今日の産経ニュース(12/5分)(追記・訂正あり)

■【正論】民社党にみる戦後政治の「不運」(関西大学東京センター長・竹内洋
http://www.sankei.com/column/news/141205/clm1412050001-n1.html
 民社党がなくなったのは「ある意味当然」でしょう。何せ荒木和博のような男が党職員を務める極右政党です。今の次世代の党みたいなもんです。何を理由に「民社党」を名乗ってるのかさっぱりわからないし、その政策に民社的(社民的)な所は何もない。もともとは社会党出身だったと言う事が信じられないほどです。民社党というのはどこの国でも当然「反共的」ですが「日本の民社党」の場合、そういうまともなレベルではなく「反共極右主義」という街宣右翼と同レベルの代物なんだから呆れます。
 「自民党清和会のコピー商品=民社党」に喜んで投票する人は少ないでしょう。自民党に批判的な人が投票したがる政党じゃない。一方自民党支持者なら自民党に投票するわけです。
 なお、産経なんかはやたら社会党共産党を「非現実的」呼ばわりしますが彼らは彼らなりに現実と格闘していたのであり、だからこそ美濃部都政や蜷川京都府政なんかが実現するわけです。あれらをどう評価するにせよ、現実との折り合いなしで都政や府政が長期間続くわけもないでしょう。

与党・自民党野党第一党社会党による55年体制のなかで、保守よりの野党として独自の政策を掲げた。階級政党ではなく国民政党を宣言

この時点で「保守寄りなのに、何で民社党て名前なの?。民社党て民主社会主義だから左派寄りじゃないの?(もちろん中道左派ですけど)」て疑問が生まれます。民社党ほど外部から見ていて訳のわからない政党もない。

浅沼社会党委員長が刺殺され、票が社会党に流れてしまったことである。すでに党勢を失速させていた*1社会党が延命することになった。

 アホかとしか言いようがないですね。まあ産経文化人なんてこの種のアホ揃いですけど。
 浅沼が暗殺されて同情票が集まったから、社会党民社党に勝利したのか。たぶんそうじゃないでしょう。浅沼が暗殺されようがされまいが民社党社会党に勝つことなどなかったでしょう。
 つうか1960年の浅沼暗殺以降1994年に解党するまでの34年間、民社党社会党に負け続けたことを「浅沼暗殺の同情票に負け続けた」とでも強弁する気なのか。そんな事を言ったらいわゆる「50年分裂」時はズタボロ状態だったのにその後、何とか巻き返した共産党はどうなるのか。初回の失敗を何とかリカバリーした共産党のことを考えれば「不運だった」なんて詭弁もいいところです。つうか産経文化人が不運だ何だというのって身内相手だけで敵の失敗には絶対に「不運もあった」なんていわないわけですが。
 とにかく正気じゃないですね。大体、民社党なんて社会党どころか「共産や公明にも議席数で負けたこともある党」であって到底二大政党の一翼になれる党じゃないでしょう。

 民社党の不運といえば、まだある。民社党の学者支援集団の民主社会主義研究会議に集まった蝋山政道や関嘉彦、猪木正道などは人間的にも学者としてもすぐれた人々だったが、蝋山の盟友で、関や猪木の師だった河合栄治郎を欠いたことは痛手だった。
 河合は1944年に53歳で早世し、戦後は故人。河合は社会党のブレーンだった大内兵衛向坂逸郎と同世代だが、知名度と影響力で河合のほうが、はるかに上である。河合を欠いたことも民社党のプレゼンスには不運だった。

これまた「アホか」としか言いようがないですね。そんな事言っていいのなら「浅沼のような有能な政治家が暗殺されたことは社会党にとって痛かった」「江田三郎*2が病死したことは社民連にとって痛かった」とか何でも言えてしまう。
 大体戦前に病死した人間が戦後結成された政党のブレーンになりえないことは当たり前じゃないですか。
 かつ俺が思うに大内や向坂に比べて河合の方が影響力も知名度も上なんて事はないと思いますよ。
 仮に河合が存命で民社党を支援したとしてもこの人が言うほどの影響力はなかったでしょう。


【2014年12/31追記】
ライプツィヒの夏『第二自民党あるいは自民党補完政党もしくは極右政党の解党・壊滅的打撃を嘆く産経新聞』(http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/f075c64937099a8db5b87062763591b3)で拙エントリが紹介されました。どうもいつもありがとうございます。

*1:というのはこの人の勝手な決めつけです。

*2:社会党書記長、社民連代表などを歴任。社民連代表、細川内閣科学技術庁長官、参院議長、菅内閣法相などを歴任した江田五月の父親