今日の産経ニュース(10/29分)

■【検証・文革半世紀 第4部(4)】林彪の再評価を避ける歴代政権 民間では人気回復、増える像
http://www.sankei.com/premium/news/161029/prm1610290031-n1.html

 文化大革命文革)中の1971年9月13日。中国共産党最高指導部で毛沢東*1に次ぐ序列2位だった党副主席の林彪*2(りんぴょう)が、妻や長男*3のほか側近数人と飛行機でソ連への逃亡を図り、モンゴル人民共和国内で墜落死した。いわゆる林彪事件だ。
 それから40年後の2011年9月、娘婿の張清林と元部下の子弟ら7人がモンゴルの墜落現場を訪れ、ささやかな追悼式を行った。遺族による追悼はこれが初めてだったという。
 「敬愛するお父さん、お母さん。あなた方は世にも不思議なぬれぎぬを着せられた」。
 張清林は泣きながら弔辞を読み上げた。
(中略)
 林彪の死から2年後、共産党中央は「資産階級の野心家、陰謀家、裏切り者、売国奴」とし、「党籍を永久に剥奪する」と決めた。文革中に打倒された共産党高官は数多くいたが、文革終了後、ほとんどが名誉回復された。林彪と同じく党籍を永久に剥奪されたはずの劉少奇*4も、死去から11年後*5の1980年に党籍回復している。失脚した主要な指導者の中で、林彪だけは公式評価が覆されていない。
 林彪が逃亡した理由について、中国は公式見解で「クーデターを図ったが未遂に終わり、毛沢東暗殺を企てて失敗した」などとしているが、林彪が計画に直接関与したという信頼に足る証拠は今も出ていない。

 産経が何を言いたいのかよく分からないんですが、「林彪は毛暗殺など企てていなかった、毛に暗殺の濡れ衣を着せられ家族一同、処刑されそうになったので逃げようとして不幸にも事故死しただけだ」「林彪劉少奇や『政治的に復活したトウ小平*6』などのように名誉回復されるべきだ」とでも言いたいんでしょうか。
 だったらもっとはっきり「林彪は無罪だと思う」と書いて欲しいですね。そうはっきり書かない辺り「ああ、産経って思いつきで適当なこと書き飛ばしてるんだろうな」感がありますね。

 真偽はともかく、毛沢東の暗殺を謀り、国を裏切って海外に逃げようとした人物を再評価すれば、毛の否定そのものにつながりかねない。歴代政権が林彪の名誉回復を忌避してきた理由はこのへんにありそうだ。

 「真偽はともかく」てあたりが無茶苦茶ですね。
 「産経、お前はまず自分が林彪冤罪説に立つのか立たないのか明確に自分の立場を決めてから物をいえよ」
 「林彪は毛暗殺なんか計画してなかった。濡れ衣、冤罪だから名誉回復しろ、つうのと、林彪が毛暗殺を企てたのは事実だけど毛はあの時点で死んだ方が文革が早く終わって良かったからむしろ暗殺計画を評価すべきだ、つうのとでは全然意味違うだろ」て話です。もちろん「冤罪説」ならともかく「有罪説」に立つならば「林彪の名誉回復」なんか普通に考えて中国政府はしないでしょう。当たり前すぎて言うのもバカバカしい話です。

 近年、観光客誘致のため、故郷の湖北省などで林彪の像が次々と建てられた。

 林彪がどう観光客誘致に貢献するのかよく分かりませんが、現地に行って、どう観光に利用されてるのか見たい気はします。
 まあ文革林彪事件も「江青ら4人組逮捕による文革終了時(1976年)には幼児だったり、終了後に生まれたりした40代より若い世代にとっては」もう「過去の歴史になった」つうことなんですかねえ(文革被害者にとってはその辺り複雑な感情があるでしょうが)。


■【歴史戦】中国、沖縄の領有権主張 蒋介石 したたか二枚舌 戦況見て変心(ロンドン 岡部伸)
http://www.sankei.com/premium/news/161029/prm1610290026-n1.html

 第二次大戦末期に中国国民党蒋介石政権が明時代に遡って尖閣諸島を含む琉球群島(沖縄)の領有権を主張していたことが(ボーガス注:機密指定解除で公開された?)英国の最高機密文書「ウルトラ」から判明。中国メディアなどによると、大戦中の1943年11月のカイロ会談で、中華民国国民政府主席の蒋介石米大統領ルーズベルトが密談し、ルーズベルト蒋介石に「日本を敗戦に追いやった後、琉球群島をすべて中国にあげようと思うが、どう思うか」と何度も聞いたのに、蒋介石が断ったという。
 尖閣諸島は1895年に沖縄県編入されており、「琉球群島」に含まれる。密談後、蒋介石は領有を断ったことを後悔し、同席した部下に「絶対に口外するな」と口止めしたという。
 蒋介石は当時、延安の中国共産党打倒を優先して対日戦を回避*7していたため、沖縄領有で、日本と新たな摩擦を起こしたくなかった*8とみられる。
 しかし、米軍の沖縄作戦開始で日本の敗戦が濃厚となった1945年3月末*9、対外宣伝機関紙「時事新報」を通じて「明時代から中国に領有権がある」と主張し、連合国側の反応をうかがった。終戦後、状況が変われば「民意」を受けて正式に領有を主張しようという思惑もうかがえる。

 まあ事実*10なら歴史学的な意味で大変面白いと思いますが「蒋介石が故人となり、中国も台湾も沖縄領有権など主張しない今」、仮に事実だとしても産経のように「歴史戦」「蒋介石の二枚舌、変心」と言って罵倒する話でもないでしょう。

参考

スターリングラード攻防戦(ウィキペ参照)
 緒戦は枢軸軍側の優位に進み、市街地の90%以上を占領したものの、最終的にはソ連軍側の反攻が圧倒し、ついには包囲されるに至ったドイツ第6軍を主軸とする枢軸軍が降伏。独ソ戦の趨勢を決し、第二次世界大戦の全局面における決定的な転換点のひとつとなった。

ガダルカナル島の戦い(ウィキペ参照)
 ミッドウェー海戦とともに、太平洋戦争における攻守の転換点となった戦闘とされている。
 航空機の損害はミッドウェーの約3倍、搭乗員の損失はそれを遙かに越えたものであり、日本の航空戦力の質は著しく低下した。大量の輸送船が撃沈されたことで、さらなる商船徴用が行われたことは、それ以降の軍需生産に深刻な打撃を与えた。 戦後、軍事評論家の伊藤正徳は「ガダルカナルは、たんなる島の名でない。それは帝国陸軍の墓地の名である。」と批評している。

*1:党主席

*2:廬山会議で、「大躍進を批判した」彭徳懐防相が失脚した後、後任国防相に就任。軍の最高指導者となる。その後、文革での劉少奇国家主席トウ小平副首相の失脚と、林の党副主席就任により事実上のナンバー2となるが林彪事件で死亡。

*3:当時、空軍作戦部副部長

*4:党中央書記処書記、中央人民政府副主席、全国人民代表大会常務委員長、国家主席など歴任。

*5:江青ら4人組逮捕による文革終了(1976年)から数えると4年後です

*6:党副主席、第一副首相、人民解放軍総参謀長などを経て国家中央軍事委員会主席、党中央軍事委員会主席

*7:国共合作がされた1943年11月時点で「延安の中国共産党打倒を優先して対日戦を回避」してたんでしょうか?。普通に考えて「ホンマか?」という怪しい話ですよね。つうか「勝ったらやるよ」と言われて、欲しかったら「考えておきます」で保留するんじゃないですかね。大体『表に出ない秘密の話』でしょうに「いらない」と拒否しようと、逆に「わかりました、もらいます」と言おうと対日戦に影響なんかないでしょうに。日本の方も「蒋介石打倒」で戦争やってるわけですし。

*8:日本側は打倒蒋介石で戦争やってるのに今さら「新たな摩擦」もないでしょう。

*9:いや既に「1942年6月のミッドウェー海戦敗戦(日本の連合艦隊が壊滅的打撃)」、「1943年2月のガダルカナル島攻防戦敗退(日本)」「1943年2月のスターリングラード攻防戦敗戦(ナチドイツ)」「1943年5月のアッツ島の戦い敗北」「1943年7月のイタリア・ムッソリーニの失脚」「1943年8月のニューギニアの戦い敗北(日本)」「1943年9月のイタリアの連合国への降伏」によって1943年11月時点で日本の敗色は濃厚でしょう。だからこそ「カイロ会談(1943年11月)」で敗戦後の日本について議論がされるわけです。その後も「マリアナ沖海戦敗戦(1944年6月)」「サイパンの戦い敗戦(1944年7月)」「テニアン・グアムの戦い敗戦(1944年8月)」「レイテ沖海戦敗戦(1944年10月)」など日本は敗戦を続けていきます。1944年6月にはノルマンディー上陸作戦が行われ、連合国の本格的なドイツへの反撃が始まります。沖縄戦が始める1945年3月のずっと前から日本にもはや勝ち目などありませんでした。

*10:事実かどうかは産経記事を読んでもよく分かりません