新刊紹介:「歴史評論」7月号

・詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。小生がなんとか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集「男性性/マスキュリニティの歴史学
◆男性史はなぜ困難か(海妻径子*1
【内容紹介】
 本特集の総論的内容。日本においていわゆる「男性史」の研究が未だ低調である理由として
1)メンズリブ運動の弱さ
2)性別役割分業を前提とした日本企業社会の存在(企業の力の強さとそれに対抗する労組の力の弱さ)
が上げられる。つまり研究者も一般市民(特に男性は)も「男性史的な視点」を意識しづらいと言うことです。
 単に「田中角栄*2首相の日中国交正常化(政治家)」「岩崎弥太郎による三菱財閥創業(財界人)」「北里柴三郎ペスト菌発見(学者)」など「男性の業績」を取り上げるだけではそれはいわゆる「男性史」ではない。
 なお「男性史」「男性、歴史」でググる

【刊行年順】
◆トーマス・キューネ編『男の歴史:市民社会と「男らしさ」の神話』(1997年、柏書房
阿部恒久*3、天野正子*4、大日方純夫*5編『男性史(1)~(3)』(2006年、日本経済評論社
アラン・コルバンほか『男らしさの歴史(1)~(3)』(2016年、藤原書店

と言った著書がヒットしますが、「女性史」でググった場合に比べれば、あまりヒットしません。


◆「アメリカン・ボーイ」と第一次世界大戦(望戸愛果*6
(内容紹介)
 第一次大戦下に米国で刊行された少年向け雑誌「アメリカン・ボーイ」の宣伝した「男らしさ」について論じられている。
 「アメリカン・ボーイ」の「男らしさ」は戦時中という時代を反映し、戦意高揚を煽るものであった。


第一次大戦後の前期学生運動にみる男性性(伊東久智*7
(内容紹介)
 第一次大戦後の前期学生運動として東大新人会(前期東大新人会*8)が取り上げられ、そこにおける「男性性」が論じられている。
 東大新人会は「労働者との連携」を打ち出したが、そこで彼らがもっぱら連携の対象として想定していたのは「男性ブルーカラー(肉体労働者)」であり「女性労働者」や「男性ホワイトカラー」は想定していないという問題点があった。
 それは東大新人会が「肉体的強さ」という「男性性」に重きを置いていたからではないか。
 なお、そうした「肉体的強さ」という男性性に重きを置く東大新人会の「労働者との連携」は、決して「インテリ(東大新人会)が労働者を指導するという上意下達の否定」を必ずしも意味していなかったことに注意が必要である。


戦間期ドイツの「赤い伯爵」における義勇軍経験(今井宏*9
(内容紹介)
 第一次大戦ドイツ義勇軍 - Wikipediaに参加した「赤い伯爵」ことアレクサンダー・シュテンボック=フェルモアの回想録『志願兵シュテンボック』を題材に彼の従軍経験が、彼によってどのように評価されたのか、特集テーマの「男性性」の観点から論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆軍隊とマスキュリニティ:第二次世界大戦期イギリスにおける女性同性愛をめぐって(林田敏子*10
(内容紹介)
 第二次大戦下では英国軍に置いては、いわゆる総力戦のため、女性が軍要員として多く勤務した。
 しかし、そこで浮上したのが軍に勤務する女性同士の同性愛の問題であった。
 男性の同性愛と違い、女性の同性愛は刑事処罰対象ではなかったが、「正常な性行為からの逸脱」として否定的に見られていたことには変わりはなかった。
 しかし女性同性愛を表面化することは
1)女性の軍勤務に否定的な保守派言論を助長する恐れがある
2)軍幹部の責任問題となる恐れがある
ことから徹底的に回避され女性同性愛の存在は隠蔽された。
 また、軍がむしろ女性問題で重要視していたのは「隠蔽が困難な男女間異性愛によって生じる問題(未婚の母問題)」であった。
 その結果
1)同性愛関係にある女性たちを配置転換で引き離すこと
2)1)では対応困難な場合は、退役処分
をとるという対処療法がなされた(もちろんこの場合において同性愛の存在を隠蔽するため、1)、2)とも建前上は同性愛行為は処分理由とはされていない)。


◆私の原点「高群逸枝*11に出会って」(服藤早苗*12
(内容紹介)
1)服藤氏の研究の原点が、高群逸枝であること、
2)しかし高群説の全面的検討にはつい最近まで取り組んでいなかったこと
3)近年、高群説の全面的検討に取り組むに辺り、高群説を「意図的誤謬」「捏造」まで非難した栗原弘氏の主張にこそむしろ問題があること、今後、栗原説の批判と高村説の再評価に取り組む志であることが述べられる。

【参考:服藤氏の高群研究】

栗原弘の高群逸枝捏造批判~『蜻蛉日記』の居住と家族、報告します!!: 服藤早苗 平安日記
前近代女性史研究会
◆日時:2020年1月25日(土)午後2時~5時
◆会場:早稲田大学戸山キャンパス31号館305教室
◆報告:服藤早苗
◆題名:「蜻蛉日記の居住と家族~栗原弘の高群捏造批判」
◆参考文献:
高群逸枝招婿婚の研究』講談社、1953年
高群逸枝『日本婚姻史』弘文堂、1963年
・角田文衛*13「倫寧母の周辺」(『王朝の映像』東京堂出版、1970年)
鷲見等曜『前近代日本家族の構造~高群逸枝批判』弘文堂、1983年
・梅村恵子*14藤原道綱母子と兼家の生活」(人間文化研究会編『女性と生活Ⅲ』、JCA出版、1984年)
・栗原弘*15高群逸枝の婚姻女性史像の研究』高科書店、1994年
・田端泰子*16上野千鶴子・服藤早苗編『ジェンダーと女性』早稲田大学出版部、1997年
 高群逸枝を「意図的誤謬」「捏造」等等と断じた栗原弘氏の研究を検討します。
 栗原弘氏こそ「捏造」したことを実証します!
 私の最後の仕事として、平安時代の婚姻儀礼と婚姻居住形態・家屋の伝領に取りかかることにしました。
 元気で頑張ります!!


◆本の紹介:小川真和子*17『海をめぐる対話 ハワイと日本』(2019年、塙書房
(内容紹介)
 ネット上の記事で代替。

2019年10月29日(火)小川先生のトークイベントレポート│PickUp│立命館生活協同組合
 これまでのハワイ日本人移民の研究では、日本からハワイに移民して農業に従事していた人ばかりが取り上げられていて、とにかくハワイで苦労しましたという悲壮感が漂う話が多いのです。さとうきび畑の仕事は大変なんですね。ところがハワイの海に生きていた人々の物語にはそんな悲壮感がない。そこに海の民の魅力があると思い、取り上げることにしました。
 私は立命館に来る前に下関市にある水産庁の大学*18にいたのですが、学生と教員の距離の取り方が立命館とは真逆でした。水産大学校の乗船実習では、教員と学生たちが同じ船に乗って、食事もお風呂もすべて一緒で、それこそお互い、丸裸の付き合いをする。その海のカルチャーを立命館に持ち込んで、実践したのがこの取組みだった気がします。何年もかけて、学生を巻き込んで研究をしたことが、この本の誕生につながりました。

海をめぐる対話 ハワイと日本 小川真和子著: 日本経済新聞評者:ノンフィクション作家・奥野修司*19
 本書は、日系移民の研究でもあまり取り上げることがなかった日本の海の民が、様々な人たちと交わりながらハワイの水産業を育てていく物語である。
日本から最初のハワイ移民が出港するのは江戸幕府滅亡の寸前だったが、海の民がやって来るのは、ハワイがアメリカに併合される19世紀末。最初は紀州(和歌山)の漁民だった。彼らはあのカツオ一本釣り漁をハワイにまで伝えていたのだ。前後して広島県山口県の漁民が増加してくるが、当時のハワイは自給自足的な漁業だったから、またたく間にハワイの水産業を席巻する。やがて郷里から縁故者を呼び寄せ、資金を出し合って近代的な水産会社を設立するが、必要とあれば「搾取する側」の白人をも取り込んで会社を運営するしたたかさは、いかにも海の民らしい。
 陸では農業移民が搾取される傍ら、1920年代になるとハワイの水産業は日本人漁民の独占状態だった。「アジやハマチ、シビ(マグロ)など、数多くの日本語の魚の名前が地元に定着していった」というから、その影響はハワイの文化にまで及んでいる。
 急増する日本人移民に、アメリカ本土で排斥の波が広がるが、ハワイでは様子が違った。むしろ日本人漁民を保護する立場をとったのである。彼らを締め出したらハワイの水産業は成り立たないことがわかっていたからだろう。だが、それも(ボーガス注:太平洋)戦争が始まるまでだった。
 移民といえば苦労話がつきものだが、海の民の物語にはそれほど悲壮感がない。土地に縛られる農民に対し、海を自由奔放に移動する彼らに、国境を含めて境界という観念がないからだろう。

海をめぐる対話 ハワイと日本…小川真和子著 : 読売新聞オンライン
 海外旅行でいまも人気の高いハワイ。昨年日本人移民150周年を迎えたが、この地で日本人の「海の民」が水産業を育てたことはあまり知られていないだろう。本書はハワイにおけるそんな日本人の水産業の歴史を掘り起こした。
 「元年者」と称される最初のハワイ移民は明治元年(1868年)の150人。その後、官約移民で山口県和歌山県などから多くの人が移住。当時のハワイ(当初は王国。米準州を経て州へ)は自給自足的な漁業だったが、和歌山から来た男性らが大量に獲って大量に売りさばく近代的漁業へと転換。集魚灯を使い、マグロ延縄はえなわ漁法を取り入れ、ガソリンエンジンを漁船に導入。漁業会社を設立する者も現れた。1917年には約25万人のハワイの人口のうち、日本人だけで10万人以上になっていた。
 20年代にはハワイの漁業は日本人の独占状態になり、ツナ缶詰など水産加工業も発展した。だが、日本人の興隆に準州や米連邦政府は反発。外国人の漁労を制限する法案を度々出すなど、次第に日本人を排除する政治の動きが表面化していく。30年代には連邦政府は非市民の漁獲に課税し、米市民のみ漁船を所有、操業できる法を制定した。
 そして真珠湾攻撃。戦争が始まると日本人の中心人物は強制収容所に送られた。水産加工業者は軍需産業用に転化するなどしたが、総じてハワイの漁業は壊滅することになった。この時期の日本人がいかに大変だったかは、調査でも「沈黙」が多かったことから明かされる。
 戦後、ハワイの水産業復活にまた日本人が立ち上がる。今度の中心は沖縄の人たちだった。

和歌山と移民 ハワイ・北米編 | 和歌山県
 串本、特に田並から多くの移民がハワイへ渡り、ハワイの人々がもともと行っていた疑似餌を使用する漁法を改良したケンケン漁で大きな成果をあげました。1924年にハワイの日本領事館が行った調査では、オアフ島全漁師の内38%が和歌山県出身者でした。(和歌山県移民史より)


◆本の紹介:渡邊勲編『三十七人の著者 自著を語る』(2018年、知泉書館
(内容紹介)
 三十七人の著者 自著を語る - 株式会社 知泉書館 ACADEMIC PUBLISHMENTに寄れば

 1960年代から90年代にかけて東京大学出版会歴史学関連の編集を中心に活躍してきた渡邊勲氏が、自ら手掛けた37人の著者に現時点で自著をどのように見ているのか、忌憚のない意見や感想を執筆してもらったものです。
第一部 一九七〇年代の「仕事」
◆『明治憲法体制の確立』(坂野潤治*20
◆『近代的土地所有』(椎名重明*21
◆『日露戦後政治史の研究』(宮地正人*22
◆『明治期農村織物業の展開』(神立春*23
◆『中世民衆の生活文化』(横井清*24
◆『大系日本国家史』,『一揆』(峰岸純夫*25
◆『大系日本国家史』,『一揆』(深谷克己*26
◆『福沢諭吉研究』(ひろたまさき*27
◆『平安前期政治史序説』(佐藤宗諄*28
◆『奴隷制農奴制の理論』(中村哲*29
◆『中世奥羽の世界』,『百姓申状と起請文の世界』(入間田宣夫*30
◆『農民革命の世界』(和田春樹*31
◆『日本中世法史論』(笠松宏至*32
第二部 一九八〇年代の「仕事」
◆『日本古代国家史研究』(原秀三郎*33
◆『マグナ・カルタの世紀』(城戸毅*34
◆『日本宗教文化の構造と祖型』(山折哲雄*35
◆『現代インド政治史研究』(中村平治*36
◆『中国近現代史 上・下巻』(姫田光義*37
◆『近代日本綿業と中国』(高村直助*38
◆『日本近世都市論』(松本四郎*39
◆『フランス帝国主義とアジア』(権上康男*40
◆『戦後世界秩序の形成』(油井大三郎*41
◆『中国の自然地理』(阿部治平*42
◆『ビラの中の革命』(増谷英樹*43
◆『教養の日本史』(竹内誠*44木村茂*45
◆『静かな革命』(南塚信吾*46
◆『支配の代償』(木畑洋一*47
◆『草の根のファシズム』(吉見義明*48
◆『異郷と故郷』(伊藤定良*49
◆『エル・チチョンの怒り』(清水透*50
◆『蘇るパレスチナ』(藤田進*51
第三部 一九九〇年代の「仕事」
◆『弥生時代の始まり』(春成秀爾*52
◆『日本古代の国家と都城』(狩野久*53
◆『歴史と人間について』(小谷汪之*54
◆『武士と文士の中世史』(五味文彦*55
◆『北村透谷』(色川大吉*56

と言う内容だそうです。まあ、これほどの著者が寄稿に応じてくれたと言うことは渡邊勲氏もなかなかの「切れ者」「大物」なのでしょう。
 しかしこんなところで「我らが阿部治平先生」に遭遇するとは思いませんでした(苦笑)。


◆書評:河西英通*57『「社共合同」の時代:戦後革命運動史再考』(2019年、同時代社)(評者:黒川伊織*58
(内容紹介)
 いわゆるコミンフォルム批判とそれを契機とした「共産党の50年分裂」によって挫折した1940年代の社共合同の動きについて、そうした動きが最も活発だったとされる青森県を舞台に青森県共産党の幹部である大澤喜代一 - Wikipedia津川武一 - Wikipediaを中心に論じている。
 長く共産党青森県委員長を務めた大澤喜代一 - Wikipedia、東北地方初の共産党代議士である津川武一 - Wikipediaといった青森共産党においてはある程度知られているが、「失礼ながら」全国的には知名度の低い彼らを、青森における「社共合同」の立役者として紹介した点を意義深いと黒川氏は評価している。

【参考:大澤喜代一、津川武一】

大澤喜代一 - Wikipedia
 1901~1985年。ペンネームは大沢久明。1917年、青森県立青森商業学校(現・青森県立青森商業高等学校)卒。1927年労働農民党青森県連を結成し、1929年に日本共産党に入党。1929年に起きた四・一六事件で検挙、懲役5年の刑を受ける。出獄後もたびたび検挙されたが、1939年に青森県議、1940年に青森市議となる。しかし、1941年に再び検挙されたため、議員を辞職した。
 戦後、日本社会党に入り、1946年の衆議院議員総選挙青森県から立候補して当選。次の1947年の衆議院議員総選挙では落選。1948年に日本共産党に入党。以後、日本共産党から立候補したが再選されることはなかった。その後1961年から1970年まで日本共産党青森県委員長を務めた。
 著書『大沢久明著作集〈1〉右翼と青森県』(1973年、北方新社)、『大沢久明著作集〈2〉天皇印象記・太宰治文学批判』(1974年、北方新社)、『大沢久明著作集〈3〉物語青森県共産党史』(1975年、北方新社)、『大沢久明著作集〈4〉ファシズム秋田雨雀』(1977年、北方新社) など。

 戦前に共産党活動歴がある人間が、戦後「社会党から国会議員選挙に出馬」とは「?」ですがこの辺りは河西本を読めば分かることではあるのでしょう。

津川武一 - Wikipedia
 1910~1988年。1930年、東京帝国大学医学部に進学。在学中に日本共産党に入党。しかし、治安維持法違反の容疑で逮捕、起訴され、大学から退学処分を受けるが、「転向」を表明して執行猶予付きの有罪判決を受け、その後大学への復帰が許される。卒業後、大学の医局に勤務。
 敗戦後は郷里に戻り共産党の再建活動に参加。
 1963年に青森県議会選挙に出馬、当選し、2期務める。2期目の途中の1969年、衆議院議員総選挙に青森2区から立候補、当選をはたし、東北地方の最初の日本共産党代議士として、1986年に引退するまで通算5期衆議院議員を務めた。
 小説も執筆し、1955年、小説『農婦』で読売新聞小説賞佳作入賞、『過剰兵』は、サンデー毎日大衆文芸賞に入選した。
 浪岡町(現青森市)に、2002年に記念碑が建てられた。
 著書『葛西善蔵・その文学と風土』(1971年、津軽書房)、『出稼ぎ:ある国会議員の報告』(1974年、北方新社)、『石坂洋次郎の文学:その光と影』(1982年、北方新社)、『りんごに思う』(1985年、北方新社)、『コメを憂う』(1987年、北方新社)など。

みんいれん半世紀(9) 民医連結成前夜 無産者医療の歴史を引き継いで 津軽ではリンゴ農民とともにたたかった津川医師らが – 全日本民医連
 故・津川武一医師は、終戦から二年後の一九四七年、青森県弘前市に「津川診療所」を開設しました。津川医師の診療所は、民主運動のセンターになり、やが て診療所を母胎に、そこに結集した民衆の力で五二年、津軽保健生協はうまれました。民医連が結成される前の年です。

https://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/museum/tsugawa_takeichi.html
 津川武一(1910~1988)は、民主医療の先駆者、日本共産党代議士(1969~80、83~86)、文学者として、稀にみる幅広い分野で顕著な業績を残した。その活動と業績は、没後のいまも輝きを放っている。
 貧しいなかから(1923年)旧制弘前中学校へ進学し、旧制弘前高校を経て(1939年)東京帝大医学部を卒業した。大学時代、社会の矛盾に目ざめ、(1932年)日本共産青年同盟へ加入し、やがて日本共産党へ入党する。中国への侵略戦争に反対し、治安維持法違反で二年間(1932~34)獄中生活を強いられた。
 戦後、(1945年)青森県共産党を再建し、(翌年から)県委員長を務め、労働、農民運動を指導した。その一方、(1947年)弘前市に津川診療所を開設し、それを母体に(1952年)津軽保健生活協同組合・健生病院を創設する。(1969年)東北初の日本共産党代議士に当選し、津軽に革新の灯を切り開いた。県内はもとより、全国を東奔西走し、海外にも足を運び、五期十三年、国政革新のために献身した。
 (1955年)読売新聞小説賞佳作入選した「農婦」で文学的出発をした武一は、『弘前文学』や『弘前民主文学』を中心に、小説、評論、ルポなどを精力的に発表した。単行本になったものだけでも五十数冊におよぶ。長年の創作、後進育成の活動が評価され、(1981年)第二回青森県文芸協会賞を受賞している。
 全生涯的業績ともいうべき三つの分野における仕事は、渾然一体となって結合されていた。その根底に流れているのは、ヒューマニズムと社会革新の思想と精神である。
 激動する時代と格闘し、民衆のなかに溶けこみ、民衆のためにたたかった津川武一の政治、医療、文学の原点はなにか、その人間的魅力は、どのように形成されていったのか。波乱に富んだ七十八年の生涯の跡をたどりながら探ってみたい。
◆阿部誠也『アルバム 津川武一の軌跡』(2002年 北方新社)「はじめに」
 文中の( )はすべて青森県近代文学館による補註である

WEBマガジン「福祉広場」- 若田泰の本棚 -
『評伝 津川武一』阿部誠也著、2005年、北方新社
 津川武一は大学時代の私のあこがれだった。
 大学紛争の渦中に行われた1969年(昭和44)の衆議院選挙で、東北の農村・青森2区にはじめて日本共産党代議士が誕生したとのニュースをすがすがしく聞いた。
 津川について、当時とくに詳しく知っていたというわけではないが、単に医師であるだけでなく東大から郷土に帰り貧困住民の中に飛び込んだ医師であり政治家で、しかも作家でもあるということに惹かれたのだ。
 その評伝が本書である。著者は、津川の研究家で、これまでにも数冊の書を著わしていて本書が集大成の意味を持つ。
 津川武一は1910年(明治43)の生まれ、家は代々造り酒屋だったらしいが、生まれた当時は没落して貧農になっていた。貧困の生活に進学は無縁のはずだったが、成績優秀なため周囲より進学を勧められ、家族も決断して東京帝大医学部に入学した。
 しかし、セツルメント活動や社会主義運動にかかわったため、卒業にいたるまでに9年を要した。戦後は青森県党の再建運動の中心となる。
 1946年(昭和21)衆議院選挙に立候補して落選、1947年(昭和22)津川診療所開設、1948年(昭和23)政令201号違反で逮捕され、最高裁で3ヶ月の実刑判決を受けた。1952年(昭和27)津軽保健生活協同組合健生病院誕生、ポリオから子供を救う活動に力を尽くす。
 1962年(昭和37)五十年問題で除名処分になっていたのを誤りであったと取り消され、1963年(昭和38)県議会へ、さらに1969年(昭和44)国会へ、結局5期13年国会議員を務める。
 国会では一貫して農林水産常任委員として、「米とりんごと出稼ぎを守る」ために活躍した。1988年(昭和63)、落選後2年目に膵癌にて死亡、78歳だった。
 津川の母に寄せる愛情がひと通りではない。
 1955年(昭和30)読売新聞小説賞佳作に入選した『農婦』(民衆社)は、きびしい風土の中で米づくりに格闘しながらたくましく生きる農婦の姿を、進学を支えてくれた母にダブらせて描いたものだ。
 この賞で自信を得た津川は、作家になるか医師になるかを本気で迷ったようだが、結局政治家になってしまった。
 本書は、評論としては津川に寄り添いすぎでもっと批判的な見地がほしという読者がいるかもしれない。私もそれは感じるけれど、それだけ津川武一が傑出した人間だったということであり、ひとりの歴史上の人物について資料を丁寧に検討して整理しまとめあげたものとして、本書は手塚英孝*59小林多喜二』上・下(新日本新書)のように後世に残る評伝なのだろうと思う。

青森・金木町、保守町議だった吉田米逸さん(71)、日本共産党に入党しましたから津川武一関連記述
◆津川武一さんに心ひかれた
 「相談ごとで、津川武一さん(青森県日本共産党代議士・故人)を訪ねたとき、『あの、もの静かな人からどうしてあんな闘争心が生まれるのか』と心ひかれた。農家に過大な負担をおしつける土地改良の闘争も、一番、意思が固く、最後まで裏切らなかったのが共産党だった。一度決めたら信念を貫く党だと知り、以来、自分では『党友』のつもりだった」


【参考:いわゆるコミンフォルム批判とそれを契機とした「共産党の50年分裂」】

https://www.jcp.or.jp/jcp/jcp-syokai/html/fuwakoen_2.html
 日本共産党は、1946年の第五回党大会で「平和的かつ民主主義的方法」で社会の変革をめざすという方針を決めました。これにたいし、1950年、コミンフォルム共産党・労働者党情報局)から、「アメリカ占領下での『平和革命』論は間違っている」と突然の「批判」がありました。
 そのいきさつについては、不破委員長の著作『干渉と内通の記録』がソ連秘密文書をもとに明らかにしています。徳田、野坂は、党を破壊し、北京に亡命して勝手につくった「北京機関」を党の指導機関と称して、ソ連・中国じこみの方針を日本に持ち込んだのです。
 この路線は破たんしました。そして、日本共産党が統一を回復した第七回党大会(1958年)、現在の綱領を確定した第八回党大会(1961年)にすすむ過程で、(1)徳田、野坂らが党を分裂させたことの誤り、(2)ソ連・中国などの干渉に追随したことの誤り、(3)武装闘争路線を持ち込んだことの誤り――を明確にし、それを根本的に克服するなかで、今日の党の路線が確定したのです。

https://www.jcp.or.jp/jcp/78th_koen/fuwa_78th_honbun.html
 五〇年一月、コミンフォルム共産党・労働者党情報局)というところから突然の批判があったのです。コミンフォルムというのは、当時、ソ連共産党が中心になって、ヨーロッパにつくっていた組織で、別にアジアの党や日本共産党がその管轄下におかれているわけではないのですけれど、そこからいきなり日本共産党批判が発表された。アメリカの占領下で、平和革命を考えるのは間違っている、こういう批判でした。
 これは、ソ連、中国という二つの大国による“襲撃”ともいうべき干渉でした。当時まだソ連の実態はいまのように明らかになっていませんでしたし、中国はアジアで大きな革命を起こして成功したばかりで、両国とも、世界でも日本でも進歩派の信頼をかなり集めていました。そういうなかで、この二つの国の党が連合して、この干渉をやってきたということは、わが党にきわめて深刻な打撃を与えました。
 そのなかで党が分裂し、多くの党員は、分裂のどの側に属した人も、ことの真相がわからないまま、本当に痛苦の数年を過ごさざるをえなかったというのが実態でした。
 私たちはこの時期のことを「五〇年問題」と呼んでいますが、「五〇年問題」を基本的に解決してそこから抜け出す過程で、だいたい何が起こったかというあらすじは、明らかになりました。しかし、このときの干渉の全貌(ぜんぼう)がつかめるようになったのは、実は、ソ連共産党が崩壊してからであります。
 ソ連共産党が崩壊してから、彼らが持っていた秘密文書が、いろいろと流れ出る事件がありました。
 私は、そういう材料をもとにして、今から七年前の一九九三年に、『干渉と内通の記録』という文章を「赤旗」に連載しました。
 中国共産党が革命に成功して、新しい中国を建国するのは一九四九年十月です。その三カ月前に、当時はまったく秘密にされていましたが、中国の党の代表である劉少奇ソ連を秘密裏に訪問して、スターリンと革命成功後のことについてかなり突っ込んだ相談をやっています(四九年七月)。その相談の席の一つで、スターリンから提案があり、“今後アジアの植民地・半植民地の運動にかんしては、中国が担当者になって中国の革命運動の経験を大いに広めてもらおうじゃないか”という打ち合わせがやられたということが、あとでわかりました。その年の十一月に北京で世界労連がアジア・大洋州労働組合の会議を開くのですが、劉少奇がそこへ出ていって、“アジアの植民地・半植民地の運動は、中国と同じように人民解放軍による武装闘争をやらなければならない”という演説(いわゆる「劉少奇テーゼ」)をいきなりやって驚かせるわけですけれども、これも、スターリンとの相談にもとづくものでした。このときの演説では、植民地・半植民地のなかに、アメリカの占領下にあるということで、日本も数えられていたのです。
 コミンフォルム日本共産党「批判」というのは、この線にもとづくものでした。
 そういう「批判」があった三カ月後には徳田球一書記長と野坂参三らは、党の中央委員会や政治局のなかでも自分たちの仲間だけを秘密裏に固めて事実上の分派をつくる。そして、そこから北京に使者を送って特別な連絡体制をつくる、そういうことを始めます。
 徳田と野坂は北京に亡命し、そこで「北京機関」という名前の、一種の指導機関を勝手につくります。そこから、ソ連・中国じこみの武装闘争方針を日本に持ち込んだのです。
 この「北京機関」というのは、文字通りソ連出先機関でした。その後スターリンのもとで、モスクワで「北京機関」代表も加わって会議をやるとか、そこで「軍事方針」という名前の武装闘争方針の文書をつくるとか、そういうことをさんざんやったのです。
 私たちは、党を分裂させたこの人びとをいま、「徳田・野坂分派」と呼んでいます。五〇年以後の時期の「軍事方針」というものは、この分派が党を分裂させ、党の決定にそむいて日本に持ち込んできたものであります。しかもこの方針は、スターリンの指揮のもと、ソ連・中国の干渉者たちがつくりあげて、「北京機関」を通じて持ち込んだものでした。
 ですから、日本共産党の大会とも中央委員会とも何の関係もありませんでした。日本共産党の正規の機関が武装闘争や暴力革命などの方針を決めたことは一度もないのであります。
 この時期に党の分裂に反対した人びとは、徳田・野坂らの分派的な行動に反対すると同時に、彼らが持ち込んだ武装闘争の方針に対しても真っ向から反対しました。その先頭に立ったのが、政治局員だった宮本顕治さんであります。
 結局、ソ連・中国の後押しにもかかわらず、この路線は完全な失敗に終わりました。ソ連・中国の干渉派も、その代弁者となった野坂らも、ことの収束を図らざるを得なくなりました。それが、一九五五年のいわゆる「六全協」だったわけであります。
 一九五八年の第七回党大会に進む過程で、この時期の本当の問題点が明らかになりました。
 第一は、徳田・野坂らが日本共産党を分裂させたことの誤りであります。
 第二は、ソ連・中国などの干渉の誤りとそれに追随したことの誤りであります。
 第三は、そして、その線で武装闘争路線を日本に持ち込んだことの誤りであります。
 この三つの点の確認を大前提として、一九五八年には第七回党大会が開かれ、一九六一年には第八回党大会が開かれ、この二つの大会で今日の党の路線を確立したのであります。
 これが、ごくあらましでありますが、「五〇年問題」の歴史であります。
 反共派が“火炎びん闘争”などといっていま問題にしているのは、この時期の徳田・野坂分派の行動であります。つまり、ソ連・中国のいいなりになって党を分裂させ、北京に拠点を構えた徳田・野坂分派が党大会の決定にそむいてやったことであります。
 今日の日本共産党がこの分派の後継ぎであるかのようにいいたてるのは、歴史を無視したまったくのいいがかりにすぎません。
 反対に、日本共産党の今日の路線は、この干渉を打ち破るたたかいの中で築かれたものであります。

 まあ不破演説(特に宮本氏ら徳田時代の反主流派には基本的に武装闘争の責任は全くないかのような物言い)にどこまで賛同するかどうかはともかく
1)1950年代の党分裂の時代(徳田時代)と、1955年の党統一後(宮本時代)とでは時代背景や党方針などが全然違うこと
2)徳田時代の反省の元に、宮本時代から「チェコ侵攻批判(ソ連)」「文革批判(中国)」「アフガン侵攻批判(ソ連)」「ラングーン事件批判(北朝鮮)」など「既存共産国への一定の批判」が行われたこと
は事実であり、1955年の党統一から今に至るまで暴力革命路線であるかのような一部ウヨの悪口雑言がデマであることは確かです。

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-04-05/2016040509_01_0.html
◆山口
 49年11月に北京で開かれたアジア・大洋州労働組合代表者会議では劉少奇が開会演説し、アジアの共産党に中国式の武装闘争をやれと呼びかけます。武装闘争押しつけは中国主導だと思われていましたが、実は、これもスターリン主導だったんですね。コミンフォルムによる日本共産党批判(1950年1月7日)は、アジア労組会議の2カ月後でしたね。
◆不破 
 あの時期に資本主義国の共産党スターリンから武装闘争を押しつけられたのは日本共産党だけです。日本は朝鮮戦争の米軍の後方基地だから、そこで攪乱(かくらん)活動をやれば戦争に有利に働くという判断でやられた作戦でした。

【参考:黒川伊織氏】

「戦後日本共産党史研究の現段階」大阪産業労働資料館特別研究員・黒川 伊織 | 論壇
◆はじめに
 なぜ日本共産党史の研究は、歴史学政治学などの学問的研究のなかで、これほどまでに評価されづらいのか。自民党史や社会党史に関しては相当な研究の蓄積があるのに、戦前の非合法時代はともかく、戦後に合法化され、国政政党となってからの共産党史の研究すら、今も忌避する人が多いのを常々実感している。
 私は、左派の社会運動を研究対象としている大阪市在住の無党派の兼業主婦である。しかし共産党にも新左翼諸党派にも、研究対象として以上の関心はない。そのような立場の私に『現代の理論』編集部から寄稿の依頼があったことに最初はとまどった。しかし、距離感があるからこそ書けることもあるだろうと思い、(中略)お引き受けすることにした。
 本稿で述べるように、冷戦崩壊後に旧ソ連文書が公開され、21世紀に入って米国国立公文書館(NARA)の占領期日本関係文書が公開されたことで、冷戦史研究(Cold War Studies)を行ううえでの史料基盤は着実に整備されており、その延長上に戦後日本共産党史研究の新たな可能性が開かれることになった。そのうえ、1970年代から80年代にかけての社会運動史研究最盛期に蓄積されたオーラル・ヒストリーの数々や、戦後の共産党を担った有名無名の人々が残した文書群も、いまだ十分に活用されていないままとなっている。つまり、冷戦期の日本共産党史についての研究はほとんど手つかずの状態と言ってよく、その気になれば相当な研究成果をあげることが可能だ。なかでも、敗戦から「50年分裂」の時期については、後述するようにすでにいくつかの研究成果が発表されており、今後の学問的研究の深化が最も期待される研究領域であると言ってよい。
(中略)
◆2.冷戦体制の崩壊と東アジア冷戦への関心の高まり
 冷戦体制が崩壊したことで、それまで門外不出とされてきた旧ソ連の史料が公開され、皮肉にも共産党史研究の史料的基盤が整備されることになった。しかし、旧ソ連の史料公開に最初に飛びついた日本人は、研究者ではなく、マスコミだった。日本共産党名誉議長・野坂参三スパイ疑惑を報じ、満100歳の野坂を失脚に追い込んだのは、『週刊文春』1992年9月3日号に掲載された小林峻一・加藤昭による記事「野坂参三、同志を売った密告の手紙」である。この記事により野坂を追放した共産党も、不破哲三日本共産党にたいする干渉と内通の記録―ソ連共産党秘密文書から』(新日本出版社、1993年)を発表(中略)した。
(中略)
 一次史料を精読する歴史研究者の立場からこの問題に一石を投じたのが、和田春樹*60『歴史としての野坂参三』(平凡社、1996年)である。
(中略)
 2004年に、1970年代から個人誌『文学ノート』に自らの「50年分裂」期の武装闘争・山村工作隊の経験を書き綴ってきた脇田憲一の大著『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』(明石書店)が刊行されたことは、東アジア冷戦に関心を抱く若い世代の研究者が「50年分裂」期の運動史に対する関心を深めていく重要な転回点となった。また、2004年度から同志社大学人文科学研究所の共同研究として取り組まれた「近代日本の社会運動家―その書誌的研究」においては、研究代表者であった田中真人*61が、当事者による手記や回想録を手がかりに「50年分裂」について歴史学の立場から体系的研究をはじめようとしていたが(田中真人「日本共産党「50年分裂」はいかに語られたか」『キリスト教社会問題研究』55号、2006年)、2007年の田中の死によりその試みは途絶した。
 2003年に社会人入試により神戸大学大学院博士前期課程に入学した私が、はじめて社会運動史研究の手ほどきを受けた場は、田中が主宰するこの共同研究だった。
◆3.「50年分裂」下の経験を問い直す
 「50年分裂」前後の共産党に対する学問的関心は、前述した2004年前後を画期として逆に高まりつつある。
 第一に、冷戦史研究の文脈における戦後日本共産党史研究の学問的深化である。外交史*62の立場に立つ下斗米伸夫*63が、『日本冷戦史』(岩波書店、2011年)によりソ連共産党モロトフ文書に残された「50年分裂」当時の日本共産党幹部の発言・動向を記した一次資料に基づき、ソ連共産党中国共産党の視点をも踏まえた「50 年分裂」についての事実関係の整理を行った。よく知られているように、1950年9月に地下潜行中の徳田球一が中国に密航してから、100人以上の党幹部や中堅幹部が北京に送られた。
 私は、その生き残りのおひとりから個人的に北京での経験―軍事訓練や日常生活―を伺う機会を得たが、その方が「あれは消えてしまわないといけない歴史なんだ」と呟かれたことに、その方が今も抱え込む深い傷を感じ取った。
 第二に、東アジア冷戦に関心を抱く若い世代の研究者がその解明の手がかりとして取り組んでいる戦後文化運動研究において、文化運動の中心にあった共産党が運動に果たした正負の役割が明らかになりつつある。その嚆矢となったのが、社会学者の道場親信*64らが編纂した力作「特集 戦後民衆精神史」(『現代思想』35巻17号、2007年)の刊行である。
 1950年代前半の東京・下丸子で、地域の若き労働者が文学サークル活動に自らの生を賭け、それに呼応する安部公房共産党系知識人との協働のなかで生み出された表現を半世紀の時を経て発掘したこの特集の発行を機に、1950年代のサークル運動に関する研究者の関心は急速に強まった。以降、有志が集う戦後文化運動合同研究会などの場で、サークル運動研究に関わる文学・社会学などの研究者による討論や相互批評が重ねられてきた(1950年代を中心とする戦後文化運動の概要は、文学研究者・鳥羽耕史の『1950年代―記録の時代』(河出書房新社、2010年)にまとめられている)。その過程で、戦後文化運動が生み出した数々のサークル雑誌の復刻も進められた(『ヂンダレ・カリオン(復刻版)』不二出版、2008年、『東京南部サークル雑誌集成』不二出版、2009年、『人民文学(復刻版)』不二出版、2010-11年、『われらの詩(復刻版)』三人社、2013年、『山河(復刻版)』三人社、2015-16年)。
 2016年中には、戦後文化運動合同研究会による研究成果をまとめた論文集を刊行する予定となっており、私も朝鮮戦争下の抵抗としてのサークル運動の経験について論じている。戦後文化運動研究をリードしてきたのは文学・社会学の研究者であるが、本論文集の刊行をきっかけに、歴史研究の立場からも、戦後史の証言としてのサークル運動の表現に関心を抱いてほしいと願っている。
 第三に、「50年分裂」の経験を、地域の労働運動や社会運動との連動性という視点から捉えようとする研究である。このような研究の担い手は、2000年代以降に社会運動史の研究に取り組みはじめた若い世代の研究者である。1977年生まれの福家崇洋*65は、アメリ国立公文書館(NARA)での史料博捜の成果として、「京都民主戦線についての一試論」(『人文学報』104号、2013年)を発表し、ソ連共産党中国共産党の介入という視点から、革新知事・市長を生み出す原動力となった京都民主戦線が瓦解し、「50年分裂」へと至る過程を描き出した。さらに福家は、1950年前後の京都大学において共産党の指導下に展開された学生運動―その象徴が京大天皇事件である―の経験を、大学文書館に寄託された史料から跡づける作業も行っている(福家崇洋「1950年前後における京大学生運動(上)(下)」『京都大学大学文書館研究紀要』13-14号、2015-16年)。
 1974年生まれの私は、市田良彦*66による「50年分裂」当事者からの聞き取りプロジェクトに参加し、その解題として「尼崎における日本共産党「50年分裂」の展開」(杉本昭典(市田良彦・黒川伊織編)『時代に抗する―ある「活動者」の戦後期』(私家版、2014年)をまとめた。当事者の高齢化によりオーラル・ヒストリーの収集と一次史料の収集が困難になるなかで―それはある意味「歴史化」が完了するということであろうが―、どのように当時の運動の連動性を描き直すか。過去の運動史研究の蓄積に学びながら、その方法を見つけ出さねばなるまい。
◆4.一国一党主義を問い直す
 ところで、もともと第一次日本共産党史研究に取り組んできた私が、戦後共産党―なかでも「50年分裂」期―を研究対象としている理由は、第一次日本共産党にはじまる一国一党主義の原則が、1955年に日本共産党から在日コリアンや華僑などの外国籍党員が分離して終焉するという一連の流れに強い関心を抱いているからである(詳しくは、黒川伊織『帝国に抗する社会運動―第一次日本共産党の思想と運動』(有志舎、2014年)の終章を参照)。
(中略)
 そのような観点からすると、六全協に至るまでの日本共産党史の研究とは、一方で在日コリアンコミュニスト(そして華僑のコミュニスト)による運動経験を研究することでもあるといってよい。実際、戦後再建された日本共産党の最高幹部のなかには、金天海*67・金斗鎔*68ら戦前からの運動経験をもつコリアンのコミュニストがいたし、1949年2月には、在日本朝鮮人連盟の方針により多くの在日コリアン共産党に集団入党していた。在日コリアンや華僑のコミュニストは、「50年分裂」そして朝鮮戦争による弾圧のもと、物心両面で共産党を支え続けた。その経験を「なかったことにする*69」現在の共産党の立場、そして在日コリアンや華僑の存在を「なかったことにしてきた」冷戦期の運動史研究への違和感(先駆的研究として、戦前期を対象にした岩村登志夫*70在日朝鮮人と日本労働者階級』(校倉書房、1972年)があったことを指摘しておく)こそ、私が社会運動史研究を続けていくうえでの原動力になっている。
 一国一党主義の問い直しは、戦後民主主義の問い直しでもあるはずだ。1950年代後半以降の「国民」運動の範疇に、果たして在日外国人は入っていたか。戦後民主主義が60年安保闘争や三池闘争を経験するなかで、在日外国人の権利獲得に目を向ける運動はあったか。一国一党主義を手放したのちの共産党が急速に「一国化」していく一方、1970年前後に戦後民主主義から放逐された人々―在日外国人・被差別部落の人々*71―の問題が可視化されたとき、これらの問題に積極的に関わっていった人々は、共産党と距離のある人々*72であったと思う*73(あえて新左翼とは私は言わない)。この反転をどう思想史的に位置づけるのかという問題は、戦後共産党史というマニアックな枠組から共産党史を解き放ち、戦後日本において共産党が果たした正負の作用をできる限りニュートラルに捉える作業の一環となるはずだ。
(後略)

 まあ小生の考えはもっと単純で「戦前から戦後まで歴史が続き、昔も今も一定の政治力を有する日本共産党について研究するのは当然だ」つう話ですね。
 これは何も共産党に限らない。公明党だって何だって同じ話です(俺が知らないだけかもしれませんが、公明党の研究も少ないように思いますね)。
 勿論俺は公明党支持者ではありませんが、そういうことと研究が必要かどうかは話が違う。
 黒川氏のように「一国一党主義の問い直しは、戦後民主主義の問い直し」などという価値観を前面に出すことはその価値観に共感しない人間にとっては「それがお前の研究理由なら、俺には研究する理由はないよ。俺そう言う価値観じゃないし」になりかねません。

読んでほしいな、黒川伊織著『帝国に抗する社会運動-第一次共産党の思想と運動-』 - 有志舎の日々
 『帝国に抗する社会運動-第一次共産党の思想と運動-』を出していただいた黒川伊織さんが某学会の賞に内定した(といってもこの本で受賞したのではなくて、別の論文でですが。そして、まだ内定なので公表はできないのです)とのご連絡をいただきました。おめでとうございます。
 黒川さんには、「残念ながらあまり売れてないので、授賞式でもこの本を宣伝してくださいね」とお願いしたのですが、もうちょっと売れて欲しいんですけれど。良い研究だと思うんだけどなあ。
 まあ、無名出版社の有志舎から出した事が足を引っ張っているかもしれないので申し訳ない限りなのですが・・・・・・。
 ただ、考えてみると、右派は「アカの本か」という事で読む事はないだろうし*74共産党支持者の人は、今の共産党に耳が痛いことを書いているこの本を読むわけないし*75(一応、『赤旗』編集部にも献本したが黙殺されたようです)、反日共の「ニューレフト」系研究者*76からは「いまさら共産党かよ」で無視される、という図式なのかなあ?
 書評(学会誌は除く)で取り上げてくれたのは『図書新聞』だけでした(ありがとう!)。
 でも、「帝国に抗する」ということが、現在においてこれほど重要だと思うときはないと思うので、戦前の経験に学ぶべき事はいっぱいあると思うのですが。
 どうか、皆さん、冷たくしないで読んでみて下さい。
 以上、ありていに言って宣伝です(笑)。

 まあ、黒川本に限らず、共産党関係の本、それも研究書なんてまず一般の新聞、雑誌の書評で見ませんけどね。特に失礼ながら「無名出版社の有志舎」ならなおさらです。

*1:岩手大学教授。著書『近代日本の父性論とジェンダー・ポリティクス』(2004年、作品社)、『ゆらぐ親密圏とフェミニズム:グローバル時代のケア・労働・アイデンティティ』(2016年、コモンズ)

*2:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*3:1948年生まれ。共立女子大学名誉教授。著書『近代日本地方政党史論:「裏日本」化の中の新潟県政党運動』(1996年、芙蓉書房出版)、『「裏日本」はいかにつくられたか』(1997年、日本経済評論社)、『ヒゲの日本近現代史』(2013年、講談社現代新書)など(阿部恒久 - Wikipedia参照)

*4:1938~2015年。お茶の水女子大学名誉教授。著書『「生活者」とはだれか:自律的市民像の系譜』(1996年、中公新書)、『老いへのまなざし:日本近代は何を見失ったか』(2006年、平凡社ライブラリー)、『「老いがい」の時代:日本映画に読む』(2014年、岩波新書)など(天野正子 - Wikipedia参照)

*5:1950年生まれ。早稲田大学教授。著書『天皇制警察と民衆』(1987年、日本評論社)、『自由民権運動立憲改進党』(1991年、早稲田大学出版部)、『日本近代国家の成立と警察』(1992年、校倉書房)、『警察の社会史』(1993年、岩波新書)、『近代日本の警察と地域社会』(2000年、筑摩書房)、『近現代史考究の座標』(2007年、校倉書房)、『自由民権期の社会』(2012年、敬文舎)、『維新政府の密偵たち』(2013年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『小野梓』(2016年、冨山房インターナショナル)、『「主権国家』成立の内と外』(2016年、吉川弘文館)、『日本近現代史を生きる』(2019年、学習の友社)など(大日方純夫 - Wikipedia参照)

*6:日本学術振興会特別研究員。著書『「戦争体験」とジェンダーアメリ在郷軍人会の第一次世界大戦戦場巡礼を読み解く』(2017年、明石書店

*7:千葉大学助教。著書『「院外青年」運動の研究:日露戦後~第一次大戦期における若者と政治との関係史』(2019年、晃洋書房

*8:新人会 - Wikipediaも指摘しているが前期東大新人会(1918~1921年)が社民右派的な性格であるのに対し、後期東大新人会(1921~1929年)は共産党色が強まっている。伊藤論文では前期のみが取り上げられている。

*9:九州大学講師。著書『暴力の経験史:第一次世界大戦後ドイツの義勇軍経験1918~1923』(2016年、法律文化社

*10:摂南大学教授。著書『イギリス近代警察の誕生:ヴィクトリア朝ボビーの社会史』(2002年、昭和堂)、『戦う女、戦えない女:第一次世界大戦期のジェンダーセクシュアリティ』(2013年、人文書院

*11:1894~1964年。著書『高群逸枝語録』(鹿野政直、堀場清子編、岩波現代文庫)、『娘巡礼記』(岩波文庫)、『女性の歴史(上)(下)』、『火の国の女の日記(上)(下)』、『母系制の研究(上)(下)』(以上、講談社文庫)、『お遍路』(中公文庫)など。高群の評伝としては鹿野政直、堀場清子『高群逸枝』(朝日選書)、 石牟礼道子『最後の人:詩人高群逸枝』(藤原書店)など(高群逸枝 - Wikipedia参照)。

*12:1947年生まれ。埼玉学園大学名誉教授。著書『平安朝の母と子:貴族と庶民の家族生活史』(1991年、中公新書)、『家成立史の研究』(1991年、校倉書房)、『平安朝の女と男』(1995年、中公新書)、『平安朝の家と女性』(1997年、平凡社選書)、『平安朝 女性のライフサイクル』(1999年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『「源氏物語」の時代を生きた女性たち』(2000年、NHKブックス)、『平安朝に老いを学ぶ』(2001年、朝日選書)、『平安王朝の子どもたち』(2004年、吉川弘文館)、『平安朝 女の生き方』(2004年、小学館)、『平安王朝社会のジェンダー』(2005年、校倉書房)、『平安朝の父と子:貴族と庶民の家と養育』(2010年、中公新書)、『古代・中世の芸能と買売春』(2012年、明石書店)、『平安王朝の五節舞姫・童女天皇大嘗祭新嘗祭』(2015年、塙選書)、『藤原彰子』(2019年、吉川弘文館人物叢書)など。個人ブログ服藤早苗 平安日記服藤早苗 - Wikipedia参照)

*13:1913~2008年。著書『待賢門院璋子の生涯』(朝日選書)、『平安の春』、『平家後抄(上)(下):落日後の平家』(以上、講談社学術文庫)など(角田文衞 - Wikipedia参照)

*14:著書『家族の古代史:恋愛・結婚・子育て』(2007年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)

*15:1945年生まれ。著書『平安時代の離婚の研究』(1999年、弘文堂)、『平安前期の家族と親族』(2008年、校倉書房)、『万葉時代婚姻の研究』(2012年、刀水書房)(栗原弘 - Wikipedia参照)

*16:1941年生まれ。京都橘大学名誉教授。著書『女人政治の中世:北条政子日野富子』(1996年、講談社現代新書)、『山内一豊と千代:戦国武士の家族像』(2005年、岩波新書)、『乳母の力』(2005年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『北政所おね』(2007年、ミネルヴァ日本評伝選)、『細川ガラシャ』(2010年、ミネルヴァ日本評伝選)、『足利義政日野富子』(2011年、山川出版社日本史リブレット人)、『室町将軍の御台所:日野康子・重子・富子』(2018年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など(田端泰子 - Wikipedia参照)

*17:立命館大教授。著書『海の民のハワイ:ハワイの水産業を開拓した日本人の社会史』(2017年、人文書院

*18:正確には「大学校(水産大学校)」なので大学とは違います。

*19:著書『ねじれた絆:赤ちゃん取り違え事件の十七年』(2002年、文春文庫)、『皇太子誕生』(2006年、講談社文庫)、『ナツコ:沖縄密貿易の女王』(2007年、文春文庫)、『放射能に抗う:福島の農業再生に懸ける男たち』(2013年、講談社文庫)、『ゆかいな認知症:介護を「快護」に変える人』(2018年、講談社現代新書)、『美智子さまご出産秘話』(2019年、朝日文庫)など

*20:東京大学名誉教授。著書『昭和史の決定的瞬間』(2004年、ちくま新書)、『明治デモクラシー』(2005年、岩波新書)、『未完の明治維新』(2007年、ちくま新書)、『近代日本の国家構想:1871‐1936』(2009年、岩波現代文庫) 、『自由と平等の昭和史:一九三〇年代の日本政治』(2009年、講談社選書メチエ)、『日本政治「失敗」の研究』(2010年、講談社学術文庫)、『明治国家の終焉』(2010年、ちくま学芸文庫)、『日本近代史』(2012年、ちくま新書)、『西郷隆盛明治維新』(2013年、講談社現代新書)、『近代日本とアジア』(2013年、ちくま学芸文庫)、『〈階級〉の日本近代史:政治的平等と社会的不平等』 (2014年、講談社選書メチエ)、『近代日本の構造:同盟と格差』(2018年、講談社現代新書) など(坂野潤治 - Wikipedia参照)

*21:東京大学名誉教授。著書『近代的土地所有』(1973年、東京大学出版会)、『農学の思想:マルクスとリービヒ』(1976年、東京大学出版会)、『イギリス産業革命期の農業構造』(1978年、御茶の水書房)、『農業にとって生産力の発展とは何か』(1978年、農山漁村文化協会)、『マルクスの自然と宗教』(1984年、世界書院)、『プロテスタンティズムと資本主義:ウェーバー・テーゼの宗教史的批判』(1996年、東京大学出版会)、『カリタスとアモール:隣人愛と自己愛』(2013年、御茶の水書房)など

*22:東京大学名誉教授。著書『日露戦後政治史の研究』(1973年、東京大学出版会)、『天皇制の政治史的研究』(1981年、校倉書房)、『国際政治下の近代日本』(1987年、山川出版社)、『幕末維新期の文化と情報』(1994年、名著刊行会)、『幕末維新期の社会的政治史研究』(1999年、岩波書店)、『歴史のなかの『夜明け前』平田国学の幕末維新』(2015年、吉川弘文館)、『歴史のなかの新撰組』(2017年、岩波現代文庫)、『幕末維新変革史(上)(下)』(2018年、岩波現代文庫)、『幕末維新像の新展開:明治維新とは何であったか』(2018年、花伝社)、『土方歳三榎本武揚幕臣たちの戊辰・箱館戦争』(2018年、山川出版社日本史リブレット人)、『天皇制と歴史学』(2019年、本の泉社)など(宮地正人 - Wikipedia参照)

*23:岡山大学名誉教授。著書『明治期農村織物業の展開』(1974年、東京大学出版会)、『産業革命期における地域編成』(1987年、御茶の水書房)、『戦後村落景観の変貌』(1991年、御茶の水書房)、『近代岡山県地域の都市と農村』(1993年、御茶の水書房)、『近代産業地域の形成』(1997年、御茶の水書房)、『明治文学における明治の時代性』、『明治期の庶民生活の諸相』(以上、1999年、御茶の水書房)、『近代藺莚業の展開』(2000年、御茶の水書房)、『明治高等教育制度史論』、『近世の一農書の成立:徳山敬猛「農業子孫養育草」(文政九年)の研究』、『村方争論・事件にみる近世農民の生活』、『近代東京東郊地域史論』(以上、2005年、御茶の水書房)など(神立春樹 - Wikipedia参照)

*24:1935~2019年。著書『東山文化』(1994年、平凡社ライブラリー)、『的と胞衣(えな):中世人の生と死』(1998年、平凡社ライブラリー)、『室町時代の一皇族の生涯:『看聞日記』の世界』(2002年、講談社学術文庫)、『中世民衆の生活文化(上)(中)(下)』(2007~2008年、講談社学術文庫)など(横井清 - Wikipedia参照)

*25:東京都立大学名誉教授。著書『中世の東国』(1989年、東京大学出版会)、『中世災害・戦乱の社会史』(2001年、吉川弘文館)、『新田義貞』(2005年、吉川弘文館)、『中世東国の荘園公領と宗教』(2006年、吉川弘文館)、『中世社会の一揆と宗教』(2008年、東京大学出版会)、『足利尊氏と直義』(2009年、吉川弘文館)、『中世の合戦と城郭』(2009年、高志書院)、『中世荘園公領制と流通』(2009年、岩田書院)、『日本中世の社会構成・階級と身分』(2010年、校倉書房)、『享徳の乱:中世東国の「三十年戦争」』(2017年、講談社選書メチエ)など(峰岸純夫 - Wikipedia参照)

*26:早稲田大学名誉教授。著書『江戸時代』(2000年、岩波ジュニア新書)、『江戸時代の身分願望:身上りと上下無し』(2006年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『田沼意次』(2010年、山川出版社日本史リブレット人)、『東アジア法文明圏の中の日本史』(2012年、岩波書店)、『死者のはたらきと江戸時代:遺訓・家訓・辞世』(2013年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『民間社会の天と神仏』(2015年、敬文舎)、『南部百姓命助の生涯:幕末一揆と民衆世界』(2016年、岩波現代文庫)など(深谷克己 - Wikipedia参照)

*27:大阪大学名誉教授。著書『文明開化と民衆意識』(1980年、青木書店)、『差別の視線:近代日本の意識構造』(1998年、吉川弘文館)、『近代日本を語る:福沢諭吉と民衆と差別』(2001年、吉川弘文館)、『女の老いと男の老い:近代女性のライフサイクル』(2005年、吉川弘文館)、『差別からみる日本の歴史』(2008年、解放出版社)、『日本帝国と民衆意識』(2012年、有志舎)、『福沢諭吉』(2015年、岩波現代文庫)など(ひろたまさき - Wikipedia参照)

*28:著書『平安前期政治史序説』(1977年、東京大学出版会)など

*29:京都大学名誉教授。著書『明治維新の基礎構造』(1968年、未来社)、『奴隷制農奴制の理論:マルクス・エンゲルスの歴史理論の再構成』(1977年、東京大学出版会)、『世界資本主義と明治維新』(1978年、青木書店)、『近代世界史像の再構成』(1991年、青木書店)、『日本初期資本主義史論』(1991年、ミネルヴァ書房)、『近代東アジア史像の再構成』(2000年、桜井書店)など(中村哲 (経済学者) - Wikipedia参照)

*30:東北大学名誉教授。著書『百姓申状と起請文の世界』(1986年、東京大学出版会)、『中世武士団の自己認識』(1998年、三弥井書店)、『都市平泉の遺産』(2003年、山川出版社日本史リブレット)、『北日本中世社会史論』(2005年、吉川弘文館)、『平泉の政治と仏教』(2013年、高志書院)、『藤原清衡』(2014年、ホーム社)、『藤原秀衡』(2016年、ミネルヴァ書房日本評伝選)、『中尊寺領骨寺村絵図を読む』(2019年、高志書院)など(入間田宣夫 - Wikipedia参照)

*31:東京大学名誉教授。著書『歴史としての社会主義』(1992年、岩波新書)、『金日成満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『歴史としての野坂参三』(1996年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『テロルと改革:アレクサンドル二世暗殺前後』(2005年、山川出版社)、『ある戦後精神の形成:1938〜1965』(2006年、岩波書店)、『日露戦争 起源と開戦(上)(下)』(2010年、岩波書店)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『領土問題をどう解決するか』(2012年、平凡社新書)、『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(2015年、岩波書店)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『レーニン:二十世紀共産主義運動の父』(2017年、山川出版社世界史リブレット人)、『ロシア革命』、『スターリン批判・1953〜56年:一人の独裁者の死が、いかに20世紀世界を揺り動かしたか』(以上、2018年、作品社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)など(和田春樹 - Wikipedia参照)

*32:東京大学名誉教授。著書『日本中世法史論』(1979年、東京大学出版会)、『徳政令』(1983年、岩波新書)、『法と言葉の中世史』(1993年、平凡社ライブラリー)、『中世人との対話』(1997年、東京大学出版会)など(笠松宏至 - Wikipedia参照)

*33:静岡大学名誉教授。著書『日本古代国家史研究』(1980年、東京大学出版会)、『地域と王権の古代史学』(2002年、塙書房)、『日本古代の木簡と荘園』(2018年、塙書房)など(原秀三郎 - Wikipedia参照)

*34:東京大学名誉教授。著書『マグナ・カルタの世紀』(1980年、東京大学出版会)、『中世イギリス財政史研究』(1994年、東京大学出版会)、『百年戦争』(2009年、刀水書房)など(城戸毅 - Wikipedia参照)

*35:国際日本文化研究センター名誉教授。著書『神と仏』(1983年、講談社現代新書)、『仏教とは何か』(1993年、中公新書)、『死の民俗学:日本人の死生観と葬送儀礼』(2002年、岩波現代文庫)、『近代日本人の宗教意識』(2007年、岩波現代文庫)、『親鸞をよむ』(2007年、岩波新書)、『空海の企て』(2008年、角川選書)、『『教行信証』を読む』(2010年、岩波新書)、『義理と人情:長谷川伸と日本人のこころ』(2011年、新潮選書)、『日本文明とは何か』(2014年、角川ソフィア文庫)、『「歌」の精神史』(2015年、中公文庫)など(山折哲雄 - Wikipedia参照)

*36:東京外国語大学名誉教授。著書『ネルー』(1966年、清水書院)、『現代インド政治史研究』(1981年、東京大学出版会)、『インド史への招待』(1997年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など(中村平治 - Wikipedia参照)。

*37:中央大学名誉教授。著書『中国革命に生きる:コミンテルン軍事顧問の運命』(1987年、中公新書)、『中国民主化運動の歴史』(1990年、青木書店)、『「三光作戦」とは何だったか:中国人の見た日本の戦争』(1995年、岩波ブックレット)、『中国革命史私論』(2000年、櫻井書店)、『林彪春秋』(2009年、中央大学出版部)など(姫田光義 - Wikipedia参照)

*38:東京大学名誉教授。著書『日本紡績業史序説(上)(下)』(1970-1971年、塙書房)、『日本資本主義史論』(1980年、ミネルヴァ書房)、『近代日本綿業と中国』(1982年、東京大学出版会)、『再発見 明治の経済』(1995年、塙書房)、『会社の誕生』(1996年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『明治経済史再考』(2006年、ミネルヴァ書房)、『小松帯刀』(2012年、吉川弘文館人物叢書)、『永井尚志』(2015年、ミネルヴァ書房日本評伝選)など(高村直助 - Wikipedia参照)

*39:都留文科大学名誉教授。著書『日本近世都市論』(1983年、東京大学出版会)、『東京の歴史』(1988年、岩波ジュニア新書)、『西鶴元禄時代』(2001年、新日本新書)、『町場の近代史』(2001年、岩田書院)、『幕末維新期の都市と経済』(2007年、校倉書房)、『城下町』(2013年、吉川弘文館)など(松本四郎 - Wikipedia参照)

*40:横浜国立大学名誉教授。著書『フランス帝国主義とアジア:インドシナ銀行史研究』(1985年、東京大学出版会)、『フランス資本主義と中央銀行』(1999年、東京大学出版会)、『通貨統合の歴史的起源』(2013年、日本経済評論社)など(権上康男 - Wikipedia参照)

*41:東京大学名誉教授。著書『戦後世界秩序の形成:アメリカ資本主義と東地中海地域 1944-1947』(1985年、東京大学出版会)、『未完の占領改革:アメリカ知識人と捨てられた日本民主化構想』(1989年、東京大学出版会)、『なぜ戦争観は衝突するか:日本とアメリカ』(2007年、岩波現代文庫)、『好戦の共和国 アメリカ』(2008年、岩波新書)、『ベトナム戦争に抗した人々』(2017年、山川出版社世界史リブレット)、『避けられた戦争:一九二〇年代・日本の選択』(2020年、ちくま新書) など(油井大三郎 - Wikipedia参照)

*42:著書『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)、『チベット高原の片隅で』(2012年、連合出版)など

*43:東京外国語大学名誉教授。著書『ビラの中の革命:ウィーン・1848年』(1987年、東京大学出版会)、『歴史のなかのウィーン:都市とユダヤと女たち』(1993年、日本エディタースクール出版部)など(増谷英樹 - Wikipedia参照)

*44:江戸東京博物館名誉館長。著書『元禄人間模様』(2000年、角川選書)、『江戸は美味い:「大江戸談義」十八番勝負』(2008年、小学館)、『寛政改革の研究』(2009年、吉川弘文館)など(竹内誠 (歴史学者) - Wikipedia参照)

*45:東京学芸大学名誉教授。著書『日本古代・中世畠作史の研究』(1992年、校倉書房)、『ハタケと日本人』(1996年、中公新書)、『「国風文化」の時代』(1997年、青木書店)、『中世の民衆生活史』(2000年、青木書店)、『日本初期中世社会の研究』(2006年、校倉書房)、『初期鎌倉政権の政治史』(2011年、同成社)、『戦後日本中世史研究と向き合う』(2012年、青木書店)、『日本中世百姓成立史論』(2014年、吉川弘文館)、『頼朝と街道:鎌倉政権の東国支配』(2016年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『平将門の乱を読み解く』(2019年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など (木村茂光 - Wikipedia参照)

*46:千葉大学名誉教授。著書『東欧経済史の研究:世界資本主義とハンガリー』(1979年、ミネルヴァ書房)、『東欧経済史研究序説』(1985年、多賀出版)、『静かな革命:ハンガリーの農民と人民主義』(1987年、東京大学出版会)、『ハンガリーの改革:民族的伝統と「第三の道」』(1990年、彩流社)、『ハンガリーの「第三の道」:資本主義と社会主義のはざまで』(1991年、岩波書店)、『ハンガリーに蹄鉄よ響け:英雄となった馬泥棒』(1992年、平凡社)、『義賊伝説』(1996年、岩波新書)、『アウトローの世界史』(1999年、NHK出版)、『ブダペシュト史』(2007年、現代思潮新社)、『「連動」する世界史:19世紀世界の中の日本』(2018年、岩波書店)など(南塚信吾 - Wikipedia参照)

*47:東京大学名誉教授。著書『支配の代償:英帝国の崩壊と「帝国意識」』(1987年、東京大学出版会)、『日独伊三国同盟と第二次大戦』(1988年、岩波ブックレット)、『帝国のたそがれ:冷戦下のイギリスとアジア』(1996年、東京大学出版会)、『国際体制の展開』(1997年、山川出版社世界史リブレット)、『第二次世界大戦』(2001年、吉川弘文館)、『イギリス帝国と帝国主義』(2008年、有志舎)、『二〇世紀の歴史』(2014年、岩波新書)、『帝国航路(エンパイアルート)を往く:イギリス植民地と近代日本』(2018年、岩波書店)など(木畑洋一 - Wikipedia参照)

*48:中央大学名誉教授。著書『草の根のファシズム』(1987年、東京大学出版会)、『従軍慰安婦』(1995年、岩波新書)、『毒ガス戦と日本軍』(2004年、岩波書店)、『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(2010年、岩波ブックレット)、『焼跡からのデモクラシー:草の根の占領期体験(上)(下)』(2014年、岩波現代全書)、『買春する帝国:日本軍「慰安婦」問題の基底』(2019年、岩波書店)など(吉見義明 - Wikipedia参照)

*49:青山学院大学名誉教授。著書『異郷と故郷:ドイツ帝国主義とルール・ポーランド人』(1987年、東京大学出版会)、『ドイツの長い一九世紀:ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人』(2002年、青木書店)、『近代ドイツの歴史とナショナリズム・マイノリティ』(2017年、有志舎)など(伊藤定良 - Wikipedia参照)

*50:慶應義塾大学名誉教授。著書『エル・チチョンの怒り:メキシコにおける近代とアイデンティティ』(1988年、東京大学出版会)、『ラテンアメリカ五〇〇年:歴史のトルソー』(2017年、岩波現代文庫)、『インディオの村通い40年』(2020年、岩波ブックレット)など(清水透 (歴史学者) - Wikipedia参照)

*51:東京外国語大学名誉教授。著書『蘇るパレスチナ:語りはじめた難民たちの証言』(1989年、東京大学出版会)など

*52:国立歴史民俗博物館名誉教授。著書『弥生時代の始まり』(1990年、東京大学出版会)、『「明石原人」とは何であったか』(1994年、NHKブックス)、『縄文社会論究』(2002年、塙書房)、『考古学はどう検証したか:考古学・人類学と社会』(2006年、学生社)、『儀礼と習俗の考古学』(2007年、塙書房)、『祭りと呪術の考古学』(2011年、塙書房)など(春成秀爾 - Wikipedia参照)

*53:著書『日本古代の国家と都城』(1990年、東京大学出版会)、『発掘文字が語る古代王権と列島社会』(2010年、吉川弘文館)など(狩野久 - Wikipedia参照)

*54:東京都立大学名誉教授。著書『マルクスとアジア:アジア的生産様式論争批判』(1979年、青木書店)、『共同体と近代』(1982年、青木書店)、『歴史の方法について』(1985年、東京大学出版会)、『大地の子(ブーミ・プトラ):インドの近代における抵抗と背理』(1986年、東京大学出版会)、『インドの中世社会』(1989年、岩波書店)、『歴史と人間について:藤村と近代日本』(1991年、東京大学出版会)、『ラーム神話と牝牛:ヒンドゥー復古主義イスラム』(1993年、平凡社)、『不可触民とカースト制度の歴史』(1996年、明石書店)、『穢れと規範:賤民差別の歴史的文脈』(1999年、明石書店)、『罪の文化:インド史の底流』(2005年、東京大学出版会)、『インド社会・文化史論:「伝統」社会から植民地的近代へ』(2010年、明石書店)、『「大東亜戦争」期出版異聞:『印度資源論』の謎を追って』(2013年、岩波書店)、『中島敦の朝鮮と南洋:二つの植民地体験』(2019年、岩波書店)など(小谷汪之 - Wikipedia参照)

*55:東京大学名誉教授。著書『中世のことばと絵』(1990年、中公新書)、『藤原定家の時代』(1991年、岩波新書)、『絵巻で読む中世』(1994年、ちくま新書)、『大仏再建』(1995年、講談社選書メチエ)、『殺生と信仰』(1997年、角川選書)、『武士の時代』(2000年、岩波ジュニア新書)、『梁塵秘抄のうたと絵』(2002年、文春新書)、『源義経』(2004年、岩波新書)、『中世社会と現代』(2004年、山川出版社日本史リブレット)、『中世の身体』(2006年、角川叢書)、『日本の中世を歩く』(2009年、岩波新書)、『西行と清盛』(2011年、新潮選書)、『平家物語、史と説話』(2011年、平凡社ライブラリー)、『「枕草子」の歴史学』(2014年、朝日選書)、『後鳥羽上皇』(2014年、角川選書)、『増補「徒然草」の歴史学』(2014年、角川ソフィア文庫)、『鎌倉と京:武家政権と庶民世界』(2014年、講談社学術文庫)、『藤原定家』(2014年、山川出版社日本史リブレット人)、『源実朝』(2015年、角川選書)、『中世社会のはじまり』(2016年、岩波新書)、『日本の歴史を旅する』(2017年、岩波新書)など(五味文彦 - Wikipedia参照)

*56:東京経済大学名誉教授。著書『ユーラシア大陸思索行』(1976年、中公文庫)、『ある昭和史:自分史の試み』(1978年、中公文庫)、『シルクロード悠遊』(1988年、ちくま文庫)、『自由民権の地下水』(1990年、岩波同時代ライブラリー)、『昭和史と天皇』(1991年、岩波セミナーブックス)、『民衆史』(1991年、講談社学術文庫)、『自分史』(1992年、講談社学術文庫)、『チベット曼荼羅の世界』(1995年、小学館ライブラリー)、『近代日本の戦争』(1998年、岩波ジュニア新書)、『自由民権』(2005年、岩波新書)、『定本・歴史の方法』(2006年、洋泉社MC新書)、『明治の文化』(2007年、岩波現代文庫)、『明治精神史(上)(下)』(2008年、岩波現代文庫)など(色川大吉 - Wikipedia参照)

*57:広島大学教授。著書『近代日本の地域思想』(1986年、窓社)、『東北』(2001年、中公新書)、『続・東北』(2007年、中公新書)、『せめぎあう地域と軍隊:「末端」「周縁」軍都・高田の模索』(2010年、岩波書店)、『「東北」を読む』(2011年、無明舎出版)など(河西英通 - Wikipedia参照)

*58:著書『帝国に抗する社会運動:第一次日本共産党の思想と運動』(2014年、有志舎)、『戦争・革命の東アジアと日本のコミュニスト:1920~1970(仮題)』(2020年8月刊行予定、有志舎)(黒川伊織 - Enpedia参照)

*59:1906~1981年。日本民主主義文学同盟常任幹事、『民主文学』編集長を歴任(手塚英孝 - Wikipedia参照)。

*60:1938年生まれ。東京大学名誉教授。著書『歴史としての社会主義』(1992年、岩波新書)、『金日成満州抗日戦争』(1992年、平凡社)、『歴史としての野坂参三』(1996年、平凡社)、『北朝鮮:遊撃隊国家の現在』(1998年、岩波書店)、『朝鮮戦争全史』(2002年、岩波書店)、『テロルと改革:アレクサンドル二世暗殺前後』(2005年、山川出版社)、『ある戦後精神の形成:1938〜1965』(2006年、岩波書店)、『日露戦争 起源と開戦(上)(下)』(2010年、岩波書店)、『これだけは知っておきたい日本と朝鮮の一〇〇年史』(2010年、平凡社新書)、『北朝鮮現代史』(2012年、岩波新書)、『領土問題をどう解決するか』(2012年、平凡社新書)、『「平和国家」の誕生:戦後日本の原点と変容』(2015年、岩波書店)、『慰安婦問題の解決のために』(2015年、平凡社新書)、『アジア女性基金慰安婦問題:回想と検証』(2016年、明石書店)、『米朝戦争をふせぐ:平和国家日本の責任』(2017年、 青灯社)、『レーニン:二十世紀共産主義運動の父』(2017年、山川出版社世界史リブレット人)、『ロシア革命』、『スターリン批判・1953〜56年:一人の独裁者の死が、いかに20世紀世界を揺り動かしたか』(以上、2018年、作品社)、『韓国併合110年後の真実:条約による併合という欺瞞』(2019年、岩波ブックレット)など

*61:1943~2007年。同志社大学教授。著書『高畠素之:日本の国家社会主義』(1978年、現代評論社)、『一九三〇年代日本共産党史論』(1994年、三一書房)など(田中真人 - Wikipedia参照)

*62:外交史と言うより「ソ連史」だと思いますが。

*63:1948年生まれ。法政大学名誉教授。著書『ソビエト政治と労働組合:ネップ期政治史序説』(1982年、東京大学出版会)、『ゴルバチョフの時代』(1988年、岩波新書)、『スターリンと都市モスクワ 1931‐34年』(1994年、岩波書店)、『アジア冷戦史』(2004年、中公新書)、『モスクワと金日成:冷戦の中の北朝鮮1945-1961年』(2006年、岩波書店)、『プーチンはアジアをめざす:激変する国際政治』(2014年、NHK出版新書)、『ソビエト連邦史:1917ー1991』(2017年、講談社学術文庫)、『神と革命:ロシア革命の知られざる真実』(2017年、筑摩選書)など

*64:1967~2016年。和光大学教授。著書『占領と平和:〈戦後〉という経験』(2005年、青土社)、『抵抗の同時代史:軍事化とネオリベラリズムに抗して』(2008年、人文書院)、『下丸子文化集団とその時代:1950年代サークル文化運動の光芒』(2016年、みすず書房)など(道場親信 - Wikipedia参照)

*65:京都大学准教授。著書『戦間期日本の社会思想』(2010年、人文書院)、『日本ファシズム論争』(2012年、河出ブックス)、『満川亀太郎』(2016年、ミネルヴァ書房日本評伝選)など(福家崇洋 - Wikipedia参照)

*66:神戸大学教授。著書『聞書き〈ブント〉一代』(共著、2010年、世界書院)、『革命論:マルチチュードの政治哲学序説』(2012年、平凡社新書)、『ルイ・アルチュセール』(2018年、岩波新書)など(市田良彦 - Wikipedia参照)

*67:1899年生まれ。大韓帝国(現在の大韓民国慶尚南道蔚山郡出身。1922年に来日。1928年に朝鮮共産党日本総局責任秘書に就任。戦後、在日本朝鮮人連盟最高顧問、日本共産党政治局員、中央委員、朝鮮人部長など歴任。1950年に北朝鮮に帰国し、朝鮮労働党中央委員、社会部長など歴任。1970年の労働党第5回大会で金の名前が中央委員名簿から消えて以降はその所在がよく分かっていない(金天海 - Wikipedia参照)。

*68:日本共産党朝鮮人部長だった金天海の下で朝鮮人部副部長を務めた。

*69:とまでいうのは「言い過ぎ」だと思いますが、金天海などについて積極的に広報してないことは確かでしょう。まあ、この文章で黒川氏が「一定の批判意識」を現在の共産党執行部に対して持っていることはうかがえます(そうした批判意識を正当な物とみるか、不当な偏見とみるかはともかく)。

*70:著書『日本人民戦線史序説』(1971年、校倉書房)、『コミンテルン日本共産党の成立』(1977年、三一書房)など(岩村登志夫 - Wikipedia参照)

*71:在日外国人はともかく被差別部落の人々は別に『戦後民主主義から放逐された』なんてことはない、事実誤認も甚だしいと思いますが。部落解放同盟出身議員である松本治一郎上田卓三(いずれも日本社会党)の存在を、あるいはいわゆる同和対策立法の存在は黒川氏にはどう理解されているのか。

*72:いかに「学術論文ではないエッセイ」とはいえ、「おいおい」ですね。「共産党と距離のある人々」とは具体的に誰なのか。共産党員、後援会員以外は基本的に皆「距離のある人々」でしょうが「党員、後援会員以外は極右も自民党公明党社会党新左翼も全て含んでいる」わけではないでしょうし、「何だかなあ?」ですね。いやそもそも共産党に対するネガティブな言及をろくな根拠も出さずに「思う」レベルで片付けるのも共産支持者として「いい加減にしろ、なめてるのか!」といいたいですね。

*73:というのは「事実誤認」だと思います。その取り組みをどう評価するにせよ、共産党とて在日外国人、被差別部落の人々の問題には取り組んでいたと思いますが。例えば日本共産党と友好関係にあった被差別部落団体・全国部落解放運動連合会 - Wikipediaを黒川氏はどう理解しているのか。まあ、この文章で黒川氏が「一定の批判意識」を現在の共産党執行部に対して持っていることはうかがえます(そうした批判意識を正当な物とみるか、不当な偏見とみるかはともかく。まあ、おわかりかと思いますが俺はここでの黒川氏の主張は不当な偏見だと思います)。

*74:そのように決めつけるのはいかがなもんでしょうか?。実際には「共産党支持」「反共」に関わらずこの種の研究書を読みたがる人は「学者を除けば」まずいないでしょう。

*75:「繰り返しますが」、そのように決めつけるのはいかがなもんでしょうか?。実際には「共産党支持」「反共」に関わらずこの種の研究書を読みたがる人は「学者を除けば」まずいないでしょう。

*76:具体的に誰を想定してるんでしょうか?