今日の産経ニュース(2020年1月4日分)

「逃亡、全否定できない」ゴーン被告弁護人、ブログで理解示す(1/2ページ) - 産経ニュース
 呆れて二の句が継げませんね。澤藤弁護士が澤藤統一郎の憲法日記 » ゴーン逃亡正当化の口実と、香港市民の逃亡犯条例反対の理由。両者は相似たるか、似て非なるか。でゴーンやゴーン弁護団を批判するようにあんな行為は全否定してしかるべきでしょう。
 「裁判がなかなか開始されないこと」などは逃亡を正当化する理由には全くなりません。
 そもそもこんなことを言えば「ゴーン弁護団はゴーンの逃亡意思を知りながら保釈請求したのではないか」「それどころか保釈後にゴーンの逃亡を助けたのではないか」と疑われても文句は言えません。果てはゴーン弁護団以外の弁護士が「保釈請求した場合」も「逃亡の下準備か」と誹謗されかねません。
 あるいは弘中惇一郎氏などゴーン弁護団メンバーが過去に無罪判決を勝ち取った事件(例えば村木氏の事件)についても「本当に無罪だったのか」と心ない悪罵をあびかねない。
 ゴーン弁護団には常識がなさ過ぎでしょう。迷惑極まりない存在としか言い様がない。


立民・枝野代表が伊勢参拝 昨年は党内外から批判が殺到 - 産経ニュース
 以前も枝野*1を批判しましたが
1)枝野は「伊勢神宮のある三重」「出雲大社のある島根」の選挙区ではない
2)「枝野の選挙区である埼玉」にも「枝野の活動場所・国会がある東京」にも神社がある
ことを考えれば「枝野の神社参拝を仮に認めるとしても」枝野が伊勢神宮出雲大社に行く必要はどこにもありません。
 仮に枝野がどうしても神社を参拝したい*2のだとしても、埼玉や東京の神社に行けば宜しい。金と時間をかけて三重や島根に行く必要はどこにも無い。
 さすがに「東京の神社」でも、A級戦犯合祀の靖国神社千代田区九段北)や、明治天皇を祀る明治神宮(渋谷区代々木神園町)、東郷平八郎*3を祀る東郷神社(渋谷区神宮前)、乃木希典*4を祀る乃木神社(港区赤坂)は避ける*5べきでしょうが*6
 例えば、「日韓友好の思い」を示すためとして「高麗神社(埼玉県日高市)へ行く」というのも一つの案として考えられるでしょう。
 枝野の行為はおそらく「保守支持層への媚び」なのでしょうがこんなことを喜ぶ連中は安倍自民支持がほとんどでしょう。こんなことで立民支持に切り替えるわけがない。
 一方で「安倍に批判的な左派、あるいはリベラル保守」はこうした行為について「政教分離原則上問題だ」と批判的なわけです。こんなことをしても立民支持が増えるとは思えず減る可能性もあるし、社民、共産との間に溝を生み、野党共闘に障害をもたらす危険性もある。
 枝野の馬鹿さには心底呆れます。こうした枝野の馬鹿さが「枝野だって伊勢神宮、出雲神社に行ってるし、安倍が行っても問題など無い」と言う形で安倍を利してることがわからないらしい枝野と「枝野の愚挙を容認する立民の議員連中」に心底怒りを禁じ得ません。


【昭和天皇の87年】捨て身のレイテ決戦 戦艦大和の出現に米軍はパニックとなったが… - 産経ニュース

 昭和天皇が「皇国の興廃がかかる重大な一戦」とまで言い切るのは異例だ。この決戦にかける期待の大きさがうかがえよう。
 それより前、絶対国防圏の本丸だったサイパンが陥落し、勝利の見通しを失った大本営は、米軍の来攻が予想されるフィリピンに陸海空の戦力を集中し、大打撃を与える決戦構想を立案した。成功すれば、さらなる犠牲を避けようとする米軍との間に、講和の道が開けるかもしれない。いわゆる「一撃講和」である(※2)。
(※2)昭和天皇は戦後、側近らに「一度レイテで叩いて、米がひるんだならば、妥協の余地を発見出来るのではないかと思ひ、レイテ決戦に賛成した」と語っている。

 産経も書くように「捨て身のレイテ決戦(レイテ沖海戦)」とは要するに「一撃和平論(一撃講和論)」「一撃降伏論」です。ミッドウェー海戦敗戦後の「ガダルカナルの戦い敗北」「サイパン陥落」など度重なる敗北でもはや昭和天皇とその側近たち(木戸*7内大臣など)は「主戦派・東条英機*8など」一部を除いて「巻き返しての勝利」など既に諦めてます。
 「可能な限りよい条件で降伏すること」「国体(天皇制)を護持して降伏すること」「そのためには負け戦ばかりではいけない、一回大きく勝たないといけない」が目的に変わっている。
 だから前回記事【昭和天皇の87年】「黙れ兵隊!」 東条内閣にとどめを刺した岸信介の気骨 - 産経ニュースで産経も触れましたが「和平工作の邪魔に東条がなる」と言う理解から「米内光政*9が入閣拒否」「岸信介*10が辞任拒否」で東条の内閣改造を妨害し東条内閣を打倒し、小磯*11内閣が誕生したわけです(なお、前回記事については今日の産経ニュース(2019年12月28日分) - bogus-simotukareのブログでコメントしました)
 もちろん後世の我々は「レイテでもその他どこでも一撃など無く、ソ連軍参戦で無条件降伏に追い込まれたこと」「昭和天皇が一撃和平論にこだわったことが死者数を増やしたこと」を既に知っています。今日は「レイテ沖海戦のイントロ」であり、どのように日本が敗北したかについての詳しい記事は明日の産経になるようです。


【昭和天皇の87年】戦艦大和が謎の反転 「特攻第一号」も報われなかった - 産経ニュース

 25日午後1時10分、レイテ湾口にあと80キロまで迫った戦艦大和座乗の第二艦隊司令長官、栗田健男は各艦に反転を指示し、敵の輸送船団を目前にしながら引き返してしまった。米空母隊が出現したとの誤情報に惑わされたとか、栗田に積極性が欠けていたとか、さまざまに言われるが、真相は今も不明だ。連合艦隊司令部は栗田艦隊に、「レイテに突入せよ」と繰り返し命じていた。突入を支援するため、空母主体のおとり部隊(小沢艦隊)が敵艦隊の主力を引きつけ、旧式戦艦でつくる別動隊(西村艦隊)が敵の水雷戦隊や駆逐艦隊と果敢に砲戦を挑み、いずれも壊滅に近い損害を受けたが、そうした全ての犠牲、あらゆる努力が水泡に帰したといえよう。

 「栗田艦隊が反転したからレイテ沖海戦で負けた」は良く言われる説ですが、二つの意味で間違った考えでしょう。
 第一に「反転しなかったら勝てた」「栗田の判断が間違っていた」と断言できる根拠は何もありません。
 この産経記事ですら注記で

(※1) 栗田艦隊が突入しても、米軍に与える損害は少なく、逆に全滅させられたとする見方もある

と注記で書いています。第二にこの時点で日本の敗戦は既に確定していました。レイテ沖海戦で勝利したところでそれは「これから巻き返して米国に勝つ」と言う勝利ではない。「一撃和平論」の「一撃」にすぎません。「一撃をネタにした和平交渉」が必要であり、その交渉に失敗したあげく、米国が軍事的圧力を強めて、戦争を継続し、「レイテ沖海戦後の戦争で米軍が大勝すれば」無に帰してしまう程度の勝利に過ぎません。

 神風特別攻撃隊が組織され、米空母セント・ローを撃沈する初戦果を挙げたのもこの海戦だ。翌26日、軍令部総長が「特攻第一号」を報告した際、昭和天皇は愕然とし、「そのようにまでせねばならなかったか、しかしよくやった」と話したという(※2)。

 「そのようにしなければならなかったのか」とエクスキューズは付けながらも「しかし良くやった」と結局は褒めた事で「天皇の承認、お墨付き」を得て特攻という人命無視の無謀な作戦はその後も実行されます。
 なお、「戦果」云々と書く産経ですが、もちろん「戦果*12などあってもこんな人命無視の外道な作戦は許されるものではない」。
 しかし特攻については産経が触れた「セントロー撃沈」など一部例外を除けば、ほとんど戦果など無かったと言うのが通説です。
 特攻開始直後は、飛行機がそのまま突っ込んでくると言う予想もしなかった攻撃に困惑し、すぐには適切な対応がとれず、被害を受けた米軍も次第に「特攻への十分な対応」をするようになり戦果など挙がらなくなっていきます。特攻が進めば進むほど当然ながら「優秀なパイロットがどんどん死んでいき、未熟なパイロットが増えていくこと」も戦果が挙がらなくなる理由でした。

 そもそも海軍は、決戦前から大失態を演じていた。レイテに向かう米艦隊が台湾沖に現れた10月12~16日、迎撃した海軍基地航空兵力の戦果を過大に集計し、「敵機動部隊の過半の兵力を撃滅して之を潰走(かいそう)せしめたり」「敵航空母艦十一隻撃沈、戦艦二隻撃沈、巡洋艦三隻撃沈…」などと大々的に発表してしまったのだ。実際には1隻の撃沈もなく、あとで“幻の大戦果”と分かるが、今さら取り消すこともできず、陸軍にも事実を隠した。このため陸軍は、レイテ島に上陸した米軍部隊を過小評価し、ルソン島を固めていた第14方面軍のレイテ投入を決断。制空権がない中で大苦戦を強いられ、甚大な被害を出すこととなる(※3)。
(※3) 第14方面軍司令官の山下奉文*13は部隊のレイテ投入に反対したが、海軍発表の“幻の大戦果”を信じる(ボーガス注:山下の上官・)南方軍総司令官の寺内寿一*14は山下の意見具申に耳を貸さなかった。実戦では山下の予想通り、輸送船などが次々と敵機に撃破されてしまい、第14軍は戦わずして戦力を消耗。ルソンの防衛体制も破綻することとなった

 「貧すれば鈍する」といったところでしょうか。「一撃和平」を望む心(一撃が早くあってほしい)が「台湾沖海戦幻の大勝利(幻の一撃)」を生み出してしまい、その幻の大勝利を前提に作戦を立てたが故に日本軍は「米軍を過小評価」し、レイテ沖海戦、レイテ島地上戦での敗北を被ることになります。
 とはいえ、台湾沖海戦の戦果を適切に評価したところでレイテ沖海戦、レイテ島地上戦での敗北は不可避だったでしょうが。そもそも国力が違いますし、ミッドウェー海戦敗北以降、日本は敗戦の一途だったからです。

 その頃、欧州でも敗色が濃厚となっていた。
 ドイツも敗走を重ねた。1944(昭和19)年6月、米英など連合国軍32万5000人がドーバー海峡を越え、フランス北西部のノルマンディーに上陸。8月にパリを解放する。東部戦線では総兵力170万人のソ連軍が史上最大の反撃戦「バグラチオン」を発動。ドイツ中央軍集団を撃破し独ソ戦開始時の国境線まで戦線を押し戻した。
 対するドイツは12月、「ヒトラー最後の賭け」といわれるバルジの戦いで西部戦線の連合国軍に打撃を与えたが、反撃されて翌年1月に撤退した。
 昭和天皇は、ドイツの敗北が近いことを予期していたようだ。レイテ沖海戦の1カ月前、昭和19年9月26日に内大臣を呼び、「ドイツ屈服等の機会に名誉を維持し、武装解除又は戦争責任者問題を排除して和平を実現できざるや、領土は如何でもよい旨」を語ったと、昭和天皇実録に記されている(32巻158頁)。

 昭和天皇も日本の敗北を自覚し「和平交渉」を考えるようになりますが、それは「一撃和平論」を前提とした条件付き降伏だったことが産経の引用する昭和天皇実録で分かります。
 昭和天皇は「昭和19年9月26日」に木戸内大臣に対し「海外領土(台湾、韓国、南樺太南洋諸島など)を維持することは諦める」「第一次大戦での敗戦国ドイツが海外領土を全て失ったように日本がが意外領土を全て失っても仕方が無い」と発言します。
 しかし一方で「武装解除と戦犯裁判は避けたい」とも木戸に言います。
 戦犯裁判を避けたいとは「木戸内大臣ら腹心が裁かれるのは避けたい」と言う意味も勿論ありますが、最大の目的は「昭和天皇自身が訴追されるのを避けたい」と言う話です。武装解除を避けたいというのも当然ながら「武装解除することによって全面降伏したら自分の身の安全が図れない」と言う話です。
 明らかに昭和天皇は「自らの身の安全が図れなければ降伏しない。国民が何人死のうがそれは譲れない」と言う立場に立っていました。「終戦の聖断」など嘘っぱちであることがよく分かります。
 昭和天皇は「武装解除と戦犯裁判は最後の最後まで避けたがっていた」がソ連参戦で「もはや打つ手なし」「徹底抗戦しても事態が悪くなるだけ」「武装解除はもはや仕方が無い。戦犯訴追問題については降伏後、巻き返そう(最悪でも昭和天皇の訴追だけは避ける)」と認識したが故に降伏したに過ぎません。
 そして「天皇訴追を避ける」と言う意味では天皇は「巻き返した」わけですが、さすがに「誰一人訴追しない」というわけにはいかなかった。
 その結果、東京裁判が開かれますが、そこで起訴された人間は

荒木貞夫*15
  犬養、斎藤内閣陸軍大臣
梅津美治郎*16
  関東軍司令官、参謀総長
板垣征四郎*17
  関東軍高級参謀として満州事変を実行。 関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣
木村兵太郎*18
  太平洋戦争開戦当時の陸軍次官
・小磯國昭*19
  平沼、米内内閣拓務大臣、首相
佐藤賢了*20
  陸軍省軍務局長
土肥原賢二*21
  奉天特務機関長
東條英機*22
  太平洋戦争開戦当時の首相。第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣
・畑俊六*23
  阿部、米内内閣陸軍大臣
松井石根*24
  南京事件当時の現地軍司令官(中支那方面軍司令官)
・南次郎*25
  第二次若槻内閣陸軍大臣関東軍司令官
武藤章*26
  太平洋戦争開戦当時の陸軍省軍務局長

と陸軍軍人がほとんどでした。日米合作の「昭和天皇は悪くない」「もっぱら悪いのは陸軍だ(陸軍に比べれば海軍や他の官庁は悪くない)」というシナリオの元、もっぱら陸軍に責任転嫁がされたわけです。
 この結果、その経歴を考えれば訴追されてもおかしくない

・及川古志郎
  第二次、第三次近衛内閣海軍大臣軍令部総長を歴任
・米内光政:
  林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣や首相を歴任

と言った人間は訴追されないわけです。

【参考・引用文献】
山田朗*27著「昭和天皇と軍事情報」(駿台史学会発行「駿台史学」127号収録)

 参考資料の一つに山田論文を挙げてることが興味深いですね。もちろん産経は山田氏の「昭和天皇はお飾りではなく、実質的権限を有した軍最高司令官(大元帥)であり戦争責任があった」と言う主張は支持しないわけですが。


【安倍政権考】安倍首相4選論の行方 改憲、「私の手で」発言で憶測 - 産経ニュース
 三選でもうんざりなので四選など勘弁してほしいですがそれはさておき。
 「安倍四選を希望する産経」が「その気運を盛り上げようとするだけの駄記事」です。特定の政治家を露骨に応援するとはいつもながら産経は「日刊・安倍晋三」ですね。


【産経抄】1月4日 - 産経ニュース

 朝日新聞は社説で、いつもの安倍晋三政権批判を繰り返していた。
(中略)
 毎日新聞も似たようなものだった。
 「野党の異論に耳を傾けないどころか、敵視する姿勢さえ際立つ。それで強固な支持基盤を獲得する手法は、ポピュリズムの潮流に沿う」。
 はて、際立つという表現は、普通はよい意味で用いる言葉であるはずだが。

 ふきだしました。ここで「安倍政権は不当な野党敵視などしていない」というならともかく「際立つとは、『よいことに対してしか使わない』のです。毎日新聞の用法は誤用です」てそんな揚げ足取りをして何か楽しいのか?
 皮肉のつもりかもしれませんが「安倍政権を正面から擁護できないのか?」「『江沢民死去』『ミンダナオ島日本兵発見』など、産経のデマ記事に比べたらこんな誤用、たいした問題じゃない」と呆れられるだけです。
 まあ誤用なのかもしれませんが「言葉は時代で変化」します。定着した誤用はもはや誤用とは言い切れない。
 例えば有名な話ですが「一生懸命」「独壇場(どくだんじょう)」というのは「一所懸命」「独擅場(どくせんじょう)」の誤用というのが通説です。
 また「鳴かず飛ばず(中国の故事が由来)」ももともとは「うだつが上がらない」という意味ではなく「能ある鷹は爪を隠す」と言う全く逆の意味、つまり「本当に能力のある人間は軽挙妄動しない」と言う意味でした。つまり「うだつが上がらない」は明らかな誤用です。
 しかし今や誤用の方が定着した以上「一生懸命」「独壇場」と言う言葉は普通に使われるし、「鳴かず飛ばず」も「うだつが上がらない」と言う否定的意味でもっぱら使われるわけです。

▼作家でジャーナリストの門田隆将さん*28は、僚紙夕刊フジへの新春特別寄稿で、今年はマスコミの崩壊が現実化すると予測した。
メディアリテラシーに基づいて真実を知るネット世代に、オールドメディアは全く対応できない」。

 「ネット世論は安倍政権を支持してる」といういつもの与太ですが、勿論そんな事実はありません。「安倍を支持するネトウヨもいる」つうだけの話です。
 そもそも「門田の言うオールドメディア(新聞、テレビ、ラジオ)もネットで情報配信してる」のに何を馬鹿なことを言ってるのか。
 そしてデマ記事常習の産経が良くも「メディアリテラシー」なんて言えたもんです。

*1:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)などを経て立憲民主党代表

*2:もちろん「政教分離上、政治家はいかなる神社に行くことも適切ではない」と言う考えもありえますが。いずれにせよ伊勢神宮出雲大社は論外でしょう。

*3:佐世保鎮守府司令長官、舞鶴鎮守府司令長官、連合艦隊司令長官、海軍軍令部長東宮御学問所総裁など歴任

*4:第2師団長、台湾総督、第11師団長、第3軍司令官、学習院長など歴任

*5:さすがに枝野もこれらを参拝するほどのバカではなさそうですが。

*6:靖国明治神宮東郷神社乃木神社は一番わかりやすい例ですが日本の神社は「戦前軍国主義と密接なつながりがあり未だに十分払拭されてないこと」について枝野は無神経すぎでしょう。もっと無神経なのは勿論安倍ですが。

*7:第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*8:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍航空総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。

*9:戦前、林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相を歴任。戦後、東久邇宮、幣原内閣で海軍大臣

*10:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*11:陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼内閣、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督を経て首相。戦後、終身刑判決を受け服役中に病死。後に靖国に合祀

*12:そもそももはや日本の敗勢は覆せる物ではなく戦果を上げたところでせいぜい「一撃和平論」にしかならないのですが。

*13:226事件当時、陸軍省軍事調査部長。青年将校と同じ皇道派だったため、東条英機武藤章ら統制派が陸軍の実権を握った事件後は、歩兵第40旅団長に左遷される。その後、支那駐屯混成旅団長、北支那方面軍参謀長、第4師団長(満州)、第25軍司令官(マレーシア)、第1方面軍司令官(満州)、第14方面軍司令官(フィリピン)など歴任。戦後、死刑判決

*14:朝鮮軍参謀長、台湾軍司令官、広田内閣陸軍大臣、陸軍教育総監、北支那方面軍司令官、南方軍総司令官など歴任

*15:犬養、斎藤内閣陸軍大臣、第一次近衛、平沼内閣文相など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*16:支那駐屯軍司令官、陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長など歴任。戦後終身刑判決を受けて服役中に病死。後に靖国に合祀

*17:関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*18:関東軍参謀長、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*19:陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、平沼、米内内閣拓務大臣、朝鮮総督、首相など歴任。戦後終身刑判決を受けて服役中に病死。後に靖国に合祀

*20:支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、支那派遣軍総参謀副長など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*21:奉天特務機関長、陸軍航空総監、第7方面軍(シンガポール)司令官、陸軍教育総監など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*22:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍教育総監、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*23:陸軍教育総監、中支那派遣軍司令官、侍従武官長、阿部、米内内閣陸軍大臣支那派遣軍総司令官など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*24:台湾軍司令官、上海派遣軍司令官、中支那方面軍司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*25: 参謀次長。朝鮮軍司令官、第二次若槻内閣陸軍大臣関東軍司令官、朝鮮総督など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*26:支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*27:明治大学教授。著書『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版)、『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社)、『軍備拡張の近代史:日本軍の膨張と崩壊』(1997年、吉川弘文館)、『歴史修正主義の克服』(2001年、高文研)、『護憲派のための軍事入門』(2005年、花伝社)、『世界史の中の日露戦争』(2009年、吉川弘文館)、『これだけは知っておきたい日露戦争の真実:日本陸海軍の〈成功〉と〈失敗〉』(2010年、高文研)、『日本は過去とどう向き合ってきたか』(2013年、高文研)、『近代日本軍事力の研究』(2015年、校倉書房)、『兵士たちの戦場』(2015年、岩波書店)、『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店)、『日本の戦争:歴史認識と戦争責任』(2017年、新日本出版社)、『日本の戦争Ⅱ:暴走の本質』(2018年、新日本出版社)、『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社)など

*28:著書『裁判官が日本を滅ぼす』(2005年、新潮文庫)、『甲子園への遺言:伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯』(2008年、講談社文庫)、『なぜ君は絶望と闘えたのか:本村洋の3300日』(2010年、新潮文庫)、『尾根のかなたに:父と息子の日航機墜落事故』(2012年、小学館文庫)、『この命、義に捧ぐ:台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(2013年、角川文庫)、『蒼海に消ゆ:祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(2015年、角川文庫)、『死の淵を見た男 吉田昌郎福島第一原発』(2016年、角川文庫)、『記者たちは海に向かった 津波放射能福島民友新聞』(2017年、角川文庫)、『新聞という病』(2019年、産経新聞出版)など