高世仁に突っ込む(2021年1/29日分)

人道にもとる日本入管の収容制度3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(1月29日付記事)
 タイトルから分かるように、今回は高世仁に突っ込む(2021年1/25日分) - bogus-simotukareのブログで紹介した人道にもとる日本入管の収容制度2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(1月28日付記事)の続きです。「入管の現状は人権侵害で酷い」は「高世以外(例:赤旗入管人権侵害改めよ/共産党が法務省に要請/山添・大内氏同席(2020年10月31日記事)、入管法改定案は逆行/藤野・山添氏 「弁護士の会」と懇談(2021年1月17日記事)など)も主張していること」であり、異論は無いので、特にコメントすることはないですね。「高世が大嫌いな俺」としては、基本的に「高世への悪口雑言」しか高世記事にはコメントする気は無いです。
 (つづく)がないので今回で入管ネタは打ち止めのようです。


『日本のいちばん長い日』によせて3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(1月30日記事)
 タイトルから分かるように、今回は高世仁に突っ込む(2021年1/22日分) - bogus-simotukareのブログで紹介した『日本のいちばん長い日』によせて2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(1月22日記事)の続きです。

 去年1月、「終末時計」の残り時間は、過去最短の「1分40秒」とされ、今年もそれと並んだ。

 「はあ?」ですね。正直、こういうものは「客観的根拠があるものでは無く、極めて主観的」です。
 したがって「俺はそう思う」「いや私はそう思いません」で終わる話で「ある意味馬鹿馬鹿しい」ですが、「冷戦時代の核戦争の脅威」を「一応、リアルで知る人間(1970年代後半生まれ)」からすれば「え、どこが?」「お前はアホか?(横山ホットブラザーズ風に)」ですね。
 ちなみに世界終末時計 - Wikipediaによればこの時計は「ソ連の核開発成功(1949年)」によって「米ソ核戦争がありうる状態」になってからスタートしています。
 たとえば藤子Fの短編SFにカンビュセスの籤 - Wikipedia(初出:『別冊問題小説』(徳間書店)1977年1月号)というのがありますがこれは「核戦争で人類のほとんどが死に絶えた」という設定です。
 あるいは藤子FのSF短編にある日…… - Wikipedia(初出:『マンガ奇想天外』1982年5月号)というのがありますがこれは「ある日、突然、核戦争が発生した」という設定です。
 藤子Fがこうした作品を発表した1970~1980年代にはこうした作品がそれなりの説得力があった(藤子Fの他にも同様の作品は色々あります)。説得力を持つような「米ソ対立があった」。今そんなもんがどこにあるのか。もちろん温暖化問題や食糧問題などは深刻ですが、それにしたって「米ソ冷戦時代の核戦争の脅威」ほどではないでしょう。
 米国と「中国や北朝鮮、イラン」の対立なんてもんは「どうでもいいとはもちろんいいません」が米ソ冷戦ほどの脅威じゃ無いでしょう。

 会見には広島県の湯崎知事もビデオメッセージを寄せ、「核抑止力は人間が作った虚構であり、みなが信じるのをやめれば影響力は失われる。私たちはできるだけ多くの人を巻き込んで核兵器の廃絶に向けた力強い機運を作り出す必要がある」と述べて核廃絶への支持と行動を呼びかけた。

 呼びかけるのは湯崎氏の勝手ですが「あんたの所属政党の自民自体が核抑止論の立場で、核兵器禁止条約の批准もしないのに良く言うぜ(呆)」感はあります。とはいえ「自民所属の湯崎氏」ですらこう言わざるを得ない反核世論が広島にあるという意味では「悪いことでもない」ですが。

 1945年7月26日早朝6時、東京の海外放送受信局がサンフランシスコ放送を傍受し、日本に降伏を求める米英中三国共同宣言=ポツダム宣言が発表されたことがわかった。当時日本政府はソ連を仲介とする和平工作にとりかかっていたから、この宣言は寝耳に水だった。
(中略)
 8月8日深夜、待ちに待ったソ連からの回答が来たが、それは宣戦布告の通達で、ソ連軍はすでに国境を突破して攻撃を開始していた。万事窮した。
 8月9日、午前8時、東郷*1外相が鈴木首相の私邸を訪ね、二人は戦争終結を決意した。

 この辺りは高世仁に突っ込む(2021年1/22日分) - bogus-simotukareのブログで紹介した
沖縄映像祭 » 遅すぎた聖断 〜検証・沖縄戦への道〜

【書籍:刊行年順】
◆纐纈厚*2山田朗*3『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(1991年、昭和出版
◆纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社

が詳しいです。
 結局「国体(天皇制)護持がされなければ降伏したくない」という昭和天皇の保身から「ソ連を仲介とした和平工作」が「ソ連対日参戦(8/9)」で完全に挫折するまで、日本政府は降伏しようとはしませんでした。
 しかし「後でも触れますが」客観的に見て、日本に米軍爆撃機が頻繁に空襲に来るようになった「サイパン島陥落」時点(1944年7月)でもはや日本の敗戦は不可避でした。
 サイパン島陥落によって近衛文麿*4元首相(1945年2月には近衛上奏文を提出し早期降伏を主張)、鈴木貫太郎(戦前最後の首相)、米内光政*5元首相(元海軍大臣)らアンチ東条*6首相グループは公然と東条おろしを実行し、東条は首相を辞任に追い込まれ、後継首相には小磯國昭*7がつきますが、これは単に「東条を辞任させただけの話」ではありません。
 サイパン島陥落によって「もはや敗戦必至」との判断の下、「主戦派の東条が首相ではいつまで経っても和平工作が出来ない」との近衛や米内らの判断による「東条おろし」でした。
 だから小磯の首相就任にも「それなりの意味があった」。
 陸軍が「主戦派の中心」である以上、できれば「陸軍以外から首相」が「和平派」近衛らにとってはベストです。しかしそれは当時、政治的に無理だった。
 そこで、ポスト東条は、1)「陸軍から出さざるを得ない」が、2)「安倍の後釜が菅」のような東条の息がかかっていると見られる統制派の人間は不可、3)ただし226事件によって皇道派については昭和天皇が憎悪の念を持つので不可、ということで4)統制派でも皇道派でもない人間として、「米内内閣で拓務大臣を務め、米内がある程度その人物を知っていた」小磯(当時、朝鮮総督)が選ばれたわけです。
 つまり「政権交代(陸軍以外)がベストだが、それが無理にしてもせめて安倍(東条)の後釜は石破*8か岸田*9(つまり陸軍において東条と距離のある人物:その一例が小磯)にしたい。菅*10(東条に近い陸軍統制派)なんて論外だ」というようなことで小磯が首相になった。
 そして小磯の次はいよいよ「海軍の鈴木貫太郎*11」ということで陸軍以外から首相が出ます。鈴木は米内に近い「和平派」でもありますが、それにしても首相は「軍部出身」でした。「軍部以外」からの首相就任の可能性が無かった。
 問題は「1994年7月時点(サイパン島陥落時点)」で「敗戦必至」「主戦派の東条が首相ではいつまで経っても和平工作が出来ない」と近衛、鈴木、米内らが判断し、東条おろしに動いたにもかかわらず「その後、戦争が1年以上続いたこと」でしょう。もちろんそうなった最大の理由は「昭和天皇が降伏に否定的だったから」です。
 その間、「東京大空襲(1945年3月)」「沖縄戦(1945年6月)」「広島、長崎への原爆投下(1945年8月)」などで多くの人間が死にました。高世仁に突っ込む(2021年1/22日分) - bogus-simotukareのブログにも書きましたが「1944年7月時点で敗戦必至」にもかかわらず保身から降伏を遅らせ多くの人間を無意味に死なせた、にもかかわらず戦後、退位すらせず、それどころか「いわゆる沖縄メッセージ」「増原内奏事件」などでわかるように「戦後も主権者気取り」だった、しかも「いわゆる言葉の綾発言」で沖縄県民などを激怒させた昭和天皇には憤りと軽蔑の念を禁じ得ません。

 阿南*12陸相は徹底抗戦を強硬に主張した。

 阿南ら陸軍ばかりを非難する半藤*13『日本のいちばん長い日』や高世ですが、そもそも「昭和天皇自身が降伏に否定的だった」のであり、「一番の悪人」は昭和天皇です。

 一方、陸海軍統帥部では受諾反対の態度を決め、梅津*14参謀総長、豊田*15軍令部総長は受諾の危険なることを東郷外相より前に上奏している。少壮将校たちは烈しく軍首脳部を突き上げ、阿南陸相も受諾反対を首相に告げた。ただ、米内海相は受諾派だった。

 既に上にも書きましたが米内が「受諾派だった」のはある意味当然です。そもそもサイパン島陥落の時点で米内は「降伏不可避」との判断に達し、その判断から「東条おろし」に動いたからです。なお、まだ(つづく)そうです。

*1:東条、小磯内閣で外相。戦後、20年の禁固刑で服役中に病死。後に靖国に合祀

*2:山口大学名誉教授。著書『日本海軍の終戦工作:アジア太平洋戦争の再検証』(1996年、中公新書)、『検証・新ガイドライン安保体制』(1998年、インパクト出版会)、『日本陸軍の総力戦政策』(1999年、大学教育出版)、『侵略戦争:歴史事実と歴史認識』(1999年、ちくま新書)、『有事法制とは何か』(2002年、インパクト出版会)、『有事体制論』(2004年、インパクト出版会)、『文民統制自衛隊はどこへ行くのか』(2005年、岩波書店)、『戦争と平和政治学』(2005年、北樹出版)、『監視社会の未来:共謀罪・国民保護法と戦時動員体制』(2007年、小学館)、『憲兵政治:監視と恫喝の時代』(2008年、新日本出版社)、『私たちの戦争責任』(2009年、凱風社)、『「日本は支那をみくびりたり」:日中戦争とは何だったのか』(2009年、同時代社)、『田中義一:総力戦国家の先導者』(2009年、芙蓉書房出版)、『侵略戦争と総力戦』(2011年、社会評論社)、『領土問題と歴史認識:なぜ、日中韓は手をつなげないのか』(2012年、スペース伽耶)、『日本降伏:迷走する戦争指導の果てに』(2013年、日本評論社)、『日本はなぜ戦争をやめられなかったのか:中心軸なき国家の矛盾』(2013年、社会評論社)、『反「安倍式積極的平和主義」論』(2014年、凱風社)、『集団的自衛権容認の深層』(2015年、日本評論社)、『暴走する自衛隊』(2016年、ちくま新書)、『逆走する安倍政治』(2016年、日本評論社)、『権力者たちの罠:共謀罪自衛隊・安倍政権』(2017年、社会評論社)、『増補版・総力戦体制研究:日本陸軍国家総動員構想』(2018年、社会評論社)、『戦争と敗北:昭和軍拡史の真相』(2019年、新日本出版社)、『自衛隊加憲論とは何か:日米同盟の深化と文民統制の崩壊の果てに』(2019年、日本機関紙出版センター)、『日本政治史研究の諸相:総力戦・植民地・政軍関係』(2019年、明治大学出版会)、『崩れゆく文民統制』(2019年、緑風出版)、『戦争と弾圧:三・一五事件と特高課長・纐纈弥三の軌跡』(2020年、新日本出版社)、『重い扉の向こうに:歴史和解と戦前回帰の相克』(2020年、緑風出版)など

*3:明治大学教授。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社→2020年、ちくま学芸文庫)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)、『帝銀事件と日本の秘密戦』(2020年、新日本出版社)など

*4:貴族院議長、首相を歴任。戦後、戦犯指定を苦にして自殺

*5:戦前、林、第一次近衛、平沼内閣海軍大臣、首相、小磯、鈴木内閣海軍大臣を、戦後、東久邇宮、幣原内閣海軍大臣を歴任

*6:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相(一時は陸軍大臣参謀総長も兼務)など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*7:陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相など歴任。戦後終始県警で服役中に病死。後に靖国に合祀

*8:小泉内閣防衛庁長官福田内閣防衛相、麻生内閣農水相自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相など歴任

*9:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二、第三次安倍内閣外相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)など歴任

*10:第一次安倍内閣総務相、第二~四次安倍内閣官房長官を経て首相

*11:海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長侍従長、枢密院議長、首相など歴任

*12:陸軍省兵務局長、人事局長、陸軍次官、陸軍航空本部長、鈴木内閣陸軍大臣などを歴任

*13:著書『レイテ沖海戦』(2001年、PHP文庫)、『ノモンハンの夏』(2001年、文春文庫)、『ソ連満洲に侵攻した夏』(2002年、文春文庫)、『ルンガ沖夜戦』(2003年、PHP文庫)、『真珠湾の日』(2003年、文春文庫)、『聖断:昭和天皇鈴木貫太郎』(2006年、PHP文庫)、『日本のいちばん長い日 決定版』(2006年、文春文庫)、『それからの海舟』(2008年、ちくま文庫)、『日本国憲法の二〇〇日』(2008年、文春文庫)、『荷風さんの戦後』、『山県有朋』(2009年、ちくま文庫)、『昭和史1926-1945』、『昭和史戦後篇』(2009年、平凡社ライブラリー)、『15歳の東京大空襲』(2010年、ちくまプリマー新書)、『幕末史』(2012年、新潮文庫)、『安吾さんの太平洋戦争』(2013年、PHP文庫)、『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2014年、文春文庫)、『「昭和天皇実録」にみる開戦と終戦』(2015年、岩波ブックレット)、『戦う石橋湛山』(2019年、ちくま文庫)、『アメリカはいかに日本を占領したか:マッカーサーと日本人』(2019年、PHP文庫)、『B面昭和史 1926-1945』(2019年、平凡社ライブラリー) 、『歴史探偵 忘れ残りの記』(2021年、文春新書)など

*14:陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長など歴任。戦後、終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀

*15:連合艦隊参謀長、海軍省教育局長、軍務局長、艦政本部長、連合艦隊司令長官軍令部総長など歴任。著書『最後の帝国海軍:軍令部総長の証言』(中公文庫)