今日の産経抄はつかこうへい氏の追悼文ですが、突っ込みどころだらけです。
「こんな時に、女とチャラチャラしてて、恥ずかしくないのか」。全共闘華やかなりしころ、キャンパスの片隅で、芝居の稽古をしていると、ヘルメット姿の学生から罵声を浴びた。
▼肺がんのために10日、62歳の若さで亡くなった劇作家のつかこうへいさんは、「あのころの引け目は今も引きずっている」といつか語っていた。
・何故つかさんは引け目を感じたのでしょう。
「彼らのように全共闘活動すべきなのにそれが出来ず、遊んでいる自分は臆病者だ」とでも思ったんでしょうか?(彼らにシンパシーも何もなければ罵声に対し、反感は感じても引け目はないでしょう)
・そして、引け目を感じたつかさんはどうしたのでしょう。
「社会問題を取り入れた芝居をやるという形で、俺は俺のやり方で政治活動をするんだ」と思ったのか?
それとも「俺は芝居の世界で一流になる、芝居を自分の仕事にする、遊びじゃないと証明してやる」と思ったのか?
そこが大事なんですが書かないのが産経抄。
・それと「いつか語っていた」というのはいつ、どこで語っていたのでしょうか?。抄子の取材にそう語ったのか?。それともテレビや新聞、雑誌の取材にそう語るのを抄子が見聞きしたのか?
初期の傑作『熱海殺人事件』は、警視庁の木村伝兵衛部長刑事が、新任の熊田留吉刑事や婦人警官のハナ子とともに、熱海で女子行員を殺した大山金太郎のありふれた事件を、一級の事件に仕立てるというストーリーだった。当時は集団就職で出てきた男女が、東京の豊かさに道を間違えて罪を犯した、と聞いても納得がいった。しかし、日本という国から、そんな貧しさが次第になくなっていく。
「熱海殺人事件」よりも、「蒲田行進曲」の方が有名だろうに?。つか氏が「熱海殺人事件」で、岸田國士戯曲賞を、当時最年少の25歳で受賞したから?。と思ったのですが、id:pr3氏のエントリ(http://d.hatena.ne.jp/pr3/20100713/1279033258)に寄れば「熱海殺人事件」をフジテレビが映画化してるからだそうです。やれやれ。ただしウィキペディアに寄れば映画「熱海殺人事件」は映画「蒲田行進曲」と違い、興行的に失敗した上、賞ももらえず、つかファンや演劇関係者からも映画は失敗作と酷評されてるようですが(苦笑)。
「ありふれた事件を、一級の事件に仕立てる」
産経の捏造記事みたいな事でしょうか(毒)
「集団就職で出てきた男女が、東京の豊かさに道を間違えて罪を犯した」
社会派っぽい内容ですね。
「日本という国から、そんな貧しさが次第になくなっていく」
最近はまた「そんな貧しさ」が増えているようです。だから格差社会の本が売れたりするのでしょう。産経にとって庶民生活などどうでもいいんでしょうが。
「原発、あるいは北朝鮮がテーマ」
ますます社会派っぽい内容ですね。
なお、原発は分かりませんでしたが、「北朝鮮がテーマ」は「熱海殺人事件〜平壌から来た女刑事〜」、「部長刑事が女」は「熱海殺人事件〜売春捜査官〜」という名前のようです(他にもいろいろなバージョンがある)。
ウィキペディア「つかこうへい」によると、つかこうへいというペンネームにした理由は次の2説あるようです。
「いつか公平」から「つかこうへい」にした(つまり今の社会は公平じゃないと言うこと)
「敬愛する中核派の活動家・奥浩平」から「つかこうへい」にした(「ちゅうかくこうへい」→「つかこうへい」ってことですかね?)
・何故、抄子はペンネームがひらがなであることに触れても、ペンネームの由来に触れないんでしょう。まあ、何となく分かりますが。
しかし、ペンネームの由来を信じる限り、少なくともつか氏は抄子とは真逆の人間だと思うのですが。
・他にも「対馬海峡に遺骨をまいて欲しい」(日韓の架け橋になりたい?)と言ったとか、書くべき事はあると思うのですがそれも書いてません。
日本人でなくても、いや日本人でないからこそ、どの作品にも、「日本の美学」への強い思い入れが感じられた。
つか作品の魅力は本当に「日本の美学への強い思い入れ」なんですか?。根拠は何ですか?。抄子のいう「日本の美学」が何かもよく分かりませんが。
ファストフードが広がり、歩きながら物を食べる姿が普通になった。
別に良いじゃんと思いますが。まあ、少なくともレイシストで、デマ記事常習の産経よりはマシです。
わが子に食べ物を与えず、餓死させる親まで現れた。
昔だって児童虐待はあったのでは?。なかったという根拠は?。
「文化とは『恥の方向性』。日本人はそれがわからなくなってきている」と嘆いた。
つか氏はともかく、恥知らずの産経にそんなことを言われる筋合いはありません。
つかさんに罵声を浴びせた活動家たちの多くは、その後何事もなかったかのように社会に出て、成功を収める。民主党の著名議員の名前も、確かその口から聞いた。
死人に口なしなので、抄子が言っていることが事実かどうかは分かりません。名誉毀損で訴えられるのが怖いのか、著名議員とやらの名前も出してません。まあ、事実だとして「は?」としか思いませんが。罵声を浴びせたことをつか氏に謝れとでも言いたいのでしょうか(さすがに議員を辞めろとは言わないと思います)。しかし、そんなことはつか氏と罵声を浴びせた人間との問題であって部外者がどうこう言うことじゃないでしょう。大体、産経こそデマ記事で迷惑をかけた人に謝ったらどうなんですか?
しかし追悼文の終わりが民主党への悪口ですか。死者への追悼の念なんか本当はないだろ、抄子。
【追記】
つか氏について、あびる先生も抄子同様の、人として最低の文章を書いています。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1695682/
つか氏が「娘に語る祖国・満州駅伝−従軍慰安婦編」(光文社)で従軍慰安婦の悲劇は誇張されてるのではないかと書いたこと(但しあびる先生の紹介なので先生の誤読の疑いがあることをつか氏の名誉のため指摘しておきます。私はこの本を読んだことがないので何とも言えません)を在日のつかさんも「従軍慰安婦問題で産経を支持してるんだ」と嬉しそうなあびる先生。従軍慰安婦のことしか書いてない、代表作「蒲田行進曲」等には一言も触れない酷さです。
あのなあ、普通、つか作品への熱い思いを追悼文では書くんじゃねえのか?。あんた、本当につかさんが好きなのかよ。抄子同様、追悼を口実にした、ただの政治利用じゃねえか。
しかも、エントリのオチが「山梨の選挙結果は悔しかった」。バカじゃねえのか?