柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだ(追記あり)

ライプツィヒの夏
『柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだ』http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/2a5241ad3ca70d50cd460fbf3916f249
についてコメントしてみましょう。

彼女は、柔道強豪校への推薦入学を断り一般の高校に入学した

小生もこの本*1を早速本屋で立ち読み*2しましたが、推薦入学を断った理由は確か

強豪校のしごきを見て「あんなつらい思いまでして柔道をしたくない、人権侵害ではないのか」と思ったこと

だから中学時代からある意味「異端児」だったんでしょう。
 「しごきは嫌だけど強豪校だから仕方ないんだろう。しごきに耐えて頑張ろう」などとは彼女は全く思わなかったわけです。
 この彼女の決断には「今後の後輩の推薦に悪影響が出るかも」という脅し的な言葉が周囲から出たようですがそれはかえって彼女の「そんな脅しには絶対屈しない」「絶対、柔道で推薦入学したくない」と言う思いをさらに強固にしてしまったようです。
 彼女は

私なんかたかが銀メダリスト*3、何で金メダリストの人*4が物を言わないのか。金メダリストの人は沢山いる。金メダリストの人が言った方が絶対アピールする。

と言う主旨のことを確か言ってましたがまあ、「金メダリストの人」のほとんどは言えないでしょうね。彼女ほどの異端児がそんなにいるわけもないし、いたらとっくの昔に柔道界がいい方向に変わってる。

他にも印象に残った彼女の言葉を書いてみましょう。うろ覚えですけど。
静岡県教育委員になって、緊急避難的措置として「大外刈りの禁止」を決定した。そのことを日本武道学会で報告したら「何で禁止するのか?」「大外刈り自体が問題ではなくやり方が問題のはず」と非難めいた質問を受けた。
 現実問題として「大外刈りは頭を打つことによる脳挫傷などの死亡事故の危険性が高く」、そして「安全な大外刈りの徹底」はそう簡単にできることではない。「安全な大外刈りをすればいい」はきれい事でしかない、と反論したがわかってもらえたかどうか。大外刈り禁止について一般の方からそんな事は先ず言われないので、柔道界と一般人の認識の違いに改めてびっくりした。

【大外刈り禁止について:参考】
男の魂に火をつけろ!「大外刈りの思い出」
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20120331

・私は教育学の学位を取得したが日本と違い、フランスでは「選手引退後に当然にコーチになれるわけではない」こともあって柔道選手が選手引退後のキャリアを考えて学位取得することは当たり前だ。一方、日本では「そんな暇があったら柔道の練習をしろ」と言われる。確かに「とにかく強くなること」だけを考えれば日本の方が正しいかも知れないが、それがかえって「柔道界のムラ社会化」を助長してきたのではないか。
・「柔よく剛を制す」と言う言葉が日本柔道界では「腕力の軽視」*5につながってないか。現実問題、男女や「体重の違う選手」の体力差は無視できないが、そうした事への軽視が事故を助長していると思う。
→彼女の場合、「1階級上の選手(男子選手を含む)とやると力がつく」ということでやってあばらを折る怪我をしたことがあったとか。で「あばらが折れた位なんだ、後で病院に行けばいい」で試合を続行させる風潮(異常な根性論重視と、科学的精神の軽視)があるのが日本柔道でその安全無視が事故を助長しているとも彼女は言っています。
・フランスで事故が少ないのはやはり科学的指導のたまものだと思う。日本は未だに根性論が強すぎる。
・例の「女性選手15人告発」は「女性」だからこそ騒がれたのではないか。「男性選手15人告発」だったら「男の癖に軟弱だ」で終わってたと思う。
・あの「女性選手15人告発」が騒がれた原因はやはり「五輪での惨敗」と「内柴正人事件」ではないか。内柴事件が発覚せず、五輪でも好成績だったらどうだったろうか。
→まあ、確かに内柴事件があったからこそ「また女性へのセクハラか、体質が腐ってるんじゃない?」「内柴は例外的存在ではなかったのか!」と見られたことはあるでしょう。
 また五輪成績が良ければ「結果オーライ」の危険性は否定できない。そう言う意味では彼女が皮肉、自嘲の言葉を言うように「五輪惨敗は日本柔道にとって幸いだった」んでしょう。


【2013年9/23追記】
『柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだhttp://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/2a5241ad3ca70d50cd460fbf3916f249
の続編的エントリ『オリンピック開催が、体罰その他への改善の道筋になるかどうか』
http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/72bff85191e921793a529901c4a488e9
にコメント。

彼女も妙子監督に殴られています。

「ええ?」とびっくりです。小生、宇津木妙子の本*6は読んだことはありませんし、正直興味もない*7のですが、宇津木麗華*8が元々は中国の人だって事は知っています。
 日本人相手なら殴っていい訳ではありませんが、「文化の違う外国人相手に殴って躊躇を感じない」ってのもなんかすごいなと思います。

柔道におけるさまざまなトラブルは、けっきょくのところ柔道界の体罰と無関係ではない

これはid:Bill_McCrearyさんご紹介の本「柔道事故」もそういうスタンスだったかと思います。
 武道必修化の時、出た批判意見「学校には武道の専門家がいないから危険だ、やめた方がいい」と言う主張について、著者・内田氏(名古屋大学准教授)は「一理ある」としながらも
「武道の専門家なら事故は起こらないという保障はどこにもない。むしろ柔道の事故原因は武道の専門家のはずの全柔連講道館が安全対策に無関心なことだ」「体罰をして強くすると言う非合理な考え方と、安全対策軽視はつながってる」と言う主旨のことを書いていたと思います。
 なお、内田氏は「武道必修化に賛成ではない」と断った上で「武道必修化が皮肉にも日本柔道の危険性を世間に広めた」とも書いていたかと思います。


【2013年11/29追記】
 後でライプツィヒの夏『柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだ』http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/2a5241ad3ca70d50cd460fbf3916f249
のコメント欄にも書きこもうかと思いますが赤旗溝口紀子の新刊を紹介しています(追記:ライプツィヒの夏エントリでコメントしたら「『柔道事故』と同じ出版社ですね」と返信いただきました。気付きませんでしたが、そうですね。そのときのつながりで出版社に溝口氏が持ち込んだんでしょうか?)。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-11-30/2013113001_05_0.html
本屋をのぞいて、目にとびこんできたタイトルがありました。『性と柔』(河出ブックス)。バルセロナ五輪柔道銀メダリストで、スポーツ社会学*9溝口紀子さんが、病んだ柔道界の背景に切り込んでいます。
▼さまざまな不祥事が発覚した柔道界。1月、15人の女子選手が、指導者の暴力、ハラスメントに抗議し、世に訴え出たことが、改革の“のろし”となりました。
▼柔道界は、女性が冷遇されてきた歴史があります。講道館創始者嘉納治五郎氏が、「女子の試合禁止」を打ち出し、1970年代まで続きました。帯も女子は、白線の入った黒帯しか認められず、昇段に差があり、理事も長きにわたり女性がいなかったなど、枚挙にいとまがありません。
▼その間に柔道界は、勝利至上主義に冒され、高段者や実力者に意見できない上下関係、派閥争いや利権など、「男のムラ社会」が組織をむしばんでいった、と溝口さんは指摘します。
▼女性たちは、そのムラの外にいたからこそ、しがらみなく告発できたと。選手たちに「本当の意味でのスポーツの民主化、オリンピズムが浸透してきた何よりの証左」とも評します。
▼行間からあふれるのは柔道界を変えたいという溝口さんの思いです。体罰・暴力問題に揺れる日本のスポーツ界。改革の道は緒についたばかりです。今後も紆余曲折があるはず。しかし、それを乗り越え、壁を破るのは、正しい方向を見据え、進もうとする人々の情熱です。そこに男女の違いはありません。

 読まないと何とも言えません*10が、まあ、何というかやはり溝口さんは「柔道界の異端児(もちろん良い意味で)」ということなんでしょうね。
 でアマゾンの著書紹介。

嘉納治五郎が掲げた柔道の目的は「精力善用」「自他共栄」であるが、今日の暴力や公金不正使用、といった相次ぐ全柔連の不祥事をみると、現在の柔道は皮肉にも「精力悪用」「自他共犯」と置き換えることができる。
 反面、15人の女子選手の告発は、本当の意味でスポーツの民主化、オリンピズムが浸透してきたことの何よりの証左である。』(本書より)

次に溝口の最近のエッセイ。

http://no-border.asia/archives/16292
「性と柔(やわら)」で「男のムラ社会」をあぶり出す(溝口紀子
2020年東京オリンピックパラリンピックの開催が決定したとき、私は、拙著『性と柔〜女子柔道史から問う』(河出書房新書・河出ブックス)を書き下ろしている真っ最中だった。その報を聞いて、私は、オリンピアンとして大いに嬉しく思うと同時に、ホッと胸を撫でおろした。これで告発した女子柔道選手たちが魔女扱いになることはないだろう……と。

 「五輪招致」と「例の告発」とあまり関係ないと思いますけどね。いや、むしろあれが理由で五輪を逃した方が良かったんじゃないか。そうすれば柔道界も深く反省するでしょうし(むしろ「招致失敗」で柔道界やJOCなどが告発した女子柔道選手に「お前らの告発のせいだ!」と逆ギレするようならその方が問題です)。福島も復興できたわけではないし、IOC総会での「汚染水コントロール発言(安倍)」なんか明らかなデマだし。
 溝口が五輪招致成功を喜んでるらしいのは残念です。

 2013年1月29日に女子柔道の国際試合強化選手15名が、園田隆二全日本女子ナショナルチーム監督を始めとした指導陣による暴力行為やパワーハラスメントを訴えていたことが発覚した。その後、園田氏は暴力行為を認めて監督を辞任し、さらに強化担当理事の吉村和郎氏、コーチの徳野和彦氏が辞任した。
 女子柔道選手への暴力事件が公になった際、私自身が高校時代に経験した「柔道ムラの報復」が頭によぎった。というのは中学から高校への進学時に、私は、ある有名な柔道指導者の薦める柔道名門校への進学を断り、自分が行きたいと思っていた高校に入学したのだ。すると試合で不利な判定を下されたり、いろいろ不快な思いをさせられるなど、様々な妨害行為に曝された(ちなみにこのエピソードは、内田良氏の『柔道事故』=河出書房新社=に紹介されている)。

『柔道事故』での溝口の発言については
『柔道が危険なスポーツなのではない、日本の柔道が危険なのだ』http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/2a5241ad3ca70d50cd460fbf3916f249でも紹介されています。

<改革半ばの全柔連
 全日本柔道連盟全柔連)は内閣府の勧告を受けて、8月下旬、一連の不祥事の引責として上村春樹*11前会長および執行部が退陣し、宗岡正二*12が会長に就任した。宗岡会長は早速、理事会、評議会の改組に取り組んでいる。また山下泰裕*13リーダーを筆頭に「暴力の根絶」プロジェクトを立ち上げ、大会会場や講演会等の場面においても、暴力根絶に関する活動を行っている。しかし、プロジェクト発足後も天理大学の暴力問題、相模原中学の暴力、セクハラ問題が明らかになり暴力体質は、依然と根深いものがある。
 もっとも、勝利至上主義で強化を進めてきた強豪校でも、次つぎとの不祥事が表面化してきたことは、全柔連の執行部だけでなく、柔道界全体にも。草の根である地域の柔道家たちにも、意識改革が行き渡ってきたことの証といえるのではないだろうか。
 全柔連の改革だけすれば日本の柔道がよくなるわけではない。いまだ女性理事不在である家元組織の講道館の組織改革、指導者資格の問題、プチ全柔連化している都道府県の柔道協会のガバナンス問題、中高体連の部活ムラ社会、柔道被害者会の関係など、課題は山積している。
 私は、新体制後、全柔連の幹部や現場の指導者と直接、意見交換してきた。そこで感じたことは、現場は本気で全柔連を変えたいという強い意気込みを持っている、ということである。例えば、私が属している全柔連広報委員会では、これまで「No」といえなかった雰囲気が一転し、自由な発言ができるようになった。そこに、理事がオブザーバーとして参加することもあった。そんな動きをさらに押し進め、全柔連のガバナンスを高めるためには、「男たちのムラ社会」の構造にメスを入れることこそが真の改革につながるはずだ。
<女子柔道はいつから蔑視されるようになったのか>
 今回、拙著の出版に至ったのは、全柔連の不祥事がなぜ起きたのかを歴史的研究と結びつけることで「男たちのムラ社会」をあぶり出し、ロジックで解体したいと考えたからだった。
 なぜなら海外では女性選手の帯は黒帯であるのに、日本の女子柔道だけが白線の黒帯を締めなければいけないことに、常々疑問を感じていたからだ。たとえば日本の他の武道でも、空手や剣道では男女ともに同じ段位制度であるうえ、女性でも男性と同じ白線のない黒帯を絞めている。が、女子柔道だけが、なぜ「白線入りの黒帯」なのか? なぜ、そう言う形で、差別されなければならないのか? なぜ、蔑視されなければならないのか? いつから蔑視されるようになったのか?……それらを明らかにしたいと思ったのだった。
 なぜ日本の女性柔道家だけが、海外でも日本でも異なる扱いを受けるのか……。戦後になって、なぜ講道館女子部のみが柔道正史として扱われてきたのか……といった問いに対しても、拙著では、男性の目線のみによって書かれてきた既存の「柔道史」を問い直し、女子柔道が誕生した背景や、柔道の本質的な価値を再発見することを試みた。 さらに、なぜ一連の不祥事が起こり、女子15人の選手が告発に至ったのかを、リアリティのある女性柔道家たちの記述を集めることで、柔道史の延長線上でとらえなおして解説することを試みた。
 2020年の東京オリンピックパラリンピック開催も決定した現在、最近の柔道界の一連の事件が、男性中心の「柔道ムラ」のなかで起きたという事実を直視し、一人でも多くの日本人に、「柔道とは何か」を、もう一度考え直すきっかけにしていただいと願ってやまない。

・日本の女子柔道だけが白線の黒帯を締めなければいけない
・空手や剣道では男女ともに同じ段位制度であるうえ、女性でも男性と同じ白線のない黒帯を絞めている。

 柔道の世界というのはやはり特異な世界なんでしょうね(悪い意味で)。

天理大学の暴力問題、相模原中学の暴力、セクハラ問題

これについてはいくつか記事を紹介しておきましょう。

【天理大】
朝日新聞
世界柔道金の大野ら登録停止3カ月 天理大暴行問題』
http://www.asahi.com/sports/update/0918/TKY201309180497.html?ref=reca
『天理大に再発防止策など提出求める 全柔連*14、暴行問題で』
http://www.asahi.com/sports/update/0927/TKY201309270424.html
『天理大柔道部、活動を一部再開 対外試合は出場見合わせ』
http://www.asahi.com/articles/OSK201311050146.html


【相模原の中学】
産経新聞『相模原の柔道場で中学生部員に体罰か 指導委嘱の市が調査』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131021/crm13102114080007-n1.htm
朝日新聞『名門道場に任せきり、子の安全後回し 相模原・柔道体罰
http://www.asahi.com/articles/TKY201310300944.html

戦後になって、なぜ講道館女子部のみが柔道正史として扱われてきたのか

 男の魂に火をつけろ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20111004)によれば、柔道史におけるいわゆる「講道館中心史観」というのは何も「講道館女子部」に限らないようですが。『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は忘れられた柔道として「高専*15柔道(七帝柔道)」を紹介しています。つうことは溝口本でも「高専柔道」が紹介されるんでしょうか?

*1:以前本屋で見かけて気にはなっていました。

*2:買おうか迷いましたが本棚に読んでない本があるので今回は見合わせました

*3:「たかが」って言われると「何だかなあ」って思いますけど

*4:例としては、国民栄誉賞山下泰裕、国会議員の谷亮子

*5:「柔よく剛を制す」提唱者の嘉納先生がそう言う意味で言ったとはとても思えませんが

*6:『宇津木魂:女子ソフトはなぜ金メダルが獲れたのか』(2008年、文春新書)など

*7:妙子氏は埼玉県出身(川島町立川島中学(埼玉県川島町)→私立星野女子高校(埼玉県川越市)を卒業)なので一時期は小生の住む埼玉でも良く講演会があったのですが行ったこともない

*8:てっきり養子縁組でもしたのかと勘違いしていましたが単に帰化時に同姓にしただけのようです。

*9:静岡文化芸術大学准教授

*10:読むかどうかは何とも言えません

*11:モントリオール五輪金メダリスト

*12:新日鉄住金会長

*13:ロス五輪金メダリスト

*14:ここでは全日本学生柔道連盟のこと

*15:戦後の高等専門学校制度とは関係ありません