珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/4日分)その1(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(7) - 高世仁のジャーナルな日々
 拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/2日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログで批判した高世記事なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(6) - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

 プーチンについて調べ物をしていると、安倍元首相に関するエピソードがたくさん出てくる。
 その一つに、2014年10月7日、プーチンの62歳の誕生日に安倍がプーチンにお祝いの電話をかけた逸話がある。ここまで熱い友情があるのなら、ぜひモスクワにプーチンを訪ねて、「ウラジミール、ウクライナから手を引かないと、君と僕との同じ未来は見えてこないよ」と説得してほしいな。

 「高世ってバカ?」と吹き出しました。
 その理屈なら、過去に散々、横田夫婦との交遊を自慢していた高世こそが「生前の横田滋」に「家族会や救う会と縁切りすべきだ」と働きかけるべきだったのではないのか。
 あるいは今からでも横田早紀江や横田拓也にそう働きかけるべきではないのか。
 まさに高世は自分では気の利いたことを言っているつもりで馬鹿なことばかりほざくクズ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でしょう。
 と言ったら高世もマジギレでしょうが。
 しかし俺は高世にはこの種の「軽蔑、憎悪、憤怒」といった「負の感情」しかないんですが、何でid:kojitaken

中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記
 最後に蛇足だが、本記事からリンクを張った高世仁氏は、某人によって「珍右翼」なるレッテルを貼られて以前から攻撃され続けている。某は最近では弊ブログの攻撃にも熱心だが、私の見るところ「珍右翼」とのレッテルは某自身にこそふさわしい。なぜなら某は極端なまでの権威主義者であって、下手なネトウヨなんかよりもよっぽど右翼的と思われるからだ。私はこの人士を稀に見る醜悪な心性の持ち主であるとして心底から軽蔑している。このことは以前にも書いたが、高世氏のブログにリンクを張ったことをきっかけとして改めて申し述べておく。

などとほざいて高世を擁護したのか。
 といえば
【1】kojitakenは「敵(ボーガス)の敵は味方」レベルで高世を擁護したに過ぎず、俺の高世批判(主として、高世の『救う会、家族会への太鼓持ち幇間行為』を批判)についてその内容を恐らくまともに理解してない
【2】高世が「伊藤律の除名」で日本共産党批判してるのを見て、「伊藤除名」では高世と同意見(日本共産党に批判的、否定的)なので飛びついた
→伊藤除名なんてマイナーな話をネタにするブロガーは高世以外にまずいないし、「自分と同意見」、しかもそれが「自分が悪口してる団体(今回は日本共産党)への悪口」なので「節操のないkojitaken」が見境なくダボハゼのように飛びついた
んでしょうねえ。kojitakenも呆れたバカです。
 しかしkojitakenも俺の悪口雑言を今では「相手にしない(→本当は相手にしたら『自分が負ける』と思って逃げてるだけでしょうが。俺やライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)の批判を徹底的に無視し続けた高世仁のようなクズがkojitakenでしょう)」と無視しかできないようだから哀れなもんです。
 それにしても結局、kojitakenって中公新書から中北浩爾『日本共産党』、黒木登志夫『変異ウイルスとの闘い』が発売された - kojitakenの日記で触れた中北本や黒木本についてはいつ論じるんでしょうか?。このタイトルで「中北本などは未読」な上にこれらの本と関係ない「俺への悪口」を始めるのだからkojitakenて本当にバカだなと思います(中北本については偶然見つけた中北浩爾『日本共産党』 - 紙屋研究所を紹介しておきます。俺は中北本は未読ですし、特にコメントはしません)。

 1997年に「破裂」した拉致問題が国民に浸透し、被害者救出が世論となり、ついに国家対国家の外交で解決する段階を迎えた。前回も指摘したが、ここにいたるまでの「救う会」の貢献は非常に大きかった*1

 高世の言う「破裂」の意味が分かりません。けっきょく「横田めぐみ拉致問題における安明進証言」などというものにのっかったのが、高世仁が会社をこかした淵源(の少なくとも1つ)ではないか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2021.5.25)、高世仁の幼稚なデマ自慢を平然と垂れ流すNHKの馬鹿さとクズぶりに本気であきれ返る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)(2022.1.11)が紹介する「アエラ、テレ朝、産経の安証言報道のこと」だろうと想像はつきますが、ああいうのを「破裂」つうんですかね?。
 「話が脱線します」がむしろ俺が「破裂」で想像するのは

三国干渉 『日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦』 | 山梨県歴史文学館 山口素堂とともに - 楽天ブログ
おはなはんは、戦争勃発のときに満十二歳であった。戦争などはまったく他人ごと、何が破裂したのか一向に分からぬままに、『日清談判破裂して、品川乗り出す吾妻艦』と、小学校で歌った帰りには、生田流琴三味線指南の大看板の掲げられた私塾へ通った」。
 田舎町の幼い少女の眼には、戦争などは「東京におって大阪の交通事故の話聞いとるようなもんじゃったね」と述懐する程度のものであったようだ。
 (ボーガス注:NHK連続テレビ小説おはなはん - Wikipediaの原作小説)「おはなはん一代記」。だがかなりの日本人は、この戦争のなかで軍国熱に浮かされていったようである。

講談『歌で綴る日本の歩み(三) ― 日本流行歌の黎明 ―桜林美佐*2/防衛問題研究家
 明治二十七年(一八九四)八月。日清戦争が勃発しますが、その数年前から様々な歌が生まれていました。
 日清談判破裂して品川乗り出す吾妻(あずま)艦
 続いて金剛 浪速(なにわ)艦、国旗堂々翻し
 遺恨重なるチャンチャン*3坊主、日本男児の村田銃、剣の切っさき味わえと、我が兵各地に進撃す
 難無く支那共打ち倒し、万里の長城乗っ取って、一里半行きゃ北京城
 城下の盟いを結ぶ、実に満足慶賀の至り、欽慕(きんぼ)、欽慕、愉快、愉快、大勝利

 これは「日清談判」とも「欣舞節」とも呼ばれています。

日清談判破裂ですね(勿論俺もリアルタイムでこの歌を知ってるほどの爺じゃありませんが)。
 あるいは「征韓論破裂」とか(征韓論によって賛成派の西郷と反対派の大久保が対立。薩摩藩の同志として深いつながりがあった二人がついに仲違いしたこと(人間関係が破裂したこと)を「征韓論破裂」という。後に西南戦争を起こした西郷は、大久保の新政府軍によって自決に追い込まれ、一方、大久保もその後、不平士族によって暗殺され、二人とも非業の死を遂げた)。
 ちなみに「談判=外交交渉」「破裂=(談判の場合は)挫折、(人間関係の場合は)破壊、関係断絶」ですね。
 「韓国への中国(清朝)の宗主権」を巡る問題で「日清談判」したが「お互いの意見の相違」で「破裂」したことで「日清戦争」に突入。勝利した日本が韓国植民地化をさらに進めていきます。
 つうことで「破裂」というと俺的には「日清談判破裂」からの連想で「日朝談判破裂」ですね。現状は「日朝談判破裂」としか言い様がないでしょう。
 小泉訪朝で始まろうとしていた「日朝談判」が「破裂」したことは無念としか言い様がない。

 私は「救う会」が「おかしく」なっていく節目は、2002年の小泉訪朝だったと思う。

 「嘘つくな(呆)」ですね。
 それ以前から

◆森*4首相の『第三国での発見』発言
◆河野*5外相(森、小渕内閣当時)による北朝鮮へのコメ支援

に悪口してたのが救う会です。救う会は発足当初から極右団体だった。勿論「小泉訪朝」で拉致が一躍ホットな話題になったことで「暴走に拍車がかかった面はあります」が。
 また「北朝鮮が拉致を認めたこと」で荒木が「特定失踪者」というデマ話を始めたという面もありますが、小泉訪朝以前から救う会はまともではなかった。

横田滋さんは08年に、運動の10年を振り返り、「救う会」についてこう語っている。
《たしかに「運動のための運動」だという声をよく聞く。
 初めのころから運動をしていた人は、みんないなくなってしまった。
 めぐみのことを北朝鮮による拉致じゃないかと教えてくれた国会議員の秘書*6の方なんかでも、救う会経理について不透明な部分があると取り上げたことから、除名されてしまった。》『論座』(08年3月号)

 拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/2日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログで紹介しましたが、兵本達吉 - Wikipediaによれば、兵本の指摘は「不透明」なんて生やさしい代物ではなくて「佐藤会長、西岡副会長(役職はいずれも当時)が救う会への寄付金1000万円を横領している」というとんでもない話です。にもかかわらず、そのように書けない横田滋も高世も呆れたバカです。
 大体、拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/2日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログでも書きましたが兵本達吉 - Wikipediaによれば、兵本や小島(兵本とともに佐藤や西岡を横領疑惑で非難)の除名は2004年のことです。18年前のことを当時は騒がず、18年経った今頃になって「兵本や小島の除名は問題だ(高世)」とは何の冗談なのか?(呆)
 「何故、18年前の2004年当時、除名を『不当だ』と騒がなかったのか?。結局、兵本や小島みたいに救う会、家族会と敵対関係になるのが嫌だったんだろ?。救う会や家族会との癒着でテレビ番組つくって、金儲けがしたかっただけだろ?。それでジャーナリストと言えるのかよ?。これじゃあ「ジャーナリスト」でなくて「反北朝鮮活動家」だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)じゃねえか?」「ジンネットが潰れたから『兵本や小島の除名は問題だ』と批判を始めただけだろ。今もジンネットがあれば批判してねえだろ?。お前は最低のクズだな、高世」といわれたら高世はどう言い訳する気なのか?

 「いなくなった」中には「救う会」の副会長だった黒坂真さん(大阪経済大学教授)もいる。

 吹き出しました。「救う会が右翼化したのは初期メンバーが排除されたから」といいながらそこで出てくる「初期メンバー」がよりによって「非常識極右の黒坂真」(呆)。
 黒坂がいかに酷い非常識右翼であるかについては

いいかげん家族会も、島田洋一に対して苦言くらいは呈したらどうか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.11.13
 もっともこんなことはほめるに値するような話ではありませんが、大阪経済大学黒坂真なんてのは、島田以上の暴言を吐いてそれをえんえんツイートし続けるような人物ですから、ある意味それよりは島田のほうがまだましですね。というか黒坂がちょっと想像を絶する人物だというだけの話ですが。詳細は、bogus-simotukareさんのブログを参照してください。

と言う批判の通りです。まさか高世が未だに「黒坂に好意的な発言」をするほどのバカだとは思ってもみませんでした。

 「家族会」の多くは、もともと「救う会」から聞かされる政治的な志向をそのまま受け入れてきた。ごく普通の一般人である被害者家族たちが、運動をコーディネートしてくれ、北朝鮮情勢や日本の政治事情に詳しい「救う会」のイデオローグの思想に染まっていくのは自然の成り行きだった。

 いや全然自然な成り行きじゃないでしょうよ。救う会の言動「日本は核武装すべき、九条改憲すべき」なんてのは「護憲派反核派」でなくても普通の人間なら「拉致と関係ねえじゃん。拉致をダシにして右翼運動したいだけか」とドン引きですよ(護憲派反核派なら勿論ドン引き)。だからこそ蓮池透氏は結局救う会を批判するようになった。

 だが「救う会」はそれでは満足せず、さらに、家族たちにあの人は危険だから付き合うな、接触もするなと脅迫しはじめた。
 「家族会」の黒子(くろこ)だった「救う会」は、いまや黒衣を脱ぎ捨て、「家族会」を完全に統制下に置く挙に出たのである。
 そして私も巻き込まれるある事件が起きた。
(つづく)

 もう本当に「家族会」の黒子(くろこ)だった「救う会」は、いまや黒衣を脱ぎ捨て、「家族会」を完全に統制下に置く挙に出たのである。ですよね。
 完全に主客転倒して本末転倒です。さて私も巻き込まれるある事件て、もしかして「救う会の有田氏つるし上げ(これについては例えば横田家の家族写真公開の背景 - 高世仁のジャーナルな日々(2016.6.11)や横田家の家族写真公開の背景(5) - 高世仁のジャーナルな日々(2016.6.15)参照)」かしらと思いますが、待つことにしましょう。
【追記】
 なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8) - 高世仁のジャーナルな日々によればやはり「有田氏つるし上げ」でしたね。
 なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8) - 高世仁のジャーナルな日々については珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/4日分)その2(副題:2010年に「警察官僚」米村敏朗氏が言っていたことを今頃言い出す高世に呆れる) - bogus-simotukareのブログでコメントしました。


【参考:日清談判

坊っちゃん301 9節③⑦ | 研伸館 中村公昭のブログ 「国語を勉強しよう!」
 『坊っちゃん』の続きです。
野だが(中略)日清談判破裂《はれつ》して……と座敷中練りあるき出した。まるで気違《きちが》いだ。
 「日清談判破裂して」は、演歌「欣舞節」。
 野太鼓は大はしゃぎです。流行歌を歌いまくります。まさに、カラオケで歌いまくっている酔っぱらいのオジさんですね(笑)。坊っちゃんは「気違い」扱いします(笑)。

坊っちゃん302 9節③⑧ | 研伸館 中村公昭のブログ 「国語を勉強しよう!」
 『坊っちゃん』の続きです。
 おれはさっきから苦しそうに袴も脱《ぬ》がず控えているうらなり君が気の毒でたまらなかったが、なんぼ自分の送別会だって、越中褌の裸踴《はだかおどり》まで羽織袴で我慢《がまん》してみている必要はあるまいと思ったから、そばへ行って、古賀さんもう帰りましょうと退去を勧めてみた。
 どんちゃん騒ぎしている人たちとは対照的に、うらなり君は大人しくしています。野太鼓は半裸になって踊っています。それを観ているうらなり君は羽織袴の正装。窮屈そうに見える。
 この送別会の主役はもちろん、うらなり君です。にも関わらず、誰もが酔っぱらって騒いでいます。坊っちゃんは気の毒になり、うらなり君に帰ることを勧めます。坊っちゃんは、うらなり君のことを敬愛しています。あまりの扱いの悪さに辟易《へきえき》しています。
 するとうらなり君は今日は私の送別会だから、私が先へ帰っては失礼です、どうぞご遠慮《えんりょ》なくと動く気色《けしき》もない。
 「気色」は表情や態度に現れた心の様子。
 しかし、うらなり君は丁寧に断ります。この送別会は自分の為に開かれたもの。みなさん、お忙しいのにわざわざやってきてくれている。だから、先に帰るのは失礼だ。お帰りになるのでしたら、どうぞご遠慮なくお先にどうぞ。そう言って、立ち上がる様子もない。
 うらなり君は大人ですね。他者に対する思い遣りがあります。大人です。やはり、こういう態度でありたいものです。みなさんも覚えておきましょうね。大人になって会社の宴会などがあったとします。詰まらないからといって、勝手に帰ってはいけませんよ。

坊っちゃん303 9節③⑨ | 研伸館 中村公昭のブログ 「国語を勉強しよう!」
 『坊っちゃん』の続きです。
 なに構うもんですか、送別会なら、送別会らしくするがいいです、あの様をご覧なさい。気狂会《きちがいかい》です。さあ行きましょうと、進まないのを無理に勧めて、座敷を出かかるところへ、野だが箒を振り振り進行して来て、やご主人が先へ帰るとはひどい。日清談判だ。帰せないと箒を横にして行く手を塞《ふさ》いだ。
 坊っちゃんはよほど気の毒に感じているのか、うらなり君を無理矢理連れて帰ろうとします。みんなが騒いでいる様子を「気狂(気違い)会」と言っています。
 すると野太鼓が道を塞ぎます。帚を振り回し、「日清談判だ」と訳の分からないことを言いながら。ちょうど、この曲*7を歌って踊っていました。酔っぱらいの理解不能な行動ですね(笑)。
 おれはさっきから肝癪《かんしゃく》が起っているところだから、日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろうと、いきなり拳骨《げんこつ》で、野だの頭をぽかりと喰《く》わしてやった。
 坊っちゃんはイライラしています。しかも遮ったのが、大嫌いな野太鼓。「日清談判なら貴様はちゃんちゃんだろう」と不穏当なことを言って、野太鼓の頭に拳骨を食らわします。
 「ちゃんちゃん」とは、中国人を差別する語です。現在では絶対に使ってはいけません。かつ、拳骨を食らわすって、要するに暴力です。しかも、相手は先輩です。いくらお酒の場だといっても許されるものではありません。

坊っちゃん304 9節④0 | 研伸館 中村公昭のブログ 「国語を勉強しよう!」
 『坊っちゃん』の続きです。
 野だは二三秒の間毒気を抜かれた体《てい》で、ぼんやりしていたが、おやこれはひどい。お撲《ぶ》ちになったのは情ない。この吉川をご打擲《ちょうちゃく》とは恐れ入った。いよいよもって日清談判だ。いたい。いたい。どうもこれは乱暴だと振りもがくところを横に捩《ねじ》ったら、すとんと倒《たお》れた。あとはどうなったか知らない。途中《とちゅう》でうらなり君に別れて、うちへ帰ったら十一時過ぎだった。
 「打擲」は、殴ること。
 いきなり坊っちゃんに拳骨を食らわされた野太鼓です。しばらく呆然としていましたが、すぐに反撃してきます。そしてまた「日清談判だ」と訳の分からないこと言いだします。まあ、ここまで来ると、「日清戦争前夜」くらいの意味で使っているのでしょう。
 野太鼓は、まだ「日清談判」と言いかけています。相当に酔っぱらっていますね。倒れます。その隙にうらなり君を連れて退出します。下宿に帰ったのは11時過ぎです。
 夜の11時は、現代では、それほど遅い時間と感じないかもしれませんが、この時代では真夜中です。

 多分、俺が「日清談判破裂して」の歌を最初に知ったのはこの『坊ちゃん』の下りだったと思います。


【参考:横田夫婦との交遊を自慢していた高世

「ぼけ」と幸せ - 高世仁のジャーナルな日々2008.11.9
 横田早紀江さんと話していて、テレビの話題になった。
 「なんだかいつも笑っている番組ばかりですね。世の中、そんなに面白いことばかりなんでしょうか」。

募金が目標額に到達!継続宣言 - 高世仁のジャーナルな日々2009.3.9
 横田滋さんに電話で、目標額達成を報告した。とても喜んでいただいた。運動の継続を伝えると、がんばってくださいと激励された。

今度は韓国の新聞に意見広告だ - 高世仁のジャーナルな日々2009.4.22
 きょうは、「意見広告7人の会」の今年3回目の記者会見だった。
「7人の会」からは、有田芳生さん、湯川れい子さん、勝谷誠彦さんと私*8が出た。ありがたいことに、忙しいなか横田滋さんと早紀江さんがわざわざかけつけて激励してくださった。

中国とどう向き合うのか1 - 高世仁のジャーナルな日々2010.9.24
 きのう、札幌でひらかれた「拉致問題を考える道民集会」で横田滋さんとともに講演してきた。

めぐみさん拉致の日に将軍様にハガキを出した - 高世仁のジャーナルな日々2011.11.15
 先日、近くお会いしたいと、横田早紀江さんに電話したら、「予定がびっしり入っていて、くたくたなんですよ」とおっしゃっていた。

還暦だ。急がなくては - 高世仁のジャーナルな日々2013.2.22
 写真は、こないだの11日、川崎のレストランで、横田めぐみさんのご両親と有田芳生さんに還暦を祝ってもらったときのもの。給仕のおねえさんに何気なく、今月還暦なんだよと言ったら、なんと赤いちゃんちゃんこと頭巾を持ってきた。じゃあ、記念写真を撮ろうとなった。歳をとったものだなあと思っていると、早紀江さんから「バレンタインだから」とチョコをいただいて、一気に気持ちが若返った。

はらはらと散りゆく花の一ひらか - 高世仁のジャーナルな日々2013.5.8
 横田早紀江さんと取材でお会いしたさい、1時間以上二人きりで雑談した。

横田家の家族写真公開の背景(3) - 高世仁のジャーナルな日々2016.6.13
 私事でお恥ずかしいが、3年前、横田さんご夫妻と有田さんで私の還暦を祝ってもらったことがある。
還暦だ。急がなくては - 高世仁のジャーナルな日々2013.2.22

横田滋さんの逝去によせて2-「めぐみさん目撃証言」のスクープ - 高世仁のジャーナルな日々2020.6.6
 横田滋さんとのさまざまな思い出がよみがえってくる。
 10年前、酔いつぶれた滋さんを、札幌から川崎の自宅まで「お届け」したことがあった。
 2010年9月、札幌でひらかれた「拉致問題を考える道民集会」で、滋さんと私が講演した。
 懇親会には滋さんの出身校、札幌南高時代の同期生が何人も顔を見せた。故郷で、なつかしい仲間と思い出を語ってよほどうれしかったのだろう、お酒がすすんだ。
 お開きになった後、へべれけになった滋さんと一緒にタクシーで(ボーガス注:北海道の新千歳?)空港に向かった。
 (ボーガス注:北海道の新千歳?)空港に着くと、滋さんには酔い覚ましにロビーで待っていてもらい、私がカウンターに二人分のチェックインをしにいった。
 羽田に着いたら、(中略)足元のおぼつかない滋さんをタクシーに乗せ、川崎に向かった。
 雨の中、早紀江さんが、マンションの1階まで下りて傘をさして待っていた。
 「おとうさん、お酒をのんじゃだめっていったでしょ。私が付いていないとこうだから」と叱られ、滋さんがしゅんとなっていたのがおかしかった。
 滋さんから「めぐみは目のなかに入れても痛くないほど可愛い娘でした」と聞かされたことがある。大げさな表現を好まない滋さんが、「目のなかに入れても痛くない」と言ったことが忘れられない。

横田滋さんの逝去によせて13-「パイプを作ろう」と滋さんは言った - 高世仁のジャーナルな日々2020.6.24
 私的なスナップで恐縮だが、これは2013年2月、横田さん夫妻と有田芳生さんと私の4人で会食したときのもの。私の「還暦祝い」をやっていただいた。

 取材相手(横田夫妻)から「還暦祝い」つうのはなれ合いにもほどがあるでしょう。しかし有田氏も良くそんな場に恥知らずにもいられたもんです。


【参考:森首相の『第三国での発見』発言

森喜朗 - Wikipedia参照
 森首相は2000年10月20日、「2000年1月にG7諸国の中で初めて北朝鮮と国交樹立した始めたイタリアの動きを受けて」、当時、北朝鮮との国交樹立を交渉していたイギリスのトニー・ブレア首相との会談に臨んだが、その中で、森は、北朝鮮と日本の国交樹立の難しさの一例として、当時北朝鮮が否定し続けていた日本人拉致問題について、「人道上の大きな『石』を取り除かなければ、日朝の国交樹立について国民の理解は得られない」と述べ、拉致された日本人を行方不明者として第三国で発見するという解決策を北朝鮮との協議で提案していたことを公表した。
 回顧の内容は次のようなものである。
 1997年に日本政府が北朝鮮を訪問した際の訪朝団団長だった森(当時、自民党総務会長(橋本総裁時代))は、北朝鮮との交渉の場でこの解決策を提案した。森に寄ればこの解決策を考えたのは外務省で、協議の場で発言したのは副団長の中山正暉*9(元拉致議連会長)だったという。メンツを重んじる北朝鮮に配慮したものだったという。しかしこの時は、北朝鮮からは「行方不明者はいない」という回答だった。
 なお、会談相手ブレア首相のイギリスは2000年12月に北朝鮮と国交を樹立した。
 こうした森発言について、救う会や家族会が「森や中山、外務省」を非難。中山は発言の事実は認めた物の「中山の事前同意もなしに森がこうした発言をしたこと」に抗議。森は中山に陳謝している。なお、中山は「森発言以前」から救う会、家族会によってその言動を「親北朝鮮的な態度」として非難されている。

【有本香の以毒制毒】拉致解決、阻むは「内なる敵」か 「森首相の失態」と同じ構図の「安倍倒閣運動」 (1/2ページ) - zakzak2018.5.11
 森氏が首相時代の2000年10月、全国紙2紙が、北朝鮮の日本人拉致に関する「森首相の失態」を報じた。英国のブレア首相(当時)との会談で、「日本人拉致被害者を第三国で行方不明者として発見する案があったと暴露」と書き、「こんな重大事をペラペラしゃべるなんて」という外務官僚の嘆きを載せ、「首相の資質に欠ける」とたたいたのだ。
 森氏は1997年、当時の連立与党(自民党社民党新党さきがけ)の団長として北朝鮮を訪問した。拉致被害者の生存が定かでない中、訪朝団の面々が拉致の件で北朝鮮に激しく詰め寄り、そうした中で「第三国での引き渡し案」が出てきた経緯を、私に明かした。
 このような事情を、世界随一の諜報機関を持ち、当時、北朝鮮との国交樹立間近だった英国の首相に、日本の首相が話し、協力を頼んだことは、果たして問題だったのだろうか。

金正恩委員長が拉致被害者を解放する可能性は? – ニッポン放送 NEWS ONLINE2018-05-29
有本)
 20年近く前ですけど、このときに第三国で「拉致被害者の方々とこちらからご家族が行って、会って、そこで偶然行方不明だったのが見つかった」というテイでいいから返さないかという話があったということがありました。あの辺の歴史を振り返る必要があると思っています。これを森さんが当時のイギリスの首相のブレアさんに頼んで、その場所として濃厚だった一つが(ボーガス注:トランプ・金正恩会談が行われるなど、北朝鮮の一定のつながりがある)シンガポールです。
飯田)
 シンガポール政府も前向きだったという話だったそうですね。
有本)
 当時は(ボーガス注:英国が北朝鮮と)国交を結ぶ直前だったのですが、(ボーガス注:英国が北朝鮮と)接触が深いということもあって、森さんはこれをブレアさんに直接、日英首脳会談の席で持ちかけたのです。だけどそれが日本のメディアで大騒ぎになって、こんな秘密の作戦を他国の首相にべらべら喋るなんてとんでもないと、森さんはバッシングを受けてしまった。メディア報道がこのプランを潰してしまったという側面もあるのですが、あの当時は日本の総理がとんでもないということにされてしまった。

【参考:河野外相(森、小渕内閣当時)による北朝鮮へのコメ支援

力ずく: 荒木和博BLOG2014.8.10
 小泉訪朝前の平成11年(1999)、北朝鮮へのコメ支援に反対して外務省前で座り込みをしたとき、急遽当時の河野外務大臣が会うことになりました。あのとき外相は冒頭「力ずくで取り返すことはできない」と言いました。だから支援を材料に北朝鮮と交渉するしかないという意味です。

【iRONNA発】拉致問題 永田町に広がる「河野洋平」的なもの 荒木和博氏(1/3ページ) - 産経ニュース2018.9.30
 外相だった河野氏と会うことになった。平成11年、年の瀬も押し迫った12月27日のことである。筆者はこのとき、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会救う会)の一員であり、拉致被害者家族連絡会(家族会)のメンバーとともに面会した。
◆「力ずくではダメ」
 当時、政府は北朝鮮へのコメ支援を画策しており、もともと家族会や救う会との面会には消極的だった。しかし、「座り込みも辞さない」と明らかにしたところ、年末になって面会が実現したのである。このとき、河野氏はこう言った。
 「大事なことが2つある。1つは力ずくではダメ、話し合いでやらなければいけない。(中略)もう1つは国交がない。話し合いの場がない、ということ」

*1:珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/2日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログでも批判しましたが、未だに救う会を持ち上げる高世には心底呆れます。

*2:国家基本問題研究所客員研究員というプロ右翼活動家。著書『自衛隊の経済学』(2015年、イースト新書)、『日本に自衛隊がいてよかった:自衛隊東日本大震災』(2019年、産経NF文庫)、『誰も語らなかったニッポンの防衛産業』(2021年、産経NF文庫)、『本音の自衛隊』(2022年、産経NF文庫) (桜林美佐 - Wikipedia参照)

*3:中国への差別語

*4:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)などを経て首相

*5:新自由クラブ代表、中曽根内閣科技庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長などを歴任。現在は息子の河野太郎(第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相、菅内閣行革相など歴任)に選挙地盤を譲っている。【1】鳩山内閣農林相、岸内閣経企庁長官、池田内閣農林相、建設相などを歴任した河野一郎は父、【2】衆院議長、参院議長を歴任した河野謙三河野一郎の弟)はおじ、という政治家一家(河野一郎 - Wikipedia参照)

*6:橋本敦参院議員(日本共産党)の秘書だった兵本達吉のこと。ただし「救う会への参加時点」では共産党を除名されており、完全に反共右翼となっている。兵本の反共右翼ぶりについては拙記事珍右翼・高世仁に突っ込む(2022年6/2日分)(副題:『即時一括全員帰国路線が二人を見捨てた』という高世の救う会、家族会批判に驚く) - bogus-simotukareのブログで触れたのでご覧いただければ幸い。

*7:「日清談判(欣舞節のこと)」

*8:意見広告7人の会 - Wikipediaによればここに名前が出ている4人以外では加藤哲郎一橋大学名誉教授)、重村智計(元毎日新聞社記者、早稲田大学名誉教授)、日垣隆の3人がメンバー。

*9:竹下内閣郵政相、村山内閣総務庁長官、小渕、森内閣建設相(国土庁長官兼務)など歴任。現在は息子の中山泰秀(第二次、第三次安倍内閣外務副大臣菅内閣防衛副大臣)に選挙地盤を譲っている。【1】初の女性閣僚(池田内閣厚生大臣)となった中山マサは母、【2】海部内閣外相を務めた中山太郎は兄、という政治家一家(中山正暉 - Wikipedia参照)