役刑を受けた。服役中の1936年に獄死した。
 韓国では独立運動家のひとりとして顕彰されており、また白を顕彰する旧派白貞基意思記念館がある。墓地は金九らと同様に孝昌公園にある。

「朝岡先生(注:著者が子ども時代に出会った日本人教師)に教えを受けたことを感謝します」

 個々の人間に立派な人がいるかどうかと植民地支配の是非は全く関係ないんだが。
 繰り返すが、

 こんな事が許されるなら「イギリスのインド統治」「アメリカのフィリピン統治」「イスラエルパレスチナ人統治」「中国のチベット統治」、何でも正当化することが出来るだろう。

と俺は思う。
 大体、個人の行為と政府の政策の是非は関係ない。日本人の暴力教師や変態教師に酷い目(体罰で大怪我したとか痴漢にあったとか)にあったと言う韓国人がそれを理由に日本の韓国植民地統治を否定したらお前ら支持するのか?。それは別問題と言うんじゃないのか?

本書後半部での、日本への協力を「親日派」と糾弾された朝鮮文化人への断固たる弁護論は、勇気ある選択を貫いて時代を生き抜いた人々への激しくかつ哀しい鎮魂歌のように響く。

・三浦は著者の親日派擁護を絶賛してるが、絶賛に値するかどうかは擁護された文化人ってのが誰で、「日本への協力」とはどんな行為で、著者がどう擁護してるのかによるね。そもそも「勇気ある選択を貫いて時代を生き抜いた人々」って「おいしい生活を求めて権力に追従しただけの親日派」もいるだろうに何なの、三浦は。
 抗日運動に参加した人々は「勇気ある選択を貫いて時代を生き抜いた人々」じゃねえのかよ。 
・「悩みながら(抗日独立よりも日本に評価される道を選んだ方が独立に近いと考えて)親日派になった人」*52がいたとしてもそれは「たとえその選択が間違っていたとしても、その人を一方的に非難できない」という話であって、「その人の選択が正しい」と言う話ではないし、ましてや「日本の韓国植民地統治が正しかった」という話ではない。
 チャンドラ・ボースが日本に協力したからと言って、「ボースが正しい」わけでもなければ、ましてや「日本の起こした戦争が正しい」「日本のインド政策が正しい」わけではないのと同じ。
 今のチベットにおいて、「インドの亡命政府でわーわー言っても無意味」「中国政府・共産党内で出世して体制内変革しかない」というチベット人がいるからと言って、「そのチベット人が正しい」わけでもなければ、ましてや「中国のチベット政策が正しい」わけではないのと同じ。

本書で最も強い印象を残す人物の一人は、独立運動家呂運亨(著者の母の従兄に当たる)だ。

 呂運亨(朝鮮の独立運動家)をネタに極右・歴史修正主義者の三浦が日本の韓国植民地支配を正当化しようとすることは「チャンドラ・ボース*53汪兆銘をネタに太平洋戦争を正当化しようとするもの」で実に許し難い(ちなみに三浦同様朝鮮学校イジメに狂奔してる橋下も最近、インドネシアをネタに太平洋戦争を正当化しようとしていた。日本のインドネシア統治はバラ色でもなければ、スカルノが日本に協力したのもただの戦術に過ぎないので橋下の主張はデマだが(大体日本はインドネシアに戦争賠償してるのだが?)。こいつらがフィリピンやベトナムと言った親日勢力が戦後ほとんど影響力のなかった所は上げないのが実に興味深い)。
 呂が日本に融和的な態度を取ったとしてもそれは戦術に過ぎないであろうに(そもそもウィキペに寄れば呂は大同団結を唱え、ソ連アメリカに対しても融和的態度で臨んだようであり、日本限定ではないようだが)。

(注:呂は)日本との対話も行い、感動的な演説を残し、それは本書にも収録されている(日本側にもそれに応じる度量*54があった)。

「日本に度量があった」って本当か。事実だとして「どんな応じ方」をする気だったのかが大変問題だが。

*1:もともとの題名は『オサマ・ビン・ラディンの半生と聖戦』(2001年、朝日選書)だったのだが、オサマ暗殺後、加筆訂正されたものが『オサマ・ビン・ラディンの生涯と聖戦』(2011年、朝日選書)として出版された

*2:イスラム国家も国連加盟してるのに「主権国家国際法が反イスラム」とはずいぶんな珍理論だな、三浦

*3:保坂氏のその他の著書に『乞食とイスラーム』(1994年、ちくまプリマーブックス) 、『サウジアラビア―変わりゆく石油王国』(2005年、岩波新書

*4:欧米がアラブの敵・イスラエルの無法をまともに批判しない以上、反欧米になるのは仕方ないだろう。平和的な「反欧米」なら問題はないし

*5:ジロンド派山岳派→総裁政府で警視総監→統領政府で警視総監→ナポレオン帝政で警察大臣→王政復古で警察大臣。変節が半端ないこと、政治警察部門を担当したことからあまりイメージが良くない。

*6:意味もなく外来語使ってかっこつけるのが三浦のようなバカウヨ。ルサンチマンとは平たく言うと「憎悪」とか「嫉妬」といったネガティブな感情のこと。つまりわかりやすく言うと三浦たちウヨがサヨに抱く感情のことである(毒)

*7:三浦が60年代の学生運動を否定一色に描き出すこと自体が、当事者に失礼な歴史歪曲だと思う。大体「造反有理」は文革用語だからこんな言葉を使うのは文革支持者だけだろ。学生運動文革万歳じゃない(わかりやすい例では共産党系の学生運動

*8:公家、大名、維新の元勲などが華族となった。戦後廃止された

*9:制度としては廃止されたが差別は残存し、戦後になるまで政府としての対策はほとんど取られなかった。

*10:在特会などのバカウヨの暴挙ですね、分かります(毒)

*11:公然ではなく「こっそり」かも知れないがどっちにしろ侵害していた

*12:もちろん評価の仕方はいろいろだし、明治維新に対する批判がないわけではもちろんないが、三浦や藤岡が言うように全否定している人間など、どこにもいない

*13:野呂栄太郎、山田盛太郎、平野義太郎、服部之総羽仁五郎など

*14:櫛田民蔵、大内兵衛、猪俣津南雄など

*15:戦前の時代劇スター「アラカン」こと嵐寛寿郎鞍馬天狗を演じる映画は大人気となった

*16:私はこの話が本当かどうか知らないし、三浦は何故かソースを上げていない。機会があったらこの件についての歴史書でも読んでみたいと思う。ググったら森山軍治郎・専修大学北海道短期大学教授(フランス革命史)の著書『ヴァンデ戦争』(1996年、筑摩書房)が見つかった。

*17:いつ発表した文章かとか、三浦が何の注記もつけてないのでどんな法案だったか分からなくて困る

*18:国籍法違憲判決を最高裁が出した以上改正せざるを得ず、改正部分は最小レベルの改正なのだが

*19:まあ、言い訳ですよね。李が台湾独立運動促進を狙った、あるいはそれを口実に自分の政治力をアピールしようとしたことは明白です。日本の李支持者が人権派かと言ったらそんなことは全くないわけです。

*20:田氏の言葉は「人道や人権は必ずしもオールマイティではない」なのだから「有効なときもある」と理解するのがまともな人だろう。田氏は「人道や人権」を否定しているわけではあるまい。

*21:三浦の言う北朝鮮へのシンパシーが何を意味するか分からない。朝鮮戦争時、左翼が好意的だったことを指すのならそれは、「韓国による侵略への防衛戦」と言う理解を当時の左翼がしていたことに注意が必要だろう。そして今、北朝鮮による武力統一(そもそもやりたくても能力的に出来ないだろうが)を支持する左翼が少なくとも主要な左翼ではいるとは思われない

*22:こうした俺の考えはたとえば五十嵐仁「活憲」(山吹書店)を参考にしている。他にも色々とあるが

*23:なお、左翼の多くはベトナム戦争を米国による侵略戦争と理解しているであろうから三浦の「北ベトナムの侵略」という理解とはずれが生じるであろう。いずれにせよゴ・ジンジェム独裁とか、枯れ葉剤とか、ソンミ虐殺とか、トンキン湾事件とか、三浦に都合の悪いことに一切触れないとは論外だよな。

*24:どう見ても軍上層部の指示による暗殺だろう

*25:初代社民連代表。参議院議員。祖父・田健次郎は寺内正毅内閣逓信大臣、第2次山本権兵衛内閣司法大臣兼農商務大臣を務めた戦前の大物政治家

*26:のちの首相。田中内閣で蔵相、三木内閣で経済企画庁長官を歴任

*27:当時、佐藤内閣外相。田中内閣で環境庁長官

*28:その後、田中内閣で通産相、三木内閣で幹事長、福田内閣で総務会長、鈴木内閣で行政管理庁長官を歴任

*29:朝鮮人民軍最高司令官・金正日閣下のこと

*30:5000万円出したらしいイ・ビョンホン先生とか、7000万円出したらしいペ・ヨンジュン先生とか

*31:在日本朝鮮人連盟:1945〜1949年

*32:在日朝鮮統一民主戦線:1951〜1955年

*33:民団誕生時には軍事独裁ではないので、もちろん軍事独裁支持は初心の訳がない。軍事独裁支持する当時の民団執行部を批判する人々が民団を自分から離れたり、除名されたりして、別に造ったのが在日韓国民主統一連合(韓統連:http://www.korea-htr.com/chuo/、1973年発足時の名前は「韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)」である

*34:三浦のように日本の植民地支配を正当化しながら、「大東亜戦争はアジアの植民地解放」とほざくのも実に恥知らずな話だ

*35:「キュウリとヒカルと小梅」って何だろうと思ってググったら、ウィキペ「光輪の町、ラベンダーの少女」が引っ掛かった。登場人物「桜木ヒカル:キュウリが大好き」「桐生小梅:発明が得意」だそうだ。勉強になるなあ(何の?)

*36:他人の自慢って大抵読んでてウザイからね

*37:ユートピア、楽園、桃源郷などと同義

*38:ここで三浦が言う基本的人権って要するに「食える」って事だけだろう。「日本批判しても弾圧されません」ってことじゃなくて。「表現・言論の自由」「政治活動の自由」も基本的人権の一つなのだが。日本に移住した朝鮮人(在日)がいることを考えると本当に「食えてた」か疑問ではあるが。

*39:最近同志という言葉をネタで使うことがマイブーム

*40:日本の地方交付税交付金のようなもの?

*41:「固定資産投資」とはいわゆる箱物(固定資産)を建設したという理解でいいのだろうか?

*42:ウィキペ曰く、省と同格の市。現在、北京市(首都)、上海市重慶市天津市の4市がある。

*43:青海チベット鉄道

*44:ググったところ仏教美術(掛け軸とか)の一種らしい

*45:そもそも恐怖支配でも政府批判は抑えることが出来るので「政府批判がない=生活がよい」とは必ずしも限らないが

*46:今の千代田区

*47:この時は朴正煕政権時代だが、朴を万歳する日本ウヨの皆さんはどう思いますか?

*48:盧泰愚政権時代

*49:後に阿部信行内閣で外相

*50:後に八戸市

*51:後に東条内閣、小磯内閣、東久邇内閣で外相。A級戦犯として有罪判決を受け、公職追放処分も受けるが、冷戦後のアメリカの方針転換で政界復帰。鳩山内閣で外相

*52:日本の植民地統治に限らず、「現在の権力批判・打倒」ではなく「現在の権力内部に入り込み出世してそれから改革をめざす」というのは是非はともかく良くある話だと思う

*53:まあ、ボースは日本敗北確定後はソ連と手を結ぼうとした人だが

*54:植民地支配していた国(日本)の人間が被植民地側(韓国)に「度量」ってどれだけ「上から目線」だよ