初の「全閣僚、靖国参拝せず」民主党政権下で異例の8・15

さすが阿比留瑠比クオリティ。

菅直人首相も閣僚もその他の政務3役も1人も靖国神社に参拝しない、政府に記録が残る昭和60年以降初めての異例の日となった。

じゃあ、昭和60年より前はどうだったかわからないんじゃん。
それと「異例」(前例がない)は別に「異常」じゃないですから。

戦没者の鎮魂は国家の基本」(故藤波孝生官房長官)という大原則は置き去りにされ

靖国参拝しなくても鎮魂は出来るんですが。武道館の追悼式の何が不満なんだか?

この日の靖国は、こうした民主党政権の姿勢や政策に対する懸念や憤りの声で包まれた。

まあ、今日、わざわざ靖国に行く人ってほとんどそう言う右翼な人ばかりでしょうから。

菅首相と閣僚はどこの国の閣僚で、どこの国の国益を図って行動しているのか。どんなに糾弾しても糾弾し足りない」


 神社境内で開かれた戦没者追悼中央国民集会で、日本会議三好達会長(元最高裁長官)はこう訴えた。

外国の批判以前に政教分離原則違反なんですが。そう言う理由で国内の宗教団体は一部右翼系(神社本庁キリストの幕屋生長の家など)を除いて仏教系もキリスト教系もその他も全て公式参拝には否定的です(もちろん公明党の支持母体・創価学会も否定的です)。
それと愛媛玉串料訴訟違憲判決を平然とスルーするな。
最高裁長官時代に愛媛玉串料訴訟で合憲意見(少数意見)書いた三好さんにとっては、そんなこと知ったことじゃないんでしょうが。
しかし、元最高裁長官の癖してよく日本会議のようなバカウヨ団体のトップになれる。

境内には、首相と仙谷由人官房長官岡田克也外相を批判する写真も地面に張り付けられていた。

何故、壁や立て看板ではなく「地面に張り付けられていた」のでしょう。足で踏みつける等という大人げないことをやってるのでなければいいのですが。普通の人なら靖国シンパ、アンチ民主党でもそんな行為を見たらどん引きでしょう。

神社によると、この日の参拝客は約16万6千人で、一昨年(福田内閣)の約15万2千人、昨年(麻生内閣)の約15万6千人を大きく上回った。

「神社によると」
自己申告は信用できないと、沖縄集会の時にあれほど言っていた癖に良い度胸だな(嘲)
大体、プラス1万しか増えてないのに、大きく上回ったと言えるのか?
ちなみにこの記事には「増加分って観光客(特に外国人観光客)じゃないの?」と言うはてブがついています。確かに参拝客イコール保守派とは限りませんね。靖国が日本の観光スポットの一つとされていてもおかしくはない。

一方、民主党内で「保守派」とされる野田佳彦財務相はもともと、首相らとは別の意見だった。平成17年10月に出した質問主意書で次のように主張していた。


 「すべての『戦犯』の名誉は法的に回復されている。『A級戦犯』と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。戦争犯罪人が合祀されていることを理由に首相の参拝に反対する論理はすでに破(は)綻(たん)している」

 後で紹介する「戦犯釈放・赦免の国会決議」のことを言ってるんだろうがそれを理由に名誉回復なんて言うことは出来ないんだけど。単に共産など一部を除いて当時の国会議員が、一応左翼のはずの社会党も含めて戦争に無反省なだけだろ。それと自称保守の癖して富田メモをスルーですか?。あと、政教分離の問題もあるし。
野田ってどうしようもないなあ。まあ、理由(財務相ポストへの執着?)がどうあれ、参拝強行しなかっただけマシだけど(笑い)。
それにしても産経は「破(は)綻(たん)」じゃなくて何故「破綻(はたん)」ってしないのか?。読みづらいじゃん。

【参考】
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/0615faq_0.html
「戦犯釈放・赦免の国会決議って?」
〈問い〉
 先日のラジオで自民党長老の松野頼三*1が「A級戦犯の名誉回復を国会で全会一致でやった」と、あたかも日本共産党が賛成したかのような発言をしていました。実際はどうだったのですか?(横浜・一読者)


〈答え〉
 A級戦犯復権を容認する論者によくみられる主張ですが、日本共産党は決議に賛成していません。
 サンフランシスコ平和条約発効(1952年4月)後、国会では戦争犯罪問題の論戦が盛んに行われました。その特徴は、侵略戦争への反省ではなく、逆に戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった戦争責任の免罪でした。
 戦犯釈放・赦免要請決議は参院本会議では1952年6月9日、衆院本会議では1952年6月12日、12月9日、1953年8月3日、1955年7月19日の計5回ありました。これらの決議は、日本共産党と労農党*2を除いた、自由党*3、改進党*4、右派・左派両社会党などの共同提案によるものです。
 日本共産党は、戦後すぐから戦争犯罪人の責任をきびしく追及しており、当然これら決議にも反対の態度をとりました。議席が一定数以上あり国会の会派として認められた時期には、反対討論も行っています。「戦犯在所者の釈放等に関する決議案」(1952年6月9日参院本会議)には岩間正男議員が、「戦争犯罪者の釈放等に関する決議案」(1952年6月12日、衆院本会議)には高田富之議員が立っています。1952年12月9日の衆院本会議の決議当時には議席がありませんでした。このときは労農党が反対討論をしています。1953年決議当時は議員が1人(川上貫一議員)、1955年決議当時は2人(川上貫一、志賀義雄議員)のために、国会会派として認められず「小会派クラブ」に属していました。1953年、1955年決議の会議録には、議長が決議採決時に「御異議なしと認めます」と発言しています。この議長発言を「全会一致」の論拠にしている場合が多々あります。しかし、この中に会派としての日本共産党が含まれていないことは当然です。さらに「小会派クラブ」に属していた日本共産党の個々の議員の賛否については、1955年決議が行われた翌7月20日付「アカハタ」一面の「戦犯問題の正しい解決のために 衆院の釈放決議に反対して、党議員団が声明」という記事が「採決にさいして労農党と共産党が反対した」と報道しています(労農党は当時「小会派クラブ」に4名所属)。
 このことは議長の「御異議なしと認めます」発言が全議員の賛成をさすものではないことを示しています。

安倍晋三元首相は閣僚の不参拝について、「首相や官房長官が方針として決めたのであれば、信教の自由上、問題がある」と指摘。

おいおい。公人が、靖国という特定の宗教施設に行くことの方が「政教分離原則上、問題がある」んだが。
あんただって首相時代は行かなかった癖に(笑い)

*1:ダグラス・グラマン事件でその名が出た灰色高官。こうした人物や先日逮捕されたハマコー浜田幸一)がデカイ面しているところに日本の政治やマスコミの遅れがあると思う。

*2:社会党が参加した芦田均連立内閣の予算案に造反したことで社会党を除名された最左派が結党。党勢は伸び悩み、最終的には社会党左派に合流。

*3:総裁・吉田茂。後に鳩山の日本民主党と合同し、自民党を結成。

*4:総裁・重光葵東条英機内閣外相、元A級戦犯)。後に自由党を離党した鳩山一郎派とともに日本民主党を結成。