いつもどおりid:noharra氏に突っ込む(7/2分)(追記・訂正あり)

今日もid:noharra先生に突っ込んでみましょう。

弯曲していく日常『天皇論のためのメモ』
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130830#p1

男は農耕にはげんで自分が食べるばかりでなく、人にも与えて飢えることがないようにし、女は糸を紡ぐのを仕事として自分の着るものばかりではなく、人のためにもはげむということが、いやしいことのようにも思われるが、やはり人倫の大本なのである。
p386

p386ってのは「何の」p386なんでしょうか?。全く意味がわかりません。野原先生だと「俺のメモ書きだ!。お前がわかる必要はない」と言いそうですが、個人のメモ帳に書くのならともかく自ブログにアップするなら、読者を想定してるんでしょうからそのくらい書けよと思いますね。


【追記】
しばらく後で見たら

北畠親房神皇正統記(日本の名著 現代語訳)*1からの引用です。

と追記されていました。そいつは失敬(もっと早く書けよと思いますが)。
 ちなみに『神皇正統記』の現代語訳としては他にも次のようなものがあるようです。

神皇正統記』(岩佐正訳、1975年、岩波文庫


ま、それはともかくid:noharra先生の言いたいことは次のことのようです。

 「朝夕に長田狭田の稲を食うのも皇恩のおかげである。」という文章を、狂信的な天皇中心主義と理解する人もいるかもしれない。しかしここでは「朝夕に長田狭田の稲を食うべることができるのも、神様(キリスト教の)のおかげである。」とあまり意味の違いはないと、理解したい。厳密にどう違うのかはたぶん難しい問題だろう。
 しかしそれよりも大事なことは、戦前の狂信的な天皇中心主義(基本はドイツ国家主義)と北畠の思想はまったく違う、それは確かだということである。

どこが「戦前の狂信的な天皇中心主義(基本はドイツ国家主義)と北畠の思想はまったく違う、それは確か」なんですかね。まあ、id:noharra先生がそう思いたければそれは彼の勝手ですけど、こんな駄文で「そうだ、その通りだ」なんて納得する人がいるんでしょうか?。
 そしてそういうことを書くことによってid:noharra先生は何が言いたいんでしょうか?。「神皇正統記による天皇論の再評価」ですか?。でそれが今の日本の天皇制に何の意味があるんでしょうかね?。いや別に彼からの応答を期待してませんけど。

*1:1983年、中央公論社刊行、永原慶二責任編集、大隅和雄笠松宏至訳。ただしこの中公本は、北畠『神皇正統記』だけでなく、慈円愚管抄」とワンセットであり、大隅氏には『愚管抄を読む:中世日本の歴史観』(1986、平凡社選書)という著書があるので『愚管抄』が大隅訳、『神皇正統記』が笠松訳ということかもしれない。