新刊紹介:「歴史評論」10月号

歴史評論」10月号(特集「近現代医療環境の社会史」)の全体の内容については「歴史科学協議会」のサイトを参照ください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/

■「医療環境の近代化過程―維新期の府中*1を事例として―」(海原亮)

(内容要約)
巧く要約できないので本文を一部紹介。

 明治2年(1869年)版籍奉還前後は、府中医師にとって大きな画期であった。旧来の領主(本多氏)を失った彼らが引き続き領内で医療活動をおこなうにさいして、誰が彼らの管理・監督の役を担うのか、換言すれば彼らの身分存立を公的に再確認する作業が必須だからである。
 如上のように、府中医師は福井藩の職制下に置かれることとなるが、その家庭で福井藩医による試業など、従前ほとんどみられなかった、あらたな手続きが実現したことは注目される。
 (中略)
 大半の府中医師は、(中略)自らの生業をあくまで踏襲しようと試みた。
 (中略)
 以上の理解を当該地域の医療環境の視点から考えれば、(中略)府中医師の主導で領内の医療活動を統括するというシステムは、少なくとも医制まで、いやそれ以後も一定の期間、継続されたに違いない。


■「近代大阪のペスト流行にみる衛生行政の展開と医療・衛生環境」(廣川和花*2
(内容要約)
・1900年に起こった「第一次大阪ペスト流行」(死者161名)時の大阪府の対応を紹介(なお、この時点ではペスト研究はまだ進んでいなかった)。
なお、「第二次大阪ペスト流行」(1905〜1910年、死者860名)という事件もあったそうだがこれについては本論文では触れられていない。

【参考】

ペスト菌ウィキペディア
1894年にスイス・フランスの医師で、パスツール研究所の細菌学者でもあったアレクサンダー・イェルサンが香港で発見した。また同時期に、ロベルト・コッホの指導を受けた日本人細菌学者の北里柴三郎がこれとは全く独立に発見した。

コッホ先生はパスツール先生(狂犬病ワクチンの開発で知られる)とともに「近代細菌学の開祖」と言われる人物。主な業績は「炭疽菌結核菌、コレラ菌の発見」。
ちなみに日本には「コッホ・北里神社」と言う神社があるらしい。コッホ先生は死後、神様になったのである(コッホ先生の遺族の同意得てるのか?)。

北里柴三郎ウィキペディア
初代伝染病研究所(現在の東大医科学研究所)所長、日本医師会創立者、初代慶應義塾大学医学部長、初代北里研究所所長。「日本の細菌学の父」として知られる。

北里先生の主な業績はペスト菌発見の他には、「破傷風ジフテリアの血清療法の開発」がある。


■「救護法施行前後の都市医療社会事業―弘済会大阪慈恵病院*3を事例に―」(松岡弘之)
(内容要約)
・弘済会は1912年に誕生した財団法人であり、その主要事業が病院事業であった。
(なお、弘済会の事務所は発足当初から大阪市役所に置かれ、会の総理には大阪府知事が、副総理には大阪市長が就任した)
・本論文は、弘済会が解散し、病院事業が大阪市に移管される1944年までの動向を簡単に説明している。


■「戦時−敗戦記の国民健康保険三重県阿山郡東拓殖村*4を事例に―」(川内淳史)
(内容要約)
1940年に誕生し、経営不振から1948年に解散した東拓殖村国民健康保険を題材に当時の国民健康保険制度について説明。


■「近代日本の地域医療と公立病院」(高岡裕之
(内容要約)
・日本の地域医療において公立病院は重要な役割を果たしてきたが、「川上武に代表される日本の医療史研究」は開業医、医師会を中心に据えた「開業医史観」「医師会史観」とでも言うべきモノであった。
 公立病院をきちんと医療史研究の中に位置づけるべきである。


■歴史の眼「普天間基地問題とは何か」(岡本厚)
(内容要約)
・筆者は金光翔氏が酷評してる岩波「世界」の編集長。
・ただし、まともな内容だと思う。思うが金氏が読んだらまた感想違うのかねえ。
・「米軍は抑止力などではない」「民主党政権は県外移設の公約を守れ」「これ以上、沖縄県民を苦しめるな」と言う至って真っ当な内容だと思う。


■科学運動通信「宇治墓(応神天皇皇太子莵道稚郎子尊墓)立会調査見学報告」(白谷朋世)
(内容要約)
・宇治墓(ウィキペディア「莵道稚郎子」の言う丸山古墳のこと)と書かれてるのは「神武天皇陵を史実と主張する宮内庁」「斉明天皇陵の比定が間違いであることがつい先日判明した、比定がデタラメなことに定評のある宮内庁」の比定だから。要するにいつものことだが皇室の墓か怪しいのだ。
・ていうかウィキペディア「莵道稚郎子」によれば比定は日本書紀の記述に反する上に、明治政府が明らかに捏造してるし。

ウィキペディア「莵道稚郎子」(うじのわきいらつこ)*5
 伝承(注:日本書紀による)では菟道山上に葬られたという。同墓は現在、宇治市莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定され、宮内庁の管理下にある。この地は宇治川東岸にあり、明治以前は「浮舟の杜」と呼ばれる円丘であったが、明治22年(1889年)、当時の宮内省により、伝承とは異なるこの地が宇治墓と治定され、前方後円墳状に成形されて現在に至っている。

 「成形」って言えば聞こえは良いけど「円丘を前方後円墳にしちゃう」ってただの捏造じゃないか(笑)

*1:現在の福井県越前市武生

*2:著書『近代日本のハンセン病問題と地域社会』(2011年、大阪大学出版会)

*3:現在の大阪市立弘済院附属病院

*4:柘植町→伊賀町を経て、現在、伊賀市平成の大合併阿山郡は消滅した

*5:兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと。後の仁徳天皇。人家のかまどから炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き替えなかったと言う美談のある偉い人)に皇位を譲るべく自殺したという美談(美談なのか?)で知られる人。