「維新の脅威」が深刻な問題として浮上したと思う&リベラル21の『プレーヤー意識のなさ』に改めて呆れる(追記あり)

 大阪での維新の強さにいまさらながら驚く(関西をのぞいても、維新の比例の獲得票数は共産党の全国の獲得票数を上回る) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)善教将大『維新支持の分析』(有斐閣,2018)に維新の組織力が分析されているらしい - kojitakenの日記を読んで改めてそう思いました。
 なお、後述しますが今回、五十嵐仁氏、澤藤統一郎氏に触れているので、この機会に新たに『五十嵐仁*1』というカテゴリーを作ってみました。勿論、その主張すべてを支持してるわけではありません*2が、小生は五十嵐氏、澤藤氏(特に五十嵐氏)の「野党共闘評価」には「共感するところが多い」です。
 正直、「今回の躍進」以前は「維新を所詮、大阪ローカルと少し舐めていたところがあった」と大いに反省しました。勿論「今回の躍進がどこまで続くか」は解りませんが、「小選挙区では大阪でしかとれなかった」「一番、比例でとってるのもやはり大阪」とはいえ、全国的にも比例でかなりとってるわけです。
 なお、大阪での維新の強さにいまさらながら驚く(関西をのぞいても、維新の比例の獲得票数は共産党の全国の獲得票数を上回る) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)には以下のコメントをしました。
 こちらでも再掲しておきます(若干加筆訂正していますが)。

 既にご存じかもしれませんが、善教将大『維新支持の分析』(有斐閣,2018)に維新の組織力が分析されているらしい - kojitakenの日記で善教将大『維新支持の分析』(有斐閣,2018)という研究書が紹介されていますね(善教氏は関西学院大学教授、政治学者)。
 研究書なので「値段もやや高い(4300円)」し、難解な内容でしょうが、こうした記事を書くid:Bill_McCrearyさんが興味を持ちそうな題名であると思いご紹介しておきます。今回の維新躍進で注目を集めている著書のようです(ちなみにググったらサントリー学芸賞受賞作のようです)。
 勿論、善教著書がどれほど評価できるのかは読まないと何とも言えませんし、仮に「主張が正しい」にしても「維新に対する勝利の処方箋が書いてあるわけでもない」でしょうが、こうした「学問的アプローチ*3」で維新について分析し、維新をどう倒すかを地道に考えていくことが「改めて重要になってきた」とは言えるでしょう。

 さて、このようにid:kojitaken氏やid:Bill_McCrearyさんが「その主張の是非」はともかく「維新の脅威」について論じてるところ、リベラル21はリベラル21 共産党はなぜ党首の直接選挙を実施しないのか、広原盛明)です(呆)。
 「共産党に悪口するばかり」で「プレーヤー意識」がまるでない。「国民すべてが政治のプレーヤー」であり「自民勝利(あるいは『自民以上の極右』維新の躍進)」は「広原を含むリベラル派の敗北→リベラル派の一員として早急に反撃態勢を再構築しよう」などという認識がまるで認められない。
 「共産にそんなに文句があるなら、れいわの山本太郎のように新党でも作って議席をとってみろ」と言いたくなります。
 「老舗・共産どころか、最近できたれいわ」にすら「劣る政治力」のくせに、広原らリベラル21の連中もよくもふざけた事が言えたもんです。
 広原記事の副題は

政策論議もなく、党首交代もない「改革拒否政党」の前途は危うい

ですがむしろ「前途が危うい」のは「立民や共産党に悪口する」ばかりで「我々の力不足で申し訳ない(志位委員長)」といった「反省の言葉」が「舌先三寸」ですら何一つ出てこない広原ら「リベラル21」の方ではないか(まあ「前途が危うい」以前に「リベラル21は、与党自民、最大野党立民どころか『彼らが悪口する共産』と比べても、社会的影響力が皆無」なのですが)。
 以前も澤藤『さあ、やせ我慢でも元気を出そう』等に共感&『衆院選挙結果に触れないリベラル21』と『「志位の個人的魅力ガー」の広原盛明』に呆れる(追記あり) - bogus-simotukareのブログいつもながら、『プレーヤー意識のない』リベラル21と阿部治平に呆れる - bogus-simotukareのブログで「共産や立民に悪口するばかりでプレーヤー意識のないリベラル21(広原や阿部治平)」を批判しましたが、澤藤統一郎の憲法日記 » さあ、やせ我慢でも元気を出そう。での「選挙は国民すべてがプレーヤー。この敗北は野党執行部だけを非難して済む話ではなく私(澤藤)を含む自民批判者の無力さ、力不足でもある。自民批判者すべてに反省の必要がある(俺の要約)」とする「自省意識」がまるでない。繰り返しますが、リベラル21の連中には心底呆れますね。
 さて、広原の駄記事にも「興味のあるところだけ」適当にコメントしておきます。

リベラル21 共産党はなぜ党首の直接選挙を実施しないのか、
 90歳を越える役員が上席を占める常任幹部会が政策のすべてを決定

米田佐代子*4(1934年生まれ)
田畑光永(1935年生まれ)
坂井定雄(1936年生まれ)
広原盛明(1938年生まれ)
◆阿部治平(1939年生まれ)
澤藤統一郎(1943年生まれ)

など「常連投稿者が70歳以上(それも戦前生まれ)の人間しかいない老害集団」がよくもふざけたことが抜かせるもんだと心底呆れます(ただし何があったのか最近、澤藤氏記事の掲載は減ってる気がしますが。彼が衆院選結果について『我々リベラルの敗北であり野党ばかりの責任ではない』『いずれにせよ、改善は当然必要だが野党共闘を続けていくことが大事』として、広原らほど共産党に悪口しないからか?)。
 「共産党の高齢化ガー」と抜かすのなら、せめて「60歳以下の投稿者(現役世代)」をリベラル21に登場させたらどうなのか。リベラル21の方こそ「60歳以下の構成員」は果たしているのか?。
 なお、常任幹部会には「レジェンド・不破氏(1930年生まれ)」のような長老はいますが

中央委員会の機構と人事(第28回党大会)|党紹介│日本共産党中央委員会参照
【年齢順(年齢が同じ場合は名前順)、一部のみ紹介】
穀田恵二(1947年生まれ)
 国対委員長(選対委員長兼務)
志位和夫(1954年生まれ)
 委員長
小池晃(1960年生まれ)
 書記局長
山下芳生(1960年生まれ)
 筆頭副委員長
◆田村智子(1965年生まれ)
 政策委員長(副委員長兼務)
吉良佳子(1982年生まれ)
 青年・学生委員会責任者
◆山添拓(1984年生まれ)
 政策副委員長

ということで何も不破氏のような長老だけで常任幹部会が成り立ってるわけではない。むしろ「吉良氏、山添氏の常任幹部会入り」など「リベラル21」に比べたらずっと「若手登用」に務めています。また「書記局長、委員長を歴任したレジェンド不破氏」を「肩書きだけ」で判断するわけにも行きませんが、今の彼は「平の常任幹部会委員」でしかありません。
 「名誉議長(共産党:故・宮本顕治氏)」「最高顧問(立民党:菅元首相、野田元首相)」などのような「特別な肩書き」ではない。そこは不破氏も「広原のような悪口」に少しは気を遣ってると言うことでしょう。

 最近、若者の間では「保守政党」「革新政党」という言葉が使われなくなったと聞く。われわれオールド世代では政策の内容で、政党の「保守」「革新」を判断するのが普通だったが、最近では「改革」という言葉が基準になって政党の評価が行われているように思える。そういえば、今回躍進した日本維新の会のキャッチフレーズも「改革政党*5」だった。

 左翼という意味で「革新」という言葉があまり使われなくなったのは「最近」ではなく「だいぶ前からそうであり」、かつ「若者限定でもない」でしょう。
 「改革」云々も過去に「小泉構造改革ブーム」「第三極ブーム(維新、みんなの党。ただし今も健在な維新と違いみんなは消滅)」があり最近の話でもない。広原は何をとんちんかんなことを言ってるのか。
 「革新」と言う言葉については、俺が持ってる、五十嵐仁編著『「戦後革新勢力」の源流』(2007年、大月書店、以下、五十嵐本と呼ぶ)に面白い指摘があるのでここで要約して紹介しておきます。
 まず「革新」と言う言葉については以前も別記事で紹介しましたが、戦前においては「新しい」と言う意味しかありません。
 例えば戦前に『革新倶楽部(1922~1925年、党首・犬養毅)』と言う政党がありましたが、犬養は左翼ではなく、これは左翼政党では勿論ありません。
 戦前、「革新官僚」と言う言葉があり、それに当たる人間としては

革新官僚 - Wikipedia参照
◆企画院官僚
 勝間田清一*6
◆外務省革新派
 白鳥敏夫*7松岡洋右*8。なお、いわゆる富田メモに出てくる『白鳥、松岡』とはこの二人のこと。
 外務省革新派については、戸部良一『外務省革新派』(2010年、中公新書)と言う著書がある。  
◆商工省革新派
 岸信介*9
農林省革新派
 和田博雄*10
陸軍省革新派 
 ほぼ統制派と同じ意味。永田鉄山*11東条英機*12など。

などがいますが、「戦後、社会党幹部になった勝間田や和田のような左派もいます」が、革新官僚は必ずしも左派ではない。例えば、外務省革新派の場合は「従来の英米提携(いわゆる幣原外交など)を否定し独伊枢軸を唱えた点が当時としては新しかった」から「革新」と呼ばれた。
 あるいは「515事件、226事件」を起こした青年将校たち(磯部浅一など)は「昭和革新(昭和維新とも言う)」を叫び「革新将校」と呼ばれた。
 見て解るように「磯部浅一」「岸信介」「東条英機」「松岡洋右」など「戦前の革新」はむしろ右翼だらけです。
 さて、こうした前歴があったため、五十嵐本によれば「革新」と言う言葉はむしろ終戦直後は「左翼」を表す言葉としては使われず、むしろ「民主戦線」など「民主(なお、戦前の日本は天皇主権です)」と言う言葉が多用された(要するに「我々左派は『戦前の革新』岸や東条、松岡の同類ではない」つう反発)のですが、

◆1960年の安保闘争
◆1967年の美濃部都知事・初当選

など、いわゆる「社共共闘」が1960年代に進むにつれて「社会党共産党を中心とした左派ブロック」と言う意味で「革新」と言う言葉が定着します(革新自治体、全国革新懇など)。
 では「革新」と言う言葉が使われなくなったのはいつ頃か。
 五十嵐本は『1993年の細川内閣誕生(今から約28年前)』が「その始まりではないか」と見なしています。
 1993年の細川内閣で

細川内閣 - Wikipedia参照
伊藤茂*13運輸相
五十嵐広三*14建設相
佐藤観樹*15自治相・国家公安委員長
上原康助*16北海道・沖縄開発庁長官
◆久保田真苗経済企画庁長官
山花貞夫*17政治改革担当相

ということで社会党は政権入りし、一方共産党は政権に入らなかった。言うまでも無くこの時点で「地方レベル」はともかく、「国政レベルでの社共共闘」は明らかに消滅しています(まあ、それ以前から1980年代の『共産党を除く与野党協議(いわゆる社公民路線)』によって社会党共産党の関係はかなり悪くなっていたのですが)。もともと「社会党共産党を中心とした左派ブロック=革新」なのだから「社共共闘」が消滅すれば使われなくなるのは「ある意味当然」です。
 しかも細川内閣において社会党は「政権の中枢」とはとても言えなかった。首相の細川氏日本新党代表、官房長官の武村氏*18新党さきがけ代表、副首相・外相の羽田氏*19(後に首相)は新生党党首です。 
 そしてその後、社会党は最大野党の地位から転落。民主党が最大野党になりますが、民主党は幹部に「鳩山由起夫*20ら保守政治家」がいたがゆえに「革新」ではなく「リベラル」というスローガンを掲げた。そうしたことが積み重なって「革新」と言う言葉が使われなくなったのであって、それは「20年以上も前の話」で最近のことではないし、広原はそのことについて、まるで「共産党が悪いかのように悪口しています」が、「共産党が一方的に批判されること」でもない。
 あえて言えば「社会党社民党)が今も革新政党、最大野党として健在」なら「共産党の現状がどうであれ」、「革新」という言葉は今も使われるでしょう(実際には、今回衆院選共産党どころかれいわを下回る議席にまで社民党は没落していますが)。
 「社会党社民党)の没落」が「革新」と言う言葉を「死語」に近い物にしたわけです。
 ただし、「コメント欄に書きました」が、最近でも「革新」という言葉は時々「産業、技術、経営の革新」という意味で使われることがあって、その一例が

産業革新投資機構 - Wikipedia参照
産業競争力強化法に基づいて設立された政府出資の投資ファンド
【役員】
代表取締役会長
 志賀俊之:元日産自動車副会長
代表取締役社長
 勝又幹英:元メリルリンチ日本証券ディレクター
・産業革新委員会委員長、社外取締役
 三村明夫:現在、日本製鉄名誉会長、日本商工会議所会頭

ですがもはやこれはもちろん「左翼」という意味での「革新」ではない。

【追記その1】

澤藤統一郎の憲法日記 » 本降りの雨のなか、本郷三丁目交差点「かねやす」前で
 野党統一候補は62議席を獲得し、惜敗率80%以上の選挙区は54選挙区に上り、合わせると116選挙区になり、289選挙区の40%で接戦、大接戦になっていたことを知らせました。この接戦区で競り勝つことでできていれば、自民党は確実に過半数を割っていたのです。

 「立民の比例得票減が野党共闘が原因というまともな根拠はどこにもないこと」を一応断った上で書いておきますが、もちろん「立民が比例で大幅に票を減らしたこと」は問題です(共産も票を減らしたことは残念ですが「減らした2議席≒れいわの3議席」なので「得票をほぼ維持した上で前回衆院選では存在しなかったれいわに票を食われた」と見るべきでしょう。「得票の大幅増(今までの固定客ではない無党派からの得票)ができなかったこと」「れいわに票が食われたこと」は反省材料ですが、立民ほど深刻な問題ではない)。
 接戦区も「野党共闘しなかった場合よりは勝率が上がった」とはいえ「勝ちきること」は勿論楽ではない。
 しかし、こうした澤藤氏の指摘は重要でしょう。小生も「野党共闘は基本的に維持すべき(勿論、今回の敗戦を教訓に改善は必要だが)」には全く同感です。
 共産、立民に悪口しかしないリベラル21に比べ、澤藤氏の方が私見では「非常にまとも」ですし、「俺の邪推ではありますが」皮肉にも「だからこそリベラル21に最近彼の記事の転載が少ない」のではないか。
 「安易な楽観論」は禁物ですが「リベラル21のように悪口雑言ばかり」では何の展望も出てこない。かつ澤藤氏の主張は「安易な楽観論」でもない(個人的意見ですがそう思います)。

【追記その2】
リベラル21 「敵に塩を送る」ことは美談だが、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだ、
 まあ、いつもながら、広原&リベラル21も「建設性のない連中」です。澤藤統一郎の憲法日記 » 「反共」という共闘阻害の劇薬などとは偉い違いです。
 「いつもと同じ全く代わり映えのない共産への悪口」で馬鹿馬鹿しいので、詳細なコメントはしませんが「仮に共産党に問題があるとしても*21、あなた方には問題はないのですか?。あなた方は何一つ反省しないのですか?」「共産党に悪口する以外に何もすることはないのですか?」と心底呆れます。
 以上の記事と「ほぼ同内容」のコメントをリベラル21 「敵に塩を送る」ことは美談だが、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだ、「敵に塩を送る」ことは美談だが、立憲京都府連を支援することは「票をドブに捨てる」のと同じことだ、岸田内閣と野党共闘(その5) - 広原盛明のつれづれ日記に一応批判コメントをしておきます。多分「リベラル21は掲載拒否」「広原ブログはコメント掲載しても応答せずに無視」でしょうが。

*1:法政大学名誉教授。全国革新懇代表世話人

*2:澤藤氏については以前、澤藤統一郎ブログ『公開質問状 :「桜を見る会」再調査にどれだけの覚悟があるか』(副題:河野太郎を批判し野田聖子を評価する)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ最高裁判事国民審査では全員にバツをつける予定 - bogus-simotukareのブログ自民が強いのではなく最大野党がふがいないのだと改めて実感&kojitakenのれいわ新選組嫌いに呆れる - bogus-simotukareのブログ澤藤『さあ、やせ我慢でも元気を出そう』等に共感&『衆院選挙結果に触れないリベラル21』と『「志位の個人的魅力ガー」の広原盛明』に呆れる(追記あり) - bogus-simotukareのブログで好意的に評価する一方で、澤藤統一郎の「常軌を逸したアンチ中国」を嗤う(2020年7/15日分)(副題:法輪功は間違いなく邪教ですよ!、澤藤さん)(追記あり) - bogus-simotukareのブログ立民の無法を批判したがらない野党共闘支持者(共産党執行部含む)に呆れる - bogus-simotukareのブログでは澤藤氏に批判を加えています。

*3:まあ学問的というか「それなりに根拠のあるアプローチ」ですね。印象論のような曖昧なもので動くわけにも行きませんので。

*4:但し、米田氏は以前、月刊『経済』に起稿したこともあり、「反共分子」が多いリベラル21では珍しく「容共分子」であり、俺個人は彼女には反共分子「阿部治平や広原」等と違い、批判意識はありません。

*5:極右、新自由主義であり、およそまともな「改革」ではないですが。

*6:日本社会党国対委員長、政策審議会長、委員長など歴任

*7:戦前、イタリア大使として日独伊三国同盟締結に尽力。戦後、終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀

*8:満鉄総裁、第二次近衛内閣外相を歴任。戦後、戦犯裁判中に病死。後に靖国に合祀

*9:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、

*10:吉田内閣農林相、片山内閣経済安定本部総務長官、左派社会党政策審議会長、書記長、日本社会党政策審議会長、副委員長を歴任

*11:陸軍省軍務局長

*12:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。

*13:社会党政策審議会長(土井、田辺委員長時代)、細川内閣運輸相、社民党政策審議会長、幹事長、副党首など歴任

*14:細川内閣建設相、村山内閣官房長官など歴任

*15:細川内閣自治相・国家公安委員長社会党副委員長、社民党幹事長など歴任。2004年に秘書給与詐取疑惑で政界を引退。

*16:社会党副委員長、社民党副党首など歴任

*17:社会党書記長、委員長など歴任

*18:細川内閣官房長官、村山内閣蔵相など歴任

*19:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、羽田内閣副首相・外相、首相を歴任

*20:新党さきがけ代表幹事、細川内閣官房副長官民主党幹事長、首相など歴任

*21:俺個人は、広原のいうような意味で問題があるとは思いませんが。