今日の産経ニュース(10/24分)ほか(10/23は明治150年記念式典&日中平和友好条約発効40周年ほか)(追記・修正あり)

■日経『安倍訪中、「明治150年演説」恐れた難局の習近平政権』編集委員 中沢克二
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO36484670V11C18A0000000/

 両国間ではいったん10月23日に安倍が北京入りする日程が大筋で固まっていた。その後、ハイテク産業の集積地として有名な深圳など地方都市の訪問もこなす2泊3日の日程だった。1カ月近く前の話である。
■中国が見逃していた日本の重要行事
 10月23日は40年前の1978年、当時、中国の副首相だった実力者、トウ小平が来日し、日中平和友好条約の批准書を交換した日に当たる。この日に安倍が北京入りし、盛大な記念行事を行うのは双方にとって極めて喜ばしいはずだった。
 しかし、この時点で中国側は、ある重要な事柄を見逃していた。10月23日午前、日本では明治維新150年の記念行事があり、安倍が演説する。
 万一、午前中に安倍が、中国にとって問題に見える発言をし、そのまま午後、中国入りすれば、国家主席習近平(シー・ジンピン)のメンツがつぶれかねない。
 中国側は安倍訪中の日程を当初予定から2日間だけ先に延ばすことで手を打った。10月25〜27日である。これならば「大きな変更はない」と双方が両国民に説明できる。日本首相の7年ぶりの公式訪中がようやく決まった。
 万一、23日に安倍が歴史や南シナ海といった問題で必要以上に強い姿勢*1を示せば、直前に急きょ取り消しもできる態勢だ。それが安倍への一定の圧力になるという判断である。

 まあ、安倍が「明治150年をほとんど宣伝しなかった」のも「すぐ訪中が控えていたから」かもしれません。
 日経は「今更、安倍訪中を中止にもできない、そんなことしたら習主席のメンツがつぶれるから、ひとまず延期にとどめた」としますが、それは安倍も同じです。
 安倍もさすがに中国の反発を買う「無茶苦茶なウヨ発言を式典で放言」して、「ふざけんな、手前。首脳会談は中止だ」と中国に言われたらメンツが完全に潰れ、野党や石破などの批判を浴びかねません。そんなリスクを冒す度胸は安倍にはないでしょう。なくていいですが。


■「安倍外交は失敗、進次郎は徒党を組め」 元自民党副総裁・山崎拓*2の進言
https://news.yahoo.co.jp/feature/1118
 小泉jr*3高評価には賛同できませんが「安倍*4外交は失敗」つうのは全く同感ですね。
 慰安婦問題にせよ、竹島問題にせよ日韓関係が悪くなったのは極右・安倍のせいです。
 日露関係で「プーチン*5との個人的信頼」をアピールしても「日露経済交流」はともかく「北方領土返還」という意味では何の成果もない。
 日朝関係では完全に「南北関係融和」を目指して動いた文在寅*6大統領に「朝鮮半島問題」の主導権を握られてる。もちろん拉致で何の進展もない。
 日中関係では当初中国に敵対的な態度をとりながら、いまや、5月の李克強*7首相を歓迎し、一帯一路参加表明するまでに変節(?)した。
 日米関係では「トランプとの友好関係」を自慢しながらも、日本も報復関税の対象になりました。
 「トランプべったりの安倍と比べ」トランプに移民問題等で批判的な「メイ*8英国首相」「マクロン*9・フランス大統領」「メルケル*10・ドイツ首相」に比べ安倍がトランプに「リップサービスはともかく実質的な何か」で特別扱いされた事実はないでしょう。
 これで「外交が失敗してない」と思ったらその方が異常です。
 一方で過去の外交成功としては「鳩山一郎*11の日ソ国交回復」「佐藤栄作*12の日韓国交正常化、沖縄返還」「田中角栄*13日中国交正常化」、「金丸信*14による第18富士山丸船長帰国」「小泉純一郎*15拉致被害者救出」などがあるわけです。


【ここから産経です】
■【産経抄】10月24日
https://www.sankei.com/column/news/181024/clm1810240002-n1.html

 日本の人口の増減がわかるのは、江戸時代の後半からである。8代将軍吉宗が、1721年から調査を命じたからだ。科学史家の板倉聖宣*16(きよのぶ)さんによると、当時を境にして日本全国の人口は、減少に転じる。それに伴う年貢収納量の変化は、幕府にとって重大問題だった。
▼もちろん、地域によって事情が違う。長州藩薩摩藩ではむしろ増加していた。つまり明治維新とは、江戸時代後半にも経済成長を続けていた西南諸藩が、停滞した関東・東北勢を圧倒して起こした革命だった(『日本史再発見』*17)。
 明治以後、人口は全国で急増する。江戸時代後期に発展が遅れた地域ほど、増加の度合いは大きかった。幕府や諸藩が何度も改革を試みながらはね返された国難*18を、明治という時代はいかに乗り越えたのか。
 板倉さんの答えは明快である。
「百姓たちは明治維新を明るい時代と感じたのである。これまでのように子どもを間引かなくて育てても、明るく何とか生きていける時代であると感ずることができたのだ」

 どうですかね。はたしてそんなに明治時代は「明るかった」のか。俺は疑問に思いますけどね。
 人口増でそう言っていいのなら

http://www.avis.ne.jp/~nihao/tibetto.html
チベット問題を考えるための資料(横浜国立大学教育人間科学部教授・村田忠禧*19
チベットの人口
 チベット族の人口は中国全土で542万(2000年段階、少数民族としては9番目の多さ)、1953年の段階では278万であったので、ほぼ倍増している。
 チベット自治区の人口は1988年末現在で212.31万人,人口密度は1平方キロ当たり1.73人,全国平均の60分の1。2006年末段階になると人口は281万人、人口出生率は17.40‰,死亡率は5.70‰、自然増加率は11.7‰。全国平均がそれぞれ12.09‰、6.81‰、5.28‰なので、チベット自治区の人口の増加ぶりが判る。チベット漢民族の移住が進んでいるというダライ・ラマ側の主張は正しくない。少数民族には一人っ子政策は適用されないため、少数民族は押しなべて人口が増えている。

ということで「チベットチベット解放で人口が増えて明るくなった」といっていいでしょうね。あるいは今人口減する日本は「暗い時代」なのか。いわゆるベビーブーム時代の方が日本人はずっと幸せだったのか。まあネタは何でもいいですが、「反中国で安倍信者」の産経に対する嫌みとして成立しそうなもんをあげてみました。
 なお村田氏によれば

http://www.avis.ne.jp/~nihao/tibetto.html
チベットの経済と生活
 2005年のチベットGDPは250.60億元、前年比12.2%増。一人当たりGDPは9098元、前年比10.8%増。2007年のGDPは342億元、前年比14%増に達し、一人当たりGDPは12000元を突破。産業構造は伝統的に農牧業が優勢だが、近年は鉱産業、観光業が活力を持つようになり、2007年には第一次産業第二次産業第三次産業の比率が56.2:28.0:15.8になった。
 チベットの都市住民の人民元貯蓄残高は2006年で139.8元。青海省が406.3元、寧夏回族自治区が581.1元であるのに比べ、チベット住民の貯蓄額の低さが目立つ。ただし2002年を100とした指数で見た場合、2006年は198.6とほぼ倍増している。
 職業別平均賃金で見ると、チベットの賃金は他の地域よりも高い。たとえば2006年の建築業の全国平均は16406元であるのに、チベットは19300元である。おそらく高地手当てのようなものがあるのだろう。チベットの法定労働時間は週35時間で、他の地域より5時間少ない。
 1994年にはチベットに48万人が貧困ライン以下の生活をしていたが、1997年までに21万人に減少させた。1998年時点で農村人口の9.8%が貧困ライン以下で暮らしている。チベットの農村はとりわけ貧しい。それでも2007年の農牧民の一人当たり平均純収入は2788元で、2002年より83.3%増である。
 チベットの大きな産業として観光業が挙げられるが、1995年にチベットに来た旅行者数は6.78万人(うち外国人は6.54万人)であったが、2006年になると15.48万人(うち外国人は13.61万人)と大幅に増えている。外国人旅行客の比率が高いのもチベットの特徴(たとえば2006年の雲南省の場合、旅行客は181万人、うち外国人は111万人)である。2007年7月の青藏鉄道の開通で旅行客が急増し、2007年は402万人となった。外国人観光客の落とす外貨収入は1995年が1100万ドルであったのが、2006年には6100万ドルに増えている。それだけでなく、貨物輸送においても鉄道の果たす役割はきわめて大きいだろう。2008年は本来、チベットにとって飛躍の年になるはずである。
 このような状況で(ボーガス注:ダライ盲従分子の一部チベット暴徒のように)暴動を起こし、危険なチベットを演出することがはたしてチベットで生きる人々の利益になることであろうか(ボーガス注:いやならない、という反語)。

だそうですがこういう村田氏のような主張については「ダライ盲従分子」阿部治平、I濱女史、id:Mukkeなどは「中国シンパだ!」「経済がよければそれでいいのか」などと憤激するだけでしょう。
 なおチベット問題については

http://www.geocities.jp/yu77799/tibet/tibet.html
チベット問題
 まず、「チベット」については、「過去行われたこと」と「現在進行中の事態」は、きちんと分けて論じるべきである、と考えます。
 ひょっとすると、過去において大規模な虐殺が行われたのかもしれない。このあたりの事実関係については、私は勉強不足ゆえ、現段階では見解を保留します。ネットの諸情報を総合すると「反乱鎮圧」などでかなりの規模の「虐殺」が行われた可能性は否定できないようですが、よく言われる「120万人」という数字は、「南京」の「30万人」と同じく、十分な吟味を経ない不確かな情報に基づく、いわば「幻想に近い」ものではないか、と思われます。
 現在における問題は、「大規模な虐殺」というものではなく、「政治犯」等の「人権弾圧」問題であるようです。「チベット」だけを特筆するのであれば、そもそも中国そのものが「人権問題」を抱える国家なのですから、「チベット」が他地域に比較して突出してひどい状況にあるのか、ということを明確にしておく必要があるでしょう。
(中略)
 まとめると、
1.
 現在、「政治犯問題」は存在する。ただし、「宗教問題」「民族問題」というチベット特有の事情はあるものの、中国全土の状況に比較して、「チベット」だけが突出しているとは断定できない。
2.
 「民族浄化」論は、どこまで根拠のあるものなのか、不明。単なる「人口過密地域から過疎地域への移住促進政策」とも見られる。「亡命政府」側からはこれが「民族存続の危機」と見えるのは理解できるが、中国政府がどこまで「民族浄化」を意識しているのかはわからない。
3.
 過去はともかく、現代においても「大量虐殺」が進行している、という情報はない。
というところでしょうか。ただし先にも述べたとおり、他に情報が得られれば、上記見解を修正することもありうることは、念押ししておきます。

というのがバランスのとれた見方かと思います。
 いずれにせよこの板倉某氏も「安倍や産経ほどの極右」でなければ明治時代万々歳つうほどの脳天気でもないでしょう(板倉氏の立場はわかりませんが)。仮に人口が増えることを「経済発展で国民が経済的に幸せになった」と高く評価してもそれで「韓国侵略」「足尾銅山鉱毒事件」「でっち上げ・大逆事件」などの明治のマイナス面は全くチャラにならない。
 中国の経済発展で、中国の人権問題をすべてチャラにできないのと同じことです。

*1:「中国に敵対的な姿勢」「戦前賛美の姿勢」と書かないあたり、日経の安倍に対する態度が透けて見える気がいます。

*2:宇野内閣防衛庁長官、宮沢内閣建設相、自民党国対委員長(河野総裁時代)、政調会長(橋本総裁時代)、幹事長、副総裁(小泉総裁時代)を歴任

*3:自民党青年局長、農林部会長などを経て現在、厚生労働部会長

*4:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*5:エリツィン政権大統譜第一副長官、連邦保安庁長官、第一副首相、首相を経て大統領

*6:盧武鉉政権大統領秘書室長、「共に民主党」代表を経て大統領

*7:共青団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*8:保守党幹事長、キャメロン政権内務相などを経て首相

*9:オランド政権で経済相

*10:コール政権環境相キリスト教民主同盟 (CDU) 幹事長などを経て首相

*11:戦前、田中義一内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相。

*12:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*13:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*14:田中内閣建設相、三木内閣国土庁長官福田内閣防衛庁長官自民党国対委員長(大平総裁時代)、総務会長、幹事長(中曽根総裁時代)、副総裁(宮沢総裁時代)を歴任

*15:宮沢内閣郵政相、橋本内閣厚生相を経て首相

*16:1930〜2018年。著書『仮説実験授業の研究論と組織論』(1988年、仮説社)、『近現代史の考え方』(1996年、仮説社)、『原子論の歴史』(2004年、仮説社)、『勝海舟明治維新』(2006年、仮説社)、『ハングルを創った国王・世宗大王の生涯』(2007年、仮説社)、『科学と教育』(2008年、仮説社)、『未来の科学教育』(2010年、仮説社)、『ぼくらはガリレオ』(2011年、岩波現代文庫)など

*17:1993年、朝日選書

*18:人口減少のこと

*19:個人サイト(http://murata-cjr.info/)。著書『日中領土問題の起源』(2013年、花伝社)、『史料徹底検証 尖閣領有』(2015年、花伝社)など