新刊紹介:「歴史評論」1月号

特集『キリスト教と近現代中国地域社会史』
興味のある論文だけ紹介する。詳しくは歴史科学協議会のホームページをご覧ください。
http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/

■『中国、特に華北YMCA史研究の動向』(戸部健)
(内容要約)
 中国YMCA(キリスト教青年会)研究の簡単な説明。著者に寄れば「1980年代に改革開放が本格化するまでは」中国でのYMCA研究は事実上不可能であり、YMCA研究をリードしたのは当事者の一方である米国であった。しかし近年では中国本土の研究も本格化している。


■『近代上海のキリスト教ジェンダー』(石川照子)
(内容要約)
 上海のキリスト教系女子学校・聖マリア女学が「中国の父権社会」というジェンダーに一定の影響を与え女性の社会進出を進めた事について簡単に説明。
 なお、この問題についての日本語の業績として「キリスト教と女性:西洋との遭遇」(中国女性史研究会編『中国女性の百年』(2004年、明石書店))「キリスト教」(関西中国女性史研究会編『中国女性史入門』(2005年、人文書院))が紹介される。


■『近代江南の漁民と天主教』(佐藤仁史*1
(内容要約)
・江南における天主教(カトリック)信者の多数派は漁民(水上生活者)であり、資料上の制約から十分な研究がされていなかった(漁民の国家統制が本格化するのは中華人民共和国成立後のことであり、それ以前は国家による統計資料などがほとんど存在しない)。
 近年、こうした状況を克服する一つの手段として、聞き取り調査が行われている。
 太田出、佐藤仁史編『太湖流域社会の歴史学的研究:地方文献と現地調査からのアプローチ』(2007年、汲古書院)、『中国農村の信仰と生活:太湖流域社会史口述記録集』(2008年、汲古書院)はそうした聞き取り調査の成果である。


■『20世紀初頭の福建南西部客家社会と革命運動―宣教師文書から読み解く―』(山本真)
(内容要約)
・宣教師文書からは宣教師が革命運動(もちろん中国共産党の運動を含むがそれに限られない)について反西欧主義、反キリスト教主義の強い運動と批判的に見ていることが読み取れる。
・なお、「宣教師が西欧侵略主義の走狗とみなされた」と言う面は勿論あるが、当時の中国共産党ソ連の影響で宗教一般に否定的だったことに注意が必要である。
・宣教師は生命の危険を感じ布教を断念することも少なくなかった。


■『「南洋」と「地域社会」をむすぶキリスト教』(土肥歩)
(内容要約)
 中国での布教活動を考える上では南洋(東南アジア及び太平洋群島)の華僑の存在が重要である。
 当初、清朝キリスト教布教に否定的だったため、清朝の取り締まりを逃れる策として教会は南洋華僑を重要視した。
 アヘン戦争後に布教が公式に認められたが、欧米人への偏見が依然強く、南洋華僑はその後も教会に重要視されることとなった。


■『中国キリスト教史基礎文献・所蔵機関案内』(倉田明子、魏郁欣)
(内容要約)
・英語文献や中国語文献も紹介されているが日本語文献のみ紹介。
1)佐伯好郎『清朝基督教の研究』(1949年、春秋社)
 注釈や参考文献表などが一切ない点が不便ではある。
2)矢沢利彦*2『中国とキリスト教典礼問題』(1972年、近藤出版社)
 カトリックのいわゆる典礼問題が内容の中心となっている。なお、矢沢氏にはキリスト教関係の業績としては他に

イエズス会士中国書簡集』1970〜74年、平凡社東洋文庫全6巻(1康煕編、2雍正編、3乾隆編、4社会編、5紀行編、6信仰編)
イエズス会士書簡集:中国の医学と技術』1977年、平凡社東洋文庫
イエズス会士書簡集:中国の布教と迫害』1980年、平凡社東洋文庫
マテオ・リッチ、アルヴァーロ・セメード『中国キリスト教布教史』全2巻 <大航海時代叢書第Ⅱ期 8. 9巻>1982〜83年、岩波書店

の翻訳がある(ウィキペ「矢沢利彦」参照)。
3)吉田寅『中国プロテスタント伝道史研究』(1997年、汲古書院
4)山本澄子『中国キリスト教史研究(増補改訂版)』(2006年、山川出版社
5)佐藤公彦*3『清末のキリスト教と国際関係:太平天国から義和団・露清闘争、国民革命へ』(2010年、汲古書院
6)富坂キリスト教センター編『原典現代中国キリスト教資料集』(2008年、新教出版社
 解説がないのでこの資料集だけ読んでも理解は困難。山本『中国キリスト教史研究(増補改訂版)』などで一定の予備知識を得た上で読むことが望ましい。


■『過ぎ去ろうとしない革命―フランス革命二〇〇周年以後の日本における革命史研究―』(竹中幸史*4
(内容要約)
・近年の日本やフランスでのフランス革命研究を元に「最近の研究成果、研究傾向」や「今後の課題」について筆者の見解が述べられる。いくつか興味深いと思った物だけ紹介する。

1)フランス革命の限界(植民地問題、女性の人権)
 フランス革命は植民地問題や女性の人権の上では必ずしもプラスではなかったと言う指摘は以前からあるが今でも重要な視点だろう。
 植民地問題を取り上げた物として浜忠雄『ハイチ革命とフランス革命』(1999年、北海道大学出版会)、『カリブからの問い:ハイチ革命と近代世界』(2003年、岩波書店)、『ハイチの栄光と苦難:世界初の黒人共和国の行方』(2007年、刀水書房)などがある。
 女性の人権を取り上げたものとしては天野知恵子*5フランス革命と女性」・若尾祐司他編『革命と性文化』(2005年、山川出版社)、小林亜子「フランス革命・女性・基本的人権」岩波講座「世界歴史17・環大西洋革命」(1997年)などがある。
2)社会経済史的研究
 筆者に寄れば(あくまでも筆者の見方だが)
A)ハント『フランス革命の政治文化』(1989年、平凡社)、『フランス革命と家族ロマンス』(1999年、平凡社) 、ヴォヴェル『フランス革命の心性』(1992年、岩波書店)、『フランス革命と教会』(1992年、人文書院)、シャルチエ『フランス革命の文化的起源』(1994年、岩波書店)などフランス革命を政治文化の観点から分析研究する潮流のインパクトの大きさ
B)社会経済史的研究の一つであるマルクス主義史学の影響力の低下
もあって近年、フランスでも日本でも社会経済史研究は一時期に比べ低調だという。
 筆者はそうした状況を批判した上で最近の業績として服部春彦*6『経済史上のフランス革命・ナポレオン時代』(2009年、多賀出版)を紹介している。
3)「地方でのフランス革命」研究
 従来、フランス革命は「革命の中心である首都パリ」がもっぱら研究対象であったが、最近は「地方でのフランス革命」という研究も進展している。最近の業績としては小井高志『リヨンのフランス革命』(2006年、立教大学出版会)がある。

参考:

リヨンの反乱(ウィキペ参照)
 1793年、パリの革命政府に対して王党派と穏健共和派が起こしたリヨンでの反革命反乱。革命政府はこれを徹底的に弾圧し、リヨンの大虐殺を引き起こした。
■背景
 当時リヨンは、工業都市として栄えており、ブルジョワジーと労働者(サン・キュロット)たちとの対立は、パリよりも深刻なものであった。そんな中、フランス革命の勃発により、急進的な革命の継続を求めるサン・キュロットたちと、反革命派、あるいは穏健な改革を望む者たちとの対立はより深刻なものとなってしまう。サン・キュロットたちは、ジャコバン主義者ジョゼフ・シャリエの下にシャリエ派と呼ばれるグループを形成していた。
 しかしシャリエは、革命政府に反対する王党派によって投獄されてしまう。さらに、王党派は手紙を偽造してシャリエの罪をでっち上げ、見せしめとして、彼に死刑を宣告した。パリの国民公会がシャリエを救おうとして、脅しとしてギロチンを送りつけると、リヨンでは逆にそのギロチンを使ってシャリエを処刑することを決定し、7月17日に執行された。
■反乱の鎮圧
 反乱を鎮圧し、街の主導権をシャリエ派のもとへと返すべく、約3万の共和国軍がリヨンへと派遣され、8月8日から市を包囲した。10月9日、リヨンは革命政府に対して停戦と開城を申し出る。
■リヨンの大虐殺
 リヨン市に対し、国民公会は徹底的に報復することを決定。ジャコバン派の指導者マクシミリアン・ロベスピエールの側近、ジョルジュ・クートン国民公会代表としてリヨンへと派遣された。クートンはリヨンに対する報復として建物の屋根から瓦をはがしたり、壁を槌で叩いて形ばかりの傷をつけたり、反乱指導者を数名処刑するだけなど、比較的寛容な処置しか行わなかった。彼は、フランス第2の都市であるリヨンを徹底的に破壊することは、現実離れしていると考えたからである。思いもかけぬ穏便な処置に街の人々は安堵したが、これを不服とした議員達はクートンの罷免を求めた。
 やがてクートンに代わってジョゼフ・フーシェ*7、コロー・デルボワの派遣が決定された。彼らはクートンの処置を生ぬるいものとして、リヨンへの徹底的な報復を開始する。3ヶ月にわたる虐殺で、2000人近くの人々が処刑されたといわれる。
■その後
 この大虐殺を指導した派遣議員のフーシェ、デルボワは、パリから出頭を命じられた。虐殺が過激すぎるとして、ロベスピエールの怒りを買ったためである。派遣議員の中には、トゥーロンへ派遣されたバラス*8やフレロン、ボルドーへ派遣されたタリアンなど、同様に過酷な報復が咎められる者が多かった。これを理由に処刑されることを恐れた派遣議員達は、フーシェの首謀する反ロベスピエールの陰謀に加担した。やがてこの動きがテルミドールのクーデターへとつながるのである。

4)総裁政府、統領政府*9の研究
 従来フランス革命史研究は、「総裁政府以前(いわゆるテルミドールクーデターによるロベスピエール派失脚以前)」が中心であったが最近は総裁政府以降の研究も増えており、これを筆者は評価している。
 総裁政府以降を取り上げた業績として岡本明『ナポレオン体制への道』(1992年、ミネルヴァ書房)、専修大学人文科学研究所編『フランス革命とナポレオン』(1998年、未来社)、服部春彦『経済史上のフランス革命・ナポレオン時代』(2009年、多賀出版)がある。
5)無名人の研究
 従来、研究対象になっていなかった無名人をあえてとりあげた研究を筆者はいくつか紹介している。
 もちろん「無名人」を取り上げた場合「何故取り上げるのか」と言う問題意識が問われることは言うまでもない。
・遅塚忠躬*10ロベスピエールとドリヴィエ:フランス革命の世界史的位置』(1986年、東京大学出版会)、『フランス革命を生きた「テロリスト」:ルカルパンティエの生涯』(2011年、NHKブックス) 
・千葉治男*11『知識人とフランス革命:忘れられた碩学ジャック・プーシェの場合』(2003年、刀水書房)
・山崎耕一『啓蒙運動とフランス革命:革命家バレールの誕生』(2007年、刀水書房)


■書評『オリオン・クラウタウ著「近代日本思想としての仏教史学」(2012年、法蔵館)』(上野大輔)
(内容要約)
・クラウタウ著は日本仏教史学の伝統として「鎌倉新仏教中心史観」「近世仏教堕落史観(クラウタウの主張では辻善之助*12がこの主張の創始者)」があるとした上で、こうした見方は一面的であると批判。「近世仏教堕落史観」に対する批判的な宗教研究者として大桑斉*13や高埜利彦*14をあげる。
・上野氏はクラウタウ著が「日本仏教史学」の政治的偏向性を指摘したことを評価した上でいくつか疑問を呈している。
・上野氏は三上参次*15『明治時代の歴史学界:三上参次懐旧談』(1991年、吉川弘文館)や柳宗悦*16徳川時代の宗教を思う」(『宗教研究』10巻1号(1933年))が江戸時代を「仏教の盛んな時期」と評価していることを指摘、クラウタウの「辻の仏教堕落論が通説的見解であった」の見方を一面的すぎないかとしている。

*1:著書『近代中国の郷土意識:清末民初江南の在地指導層と地域社会』(2013年、研文出版)

*2:著書『北京四天主堂物語:もう一つの北京案内記』(1987年、平河出版社)、『東西お茶交流考:チャは何をもたらしたか』(1989年、東方選書)、『西洋人の見た十六〜十八世紀の中国女性』(1990年、東方書店)、『西洋人の見た中国皇帝』(1992年、東方書店)、『西洋人の見た十六〜十八世紀の中国官僚』(1993年、東方書店)、『東のお茶・西のお茶』 (1995年、研文選書)、『グリーン・ティーとブラック・ティー』(1997年、汲古選書)、『東西文化交渉史』(1997年、大空社)

*3:著書『義和団の起源とその運動:中国民衆ナショナリズムの誕生』(1999年、研文出版)

*4:著書『フランス革命と結社:政治的ソシアビリテによる文化変容』(2005年、昭和堂)、『図説・フランス革命史』(2013年、河出書房新社

*5:著書『子どもと学校の世紀:18世紀フランスの社会文化史』(2007年、岩波書店)、『子どもたちのフランス近現代史』(2013年、山川出版社

*6:著書『フランス産業革命論』(1968年、未来社)、『フランス近代貿易の生成と展開』(1992年、ミネルヴァ書房

*7:総裁政府、統領政府、第一帝政で警察大臣

*8:総裁政府で総裁の一人に就任

*9:いわゆるブリュメールクーデターによる総裁政府の崩壊で誕生。第一統領のナポレオンが次第に実権を強め皇帝に就任し共和制度が一時終了する

*10:著書『フランス革命:歴史における劇薬』(1997年、岩波ジュニア新書)

*11:著書『ルイ14世:フランス絶対王政の虚実』(1984年、清水新書)、『義賊マンドラン:伝説と近世フランス社会』(1987年、平凡社

*12:著書『田沼時代』(1980年、岩波文庫

*13:著書『日本仏教の近世』(2003年、法蔵館)、『民衆仏教思想史論』(2013年、ぺりかん社

*14:著書『近世日本の国家権力と宗教』(1989年、東京大学出版会

*15:著書『江戸時代史(上)(下)』(1992年、講談社学術文庫

*16:著書『民芸四十年』(1984年、岩波文庫)、『手仕事の日本』(1985年、岩波文庫)、『茶と美』(2000年、講談社学術文庫)、『工芸文化』(2003年、岩波文庫)、『工藝の道』(2005年、講談社学術文庫)、『民藝とは何か』(2006年、講談社学術文庫