【産経抄】11月27日

 永六輔さんの『藝 その世界』(文春文庫)にこんな話が紹介されている。「立川談志でさえ、やくざになぐられた時、その傷が全治十日間ほどのものでも、ヘラヘラ笑ってみせたという」。その上で「彼でも芸人は哀しいと思ったそうだ」と、つけ加える。
 ▼落語の談志師匠である。「でさえ」と書くのは、強気でなるこの師匠でも、なぐり返すこともできなかったということだろう。半ば「公的」な存在である芸人がそうすれば、理由はどうであれ非難を受ける。

 日本語の読解力or文章の引用能力がなさ過ぎだろ。引用した文章のどこに「殴り返す」云々と書いてあるんだ(大体「やくざになぐられた時」が「やくざに殴られたその場」という意味なら抄子のような判断も「一応」可能かも知れないが、これは、「やくざに殴られた傷が全治十日間と診断されたとき」(既にそこにはやくざはいない)の意味じゃないのか?)。
 そうじゃなくて「わがまま気ままと言われる談志でも『痛いから休む』とか客に向かって『痛い痛い』とぼやくようなことはしなかった」「お客様に楽しい落語を聞いてもらうためだ」「談志でさえそう言うプロ意識を持っている。持たなければ芸人とは言えない」「そう言う意味で芸人は哀しいと思った」ということだろう。談志ファンは「談志師匠はわがまま気ままなんかじゃない」と怒るかも知れないが。
 要するに「お客様は神様」「お客様を喜ばせることが全て」ということ。
 「芸人はどんなに体調が悪くても舞台に出ろ。舞台の上で死ね」「芸人は客を喜ばせるためなら親の死に目に会えなくても仕方ない」と言うのと同じ。
 ま、こういう考えには「芸人も人間だ、程度にもよるが怪我して痛ければ、体調が悪ければ休んでいい。我慢して余計体調を崩したらどうする。親の死に目に会いたければ会うべきだ。それが親孝行であり人情。ファンサービスは親の死に目に会うことを我慢してまでやるべきではない。」という考えの方も一方ではいるだろう。
 それはともかく、いくら談志でも酔っぱらいならともかくドスだのピストルだの持ってるかも知れないやくざ相手に殴り返したりはしないだろ。下手すりゃ命がない。

そもそも暴行にあったとき、海老蔵さんはその日に予定していた新春歌舞伎の発表会見を、腰痛を理由にキャンセルしていた。それなのに深夜から西麻布や六本木で酒を飲み始めた。何軒かをハシゴしていて、トラブルに巻き込まれたらしい。
 ▼一般人には考えられない時間帯に起きた事件だった。しかも自身が「原因はわからない」というほど酔っていた可能性もありそうだ。父親の団十郎さんが「人間修行が足りない。本人の責任は重大だ」と記者会見で叱責(しっせき)していたのも当然である。

 まあ、最低限、酒癖の悪さはなおした方がいいでしょうね。いっそ、禁酒するとか。変な人間が相手なら、暴行で怪我どころか命がない。

もっとも国際社会や政治の世界には、なぐられてもへとも思わない人もいる。

 戦争拡大は避けよと指示し、一部タカ派に非難されてるらしい李明博さんのことですか?
 まあ、殴られた理由(自分にも一定の非がある等)とか殴り返したときの社会への影響とか考えたら、殴り返さない方がいい場合もある。と言うか冒頭にそう言う話を書いていたじゃないか?

半ば「公的」な存在である芸人がそうすれば、理由はどうであれ非難を受ける。

というなら政治家ならなおさらですよ。まさか芸人の方が政治家より「公的な存在」だなんて言いませんよね?
 それは別に「へとも思わない」と言う話ではないが。