今日の産経ニュースほか(10/28分)

ウィキペディア三笠宮崇仁」ほか
 まあ、お亡くなりになったので見ておくかなと。なお、三笠宮の「紀元節批判(神武は実在ではない)」「南京事件実在説の肯定」といった自分に都合の悪いことには、もちろん産経は三笠宮追悼記事で一切触れません。三笠宮を支持するわけにも罵倒するわけにも行かないからです。

ウィキペディア三笠宮崇仁
・1950年代後半から紀元節の復活への動きが具体的なものになってくると、歴史学者の立場から、神武天皇の即位は神話であり史実ではないとして強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張った。編著『日本のあけぼの』(1959年、光文社)はこのときに刊行されたものである。このため一部から「赤い宮様」と呼ばれた。復活を推進する人々は三笠宮を激しく非難し、なかでも右翼活動家・里見岸雄野依秀市は、三笠宮を「無責任」「非常識」「左翼」と罵倒し、皇族の身分を離れることを要求する著作まで公表している。右翼団体の構成員が宮邸に押しかけて面会を強要した事件も起きている。
・太平洋戦争については後に「1943年1月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任しました。そして1年間在勤しました。その間に私は日本軍の残虐行為*1を知らされました」「聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけ離れたものであったからこそ、そして、内容が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないかということである」「こうして聖戦に対する信念を完全に喪失した私としては、求めるものはただ和平のみとなった」などと述懐している。
・1998年(平成10年)に中国国家主席江沢民*2が来日した際には宮中晩餐会に同席して「今に至るまでなお深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と謝罪している。
 戦後には著書『古代オリエント史と私』(1984年、学生社)の文中や、日中戦争時の南京事件についてのインタビューで日本軍の捕虜の殺害に関して批判的意見を述べている。

 最近の新聞などで(ボーガス注:南京虐殺について)議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる」という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。北京駐屯の岡村寧次*3大将などは、その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。私も北京に行って、直接聞いたことがあります。
■「THIS IS 読売」 1994年8月号「闇に葬られた皇室の軍部批判」
聞き手は中野邦観・読売新聞調査研究本部主任研究員

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016102802000138.html
 三笠宮さまの南京赴任は陥落から約五年後の一九四三年。軍紀の乱れを知り、現地将校を前に「略奪暴行を行いながら何の皇軍か」などと激烈な講話をしたという。
 当時を回顧した著書に「内実が正義の戦いでなかったからこそ、いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか」と記している。非難する文書が三笠宮さまの周辺に配られても、批判的な視点を変えることはなかった。
(中略)
 「紀元節」復活の動きには、五七年に歴史学者の会合で「反対運動を展開してはどうか」と呼び掛けた。歴史学者として、学問的根拠のあいまいな「歴史」には異を唱えざるを得なかったのだろう。
 反発した復活賛成派が三笠宮邸に押しかけるなどしたが、自らの見解は曲げなかった。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016102802000136.html
「近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、感銘を覚えた」。
 皇后美智子さまが、そう評されたのは、自由民権運動の熱い熱の中で生まれた私擬憲法案「五日市憲法草案」である
▼この画期的な文書を一九六八年に見つけた歴史学者色川大吉さん*4はある時、「三多摩自由民権運動展」を開催したが、地元の役所もマスコミも冷淡で、さっぱり来場者が来ない。困って、旧知の著名な歴史学者に助けを求めた
▼翌日、その方は来場し、(中略)会場にいた記者らを驚かせた。この歴史学者こそ、三笠宮崇仁さま。おかげでイベントは大盛況になったそうだ。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20161028/dms1610280830009-n2.htm
 三笠宮さまは、若者たちにまじってダンスのステップを踏まれるなど、庶民的でフランクな人柄で知られた。昭和30年には皇族として初めて大学(東京女子大)の講師となり、教壇に立った。通勤はもっぱら国鉄(現JR)を利用された。学食では女子学生らと一緒に、しばしば1杯20円のきつねうどんを食べられ、メニューは「宮さまうどん」などと呼ばれるようになったという。
 公道で車の運転もされた。40年10月には東京・青山で、ブレーキを踏み外されてハイヤーに追突。3台の玉突き事故となり、警視庁赤坂署から道路交通法違反容疑などで書類送検されたこともある。これも皇族としては初のことだった。

http://www.sankei.com/life/news/161027/lif1610270070-n1.html
「殿下は気取りのない気さくな方。ダンスのステップがとてもきれいだったのが印象的だった。正月にお会いしたときはお元気だったのに…」。
 「品川区フォークダンス協会」の高須みちよ理事長(78)=東京都品川区=は、そう残念がった。
 高須さんによると、同協会創立当時の昭和25年に三笠宮邸が同区にあった縁で、会員が発足のあいさつに行った際、三笠宮さまから「(戦後の)廃虚の中ですけど頑張りなさい」と励ましがあり、創立大会にもご夫妻で出席された。毎年12月の定期大会に5年おきに出席し、会員と手を組むなどフォークダンスを楽しまれたという。


朝日新聞生前退位有識者会議、石原氏*5・櫻井氏*6ヒアリングへ』
http://www.asahi.com/articles/ASJBW5F5YJBWUTFK00G.html
 ヒアリングをする専門家(?)16人のうち

大原康男*7国学院大名誉教授)
櫻井よしこ*8(ジャーナリスト)
平川祐弘(東大名誉教授)
百地章*9国士舘大大学院客員教授
八木秀次*10(麗沢大教授)
渡部昇一*11上智大名誉教授)

の6人は「安倍政権でない限り」意見聴取などしないであろう「日本会議系列」「産経系列」の札付きの極右です。しかしこの6人全員が「国基研理事長(櫻井よしこ)」、「国基研理事(大原康男平川祐弘百地章)」、「日本教育再生機構理事長(八木秀次)」などのウヨ肩書きを隠すのが本当に卑劣ですよねえ。前も書きましたが桜井よしこなんか中教審委員の肩書き(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/meibo/1369212.htm)には堂々と「公益財団法人国家基本問題研究所理事長*12」て書いてるのに(苦笑)。
 まあ、有識者会議委員には確かこの種の極右は一人もいませんので「この6人はウヨに対するガス抜きで議論に影響はないかも知れません」がそれにしても酷い面子です。
 それはともかくもちろんその他の面子(10人)は「ヒアリング対象として適任かどうかはともかく」左派ではないにせよ、極右ではありません。いや所功*13京都産業大名誉教授)は一寸微妙かな(苦笑)。
 「ウヨ面子6人と所」を除いたヒアリング対象9人の内少なくとも

今谷明帝京大特任教授)
 著書『信長と天皇』(1992年、講談社現代新書→2002年、講談社学術文庫)、『武家天皇』(1993年、岩波新書)、『象徴天皇の発見』(1999年、文春新書)、『戦国大名天皇』(2001年、講談社学術文庫)、『象徴天皇の源流』(2011年、新人物往来社
・岩井克己(ジャーナリスト)
 著書『天皇家の宿題』(2006年、朝日新書)
・笠原英彦(慶応大教授)
 著書『歴代天皇総覧:皇位はどう継承されたか』(2001年、中公新書)、『女帝誕生:危機に立つ皇位継承』(2003年、新潮社)、『象徴天皇制皇位継承』(2008年、ちくま新書
園部逸夫(元最高裁判事
 著書『皇室法概論:皇室制度の法理と運用』(2006年、第一法規)、『皇室制度を考える』(2007年、中央公論新社
保阪正康(ノンフィクション作家)
 著書『秩父宮』(2000年、中公文庫)、『皇后四代:明治から平成まで』(2002年、中公新書ラクレ)、『崩御と即位:天皇の家族史』(2011年、新潮文庫)、『天皇陛下生前退位」への想い』(2016年、毎日新聞出版

といった面子は一応専門家と言っていいのでしょう。大石眞(京都大大学院教授、憲法学)、高橋和之(東大名誉教授、憲法学)、古川隆久(日大教授、日本史)といった面子は天皇関係の専門著書はないようなので専門家と言えるか一寸微妙です。
 古川氏には『大正天皇』(2007年、吉川弘文館人物叢書)、『昭和天皇』(2011年、中公新書)がありますが、一方で『戦時下の日本映画:人々は国策映画を観たか』(2003年、吉川弘文館)、『昭和戦中期の議会と行政』(2005年、吉川弘文館)、『東条英機』(2009年、山川出版社日本史リブレット・人)、『近衛文麿』(2015年、吉川弘文館人物叢書)があることを考えると「日本近現代史の立場から天皇を評伝の形で取り上げた学者の一人」とはいえても「天皇についての知見を有する専門家」とは言えない気が個人的にはします。むしろ、例えば『大正天皇』(2000年、朝日選書)、『昭和天皇』(2008年、岩波新書)、『「昭和天皇実録」を読む』(2015年、岩波新書)、『皇后考』(2015年、講談社)の著書がある「日本近現代史家」原武史氏の方が専門家と言えるんじゃないか。
 別に原氏を積極的にプッシュしたいわけでも原氏の見解の方が古川氏より評価できると言いたいわけでもありませんが。
 

【ここから産経です】
■【竹島を考える】相変わらず“天動説”を唱える韓国や米学者、事実を見ない主張はガリレオ断罪裁判と同じ 下條正男拓殖大教授
http://www.sankei.com/west/news/161028/wst1610280005-n1.html

 近年話題の北方領土問題も、歴史の事実から言えば、南樺太と千島列島が日本に戻った時が真の解決だが、日本政府の動きはいささか短兵急である。

 千島ならまだしも正気で「南樺太が帰ってくると思ってる」んでしょうか(呆)


■【検証・文革半世紀 第4部(3)】強まる主席夫人の影響力 「文芸指導」足場にじわり
http://www.sankei.com/premium/news/161028/prm1610280005-n1.html

中国建国後の実質的な最高指導者の妻の中でも、歌手出身の彭麗媛は、毛沢東の夫人で女優出身の江青との類似点が目立つ。

 と言う割には「元芸能人」以外に、ろくに「類似点」をあげないので吹き出しました。単に産経が彭氏にレッテルを貼りたいだけで、そのレッテル貼りは成功しているようにはとても思えません。

 昨年末、中国政府を批判する書籍などを出版、販売する香港市中心部の「銅鑼湾書店」の関係者5人が次々と失踪し、国際社会の大きな注目を集めた。
 「あれは『彭弁』の指示だったらしい」
 北京の中国共産党関係者の間で最近、こんな話が出回り始めた。「彭弁」とは国家主席習近平の夫人、彭麗媛(ほう・れいえん)の名を冠した弁公室(事務所)をさす。
(中略)
 事件では、中国当局が後に5人の拘束を認めた。国内で起こした交通死亡事故のため警察に出頭した1人を除き、他の4人は調査に協力していると発表した。
 しかし、16年6月に香港に戻った書店店長の林栄基が記者会見を開き、当局は言論弾圧の目的で自分たちを拘束したと述べた。

 『彭弁』云々はただの噂話で根拠は何もありません。そもそも
1)「銅鑼湾書店」とやらが出版していた中国政府批判本はもちろん「彭氏や彼女の夫・習氏の批判限定」ではない
2)仮に「彭氏批判」が弾圧の直接の引き金だとしても、「彭氏批判=夫の習氏批判」なのだから『彭弁』とやらが動かなくても「習氏が直接動いた」と考えて説明のつく話
なので説得力、信憑性は全くない噂話です。
 単に「林栄基の記者会見が事実なら問題だ」と書けばまともな中国批判記事になったんですが。

*1:勿論南京事件のこと

*2:電子工業大臣、上海市長・党委員会書記などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*3:上海派遣軍参謀副長、関東軍参謀副長、北支那方面軍司令官、支那派遣軍総司令官など歴任

*4:著書『自由民権』(1981年、岩波新書)、『民権百年』(1984年、NHKブックス)、『民衆史の発見』(1984年、朝日選書)、『自由民権の地下水』(1990年、岩波同時代ライブラリー)、『昭和史と天皇』(1991年、岩波セミナーブックス)、『日本人の再発見:民衆史と民俗学の接点から』(1996年、小学館ライブラリー)、『近代日本の戦争』(1998年、岩波ジュニア新書)、『明治の文化』(2007年、岩波現代文庫)、『明治精神史(上)(下)』(2008年、岩波現代文庫)など

*5:石原慎太郎都知事ではなく、石原信雄元自治事務次官、元官房副長官です。

*6:桜井元総務事務次官(一時都知事選出場が取りざたされた、「嵐の桜井」のパパ)ではなく勿論よしこです。

*7:著書『「靖国神社への呪縛」を解く』(2003年、小学館文庫)など

*8:著書『GHQ作成の情報操作書「眞相箱」の呪縛を解く:戦後日本人の歴史観はこうして歪められた』(2002年、小学館文庫)、『異形の大国・中国』(2008年、新潮社)、『中国に立ち向かう覚悟』(2012年、小学館)など

*9:著書『政教分離とは何か』(1997年、成文堂)、『靖国憲法』(2003年、成文堂)、『改訂版・外国人の参政権問題Q&A:地方選挙権付与も憲法違反』(2010年、明成社)、『緊急事態条項Q&A』(2016年、明成社)など

*10:著書『本当に女帝を認めてもいいのか』(2005年、洋泉社新書y)、『公教育再生:「正常化」のために国民が知っておくべきこと』(2006年、PHP研究所)、『「人権派弁護士」の常識の非常識』(2008年、PHP研究所)、『憲法改正がなぜ必要か』(2013年、PHPパブリッシング)など

*11:著書『中国・韓国人に教えてあげたい本当の近現代史』(2005年、徳間書店)、『「反日」を拒絶できる日本』(2006年、徳間書店)、『反日に勝つ「昭和史の常識」』(2006年、ワック)、『「パル判決書」の真実:いまこそ東京裁判史観を断つ』(2008年、PHP研究所)、『日本を賤しめる「日本嫌い」の日本人』(2009年、徳間書店)、『取り戻せ、日本を。:安倍晋三・私論』(2013年、PHP研究所)、『新たな反日包囲網を撃破する日本』(2014年、徳間書店)『朝日新聞と私の40年戦争』(2015年、PHP研究所)など

*12:無論、よしこ本人の要望でしょう。

*13:著書『皇室の伝統と日本文化』(1996年、モラロジー研究所)、『皇位継承』(共著、1998年、文春新書)、『近現代の「女性天皇論」』(2001年、展転社新書)、『皇位継承のあり方:女性・母系天皇は可能か』(2006年、PHP新書)、『歴代天皇の実像』(2009年、モラロジー研究所)、『皇室に学ぶ徳育』(2012年、モラロジー研究所)、『皇室典範女性宮家:なぜ皇族女子の宮家が必要か』(2012年、勉誠出版)など