日本版ニューズウイーク曰く「毛沢東は国民党軍情報を日本軍に流していたんだよ!」「な、何だって!」(追記あり)

 「日本版ニューズウィーク、中国」でググって見つけたトンデモ記事です。
 「どこのキバヤシだよ」と言いたくなるすさまじさ。日本版ニューズウィークのトンデモなさはもはや本家・アメリカ版の顔を潰してると言うべきでしょう。「金になりさえすればいい」と言う判断かも知れませんがアメリカ側も良く日本版の暴挙を容認できるもんです。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/11/post-4062_3.php
日中韓首脳会談――中国こそ「歴史直視」を(遠藤誉:東京福祉大学国際交流センター長)
 毛沢東はやがて国民党軍の蒋介石をやっつけて天下を取るために、兵力を温存*1していた。
 最も有利だったのは、国共合作により、国民党軍の軍事情報をすべて知ることができる*2という立場にいたことだ。
 毛沢東はスパイを派遣して、日本軍や日本の外務省の出先機関と秘密裏に接触させ、知り得た国民党軍の軍事情報を、日本側に高額で売っていた*3のである。
 これ以上の詳細を書くと、出版社に叱られる*4ので、詳細は『毛沢東:日本軍と共謀した男』*5に譲る。
 しかし、こうして誕生した共産党政権のどこに、日本に向かって「歴史を直視せよ」という資格*6があるのだろうか?

 てっきり「中国の歴史直視?。ああ、産経みたいに文革だの天安門事件だの言うのか」と思ったらこれです。予想もしてなかったので「笑ってはいけない(中国に対し失礼なデマだから)」と思いながらも大笑いしました。そのうちこのトンデモ本が産経辺りで紹介されるんでしょうか。
 小生も中国史のプロフェショナルじゃない、ド素人ですけどこれはどう見てもデマでしょう。
■『皇軍に感謝した毛沢東?』
http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/moutakutou.html
■『盧溝橋事件 中国共産党陰謀説』
http://yu77799.g1.xrea.com/rokoukyou/inbou1.html
■『第二次上海事変・張治中*7将軍=共産党スパイ説』
http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/choujichuu.html
などを遙かに超えるデマですね。つうかこんなデマ今まで見たことないですけど(苦笑)。
 荒木和博や島田洋一櫻井よしこといった「いつもの顔ぶれ」がかわいく見えるほどのすさまじいデマですな。
 俺の知る限り、産経ではこの遠藤さんの名前を見たことないですけどウヨ世界では著名なんでしょうか?。遠藤さんの勤務先・東京福祉大学てのは名前だけ聞くと「福祉系」ですが拓殖のような右翼系なんでしょうか。
 なお、ググったところ、遠藤さんは『1975年、東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得、1982年7月、東京都立大学理学博士取得、「モデル流動相における速度自己相関関数の分解の密度依存性」*8』ということで「もともとは理系の方」なのですがどういういきさつか知りませんが最近は

『中国がシリコンバレーとつながるとき』(2001年、日経BP社)
『中国の自動車産業がニッポンを追い抜く日』(2004年、中経出版
『中国動漫*9新人類』(2008年、日経BP社)
『拝金社会主義・中国』(2010年、ちくま新書
『ネット大国中国:言論をめぐる攻防』(2011年、岩波書店
『チャイナ・ギャップ:噛み合わない日中の歯車』(2013年、朝日新聞出版)
『チャイナ・セブン:紅い皇帝・習近平』(2014年、朝日新聞出版)
『中国人が選んだワースト中国人番付:やはり紅い中国は腐敗で滅ぶ』(2014年、小学館新書)

など何故か「理系に必ずしも関係ない」中国関係著書が多いようです(つうかググっても、遠藤さんの理系関係の本が見つかりません。失礼ながら「大して能力のない方」なんでしょうか)。しかし「過去の中国関係著書」はともかく今回は明らかにトンデモですよねえ。安倍政権の誕生で遠藤さんのたがが外れちゃったんでしょうか。アマゾンで見ることができるこの『毛沢東:日本軍と共謀した男』(2015年、新潮新書)の帯もすごくて

中国研究の第一人者が描いた「建国の父」の真実

だそうです。本職は「理系」で、中国史研究の指導を大学で受けたわけでもない人間*10が「中国研究の第一人者」を名乗るってのは「中国史研究を本業にしてる人間(大学教授の中国史家、中国専門のジャーナリストなど)」に対して失礼にも程があるでしょう。
 あげくデマですから。何様のつもりなのか。
 ウィキペ「遠藤誉」によれば

 1997年1月、山崎豊子の『大地の子*11が幼児時代に中国から日本へ帰国した遠藤が自分の体験について書いた自著『卡子』(1984年、読売新聞社→1990年、文春文庫)の盗作であるとして提訴。自論を主張する『卡子の検証』(1997年、明石書店)まで上梓したが敗訴。

だそうですから、遠藤さんはもともと変な人だったのかも知れません。変な人に絡まれた山崎氏もいい迷惑でしょう(まあ勝訴したことは幸いでしたが)。
 なお、もちろん遠藤さんが「毛沢東」なんて本を書かずとも毛沢東関係の本が既にたくさんあることは、「毛沢東、アマゾン」「毛沢東研究、著書」「毛沢東、評伝」などでググる

・金冲及*12編著『毛沢東伝(1893〜1949)〈上〉*13』(1999年、みすず書房
・ジョナサン・スペンス*14毛沢東』(2002年、岩波書店
・竹内実*15毛沢東』(2005年、岩波新書)
中屋敷宏『初期毛沢東研究』(1998年、蒼蒼社)
・フィリップ・ショート*16毛沢東・ある人生(上)(下)』(2010年、白水社
矢吹晋*17毛沢東周恩来』(1991年、講談社現代新書)

などといろいろヒットすることでよく分かります(どれも読んだことがありませんし、中国史の素人ですのでこれらの著作への評価はしませんが)。探せば他にも色々とあるでしょう。
 今さら遠藤氏が本を書く必要はどこにもないし、内容がデマでは話になりません。

【追記その1】
 この遠藤の駄本に対する批判としては
■誰かの妄想・はてな版『新潮と池田信夫が絶賛ステマ中の遠藤誉『毛沢東 日本軍と共謀した男』に関する件』
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20151120/1447952850
を紹介しておきます。

【追記その2】
 遠藤本についての「まともなアマゾンレビュー」を紹介しておきます。

老いて駑馬(ノロ馬)に等しい著者
投稿者)アジアのバカ大将:2015年11月22日
 「私は日本軍に感謝している」=毛沢東
 日中関係に興味を持って少し書物を読み漁ったことのある人間には、お馴染みすぎる言葉です。毛沢東の言葉には続きがあります。
「おかげで、中国人民は団結して立ち向かい、中国共産党は権力を奪取できました」。
 本当にいいたいのは、この部分「日本軍に立ち向かった中国人民の団結、(それをリードした)共産党の権力奪取」であり、前半は修辞による「つかみ」にすぎません。
 毛沢東はしばしば、この種の「つかみ」を文章で使いました。
 有名なものでは、「現在の中国は、貧窮し文化水準も白紙に近い。これはすばらしいことだ」(一窮二白)があります。
 何とトンデモナイことをいうんだと、注意を引いておいて「貧しければ金持ちになろうとし、白紙にはどんな美しい文字も絵画も描けます(これから中国を経済的にも文化的にも豊かにしましょう)」と、本来の主張へ落とし込むのです。この場合も、言いたいことは明らかに後半で、「貧乏で文化的に遅れたままでいることは素晴らしい」と思っていないのは明白です。同じように、日本軍に感謝などしていません。
 中国に詳しい遠藤氏がこの有名な毛沢東得意の修辞を知らないはずがありません。多分、最近嫌中物の売れ行きがよいので、うらやましくなって馬鹿げたことを書いたのでしょう。それにしても、事実に基づいた内容の本を書き続けてきた*18、これまでの経歴を汚すような、トンデモ記述ばかりです。
 たとえば「秘密を知っていた饒漱石、潘漢年、揚帆、袁殊らが、建国直後に投獄された」。
 そもそも彼らが投獄されたのは(ボーガス注:1949年の建国直後どころか大分時間の経った)1955年です。容疑は、ソ連と図って東北(旧満州)を半独立させようとしたとみなされた*19のは有名。この「高崗*20・饒漱石事件」は、中国現代史上の大きな事件です。
 トンデモさんの定番「張作霖暗殺犯=コミンテルン説」が「根強い」に到っては、脱力するだけです。張作霖暗殺が日本軍河本*21大佐らの仕業であることは、本人の自白・談話、実行者の証言、事件直後に現場に来た日本外交官*22らの証言など、鉄板の証拠*23が山のようにあります。日本の歴史家で信じている人はいません。
 「麒麟も老いれば駑馬に等し*24」とは中国の金言です。遠藤氏の惨状は単なる老いでしょうか。あるいは(ボーガス注:トンデモ本を書いてでも金を稼がないといけない)何か家庭の事情もあるのかもしれません。惜しい話です。

*1:まあ、こんなのはお互い様で「国民党軍も温存していた」んですけどね。もちろん国民党軍も共産党軍も日本軍と戦闘してないわけではないですが。

*2:そんなわけないでしょう。そうそう簡単に国民党軍情報が共産党側に自由自在に手に入るとも思えません。さすがに蒋介石も「毛沢東が日本軍に国民党軍情報を売る」とは思ってないでしょうが「あくまでも一時的共闘」に過ぎず、対日戦終了後は「打倒共産党」が予定されてたわけですから「重要機密は厳重に保護していた」でしょう。もちろんこうした機密保持は共産党側も同じ事です。「お互い、機密情報を入手するためにスパイを相手側に送り込み、スパイ戦を繰り広げてた」という話もあるようですが当然ながらそれは国共合作と関係ありません。

*3:まあ遠藤本を読まないと何とも言えませんが、一番ありそうなことは「中国共産党内部に残念ながらいた日本軍スパイを勝手に毛沢東の手先認定している」といったところでしょうか?

*4:いやいや、本の内容を全部書けとはもちろん言いませんので少しぐらいは具体的根拠をこの雑文に書くべきでしょう。これでは説得力皆無です。普通の人間は「自分の主張が通説ではない異端の説の場合」、「本の売り上げに響かない範囲」である程度具体的なことをこういう場合書きます。その方が「興味が持たれたり信頼性を持たれたりして」本の売り上げにも好影響でしょう。

*5:2015年、新潮新書

*6:百歩譲って遠藤説が事実だとしても(まあ、デマでしょうが)そんな事を持ち出せば日本の中国侵略がチャラにできるとでも彼女は思ってるんでしょうか。話にならないですね。

*7:蒋介石政権時代、湖南省政府主席、国民党軍事委員会政治部長三民主義青年団書記長兼務)、新疆省政府主席など歴任。国共内戦では中国共産党に降伏し、その後は全国人民代表大会常務委員会副委員長、国防委員会副主席、中国人民政治協商会議全国委員会常務委員、中国国民党革命委員会(民革)中央副主席などを歴任。

*8:ウィキペ『遠藤誉』参照

*9:中国語でアニメのこと

*10:大体、「1941年生まれ」の遠藤氏が中国本(幼児時代に中国から日本へ帰国した遠藤氏の自伝『卡子』を除く)を書くようになったのはウィキペ「遠藤誉」によれば『中国大学総覧』(1991年、第一法規)が一番最初です。それで何が「中国研究の第一人者」なんでしょうか。『卡子』を中国本にカウントしたって『卡子』が出版されたのは1984年です。1984年以前には中国研究がなかったとでも言う気なんでしょうか。

*11:中国残留孤児・陸一心(りくいっしん)の波乱万丈の半生を描いた物語。1987年5月号から1991年4月号まで文藝春秋社の月刊誌『文藝春秋』に連載され、1991年に同社から単行本が全3巻で刊行、1994年に文春文庫版が全4巻で刊行された(ちなみに山崎の作品の中、文春で文庫版を刊行したのは西山事件をモデルにした『運命の人』(『文藝春秋』にて2005年1月号から2009年2月号まで連載)と本作だけであり、他の作品は全て新潮文庫(新潮社)で刊行されている)。この作品を書くために、山崎は1984年から胡耀邦総書記に3回面会し、取材許可を取り、当時外国人に開放されていない農村地区をまわり300人以上の戦争孤児から取材したという(山崎は「残留」という言葉があたかも孤児達が自分の意思で中国に残ったかのような印象を与えるとの理由から、残留孤児という呼称を使わなかった)。後にNHKの放送70周年記念番組として日中の共同制作によりドラマ化され、1995年11月11日から12月23日まで土曜ドラマ枠にて放送された(以上、ウィキペディア大地の子」参照)

*12:著書『周恩来伝:1898〜1949 (上)(中)(下)』(1992〜1993年、阿吽社)、 『周恩来伝:1949〜1976(上)(下)』(2000年、岩波書店

*13:理由が何かは知りませんが、残念ながら下は未邦訳のようです

*14:著書『マッテオ・リッチ:記憶の宮殿』(1995年、平凡社)、『神の子・洪秀全:その太平天国の建設と滅亡』(2011年、慶應義塾大学出版会)

*15:京都大学名誉教授。著書『中国・歴史の旅』(1998年、朝日選書)、 『中国の思想:伝統と現代』(1999年、NHKブックス)、『北京:世界の都市の物語』(1999年、文春文庫)、『中国という世界:人・風土・近代』(2009年、岩波新書)など

*16:著書『ポル・ポト:ある悪夢の歴史』(2008年、白水社

*17:横浜市立大学名誉教授。著書『文化大革命』(1989年、講談社現代新書)、『トウ小平』(1993年、 講談社現代新書)、『中国人民解放軍』(1996年、講談社選書メチエ)、『中国の権力システム:ポスト江沢民のパワーゲーム』(2000年、平凡社新書)、『「朱鎔基」中国市場経済の行方』(2000年、小学館文庫)など

*18:え、そうなの?。昔からトンデモかと思ってました。

*19:ただし小生の理解ではソ連との通謀は「事実か」「事実でないとして明らかなでっち上げなのか、はたまた毛沢東側の疑心暗鬼によるもの(主観的には真実)なのか」は不明です。

*20:中国東北地方で活動し、党中央東北局第一書記、東北人民政府主席、東北軍区司令員(司令官)兼政治委員を務め、東北地方の党・政・軍を一手に掌握した。1948年には中華人民共和国の建国に先駆けて、「ソ連・東北人民政府貿易協定」を結ぶなど、独自の地方運営を行い、スターリン率いるソ連との関係を深めた。1949年に中華人民共和国が建国されると、高崗は中央人民政府副主席に任命された。さらに東北行政委員会主席を兼任し、引き続き東北地方を掌握した。1951年10月、中央人民政府人民革命軍事委員会副主席を兼任。翌年、これまで活動の拠点としていた東北地方から北京に移り、新設された中央人民政府国家計画委員会の主席に就任。しかし1953年、党内抗争が発生。高崗が劉少奇国家主席周恩来首相に反対し、自らそれに取って代わろうとして、様々な陰謀を仕掛けたというのである。高崗が劉や周から奪権を謀ったのか、真偽は不明だが、1954年2月、第7期4中全会が開かれた。この会議で高崗と高の側近・饒漱石は、朱徳人民解放軍総司令官、国家副主席、全国人民代表大会常務委員会委員長など歴任)・周恩来トウ小平(副首相、党副主席、人民解放軍総参謀長、国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席など歴任)・陳雲(副首相、党副主席など歴任)らによって「反党分裂活動を起こした」と厳しく批判され、失脚に追い込まれた。高崗は第7期4中全会の最中に自殺未遂を起こし一命を取り留めたが、結局1954年8月に服毒自殺した。そして翌年3月、党全国代表者会議においてトウ小平主導の下に「高崗・饒漱石反党連盟に関する決議」が採択され、高崗は東北を「独立王国たらしめようとした」と批判されて党籍を剥奪された。(ウィキペディア「高崗」参照)

*21:関東軍参謀。事件後は軍を離れ、南満州鉄道(満鉄)理事、満州炭坑理事長など歴任。戦後は戦犯として太原収容所に収監され、収容所において病死。

*22:張作霖爆殺事件(1):河本大佐犯行説、これだけの根拠』(http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chousakurin.html)が紹介する林久次郎・奉天総領事

*23:これについてはたとえば『張作霖爆殺事件(1):河本大佐犯行説、これだけの根拠』(http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/chousakurin.html)、『張作霖爆殺事件(2):「ソ連犯行説」をめぐって』(http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/chousakurin2.html)、『張作霖爆殺事件(3):中西輝政氏の所説』(http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/chousakurin3.html)、『加藤康男氏「謎解き「張作霖爆殺事件」(1):河本大作と張学良とソ連諜報機関の共謀?』(http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/chousakurin4.html)、『加藤康男氏「謎解き「張作霖爆殺事件」(2):「張学良・楊宇霆・常蔭槐犯行説」をめぐって』(http://yu77799.g1.xrea.com/nicchuusensou/chousakurin5.html)参照

*24:そもそも遠藤が麒麟かどうか疑問です。まあ、今ほど酷いトンデモではなかったかも知れませんが。