今日の産経ニュース(9/24分)

■「ロシア柔道の祖」銅像を建立 極東ウラジオストクで除幕式
http://www.sankei.com/world/news/160924/wor1609240068-n1.html

 明治から大正時代にかけて日本で学んだ柔道をロシアに伝え「ロシア柔道の祖」とされるワシリー・オシェプコフの銅像が最初の柔道クラブを開いた極東ウラジオストクに完成し、24日に除幕式が行われた。
(中略)
 笠井達彦・駐ウラジオストク総領事は「ロシアが柔道の強豪国となり、プーチン大統領も柔道を通じて友好を深めていることをうれしく思う」とあいさつした。

 勿論どう見てもプーチン訪日と連動した動きでしょう。

参考

■サンボ(ウィキペ参照)
 サンボの創始者の1人として、帝政時代ロシアにおいて、サハリンから神学生として日本に渡り、講道館で柔道を学んだワシリー・オシェプコフが挙げられる。 彼は1930年代にソ連各地で柔道の普及活動を行なったが、1937年、スターリン粛清の対象となり、「日本のスパイ」という嫌疑をかけられ投獄、獄中で病死する。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/erp/rss/hoppo/page1_000243.html
■東方経済フォーラム2016における安倍総理大臣スピーチ
 プーチン大統領ならよくご存じの、ロシアに初めて講道館柔道をもたらしたワシリー・オシェプコフは、コラベリナヤ通り21番地というところで最初の道場を開いたそうです。その建物もまだ残っているのでしょうか。そんなあちこちへ行くのは、いつかまた来た時の楽しみに取っておきます。
 その「いつか」を、そう遠くない将来にしたいと思っています。

http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_10_03/90048089/
 ワシリー・オシェプコフは、ロシアで柔道の普及活動を行い、ロシアの格闘技「サンボ」の創始者としても知られています。
(中略)
 ワシリー・オシェプコフは1892年12月25日(旧暦の1893年1月7日)に、サハリンの徒刑囚、マリヤ・オシェプコワと流刑者セルゲイ・プリサクの間に生まれました。11歳で孤児となり、1907年の9月、14歳のときに、東京の神学校に入ることとなりました。当時の神学校では(中略)嘉納治五郎によって作られた柔道の基礎が指導されていました。頭がよく、すばしこかったワシリー・オシェプコフは柔道の技を次々と習得し、柔道の総本山、講道館で修行できることになりました。運命の女神が彼に味方をしたのです。講道館の資料には、オシェプコフは1911年10月29日に入学したという記載が残されています。オシェプコフはそこでもめきめきと実力を伸ばし、1913年6月15日、ロシア人として初めて初段を取得しました。
(中略)
 1914年、オシェプコフは、ウラジオストクで初めての柔道学校を開校しました。学生を中心に、50人ほどが通う学校でした。そしてウラジオストクに住む日本人もトレーニングに訪れていました。1915年には、第一回露日国際柔道大会が開かれ、1917年に開かれた第2回大会で、オシェプコフは2段を取得しました。
(中略)
 1937年10月2日の深夜、オシェプコフは、ソ連の数十人の日本専門家たちとともに、日本のスパイの容疑で逮捕されました。
(中略)
 1937年10月10日、オシェプコフはブトゥイルスカヤ刑務所で、狭心症の発作のため亡くなりました。
 (ボーガス注:スターリン死後の)1956年になって、オシェプコフはようやく名誉回復。2012年9月にはウラジオストクに、オシェプコフの胸像が建てられました。


■コービン英労働党首が再選果たす 穏健派反発、分裂の恐れも
http://www.sankei.com/world/news/160924/wor1609240067-n1.html
 穏健派て書き方は思いきり偏向してますよねえ。まあ小生も英国政治には無知ですが普通に考えて「最大野党の党首が過激派」なんて事はないと思いますけどねえ。

 欧州連合(EU)離脱を選択した6月の国民投票の際には、「残留」に向けた運動に消極的だったコービン氏に批判が集中。議員団が不信任を突き付け、オーエン・スミス下院議員(46)との間で党首選が行われた。

1)党内に「離脱派がいた」ため下手に残留運動をすると党がぐちゃぐちゃになる上
2)投票で負けたら「コービン氏以上にまずいことになる*1」キャメロン首相が勝利に全力投球
3)世論調査でも僅差だが勝利
だったので「特に何もしなかった」のが完全に裏目に出たわけです。まあコービン氏が残留運動しなかったことの是非はともかく彼は「離脱運動」はさすがにしてないし、残留運動すれば残留できたかは疑問ですが。

 議員の大半はスミス氏を支持したが、草の根の一般党員や労組から支持を集めたコービン氏が圧勝した。

 「お前らだってそんなコービンを黙認したんと違うのか」「お前らコービンを引きずり下ろすネタにEU離脱問題使ってるだけやろ」つう党員の同情票、反発票がかえってコービン氏に集まったようです。


■【大相撲秋場所大関豪栄道が初優勝 14戦全勝で千秋楽待たず
http://www.sankei.com/sports/news/160924/spo1609240027-n1.html
 誰が優勝するかというのはもちろん「最後の日まで興味が続くこと」が望ましいわけで、ライバルである横綱白鵬日馬富士鶴竜大関琴奨菊稀勢の里照ノ富士の今後の奮闘を期待したいところです。
 もちろん来場所の豪栄道綱取りを期待はしていますが、それは「あくまでもライバルと15場所やり合った上での話」であってよほどの豪栄道ファンでない限り、今回のような豪栄道独走なんて望んでないでしょう。
 贅沢な願いではあるでしょうが「あくまでも15場所やり合った上での豪栄道優勝、横綱昇進」が見たいわけです。まあ、豪栄道独走以上に相撲ファンがもっと見たくないのは「綱取り場所での琴奨菊稀勢の里のふがいない成績(前場所の好成績が信じられない不調で綱取りの可能性が早い段階でほぼ消滅)」が「豪栄道によって来場所再現されること(綱取りが白紙に戻る)」ですが。


プーチン*2大統領が対日経済協力のポスト新設を指示 安倍政権の担当相設置に呼応
http://www.sankei.com/world/news/160924/wor1609240013-n1.html
 北方領土担当でないところが興味深い。つまりは北方領土については曖昧な態度を取っているわけです。


■【産経抄】9月24日
http://www.sankei.com/column/news/160924/clm1609240005-n1.html

 役員名簿を眺めると、日教組の影もちらつく。幹事長の野田佳彦*3元首相は首相当時、「日教組のドン」と呼ばれた輿石東参院副議長を幹事長に抜擢(ばってき)して党運営を委ねた。

 当時の輿石氏が何故か小沢一郎民主党幹事長(現・生活の党代表)に近く「小沢氏は反主流派だった」ので小沢氏を取り込むための人事*4日教組など全く関係ない。
 完全な言いがかりですね。野田政権時の政策の何処に日教組的なもんがあったんでしょうか。
 大体、民主党政権文科相は「川端達夫*5(鳩山・菅*6内閣:旧民社党出身)」、「高木義明*7菅内閣:川端の子分)」、「中川正春*8(野田内閣:民政党(羽田氏が党首)に一時所属した羽田孜*9元首相の子分)」「平野博文*10(野田第一次、第二次改造内閣:鳩山元首相グループ)」「田中真紀子*11(野田第三次改造内閣)」と日教組出身者など「見事なまでに」一人もいないのですが。
 産経が言うほどの「民主党に対する影響力」が日教組にあれば「民主党政権時に1度も日教組出身者が文科相になれない」なんてことはないでしょう。
 また「日教組が強く求めていた教員免許更新制度(第一次安倍内閣が導入)の廃止」を民主党政権は「前原*12元代表など党内右派の反発を恐れてか」ついにやりませんでした。それでどこが「日教組の政治力」なのか。まあ、産経も「嘘を故意についている」のでしょうが。

 代表を補佐する副代表には、元日教組中央執行委員の神本美恵子*13参院議員が名を連ねる。神本氏は自身のホームページに、慰安婦問題での対日謝罪要求決議を主導したマイク・ホンダ米下院議員と撮った写真を掲げる人物だ。

 日教組出身であることと「マイク・ホンダ氏と親しいこと」は産経にとって「許しがたい罪」のようです。

*1:実際首相退陣に追い込まれ、近年政界引退まで発表

*2:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*3:鳩山内閣財務副大臣菅内閣財務相を経て首相

*4:ただし最終的には小沢氏は離党。そのとき、輿石氏は民主党に残留した。

*5:野田内閣総務相衆院副議長など歴任

*6:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相を経て首相。現在、民進党最高顧問

*7:民主党選挙対策委員長(野田代表時代)、国会対策委員長(海江田代表時代)など歴任

*8:鳩山、菅内閣文科副大臣を経て野田内閣文科相

*9:中曽根、竹下内閣農水相、宮沢内閣蔵相、細川内閣副総理・外相を経て首相

*10:鳩山内閣官房長官

*11:田中角栄元首相の娘。田中直紀元防衛相の妻。村山内閣科学技術庁長官、小泉内閣外相を歴任

*12:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相など歴任

*13:野田内閣で文科大臣政務官