新刊紹介:「歴史評論」1月号(追記・訂正あり)

歴史評論」1月号(特集『「戦後歴史学」と歴史学の現在』)の全体の内容については「歴史科学協議会」のサイトを参照ください。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekihyo/

 特集のタイトルからは「戦後歴史学歴史学の現在」と言うテーマでそれを総括するような議論がされているのか、と思う方もいるかも知れないが是非はともかくそうはなっていない。それぞれの論者が自らの専門や関心に引きつけて書いているので全ての問題がカバーされているわけではない。


■「方法としての東アジア再考」(宮嶋博史)
(内容要約)
・岩波の「シリーズ日本現代史」の評釈。なお、このシリーズについては宮地正人(以下、全て敬称略)が「通史の方法」(2010年、名著刊行会)で批判的評価をしている(宮地本は持ってるが今ひとつわからないんだよなあ、私はバカなので)。もともとは宮地本は「シリーズ日本現代史」の10巻(1〜9巻の総論的なもの)の予定だったが、宮地本が「シリーズ日本現代史1〜9」に批判的な内容であったため、シリーズにあわないと岩波が判断し、外されたようだ。
・井上勝生「幕末・維新」(シリーズ日本現代史1)は宮嶋によれば「切迫した対外的危機(例:アヘン戦争に敗れ半植民地化された中国)」などなかったという考えのようだ(こうなると政治の方向性以前に「危機などないから」倒幕は無意味だったと言うことになるのだろうか?)。こうした考えを宮嶋は支持した上で、こうした井上説といわゆる「国民国家論」(宮嶋の理解では牧原憲夫「民権と憲法」(シリーズ日本現代史2)がこの立場)は矛盾するのではないか、国民国家論は一定の修正が必要ではないかとする。
(宮嶋の理解では「対外的危機に対抗した上からの国家形成と言う視点からの国家論」=「国民国家論」らしい。)
・一方、「切迫した対外的危機」はあったとし、井上を批判するのが宮地のようだ。学会はどうか知らないが世間的には宮地の方が一般的な見方だろう(私もそう言う見方に親近感を抱く)。NHK大河ドラマなんかその典型だ。もちろん大河ドラマと宮地の認識が一緒というわけではないが(宮地の牧原本評価はよく分からなかった)。
・井上本について、宮嶋より、宮地に近い立場と思われる
Internet Zone::WordPressでBlog生活「井上勝生『幕末・維新 シリーズ日本近現代史<1>』(岩波新書)」
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2006/12/13005707/
を一部紹介する。

 たとえば、日経新聞(2006年12月3日付)では、以下のような紹介が出ていましたが、こういうふうに持ち上げられると、「う〜ん、何だかなぁ…」と思ってしまいます。

井上勝生著『幕末・維新』(岩波新書)は、幕末の江戸が実は農民の訴訟なども認める成熟した社会であり、黒船の来航にも慌てることなく開国はゆっくり定着したという見方を示す。その中で、不平等条約といわれる日米和親条約は幕府の弱腰外交の結果という一般論に疑義を呈し、幕府は国内市場を守るために粘り強く米国と交渉し、外国人の行動範囲を制限することに力を尽くした事実などを明かす。国力や軍事力の差を考えず、理屈を無視して欧米に対抗しようとした攘夷派のほうが、よほど「前近代的」だったと著者は見ている。

(中略)
 幕末の江戸時代を「成熟した伝統社会」として、それなりに豊かな社会だったというのも疑問。こういう立場からみたとき、江戸時代後半、人口が停滞していたという事実は、いったいどう評価されるのでしょうか。
 また、幕末農民闘争の水準の高さをしめすものとして、氏は、畿内を中心とした国訴に注目されていますが、国訴は、もともと所領が入り組んでいた地域だからこそおこった闘争形態で、一国全体が所領になっているような外様大藩の全般一揆などと比べて、どちらが歴史的に進んでいるかを論じるのはちょっと乱暴でしょう。さらに氏は、国訴において、「大参会」にでかける「郡中惣代」「惣代庄屋」に村の側から「頼み証文」を出しているのを「代議制の精神」があると位置づけておられます(これは、近世史の藪田貫氏*1の研究に依拠されたものですが)。しかし、これはまるっきりあべこべではないでしょうか。「代議制の精神」というなら、代表として選ばれた「惣代」の側が、選んだ主体である村民に対して誓約書を出すのが本来の姿。村から惣代に誓約書を出すというのは、国訴が村落の共同体的規制に依拠していたという事実を示しており、近代的な代議制どころか、国訴の前近代性を示すものといわざるをえません。
(中略)
 もう1つ。井上氏は、幕末の日本の対外的危機について、民族的危機の一般的可能性は認めつつも、実際には危機はなかったと主張しておられます。しかし、そうなると、幕末以来英仏両軍が横浜に駐屯し続けた事実*2は、どのように評価されるのでしょうか。確かに、幕府=フランス、倒幕派=イギリスとして国家分裂、植民地化の危機に直面していた、というのは過大評価だとしても、氏の立論は、民族的危機の過小評価というより、否定論だといわざるをえません*3
 ということで、開国や明治維新をめぐる政治史としてはおもしろいのですが、幕末社会論としては疑問符だらけというのが、僕の感想です。

・宮地より宮嶋に近い立場のものも一部紹介してみる。宮地説(対外的危機を認める説)の方が通説的見解として長い歴史を持つ説であることが分かるだろう。
本に溺れたい「井上勝生 『幕末・維新』シリーズ日本近現代史(1) 岩波新書(2006年) 」
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2007/05/2006_8ccc.html

(注:井上勝生が批判する)「外圧による植民地化危機説」には、私にも心当たりがある。マルクス主義史学である。服部之総羽仁五郎井上清芝原拓自、等という面々だ。

・宮嶋は雨宮昭一「占領と改革」(シリーズ日本現代史7)を次のように批判している。
「宮中グループの反東条運動をあまりにも過大評価しすぎてはいないか」
「植民地問題についての扱いが十分でない」
なお、雨宮については、宮地と、
media debugger『「国民の正史」を立ち上げる岩波書店 (1)』(http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-94.html#2)、
『「国民の正史」を立ち上げる岩波書店 (2)』(http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-95.html)、
『「国民の正史」を立ち上げる岩波書店 (3)』(http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-96.html#2-3)、
『「国民の正史」を立ち上げる岩波書店 (4)』(http://mdebugger.blog88.fc2.com/blog-entry-97.html)は
「戦後改革の意義を軽視している(裏返して言えば戦前を過大評価している)」と言う批判を行っている。
 雨宮本を読んでないが、宮嶋、宮地、media debuggerサイト主、の指摘が正しければ、雨宮本はトンデモ過ぎる。学問的に評価できるのか疑問だし、政治的にもウヨ過ぎるだろう。
 宮地から雨宮本に対しこういう酷評をされれば、金光翔をいたぶる今の岩波ではこれだけで「宮地批判ノーサンキュー」だろう(他の「シリーズ日本現代史」本が酷評されていないとしても。私の理解では少なくとも井上本は酷評されてるようだが)。恐らく怒ったであろう宮地が名著刊行会に出版話を持ち込むのもよくわかる。
 最後にAmazonレビューである程度雨宮に批判的な書評を紹介(「戦後改革の軽視」批判という点で、かなり批判ポイントが宮地やmedia debuggerサイト主とかぶる。やはりそういう本なのか。岩波も金光翔が批判するように佐藤優を重用したり、ずいぶんと右翼出版社に変わったようだ)。

By 小僧 (東京都国立市)
 「占領がなくても戦後改革は行われた」という、占領改革ではなく総力戦体制下の改革こそが重要であったいう二項対立的な語りには若干疑問を禁じえない。確かにGHQ改革が存在しなかったとしても、戦前戦時に芽吹いた改革志向は何らかの形で結実することになったであろう。だが、戦後に噴出する労働組合運動や女性運動の盛り上がりの起源が戦時に求められるとしても、例えばGHQによる内務省の解体と言論の自由の保障がなかったならばそれらの運動は相当に制約を受けたものとなっただろう。結果、権力とのせめぎ合いの中で、運動の成果はかなり妥協を強いられたものとなったかもしれない。戦時の改革に起源があるのはもちろんだが、それでもGHQ改革の意義を否定することはできないのではないだろうか。戦時に出現した改革の原点が、GHQ改革によって促進された面は否定できないように思われる。
 また、著者は、戦争の結果に対して天皇に責任を取らせなかったことにも、「無条件降伏モデル」のもたらす自立した単位のあり方の根本的な否定があるとし、吉田裕『昭和天皇終戦史』(岩波新書)を引用しつつ、天皇やその側近には戦争責任をとる意思があった*4にも拘らず、米国によって阻止され、主体的に責任を果たすことができなかったのだという。著者は「天皇自身やリーダーたちの見解は、責任を取る主体的条件が十分存在していたことを示している」というのである。
 だが、吉田の研究の示すものは必ずしもそうではないはずだ。近衛(文麿・元首相)や木戸(幸一・元内大臣)、そして宮家からは天皇退位論が噴出する一方で、当の天皇自身や側近、その他の重臣達には退位の意思は毛頭なかった。吉田の研究は、天皇とその周辺が退位を阻止するためにいかに蠢動したかを明らかにするものであった。ことは米国だけの責任ではないように思う*5

参考
【岩波シリーズへの批判について】
Internet Zone::WordPressでBlog生活
「またもや歴史研究者には必読文献が」
http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/12/24200716/


天皇の戦争責任について】
Apes! Not Monkeys! はてな別館『徹底検証◎昭和天皇「独白録」』
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20061012/p1

【宮地本についてのアマゾンレビュー】

1.左衛門
 本書は、岩波書店から出版された「シリーズ日本近現代史」を批判的に検証した本である。
 元々は「シリーズ日本近現代史」の10巻目として執筆されたものであったが、岩波編集部との意見の相違があり、シリーズとは無関係に出版されることになったという出版の経緯が、巻頭で説明されている。
 本書では、特に、第1巻『幕末・維新』と第2巻『民権と憲法』は厳しく批判されている。
 著者は井上氏(注:1巻の著者)の「成熟した伝統社会論」の明治維新の捉え方は「巨大な無意味論」の系譜であるとする。著者の明治維新の捉え方は「歴史的必然論」である。本書ではなぜ明治維新が歴史的必然だったのかが、説明されている。
 また、井上氏の幕末日本における植民地化危機が低いものであったとする論には、主体を欠いた純客観主義的な問題の立て方であると批判している。
 二巻に関しては、牧原氏(注:2巻の著者)が民権期を、(注:著者・宮地の理解では憲法制定、国会開設が行われる)明治20年代以降を論ずるのに適している国民国家論で説明していることを批判している。また、幕末維新期に、日本人がどこまで到達し、何が民権期の課題としてあったのかという、通史の観点がないことも批判している。
 他の巻に関する記述は控え目になっている(注:私見では少なくとも7巻・雨宮本に対する記述は控えめではないと思うが)。
 書評的要素が強いため、「シリーズ日本近現代史」を読んでいない人にはあまりお勧めできない。だが、近現代史に関心のある人ならば、「シリーズ日本近現代史」と併せて読むことをお勧めしたい。

■「戦後歴史学私記」(村井章介
(内容要約)
・村井による自己の研究の振り返り。特に「対外関係論」「境界史」について論じられる。


■「脱アジアという日本異質論の克服」(深谷克己)
(内容要約)
・日本の歴史学は長い間「脱亜入欧」(「なぜ日本はアジアの中で植民地にならず近代化できたのか」とか「どうすればヨーロッパのように自立した市民が生まれるか」など)と言う側面が強すぎたのではないか、「アジアの中の日本という視点が弱かったのではないか」という批判。


■「近代と現在の政治腐敗」(増田知子)
(内容要約)
1921年鳩山一郎代議士の義兄・鈴木喜三郎が検事総長に就任した。
・これに対し、平沼騏一郎は「司法権の独立」を強く主張したが彼の主張は、後に「検察ファッショ」と非難されるような手放しでは評価できない代物であった。


■歴史のひろば「一九二〇年代の「内鮮融和」政策と在日朝鮮人留学生―寄宿舎事業を中心に―」(ベ・ヨンミ)
(内容要約)
・一九二〇年代の在日朝鮮人留学生向け寄宿舎事業の紹介。多くは「内鮮融和」路線に留学生側が反発し、入寮に否定的だったため行き詰まった。しかし、そうした支援を受け入れようとする留学生もいたことには注意が必要。

*1:著書『国訴と百姓一揆の研究』(校倉書房

*2:宮地本に寄れば英仏軍が撤退したのは明治8年

*3:話は変わる(?)が今じゃ外国軍(米軍)が駐留してても撤退させようというウヨはほとんどいないんだから時代は変わったなあ。

*4:宮地やmedia debuggerサイト主などが批判するように雨宮の言う責任の取り方とは退位に過ぎず、しかもそれも結局実行されなかった

*5:宮地やmedia debuggerサイト主も「昭和天皇に甘い」「彼に退位の意思などあったのか」と雨宮に対し同様の批判をしている。大体、藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕・山田朗『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(大月書店、1991年)など、この問題の先行研究をまともに読めば雨宮のようなこんな寝言は書けないと思うが。