闘い済んで日が暮れて、また新しい闘いが始まる(五十嵐仁氏) (追記あり)

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-01-25
 選挙前に何か五十嵐氏応援エントリを書きたいとは思っていたのですが、無能の故に特に書かずに終わってしまいました。ある程度覚悟はしていましたが「五十嵐ファン」としては残念な結果です。ただし、五十嵐氏も語っているように「無名の候補*1である五十嵐氏」がもちろん五十嵐氏本人も認めているように「五十嵐氏支援に動いた共産党などの組織票がある」とはいえ、5万票取ったことはそれはそれで評価できることでしょう。
 五十嵐氏が残念がっているように問題の一つは「低投票率」でしょう。どう投票率を上げていくかが問われているわけです。政治学者にして「今回の選挙戦で」政治活動家としても本格デビュー(?)した今後のさらなる活躍に期待したいところです。

【追記】

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2016-02-03
■「プロの政治屋」はこのようにして勘違いするようになるのかもしれない 
(前略)
 候補者になって、分かったことが一つあります。突然、天まで持ち上げられてしまうということです。
 「人生で、こんなに褒められたことはなかったんじゃないの?」と、皮肉交じりにカミさんから言われた通りです。そのような推薦や応援の弁を横で聞いていて、恥ずかしいやら照れくさいやら、身の置き所がないような思いをしましたが、否定や訂正などできませんから黙って耐えていました。
 自分で演説するときも、思わず照れて下を向いてしまい、何度も注意されました。それにも慣れて、下を向かなくなった頃に選挙の幕が下りたのです。
 「このようにして、政治家は作られていくのか」と思いました。それは確かに当選のために必要なことではありますが、私の一面が誇張されたもので完全な「実像」ではありません。
 でも、そう言われているうちに、本人もだんだんとその気になり、胸を張るようになっていきます。こうして、ある種の勘違いが生じてしまいます。
 その典型が、「権力者」としての己を誇る安倍首相でしょう。「背広を着た傲岸不遜」とも言うべき人格が出来上がっていく秘密の一つが、ここら辺にあるように思いました。

 まあ、安倍の場合「親の教育がろくでもなかった」のであり、五十嵐先生に限らずあそこまで低劣な人格には人間なかなかなれないと思いますが。
 「あんな子どもを育てるなんてなんて酷い親だ」と言う言葉を故・安倍晋太郎*2には贈りたいと思います。

*1:『戦後政治の実像』(2003年、小学館)、『労働再規制』(2008年、ちくま新書)などの著書があり、マスコミの取材も複数受けている氏ですが「超有名人」とまでは言えないでしょう。

*2:三木内閣農林相、福田内閣官房長官自民党政調会長(大平総裁時代)、鈴木内閣通産相、中曽根内閣外相、自民党総務会長(中曽根総裁時代)、幹事長(竹下総裁時代)を歴任