今日もid:noharra氏に突っ込む(10/25分)(追記・訂正あり)

 よーし、きょうもおじさん、大嫌いな「珍右翼」id:noharra先生を批判しちゃうぞ。最近どんなつまらないことでも野原に突っ込む俺。

【その1】

伊藤博文閔妃暗殺の指示を出した新史料を外交図書館で発見なんて記事に至ってはトンデモ記事に至っても誠実に反証している*1。(伊藤之雄伊藤博文をめぐる日韓関係: 韓国統治の夢と挫折、1905〜1921*2ミネルヴァ書房 http://neto.blog10.fc2.com/blog-entry-7471.htmlid:noharraツイッター

伊藤博文閔妃暗殺の指示を出した新史料を外交図書館で発見なんて記事

とは俺がググって見つけた次の記事だろう。野原が何故「トンデモ記事」と言う評価に賛同するのか*3教えて欲しいものだ。暗殺計画が井上、山県など日本政府中枢の了解を得ていたことの状況証拠ではないかと評価する意見とともに、秦郁彦の批判意見を併記してる以上「トンデモ」呼ばわりされるいわれはないと思うが(大体、記事を読む限り井上、山県はともかく「伊藤が暗殺計画に賛同した可能性がある」としか書いておらず積極的に指示を出したなんて書いてないが?)。
どうせ野原の非難動機は珍右翼らしい「サヨを非難したい暗い情念」なんだろうが(毒)
なお、朝日記事を読めば分かるが、発見されたのは「外務省の外交図書館(本当は外交資料館が正しいが)」ではなく「国会図書館憲政資料室」だ。野原が紹介する珍右翼野郎は他人を非難する癖に自分はデタラメを平気で書くというバカらしい。さすがに伊藤本が誤記してるのではなくこの珍右翼の誤記だろう。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806280106.html
朝日新聞『朝鮮の皇后・閔妃殺害事件 日本政府高官の手紙見つかる』
 日清戦争直後の1895年秋、ソウルの王宮に押し入った日本人らによって朝鮮王朝の皇后閔妃(ミンビ)が殺害された事件で、新史料が見つかった。日本政府高官の間で交わされた手紙。日本では駐韓公使三浦梧楼の独断的犯行*4とされてきたが、三浦の赴任以前に、資金提供などの懐柔策から「強硬策」に転換することで高官の間で合意が形成されていたと示唆する内容だ。歴史をめぐる日韓の大きな溝となってきた事件で、論議を呼びそうだ。
 日清戦争の結果、朝鮮からは中国の影響が一掃された。しかし、ロシアなどの三国干渉になすすべもなかった日本に対し、朝鮮王朝ではロシアを味方につけようという動きが出てきた。閔妃はその代表的存在で、日本は駐韓公使の井上馨*5が中心となり懐柔しようとしていた。朝鮮に300万円を貸与、さらに300万円贈与する計画もあったことが知られている。日清戦争前の日本の国家予算は8千万円で、かなりの巨額だ。
 手紙は韓国のドキュメンタリー映画監督で閔妃暗殺事件を調べていた鄭秀雄(チョン・スウン)さんが東京の国会図書館憲政資料室で探し出した。事件前に交わされたもので12通。鄭さんの依頼で熊本大の小松裕*6教授(日本近代史)が読み解いた。
 95年8月2日付で野村靖(注:第2次伊藤内閣)内相が井上公使に出した手紙は、反閔妃クーデターを企てたとして追放され日本に亡命した朴泳孝(パク・ヨンヒョ)内相に、次期駐韓公使に内定していた三浦梧楼陸軍中将と熊本国権党の代表が「ひそかに会った」様子を伝える。日本からの資金は閔妃にも配分すると朴が伝えたが、「貰らはナイ」「コハイ事」と閔妃に拒否された様子も生々しく記されていた。
 芳川顕正法相が陸奥宗光外相と山県有朋陸相*7にあてた手紙は6月20日付。一時帰国した井上公使と会った様子を伝える。「弥縫(びほう)策ハ断然放棄シ決行之方針ヲ採ラル」よう伊藤博文首相を説得してほしいと芳川が井上に依頼。長州出身の井上と伊藤は一緒に英国留学した親しい関係。この方針は芳川、陸奥、山県の3人の「合同の意見」だと芳川が説明すると、井上は了承したと書かれている。
 王宮を襲う実行部隊には陸軍の600人などのほか「壮士」と呼ばれる民間人47人が参加した。うち21人を熊本の関係者が占めていた。その背景が浮かび上がる手紙もある。
 奈良県知事などをつとめる官僚*8が井上に出したもので8月3日付。熊本勢の多くがかかわっていた熊本国権党に強い影響力を持つ国民協会代表の品川弥二郎*9が抱えた膨大な借金を、井上が立て替え完済したことを知らせるもの。「熊本国権党のメンバーは近年そろって井上に心服している」との内容だ。
 井上の後任公使として三浦は9月1日に赴任。外出もせずに読経に明け暮れていたという。そして閔妃は10月8日に殺害される。三浦は、国王の父が首謀者で実行犯は日本人を装った朝鮮人だと主張したが、欧米外交団の強い抗議で、日本政府は三浦を解任。さらに関係者を召喚し、広島で裁判にかけたが民間人は三浦を含め全員が証拠不十分で免訴、軍人も無罪となった。一方、現地では朝鮮人3人が死刑になった。
 手紙を読み解いた小松さんは「政府高官の間で『決行の方針』が打ち出され、実行犯として熊本国権党を手なずけるなど準備が進められた。三浦はそうしたことを承知のうえで赴任し実行、独断での犯行を装った。日清戦争に勝ち『文明国』の仲間入りを果たした日本は、この蛮行を隠すしかなかった」と考える。
 漢陽大(ソウル)の崔文衡(チェ・ムンヒョン)*10名誉教授は「日清戦争に勝ったのに、ロシアが出てきて日本にとっては何のために戦争をしたのか分からない事態になっていた。閔妃の懐柔には失敗したが、三国干渉で敵だったドイツを日本は味方につけることに成功し、懐柔策を続ける必要がなくなった。情勢変化を知らない閔妃が、日本が擁立した内相の朴を解任したことで、対立は決定的になる。そうした経緯を手紙は示す決定的証拠で、三浦の独断ではありえないことが明らかになった」と語った。
 一方、この事件の研究を一昨年まとめた歴史家の秦郁彦さん*11は「戦前期を通じて内実に触れるのがタブーとされたため、真偽の見極めのつきにくい事件だ」としたうえで、今回の手紙について「日本政府が関与したというには証拠不足。強硬策=王妃の殺害を意味すると見るのは論理の飛躍だ。伊藤を説得する話にしても、穏健派の伊藤がどう反応したのかはわからない。聞き流したことも考えられる。わいろを断ったという点も、だから殺害しなくてはと判断したとは思えない」と話す。(渡辺延志)

例の「進歩史観」派による「韓国併合100年」本*12で集中砲火を浴びたのがこの著者。

俺はこの伊藤之雄京都大学教授)とか言うおっさんの著書(この本ではなく『伊藤博文』(講談社)だが)を斜め読みしたことがあるが、「伊藤は日韓併合に批判的(保護国路線だったようだ)だったから伊藤が死ななければ日韓併合はなかったのではないか」と書く本が非難されるのは当然だろう。
日露協商論者だった伊藤が最終的には日露戦争を了承したように、意見変更する可能性は当然あるし、保護国なら植民地よりマシというものでもあるまい。
ちなみにこのおっさん最近、『昭和天皇伝』(文藝春秋社)なる本を出したらしい。版元があの「南京事件否定論」「昭和天皇独白録(明らかに出版目的は天皇免罪だろう)」の文春と言うことで気になる本ではある。面倒くさいので読まないがid:Apeman氏辺りが面白くてわかりやすい書評でも書いてくれないかしら。

中塚明*13とか趙景達*14、安田浩*15なんて連中は研究者というより初めに結論ありきの煽動家

なんてプロの学者を誹謗中傷する珍右翼のサイトを好意的に紹介か。本当に、id:noharra君ってゲス右翼の見本だよな。
まあ、屑のid:noharraは「俺はその部分は引用してません」とか言って逃げるんだろうが。

テロリスト安重根の英雄化に伴いどうしても韓国では伊藤を元凶に仕立てあげなくてはならない訳

伊藤は第1次日韓協約(主な内容:日本政府の推薦する人物を韓国政府は外交顧問、財務顧問とする)、第2次日韓協約(主な内容:統監の設置、プラス自主外交権の剥奪*16)、第3次日韓協約(主な内容:韓国軍の解散。統監が事実上韓国内政を完全に掌握する。統監の了承無しでは韓国政府は法律の制定などが出来ない)を推進し、韓国統監でもあったんだから韓国植民地化の元凶の一人として非難されるのは当たり前だろ。併合路線でない、保護国化路線なら非難されないとでも思ってるのか、このバカは。

伊藤の「閔妃殺害支持文書」は中国における田中上奏文と同じ役割を果たしている

田中上奏文は明らかな偽書なのだから、この「伊藤文書」とは同一視は出来ない。
なお、別に田中上奏文など真書と認めなくても、日本の侵略意図は明白であり、だからこそ「一定程度、政治的に成功した偽書」になったのだが、そんな理解はこの珍右翼にはないのだろう。

別に「発見」されたものでもなく、古くから公開されていて

朝日が新発見と書くのに、「古くから公開されていた(知られていた)」というならその根拠を書けよとしか。本当に珍右翼ってのは「自分の脳内完結」をそのまま他人向けの文章にするのな(苦笑)。


【その2】

自己反復:莫言も鄭義も高行健も残雪も読んでないのに、いっぱし文学を語っている奴がいたら差別主義者であるのは間違いない。>これに(「文学」じゃなくて「中国文学」の間違いだよな?。まさか「中国文学読まない奴は文学語るな」というつもりか?)というコメントをした人Sがいたなあ。(id:noharraツイッター


Sとかあいまいな物言いをしないではっきりと俺の名前を出せばいいのに(苦笑)

*1:反証とやらが正しいのかどうかはよくわからんのでスルー。なお、伊藤が支持していようといなかろうと、実行犯・三浦梧楼公使を裁かなかった日本政府が少なくとも犯行を事後了解していたことは明白なのだが、id:noharraもこの珍右翼野郎もそんな事はどうでもいいのだろう

*2:普通なら日露戦争以前も日本は朝鮮支配を目指し様々な動きをし、それに伊藤も関与したのに1905年以前を分析しないのは何故かとか、何故伊藤死後の「1921」まで対象なのかとかをまともな書評なら触れるだろうがもちろんこの珍右翼書評はそんな事には触れない。それだけでもダメ書評だ

*3:コメントはないが賛同しないものをノーコメントで引用はしないだろう

*4:独断だとしても無罪判決で事後承諾した以上日本政府無罪とは言えないが

*5:第1次伊藤内閣外相、第2次伊藤内閣内務相、第3次伊藤内閣蔵相など、要職を歴任

*6:著書『田中正造の近代』(現代企画室、2001年)、『「いのち」と帝国日本:明治時代中期から一九二〇年代』<全集日本の歴史 第14巻>(小学館、2009年)

*7:ウィキペ「陸軍大臣」を見る限り山県は陸軍大臣になった事はないので何かの誤記だろう。何の誤記かは不明だが

*8:ウィキペによれば1895年当時の県知事は古沢滋だがこの記事の知事とは古沢という理解でいいのだろうか?

*9:第1次松方内閣で内務相

*10:著書『日露戦争の世界史』(邦訳、2004年、藤原書店)、『閔妃(ミンビ)は誰に殺されたのか』(邦訳、2004年、彩流社)、『韓国をめぐる列強の角逐―19世紀末の国際関係』(邦訳、2008年、彩流社

*11:ググったが「一昨年まとめた」とは何のことか意味不明だった。朝日は著書or論文名を上げればいいのに

*12:安田、趙両氏が編者の『近代日本のなかの「韓国併合」』(2010年、東京堂出版)のことか?

*13:奈良女子大学名誉教授。著書『近代日本の朝鮮認識』(研文出版、1993年)、『これだけは知っておきたい日本と韓国・朝鮮の歴史』(高文研、2002年)

*14:千葉大学教授。著書『異端の民衆反乱―東学と甲午農民戦争』(1998年、岩波書店)、『朝鮮民衆運動の展開』(2002年、岩波書店)、『植民地期朝鮮の知識人と民衆』(2008年、有志舎)

*15:千葉大学教授。故人。著書『大正デモクラシー史論』(1994年、校倉書房)、『天皇の政治史―睦仁・嘉仁・裕仁の時代』(1998年、青木書店)

*16:統監の了承無しでは韓国政府は条約が結べない