『今週の『風と共に去りぬ』について考える、のこころだ!』(小沢昭一風に)

『新刊紹介:「経済」4月号(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20130315/5421309876)で随想「『風と共に去りぬ』の神話のつくり方」(衣川清子)を小生流に紹介したのだが、id:Bill_McCrearyさんからのコメントがきっかけでいろいろと書きたいことが出てきたので、さらに、衣川氏の言う「神話」誕生の謎にオレ流に迫ってみたい!、と思う。

【理由その1:日本人の黒人差別への無知】
 衣川氏のご意見であり小生も同感。今だって無知な人が多いだろうが、ビビアン・リー映画当時に南部の黒人差別の実態なんか知ってる日本人は全然居ないだろう。そしてビビアン・リー映画を世界に広めるために、「できる限り黒人差別描写を薄くした方が商売上、いい」ということで表現は無難なものにできる限りなっただろうから「よほど敏感な人間でない限り」日本人がそういうことに気付かなくても無理はない。


【理由その2:映画も宝塚ミュージカルも美男美女のラブストーリー】
 理由2は衣川氏とは関係なく小生の意見である。
 映画といい宝塚ミュージカルといい、小生は見たことがないが、アマゾンレビューを見て思うに「美男美女のラブストーリー」のようだ。
 ビビアン・リー(スカーレット役、この演技でアカデミー主演女優賞受賞)だのクラーク・ゲーブル(レット役)だのがかっこよく演じればそりゃ神話も生まれるだろうと思う。宝塚もご同様にかっこよく演じてるのだろう。


【理由その3:ウィキペの意見】
理由3はウィキペディア風と共に去りぬ (映画)」のご意見である。

 日本での初公開は1952年9月10日[要出典]。映画で描かれる南部の栄光と南北戦争敗北による没落から見事経済的に成功するものの精神的な幸福感を得られないヒロイン・スカーレットの姿が太平洋戦争の戦後復興の途上にありながらも大義や志を失った当時の日本の姿と一致したこともあって、高額な入場料であるにも拘らず大ヒットロングランとなった。

 ホンマかいなって気もしますけどね。スカーレットの言葉「明日は明日の風が吹く」を「そうだ、日本は戦争に負けてどん底に落ちたが、『明日は明日の風が吹く』んだ!」ってことで神話誕生の一因になったって事ですかね。


【理由その4:女性にとっての英雄オハラ、『明日は明日の風が吹く』】
 理由4は衣川氏とは関係なく小生の意見である。
 以前『私が今までに読んだ本の紹介:韓東賢「チマ・チョゴリ制服の民族誌」(2006年6月刊行、双風舎)(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20091216/1260000031)というエントリで韓氏の本を紹介したが、この本のp131〜132に神話誕生を考えるヒントがあると思うので引用してみる。引用だけであえてノーコメントだが小生の言いたいことはわかるであろうと思う。
 発言者は在日の女性(1938年生まれ)である。以下、Aさんとでも呼ぶ。

「日本社会にはいろいろな制限があるっていうのもわかるようになっていたから総連の県本部で1年ほど働きました。」

 この発言の前には当時は就職差別が酷くて、どこにも就職できなかったAさんは自暴自棄になって家でぶらぶらしていたそうだが、見かねたお兄さん(朝鮮総連職員)が「遊んでるくらいなら何でもいいから働いた方がいい」ということで縁故採用で総連福岡県本部に入ったという趣旨の発言が出ている。引用を続ける。

「でも女性として今後一生生きていくためにはもっと何かが必要だと思った。アボジに抑圧されて生きたそんなオモニみたいにはなりたくないって言うのが強かったです。その頃朝大に4年制ができるという話を聞いた。
(中略)
(注:上京して朝大にいきたいと思い)お給料をもらったら家に入れる食費以外は使わずにできるだけ貯金しながら準備した。入学試験で上京するときにオモニにだけ言った。オモニは当時にしてはいわゆる開けた人だったんでしょうね。女性でも学ぶべきだし、自分の力で暮らして行かなくてはいけないと言われました。」

「その頃朝大に4年制ができるという話を聞いた。」
 朝大とは朝鮮大学校のこと。設立当初、1956年は2年制で1958年に4年制に移行する(ウィキペ「朝鮮大学校」参照)。
 その頃とは1957年頃のことだろう。
「女性でも学ぶべき」
オモニには時代は変わりつつあるという判断があったのだろう。

アボジは反対したのかという質問に)
「今の世の中で大学*1に行く女なんてどこにいるんだ、(中略)女が勉強してどうするんだって、ものすごい剣幕で。これはもう仕方ないと思って家を出てしまいました。でもさすがに汽車が出発したときは涙があふれましたね。
(中略)
 家からの援助もないだろうし。でも、(中略)私が高3の時に『風と共に去りぬ』が流行したんですが、私も文学少女気取りで夜も寝ないで読んでて。
(中略)
 スカーレット・オハラが最後に『明日は明日の風が吹く』って言うでしょ。そうだよね、どうにかなるだろうってね。」

 なお、家から援助がなくて何で卒業できたのかというと「もちろんアルバイトもしたが北朝鮮からの奨学金が大きかった」そうだ。『そういうのを無視して朝鮮学校にいちゃもんつけるid:noharraのような屑には吐き気がするな』、といつも通りの「id:noharraはくたばれ」方向に無理矢理落とすなよ、俺。俺のid:noharra嫌いも我ながら半端じゃないな(我ながら苦笑い)。
・「英雄、あこがれの存在」と思えばその他の描写(黒人差別とか)など目に入らなくても無理はない。
 ただし「単にわがままな女なだけ、どこが英雄か」「映画でのビビアン・リーの演技力と美貌でごまかされてるだけ」というご意見の方もいるかもしれない。というか映画DVDのアマゾンレビューには実際にそういう酷評がある(ほとんどは絶賛だが)。
・なお、「スカーレットは嫌いだし、ビビアン・リーも嫌い」「演技もうまくないし、美貌と思わない」という趣旨のすさまじいアマゾンレビューすらあったが、それはさすがにビビアン・リーに対し酷すぎると思う。


【理由5:大久保訳の誤訳】
 「 I don’t give a damn 」を大久保訳が「決して君をうらんでいない」と誤訳したことが神話誕生の一因と見る衣川氏。その見方が正しいかどうかはともかく、実際彼が誤訳で批判される御仁であることは確かなようだ。
 なお、俺が「正しいかどうか」というのは大久保訳は言い訳のできない明らかな誤訳で現在では誤訳だと知ってる人が多いだろうし、正直、「正しく訳したところで」レットがスカーレットに対してどういう感情を持つに至ったかが違う(誤訳だと未練たっぷりだが、正解の訳だと明らかに見限っている)だけでそれだけで神話誕生になるか疑問だと思う。大久保誤訳は神話誕生を助長したかもしれないが。

http://naokomiki.tumblr.com/post/11343400563/frankly-my-dear-i-dont-give-a-damn
「Frankly my dear, I don’t give a damn - 罪作りな誤訳」
先日、(注:NHKの)BSプレミアムで『風と共に去りぬ』が放映された。
(中略)
 私が中学生だった当時、映画館で上映された『風と共に去りぬ』で、レットの最後のセリフが何と訳されていたかは覚えていない。が、映画を観て間もなく読んだ、新潮社刊・大久保康雄氏訳による翻訳本には、「けど、決して君をうらんでいないよ」となっていた。私はスカーレット・オハラに激しく感情移入していたので、最後に愛しいレットがスカーレットの元を去っていくその場面は悲しくて、本を読みながら号泣した。でもその「君を恨んでるんじゃない」というレットの言葉があったから、幼い私は、小さな胸を痛めながらも、スカーレットの「きっと彼を取り戻してみせる」という言葉に深く頷き、そうだ、レットはきっと帰ってくる! と自分を慰めていた。
 だから、それからずっっと後になって、原書を英語で初めて読み、「決して君をうらんでいないよ」が実は「My dear, I don’t give a damn.」だということを知ったときの衝撃といったら! それはもう、立ち直れないくらいのショックだった。I don’t give a damn. というのは、知ったこっちゃないね、とか、勝手にしろ、とか、とにかくもーどーでもいい、自分には関係ない、という、すごく冷たい言い方なのである。
 これは実はものすごく有名な台詞で、Wikipedia にエントリーがあるし、2005年には米国映画協会によって、映画史上ベスト1の台詞に選ばれているくらいだ。何故そんなに有名なのかと言えば、この ‘damn’ が神を冒涜する言葉なので物議を醸したということもあるが、ずっとスカーレットにメロメロだったレットが、ついにスカーレットに愛想を尽かした、ということを象徴しているからだ、と Wikipedia にはある。
 「そんな大事な台詞をこんなに大胆に間違えて、乙女の心を弄ぶなんて」と思ったら、amazon.co.jp のレビューにこんな意見があった。


『“I DON’T GIVE A DAMN” を大久保氏は「けど、決して君をうらんでいないよ」と訳した。
(中略)
 大久保氏のこの解釈・訳によって終わり方が余韻の残るものとなった。こういう終わり方であれば、スカーレットがレットを取り戻す、というのも納得できるのだ。』


 そ、そうだろうか。いくら有名翻訳家だからって、意図的に解釈を加えるなんて許されないだろう。ちがう。これは誤訳だ。
(想像だけど)おそらく氏がこの本を訳した当時(最初に訳されたのはなんと昭和13年)、damn という言葉の用例として I don’t give a damn. なんて辞書には載っていなかっただろうし、そんなお下品な言葉を使う欧米人も今と比べたらずっと少なかったに違いない(だからこそレットがこのセリフを言うことに意味があったのだ)から、この表現を大久保氏が知らなかったとしても無理はなかろうと思う。だから damn という言葉の意味をもとに頭をひねった結果こういう訳になったのだ。たぶん。致し方なかったと言えば致し方なかった、と言うべきか。
 ただ、この誤訳のおかげでこの場面の印象が「ものすごく」違うものになってしまったのは事実だ。漠然と翻訳家を目指していた私は、このことがわかったとき、翻訳って怖い、と思った。そして今でもそう思う。だから、自戒のためにも、いつも頭のどこかでこの罪作りな誤訳のことは忘れないようにしている。
 そういうわけで、今回の(注:NHKBSプレミアムの)放映ではこのセリフはどう訳されているか見たかったのだ。結果—「俺の知ったことか」となっていました。よかったよかった。(でも、やっぱりレットはスカーレットのもとに戻ってきた、と思いたいけどね。)

http://booklog.kinokuniya.co.jp/kato/archives/2010/01/post_179.html
「『ロリータ』 ナボコフ (新潮文庫)」の一部引用
 『ロリータ』の最初の邦訳は1959年に河出書房から上下二巻本で出た大久保康雄氏名義の訳だったが、この訳は丸谷才一*2によってナボコフの文学的なしかけを解さぬ悪訳と手厳しく批判された。
 今回の若島訳をとりあげた丸谷氏の書評(『蝶々は誰からの手紙』*3所収)によると、大久保氏は丸谷氏に私信で、あの訳は自分がやったわけではなく、目下、新しく訳し直しているところだという意味のことを書いてきたという(大久保氏はおびただしい数の訳書を量産していたから、下訳を自分でチェックせずに出版するということもあるいはあったのかもしれない)。その言葉通り、大久保氏は1980年に新潮文庫から全面的に改訳した新版を出している。
 新潮文庫版が全面的な改訳だったとは知らなかったので、今回、古書店で探して読んでみたが、明らかに誤訳とわかる部分(pedrosis=小児性愛を「足フェティシズム」とするような)は散見するけれども、(注:丸谷批判を受けて大久保改訳版は)流麗ないい日本語になっているという印象を受けた。

「下訳」というのはいちから自分で訳すと大変なので編集者や部下などに訳させることで後で自分でチェックしないと行けない。でなければ大久保訳とは名乗ってはいけないだろう。
 大久保氏の弁明が事実だとしても、「丸谷批判を無視せずに『自分に非があった』と応答した上、改めて訳し直しただけマシだが」厳しい言い方になるが弁明になってない。なお、新訳の若島氏が面白いことを言ってるのでそれを紹介しよう。

http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/old/SpecialIssuepages/Nabokov/review3.html
 『対談◆若島正×沼野充義
 僕が今回翻訳していて思ったのは、もちろん誤訳の問題はありますが、それは大きなものではない。どんな翻訳にも誤訳はありますから、ある部分を取り上げてここは間違っているじゃないか、というのはあまり意味が無い。全体としてどのくらい見ているかが大事で、そういう意味ではよく出来ています。ただ、私の意見としては、(注:大久保訳は)ちょっと上手過ぎる。上手過ぎるからつるつる読めてしまうんですよ。それは個人的には、私がナボコフを読んでいる感じとはだいぶ違っていて、簡単に言うと、ナボコフの英語ってすごく変なんですよ*4
 今回のストラテジーは、やっぱり変なものは変に見えるようにしよう、ということだったんです。ですからソフトな新潮文庫と比べるとハードカバーだけに内容的にもかなりハードで(笑)、たぶん読みにくいと思います。それは意図的なもので、私のナボコフの読み方なんです。だからもし私の翻訳を読んで分からないと思われたら、新潮文庫を参照していただければ(会場大笑)、どうなっているのかが分かると思います(笑)。
 私としてはそういうところは意図的に変なように訳しています。だから確かに訳者が下手だと思われる可能性は相当あるし、実際にそういうケースもあり得るんですけれど(笑)、実はそういうふうに訳しているわけです。

http://www1.jcn.m-net.ne.jp/rays_room/Critique/Hemingway/Sun_Also_Rises.html
日はまた昇る
 ここで採り上げたのは新潮社から出た新旧の二訳である。二〇〇三年、同社では活字離れが叫ばれる昨今、忘れ去られようとしている古典にいま一度目を向けてもらおうという意図からか、いくつかの古典的な名作を新しく訳出し直している。
(中略)
 旧訳を担当した大久保康雄氏は定評のある大家であり、『日はまた昇る』などは百刷を数えている。私にはこれをどうしても改訳しなければいけない理由は思い当たらないが、つまりそれでも模様替えをしなければいけないほど古典が売れない時代になったということなのだろう。
 近年、このような改訳は複数の出版社で出されており、その多くは歓迎もされているようだ。たしかに誤訳を含んだ古めかしい文体の翻訳*5は私も願い下げで、たとえばパリを舞台にした話に尺貫法が登場したり、“card”が「カルタ*6」、“jug”が「茶碗*7」、などと書かれていたりするような訳は違和感を覚えざるを得ない。
 しかし、基本的には古い時代のものが古い匂いの言葉で書かれているのは自然であるとも言えるし、間口を広げようと意識した平易な改訳が作品の格調を下げてしまうこともある。そんなわけで新訳はかならずしも喜ぶべきこととは言えない。いずれにせよ選択肢が増えたというのであれば、読者としてはより注意して自分に合う翻訳を選ぶべきだろう。

*1:厳密には朝鮮大学校は「法的な意味での大学」ではないが

*2:翻訳家、作家

*3:2008年、マガジンハウス

*4:故意に「変」に書いてるのだろう

*5:大久保翻訳もそれに含まれるのか?

*6:トランプと訳さないと今なら誤訳だろう

*7:おそらくコーヒー茶碗とかの茶碗なのだろうが