今日の産経ニュース(2020年10月6日分)

犠牲の女性「愛犬といつも笑顔」 神戸のヤマト運輸集配所事件 - 産経ニュース
 こういう「情緒的な報道」に何の意味があるのかといつも思いますね。


【ニュースを疑え】本来の姿現す中国「共産党はひとつの王朝」岡本隆司・京都府立大教授(1/6ページ) - 産経ニュース
 正直「中国共産党一党独裁を非難してる」などという生やさしい物では無く「袁世凱」や「蒋介石」も持ち出して「中国は昔からずっと独裁」呼ばわりする「民族差別暴言(ヘイトスピーチ)」以外の何物でも無い駄文です。常軌を逸してるとしか言い様がない。正直「こんなことに何か有意義な価値があると本気で思ってるのか」と聞きたくなります。


瀬戸の競泳代表主将辞退を承認 日本水連 - 産経ニュース
 不倫していいとは言いませんが、「内柴の準強姦」のような犯罪行為でもないし、そこまでする必要は無いと個人的には思います。


「談合違約金減額を」山梨県議会が請願採択 地域経済への影響理由 - 産経ニュース
 犯罪行為のペナルティを減額しろとはどれほど気が狂ってるのか。


「問題提起、否定すべきでない」 学術会議任命見送りで小泉氏 - 産経ニュース
 小泉jrにまともな良識など期待はしていない物の、任命拒否した理由がまともに説明されてないのに何が「問題提起」なのか。


世耕氏「首相は極めてきちんと説明した」 日本学術会議会員任命見送り - 産経ニュース
 世耕にまともな良識など期待はしていない物の、任命拒否した理由がまともに説明されてないのによくもこんなことがいえたもんです。


菅首相「アイム・ヨシヒデ・スガ」 米国務長官相手に対面外交デビュー - 産経ニュース
 「ある意味どうでもいい話」とはいえ、「アイム・スガ・ヨシヒデ」が政府方針の「はず」なんですがねえ。結局「例の河野の方針」(たとえば河野外相、日本人名のローマ字表記「姓・名」順に 海外メディアに要請の考え - BBCニュース参照)は「政府関係者(今回は菅)すら守る気が無い、河野のくだらないパフォーマンスにすぎなかった」ということなんでしょう。そしておそらく河野自身も外相時代のこのパフォーマンスにもはや興味が無い。
 河野太郎政治的主張なんざすべて「その場しのぎの思いつき」でしょう。親父さん(河野洋平*1)は河野太郎ほどクズでもバカでもないと思うのですがね。まさに「不肖のバカ息子」です。洋平氏は「自分の子育て」を深く反省した方がいいんじゃ無いか。
 その点「福田康夫*2」は「男は黒豹発言」等を割り引いても「今の自民党においては」比較的まともであり、福田赳夫*3は自らの子育てを誇っていいんじゃないか。
 ちなみに「姓・名」主張と言えば本多勝一氏が長年、そうした主張者ですね(本多ファンを自称しながら「このネタを知らない人間」は俺的には「もぐり」「なんちゃって本多ファン」ですね)。「inti-sol氏同様に」本多勝一ファンの端くれとして「このネタ」には興味をも持たざるを得ません。

【参考:河野の外相時代のパフォーマンス】
河野外相、日本人名のローマ字表記「姓・名」順に 海外メディアに要請の考え - BBCニュース
外国でも姓→名表記、海外報道機関に要請へ 外務省:朝日新聞デジタル

俺はコウノ・タロウだ! | 特集記事 | NHK政治マガジン
 (ボーガス注:外務省の)外国の国名表記から(ボーガス注:ヴェトナムなど)「ヴ」という表記をなくす(ボーガス注:→その結果「ベトナム」と書く)法律について聞かれた河野大臣。
 いつのまにか質問にはなかった話を語り出した。
「韓国の大統領は『ムン・ジェイン』、中国の国家主席は『シー・チーピン*4』なのに、なぜ日本は『シンゾウ・アベ』なんだ。『アベ・シンゾウ』じゃないかという議論は当然ある。ちゃんと日本語の発音に合わせるのか考えていかなければいけない」
「これまで河野太郎*5なのに、なぜ英語の時だけ『タロウ・コウノ』になるのか非常に不思議に思ってきた。政府の中でどういうことができるか意思統一をした上で、民間にも呼びかけていかなければならないと思っている」(4/16参議院外交防衛委員会
 日本人はどのように氏名を表記してきたのか。
 長年、英語教育の研究を続ける、和歌山大学教育学部の江利川春雄*6教授によると、幕末の開国当初は「姓+名」の表記が主流だったという。
「西洋文明に触れれば触れるほど、日本よりも圧倒的に文明が進んでいることがわかり、西洋のスタンダードに合わせることで、自身を『文明人』だとアピールしたい心情が生まれた。それで自分の名前を西洋式にしていった。西洋コンプレックスに基づく、一種のコスプレのようなものです」
国粋主義が強まり、英語が『敵国語』とされた太平洋戦争中ですら、『名+姓』表記は変わりませんでした。当時の教科書は、海軍大将・山本五十六*7を『Isoroku Yamamoto』と表記しているくらいです」
 しかし、なぜ日本人だけ、アイデンティティーとも言える氏名をひっくり返して表記しなければいけないのか。
こうした問題意識が広がり始めたのは、1980年代。
 経済大国となり、日本人に自信が芽生えたことや、国際化で英語圏以外の国々との関わりが増え、英語の表記に合わせる必要はないという意見が高まったことも背景にあったという。
 そうした中で、一部の教育者や国語学者は、英語名は「名+姓」表記という、「常識」に挑戦する議論を開始する。
 その1人が、国語学者として、国立国語研究所の所長を務めた甲斐睦朗氏*8(80)だ。
 甲斐氏は、文化庁の国語審議会の委員として、ローマ字での氏名表記についての議論に参加した。2000年(平成12年)にまとめられた審議会の答申は、「日本人の姓名については、ローマ字表記においても『姓+名』の順とすることが望ましい」と明記し、その後の議論を決定づけることになる。
 甲斐氏によると、戦後すぐに始まったローマ字教育でも、「姓+名」表記が基本だったという。
「そもそも、戦後すぐに占領軍がローマ字教育を指示した際には、『姓+名』表記だったことが、当時の文部省の書物からも伺えます」
 一方、菅官房長官は「これまでの慣行もあって、考慮すべき要素が多々あるわけで、関係省庁で何が出来るかを検討していく、そこが大事だ」と話す。
 閣僚の相次ぐ発言で、再び脚光を浴びる「姓+名」表記をめぐる議論。
 今後、明治以来の「常識」と化した「名+姓」表記を覆すまでの動きに発展するのか、それとも19年前と同じように、日本人の間に浸透せずに終わるのか。
 議論の行方を見守りたい。

これは正しいし、私もそうしている | inti-solのブログ - 楽天ブログ
 大嫌いな安倍政権の閣僚の言ではありますが、「氏名の英語表記は名字を先に」というのは正しいと私も思います。かつて、朝日新聞記者の本多勝一氏が同じことを主張しており、実際のところ論理的に考えて、ドナルド・トランプやウラジミール・プーチン*9を日本語で表記することはトランプ・ドナルドやプーチン・ウラジミールとは書かないのに、逆に日本人の氏名だけ外国語(ヨーロッパ言語)の文脈では氏名の順をひっくり返すのは、筋が通りません。
 というわけで、わたしは既に自分の名前はローマ字で表記するときも「氏名」の順で書くように、ずっと以前からしています。ただし、そのようにする日本人は現在のところ少数派なので、何の注釈もないと、どちらが苗字でどちらが名前か分からない可能性があります。そのため、私の場合は苗字は全部大文字で書くようにしています。
 ちなみに、尊敬する本多勝一氏の主張ではありますが、日本語のローマ字表記はヘボン式ではなく訓令式にすべき、日本語における数字は3桁ではなく4桁ごとにコンマを打つべき、という点については、理論的にはそれが正しいことは認めつつも、実践はしていません。

「Abe Shinzo」 人名表記は「姓→名」で 河野外相 報道機関に要請へ - 毎日新聞
20年1月から「姓・名」ローマ字表記 文科相表明: 日本経済新聞
【参考終わり】


〈独自〉安倍前首相が独メルケル首相と電話会談 - 産経ニュース
 「首相を退任した男が何様のつもりだ」と心底呆れます。メルケルの方もさすがに相手が前首相では「邪険にできなかった」とはいえ「(建前では)病気辞任した男が菅首相を差し置いて何を考えてるんだ?」と呆れていたでしょう。わかりきったことですが、やはり「病気辞任」は嘘だったわけです。それにしても安倍も「訳が分からない男」です。そんなにメルケルと会談がやりたいなら退任しなければいいでしょうよ。しかし「日本国民限定」でも安倍の「退任後の政治活動」には呆れますがよくもまあ外人相手にここまで恥ずかしいことができるもんです。


首相、EU委員長と電話会談 拉致解決へ協力で一致 - 産経ニュース
 EU側とて菅に頼まれれば邪険に扱うわけにも行かないでしょう。そもそも菅の要望も「金正恩との会談をセットして欲しい」などの具体性は全くない「極めて抽象的な物(可能な限り拉致解決に協力して欲しい)」ですのでわざわざ「そんなことは我々にはできません」と断る必要性も乏しい。
 とはいえ、中露や韓国のようなパイプを持たないEU北朝鮮に対して影響力などあるわけも無く、当然、できることは事実上何もなく、事実上全く無意味な「菅の要望」と「EUの了承」です。


国民民主は政権追及ヒアリングを2回欠席 立憲、共産の手法と距離? - 産経ニュース
 「予想の範囲内」ですがこれが「自民党の二軍」玉木一派の言う「建設的野党」のようです。与党の無法や疑惑を批判しないでどこが野党なのか。


国民民主・玉木雄一郎代表に聞く「反対だけでない野党に」 - 産経ニュース
 そもそも立憲民主や共産も「反対だけしているわけでは無い」し、「野党が与党の主張に反対する」のはある意味当然です。
 与党と全て同意見なら野党である必要が無い。そして玉木一派のいう「建設的野党」とは連中がどう言い訳しようとも「事実上の自民党二軍」でしかないわけです。玉木一派がどう言い訳しようとも連中の支持率が自民も立民も共産も下回ってることが「連中の本性」を露呈しています。
 自民二軍など「自民支持者」にとっても「自民批判派」にとっても「お呼びではなく」その結果玉木一派は、支持率が自民も立民も共産も下回るわけです。玉木一派が『行き詰まり』から「自民or維新」に合流する日もそう遠いことではないでしょう。


【政界徒然草】新首相は「枝野幸男」…指名選挙で投票した共産、国民 その思惑は - 産経ニュース
 思惑も何も「野党共闘の推進(場合によってはそれプラス連立政権まで目指す)」なんてことは分かりきった話です。
 なお、共産党は過去においては「22年前(1998年)に民主党代表(当時)の菅直人*10に指名投票している」そうです(首相に指名されたのは自民党総裁小渕恵三*11)。
 当時は、

【1996年】
6月:
 吉田万三氏が足立区長選挙に勝利(任期途中に足立区議会の不信任決議が通り、出直し選挙で残念ながら、敗北する1999年まで務める)
7月:
 矢野裕氏が狛江市長選に勝利(以降、2012年まで4期16年務める)
10月20日
 衆院選共産党が改選前15議席から改選後26議席に躍進
【1997年】
7月6日:
 都議選で共産党民主党公明党議席を上回り自民党に次ぐ第二政党となったいわゆる「共産党都議選ショック」
【1998年】
7月12日:
参院選共産党が改選前8議席(改選対象議席)から改選後15議席に躍進(非改選も含めればトータルで23議席
 なお、この選挙では自民党が予想以上に議席を減らし橋本*12首相が退陣に追い込まれた
長尾淳三氏が東大阪市長選に勝利(2002年まで1期4年務める)

などの「共産支持者にとっての明るいニュース」はあっても当然「共産党の政権参加」なんてことはあり得ません。
 それでもあえて「菅氏への首相指名投票」に不破委員長、志位書記局長(現委員長)は打って出たわけで、1998年当時から共産党は「野党共闘をそれなりに考えていた」とはいえます(1998年当時は今の「自民党一強」に近い状態で、民主党の力は大して強くなかったことが共産の対応の背景にはあります)。
 当時は「共産の力など無くても問題ない*13」と見なす民主党側の冷たい態度で「野党共闘は特に進展しなかった」「共産党の片思い(?)で終わった」わけですが幸か不幸か「民主党やその後継政党(民進党立憲民主党、国民民主党)の支持率が大幅に落ち込んだ今」「共産を含む野党共闘」が大いに進んだわけです。

*1:中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長などを歴任

*2:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*3:大蔵省主計局長を経て政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*4:習近平氏のこと。しかし日本では「文在寅氏」は「ムンジェイン」であって「ブンザイイン(漢字読み)」とまず読まない一方で「習近平氏」は「シュウキンペイ(漢字読み)」であって「シー・チーピン」などとはまず読みません。

*5:第三次安倍内閣国家公安委員長、外相、第四次安倍内閣防衛相を経て菅内閣行革相

*6:著書『近代日本の英語科教育史』(2006年、東信堂)、『日本人は英語をどう学んできたか』(2008年、研究社)、『受験英語と日本人』(2011年、研究社)、『英語教科書は〈戦争〉をどう教えてきたか』(2015年、研究社)、『英語と日本軍:知られざる外国語教育史』(2016年、NHKブックス)など

*7:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官を歴任

*8:著書『終戦直後の国語国字問題』(2011年、明治書院

*9:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*10:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相などを経て首相

*11:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*12:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、自民党幹事長(宇野総裁時代)、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相などを経て首相

*13:とはいえ、都議選ショックで分かるように「新進党の崩壊→公明系、旧民社系、旧日本新党系、小沢一郎系などに分裂」「一方で新党さきがけ鳩山由紀夫菅直人が結成した民主党も結党直後で力不足(その後、旧新進党系が合流するが)」によって1996~1998年当時は「自民党一強」に近い状態であり、だからこその「共産躍進」と言う面は明らかにあります。なお、社民党はこの時期「主力メンバーが民主党に参加したこと」で党勢を落としていきます。