新刊紹介:「歴史評論」10月号

★特集『いま、革命を考える』
・詳しくは歴史科学協議会のホームページ(http://www.maroon.dti.ne.jp/rekikakyo/)をご覧ください。ロシア革命100周年も念頭にはあるようですがロシア革命についての論文は一本だけです。
■二〇世紀の革命(木畑洋一*1
(内容紹介)
 総論的な内容です。
1)まず「革命」が何を意味するかが一つの論点だろうと筆者(木畑氏)は指摘します。
 「革命」が「内乱などを伴う暴力革命(フランス革命ロシア革命など)」を、あるいは

「王制から共和制(フランス革命、ドイツ革命)」「一党独裁から複数政党制(いわゆる1989年東欧革命)」「資本主義から社会主義ロシア革命)」「世俗体制からイスラム体制(イランイスラム革命)」

など相当規模の大きな社会変革を意味するのであればたとえば「韓国のいわゆるろうそく革命(朴クネ打倒の政治運動)」は革命ではないわけです。
 あるいは革命とは「左翼的*2でなければならない」とするならばたとえば「明治維新」は革命ではないわけです。
 まあ、これは「革命」と言う言葉について一定の了解がないと混乱するつうだけの話ですが。
 「何らかの大きな政治変革があれば革命だ、だから日本でもたとえば日米安保が廃棄さたり天皇制が廃止されたりすれば*3革命だ。革命は当然ながら必ずしも否定されない」と考える人間と「革命とは暴力革命であり、否定されるべきモノだ」と考える人間がその「革命認識の違いに気付かずに」 議論しても混乱するわけです。
2)次に「社会主義革命」をどう見るかも一つの論点だろうと筆者はします。
 「レーニン等、ボリシェビキが実権を握ったロシア10月革命後のスターリン粛清」「中国革命後の大躍進や文革」「カンボジア*4ポルポト虐殺」などがわかりやすい例ですが、近年は社会主義への評価が必ずしも高くないわけです。とはいえ筆者は「十分に論じる用意がないこと」を断りながらも近年は「ロシア10月革命」「中国革命」に否定的なあまりに「ロシア2月革命で成立したケレンスキー政権」や「蒋介石政権」を過剰に美化するなどの「逆の問題点があるのではないか」「レーニン毛沢東の批判とは『対立党派の美化』とは違う」と指摘している。
 たとえば筆者は池田嘉郎*5ロシア革命破局の8か月』(2017年、岩波新書)をケレンスキー政権美化の点で問題があると見なしている。


ロシア革命第一次世界大戦時の過剰動員(石井規衛*6
(内容紹介)
 内容としては「戦争長期化による戦場や軍需工場への過剰動員」→「生活物資の不足で国民の不満が高まる」→「しかし戦争を中止しないし、過剰動員も辞めない皇帝政府」→「更に不満が高まる」→「ロシア2月革命(ケレンスキー政権)」→「10月革命(ボリシェビキ政権)」という流れです。
 つまり少なくとも初期においては「革命」をリードしたのは「民衆の声である」というのが筆者(石井氏)の主張です。その民衆の声をどう取り込んでいくかという政治競争において最終的に勝利したのがレーニンボリシェビキであり、「ボリシェビキが上から革命を指導した」という構図とは違うわけです。
 だからこそ当初、ボリシェビキ独裁など強行されることもなく、エスエル(社会民主党)左派との共闘が行われたわけです。
 

キューバ革命半世紀:二一世紀の世界に問いかけるもの(後藤政子*7
(内容紹介)
キューバ革命も「共産主義のイメージダウン」で必ずしも近年の評価は高くないわけですが筆者(後藤氏)は「もともとキューバ革命自体は社会主義革命的要素よりもバチスタ独裁政権打倒の民族主義的要素が強かった」が「米国のキューバとの対決姿勢が、キューバの共産化を推進した要素が強かった」とみます。
 もちろん「米国がキューバカストロ政権を基本的に受け入れていれば共産化しなかったかどうか」はイフの問題なので分かりません。また「キューバの共産化における問題」を全て「米国の対決姿勢」のせいにもできないでしょう(さすがに筆者もそこまでは主張しません)。
 とは言え筆者が言うように「アメリカの対決姿勢」を無視してキューバカストロ政権を批判する(常岡なんかそうですけど)のもアンフェアというもんでしょう。
キューバ政治においてはもちろん、冷戦崩壊後のキューバの改革開放をどう見るのかというのも重要な問題です。
・なお、キューバ政権の是非とは別に「チリ・アジェンデ政権」「ニカラグア革命」など、キューバ革命が南米での民主化運動を促進した面に注目すべきでしょう。近年の「ベネズエラチャベス政権(1999〜2013年)*8」「チリのバチェレ政権(2006〜2010年、2014年〜)」「ボリビアのモラレス政権(2006年〜)」「ニカラグアオルテガ政権(2007年〜)」などもそうした「民主化運動(特に筆者的には新自由主義批判を重視)」の一例ではあるわけです(もちろん、筆者も指摘していますが近年の『ベネズエラの政治的混乱*9』や『アルゼンチンでのマクリ中道右派政権(2015年〜)誕生など右派の巻き返し』などを考えれば手放しで評価することもできませんが)。

参考
赤旗
■チリ、大学授業料無償に:貧困層を対象に まず全学生の3割
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-12-28/2015122801_03_1.html
■緒方副委員長 ベネズエラ問題で申し入れ
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-05-10/2017051002_03_1.html


■東欧革命の史的考察(南塚信吾*10
(内容紹介)
 旧ソ連崩壊後の「プーチン*11ロシア」とか旧ソ連諸国も同じ話*12ですが「果たして1989年東欧革命は手放しで評価できるのか」というのが筆者(南塚氏)の問題意識です。
 要するに「今の旧ソ連諸国や東欧って必ずしも景気も良くねえし、民主的でもねえじゃん。1989年当時の革命の精神が裏切られてるよ!」つう話です。ただし当然ながら「だからソ連や東欧の民主化なんて必要なかったんや!。昔の共産党一党独裁の方が良かったんや!」つう話ではもちろんありません。問題は「1989年東欧革命後、あるいはソ連崩壊後、東欧や旧ソ連諸国が何故こうなったのかを分析しどう是正するのか」つう話です(まあもちろん非常に難しい話ですが)。
 いずれにせよ、「今の惨状」を考えれば「ソ連崩壊、東欧革命万々歳」だと一寸無責任すぎるわけです。
 筆者の専門であるハンガリーを例にすれば
毎日新聞ハンガリー:NGO「弾圧」 資産公開義務づけ、「報道の自由」排除』
https://mainichi.jp/articles/20170115/ddm/007/030/052000c
ハフィトンポスト日本版
■「民族が混ざりすぎると問題が起こる」ハンガリーのオルバン首相、移民流入に強硬反対
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/08/hungary_n_15252372.html
ハンガリー、移民や難民を貨物用コンテナのキャンプに拘束する法案を可決
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/14/hungary_n_15352414.html
ですからねえ。
 「今のハンガリーの首相は完全に極右で独裁体質やん」「フランスのルペンやイタリアのベルルスコーニ、我が国の小池百合子とかの同類と違うのか」「ええんか、こんなんで!」つう話です。

参考
【東欧(ハンガリーポーランド)】

http://toyokeizai.net/articles/-/115748
東洋経済オンライン『東欧では急激に「民主主義」が崩壊しつつある:ハンガリーポーランドで起きていること』ヒー・フェルホフスタット*13(ベルギー元首相)
 EU加盟国の中で、こうした衰退が目立つのがハンガリーポーランドだ。ハンガリーでは2010年再任されたオルバン首相が基本的人権を無視し、言論の自由を制限して、難民をあしきものだと決め付けている。
 同首相は難民問題を利用して国民の閉塞感を刺激し、大衆の支持を拡大して独裁色を強めているのだ。全力を尽くしてEUを弱体化させているわけである。EU側は方向転換をさせようと試みたが、逆に同首相はこれで勢いづき、民主主義の規範に反する非道な行為に走っている。
 ポーランドでも民主主義の危機が浮き彫りになっている。2015年秋の総選挙で、反移民を掲げる保守政党「法と正義」(PiS)が絶対多数の議席を確保。同党はポーランド憲法裁判所に手を入れ、法の支配を弱体化させようとしている。
 この試みは裁判所自体だけでなく、欧州の民主主義を監視するベニス委員会からも批判された。それでもPiSは、裁判所が法案の違憲性について判断するのを巧妙に妨げている。ポーランドだけでなく、欧州にとっても深刻な事態だ。

http://www.sankei.com/world/news/170722/wor1707220027-n1.html
■産経『「法の支配」揺らぐポーランド EU、制裁警告も対応に限界』
 ポーランドは旧共産体制崩壊後、着実に民主化や経済発展の道を歩み、東欧の“優等生”としてEUで存在感も高めてきた。だが、2015年の総選挙で誕生した保守系「法と正義」政権は、通信社や放送局の国営化やその幹部人事掌握といったメディア統制を強めるなど、国家主義的な政策を遂行してきた。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/14/hungary_n_15352414.html
■ハフィントンポスト日本版『ハンガリー、移民や難民を貨物用コンテナのキャンプに拘束する法案を可決』
 ハンガリー議会は3月7日、難民申請者を書類審査が終わるまで拘束し、国内にいる難民や移民を使い古しの貨物用コンテナに移送させる法案を可決した。
 人権団体は、この方針について違法で非人道的だと厳しく非難しており、ハンガリーで続く難民や移民に対する厳しい取り締まりの一部に過ぎないと批判している。
(中略)
 国際的人権団体「アムネスティ・インターナショナル」ヨーロッパ支部で副部長を務めるガウリ・ヴァン・グリ副部長は7日に声明を発表し、「世界で最も弱い立場にあるとも言える人々を機械的に拘束し、時には何カ月にもわたって、有刺鉄線付きフェンスの裏側で貨物用コンテナに収容するという計画は、常軌を逸している」と批判した。
(中略)
 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も法案に反対し、「強い懸念がある」と表明した。

旧ソ連

https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM02H08_X01C16A0FF1000/
■日経『旧ソ連資源国、独裁を強化 終身大統領制世襲の動き』
 旧ソ連を構成したカスピ海に近い資源国が相次いで「独裁」を強化している。アゼルバイジャンは現職大統領の息子への世襲に備え、大統領選の年齢制限をなくした。トルクメニスタンは「終身大統領」を視野に大統領選に出る上限の年齢規制を廃止した。強権統治で政権基盤は安定するが、富と権力の過度な集中につながる。資源価格の下落による景気低迷が長引けば、国民の不満が噴き出す恐れもある。
 「我々は美しい国を建設した。そしてもっと美しくなる」。
 カスピ海沿岸の産油国アゼルバイジャンのアリエフ*14大統領(54)は9月29日、首都バクーでの国際会議で原油収入を活用したインフラ整備の実績を誇った。
 同国は独立直後の1993年から親子2代で大統領職を独占してきた。9月26日の国民投票では、大統領任期を5年から7年に延長する一方、35歳以上だった大統領選出馬の年齢制限をなくす憲法改正案が承認された。
 アリエフ氏の長男はまだ19歳とされる。アリエフ氏に不測の事態が起きた際、3代目への権力承継が滞るリスクを未然に摘んだといえる。
 中央アジアカザフスタンはナザルバエフ大統領(76)が旧ソ連時代から権力を維持する。9月半ばには、長女のダリガ氏(53)を上院の要職に就けた。カザフでは、大統領の死亡時に上院議長が職務を代行する。ダリガ氏の起用は将来の議長就任と世襲への布石との見方が広がる。
 終身大統領への意欲を隠さないのはトルクメニスタンのベルドイムハメド*15大統領(59)。9月に70歳を上限としていた大統領選出馬の年齢制限を廃止した。
 農業国だが同じ中央アジアタジキスタンでも5月、ラフモン大統領(64)が自分に限り、当選回数の制限を撤廃した。

 もちろん中国、北朝鮮など「気にくわない国」相手には「独裁ガー、世襲ガー、民主主義ガー、人権侵害ガー」と言う産経らウヨもこうした「中央アジア独裁国家」相手には「石油や天然ガスレアアースと言った資源目当て」にカムカムウエルカムなわけです。
 全くデタラメな連中です。安倍も確か資源外交とやらでこれらの国を訪問してますしね。
 ちなみに「金正恩暗殺希望」とか抜かしてたid:noharraは「中央アジアの独裁政治家の暗殺」も希望するのか是非、小生に教えて下さい(皮肉のつもり)。

http://www.sankei.com/premium/news/151101/prm1511010026-n1.html
■産経【中央アジア同行記】“白亜の北朝鮮トルクメニスタンに仰天! 大統領宮で携帯NO ホテル出れば監視され
 「大統領宮殿に携帯電話は持ち込めません。没収される可能性もありますので、携帯はホテルで預かります」
 10月22日から6日間の日程で行われた安倍晋三首相のモンゴル・中央アジア5カ国歴訪。2番目の訪問国となったトルクメニスタンでの出来事だった。
(中略)
そんな独裁国家・トルクメで携帯を取り上げられたのは、23日に大統領宮殿内で行われた安倍首相とベルディムハメドフ大統領との首脳会談の取材のときだった。
 日本政府側からは「式典中に携帯が鳴ったら失礼に当たる」ともっともらしい説明を受けたが、実際はトルクメ側が外国人記者の携帯持ち込みを嫌ったからだった。記者団から携帯電話を取り上げることに何の痛痒も感じないようだ。なぜなら、トルクメには「報道の自由」がないのだ。
 「国境なき記者団」が毎年調査する報道の自由度ランキングによると、トルクメの報道の自由度は、対象とした世界180カ国のうち178番目。179番目に北朝鮮がランクされ、最下位は外国人記者の入国すら認めないエリトリアだ。報道規制“ワースト3”の国なのだ。
 安倍首相に同行した記者団は「大統領宮殿に持ち込めないと言っているが、ホテルでの通話なども全部盗聴されているんだろうな…」というのが共通認識だった。

http://www.sankei.com/politics/news/170504/plt1705040019-n1.html
■産経『岸田文雄*16外相、「中央アジア北朝鮮」独裁者に1時間待たされる 4月末の訪問時』
 岸田文雄外相が4月末に中央アジアトルクメニスタンを訪れた際、独裁政治を続ける同国のベルドイムハメドフ大統領の出迎え要員として、原産馬の祭典が行われる競馬場の入り口で、他国の外交官らと共に大統領到着の1時間前から整列させられていたことが分かった。岸田氏の同行筋が4日、明らかにした。
 外交関係者による出迎え行事は、ベルドイムハメドフ氏が自らの権威を高めるために組んだとみられる。「訪問客である日本の外相を長時間立たせたことで、大いに存在感を発揮したつもりではないか」(外交筋)との見方が出ている。

 北朝鮮や中国辺りだったらほぼ確実にマジギレでしょうが、まあ甘いもんです。


■「アラブ革命」再考:「アラブの春」とオリエンタリズム的伝統(臼杵*17
(内容紹介)
 「1989年東欧革命を取り上げた南塚論文」が「東欧革命の見直し」を主張するのと同様「果たしてアラブの春は手放しで評価できるのか」というのが筆者(臼杵氏)の問題意識です。
 たとえばエジプトではムバラク*18独裁が2011年に打倒されたモノの、モルシ政権が2013年に軍部によって打倒されるクーデターが発生し、シシ*19独裁政権が始まったわけです。
 とはいえもちろん東欧革命についての南塚論文が「東欧革命は無意味だった」とは考えないのと同様「アラブの春は無意味だった」つう話でもないわけですが。「手放しで評価できない」「問題点を指摘する」つうのは「全否定」とは違うわけです。

参考

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/47972
■現代ビジネス『「アラブの春」とは何だったのか?:革命の希望はこうして「絶望」に変わった、あれから5年、メルトダウンする中東』末近浩太*20立命館大学教授)
 中東は今、未曾有の混乱のなかにある。民主化の停滞はもとより、(ボーガス注:エジプトでの)独裁政治の復活や(ボーガス注:シリアやイラクでの)内戦の勃発、そして、(ボーガス注:シリアやイラクでの)「イスラーム国(IS)」の出現と、中東の状況は「春」以前よりも確実に悪くなっている。
(中略)
 希望から絶望へ。
 なぜ「アラブの春」はわずか5年で暗転してしまったのか。中東ではこの5年間で一体何が起こったのか。それは、中東を、そして世界をどのように変えたのだろうか。
(中略)
 「アラブの春」(中略)には、確かに自由と寛容の空気が生まれつつあった。
 しかし、そうした自由と寛容の空気は長く続かなかった。中東各国で再び暴力が再燃したためである。
 ただし、その暴力を行使したのはイスラーム主義の過激派ではない。実際には、各国の独裁政権と「アラブの春」への外部介入を推し進めた諸外国であった。
 市民による大規模な抗議デモに直面したリビア、シリア、バハレーンの独裁政権は、激しい弾圧でこれに対応し、国内の治安は急激に悪化していった。
 欧米諸国や湾岸アラブ諸国は、リビアとシリアでは反体制派への支援を打ち出す一方で、バハレーンでは独裁政権を政治と軍事の面から徹底的に支えた。その結果、リビアとシリアでは体制派と反体制派のあいだで内戦が勃発し、他方、バハレーンでは独裁政権による激しい弾圧によって抗議デモは鎮圧された。
 「アラブの春」における欧米諸国や湾岸アラブ諸国の「二重基準」は、突き詰めればパワーポリティクスの産物と見ることができる。これらの諸国は、一般の市民の台頭という想定外の事態に際して、自国の利益の保護・拡大にとって有利な同盟者への支援を行った(それぞれの国益に忠実という意味では、各国は「単一基準」にしたがって「春」に外部介入を行ったともいえる)。
 このような外部介入の結果、「アラブの春」において、ある国では民主化が促進され、別の国では反対に独裁政治が強化されるという事態となった。
 だが、より大きな問題は、どちらもが非暴力ではなく暴力によって推し進められたことであった。こうして、中東に再び暴力の嵐が吹き荒れ始めた。
(中略)
 以上見てきたように、「非暴力の市民による民主化運動」としての「アラブの春」は、暴力によって押しつぶされ、市民の手を離れ、そして、その民主化の希望の輝きを失っていった。
 これに輪をかけたのが、2013年7月のエジプトにおける(ボーガス注:シシ国防相ら軍部によるムルシ大統領打倒クーデターという)「反革命」とその後の(ボーガス注:シシ国防相の大統領就任による)軍政復活であった。
 「春」後の選挙に勝利した穏健なイスラーム主義者たちはテロリストの烙印を押され、当局から治安取り締まりや弾圧の対象となった。もとよりイスラーム主義者による政権誕生を歓迎していなかった欧米諸国と湾岸アラブ諸国は、こうした民主化に逆行する事態を黙認した。

 末近氏も(そして、歴史評論臼杵論文も)批判するように「バーレーン(バハレーン)、エジプト」と「シリア、リビア」の扱いの違いは欧米のご都合主義としか言えないでしょう。これはおそらく「親欧米か反欧米か」の違いでしょうが、これで「民主主義擁護」といってもなんの説得力もありません。
 バーレーン(王制)やエジプト(軍政)は欧米によって独裁が容認され、一方、リビアカダフィ*21政権が欧米の支援する反政府派によって転覆され、そしてシリアは「イラン、ロシアなど(親アサド)」「米国、トルコ、サウジアラビアなど(反アサド)」が軍事介入し混迷状態が続くわけです。
 なお「打倒アサドしか叫ばない常岡や黒井」はこうした「欧米はダブスタだ」という末近氏のような指摘を徹底的に回避します。あげく氏のような人間に「アサドシンパ」のレッテルすら貼ります。常岡や黒井は「誠実性皆無の言論詐欺師」としか言いようがないでしょう。


■歴史の眼『フランス革命史の現在』(山粼耕一*22
(内容紹介) 
 山崎氏曰く、日本に置いてもフランスにおいても「フランス革命研究は一時期に比べれば研究は低調」とのことである。
 そこには
1)ロベスピエール独裁(ジャコバン独裁)(1793〜1794年)
  反対派は容赦なくギロチンで粛清(まあロベスピエールテルミドールのクーデターによって、後でギロチンで粛清されますが)。
2)ロベスピエール打倒後、「反動」での総裁政府*23(1795〜1799年)、統領政府(1799〜1804年)、ナポレオン1世第一帝政(1804〜1814年)、ナポレオン失脚後の復古王政(1814〜1830年)、ナポレオン3世第二帝政(1852〜1870年)
 総裁政府によるフリュクティドールのクーデター、フロレアールのクーデターについて山崎氏が簡単に触れています。
3)ナポレオン1世によるヨーロッパ侵略
4)ジョゼフ・フーシェが「総裁政府警察大臣」「統領政府警察大臣」「第一帝政警察大臣」と政治体制が変わっても「陰謀家」として重用されたこと、といった「負の側面」が注目されるようになり、「民主主義万歳」と安易に言えないのではないかという見方が強まってきたことがある、というのが山崎氏の見方である。
 なお、山崎氏曰く「革命の後退」として低い評価をされ、分析が進んでいなかった「総裁政府」「統領政府」についても最近では研究が進んでいるとのこと。

参考

■フリュクティドールのクーデター(ウィキペ「総裁政府」「フリュクティドール18日のクーデター」参照)
 議会選挙で王党派が躍進したこと、王党派の要望でカルノーとバルテルミーが総裁に就任したことに脅威を感じた他の総裁たち(バラス、ルーベル、ラ・ルヴェリエール)は巻き返しを図り、クーデターで議会から王党派を追い出すことにした。
 そのため、まず陰謀の得意な警視総監フーシェを仲間に引き入れた。また、議会に強い人脈を持つタレーラン*24外務大臣の地位と引き換えに仲間にした。
 1797年9月4日(共和暦フリュクティドール18日)、先にヴァンデの反乱を平定したオッシュと、ナポレオンの部下ピエール・オージュローをパリに呼び寄せ、いわゆるフリュクティドールのクーデターが実行された。ナポレオン本人が行かなかったのは、仮にクーデターが成功したとしてもバラスらの総裁政府は長くないと見て、新政権の失敗のあおりを受けることのないようにとの配慮であった。
 「王党派が政府打倒の陰謀を企てている」という口実でのクーデターは成功し、選挙で選ばれた198人の王党派代議士の当選が無効とされ、そのうち61人がフランス領ギアナに流刑にされた。流刑にされた議員の多くが風土病で亡くなったため、この追放は「乾いたギロチン」と呼ばれた。また総裁となったばかりのバルテルミーもフランス領ギアナに流刑にされ、カルノーはドイツに亡命した。

フロレアールのクーデター(ウィキペ「総裁政府」参照)
 議会選挙で総裁政府批判派が躍進したことに脅威を感じた総裁政府は1798年5月11日(共和暦フロレアール22日)、政府に反対する106人の議員の選挙結果を無効とする法律を強行採決した。


■歴史のひろば『障害者と優生思想:相模原障害者殺傷事件から考える』(鈴木雅子
(内容紹介)
 相模原事件では「1970年代の青い芝の会」について再び注目が集まっている*25が、筆者は「1960年代の脳性麻痺者の同人誌『しののめ』」について着目している。
 参考文献として
・荒井裕樹『障害と文学:「しののめ」から「青い芝の会」へ』(2011年、現代書館
花田春兆*26『1981年の黒船:JDと障害者運動の四半世紀』(2008年、現代書館
があげられている。

参考

http://www.arsvi.com/w/hs04.htm
■しののめ編集部編 19730315 『強いられる安楽死
※「しののめ会は,自主的な身体障害者のグループです。季刊の雑誌『しののめ』と,単行本による『しののめ叢書』の発行を主な活動にしています。」(「あとがき」より)

  一,安楽死の行なわれている事実        3 山北厚*27
  二,歴史の流れの中で            13 花田春兆
  三,“安楽死”をさせられる立場から     27 山北厚
  四,福祉・社会・人間            39 花田春兆

「一九三九年の夏、第二次世界大戦のヨーロッパでの口火となった、ポーランド進攻のはじまる直前、ある父親が、重複重症のある息子に対して、安楽死を与えることを許可するように、との手紙をヒトラーに直接親呈しているのです。
 ヒトラーは、カールブラント*28博士に命じて、許可の指示を与えたのです。このことは、世論を沸かせました。しかし、戦争を目前にした殺気だった事態の下では、平常の判断などかき消されてしまうものです。ヒトラーは、この父親の手紙をフルに活用して、安楽死させることの正当性を国民に向って宣伝するのでした。(この歴史は決して死んではいない、という気がしてならないのです。昨秋、いわゆる“安楽死”事件が二つ続いたとき、安楽死を法的に認めさせようとし、日本安楽死協会の設立を目指した動きが、クローズアップされたことがありました。ことさらに法的に認めさせようとする動きの底に、権力と結びついて、生産力となり得ないものを抹殺しようとする暗い圧力、となりかねない力を感じないわけにはいかないのです。たしかに、それは杞憂と呼べるものかもしれません。しかし、それが杞憂に終るのだ、という保証はどこにもないのです)」(花田[1973:21-23])

https://synodos.jp/welfare/2327
シノドス『「障害者運動史」のなかに「文学」をいかに位置づけるか?』荒井裕樹 / 障害者文化論
 拙書『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ』は、この風化し、摩耗しつつある記憶と記録の痕跡を、もう一度この手でなぞろうとするささやかな試みである。具体的には、日本の障害者運動の先駆けである文芸同人団体「しののめ」と、「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」を中心的な分析対象としている。
 「青い芝の会」は、1957年に東京で結成された脳性マヒ者の団体である。結成当初はサロン的な雰囲気の漂う穏健な親睦団体であったが、60年代後半から福祉制度の拡充を求めて行政交渉を進めるようになる。70年代に至ると全国各地に支部が立ち上がり、ときに実力行使も辞さない過激な差別糾弾闘争を繰り広げ、日本の障害者運動の中心的な部分を形成していくことになる。
 もうひとつの分析対象である「しののめ」は、上記「青い芝の会」の母体となった文芸同人団体である。同会は「社会保障」の制度はおろか、その概念自体が存在しなかった1947年に結成され、同名の文芸同人誌『しののめ』はおもに在宅で親の介護を受ける障害者たちのあいだに広まって行った。家庭の奥深くに閉じ込められていた障害者たちにとって、『しののめ』誌は、親にも打ち明けられない私的な感情を表現する貴重な場であり、同時に、家庭の外界(社会)と繋がる唯一の場でもあった。「青い芝の会」のような社会運動が湧き上がる土台に、文学を媒介にした共同体が存在していたことは特記されてよい。「しののめ」同人たちは、そのような共同体のなかで、障害を持つ自分が生きる意味について思索をめぐらせていたのである。
 拙書ではとくに、「青い芝の会」に関しては神奈川県連合会代表で詩人の横田弘氏に、「しののめ」に関しては同会主宰で俳人花田春兆氏をとりあげて検討した。両者とも文学を重要な自己表現の手段とし、障害者運動の現場でも中心的な役割を果してきた人物である。詳細は拙書を参照して頂きたいが、「青い芝の会」および「しののめ」は、日本の障害者運動の歴史を考える上で非常に重要な役割を果たした団体である。そして両会ともに文学を重要な核としていたことを勘案すれば、日本の障害者運動の起源には、重要な水脈のひとつとして、文学活動が潜在していたと言っても過言ではないのである。

http://www.asahi.com/articles/ASK5J5GGDK5JUCLV00Z.html
朝日新聞花田春兆さん死去 俳人・日本障害者協議会顧問』
 日本障害者協議会顧問で俳人花田春兆(はなだ・しゅんちょう、本名花田政国〈はなだ・まさくに〉)さんが13日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。91歳だった。
(中略)
 大阪府生まれ。脳性まひで言葉や歩行に障害があった。俳句に若くして出会い、中村草田男に師事。同人誌「しののめ」を創刊し、執筆や研究、運動を通じて障害者問題への理解と啓発に尽力した。94年度の朝日社会福祉賞を受賞した。

https://mainichi.jp/articles/20170519/ddl/k13/040/189000c
毎日新聞花田春兆さん死去:悼む「けうな文化人だった」 脳性まひの俳人 /東京』【野倉恵】
 俳人で、障害者運動の草分けだった花田春兆さんが91歳で亡くなり、19日に初七日を迎える。(中略)
 長男の団体職員、政孝さん(49)らによると、花田さんが俳句を始めたのは、国内初の肢体不自由児学校「東京市立光明学校」(現都立光明学園)在学中だった。
 中村草田男に師事し1947年、障害のある仲間とともに同人誌「しののめ」を創刊。63年に「俳人協会全国大会賞」を受賞した。
 60年代から、障害者が自ら行動し社会に問題提起する「障害者運動」をリード。71年には障害者団体が刊行する機関誌などの郵便料金を割引する仕組みの創設に道筋をつけた。
 顧問だった「日本障害者協議会」の代表、藤井克徳さん*29「けうな文化人だった。深刻な問題を言葉でくるみ、分かりやすく核心を突いて表現し続けた」と、その死を悼んだ。

【追記】
 なお、「相模原事件」でググったところ、以下の本がヒットしたので紹介しておきます。
保坂展人*30『相模原事件とヘイトクライム』(2016年、岩波ブックレット)
朝日新聞取材班『妄信:相模原障害者殺傷事件』(2017年、朝日新聞出版)


■歴史の眼『朴槿恵弾劾と民衆運動の系譜』(林雄介)
(内容紹介)
 朴クネ弾劾には韓国の長い民衆運動の歴史があるんだという話ですね。
 李承晩を亡命に追い込んだ四月革命、朴チョンヒ暗殺後の光州事件などと言った話です。まあ過大評価は勿論禁物ですが。

*1:著書『支配の代償:英帝国の崩壊と「帝国意識」』(1987年、東京大学出版会)、『日独伊三国同盟と第二次大戦』(1988年、岩波ブックレット)、『帝国のたそがれ:冷戦下のイギリスとアジア』(1996年、東京大学出版会)、『国際体制の展開』(1997年、山川出版社世界史リブレット)、『大英帝国と帝国意識』(1998年、ミネルヴァ書房)、『第二次世界大戦』(2001年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『イギリス帝国と帝国主義』(2008年、有志舎)、『二〇世紀の歴史』(2014年、岩波新書)、『チャーチル』(2016年、山川出版社世界史リブレット人)など

*2:まあ「左翼ってなんだ?」つう問題もありますが。

*3:まあ別に日米安保廃棄や天皇制廃止に限定される話では勿論ありませんが

*4:カンボジアの場合、ポルポト派の政権掌握は革命とは言いがたいと俺個人は思うのでそう表現しません

*5:著書『革命ロシアの共和国とネイション』(2007年、山川出版社)など

*6:著書『文明としてのソ連』(1995年、山川出版社

*7:著書『キューバ現代史:革命から対米関係改善まで』(2016年、明石書店

*8:2013年のチャベス病死後は、外相を経て副大統領となったマドロが大統領に就任している。

*9:まあ、この辺り小生も「チャベス政権当時においては」、「問題はあるとしても社民政権として評価する」欧米左派や南米左派、あるいはそれらの評価を基本的には受け入れた日本共産党の評価に共感した人間ですので複雑な思いはあります。現状を全面正当化する気はありませんが、一方で切って捨てる気にも一寸なれないですねえ。正直考えがまとまっていません。なお、http://rsmp.seesaa.net/article/453520408.htmlで例の反日共産党分子が「チャベス政権評価は不適切だった」云々と共産党の悪口言ってますが、先ず第一に「欧米左派や南米左派のかなりの部分がチャベス政権を評価してたから日本共産党チャベス政権評価に問題ない」とまでは言いませんが、「欧米左派や南米左派がチャベスを評価」に触れないのはアンフェアでしょう。第二にこの方、「モノカルチャー経済ガー」といってますが、それ、石油価格低迷による現在の混乱前から、共産党赤旗、前衛などで「南米左派政権の問題点の一つ(ベネズエラに限らない)」として指摘してるんですけどね。もちろん現状のような価格低迷とそれによる混乱までは想定してないでしょうが。

*10:著書『静かな革命:ハンガリーの農民と人民主義』(1987年、東京大学出版会)、『ハンガリーの改革:民族的伝統と「第三の道」』(1990年、彩流社)、『ハンドブック東欧諸国』(1990年、岩波ブックレット)、『ハンガリーの「第三の道」』(1991年、岩波ブックレット)、『ハンガリーに蹄鉄よ響け:英雄となった馬泥棒』(1992年、平凡社)、『義賊伝説』(1996年、岩波新書)、『アウトローの世界史』(1999年、NHKブックス)、『世界史なんていらない?』(2007年、岩波ブックレット)、『ブダペシュト史』(2007年、現代思潮新社)など

*11:エリツィン政権大統領府第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*12:筆者は東欧の話しかしていませんが、旧ソ連諸国も似たり寄ったりだと俺は認識してるのでここで旧ソ連諸国についても触れます。

*13:1999〜2008年までベルギー首相

*14:1993年から死ぬまで10年間アゼルバイジャン大統領を務めたヘイダル・アリエフの長男イルハム・アリエフのこと。父の死後(2003年)から大統領職を務める。

*15:ニヤゾフ政権副首相などを経て大統領

*16:第一次安倍、福田内閣沖縄・北方等担当相、第二次、第三次安倍内閣外相を経て、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)

*17:著書『中東和平への道』(1999年、山川出版社世界史リブレット)、『世界化するパレスチナ-イスラエル紛争』(2004年、岩波書店)、『イスラエル』(2009年、岩波新書)、『大川周明イスラーム天皇のはざまで』(2010年、青土社)、『アラブ革命の衝撃』(2011年、青土社)、『世界史の中のパレスチナ問題』(2013年、講談社現代新書)など

*18:サダト政権で空軍司令官兼国防次官、副大統領など歴任。サダトの暗殺後、大統領(1981〜2011年)。

*19:モルシ政権国防相などを経て大統領

*20:著書『現代シリアの国家変容とイスラーム』(2005年、ナカニシヤ出版)、『現代シリア・レバノンの政治構造』(青山弘之氏との共著、2009年、岩波書店)、『イスラーム主義と中東政治:レバノン・ヒズブッラーの抵抗と革命』(2013年、名古屋大学出版会)など

*21:首相、革命指導評議会議長、全国人民会議書記長を歴任

*22:著書『啓蒙運動とフランス革命:革命家バレールの誕生』(2007年、刀水書房)

*23:5人の総裁により行政が担当されたが、シェイエスやデュコ(シェイエスもデュコも総裁の一人)とナポレオンによる「ブリュメールのクーデター」によってナポレオンとシェイエス、デュコを統領とする統領政府が誕生。その後ナポレオンは、他の統領の権力を奪い、自らに実権を集め、終身統領に就任したあげく最終的には皇帝に就任した

*24:総裁政府、統領政府、第一帝政復古王政ルイ18世)で外相、7月王政(ルイ・フィリップ)で駐英大使。

*25:最近の「青い芝の会」を取り上げた著書としては例えば、定藤邦子『関西障害者運動の現代史:大阪青い芝の会を中心に』(2011年、生活書院)、横田弘『障害者殺しの思想(増補新装版)』(2015年、現代書館)、横田弘ほか『われらは愛と正義を否定する:脳性マヒ者・横田弘と「青い芝」』(2016年、生活書院)、荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか:横田弘と青い芝の会「行動綱領」』(2017年、現代書館)など

*26:同人誌『しののめ』の中心人物

*27:山北氏については■鈴木雅子『「青い芝の会」初期の運動と人々』(http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n373/n373009.html)参照。鈴木論文やウィキペ『青い芝の会』に寄れば、同人誌『しののめ』の中心人物であるとともに『青い芝の会』初代会長。鈴木氏は「青い芝の会」評価において、「横田弘氏、横塚晃一氏(著書『母よ!殺すな』(1981年、すずさわ書店→増補版、2007年、生活書院))」ばかりに注目が集まる傾向があるとし、山北氏の再評価を主張している。

*28:精神障害者身体障害者などの『安楽死』計画、いわゆる「T4作戦」の責任者として、多数の障害者を殺害。戦後、死刑判決。

*29:著書『生きたかった:相模原障害者殺傷事件が問いかけるものは』(編著、2016年、大月書店)

*30:社会民主党副幹事長などを経て世田谷区長。著書『いじめの光景』(1994年、集英社文庫)、『年金を問う:本当の「危機」はどこにあるのか』(2004年、岩波ブックレット)、『闘う区長』(2012年、集英社新書)など