新刊紹介:「歴史評論」8月号

★特集『ジェンダーから見た〈戦後日本〉』
【断り書き】
 松本清張ゼロの焦点』(新潮文庫)、鮎川哲也『黒い白鳥』(創元推理文庫、または光文社・日本推理作家協会賞受賞作全集・11巻)の一部ネタバラシ(犯人及び動機)があります。
 ただし清張作品はともかく鮎川作品のメインは「アリバイトリック崩し」なので犯人と動機はそれほど重要ではないのですが。
・なお、詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。興味のあるモノ、「俺なりに内容をそれなりに理解し、要約できたモノ」のみ紹介する。
■『米軍占領下の日本におけるジェンダー・ポリティクス:性暴力・性売買・「親密な交際」』(平井和子*1
(内容紹介)
 うまく紹介できそうにないので関係する林博史*2の論文などを紹介しておきます。

■パンパン(ウィキペディア参照)
 第二次世界大戦後の混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街頭の私娼(街娼)である。特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったといわれるが、RAA廃止前からも見られていたともいう。「パンパン」は不特定多数の米軍兵士を客としていた者を指すことが多く、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものは「オンリー」(英語:"only"から)または「オンリーさん」と呼ばれた。

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper71.htm
アメリカ軍の性対策の歴史:1950年代まで(林博史
五 占領下日本での米兵向け売春宿
 第二次世界大戦後、日本の内務省が進駐してくる米兵向けの売春宿RAA(特殊慰安施設協会)を用意提供したこと*3はよく知られている。これを米軍も積極的に支持し利用した。GHQの公衆衛生福祉局長に就任したサムス大佐(のち准将)や性病管理将校であったゴードン中佐、第八軍や第六軍の関係者らは陸軍省の政策に従わず、管理された売春制度(公娼制)の再確立を主張し、日本側にもそれを求めた。サムス局長は、四五年一〇月一六日、売春宿をオフリミッツにしている司令官たちを批判し、オフリミッツにしても私娼が散在するだけであるから日本の現存する売春統制の法と手続きを拡張し厳密に実施することが実際的で緊急な対応として求められると参謀長に提言さえしている。その五日後の会議の席上、第八軍軍医ライス准将は、売春宿をオフリミッツにするだろうと言いながら、ホステスと性交渉できる「アミューズメント・ハウス」を日本側が設置してくれないかと示唆していた。サムスは大戦中、北アフリカ、イタリアに軍医として行っていた。これらは米軍が売春を公認し陸軍省から問題にされた地域である。そうした行為にサムスがどれほど関わっていたかはまだ確認していないが、関わっていた可能性が高いし、少なくとも知っていたはずである。
 さてここでも第二次大戦中と同じような問題が出てきた。一つは米兵の性病罹患率の急増である。第八軍の罹患率はフィリピンにいたときは多くても三〇台にとどまっていたが、日本に来てから、九月三三、一〇月五四、一一月八六、一二月一五三、四六年一月一七九、二月一九七、三月二五〇と急上昇した。概ね五〇以下に抑えるのが米軍の性病管理の原則であったがその危険水準をあっという間に超えてしまった。そのため一二月五日には太平洋陸軍司令部(マッカーサー司令官)の軍医部から第六軍と第八軍に対して、米兵専用の売春宿で性病感染が繰り返されており、性病管理に問題があると警告が出された。
 同時にRAAのような売春公認策は米軍内部からも批判を生み出した。すでに一一月五日の時点で第五空軍司令部は、基地周辺五マイル以内の地域から娼婦を排除するように日本政府に要請することを太平洋陸軍司令部に訴えた。メイ法の精神を日本でも実施したいという要望であり、売春禁圧こそが唯一効果的な性病管理方法であるという陸軍省の政策を強調した。空軍(正確にはまだ陸軍の一部)としては売春宿をオフリミッツにしたいが陸軍がオフリミッツにしないので困っているとも訴えている。極東空軍司令部もこの要望に賛成した。
 日本に来ていた軍のチャプレンたちもさまざまな方法で売春公認策を非難し改めさせようとした。第四一師団のチャプレンは師団長に注意を喚起したが改善されないのでワシントンのチャプレン部長に訴えた。チャプレン部長はこれを陸軍省人事部長に伝えている。あるいは日本に来ていた兵士が家族に手紙を書き、上院議員を通じて陸軍長官に実態を訴える者もいた。米本国でもNewsweekがこの問題をレポートした。四五年一〇月二二日付で米兵たちが「ゲイシャ・ガールズ」たちとダンスしている写真が一挙に五枚も掲載され、二九日付では「娯楽協会」としてRAAのことを取り上げ、東京の米兵たちはまもなく五千人の新しいゲイシャ・ガールズから歓待を受けるだろうという記事を掲載した。そこではまだ売春については言及されていなかったが、一一月一二日付では「水兵とセックス―日本で売春がはびこる:海軍の政策が非難」と題して一ページ全部を使った記事が掲載された。記事の材料は日本に来ていた海軍のチャプレンからNewsweekに送られた手紙だった。その中で、ミズーリ号艦上で降伏調印式がおこなわれた九月二日には軍医から娼婦の検査など売春地区を管理するのが政策だと告げられたことをはじめ海軍が売春を公認する措置を取っていることが告発されていた。こうした報道は陸軍省海軍省でも問題にされた。
 海軍においては、一〇月三一日付で海軍長官が売春禁圧の方針を占領地でも適用するという通達を出し、一一月二日には太平洋艦隊兼太平洋地区司令部(最高司令官ニミッツ)もそれに基づいて同趣旨の通達を出していた。ところが一一月に、Newsweekの記事が下院で取り上げられた。海軍長官フォレスタル*4は一二月七日付で回答を送り、売春禁圧が海軍省の一貫した政策であることを強調した。これを受けて一三日海軍省軍医部長と人事部長名で全艦隊・部隊に対して、売春を奨励、暗黙に公認、容認すると解釈されるような措置は一切とってはならないという通達を出した。おそらくこれを受けてと思われるが、太平洋艦隊兼太平洋地区最高司令官ニミッツの名前で四六年一月一四日に通達「売春に関する政策―性病管理」が出された。ここではいく人かの司令官が売春禁圧への協力を売春婦を隔離することと解釈したものがいると批判し、それは売春禁圧策に反する、海軍省の政策は売春の抑制ではなく禁圧であると強調した。
 日本においては陸海軍チャプレン協会東京横浜支部がこの問題を取り上げて議論し、一月八日には八八名が参加した会議で全員一致でこうした売春宿の利用をやめ売春を禁圧するようにとの決議を採択し、一一日付で連合軍最高司令官マッカーサー宛に書簡を送った。
 こうした状況の中で太平洋陸軍司令部内では軍医部がチャプレンたちの意見を受け入れて米兵向け売春宿への関与を直ちにやめることに賛成したが、買春を奨励する予防所をなくせという要求に対しては性病予防の点から拒否する意見であった。こうした動きに対して第八軍は、すべての売春宿をオフリミッツにするには憲兵を大幅に増員する必要があるので現状ではできないなどと抵抗を示した。
 そうしたところに三月四日付で陸軍省から太平洋陸軍司令官マッカーサーに対して、売春禁圧の陸軍省の政策を厳格に遵守すること、陸軍次官を派遣するので協議し状況を報告せよと通達がなされた。陸軍省では各地に派遣した米軍が売春禁圧策に反して売春を公認し、性病罹患率が急上昇している状況を解決するために性病罹患率の高い軍司令部に次官を派遣することにした。日本もその一つに含まれていた。ケニス・ロイヤル*5陸軍次官は日本に来てマッカーサーと会談した。三月一二日付の次官より陸軍長官宛の報告によると、マッカーサーは太平洋地域での性病の多さに当惑しているが、これまで取られてきた方策以外にできることがわからないので、ほかに考えがあれば歓迎すると述べた。またマッカーサーは売春宿をオフリミッツにする政策を含めてあらゆる可能な方法で売春を禁止する陸軍省の政策に厳格に従っている、ある一つの師団でこれに反する方策がとられているのを発見したので直ちに変えさせたとも述べている。いずれにせよ自己弁明に終始しながらも陸軍省の政策に従うことをマッカーサーは約束した。太平洋陸軍司令部はすでに二月一八日に高級副官名で第八軍などに対して、陸軍省の売春禁圧策に反する、現在のいかなる手段も直ちにやめるように通達していたが、この次官とマッカーサー会談をうけて、ようやく三月一八日第八軍はその通達を実施して売春宿はすべてオフリミッツにするように指揮下の部隊に通達した。この通達を受けて二五日に東京憲兵隊司令官が内務省にその旨通告し、RAAにはオフリミッツが実施されたのである。
 RAAの利用は、日本に駐留していた米軍内部からの批判と陸軍省からの批判をうけて取り消されることになった。米兵の性病予防という観点からRAAあるいは売春管理方式は失敗だったからであり、サムスら公衆衛生福祉局や第八軍もそれを受け入れざるを得なかった。陸軍省では陸軍次官の派遣を受けて、四月五日付で参謀総長アイゼンハワー*6名で陸軍規則六〇〇―九〇〇を全軍に通達した。その中で、売春の組織化は、性病予防策としては完全に非効果的であり逆に性病が増えてしまい、医学的にも不健全であるということ(医学的理由)、社会的に批判を受け、道徳を破壊し、さらに米国市民の希望に反すること(社会的理由)などの理由を列挙して売春公認策を強く否定した。そしてすべての売春宿をオフリミッツにし売春禁圧策をとるように指示した。
(中略)
 こうしたモラル・アプローチが強調される一方で、日本では四八年九月に施行された性病予防法を使って、街頭での娼婦の摘発が強化されていった。第八軍では、売春自体が非合法化されていない日本での可能な対策として性病に感染している女性の逮捕、拘留による売春禁圧しかないという議論になった(四八年一二月一五日付メモなど)。四七年九月・一〇月の第八軍のデータでは性病に罹った米兵が感染した相手は、ピックアップ八九六人、娼婦一七八人、友人二四二人、街娼一四人、コールガール八人、となっており、いわゆる売春宿の娼婦よりも街頭やバーなどで相手を探すピックアップなどが性病の大きな感染源であると見なされていた。したがってそうした疑いのある女性を日本警察の協力を得て逮捕拘留し、強制的に性病検査と治療を受けさせるというやり方がとられた。この結果、街頭でむやみやたらに女性が逮捕され問題になる事態が各地で頻発した。
 米兵には自己規律が強調され処罰はなくなる一方で、娼婦や性病感染の疑いを持たれた女性が一方的に逮捕、検診を受けさせられ、性病に罹っていると強制入院・治療を受けさせられた。四九年一月・二月に別府でおこなわれた摘発では一〇五三人の女性が逮捕されたが、警察は娼婦はせいぜい四分の一程度と推測しており、多くの関係ない女性たちまで犠牲にされた。もちろん娼婦であったとしても人権侵害であることは言うまでもないが。
 ところで本土とは切り離されていた沖縄では那覇だけでも四〜六千人と言われた娼婦をどうするのかが四七年二月に軍政部内で議論されている。沖縄の米軍の性病罹患率は四八年末までは二桁と低い水準で抑えられており、かつ沖縄内での感染はそのうちの約半数と報告されていた(四七年一月の数字)。軍政部の公安局、公衆衛生局、法務局らの代表が集まって議論したが、そのなかで公認売春宿も有効であると言えるが、陸軍省の政策に反するので採用することはできないと判断し、具体的には、売春のための前借金の禁止、米軍人への売春禁止、性病に罹った者の届出と治療の義務化、逮捕した娼婦の性病検査と治療、などの施策とともに、米兵に対してレクリエーションや趣味の施設を提供すること、売春をなくすことはできないし若い男を性から遠ざけることはできないのでコンドームを簡単に手に入るように公然と展示し予防所をあらゆる軍事施設に設置する、性病予防とその危険性についての教育をおこなう、などの方針を決めた。米軍人への売春のみを禁止するという措置は、沖縄社会では売春は認められてきたのでそれを一方的に否定できないからと説明されている。この会議の決定に基づいて、三月一日付で占領軍への娼業禁止、花柳病取締り、婦女子の性的奴隷制廃止の軍政特別布告が出された。このように表向きは陸軍省の政策に従わざるを得なかったが、買春はやむをえないものと認めて予防措置の徹底と性病感染した娼婦の取締りに重点がおかれた。娼婦と疑われた女性の逮捕、強制検診・治療は本土と同様におこなわれた。なおこの時期、沖縄はワシントンからも極東米軍からも見捨てられた状態で軍紀は乱れていた。売春を取り締まる警察を武装した米兵が襲撃したり、米軍内の女性が米兵に襲われるので外出時には武器を携帯しエスコートをつけるようにと軍が警告せざるをえないほどであった。
 規律処分の廃止とともに大きな意味を持った施策がある。性病治療の進歩はさらに状況の変化を生み出した。第八軍は軍医総監部の回報にしたがって、四九年八月から特別なケースを除いて複雑でない性病については外来患者扱いする方針を実施に移した。この結果、一週間あたりの平均損失日数は四九年前半が五九二二日であったのが八月〜一二月では一〇四日に激減した。フィリピンと琉球でも五〇年から実施することになった。病気による勤務除外のなかで性病によるものは、米陸軍全体で第二次大戦前には一八%を占めていたのが五三年には一%以下にまで減少し、性病は兵力の損失にとってきわめてマイナーな病気になったのである。ペニシリンの試用から始まった治療法の改革はここに一段落を告げたのである。
七 朝鮮戦争の勃発と基地売買春の拡大
 朝鮮戦争の勃発により、朝鮮半島に大量の米軍が投入されるとともに日本はそれらの部隊の経由地となり、また在日米軍も増強された。日本では陸軍の駐屯地やR&R(休養回復)センター周辺が売春地域となった。朝鮮戦争勃発後、いくつかの司令部から極東軍司令部に対して、売春勧誘を禁止する法令を出すように要請があったが極東軍司令部は反対して実現しなかった。日本が独立を回復するとGHQの命令は出せなくなった。そこで米軍の経済的影響力を使って、性病感染源をオフリミッツにすることにより、その経済的打撃を憂慮する行政と地元の協力(性病に感染した女性の摘発と治療)を得るという方式をとった。極東軍司令部はオフリミッツがそうした道具に利用できることを理解していた(五二年七月七日の指揮下部隊への通達)。売春地区をオフリミッツにして売春を認めないという建前を維持しながら、街娼の排除と米兵相手の娼婦の性病検診を行政と業者にやらせる方式を意識的にとりはじめた。
(中略)
 沖縄では、沖縄を視察した極東軍司令部憲兵隊から警告を受け、米民政府は五二年五月に琉球軍司令部に対し、ニューコザ(八重島特飲街)をオフリミッツにするように要請した。しかし第二〇空軍がオフリミッツに反対したため琉球軍司令部は行政当局が必要な措置をとっているという理由でオフリミッツにはしないと米民政府に回答した。沖縄では現地の軍が地元に作らせた米兵向けの売春地域が継続されたのである。そして五三年からはAサイン方式が導入された。
 朝鮮戦争下で売春禁圧方針は実質的に空洞化したといえるが、この変化はなぜ起きたのだろうか。一九五〇年代の米軍の関連資料は現在順次公開中であり、資料的に確認できるものとまだ推定にとどまるものがあるが、現在の段階でその要因を整理しておきたい。
 第一にすでに述べたように治療法の進歩により、通常の性病は外来患者扱いで治る病気になり怖い病気ではなくなったことである。五四年の時点では医療部隊にとって「性病の治療は何の問題もない」と言われるようになった。
 第二に部隊の性病罹患率は部隊長の勤務評定の材料であったのが四八年に廃止された。この結果、軍幹部のこの問題への関心が急速に低下した。朝鮮戦争中の五三年八月七日極東軍は、部隊の性病率は部隊長の性病管理活動の正確な指標ではないと説明する通達を出している(テ報告)。まさに韓国で基地村が形成され、日本で基地売春が横行していた時に、である。
 第三に性病罹患者の処罰・規律処分は徐々に取り除かれ、単なる規律処分(パスを取り上げるなど)さえもなくなった。将兵は買春が公認されたと受け止めるようになった。
 第四にこうしたことから軍にとって性病問題の比重・関心が著しく低下したことである。五二年一月陸軍疫学委員会の性病問題特別委員会は「現代の治療法によって、性病は軍人の勤務除外を起こす主要な原因ではなくなった」と報告し、軍医総監部の一九五三年度年次報告は「性病は一〇年や一五年前のような軍にとっての問題ではもはやなくなっている」と明言している。五四年の性病による勤務除外は一日平均一〇万人あたりわずか八人にすぎなくなっていた。五〇年代に入ると軍医総監部の年次報告や雑誌でも性病問題に関する記事数が急減していった。アメリカで性病問題をリードした社会衛生協会の雑誌「社会衛生ジャーナルJournal of Social Hygiene」が五四年末で廃刊になったのは象徴的である。
 第五に、最初から抱えていた矛盾であるが、禁欲を説きながら他方で予防策をとれという方針の矛盾が明確に指摘されるようになった(テ報告)。予防策ならびに治療法が完全ではないからこそ禁欲が強調されていたのだがもはや禁欲はまったくの建前化してしまった。
 第六に韓国や日本でのたくさんの娼婦の存在である。売春禁圧には米国内での経験からもわかるように行政当局の協力が必要であるが、売春を容認し集娼制に固執する日本政府と社会にあっては売春禁圧策をとることができない。そこから現地社会の売春容認(公認)を前提とした対策をとるという認識になっていった。しかし米軍が来るから売春がおこなわれかつ拡大するという自己認識は皆無であったし、米兵が性病を持ち込み拡大するという認識もまったくなかった。
 第七に軍医総監部などの雑誌を見て明らかなのは、五〇年代に入ると戦闘神経症問題が重視されてくる。先に紹介したティンマーマン中佐は、勤務除外日数について第二次大戦中は性病と戦闘神経症の比率が一対四だったのが、朝鮮戦争においては(五二年末まで)一対四五と大きく広がったことを示して、性病問題が重要でなくなったことを説明している。朝鮮戦争さらにはベトナム戦争と米軍が勝てない戦争が続くが、そのことも戦闘神経症の問題と関連しているだろう。そうした問題への対策から将兵のローテーションと休暇制度の充実が図られた。日本に作られたR&Rセンターもそうした施設だった。所属部隊での勤務中よりも休暇で部隊から離れたときに買春をおこない性病に感染する率が多かったのは大戦中からの特徴であったが、ここでもそうしたことが言えた。性病が軍にとって大問題でない以上は、あえて禁欲を強いるよりは自由に遊ばせたほうがよいという判断が生まれても不思議ではない。
 第八に米軍自体の変化もあると思われる。米軍は一九三〇年代には陸軍が一三万人あまり、全軍でも二〇数万人の小規模な軍隊しか有していなかった。ところが第二次大戦中は最大時には陸軍八二六万人、全軍一二〇〇万人に膨れあがった。戦後は復員が進み五五万人(全軍一五〇万)規模に縮小するが、朝鮮戦争勃発とともに一五〇万人(三五〇万)体制になる。朝鮮戦争休戦後は九〇万人(二五〇万)規模に縮小するが、ベトナム戦争によりまた朝鮮戦争時と同じ規模に復活する。いずれによせ戦前の小さな軍隊から戦後は一〇倍以上の大きな軍隊に変わり、かつ大量の軍を海外に長期駐留させるようになる(五三年百二〇万人、五五年九二万人)。また第二次大戦、さらには一九六〇年代とアメリカ社会の性意識は急速に変わっていった。第二次大戦前の厳しい規律と禁欲を求める性対策がこうした軍隊には適用できない変化があったのではないだろうか。
 こうした中で、売春禁圧は建前化した。予防策をしっかりとって、性病に罹っても早く治療すればよいと考えられた。ただし外来患者扱いといっても病気である以上、性病が少ない方がよいので、現地行政に売春婦の性病検査と強制治療をさせる。軍としての方針があるので米軍自体は表向きは関与しない。検診を受けない娼婦は警察を使って徹底して摘発させた。このことが娼婦を一定の地区に閉じ込める機能を果たしたことはすでに指摘されている(集娼制の強化)。そうした中でオフリミッツはかつては売春禁圧措置の一つとして米兵の買春を防止するための措置として使われていたが、この時期には、オフリミッツにすれば業者や現地社会への経済的打撃になるので、行政や現地社会が性病対策に乗り出す手段として利用した。つまり米軍は売春地域をオフリミッツにして売春を認めないという建前を維持しながら、現地社会に性病管理・娼婦管理を促す、という方策である。オフリミッツ措置の抜け穴は軍上層部も認識しながら目をつぶり(憲兵の見回りの時刻さえはずせば問題ないというような)、オフリミッツ地区とその周囲におかれた予防所の地図は地理にうとい米兵には売春地区への案内になった。憲兵自体が売春宿に出入りし、オンリーを囲うということが報告されている資料がいくつもあることから、売春宿と警察の癒着と同じ状況が憲兵と業者の間に存在していたこともわかる。
 軍中央がこうした状況をどのように考えていたのか、まだ資料的な裏づけがとれないが、性病が兵力の損失につながらない以上、売春問題が重視されなくなったことは間違いない。一九六〇年代後半から七〇年代にかけての性革命によってアメリカ社会は性的自由化が一気に進んだが、他方で厳格な性道徳意識は根強く残っており、そうした人々からの目を軍中央は意識せざるをない状況はその後も続いていると言えよう。
おわりに
 このように米軍の性管理の政策は、西欧や日本の軍隊とは大きく異なっていた。軍隊と性の関連を一つのパターンだけでとらえてきたこれまでの議論は見直さなければならないだろう。たとえば売春に対する国家の政策や社会の売春に対する意識は国によって決して一様ではないし、軍隊のあり方はその社会のあり方と密接に関連していることを考えると、各国の軍隊ごとにていねいに政策と実態を明らかにする作業が必要であろう。売春ならびに公娼制を公式的には否認していたアメリ連邦政府と軍中央の性政策は、西欧や日本とは異なる一つのタイプして位置づけられるだろう。そうした政策の背景には、第二次世界大戦期と一九六〇年代に性モラルが大きく自由化したとはいえ、ピューリタニズムの影響もあって売春を忌避する性道徳が強いアメリカ社会のあり方があるだろう。その拘束力は冒頭に記した、在韓米軍の買春問題に対する陸軍の対応にも現れている。
 米軍について言えば、米軍の性暴力的な体質の一因はそうした米軍の政策に起因するように考えられる。
 娼婦を一方的に性病を蔓延させる原因として犯罪人扱いしたのは米軍の一貫した考え方であった。娼婦は兵士に害を与える敵と同様の存在と見なされた。女性の人権はまったく考慮されず、特に性病に罹患している女性は排除の対象でしかなかった。売春で利益を得る者たちへの厳しい措置が欠け、女性のみを犯罪人視し、その一方、買春側(米兵)はあくまで保護されるべき対象だった。娼婦への蔑視観は軍の教育を通じて兵士の意識に叩き込まれていった。売春を禁止し性的禁欲を教え込もうとする、ある意味ではストイックな教育が、女性を犯罪視することを通じて女性への蔑視意識を強化再生産し、そうした女性への非行を逆に促すことになったのではないかと思われる。そして上からの道徳的説教は、たいていの道徳教育がそうであるように、兵士にとっては耳から耳に抜ける建前上の教義に過ぎなくなっていったのではないだろうか。
 本論ではほとんど触れることができなかったが、こうした米軍資料を見て気づくことの一つは黒人兵に対する視線である。各種データを見ると、黒人兵の性病罹患率が白人兵の数倍から時には十倍以上になるが、軍首脳部は黒人兵を特に問題視し、外出した黒人兵全員に性交渉をおこなったかどうかに関わりなく強制的に洗浄消毒をさせたり、一律にペニシリンを投与するなど、健康上問題のある実験をおこなっている。確かに罹患率の高さは目立つが、黒人兵全体が自己規律のない問題児集団のように扱われている(第二次大戦の少し後まで黒人兵は白人兵とは別の部隊にまとめられていた)。
 民族差別的な意識は、アジアや中東、アフリカなどの社会への視線にも感じられる。米軍はしばしば現地社会が売春を肯定し、現地の娼婦が米兵を誘惑し性病を感染させると批判しているが、米軍の存在が売春を増長させ、あるいは米兵が性病を持ち込んでいるという認識は欠如している。
 ただ米軍は国内のように売春禁圧が実施可能なところではそうした施策をおこなっており、その意味では売春を肯定する現地社会のあり方が米軍の対応を規定する一因になっていること、つまり海外に駐留する米軍の買春問題は米軍と現地社会の相互作用によって増幅されている点も見落とせないだろう。売春業が地域経済にプラスになるという思考や、米兵相手の娼婦の存在が一般の女性の身を守るというような考え方が、米兵相手の女性を蔑みながらもその存在を肯定する背景にあった。
 軍隊と“男らしさ”という点で見ると、従来の議論では、軍隊の“男らしさ”と買春奨励が深く関連しているとされている。ただ米軍がスポーツ選手を持ち出して禁欲を訴えたように、大事なときに我慢できるのも“男らしさ”の表れであると言えるのではないだろうか。“男らしさ”の議論についても一面的な理解に陥ることなく、実態をさらに明らかにしながら理論をより豊かにする作業が必要であるように思う。
 今後解明すべき課題は多い。たとえば人格指導計画はその後どのように展開したのか、それはどのように評価されるのか、米軍が兵士の自己責任・自己規律を重視したということはどのように考えればよいのか、五〇年代の日本などで娼婦の性病検査を要求する米軍司令官が依然として多かったのはどのように説明されるのか、など資料的にも理論的にも解明されるべき課題は多い。
 また当然のことながら兵士による性暴力を生み出す米軍の構造的要因は別に分析が必要であろう。ただその際にも留意しなければならないのは、たとえば第二次大戦中には米軍の歩兵のなかで敵に向かって銃を発砲した兵士が一五から二〇パーセント程度しかいなかったが、その後軍が殺人への抵抗感を克服させる訓練を工夫し、朝鮮戦争のときには五五パーセント、ベトナム戦争では九〇〜九五パーセントが発砲できるようになったという研究がある。米軍のあり方も大きく変化したと考えられるだろうし、またこうした兵士の改造は性暴力の現われ方と無関係ではないだろう。
 いずれにせよ軍隊と性暴力の関係は、各国の軍隊ならびに時代に即してその実態を明らかにし、あらためて理論構築されるべきであろう。本稿はそのための一つの予備的作業である。

http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2014-12-23-2
■茶園敏美著『パンパンとは誰なのか』*7書評会コメント、から一部引用
・(前提として)売春関係の法規は、売春の行為主体を女性に限定している。
 戦前の「密売淫」禁止も、戦後の「売春防止法」も同様。
 したがって、基本的に、男性の売春行為(男娼)は法的規制にかからない。
 → 自治体の「売春類似行為」(肛門性交を含む)禁止条例で対応している地域もある
  「男娼問題」は戦前戦後を通じて(現在も?)警察の悩みの種だった。

【資料2】「男娼に罪する規定はなし?」(『警察新報』2号 1948年11月 「受験余暇」)
 宵ヤミに堂々と異様の風體でコビを売る駒さんこと岩田愛次郎(33)なる男娼を上野の山で検挙したものの、さてこれを罪する法的な根拠がないとあって“男娼問題”の懸案解決にヤッキになっている。
 本人の自白だけでは罪にならず、一時お預の“売春禁止法”も男娼には無関係、さりとて異様な風體で取締るにも警察犯処罰令はすでになし、住所不定なら軽犯罪法だがこれも該当しない。
 結局、“サギ罪”だろうということに落ち着いたが、これも労力提供の点やお客の方で言いよった場合も考慮にいれねばならず目下心当りの“証人”の名乗り出るを待っているとか。
(註)「売春禁止法」:1948年6月に法務省が第2国会に提出した「売春等処罰法案」(審議未了・廃案)
   「警察犯処罰令」:1948年5月1日廃止、「軽犯罪法」:1948年5月1日公布

【資料3)関口五郎「狩り込み探訪記―男娼も居る上野の夜―」(『桃色ライフ』1号 1949年4月)
上野警察署長と記者との会話
「取締りの根拠になっているのはどんな法律なんですか」と尋ねると、署長は、「それがね、困るんですよ、はっきりした法律がありませんのでねえ、今度何か東京都条例が立案されているようですが、現在では只花柳病容疑とゆう衛生行政上の取扱いでやっている訳です」と、本当に困ったような顔をした。
「すると売淫行為は罪にならないって訳ですか」
私は無遠慮に追求した。
「売淫といっても、その認定が困難でしてねえ……そりや、法文がなくたって、とにかく社会の公序良俗に反することなんですから……」とゆう返事だった。
(註)「東京都条例」:1949年5月31日施行の「売春等取締条例」(都条例58号)
   「花柳病容疑」:1948年7月15日公布の「性病予防法」

・1948年5月1日に「警察犯処罰令」が廃止されて以後、1949年5月31日に「売春等取締条例」(都条例58号)が施行されるまでの約1年間、東京都では街娼の売淫行為を取り締まる法的根拠は存在しなかった(管理売春は1947年1月15日発令の「勅令9号」で違法)。
・この時期の「狩り込み」=「キャッチ」が、法律的に「売淫行為」(売春)の摘発という風俗取締りではなく、「花柳病(性病)」対策という公衆衛生行政の一環として行われていたことがわかる<。
・そうなると、男娼も性病感染の疑いがあるわけで、「狩り込み」=「キャッチ」の対象になる。

ゼロの焦点(ウィキペ参照)
松本清張の長編推理小説
■作品の背景
 事件の背景に、日本が敗戦後、米軍の占領下にあった時期に、米兵(小説中では「GI」とも表記)相手に売春行為をしていた女性(小説中では「パンパン」とも表記)らの存在がある。彼女らが自らの忌まわしい過去を隠そうとする必死の感情が、作品中で重要な意味を持ってくる。原作が書かれた当時は現在よりも女性の社会的地位が低く、過去に少しでも汚点があると偏見にさらされて就職に差し障るばかりでなく、婚約を破棄されたり一方的に離婚させられたりしてしまうケースが少なくなかった時代である。
■エピソード
・作品の構想に関しては、当時上石神井に住んでいた著者が、作品執筆の合間に近くの食堂へ出かけた際、立川の米軍基地の売春婦と思しき女性に出会い、彼女たちはその後どうしただろうか?と思いをめぐらしたところから、アイデアを膨らませていったとされている。
鮎川哲也の長編作品「黒い白鳥」の連載が同時期にされたが、鮎川作品と「ゼロの焦点」の犯行動機が偶然似ていることに著者と鮎川の双方が途中で気づいたことで知られる。

 「黒い白鳥」と「ゼロの焦点」の一致については以前
■「砂の器」雑感(ネタバラシあり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20141125/2345617890
でも触れています。

http://nostalz.exblog.jp/17340095/
■「ゼロの焦点」その6、から一部引用
「当時は、米軍人がこの小さな町にあふれていました。日本人の数が半分ぐらいに少なく見えたくらいです。それと、日本人だかアメリカ人だか分らないようなパンパンが、米軍人と同じくらいに多かったのです」
 「パンパン」ということばも死語になった。敗戦後の占領統治下、主に在日米軍将兵を相手にした売春婦(街娼)を指す言葉で、「夜の女」「闇の女」は、同義語である。
 昭和22(1947)年4月22日「NHK街頭録音で、藤倉修一*8アナ取材の有楽町付近の闇の女の声を放送、話題となる」(『近代日本総合年表』)
 この年、彼女たちの心情を切々と歌い上げた歌謡曲「星の流れに*9」が大ヒット。同年発表の田村泰次郎の小説「肉体の門」、翌23年公開の映画「夜の女たち」(溝口健二監督)、いずれも彼女たちを主人公にしている。警視庁とMPは、しばしば「狩りこみ」を行なったが、いっこうに減らなかったという。
 昭和31(1956)年の売春防止法施行後は激減したが、ベトナム戦争が激化した1960年代後半も、基地周辺には存在した。

http://nostalz.exblog.jp/17362247/
■「ゼロの焦点」その8、から一部引用
 自分の過去の犯罪がバレないように、殺人を犯す男の物語(「顔*10」「声」「共犯者」)をいくつか、松本清張は書いている。水上勉飢餓海峡』も、それにあたるが、『ゼロの焦点』や、同じ作者による『砂の器』は、犯罪というわけでもないが、人に知られたくない、自分の「忌まわしい過去」を知っている人物を殺す物語で、どちらの小説も、殺される人物が、加害者に対して、悪意を持たない人であるだけに、やりきれない。
 殺人者ではあるが、佐知子の気持を考えると、禎子は哀れでならない。もし、その立場になっていたら、禎子自身にも佐知子夫人となる可能性がないとはいえない。

http://nostalz.exblog.jp/17388240/
■「ゼロの焦点」その9
 松本清張が『ゼロの焦点』を、雑誌「宝石*11」に連載中の昭和34年7月、同じ雑誌に、鮎川哲也の『黒い白鳥』の連載(7月号から12月号)が始まった。
 『黒い白鳥』の連載が進むや、この作品の殺人事件の真相が、過去に恥ずべき経歴(大阪飛田の遊郭に身を置いていた)を持ち、今では結婚して、幸せな生活を送っている女性が、前歴を知られたくないために人を殺す、ということが明らかになり、この偶然に、松本清張鮎川哲也は、ともに驚いたというが、戦後の混乱から、そう遠くない時代であり、それほど特異な設定ではない。
 『黒い白鳥』は、昭和34年12月に、『ゼロの焦点』は、翌35年1月に連載を終了。鮎川哲也は、この作品(『黒い白鳥』)と、同じ年の11月に刊行した『憎悪の化石*12』の2冊で、第13回探偵作家クラブ賞を受賞し、推理小説作家の仲間入り*13をする。
 『黒い白鳥』で、殺人事件のなぞを追う、鬼貫警部が、容疑者の女学校時代の友人を訪ねて、古い写真を見せてもらう場面で、彼は感慨にふける。

 いったん女子大に入学した加代子が、一転して遊女になり、その堕天使がふたたび玉の輿にのるという運命の変転に、敗戦後の混乱した社会になげだされて、それを一人で乗りきろうとしたわかい女性の、気の毒な生き方の例をみせつけられたような気がしたからである。

 彼女の運命に同情しているようであるが、「堕天使」「玉の輿」ということばには、どこか男性の視点で、彼女のしたたかな生き方を非難しているように見える。題名の『黒い白鳥』にも、同じようなものが感じられる。
 松本清張は、もう少し、女性に暖かい視線を送っている。それは、事件の追及者が、女性(禎子)であるためでもある。
 禎子が観ていたテレビの座談会での、婦人の評論家のことば。

「まあ、当時の日本は、敗戦直後で、全体が悪夢のような時代ですから、その人たちにとっては気の毒なことです。でも、自分の努力で、あとの生活がつくられていたら、その幸福を、そっと守ってあげたい気がします」

 昭和30年代は、敗戦後の貧窮の記憶が、個人の記憶であるとともに、いわば、「民族の記憶」として、作者も読者も共有できた時代でもあった。それが、あの時代、松本清張が、爆発的に人気を博した理由でもある。

http://nostalz.exblog.jp/17388249/
■「ゼロの焦点」その10
 本が出た翌年、昭和36(1961)年3月、『ゼロの焦点』は映画化される。松竹映画。橋本忍山田洋次脚本、野村芳太郎監督である。出演者は、久我美子(禎子)、高千穂ひづる*14(佐知子)、有馬稲子(久子)であった。
 原作は、真相を追求する禎子の視点で書かれているので、犯行状況も動機も、禎子の想像によるしかないが、久しぶりにビデオで観直すと、映画では、佐知子の回想と告白のシーンを付け加え、佐知子の口から犯行の説明があり、その方が、観客には親切である。
 結婚が決まり、夫人を訪ねた憲一*15は、夫人が不用意に漏らした言葉で、彼女の前歴に初めて気づく。それほど、現在の佐知子は、自信にあふれた魅力的な女性で、かつての「パンパン」と呼ばれていた頃のイメージがなかったからである。
 彼女は、夫*16の紹介で憲一に最初に会った時から、元巡査であった彼の経歴に気づき、彼女の不安は、それから始まったのだが、それから1年以上もたって、いう必要のない秘密に自分が触れてしまったという佐知子の狼狽が、映画では印象的である。悪意を持たない憲一への「殺意」が生まれた瞬間である。
 彼女は、最初から、悪女であったわけではない。保身のためとはいえ、罪を重ねて行く(重ねざるを得ない)、人間の愚かさと悲しさを、高千穂ひづるは、よく表現していた。
 禎子が、夫の巡査時代のことを訊くため、立川へ行ったとき、憲一の昔の同僚が言ったことば。
鵜原君はこんなことを言っていましたよ。パンパンというのは無知なものだが、なかには、なかなか、しっかりした奴もある。かなりな教育を受けた、頭脳(あたま)のいい女もいる。それから、教養はないが、無邪気なくらい心のいい女もいる」
 これは、佐知子と久子のことを指すのであろうか。

http://www.asahi-net.or.jp/~JB7Y-MRST/YUT/DK/DK00a.html
■『ゼロの焦点』と旅情ミステリ、から一部引用
山本
 たしか、これ、鮎川哲也の『黒い白鳥』と同時連載なんだよ。で、同じような話になりそうなのを鮎川哲也が気がついて、途中で変更したって。だから、本格も社会派も見せ方の違いだけで、本質は同じなんだよ。
白石
 森村誠一の『人間の証明』も、ちょっと『ゼロの焦点』を思わせる。
山本
 ああ、そうだね。

ゼロの焦点』のアマゾンレビュー
推理小説の体裁で戦後の社会を描いた作品(スイート・サイエンス)
 この小説を推理小説という観点からだけ見た場合には、それほど高い評価を付け難いと思う。何故ならば話の中盤あたりの、禎子が立川に行って夫が警察官時代にパンパンの取り締まりをしていたことが判明した時点で、犯人の目星がついてしまったからである。
 ただ、この小説は単なる推理小説ではないと思う。終戦後10年以上が過ぎた昭和30年前半が舞台であるが、戦後に生じた混乱を生きた女性が社会的にどのような影響を受けたかが描かれており、そのような時代を全く知らない自分にとってはこんなことがあったのかと新鮮な驚きがあった。著者の狙いも時代の中で翻弄された女性の運命を描きたいという点にあったのではないかと思う。
■これは推理小説として読んではいけない気がする(ドウタク)
 これは推理小説の体裁をとっているけれど、松本清張が書きたかったのは殺人者の動機のほうではないかと思う。むしろこちらのほうがかれの主の興味で推理小説の部分は大衆を社会問題に注目させるための飴だったのではないかなあと読後感じた。
 『日本の黒い霧』とか『昭和史発掘』を読むと松本清張現代日本の構造的問題として占領期や満州から続く問題が日本の根本問題の一つと思っているのはあきらか。この小説もその延長線上にある。
 占領期MPが絶対権力で警察、検察はその岡っ引きでしかなかったという問題意識のもとに警察をやめていく主人公格の被害者。現在華やかな社会的地位を持ちながら、占領期は米兵相手に売春を行っていた女性。その過去が戦後10数年たったところで、大きなひずみとして表れて、必ずしも悪人でない人たちが大きな悪に手を染めて破滅していく。
 ここまでいかないまでも占領期の社会状況がその後いろんな悲劇を生んでいったと思う。そこに光を当てるために万人が読みそうな推理小説、エンターテイメント仕立てにしたのがこの小説だと思う。決して、あー面白い推理小説だったと読んではいけないものだと思う。


■男性同性愛の戦後史研究とジェンダー(前川直哉*17
(内容紹介)
 うまくまとまりそうにないので前川氏のサイト(http://www.geocities.jp/maekawa_00/)から参考になりそうな物を紹介しておく。

http://www.kyoto-up.org/archives/1792
インタビュアー
 海外では著名人が積極的に自身のセクシュアリティをカミングアウトしていることが多いように見受けられます。それに対し、日本では自身のセクシュアリティを意識した職業に就いている人が一部にいる一方、一切カミングアウトしない人がほとんどという、二極化した状況があります。
前川氏
 そうですね。例えば欧米では、政治家はもちろん、学者や映画俳優、ミュージシャン、スポーツ選手など、同性愛者であることをカミングアウトしている人は大勢います。それに対し日本ではカミングアウトしている人が非常に少ない。これは明らかに、日本において同性愛解放が遅れている、つまりカミングアウトによる不利益が恐れられているということです。もちろん、研究やゲイ解放運動などを通じて自らが同性愛者であることをカミングアウトしている人はたくさんいますし、政治家でも地方議会では徐々に増えつつあります。それでも、まだまだ少ないと言わざるを得ません。
 パトリック・リネハンさんというアメリカ総領事が大阪にいらっしゃいますが、彼はゲイであることを公表しています。カナダで同性パートナーと結婚式を挙げ、二人で日本に来られています。そのリネハンさんが、今の日本の状況はちょうど30年前のアメリカと同じだと仰っていました。つまり、映画*18にもなった有名なハーヴェイ・ミルク*19(1930〜1978)ら地方政治家が出てきた段階であると。アメリカはその後、多くの紆余曲折を経て、自らの同性愛をカミングアウトする国会議員も出てくるようになりましたし、またオバマ大統領、クリントン国務長官らも、同性愛に対する差別を無くすことがアメリカにとって非常に大きな課題であると明言しています。
 日本だって30年ほど遅れてはいるけれども、そのステップを踏んでいることは間違いありません。ただ欧米諸国に比して、なぜこれほど遅れてしまっているのか。僕自身の見立てとしては、日本ではジェンダー差別の解消が遅れているということが、深く関係しています。
(中略)
 日本は女性の社会進出が非常に遅れている国です。つい最近、女性の国会議員比率(衆議院)はわずか7・9%で、これは190カ国中160位台であると報じられました。つまり、いわゆる先進国の中だけでなく、世界全体で見ても最低レベルに位置しているのです。企業にしても、管理職の女性が非常に少ないことはご存知の通りです。このように、女性の進出を阻みながら、男性だけで社会を動かそうという欲望がこの国には根強く残っている。これこそが、多くの男性同性愛者がカミングアウトできずにいる最も大きな原因であると考えています。
 一部のタレントさんのように、カミングアウトをした上で、かえってそれを「持ちネタ」にしている人たちについては、個々人によって考え方が分かれるでしょう。はっきり言えるのは、そういう光景を喜ぶ視聴者、テレビ局が存在しているということです。むしろメディアとしては、分かりやすい形のゲイの方が安心できるのだと思います。ゲイとはこのような人であるという偏ったステレオタイプを作り、それに沿った振り付けをさせている部分もあるでしょう。現実社会でゲイやレズビアンが息苦しい思いをしている、という社会問題に焦点を当てたとしても、視聴率がとれない。それよりは「ゲイのタレントがイケメン俳優に色目を使う」といった構図の方が、テレビ的には笑いの対象として成立しやすいということなのでしょう。
 同じことはテレビ番組に限ったことではなく、普段の日常生活についても言えますよね。京大生でも普段の会話の中で、セクシュアル・マイノリティの人権について真剣に議論する場面とか、ほとんどないでしょう。それに比べれば、「ゲイ」や「ホモ」といった言葉を使って、笑いをとりにいこうとする場面の方が圧倒的に多いはず。残念ながら現在の日本では、こうした人権感覚のなさが一般的なものとなっています。メディアの責任も大きいでしょうが、それを受け入れている視聴者にも責任はあると思います。
 そんな中、NHKの「ハートをつなごう*20は、セクシュアル・マイノリティをめぐる差別や生きづらさに真摯に向き合っている、数少ない良心的な番組です。また、同じNHKの「障がい者情報バラエティー・バリバラ」(公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/baribara/)では、障がいを持つ性的マイノリティが取り上げられる回もあります。民放でも同性婚などの話題を扱うドキュメンタリーが、少しずつ増えてきました。それでもやはり、同性愛が笑い・からかいの対象とされている番組のほうが圧倒的に多いというのが現状です。
 ところで、「オネエ」タレントやゲイキャラを売りにしているタレントさんはたくさんいらっしゃると思いますが、レズビアンについては全くいないものとされているのではないでしょうか。テレビを見ていると、そのことに疑問を覚えることがあります。男性同性愛者より女性同性愛者のほうが息苦しさを感じているはずだ、というのが僕の考えです。
 世界的には、レズビアンをカミングアウトしている女優さんやアーティストがたくさんいます。またThe L Word(邦題:『Lの世界』)というレズビアンバイセクシュアルの女性たちを描いたテレビドラマなどもある。ただ、欧米諸国においてもレズビアンよりゲイのほうが目立っているというのも確かで、既存のジェンダー力学を反映しているように思います。
■ボーイズ・ラブをめぐって
インタビュアー
 「ボーイズ・ラブ」の普及は、「同性愛」を主要ジャンルの一つとして確立させました。書店では、いわゆる少女漫画と同規模のコーナーが設けられていることも珍しくなく、その産業としての力は非常に大きいものとなっています。「ボーイズ・ラブ」がこれほど広がるようになったのにはどのような背景があるのでしょうか。
前川氏
 「ボーイズ・ラブ」が広がり始めたのは1990年代です。それ以前、男性同士の恋愛を描いたマンガ・小説は「やおい」や「耽美」と呼ばれていました。商業誌でこれらの作品を専門的に扱っていたのは『JUNE』という雑誌で、書店でも隅の方に置いてあって、いわば日陰の存在だったと言えます。同人誌の世界では、アニパロを中心にたくさんの作品が描かれていましたが。それが90年代に入り、一気に何冊もの商業誌が出版されるようになり、マーケットを広げていきました。今はそれが「定着」している時代にあたると思っています。
 その背景にはいくつかありますが、一つには「女性が男性を見る」という構図が、以前に比べ一般的になってきたことが挙げられます。昔も今も、「男性が(性的な対象として)女性を見る」というのが基本的な構図であることに変わりはありませんが、「見られる男性、見る女性」という構図も少しずつ市民権を得てきました。ボーイズ・ラブに限らず、「ジャニーズ」や「韓流」についても、同様のことが言えるでしょう。例えば芸能雑誌『Myojo』の表紙に登場する被写体を時代ごとに分析すると、50年代の創刊当初は女性スター単体だったのが、70年代・80年代に「女性と男性の組合せ」に変化し、90年代半ばに「男性アイドルばかり」の表紙へと移行していきます。
 また元々、文学やマンガの中で「男の絆」を称揚する空気があったわけです。『週刊少年ジャンプ』が「友情・努力・勝利」を旗印に掲げたように、男同士の友情を主題とする作品は、映画でも、テレビドラマでも、文学やマンガでも、それこそ星の数ほど描かれてきました。そしてマンガについて言えば、戦後に少年漫画/少女漫画と分化していった時に、少女漫画は「恋愛」を一つのメインテーマとして描くようになったという歴史的経緯があります。少年漫画の中では恋愛は取るに足らないもの、あくまで味付けにすぎないものとされたのに対し、少女漫画ではメインとされた。それは近代における性別役割分業観によって、「男性は社会に生きよ」、「女性は家庭のことをやれ」と唱えられたことと、深く関わっています。「恋」や「愛」は、女性化された概念として捉えられてきた経緯があるわけです。
 そして、恋愛を描く少女漫画の伝統と、男の絆を称揚する少年漫画の伝統が結び合わさる中で出来てきたのが「ボーイズ・ラブ」作品であると僕は考えています。男の絆は、実際に当事者として巻き込まれるのは色々と大変そうだが、鑑賞者として外から見ている分には楽しい。「男の絆」から弾き出された女性たちが、「男の絆を鑑賞する」という戦略を編み出した。さらに、少女漫画は恋愛を描くのに長けている。ならば、こいつらを恋愛させてみるのはどうだ、ということで出来上がってきたのがボーイズ・ラブだと言えます。
 ですから僕は、ボーイズ・ラブはある意味ではジェンダー規範の必然的な帰結の一つ、流行るべくして流行ったものだと思っています。当初は様々な抑圧の中で、あまり目立たないようになされてきたものが、90年代以降になってどんどん広がっていったわけです。ボーイズ・ラブは流行るべくして流行ったのに、男性がそのことで騒ぎ出しているだけなのかもしれません(笑)。
インタビュアー
 ステレオタイプ的な観方ですが、ボーイズ・ラブを愛好する女性は「腐女子」と呼ばれ、例えば鉛筆と消しゴムなど、何でもカップルにしてしまうということがある種のネタとして言われることがあります。
前川氏
 まず「腐女子」という呼称について、自称なのか他称なのかという問題があります。自称として使う場合はともかく、他称としてこの呼称が持ちだされる場合には、やはり差別的なニュアンスがつきまとっているのではないかと僕は思います。
他称として名指される際、なぜボーイズ・ラブを愛読する女性たちが「腐女子」と呼ばれ、かつその行動が批判の対象となりがちなのか。批判されるリスクを察知しているので、ボーイズ・ラブを好む女性読者たちは自らのことを予め「腐女子」と自嘲しておき、「私たちは腐っているのです、放っておいてください」とバリアを張っておかなければならないというケースもあるように感じます。
 ヘテロの男性が女性に対して性的な欲望を抱いている時に、そんなバリアを張っているでしょうか。2ちゃんねるTwitterなどでも「ホモォ…」と囁くAA(アスキーアート)が流行ったことがあります。こんなふうに「腐女子」と呼ばれる女性たちは自嘲しなければならない。一方ヘテロ男性は、夜な夜な1時間も2時間もエロ動画を必死になって探していても、「エロォ…」と自嘲したりしませんよね。そういう非対称さにはやはり問題があると思います。なぜボーイズ・ラブが好きな女性たちは予め自分を貶めなければならないのか。なぜヘテロ男性は、夜な夜な動画を探す自らの滑稽さを笑わず、彼女たちだけを嘲笑するのか。この点を考えるべきではないでしょうか。
インタビュアー
 一般的に、異性愛者男性が好んで読むものは「オタク文化」の中心に位置づけられ、それを専門とする批評家も現れています。これに対し、ボーイズ・ラブの批評をめぐる状況はどうなのでしょうか。
前川氏
 ボーイズ・ラブにも専門の批評家はいます。また三浦しをんさん*21のように、積極的にボーイズ・ラブについて発信している方も、ジェンダー研究者に限らずたくさんいらっしゃいます。
 ただ、ボーイズ・ラブを読むという行為自体について、研究者たちが色々と語ろうとすると、ファンからは抵抗や批判がある場合も少なくありません。自分たちが楽しんで読んでいるものを、外部からあれこれ言わないでほしい、という気持ちはよく分かる。この辺りは、なかなか難しい所です。
 ちなみに僕は、「なぜボーイズ・ラブを読むのか」といった問いの立て方はしません。むしろ問われるべきは、「なぜポーイズ・ラブを読むという行為が、これほど言挙げされるのか」だと考えています。
 余談ですが、昨年末に雑誌『ユリイカ』でボーイズ・ラブの特集をした時、普段よりかなり売れ行きが良かったそうです(笑)。ですから、ボーイズ・ラブに対する評論はそれなりに求められているとも言えます。
インタビュアー
 ボーイズ・ラブは然るべくして流行するようになったということですが、ガールズ・ラブ、いわゆる「百合」についてはどうなのでしょうか。
前川氏
 ガールズ・ラブ作品については僕自身あまり詳しくないので、答えるのは難しいですね。ただ一つ言えるのは、これまで女性同士の性愛は、基本的にヘテロ男性のためのポルノグラフィー、つまりアダルトビデオなどの中で扱われるケースがほとんどだった。それがいわゆる「百合」作品として漫画の中に取り入れられると、女性の読者も増えてきているという現象があります。依然、男性が性的消費の対象としている部分があるのも、間違いないのですが。これから注目していきたいところです。
インタビュアー
 前川さんは勤務先の灘高校で、ジェンダー学を中心に取り扱う講座を開いているということですが、そこではどのような授業をされているのでしょうか。
前川氏
 これは「社会講座」という科目名で、高3の文系クラスの全生徒を対象に行なっています。この講座は週2回、大学入試とは全く関係のないことをやろうという趣旨で行われているものです。僕が担当しているのは「ジェンダーセクシュアリティ」で、最初の2回でジェンダーセクシュアリティに関する概論を説明し、その上で生徒たちに自由発表をしてもらいます。1コマ50分という時間的な制限もありますので、1回につき2名に、15分発表・10分質疑応答をやってもらう。そういうかたちで、ミニ・ゼミのようなことをやっています。生徒たちはかなり乗ってくれて、こちらから細かいことを説明しなくても、自ら色々な本を読み、主体的に発表してくれますね。
 ジェンダーと就労に関する問題や、インドにおける女性差別問題など、かなり堅いテーマを扱う発表もありますし、あるいはサブカルチャーに関するものもあります。昨年は「男の娘」文化について発表してくれた生徒もいました。非常に面白い発表ばかりですし、僕自身刺激を受けています。また、生徒たちに聞いても楽しんでやってくれているみたいですね。受験生の6月、7月というのは忙しい時期だとは思うのですが、彼らは一生懸命準備をしてくれます。
インタビュアー
 そのような授業をやろうと思うようになったきっかけは。
前川氏
 元々「社会講座」という、入試と関係のないものをやろう、という趣旨の時間が作られた時、僕は高校教員であると同時に、ジェンダーセクシュアリティの研究者ですから、このテーマでやってみようと考えたわけです。最初の1年間は講義形式で行っていたのですが、やっているうちにむしろ生徒の発表が聞きたいと思うようになり、2年目からゼミの形式にしたところ予想以上にうまく行った。それで、今年も同じかたちで続けることにしました。
 また、ジェンダーセクシュアリティというのは身近なテーマであり、考えれば考えるほど社会とつながっていく問題です。僕が勤める学校は男子校ですので、このテーマについて全く知らないまま大学に進学していくと、自分が「男性」であるということによってどのような位置にあるのかに無自覚なまま社会に入ってしまう危険性があります。男子校の生徒にこそ、ジェンダーについての授業が必要だというのが、僕の実感です。
 また中学校や高校では、同性愛差別の問題について、ほとんど語られないという現状があります。同性愛差別というのは、あらゆる種類の差別の中でも、最も日常的に起こっている差別の一つです。例えば、あからさまな部落差別や障がい者に対する差別の発言を、同級生や教員から聞くことは、今の高校生はあまりないはずです。でも同性愛差別となると、「お前ホモかよ、気持ち悪い」、「そんなにナヨナヨして、お前はオカマか」などと生徒も言うし、教員でさえ言ってしまう現実がある。クラスの中にはそれを聞いて、息苦しさを感じている生徒がいるのに。
 ですから、教員の側がまず同性愛差別について正しく理解しなければならないし、生徒がそういう差別的な発言をすれば介入して、それはダメだと言わなければなりません。これが他の差別であれば、教師は大抵の場合、放置しないと思います。でも同性愛差別においては放置されてしまっている。そういうことに対する危機感はありますね。教員の中には、同性愛とトランス・ジェンダーの区別がついていない人も多いのが実情です。
 学校ではなぜ、同性愛差別の問題について触れられないのか。そこにはいくつか理由があります。学校で差別問題を取り扱うべきかどうか、あるいは、同性愛者に対するからかいが差別なのかどうか、といったことについて、教師が迷ってしまっている部分もあります。しかし、やはり学校において教員は、現代社会に残る差別問題について積極的に考え、これを無くしていくよう努力する必要があります。そしてまた、同性愛に対するからかいは、それによって生きづらさ・息苦しさを感じている人たちが現実に多くいるという、明らかな差別の事例です。例えば人権週間の強調事項にも、「性的指向を理由とする差別をなくそう」というのが、はっきりメッセージとしてあるわけです。
 こう考えると、学校で同性愛に対する差別についてきちんと正しい情報を伝え、差別的な発言が行われている現場を見たら、教員が介入して対処すべきだという結論になります。それが出来ていない大きな理由は、やはり教員の知識が乏しいからです。よく言い訳にされる言い方に、性に関することは学校で扱いにくい、というのがあります。でも、現実に起こっている差別によって、多くの生徒が息苦しさを感じているのに、教員らが全く無頓着であるという現状に、言い訳は許されません。確かに、いま学校の先生たちは、非常に忙しい。それでも、これは生徒たちの人権に関わる最優先事項なのだと認識を改めていくことで、セクシュアル・マイノリティに対する理解は、今後どんどん広まっていくのではないかと思います。学校が変われば、社会全体も大きく変わっていくはずです。
 また私自身、教員として、差別によって息苦しさを感じる生徒だけでなく、誰かを傷つけてしまう側の生徒のことも考えたいという思いがあります。そのまま何も手を打たないと、知らず知らずのうちに「この世の中は異性愛者だけでできている」と思い込み、傷つける立場に回る危険性がある。最近、電通総研が行った調査では、約5%の人が自分をLGBTだと回答しています。つまり例えばTwitterでも、100人のフォロワーがいれば、そのうち5人はセクシュアル・マイノリティであるはずなのです。でもみんな、声をあげることができないでいる。普段そのことを意識しているかいないかで、SNSでの「つぶやき」一つをとっても、対応が変わってくるはずです。
 傷つけられること、無視されることにはもう慣れている、というマイノリティも多いと思いますが、やはり気遣えるかそうでないかというのは大きいと思います。誰もが異性愛者だという思い込みを、週1回の授業によって少しでも変えたい。誰かは分からないけど、自分の周りに息苦しさを抱えている人がいるのだということに想像力がおよび、言動に反映できる人になって欲しい。そういう期待はしています。こんなふうに学校の授業を通じて、セクシュアル・マイノリティについての正確な知識を学ぶ人が増えていけば、この国も少しは生きやすくなるんじゃないかな。
 ジェンダーについて話を戻せば、うちの学校に限らず、東大も京大も男子校出身者が多いでしょう。つまり官僚や企業トップのような、この国を動かしているような人たちについても、別学出身者が多いことになります。それゆえ、ジェンダーについてどうしても鈍感である人たちがこの国を牛耳ってしまう。そういう意味で、灘高校でこうした授業を行うことには意味があるのでは、と思っています。
インタビュアー
 「国を動かす人たち」ということにも関連しますが、昨年*2212月の総選挙で、自民党が圧勝し、その裏で、自民党が「セクシュアル・マイノリティ差別に対する政策」に唯一消極的であったことが話題となりました。今後、マイノリティの人たちの生活に影響はあるのでしょうか。
前川氏
 確かに、何を言っているんだとは思いますが、正直なところ、政党としてどんな政策を立てるのも勝手だとは思います(笑)。問題は、それが争点にならないことです。自民党のことについても、報じたメディアは少なかったのではないでしょうか。アメリカのように、同性婚の是非をめぐって大統領選で激しくやり合うといった状況はあってもいいだろうと思います。アメリカに限らず、欧米の多くの国ではdiversity(多様性)という観点から、セクシュアル・マイノリティについて考える動きが年々強まっています。社会を活性化するためにdiversityが不可欠だという言い方がされている。
 社会が活性化するかどうかは別にしても、現実問題として、多くの人が息苦しさを感じているのは良くないという思いが僕にはあります。セクシュアル・マイノリティについてもそうですし、ジェンダーの問題についてもこれは言える。他の国を模範にするわけではありませんが、日本の現状として、女性が活躍できず、セクシュアル・マイノリティが声を上げられない。その点、変えるべき部分はまだまだある。政策にしても、政党として何を言うのも勝手ですが、それぞれの考えを、もっとメディアが政治的イシューとして取り上げるべきだと思います。
インタビュアー
 市民として求められることは。
前川氏
 市民というと大げさですが(笑)、やはりジェンダーセクシュアリティの問題について敏感であってほしいと思います。気付かないかもしれないが、自分の身の周りにセクシュアル・マイノリティがいるという事実があり、もしかしたら自分も差別的な言動をしているかもしれない。そのことは常に念頭に置いてほしいですね。僕自身、一番仲の良かった人には、最後までなかなかカミングアウトすることができませんでした。仲が良いからこそ、言えなかった。その人が平気で同性愛について「からかい」的な発言をするものだから、余計に難しかったのです。
 この記事を見ている人に考えてもらいたいのは、自分の友達の中に、セクシュアリティのことで悩んでいる人がいるかもしれないということです。例えば自らの同性愛を自覚している人たちは、日常生活の中で、それを誤魔化すのが非常に得意です。男性同性愛者の場合、彼氏のことを「彼女」と言えばよい。AV女優の名前だって、興味がなくても何人分かは覚えてしまいます。普段の会話からでは、誰が同性愛者なのか、誰がセクシュアル・マイノリティなのか、分かりません。それでも、男性同性愛者、女性同性愛者、あるいはトランス・ジェンダーの人は近くにいるし、それぞれの生きづらさを抱えています。そういうことについて敏感になってほしい。「誰が同性愛者なのか」と、探偵のようなまなざしで観察する必要はありません。そうではなくて、誰かは分からないけど、身近にいるんだと知っておいてほしい。
 もし「自分はそういう人に会ったことがない、テレビの中だけの世界だ」と思っているのであれば、それはそういう態度をあなたがとっているからなのです。自分は同性愛者であることを受け入れるというシグナルが出てさえいれば、恐らくあなたに打ち明ける人もいるはずです。
 また同性愛について、「可哀想な一部の人々」という捉え方も間違いだと思っています。あらゆる人はバイセクシュアルの可能性を持っているというのが僕の考えで、自分自身も性の思い込みにとらわれていないか問わねばなりません。誰にでも、同性に対して好きになる、憧れる気持ちがあるはずです。そういった自分の内側から聞こえる声にもう少し耳を傾けて、何も特別なことはないんだとみんなが思えるようになれば、だいぶ状況は変わってくる。そういうふうに思います。
インタビュアー
 ありがとうございました。

*1:著書『「ヒロシマ以後」の広島に生まれて:女性史・「ジェンダー」…ときどき犬』(2007年、ひろしま女性学研究所)、『日本占領とジェンダー:米軍・売買春と日本女性たち』(2014年、有志舎)

*2:著書『沖縄戦と民衆』(2001年、大月書店)、『BC級戦犯裁判』(2005年、岩波新書)、『シンガポール華僑粛清:日本軍はシンガポールで何をしたのか』(2007年、高文研)、『沖縄戦:強制された「集団自決」』(2009年、吉川弘文館)、『戦犯裁判の研究』(2010年、勉誠出版)、『沖縄戦が問うもの』(2010年、大月書店)、『米軍基地の歴史』(2011年、吉川弘文館)、『暴力と差別としての米軍基地』(2014年、かもがわ出版)、『裁かれた戦争犯罪:イギリスの対日戦犯裁判』(2014年、岩波人文書セレクション)、『日本軍「慰安婦」問題の核心』(2015年、花伝社)など

*3:これについては「RAA」などでググることによって山田盟子『占領軍慰安婦:国策売春の女たちの悲劇』(1992年、光人社)、ドウス昌代『敗者の贈物:特殊慰安施設RAAをめぐる占領史の側面』(1995年、講談社文庫)、いのうえせつこ『敗戦秘史・占領軍慰安所:国家による売春施設』(2008年、新評論)、長嶋公榮『「国家売春命令」の足跡:昭和二十年八月十五日・敗戦国日本の序章』(2015年、彩流社)などがあることがわかる

*4:後にトルーマン政権国防長官

*5:後に陸軍長官

*6:後にNATO軍最高司令官を経て米国大統領

*7:2014年、インパクト出版会

*8:1947年11月から司会を担当したNHKラジオのクイズ番組『二十の扉』は1960年まで放送されて長く人気を博し、回答者が問題に正解した際に藤倉が発する「ご名答」は流行語となった。この他、第1回NHK紅白歌合戦(1951年)、第2回NHK紅白歌合戦(1952年)の白組司会、エリザベス女王戴冠式中継(1953年)の実況などを担当した。

*9:1947年(昭和22年)10月にテイチクから発売された歌謡曲。作詞した清水みのるは、終戦して間もない頃、東京日日新聞(現在の毎日新聞)に載った女性の手記を読んだ。従軍看護婦だった彼女は、奉天から東京に帰ってきたが、焼け野原で家族もすべて失われたため、「夜の女」として生きるしかないわが身を嘆いていたという。清水は、戦争への怒りややるせない気持ちを歌にした。当初、テイチクではコロムビアから移籍したばかりで、ブルースの女王として地位を築いていた淡谷のり子に吹き込みを依頼した。しかし、「夜の女の仲間に見られるようなパンパン歌謡は歌いたくない」と断られた。そこで、会社は同じくコロムビアから移籍していた菊池章子に吹き込みを依頼した。完成した際の題名は『こんな女に誰がした』であったが、GHQから「日本人の反米感情を煽るおそれがある」とクレームがつき、題名を『星の流れに』と変更して発売となった。本社は積極的発売方針では無かったため、レコード発売当初は全く売れなかった。しかし1947年4月22日、NHKのラジオ番組「街頭録音」で、アナウンサーの藤倉修一が有楽町で200人もの夜の女(街娼)を支配していた「ラク町おとき」の隠し録りインタビューを敢行した時、彼女が「星の流れに」の一節、「こんな女にだれがした」を口ずさんだことが、この歌が広く世間で認知されるきっかけになったとされる。また、田村泰次郎原作の小説『肉体の門』が映画化された際も、この曲が挿入歌として使用され、ヒットの一因を担うこととなったという(ウィキペ『星の流れに』参照)。

*10:第10回日本探偵作家クラブ賞(1957年)受賞作

*11:1946年創刊、1964年まで発行された月刊推理小説雑誌。宝石社の倒産後、光文社が版権を買い取って、1965年10月に男性向け月刊総合雑誌として『宝石』を再刊し、1999年まで発行された。光文社は他にも『宝石』を冠する姉妹誌として、『週刊宝石』『小説宝石』『SF宝石』を刊行。この光文社版と区別して推理小説誌時代を旧『宝石』と呼ぶこともある。

*12:容疑者の目星は割と簡単につくが「鉄壁のアリバイがあるため」アリバイ崩しに全力を挙げるというアリバイトリック崩し物。

*13:正確には「売れっ子推理小説作家の仲間入り」だろう。鮎川のデビュー自体は1950年の『ペトロフ事件』(『宝石』100万円懸賞の長篇部門に入選)である(ウィキペ「鮎川哲也」参照)。

*14:1964年に『月光仮面』の祝十郎(月光仮面)役で知られる俳優の大瀬康一と結婚。しかし、このころ起業し、事業に専念していた父親・二出川延明(元パリーグ審判部長)のたっての懇願で大瀬と共に芸能界を完全引退。二出川存命中は彼を補佐する形で、二出川逝去後は大瀬・高千穂二人が主力となり社業を守り今に至っている。一時は全く公の場に出ていなかったが、2000年代以降は、過去の出演映画を題材としたトークショーに時折出演している(ウィキペ「高千穂ひづる」参照)。

*15:南原宏治

*16:加藤嘉

*17:著書『男の絆:明治の学生からボーイズ・ラブまで』(2011年、筑摩書房)など

*18:1984年にアカデミードキュメンタリー賞を受賞した映画『ハーヴェイ・ミルク』のこと。

*19:1977年、カリフォルニア州サンフランシスコ市の市会議員に当選し、米国で初めて自らゲイであることを明らかにして立候補し選挙で選ばれた公職者となる。しかし、議員就任1年も経たない1978年11月27日、同僚議員のダン・ホワイトにより、ジョージ・マスコーニ市長とともに市庁舎内で射殺された。この事件の裁判で、ホワイトはわずか7年の禁固刑を宣告され、この評決に怒った同性愛者らが、サンフランシスコで広範囲にわたる暴動を起こした(なお、ホワイトは釈放後の1985年に妻の家のガレージで自動車の排気ガス吸引により自殺した)。1999年にはミルクは「タイム誌が選ぶ20世紀の100人の英雄」に選出されている。2008年には、カリフォルニア州議会下院がミルクの誕生日である5月22日を公的に「ハーヴェイ・ミルク・デー」と規定する法案を可決した。2009年に大統領自由勲章を授与されている。またミルクの生涯を描いた映画 『ミルク』で主演のショーン・ペンがアカデミー主演男優賞(2008年)を受賞した。(ウィキペ『ハーヴェイ・ミルク』参照)。

*20:2006年4月〜2012年3月までNHK教育テレビ福祉ネットワーク』の枠内で放送していた福祉情報番組。現在は後番組として『ハートネットTV』が放送されている。

*21:2006年に『まほろ駅前多田便利軒』(現在、文春文庫)で直木賞を、2012年に『舟を編む』(現在、光文社文庫)で本屋大賞を、2015年、『あの家に暮らす四人の女』(中央公論新社)で織田作之助賞を受賞

*22:2012年のこと