★特集「歴史の中の親子・家族:婚外子・親子関係をめぐって」
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。
■「フランスの家族法改正:半世紀の歩み」(林瑞枝*1)
(内容要約)
・1968年にフランスでは有名な「5月革命」と言う学生運動が起こり、フランスはもとより世界の左翼運動、労働運動、学生運動に影響を与えていきます。1969年にはド・ゴール*2が大統領を辞任し一つの時代が終わります(ド・ゴール辞任は5月革命と直結しているわけではありませんが)。
で、ここでは林氏もどう評価するか考えを述べていませんし、話の本題からも外れますので、「5月革命についての評価」はしません*3が、「5月革命に代表される変革ムード」が大いに「家族法改正」に影響したのではないか、と言うのが林氏の見立てです。林氏に寄れば「1960年代後半」から家族法改正が始まっていきます。だからこそ「(1960年代後半から)半世紀の歩み(林論文の副題)」のわけです。
うーん、評価について述べてないとは書いたが「ある意味評価してる」とも言えるのかな?。ただ実際「林氏の指摘の通り」なんでしょうしね。
・林氏の指摘からいくつか重要な法改正をあげておくと、
1975年:
・離婚についていわゆる有責主義(不倫行為など問題行為があった場合のみ、問題行為の被害者から離婚提起できる)から破綻主義(有責主義のような制限がない)への変更。
1992年:
同性カップルの容認(パックス法)。ただし「パックス法」が認める関係は結婚とは違ったため、2013年に同性婚を認める同性婚法が成立する。
2001年:
非嫡出子の相続差別が完全に廃止される。
といったところでしょう。
■「臨時法制審議会*4民法改正要綱における「家」の強化論:家族関係の再編と法律婚主義」(蓑輪明子)
(内容要約)
原敬*5内閣が,1919年に設置した「臨時法制審議会」での民法改正要綱(実際には改正はなされず本格的改正は戦後に持ち越されるが)について論じている。
「民法改正要綱」は「妻の相続順位を上昇させる」といったプラス面が見られるが、これを単純に「女性の権利拡張」とみなすことはできない。なぜなら明治民法においては「男性優先原理>嫡出子優先原理」から「嫡出子の女子と非嫡出子*6の男子」については「相続上の順位は非嫡出子の男子が、嫡出子の女子に優先する」としていたのに対し、改正要綱は「男女に拘わらず、嫡出子を優先する」としていたからである。
つまり「嫡出子優先*7」と併せて考えると、「妻の相続順位上昇」は「法律婚>事実婚」という考えの一環であるとみなすことができる。
この考えは「戦後の民法改正」でも引き継がれ「非嫡出子の相続差別(嫡出子の1/2の相続分)」にピリオドが打たれたのは、「2013年の最高裁大法廷の非嫡出子・相続差別規定違憲判決*8」と「それを受けた民法改正」であり割と最近のことである。
■「家族法判例の変遷における婚外子」(渡邉泰彦)
(内容要約)
・戦後の「婚外子を巡る家族法判例の変遷」について論じています。最近の重要判例と言えばやはり「非嫡出子の相続差別(嫡出子の1/2の相続分を違憲とした2013年の最高裁大法廷判決」であり、渡邉論文もここにウェイトがかなり置かれています。なお、こうなると「嫡出子と非嫡出子」という法的区別自体に意味があるのかという問題が出てくるでしょう。
・また、「最近出てきた問題で判例もほとんどないこと」もあって論じないとしながらも「今後、重要な問題」として渡邉論文は「代理母」の問題を挙げています。代理母から生まれてくる子どもは、「妻から生まれてくる子どもではない」ため「非嫡出子」と理解する余地があるわけです。
裁判判例で対応すべき問題と言うより立法で対応すべき問題ではあるでしょう。
■『「竹島は日本固有の領土である」論』(池内敏*9)
(内容要約)
・池内氏の竹島問題認識については以前、■『新刊紹介:「歴史評論」5月号(追記・訂正あり)』(http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110420/2543109876)で紹介しました。つまり「竹島が日本領と言えるかははなはだ疑問」「少なくとも江戸時代において既に竹島・日本領認識が日本国内で広く確立していたかのような主張(池内氏に寄れば未だに日本政府はそうした立場のようですが)は間違い」と言う認識です。
今回もその認識にはかわりはありません。ただ今回池内氏が論じるのは『「竹島は日本固有の領土である」論(以下、固有領土論と呼ぶ)』であり前回の論文とは主張ポイントが少し違っています。
池内氏に寄れば『「竹島は日本固有の領土である」論』は当初の「固有領土論(旧固有領土論)」と近年有力化しつつある「固有領土論(新固有領土論)」は実は大きく違います。にもかかわらず「その辺りを故意にごまかしてる」のが「固有領土論」の現在であり、池内氏は「固有領土論」は廃棄されるべきであるとしています(なお、この「固有領土論廃棄主張」は竹島限定であり、北方領土や尖閣に単純にスライドされるわけではありません)。
・さて池内氏に寄れば当初の「固有領土論(旧固有領土論)」は「江戸時代から日本人は竹島を日本領と認識していた」という論でした。この論を仮に「江戸時代支配成立論」とでも呼んでみましょう。
ところがこの「江戸時代支配成立論」は池内氏を含む研究者から「成立しないのではないか?」という批判が出てきます。
そこで新たに登場した「固有領土論」が池内氏に寄れば「1905年島根県編入合法・正当論」とでも言うべき主張(新固有領土論)です。つまり「江戸時代に日本の竹島支配が成立していなくても1905年以前に『外国の支配(もちろんこの場合、韓国の支配ですが)』が認められなければ日本の島根県編入は合法、正当なのだから何の問題もない」という主張です。
この新たな「固有領土論」には池内氏曰く、次の問題があります。
1)当初の「固有領土論」と全く違う主張を「固有領土論」として一緒くたにするのは誤解や混乱を招く
2)実際、「新固有領土論」の主張者は必ずしも「旧固有領土論」を否定しているわけではなく、その主張は「とにかく竹島が日本領と言えればいい」という不純性を感じさせる。そもそも「旧固有領土論」が成立するなら「新固有領土論」を唱える必要はどこにもないはずである(実際日本では「固有領土論」と言う語感からほとんどの日本人がイメージしているのは旧固有領土論です)。
そこで池内氏は「旧固有領土論」と「新固有領土論」が「固有領土論」と言う名称でごちゃごちゃにされている現状は問題であり、「旧固有領土論(江戸時代支配成立論)」と「新固有領土論(1905年島根県編入合法・正当論)」の違いを明確化し曖昧なごまかしをやめるために、「固有領土論」という概念の廃棄を主張します。
つまり池内氏の「固有領土論廃棄」とは「竹島は韓国領だ」と言う意味ではないことをお断りしておきます。
■書評:原田敬一*10著『兵士はどこへ行った:軍用墓地*11と国民国家』(評者:千地健太)
(内容要約)
日本で「軍人戦没者追悼」と言うと歴史的には「靖国、護国神社」が注目されるわけですが、原田氏が注目しているのは「いわゆる軍人墓地」です(もちろん靖国、護国の方が注目されるということ自体が一つの興味深い事実ですが)。
軍用墓地がいかに忘れ去られた存在かググって見つけた以下の記述を紹介しておきます(かなり長い引用になります)。ちなみに「千地氏の書評」によれば忘れ去られたどころか「なくなった軍用墓地」すらあってそれが「白金海軍埋葬地」です。今は国有地ではなく、払い下げられて、明治学院大学白金キャンパスが建ってるそうです(一応、墓地の記念碑はあるらしいが)。
「軍用墓地が忘れ去られてること自体」、日本の戦没者追悼の「ある種の歪み」のような気がしないでもありません。こういうことをやらかしておいて「日本会議」など、ウヨが「戦没者に哀悼の意を捧げる」とか抜かしても「軍用墓地を廃墟としておいてよく言うわ、手前ら靖国と護国しか興味ねえじゃん」という不快感*12しか感じません。
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20090511/1242100323
■大塚愛と死の哲学『荒廃する軍人墓地』■産経新聞2009年5月11日『荒廃する軍人墓地 管理責任、国が言及』
全国各地に点在する軍人墓地の管理を今後どうするかが問題化している。旧陸海軍人の戦没者を慰霊する墓地は太平洋戦争後、国が地方自治体に管理を“丸投げ”したことが原因で、一部で荒廃が進む事態となっていた。参院決算委員会で管理責任について問われた舛添要一*13厚労相は「関係省庁と連携を取りながら国の責任としてきちんと管理していきたい」と答弁。国もやっと目を向けることになったが…。
明治維新以降、戦争で亡くなった陸海軍人の遺骨を収めた軍人墓地は、明治期から戦前までは陸軍省、海軍省が管理していた。しかし敗戦で両省は解体、墓地の管理規則もGHQ(連合国総司令部)によって廃止された。管理責任があいまいになったのは、国有財産として墓地を移管された大蔵省が昭和21年6月に事務次官通知を出して、墓地および公園として使用することを条件に、地方自治体に無償で貸与ないし譲与したためだ。
(中略)
平成11年、旧陸軍将校らの親睦(しんぼく)組織「偕行社」が65カ所の陸軍墓地を調査したところ、(中略)中には山口市の山崎陸軍埋葬地や高知市の陸軍墓地のようにまったく管理も慰霊も行われていないところもあった。
約4500柱を収める広島市の広島比治山陸軍墓地は、広島市が掃除などの日常的な管理に人員を派遣しているが、十分な維持管理ができないため、市民が自主的に清掃奉仕を行っている。ただ、奉仕活動をする人々の高齢化が進んでいて、有志の市民は「このままでは墓地の荒廃は避けられそうにない」と訴える。
約9000柱が収められている福岡市の谷陸軍墓地では、平成17年3月に起きた福岡県西方沖地震で、石碑がずれたり、骨壼(こつつぼ)が落ちて遺骨が散乱する被害が出た。民間の有志で石碑修復委員会を結成して修復費1100万円を集めて原状を回復。福岡市は修復には協力せず、19年10月に修復完了を報告する慰霊祭を開催したさいには、隣接する公園を使用したとして、公園使用・占有料の4万4610円を請求した。
福岡市は、清掃などの日常的な管理は「利用者にお願いしている」。石碑や骨壼は「市が管理すべきものか判断できない」としている。また、公園使用・占有料については「利用者から減免申請がなかったため、規定通り請求した」と説明する。
4月20日の参院委員会で衛藤晟一議員(自民)の質問に応じて「国の責任」に言及した舛添厚労相。答弁を聞いた偕行社の菊地勝夫事務局長は「戦没者の慰霊はどこでも国を挙げて取り組んでいます。尊い命のおかげで今日があるからです。軍人墓地の維持管理、慰霊は基本的には国がすべきです」と話している。(桑原聡)「何で今ごろこの話が?」と思わないでもないが、こうした軍人墓地が放置され、荒れるに任されている実態は、なにも国の怠慢ばかりが理由ではない。
ハッキリ言ってしまえば、「(ボーガス注:「戦没者追悼のために靖国に天皇陛下の参拝を!」と騒ぐ靖国右翼も含めて)みんなずっと忘れてた」からだ。
現状では、この問題に関して国が大々的に何かするということは、なかなか考えにくい。そのへん、日本と韓国*14とはやはり違うのだ。
(中略)
各地にある旧軍墓地の中でも、大阪の旧真田山陸軍墓地については、NPO法人が結成され、保存運動や研究活動が進められている。
■旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会
http://www.jttk.zaq.ne.jp/bacas400/sanaboti/
「太字強調」は俺がしましたが重要なポイントです。
http://d.hatena.ne.jp/bluetears_osaka/20130812/1376289835
■大塚愛と死の哲学『放置される陸軍墓地』
この記事、「分かった」の主語は何なんでしょう。(注:読売記事に名前が出てくる「山口県偕行会会長、坂本強さん」や「原田敬一・佛教大教授」「小田康徳*15・大阪電気通信大教授」など、)多少なりとも関わっている人からしてみれば、放置されているケースが少なくないことは、ずっと前から「分かっていた」ことのはずです。
(中略)■読売新聞2013年8月12日『倒れた墓石、密林化…放置される陸軍墓地』
太平洋戦争の戦没者らを弔った陸軍墓地の墓石が、所有者不明のまま放置されているケースがあることが分かった。
福岡市では墓が損壊しても修復されず、山口市では草も刈られずに密林のようになった時期があった。遺族らは「国に召集されて命をささげた以上、国や自治体が責任を持って管理してほしい」と訴えている。
福岡市中央区にある谷陸軍墓地。
(中略)
2005年3月の福岡県西方沖地震で石碑5基の石柱がずれたため、菅原さんらは「倒壊の危険性がある」と、所有者の福岡財務支局と管理者の市に補修を求めたが、断られた。
同財務支局は「国有財産として登録されているのは土地だけ」、市は「国から借りているのは土地だけで、石碑などの管理は所有者(注:の国)がすべきこと」と話すが、いずれも所有者については把握していなかった。
行政の動きがないなか、菅原さんらは有志に呼びかけて寄付金約1100万円を集め、修復にかかった。石碑内の納骨室は浸水し、骨つぼが床に落ちて壊れていたが、ボランティアで作業を進め、08年12月に修復を終えた。
(中略)
山口市の山崎陸軍墓地には、主に明治期の墓石約300基や昭和初期の石碑がある。山口財務事務所によると、土地は国有地だが、墓碑の所有者は不明。維持管理の予算はつけてないという。
「以前はジャングルのようだった」。
旧陸軍、陸自幹部OBらでつくる「山口県偕行会」の会長、坂本強さん(85)は話す。見かねた自衛隊OBや隊員らが十数年前からボランティアで雑木を切り、雑草を刈っている。
(中略)
旧軍の墓地制度に詳しい原田敬一・佛教大教授(日本近代史)は「軍は自らの規定に基づいて軍用墓地を設けており、墓や碑が個人の所有物とは考えられない。国は責任を持って対策を講じるべきだ」と指摘。小田康徳・大阪電気通信大教授(日本近代史)は「軍用墓地の存在は地域と軍の密接な関わりを示すもので、地域住民が徴兵され、戦死した事実の証し。遺族の高齢化が進めば、ますます維持・管理は難しくなる。戦争遺跡として国や自治体が保存すべきだ」と話している。(小松一郎)ま、ざっくり言えば「国は何もしていない」という結論になりますね。清浄*16に維持されているところがあるとすれば、それは「気にかけている人がいる」ところに限られるでしょう。個人レベルでのこともあれば、ボランティアを組織するケースもあるでしょうし、自衛隊などが関わっているところもあります。
ただ、国が何らかの対策を取る必要があると私も思いますけど、それは必ずしも韓国の国立墓地のように大々的な整備である必要はないでしょう。「こうした墓地を、どのように維持・管理すべきか」というのは、そんなに単純で簡単な問題ではありません。
http://www.sankei.com/life/news/131126/lif1311260026-n1.html
■産経新聞『【大阪特派員】大阪の陸軍墓地を護る人々(近藤豊和)』
大坂・冬の陣(1614年)で豊臣方の勇将、真田幸村*17が築いた真田丸があったことから、地名が今も残る真田山(大阪市天王寺区)に陸軍墓地がある。旧陸軍将兵らの墓碑約5300があり納骨堂には8200柱以上が眠る。
(中略)
「真田山陸軍墓地維持会」副理事長である花畑暢夫さんの案内で、墓地入り口にある平屋の建物内にある6畳間ほどの史料展示スペースを見せていただいた。
(中略)
史料室の壁に新聞記事が貼られていた。東京五輪開催前の昭和39年5月14日のサンケイ新聞(当時の題字はカタカナ)の記事だった。冒頭にこう記してある。
「戦没者叙勲で戦争中、亡くなった人たちの霊がようやくなぐさめられようとしている折、納骨堂が倒れかかったり、無数の石碑がくずれたままという荒れ放題の旧陸軍墓地が大阪市のド真ん中にある」
敗戦で大蔵省管理となり、市に貸与されたものの、整備が行き届かなかった。「お役所仕事、怒る遺族」との見出しからも分かる。
昭和22年には民間によって、「大阪靖国霊場維持会」(後の真田山陸軍墓地維持会)が設立された。「これで、他の各地の陸軍墓地に比べて荒廃の進行を止められた」(研究家、横山篤夫氏*18という。それでも整備が行き届かない時期が続いた。全国に80カ所以上造られた大阪以外の陸軍墓地には現在も荒れ放題が少なくない。
29年に維持会理事長となった吉川秀信氏が私財を投じて集会所などを建設。理事長職は長男の秀一氏、孫の秀隆氏の3代が継承している。吉川家はタカラベルモント社経営一族で、維持会事務所は同社内にあり民間企業として整備に大きく尽力している。
靖国神社の英霊へ尊崇の念を払おうとすると、中国や韓国の顔色をうかがう状況がいまだに続く。
冒頭に紹介した平成生まれの永田さんは来春同社に入社し、陸軍墓地を護り続けていくという。
「靖国」云々はどうでもいい駄文で「中韓が批判してるのは靖国だけだろ。軍人墓地関係ねえだろ!」「こじつけと言いがかり乙」「いつ中韓が真田山墓地批判したんだよ?(ただし今後産経が真田山を『第二の靖国化』すれば当然批判が来るでしょう)」と思いますがまあ、そこを除けば比較的まともな記事かと思います。
ただ記事に出てくる「タカラベルモント社*19」には「創業者・中村功が趣味のウヨ政党・青年自由党や趣味のウヨ映画『プライド』『ムルデカ』に金をつぎ込んでいた時代の東日本ハウス*20(現・日本ハウスホールディングス)」を連想しますがその辺り大丈夫なんでしょうか?
「大丈夫なのか」というのは
1)トンデモウヨ路線じゃないのか?
2)中村みたいに経営に悪影響与えないか
と言う意味ですが。
http://www.sankei.com/west/news/131126/wst1311260079-n1.html
■産経新聞『【大阪特派員】陸軍墓地の未来を憂う、平成生まれの女性の思い』(大阪特派員・近藤豊和)
大阪市にある真田山陸軍墓地の保存・整備に関わり、護り続けようとする平成生まれの女性がいる。京都造形芸術大学大学院の永田綾奈さん(23)。明治4年に造られた日本最古の陸軍墓地には、約1万5千平方メートルの敷地に、旧陸軍将兵らの墓碑約5800があり、納骨堂には8200柱が眠る。荒れ放題の全国の陸軍墓地が多い中、大阪には、陸軍墓地を護る人々がいる。来春からは、同墓地の保存・整備に民間企業として大きな貢献をしているタカラベルモント株式会社に入社し永田さんは活動を続ける。その憂いと思いを聞いた。
・真田山の活動に関わったきっかけは。
「大学3年生の時に、大阪電気通信大の小田先生(=康徳教授)を中心とした真田山の納骨堂調査が本格的に始動し始めた際に、調査メンバーの一人である西川寿勝先生から、私の所属している京都造形芸術大学歴史遺産学科の伊達仁美教授に手伝う学生がいないかというお話がきたことでした。その時は、戦争時の生活文化に興味を持っていたので、伊達先生からの手伝いの話を引き受けました。(後略)」
・真田山陸軍墓地について考えることは。
「まず、感じたのは、墓石の劣化が思っていた以上に激しいことと、劣化が進行している墓石の多いことでした。
(中略)
遺族の方々も年々少なくなってきており、お参りされることがないお墓も多いです。先日、研究の関係で墓石を水洗いしてきました。苔(コケ)や泥などを取り除き、きれいになった墓石を見て、このままの状態を維持して、劣化を防がなければと、今の研究の大切さを改めて考えさせられました。今の研究をし始めて大学などで真田山について話すことがあるのですが、そのなかで地域の人、大阪の人がこの墓地について知っている人が少ないことに、驚きました。ある人からは、毎日前を通っていたが墓地について知らなかったという話を聞きました。意外と知らない人が多いのです」
「私自身、陸軍墓地について、真田山に関わるまで知りませんでした。また、全国各地に同じ陸軍墓地、または海軍墓地があることも知りませんでした。今の研究をしているなかで、自分の地元の陸軍墓地にも行ったのですが、そこは何度も前を通ったことがある所にありました。先ほどの、墓地について知らなかったという立場は私でもあったのです。遺族の方も年々少なくなってきていると聞いています。戦争について、知らない世代が多くなり、さらに墓地について知らない人が多くなっていくのではと、また同じように戦争について風化していくのかとも感じさせられました」
(後略)
http://www.sankei.com/west/news/150808/wst1508080071-n1.html
■産経新聞『祖国のため命を捧げた先人たち「国主導の慰霊を」 旧真田山陸軍墓地シンポジウム』
全国最古、最大の旧陸軍墓地、真田山陸軍墓地(大阪市天王寺区)の保存活動について考えるシンポジウム「今、旧陸軍墓地は」(産経新聞社など後援)が8日、大阪市中央区のタカラベルモントホールで開かれた。
(中略)
旧真田山陸軍墓地には、明治時代の西南戦争から日清、日露戦争、先の大戦などで戦死した旧陸軍将兵らの約5100の墓碑があり、納骨堂には8200柱以上の遺骨が眠る。シンポジウムを主催した公益財団法人・真田山陸軍墓地維持会(吉川秀隆理事長)が維持、管理している。
基調講演で、佐藤正久*21参院議員は「国のために命を捧げられた方を思い、慰霊・顕彰*22を大切にしなければいけない」と強調。「真田山(陸軍墓地)を大切に、次の世代につないでいく必要がある」と訴えた。
パネルディスカッションでは、納骨堂が老朽化し、墓碑の9割近くに劣化が生じている現状について同維持会の永田綾奈学芸員が報告した。宇都隆史*23参院議員の秘書は、真田山を含め戦没者の慰霊や遺骨帰還事業が民間主導で行われてきた戦後の経緯を説明。「国が墓も守らず、遺骨も戻してくれないという状態が続いていいのか」と述べ、国の主導による慰霊・顕彰の必要性を訴えた。
司会の近藤豊和*24・産経新聞東京本社正論調査室長が「祖国のために命を捧げた*25先人たちに思いをはせ、現代に生きる者は力、勇気をいただいて国をさらに発展させる。共通の思いを一人でも多くの人が持つことができれば」とあいさつ、閉会した。
・詳報は後日、月刊正論に掲載します。
産経や「ヒゲのオヤジ(佐藤正久)や宇都隆史*26」のような「靖国万歳ウヨ」が絡んでくると真田山に限らず、「軍用墓地が第二の靖国、護国化」し国内外から「日本右傾化の象徴」と非難されかねません。そういうことは俺は望んでないし、原田氏も望んでないでしょう。とはいえ「今のママの放置プレー」「廃墟状態」でいいわけもなく、なかなか難しい問題でしょう。まあ、保存活動に携わってる人にはもちろん「非右翼」もいるんですけどね。
■比治山陸軍墓地(ウィキペ参照)
・広島県広島市南区の比治山公園内にある旧陸軍の墓地。
・元々墓地があった土地には、戦後、ABCC(現・放射線影響研究所)が建てられた。中国新聞に1955年に掲載された、広島市長・浜井信三のインタビューでは、アメリカ軍側が水害被害を恐れて高台へのABCC移転を求め、国立公園化の予定があった宇品は外され、比治山に落ち着いたという記述がある。
・1955年(昭和30年)4月に現在地に再建することを決定。再整備は1959年(昭和34年)までに完了。1960年(昭和35年)10月には寄付金により礼拝堂が建てられた。再建された墓地は、1961年(昭和36年)3月に広島市に寄贈された。広さは、かつての十数分の一の2,000㎡になった。
・放影研の敷地では、再建墓地完成後も、取り残された遺骨が発見されている。2008年(平成20年)時点での管理は、日本政府が広島市に委託。敷地内の電灯の電気代・水道代および週に1,2回清掃員を派遣している。また、毎日有志による清掃も行われている。会員の高齢化などで、有志による清掃に1990年頃は20人から30人参加していたのが、近年は参加者が減少し、寄付金も減少しているという。2008年の報道で、国営化を訴える声も出ている。
・寄付金の減少で、月毎の供養で住職を呼ぶことも困難になっている。それでも、毎年4月に合同追悼式が行われ、陸上自衛隊第13旅団も参列している。
参考
■早瀬晋三*27の書評『兵士はどこへ行った:軍用墓地と国民国家』原田敬一(有志舎)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2014/12/post_359.html
■追想『大正デモクラシーの実証的研究の先駆者:追悼・松尾尊兌*28先生』(井口和起*29)
井上清*30など「大正デモクラシーではなく民本主義と呼ぶべきだ」「なぜなら当時は民本主義と呼ばれていたし、民本主義はデモクラシーの名に値しない」という意見が昔は強く、「松尾氏の大正デモクラシー論」は必ずしも評価されていなかったことが指摘されます。
ただ「個人的には」、そうした「大正デモクラシー論批判」には一理あると思うので、こうした井上らの批判に賛同してないらしい井口氏には「松尾氏の研究成果はそれはそれとして認めるにせよ」、井上の批判などは今でもそう簡単に否定できないんじゃないかと思います。
*1:著書『フランスの異邦人:移民・難民・少数者の苦悩』(1984年、中公新書)、『いま女の権利は:女権先進国フランスとの比較から』(編著、1989年、学陽書房)など
*2:首相を経て大統領
*3:三浦小太郎のようなウヨなら、文革や極左の暴力行為(例:イタリア「赤い旅団」によるモロ元首相暗殺(1978年))を理由に全否定でしょうが、まあそんなに話は単純ではないでしょう。
*7:林論文が「フランスでの婚外子相続差別」について触れていることから分かるようにこうした考えは別に日本特有というわけでもありません。
*8:なお、1995年には合憲判決が出されており2013年に判例変更が行われた。
*9:著書『大君外交と「武威」:近世日本の国際秩序と朝鮮観』(2006年、名古屋大学出版会)、『竹島問題とは何か』(2012年、名古屋大学出版会)
*10:著書『国民軍の神話:兵士になるということ』(2001年、吉川弘文館)、シリーズ日本近現代史3『日清・日露戦争』(2007年、岩波新書)、戦争の日本史19『日清戦争』(2008年、吉川弘文館)、『「坂の上の雲」と日本近現代史』(2011年、新日本出版社)、『兵士はどこへ行った:軍用墓地と国民国家』(2013年、有志舎)、『「戦争」の終わらせ方』(2015年、新日本出版社)など
*11:愛媛県松山には「日露戦争の捕虜」を埋葬したロシア人墓地があるそうですが、原田氏はその存在を指摘しながらも「日本兵の墓地と性格が違う」ということから本書では論じていません。
*12:もちろんこうした現状には「靖国右派」だけでなく「靖国右派以外の全ての日本人(穏健右派、中道、左派、ノンポリなど)」が大なり小なり責任があるわけです(墓地保存運動に取り組んでる人間を除けば)。もちろん俺にも責任はある。ただ「右派が偉そうに戦没者追悼がどうのこうの抜かして靖国参拝を美化する」ので「軍用墓地を廃墟にしておいてよく言うわ」と批判してるだけです。
*14:唐突に韓国が出てきますがこのブログ主の主たる関心事は韓国らしくそういうブログ記事がいくつかあります。
*15:著書『近代和歌山の歴史的研究:中央集権下の地域と人間』(1999年、清文堂)、『陸軍墓地がかたる日本の戦争』(共著、2006年、ミネルヴァ書房)、『近代大阪の工業化と都市形成:生活環境からみた都市発展の光と影』(2011年、明石書店)など
*16:原文のまま。たぶん「正常」の誤記だと思うが一応意味は通じるのでそのまんまにしておく。
*17:来年の大河ドラマの主人公。なお、「生前の史料で『幸村』の名が使われているものは無く、『信繁』が正しい。『幸村』の名が見られるようになったのは夏の陣以後で後世の創作の可能性がある(ウィキペ「真田信繁」参照)」
*18:著書『戦時下の社会』(2001年、岩田書院)、『陸軍墓地がかたる日本の戦争』(共著、2006年、ミネルヴァ書房)、『兵士たちがみた日露戦争:従軍日記の新資料が語る坂の上の雲』(編著、2012年、雄山閣)
*19:ウィキペディア「タカラベルモント」曰く『大阪市中央区に本社を置く、理美容機器、化粧品、医療機器等の製造・販売を行う企業。なお、住宅機器メーカー大手のタカラスタンダードは1963年(昭和38年)よりタカラベルモントの傘下であった。現在はタカラベルモント傘下からは離れているが、タカラベルモントはタカラスタンダードの主要株主の一つである』
*20:現在は中村が一線から退いたこともあり、会社としてはあの種のウヨ路線からは離れたらしい。
*22:「先の戦争」は侵略ですので「慰霊」はともかく「顕彰(美化)」はしなくて結構です。
*23:元航空自衛官。第2次、第3次安倍内閣外務大臣政務官。
*24:最近、真田山関連記事を産経で書いてる記者。「大阪特派員」から「東京本社正論調査室長」にご出世されたようだ。
*25:インパール作戦のような無謀な作戦が典型ですが、「外交で避けられたはずのあの戦争」での死を俺は「祖国のために命を捧げた」とは絶対に言いたくありません。それは事実に反するデマだと思う。
*26:ヒゲや宇都、タモガミといった「自衛隊上がりの極右」を見てると自衛隊の将来が不安になります。
*27:著書『海域イスラーム社会の歴史:ミンダナオ・エスノヒストリー』(2003年、岩波書店)、『戦争の記憶を歩く・東南アジアのいま』(2007年、岩波書店)、『未完のフィリピン革命と植民地化』(2009年、山川出版社世界史リブレット)、『フィリピン近現代史のなかの日本人』(2012年、東京大学出版会)、『マンダラ国家から国民国家へ:東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(2012年、人文書院)など
*28:著書『大正デモクラシーの研究』(1966年、青木書店)、『普通選挙制度成立史の研究』(1989年、岩波書店)、『大正デモクラシーの群像』(1990年、岩波同時代ライブラリー)、『大正デモクラシー』(2001年、岩波現代文庫)、『大正デモクラシー期の政治と社会』(2014年、みすず書房)など
*29:著書『朝鮮・中国と帝国日本』(1995年、岩波ブックレット)、『日露戦争の時代』(1998年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『日本帝国主義の形成と東アジア 』(2000年、名著刊行会)、『日露戦争』(2005年、東洋書店ユーラシアブックレット)など
*30:著書『明治維新』(2003年、岩波現代文庫)、『自由民権』(2003年、岩波現代文庫)、『日本の軍国主義』(2004年、岩波現代文庫)、『天皇の戦争責任』(2004年、岩波現代文庫)など