今日もid:noharra先生に突っ込んでみましょう。
弯曲していく日常『天皇論のためのメモ』
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20130830#p1
男は農耕にはげんで自分が食べるばかりでなく、人にも与えて飢えることがないようにし、女は糸を紡ぐのを仕事として自分の着るものばかりではなく、人のためにもはげむということが、いやしいことのようにも思われるが、やはり人倫の大本なのである。
p386
p386ってのは「何の」p386なんでしょうか?。全く意味がわかりません。野原先生だと「俺のメモ書きだ!。お前がわかる必要はない」と言いそうですが、個人のメモ帳に書くのならともかく自ブログにアップするなら、読者を想定してるんでしょうからそのくらい書けよと思いますね。
【追記】
しばらく後で見たら
と追記されていました。そいつは失敬(もっと早く書けよと思いますが)。
ちなみに『神皇正統記』の現代語訳としては他にも次のようなものがあるようです。
ま、それはともかくid:noharra先生の言いたいことは次のことのようです。
「朝夕に長田狭田の稲を食うのも皇恩のおかげである。」という文章を、狂信的な天皇中心主義と理解する人もいるかもしれない。しかしここでは「朝夕に長田狭田の稲を食うべることができるのも、神様(キリスト教の)のおかげである。」とあまり意味の違いはないと、理解したい。厳密にどう違うのかはたぶん難しい問題だろう。
しかしそれよりも大事なことは、戦前の狂信的な天皇中心主義(基本はドイツ国家主義)と北畠の思想はまったく違う、それは確かだということである。
どこが「戦前の狂信的な天皇中心主義(基本はドイツ国家主義)と北畠の思想はまったく違う、それは確か」なんですかね。まあ、id:noharra先生がそう思いたければそれは彼の勝手ですけど、こんな駄文で「そうだ、その通りだ」なんて納得する人がいるんでしょうか?。
そしてそういうことを書くことによってid:noharra先生は何が言いたいんでしょうか?。「神皇正統記による天皇論の再評価」ですか?。でそれが今の日本の天皇制に何の意味があるんでしょうかね?。いや別に彼からの応答を期待してませんけど。