今日の朝鮮・韓国ニュース(2021年3月29日分)

【産経抄】3月29日 - 産経ニュース

 週末、のんびりと流行のリモートワークをしていると(といっても競馬中継を横目に見ながらだが)、携帯電話の着信音が鳴った。電話番号を見ると無視するとうるさい知人からだった。仕方なく出ると「いやぁ、本当に良かった」と、高揚した声が飛び込んできた。

 さて「無料記事とは言え」会員登録してないとここまでしか読めません。
 ここまでだと「何が朝鮮・韓国ニュース」だか、わからないでしょう。
 そこで、古畑任三郎の「解決編の前」のように「ヒント」を出してみましょう。

 あー、bogus-simotukareです(古畑風に)。
 この記事の落ちがどうなるのか。
 ヒントは
 「選抜高校野球
 「産経は嫌韓国」
澤藤統一郎の憲法日記 » 甲子園に流れた韓国語校歌の感動
韓国語の校歌、日本全国に鳴り響く-Chosun online 朝鮮日報
韓国系の京都国際高校、初出場の甲子園で初戦突破 : 日本•国際 : hankyoreh japan
京都国際 初出場ベスト8ならず 小牧監督「次の1点を取れなかった」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
京都国際 逆転サヨナラ負けも校長「ここまで成長できたことがうれしい」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
 リンクを張った新聞記事などは「ほとんどネタばらしに近い」ですが、何が「嫌韓国」産経的に「本当に良かった」のかは「もうおわかりですね」。右翼新聞とは言え、全国紙とは思えないげすな落ちです。
 あとで落ちを一応説明しましょう。bogus-simotukareでした。

 で、すぐに解決編です。まあ、「もう説明の必要も無い」でしょうが、そして「産経の記事がゲスすぎて引用したくない」ので引用は省略しますが

澤藤統一郎の憲法日記 » 甲子園に流れた韓国語校歌の感動
 京都国際高校対柴田高校(宮城)の初出場対決。延長戦の末、5―4で京都国際が勝利した。その試合後に流れた校歌が「韓国語」だったという。同校は、現在はいわゆる「1条学校」だが、その前身は在日韓国人の学校。校歌は、昔のとおりのハングルの歌詞。球場の大型スクリーンには、ハングルの歌詞と日本語訳の両方が映し出されたと報道されている。これは、すてきなニュースではないか。
 この校歌についての報道は概ね好意的である。「校歌が韓国語で何の問題があるのか」という主調。主催者も、メディアも、学校も、そして選手も、大らかに韓国語校歌を容認したのだ。その寛容さに拍手を送りたい。
 とは言え、まったく問題がなかったわけではない。非寛容な右派勢力が、「東海(トンへ)」に噛みついたのだ。地名は国際的に「日本海」が正しい。これを「東海(トンへ)」とはなにごとか。学校も怪しからんが、こんな歌を唱わせた主催者もおかしい、というわけだ。
 もっとも、このような事態は予想されたところで、球場の大型スクリーンに映された日本語訳は、「東海」ではなく「東の海」となっていた。
 おそらくは、学校は一定の譲歩をしたのだろうが、状況をよく見ての知恵と言ってよいだろう。
 甲子園に、そして中継を通じて全国に、たくさんの祝福の笑顔に包まれて韓国語の校歌が流れたことの意味は大きい。

という「澤藤氏のような価値観」とは真逆の「俺が赤字強調したような極右、嫌韓国的な価値観」から「京都国際高校が新発田高校に勝利して『東の海』云々という反日校歌が流れたことが不愉快だ」「東海大菅生*1が京都国際高校に勝って、あの反日校歌が甲子園で今後は流れないかと思うと嬉しい」「韓国の高校野球で日系の高校が出場し『日本海ガー』『竹島ガー』などという校歌を歌えるのか?(いやそもそもそんな高校ないやろ?)」「あんな反日校歌を高野連が認め、自民党もろくに非難しないから韓国が日本を舐めて『徴用工判決などの反日行為』を」云々と放言する産経です。
 常軌を逸していますね。
 京都国際高校関係者にどれほど失礼なのか。こんなことを言うことが「京都国際高校関係者」だけでなく「勝利した東海大菅生関係者」に対しても失礼だという理解は無いのか。嫌韓国記事自体が問題ですが、それにしても「高校球児を侮辱して恥じないふざけた記事」がよくも書けたもんです。
 一方で例えば北朝鮮

◆ケー・スンヒが日本の田村に勝って嬉しい

とでもいえば産経はためらいなく「反日だ」「スポーツを偏狭な愛国主義に悪用してる」というのでしょうから、まあ「都合の良い性格」をしています。
 しかし民団も「朝鮮学校無償化除外賛成」なんて言ってウヨに媚びたところで「所詮、韓国系だってこんな扱いしかされない」ことについて少しは真面目に考えたらどうなんですかねえ。それとも、もはや民団は「校歌を日本語に変更すれば良い、韓国語校歌の上『東海』なんて歌詞を変更しない学校が悪い。産経など日本保守の反発は当然だ」と言い出すレベルにまで落ちぶれてるのか。

【参考:京都国際高校野球部】

韓国系の京都国際高校、初出場の甲子園で初戦突破 : 日本•国際 : hankyoreh japan
 京都国際は24日昼、兵庫県阪神甲子園球場で開かれた第93回選抜高等学校野球大会春の甲子園)で、宮城県所在の柴田高校を相手に延長10回まで持ち込まれた接戦の末、5対4で勝ったと、NHKが報じた。外国系学校としては春と夏の甲子園合わせて初めての勝利だ。
 京都国際は1947年に京都朝鮮中学校として開校し、1958年に学校法人京都韓国学園の設立の認可を受けて、1963年には高等部を開校した。韓国政府の中学校・高等学校設立認可に続き、2003年には日本政府の正式な学校認可も受けた。

韓国語の校歌、日本全国に鳴り響く-Chosun online 朝鮮日報
 同校の王清一(ワン・チョンイル)元理事長は「韓国語の校歌が放送された時、流れる涙が止まらなかった」と言った。

京都国際 逆転サヨナラ負けも校長「ここまで成長できたことがうれしい」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
 第93回選抜高校野球大会第8日は27日、兵庫県西宮市の甲子園球場で2回戦が行われた。第2試合では、京都国際が東海大菅生(東京)に4-5で逆転サヨナラ負けを喫した。
 2点を追う5回2死満塁で3番・中川勇斗が走者一掃の左翼線適時二塁打で逆転。なおも2死二塁に4番・森下瑠大の左前適時打で一挙4点奪いリードしたが、2点差を守れずサヨナラ負けを喫した。
 アルプススタンドで見守った京都国際・朴慶洙校長は「本当に残念。結果は重要だけど、ここまで成長できたことがうれしい。次に成長できるきっかけができた」とナインをねぎらった。「次に成長できるきっかけができた。これはこれで忘れて、明日から一歩一歩前進していってほしい」と話した。

京都国際 初出場ベスト8ならず 小牧監督「次の1点を取れなかった」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
 京都国際は悔しいサヨナラ負けで初出場でのベスト8はならなかった。
 小牧憲継監督は「次の1点を取れなかった。取らせてやれなかった」と5回に4点を奪い逆転しながらも、あとひと押しがなかったことを悔やんだ。
 9回2死満塁とされた最後の場面では「ストライクを取りに行ってしまった。甘さが出てしまった」と反省。先発の左腕森下については「状態が良くない中でも悪いなりに抑えてくれた。継投は平野が試合途中に死球で(腕が)しびれてしまったので、代えられなかった」と話した。

【参考:ケー・スンヒ】

https://www.jiji.com/jc/d4?p=ank002-RIMG0380_2&d=d4_ank
 北朝鮮の英雄、女子柔道のケー・スンヒ選手。1996年アトランタ五輪で48キロ級の田村亮子選手を破り、金メダルを獲得した。当時を振り返り「あの勝利は、わが国にとってとても意味あるものとなりました。将軍様に喜んでいただけたことが本当にうれしかったです」(2000年撮影) 【時事通信社

【スポーツの瞬間】世紀の誤審、金がいいですぅ…負けてもらうメダル 五輪「銀」の物語(1/4ページ) - 産経WEST
 96年アトランタ大会。バルセロナで敗れた後、93、95年の世界選手権を制し、今度こそ金メダルは確実というムードが漂っていた。しかし、決勝で伏兵が待っていた。北朝鮮の16歳、ケー・スンヒだ。ケーは柔道着を通常とは逆の「左前」で着用して登場。田村はこれに戸惑い、組み手争いで劣勢に立たされたまま攻めあぐね、ポイントを奪われ、またも銀メダルに終わった。

無敵の田村、衝撃の敗戦 未知の北朝鮮選手に屈す・柔道―五輪あのとき:時事ドットコム
 決勝の相手は北朝鮮のケー・スンヒ。国際大会の経験はなく、推薦で出場した未知の16歳だった。
 左組みの相手は10センチ以上の身長差を生かすように、田村の奥襟を狙ってきた。最も軽い階級とは思えないパワー。圧力に対抗しようとして出した技を返されてポイントを失った。試合後、4年後について問われると「これで終わりにしたくない」。
 実は試合以前に、日本は情報戦で敗れていた。相手のデータは皆無。一方、北朝鮮には日本に長年住む柔道指導者がいて、日本柔道界と深く交流していた。当然、田村は研究されていた。
 また、柔道着は右側を手前にして左側を上に重ねて着る「右前」が正しいが、当時のルールには明記されていなかった。相手は逆の「左前」に着て、組み手争いで優位に立った。北朝鮮側は、柔道発祥国のエースを倒すため、あらゆる手を尽くしていたわけだ。
 田村は失意の底から再起し2000年シドニー五輪で金メダル、04年アテネ五輪で連覇を遂げた。一つの敗戦が、日本の誇りと言える柔道家を強く成長させ、磨き上げた。

【五輪トリビア】田村亮子を撃破し金メダル…北朝鮮のヒロイン ケー・スンヒ : スポーツ報知
 1996年アトランタ大会の柔道女子48キロ級決勝。当時、公式戦84連勝中で金メダル確実といわれた田村亮子北朝鮮のケー・スンヒに敗れる大波乱があった。主催者推薦で出場した当時16歳のケーの優勝は、72年ミュンヘン大会から夏季五輪に参加(84年ロサンゼルス、88年ソウルは不参加)していた北朝鮮にとって、同国初の女子選手の金メダル獲得となった。
 帰国後は「人民体育人」の称号や切手のデザインになるなど、国民的ヒロインに。アトランタ大会後は階級を上げ、2000年シドニー大会は52キロ級で銅、2004年アテネ大会は57キロ級で銀メダルを獲得。世界選手権では52キロ級と57キロ級で01~07年大会まで4連覇を達成した。田村も2008年北京大会まで5大会連続で五輪に出場し、2000、2004年の連覇を含む5つのメダルを獲得。ともに世界トップの柔道家として活躍した。

*1:当初勘違いから「東海大相模」と書いていたのでその部分を訂正しました。