今日のMSN産経ニュース(4/21分)

【日曜に書く】論説委員・石川水穂 教科書歪めた近隣諸国条項
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130421/edc13042103050000-n1.htm
 ま、以前も書きましたが、教科書問題での誤報というのは「中国での記述で侵略を進出にした例はなかった」というだけの話です。
 黙然日記『産経論説委員の教科書誤報観』(http://d.hatena.ne.jp/pr3/20130421)も批判していますが、「江沢民死去」「フィリピンに旧日本兵」といった全く事実無根の産経の誤報と違って、書き換えそれ自体がなかったわけではまったくない。
 だからこそ宮沢談話とそれに基づく近隣諸国条項が出たわけです。日本に全く非がないのなら談話なんか誰も出しません。で、その当時は産経もこうした状況についてあまり文句は言わなかった、言えなかった。なぜなら安倍が首相になるほど極右化した今の自民党と違って、当時は自民はもっとまともだったから産経が宮沢談話や近隣諸国条項に何言ったって無視されることはわかりきっていたからです。
 『安倍ちゃんが首相になった今なら何でも夢は叶う』とばかりに今頃になって宮沢談話や近隣諸国条項に因縁ですから困ったもんです。
 宮沢談話も近隣諸国条項も当たり前のことしか言ってないし、仮になくしたとして「南京事件否定論」「慰安婦否定論」だのを書いた教科書に検定合格が出せると本気で思ってるんでしょうか?
 ちなみに興味深いのはこの石川記事では「朝日が最初の報道」云々という文章が出てこないことです。昔は良く産経文化人が「最初の報道は朝日、朝日は反日」と言っていたものですが。
 ウィキペディア近隣諸国条項』を見れば、最初の報道は日本テレビであることがわかります(つまり「最初の報道は朝日」というのは間違い)。で、さすがに「最初の報道は日本テレビ、日テレは反日」という考えは産経にはないようです。

南京事件などの犠牲者数については、出所・出典を示せば、それが不確かであっても、検定をパスした。この結果、中国が主張する「30万」、東京裁判で認定された「20万」といった誇大な犠牲者数が教科書で独り歩きするようになった。

 諸説あるとして「絶対的数値」としてるわけではないのに何が「一人歩き」なんでしょうか。かつこの産経の物言いは「中国の主張や東京裁判の認定はデタラメだ」と言ってるようにしか見えませんがそういう理解でいいんですか?
 むしろ「議論の余地なくデタラメ」という産経の方こそデタラメで、正しいかどうかはともかく、中国の主張も東京裁判の認定も誇大どころか充分あり得る数字です。

根拠なしに慰安婦の「強制連行」を認めた河野洋平官房長官談話が出された平成5年以降、慰安婦が強制連行されたとする誤った記述が増えた。

いい加減「河野談話は間違い」「慰安婦の強制連行はなかった」「強制連行さえなければ慰安婦は無問題」だのデタラメを言うのも大概にしてほしいもんです。大体、これは近隣諸国条項は全く関係ないでしょうに。政府見解・河野談話に従った記述だから書き換えなんかさせられないってだけの話です。仮に近隣諸国条項がなくなっても河野談話がある以上、書き換えなんかできませんよ。 


【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(2)大陸・半島そして日本 李朝の近代化求め清と対立
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130414/art13041408550001-n1.htm

「日出(いづ)る処(ところ)の天子、書を日没する処の天子に致す、恙(つつが)なきや」という内容だった。「我々は対等なんだよ」と、中国からの自立を宣言したようなものである。
 煬帝は怒ったというが、日本を攻めることはなかった。当時隋は朝鮮半島高句麗と抗争中で、そんな余裕はなかった*1。そうした国際情勢を的確につかんでいた太子の「外交勝利」だった。

 ばかばかしいですね。実は煬帝は返信の国書を出していますが、小野妹子はそれを紛失しています。しかも国書を紛失したのに軽い処罰で済んだ。ここからは「国書には相当、日本に対してきついことが書いてあり、聖徳太子の外交は事実上失敗だった。そこで紛失したことにして失敗をごまかさざるを得なかった」「国書紛失を処罰しないわけにはいかないが、そういう事情だから軽い処罰でごまかした」ということが容易に推測できます。そんな状態がどうして外交勝利なんでしょうか?
 「大国・隋に対して対等の立場取ろうなんて聖徳太子はすごい!」というなら「小国」北朝鮮の「大国」米国に対する態度だって「すごい!」ことになるでしょう。でも産経は北朝鮮についてそんな事は言わない。なぜなら実際問題、北朝鮮の態度ははったりに過ぎないからです。聖徳太子の行為だって、当人の主観はともかく、客観的には国力無視のはったりに過ぎないわけです。


【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(3)清と戦う
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130421/art13042108330001-n1.htm

だがこうした日清両国の出兵を恐れた東学農民軍は11日には李朝政府と「和約」を結び、さっさと解散してしまった。

日本や清と闘っても勝てるわけがないし、自分らの反乱を「侵略の口実にされてはたまらない」という話です。実に賢明な選択でしょう。
しかし

 清は日本に対し、いっしょに撤兵しようと提案した。
 だがすでに戦時体制の日本は止まれない。清側の提案を拒否、逆に日清共同で朝鮮の「内政改革」にあたることを提案した。余計なお世話に見えても、「朝鮮が改革をしない限りまた反乱が起きる。それまで撤兵はできない」という理由からだった。
 清がこれを断ると22日、天皇臨席の会議で、内政改革協定が実現するまで撤兵しないことを決定した。そして25日には、仁川の部隊を首都・漢城南方の龍山にまで進出させる。何度も繰り返すが、当時の朝鮮が自立した近代国家となることは、日本の安全保障上どうしても必要だったからだ。
 さらに7月に入ると、李朝政府に対し、清軍の撤退を求めるなどの要求を行った上で23日未明、ついに軍事行動に出た。龍山の兵を王宮に突入させ、李朝政府を支配していた閔(びん)氏一族を追放する。これを受けて高宗国王は父親の大院君に政務を委ねた。
 日本軍はその大院君の「委任」という形で清軍を攻撃する。全て計画通りだった。

ということになります。どう見ても侵略以外の何物でもないのに、まるで善行をしたかのように平然と書ける産経には呆れます。

何度も繰り返すが、当時の朝鮮が自立した近代国家となることは、日本の安全保障上どうしても必要だったからだ。

と言えばごまかせるとでも思ってるんでしょうか。そもそも日本の朝鮮への態度は「自立した国」に対する扱いとはとても言えませんし、当時から「朝鮮を自立した近代国家」にすることなど日本は考えていなかったでしょうに。

*1:抗争中でなくてもこの程度で攻めたりはしないでしょう。煬帝にだって面子ってものがありますから。あまり小さいことで軍事攻撃なんかやったら面子がかえってつぶれます。