新刊紹介:「歴史評論」6月号(追記・訂正あり)

 以下は私が読んで面白いと思った部分のみ紹介します。(詳しくは6月号を読んでください)
歴史評論」6月号(特集「〈家庭内労働〉とジェンダー*1・階級・エスニシティ*2」の全体の内容については「歴史科学協議会」のサイトを参照ください。

 http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/

■「イギリスの家事奉公の歴史とその周辺―ヴィクトリア時代*3を中心に―」(河村貞枝
(内容要約)
ヴィクトリア時代のイギリスにおいて家事奉公人は全盛を極めた。そこにはミドルクラス(中流階級中産階級)より上の階級の女性は家事などという些事に関わるべきではないとする、当時の価値観があった。
第一次世界大戦*4以降、家事奉公人は衰退の一途をたどった。第一次世界大戦では多くの男性が出征したためその不足を補うため、女性が工業労働力として働かざるを得なくなった(女性の社会進出)。その結果、家事労働は工場などでの労働よりも価値が劣るという新しい価値観が生まれたことや家事労働よりも工場などでの労働の方が実入りがよかったことが衰退の一因と考えられる。
・こうして、家事奉公人が衰退したことにより、大金持ちは別だがミドルクラスの女性も再び家事労働に携わらざるを得なくなる。第一次大戦以降、「家事の機械化」が進んだことにはこうした背景があると見られる。


■「〈境界〉から捉える植民地台湾の女性労働エスニック関係」(金戸幸子)
(内容要約)
・日本植民地下の台湾において、家庭内労働(いわゆる「女中」)に従事するのは、台湾人女性または沖縄県八重山地方の女性であった(同じ日本語が通じると言うことで上流階級の日本人が沖縄県八重山地方の女性を好む傾向にあった)。当時の八重山においては台湾は身近な存在であった。
・日本(この話は八重山限定だが)も海外に出稼ぎに行く時代があったんだなあと思うと感慨深い(当時の台湾はいわゆる「外地」とはいえ一応「日本領土」だが)。
・ブラジル移民とかあるから当たり前だろと言えば当たり前ではあるのだが。


■「1960年代の保育所づくり運動*5のなかのジェンダー」(和田悠)
(内容要約)
うまくまとまらないので文章を引用し、随時コメント。

 さて、(私注.大阪府枚方市香里団地保育所づくり運動が精力的かつ継続的に展開した条件は何であったか。
 (中略)
 第一に、「共稼ぎ」を辞めるという選択肢が経済的理由から存在しなかったことである。
 (中略)
 第二に、団地の住宅構造上の問題から保育所建設以外に「共稼ぎ」を続ける方途がなかったということである。
 (中略)
 第三に、運動の担い手は新しい育児への関心が強く、集団保育に確信を持っていたことである。
 (中略)
 だからこそ、1960年3月に「私は赤ちゃん」(私注.岩波新書)を刊行し、脚光を浴びた知識人の松田道雄香里団地保育所づくり運動に多田道太郎*6の斡旋で関与し、集団保育の積極的な意義を団地住民に対して説くことで運動を励ましたことは重要な意味を持った。

・第二の指摘は分かりづらいが、狭い団地ではスペース的に家政婦を住み込ませることは困難だったと言うことである。そもそも団地住民の多くは家政婦を雇えるほど裕福ではないだろうが。
・第三の指摘。当時、集団保育は「新しい育児」であり、母親が育てないなんて、子供がかわいそうと批判する声も少なくなかった。
・「知識人の松田道雄」。松田先生って知識人って言うよりエッセイストとか育児評論家ってイメージがあるが。
・「松田先生」と言うと個人的には、高校時代に読んだ「君たちの天分を生かそう」が懐かしい。あの本は、本当によい本だと思う。「社会主義に対する松田先生の熱い思い」(今の若者には時代錯誤に見えるだろうな。私の高校時代はモロに冷戦終了にかぶっていたので、あの部分は松田先生の熱い思いが裏切られたことを考えると読むのがつらかった)「明治維新を民族の誇りと書いてるところ」(植民地支配まではさすがに正当化してないけど。左派にしては、初版当時においてもかなり甘い評価だと思う。)「中学生の就職問題」(今、中卒で即就職って普通ないから)など、現代の目で見るとちょっと、って所もあるけど。初版が1962年だからな。

【追記】
 後に筆者は同様の問題意識に基づくと思われる論文「松田道雄の保育思想」(大門正克編『高度成長の時代』3(2011年、大月書店))を執筆している。


■歴史のひろば「神国日本の復興―21世紀における神道の動向」(ジョン・ブリーン)
(内容要約)
神社本庁が取り組んでいる「一千万家庭神宮大麻奉斎運動」(初耳だよ、そんな運動があるのか)が取り上げられている。2008年現在、約900万体の大麻神道で使うお札の一種)が全国に配布されたという(後で指摘するが、新聞業界の「押し紙」のような水増しの疑いがある。)。
・言うまでもなく神社本庁は日本の神社界の最大組織。ウィキペディアを見れば分かるが、明治神宮日光東照宮靖国神社などのように、歴史的経緯から神社本庁とは独立した神社もあるがほとんどの神社が神社本庁に属している。
・こうした大麻奉斎運動については、下部組織を中心に果たして意味があるのかという疑問が出されている。2007年に神社本庁が実施した調査に寄れば「あなたの家庭では神宮大麻を奉斎していますか」という質問に対して「奉斎しているかわからない」「奉斎していない」と言う回答が8割に達したという。この調査結果を信じる限り、日本における神社信仰は明らかに神宮大麻とはあまり関係のないものになっている。「にも関わらず」と言うべきか「だからこそ」と言うべきか、とにかく神社本庁神宮大麻をプッシュしているわけである。
 そもそも「約900万体の大麻が全国に配布された」と言うのは下部組織の自己申告の合計に過ぎない。神社本庁の押しつけるノルマを消化しきれず、かといって返却して関係悪化するのも嫌(「努力が足りないから余るんです」「返却するなんてやる気ないんですか」と非難されるとか)だと言うことで手元で眠らせている神社は少ないないようである。
 こうした中、「よりポピュラーな初詣や七五三、破魔矢などでは何故ダメなのか」*7神宮大麻なんてもはや一般的じゃない。大麻といったら違法薬物を連想するのが今の日本人」「一千万家庭神宮大麻奉斎なんてできるわけがない」と言う声も一部で出ているようである。
・筆者は神宮大麻奉斎問題をどう解決するかが今後の神社本庁の動向や神道の未来に重要な影響を与えると見ているらしい。時代錯誤な方針を本庁が続けて世間の失笑を買うか、それとも現代にマッチした神道をめざすかということだろう。つーかあまり変なコトしてると明治神宮みたいに離脱する神社*8が他にも出かねないと思う。小さいところはともかく独立してやってける大きいところは本庁に属してるメリットって実はそれほど大きくないんじゃないの?。この論文読む限り神社本庁はかなり上意下達体質が強いらしいから不満を感じている人も中にはいるだろうし、実際、下の新聞記事のように何らかの形で本庁に異を唱えるケースはゼロではない。

【参考】
最高裁、神社規則の変更認める 羽咋市気多神社訴訟」(http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042001000916.html
宇佐神宮世襲騒動、宮司就任めぐり提訴」(http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/372279/

・この論文では取り上げられていないが、現代にマッチした神道と言うことで言えば、いい加減、日本会議のような真正保守関係とのおつきあいもやめた方が良いと思う。靖国公式参拝だのアホなことを画策する限り神社本庁は支持できないね(共産支持者だから当然だが)。まあ、初詣とか慣習的なことはやりますけど(別に違和感ないし、絶対嫌だと言って事を荒立てるほどの勇者でもないので)。


■文化の窓「郷土と「偉人」−熊本と加藤清正」(猪飼隆明)
(内容要約)
加藤清正熊本藩初代藩主。いわゆる「賤ヶ岳七本槍」の一人。清正の子・忠広が後を継いだが改易処分となり、細川氏が所領を受け継いだ*9

ウィキペディア加藤清正
 新たに肥後熊本54万石の領主となった細川忠利は、清正の霊位を先頭にかざして肥後に入部し、熊本城に入る際「あなたの城地をお預かりします」と言って浄池廟の方角に向かって遥拝し、清正を敬う態度を示した。清正の菩提寺本妙寺細川氏菩提寺(泰勝寺・妙解寺)並の寺領を寄進される。享保20年(1735年)の百二十五遠忌の頃になると、毎月23日の清正命日逮夜には参詣通夜し、所願成就を祈願する者が急増する。6月23日の祥当逮夜には、大勢の参拝客を目当てに参道に仮設店舗や茶店が出る賑わいを見せ、現在の頓写会の原形が姿を現している。かつて「日乗様」「日乗居士」*10と呼ばれていた清正は、このころには「清正公」「清正神祇」と尊称されるようになって神格化が進み、本妙寺・浄池廟は「せいしょこ(清正公)さん」として、民衆の清正信仰*11の中心的存在となった。

 もちろん細川氏のこうした態度は旧・加藤家家臣との軋轢を避けるための工夫だろう。

ウィキペディア加藤神社
 熊本県熊本市の熊本城内にある神社。加藤清正主祭神とする。

・ただ一方で、清正は朝鮮・韓国人にとっては侵略者(豊臣秀吉の朝鮮侵攻)という顔も持っているのだが、そう言う認識が日本人にはあまりないのは筆者が指摘するように問題だろう。今や日本に観光で来る朝鮮・韓国人は珍しくないし(最近、JRの駅とかにハングル書いてあるのはそう言うことでしょ?。もちろん在日の存在も忘れてはいけませんね)。それ以前に嫌韓本が売れたり、一応全国紙の産経が「対馬が危ない」を書いたりするのが問題だが。
・もちろん頓写会やめろとか無茶苦茶な事を筆者は言ってるわけではないので念のため。

*1:おおざっぱに言うと「社会における性のありよう」でいいのかな?

*2:「民族」というのと、どこが違うんだろう?。

*3:もちろん「ヴィクトリア女王の時代」って意味

*4:いわゆる「総力戦」のお初だろう。だから後述するように女性を工業労働力として使わざるを得なくなる。

*5:この時期生まれた有名なキャッチコピーが「ポストの数ほど保育所を」である。

*6:フランス文学者。香里団地住民の一人。ウィキペディアに寄れば、保育所づくりに限らず団地住民の文化団体「香里ヶ丘文化会議」を組織したり、団地にサルトルボーヴォワールを招いたり活発に活動したようだ。人権派弁護士として知られる多田謡子は彼の娘。

*7:もちろん神社本庁なりの「ダメな理由」の説明はあるが、それは一般庶民にはとうてい理解困難なものである、庶民相手の神社がそうした庶民離れした理論を振り回していいのか?、というのが筆者、及び批判派の認識のようだ。

*8:何があったのか知らないが、意見対立があったらしく明治神宮は元々神社本庁に属していたのだが、近年、離脱している。

*9:清正が熊本入りしたのも、佐々成政が秀吉に改易されたことが原因であることを考えると、「二度にわたって改易」とは皮肉な気がする。

*10:この呼び方は清正の戒名によるもののようだ。

*11:猪飼氏によれば清正が新田造成や堤防工事に力を入れたため、農業の神として信仰を集めたという。