「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう(2019年3/31分:三浦小太郎の巻)(追記あり)

江東映像文化振興事業団、次回上映会は6月15日、作品は「美女と野獣」(ジャン・コクトー監督)です | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 まあ小生のような人間にとって「美女と野獣」といえばディズニーアニメですね。なお、ウィキペディア美女と野獣」によれば2017年にディズニーが実写版も作ってるそうです。

 コクトーが1936年に来日した時の言葉を一部紹介します。
『フランスにゐて*1、私が日本に就いて考へてゐたことは誤解でした。私は日本といふ国を、僅かに浮世絵や屏風によつて空想してゐたのでした。私は日本と云ふと、ただもう、花の咲いた美しい枝に止つた小鳥達や、竹林からをどり出して来る虎や、牡丹に戯れる獅子*2の姿を想像するのでした。
 今度見て、私は自分の想像してゐた日本が如何に外面的であつたかといふことに気づきました。明日、私は、日本の厳粛な、そしてまた宗教的な姿を心の土産にしてお国を去らうとして居ります。
 上御一人の為めに、尊い一命を快く犠牲にし得るあの生命の抛棄――自殺――あれが日本の国運と日本人の微笑の根本になつてゐると私には思はれます。』
ジャン・コクトー「日本への挨拶」から 堀口大学*3訳)

 三浦が何の説明もつけないのでまるきり意味不明ですね。まず「上御一人」です。これは現在、ほとんど使われない死語です。ググればすぐに分かりますが、天皇のことです。
 そうすると

 上御一人の為めに、尊い一命を快く犠牲にし得るあの生命の抛棄――自殺――あれが日本の国運と日本人の微笑の根本になつてゐると私には思はれます。

とは

 天皇の為めに、尊い一命を快く犠牲にし得るあの生命の抛棄――自殺――あれが日本の国運と日本人の微笑の根本になつてゐると私には思はれます。

ということになるわけですが「天皇のための生命の放棄(自殺)」とは一体何のことなのか。
 1936年では神風特攻なんかやってないから、明治天皇死亡時の乃木希典*4夫婦の殉死のことか。コクトー乃木神社にでも行ったのか。そして同行した日本人からしつこく「日本人は乃木の殉死に感動しているが、あなたは乃木の殉死についてどう思うか」と聞かれでもしたのか。
 ただこれが「コクトーの本心」であるか、あるいは「日本側へのおべっか、美辞麗句*5」であるかはともかく、これは現在の我々の目から見れば「時代錯誤の狂気の言葉」でしかないですよね。ましてや我々、今の日本人は「1945年の終戦直前」に「天皇のための生命の放棄(自殺)」が神風特攻隊、人間魚雷・回天などの形で実行されたことをすでに知っています。
 「乃木夫妻のように天皇のために自殺すら出来る日本人ってスゴイですね。日本の国運の根本がその尊皇精神だと思います。訪日してそのことが分かりました(コクトー)」なんて当時の日本人はともかく今の日本人が聞いてもよほどの極右でない限りドン引きですね。
 今時、天皇のために死ぬ奴はいないし、昔の天皇(明治、大正、昭和)ならまだしも、今の天皇、皇族はそんなことされても「ありがた迷惑」でしょう。
 今の日本人がこんな言葉を聞けば、「この外国人は頭がおかしいのか。本気でこう思ってるのか。あるいはこう言えば我々日本人が喜ぶと思っておべっかを言ってる気なのか*6。それとも、『金儲けのうまい竹下さん*7を総理にしよう(日本皇民党)』的な褒め殺し(日本社会の天皇万歳への皮肉や嫌み*8)か」と首をひねるところです。どっちにしろ、あまりお付き合いしたくない御仁です。
 問題は三浦がこうしたコクトーの言葉をマジで未だに「好意的評価したいらしいこと」です。おそらく三浦は「1945年の終戦直前」に実行された「天皇のための生命の放棄(自殺)=神風特攻や人間魚雷・回天など」も美化したいのでしょう(とはいえこんなこと抜かしてる三浦は絶対に天皇のために自決などしないでしょうが)。
 まあ俺はこんな「非常識極右」三浦とは絶対につきあいたくないですね。話が通じるとはとても思えない。ましてや仲のいい関係になれるとはとても思えない。正直、三浦には「軽蔑」「呆れ」「憎悪」「怒り」といった否定的な感情しか持てません。例の「自称アンチネトウヨ」N原さんなんか良く三浦と付き合えるもんです。
 N原さんも

 天皇の為めに、尊い一命を快く犠牲にし得るあの生命の抛棄――自殺――あれが日本の国運と日本人の微笑の根本になつてゐると私には思はれます。

という三浦同様の考えで「神風特攻隊なども美化するのか」聞きたいところです。
 大体「イヤー、コクトーの『美女と野獣』は素晴らしいんですよ」つう話の中で何で唐突に

 天皇の為めに、尊い一命を快く犠牲にし得るあの生命の抛棄――自殺――あれが日本の国運と日本人の微笑の根本になつてゐると私には思はれます。

なんて話が出てくるのか。いくらそれがコクトーの言葉だからって、『美女と野獣』と何一つ関係ないでしょうよ。

・一昨夜、私は歌舞伎座で「鏡獅子」を見物いたしました。あなた方の名優菊五郎、あれは俳優ではなく、むしろ舞台の上の神主であります。
菊五郎が見せてくれるものは、実に舞台の上の宗教だと、私は申し上げたいのであります。
・あの踊りは、国技館で昨日見物した相撲*9と共に、私にとつては真の日本の力、美しさと剛気さとを打つて一丸となした力を見せてくれるやうな気がします。踊る菊五郎が、一瞬間立ち止る時の、また仕切り最中の両力士が互いに相手の胸中を鼻突き合せて研究しあふ時の、あの二種類の厳粛な気持ちが、私に思ひ出させるのでした、明治神宮の境内のあの超人間的な静けさと、そこへ参拝に来る人々の敬虔な姿とを。

 「天皇のための自殺美化」の次は「歌舞伎俳優・菊五郎を神主呼ばわり」「菊五郎を見たときの厳粛な気持ち=明治神宮参拝時の厳粛な気持ち」だそうです。「コクトーって神社大好き右翼なのかな?」「それともコクトーがこの言葉を発した相手が神社大好き右翼で、こびへつらいなのかな?」と首をひねります。歌舞伎は神道と関連性があるとは言えないでしょう。
 なお、この菊五郎とは「1936年」という時期から考えて「六代目・尾上菊五郎(1885年~1949年)」ですね。1936年当時は「5代目・尾上菊五郎(1844年~1903年)」はすでに死去していますし、一方「7代目・尾上菊五郎(1942年~)」はまだ生まれていません。
 ちなみにコクトーが1936年の来日時に6代目・菊五郎の「鏡獅子」を見て絶賛したという話はウィキペディア「六代目・尾上菊五郎(1885年~1949年)」にも

■六代目・尾上菊五郎(1885年~1949年)
ジャン・コクトーは来日時に菊五郎の『春興鏡獅子』を見て感動し、「名優菊五郎は俳優ではなく、むしろ舞台の上の神主である」「扇の踊りは一生忘れないだろう」といった感想を残している。『春興鏡獅子』はこの後、小津安二郎監督によって記録映画『鏡獅子』(1936年)に残され、その至芸を今日に伝えている。

として出てきます。
 三浦はこうした注釈を何一つつけないのでこちらが調べないとコクトーの発言内容の意味が全く何も分かりませんが。

【追記】
 最後に産経による「乃木の殉死美化」「特攻美化」を紹介しておきます。三浦が江東映像文化振興事業団、次回上映会は6月15日、作品は「美女と野獣」(ジャン・コクトー監督)です | 三浦小太郎BLOG Blue Moonでやりたいのはそういうことでしょう。

【欧州多発テロ】自爆テロ犯を「カミカゼ」と呼ぶ「誤用」はなぜ欧州に広がったのか? マスコミだけでなく、検事も会見で連発(1/3ページ) - 産経ニュース
・戦後のフランスでは、「殉死者」という意味合いでカミカゼが外来語として輸入された。それが最近のテロ続発を契機に、自爆テロ犯をカミカゼと呼ぶ習慣が定着した。フランス国内のテロ捜査を統括するパリのフランソワ・モランス検事も、記者会見で「カミカゼ」と連発する。
・「誤用*10」は欧州全体に広がっている。特に目立つのが大陸国だ。
 例えばイタリアだ。ベルギー同時テロで自爆した容疑者の弟が、テコンドーのベルギー代表としてリオデジャネイロ五輪出場を決めたが、伊日刊紙のラ・スタムパは「カミカゼの弟」と記事で紹介した。
 スペインでも自爆テロ犯を「カミカゼ」と呼ぶ。同国では、バスク地方の分離独立を求める非合法武装組織のテロリストがカミカゼにたとえられる例が過去にあった。「死を恐れない決行者」として拡大解釈された格好だ。

「特攻とテロはまったく違う」 実行犯「kamikaze」仏報道に元隊員憤り:イザ!
 パリで起きた同時多発テロ事件で、現地メディアが自爆テロ実行犯を「kamikaze」(カミカズ)=カミカゼの仏語風発音=と表現していることに、語源となった神風特攻隊の元隊員から憤りの声が上がっている。命をなげうち、祖国を守ろうとした特攻と、無辜(むこ)の民間人を犠牲にするテロを同一視するような報道に、元隊員は「国のために戦死した仲間は、テロリストとは全く異なる」と反発している。 
 「日本をなんとか救おうと、愛国心の一念から仲間は飛び立ち、命をささげた。テロと特攻を一緒にするのは戦友に対する侮辱であり、残念至極だ」
 福岡県豊前市の末吉初男氏(88)は17日、産経新聞の取材にこう語った。
 末吉氏は、爆弾を積んだ小型ボートで敵艦隊に突入する特攻に旧海軍が「神風」という言葉を用い始め、国内に広がったと記憶している。鎌倉時代元寇の際に暴風が起きたことから、「日本が最悪の状況に陥ったときには神風が吹く、国を守るために神様が加勢してくれると信じさせてくれる言葉だった」と振り返る。
 特攻の攻撃対象は敵艦であり、乗っているのは軍人だ。無差別に一般市民を巻き添えにすることは決してなかった。末吉氏も、敵艦を攻撃するために特殊教育を受けた。
「戦友は上司の命令に従い、国を守るため、天皇陛下のためと死んだ。特攻とテロが一緒にされるとは心外でたまらない。戦友に対して申し訳なく、はがゆい思いでいっぱいだ」

朝日新聞「素粒子」にモノ申す 特攻隊とテロ同一視に怒り編集委員 宮本雅史*11
・1月13日付朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」という記述があった。
 わずか4行だが、この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ。
 標的は軍事施設だけであり、決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである。
 特攻隊の生みの親ともいわれる大西瀧治郎*12中将の副官だった故門司親徳氏が生前、(中略)「(前略)この特攻攻撃が戦争の終結に結びついた」と語った。
・フランス人文学者のモーリス・パンゲは『自死の日本史』(ちくま学芸文庫)の中で、特攻隊員の思いを次のように分析している。
〈それは日本が誇る自己犠牲の長い伝統の、白熱した、しかし極めて論理的な結論ではなかっただろうか。それを狂信だと人は言う。しかしそれは狂信どころかむしろ、勝利への意志を大前提とし、次いで敵味方の力関係を小前提として立て、そこから結論を引き出した、何物にも曇らされることのない明晰(めいせき)な結論というべきものではないだろうか〉
〈強制、誘導、報酬、麻薬、洗脳、というような理由づけをわれわれは行った。しかし、実際には、無と同じほどに透明であるがゆえに人の眼には見えない、水晶のごとき自己放棄の精神をそこに見るべきであったのだ。心をひき裂くばかりに悲しいのはこの透明さだ。彼らにふさわしい賞賛と共感を彼らに与えようではないか。彼らは確かに日本のために死んだ〉
 特攻は、宗教思想を曲解した行動とは根本的に違うのである。朝日新聞昭和19年10月29日付1面で、「身をもって神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨(きすう)分かれんとする決戦段階に処して身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じ、一億総特攻を扇動するような記事さえ掲載している。にもかかわらず、その責任には触れず、特攻隊の英霊を冒涜(ぼうとく)、日本の伝統的価値観の象徴でもある特攻隊の誠を踏みにじり、日本人から「日本人の誇り」を奪うような論調は決して容認してはならない。

 むしろ詭弁で特攻を美化する産経に「この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた」ですね。産経的には「人間爆弾はOK」なのか。イスラム過激派も「特攻のように軍事基地だけ攻撃するのなら人間爆弾OK」なのか。人間爆弾それ自体は反社会的でも不道徳でも反倫理的でもないのか。
 「特攻が終戦をもたらした」とはどういう意味なのか。実際には「ソ連参戦」「原爆投下」でもはや降伏せざるを得ないから、降伏しないと国体(天皇制)護持がやばいから降伏したに過ぎません。特攻など全く関係ない。いやそもそも仮に特攻が何が成果を上げたとしてあんな非人道的な作戦が許されると産経は本気で思ってるのか。
 なお、門司氏の言葉「特攻が終戦をもたらした」が本心かはかなり疑問符がつくでしょう。「若者を無意味に自殺させた人間のくず」「せめて大西中将のように、門司は終戦直後自決して責任をとるべきだった*13」という門司氏への批判に対して一番手っ取り早い反論は「特攻は無意味ではなかった」だからです。明らかに事実に反しますが。
 こんな非常識な特攻礼賛文章を書いて恥じない宮本の著書『「特攻」と遺族の戦後』(2008年、角川ソフィア文庫)、『海の特攻「回天」』(2011年、角川ソフィア文庫)がどんな代物かもおよそ想像がつきます。

【昭和天皇の87年】乃木希典の殉死 明治の精神は「天皇に始まつて天皇に終つた」(1/4ページ) - 産経ニュース(社会部編集委員 川瀬弘至*14
明治天皇の霊轜(れいじ)車(※2)が皇居車寄から青山練兵場の葬場殿に向けて出発したそのとき、乃木は妻の静子とともに自刃した。
 警視庁の「死体検案始末書」によれば、軍服姿の乃木はシャツのボタンを外し、軍刀で腹を十字に切り、再びボタンをとめてから、喉を深く突いて絶命した。作法にそった、見事な切腹だった。
 室内の小机には明治天皇御真影とともに複数の遺書が置かれていた。その中には静子に宛てたものもある。乃木は当初、ひとりで自刃するつもりだったのだろう。だが、二子を失っている静子は、私だけ残さないでほしい、一緒に死なせてほしいと懇請したのではないか。静子は乃木と対座し、乃木の自刃とほぼ同時に懐剣で心臓を貫いた。
明治天皇崩御と乃木の殉死は、国民に激しい衝撃を与え、それは小説など文化活動にも反映されて今に伝えられている。
 中でも夏目漱石が代表作『こゝろ』につづった一節は、明治世代の日本人の心情を、表象しているといえよう。
 「夏の暑い盛りに明治天皇崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まつて天皇に終つたやうな気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残つてゐるのは必竟時勢遅れだといふ感じが烈しく私の胸を打ちました」
「それから二三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由が能く解らないやうに、貴方にも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もし左右(さう)だとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません」
 このほか新渡戸稲造は乃木の殉死を「武士道といふものから見ては実に一分の余地も残さぬ実に立派なもの」と評し、森鴎外は「阿部一族」「興津弥五右衛門(おきつやごえもん)の遺書」など殉死をモチーフにした秀作を残した。
 だが一方、漱石が「時勢の推移から来る人間の相違」と書いたように、乃木の殉死を時代錯誤とみなし、むしろ茶化すような風潮が、とくに若い世代の一部に生まれていたのも事実だ。
 学習院出身で白樺派の代表格だった志賀直哉は日記で、乃木の殉死を「『馬鹿な奴だ』といふ気が、丁度下女かなにかゞ無考へに何かした時感ずる心持と同じやうな感じ方で感じられた」と突き放した。
 芥川龍之介も小説「将軍」の中で乃木を茶化し、登場人物に「(乃木の)至誠が僕等には、どうもはつきりのみこめないのです。僕等より後の人間には、尚更通じるとは思はれません」と語らせている。

 志賀や芥川は「少なくとも乃木の殉死当時は」天皇万歳ではない合理主義者だったということでしょう。
 確かに芥川小説の登場人物のいうように

「僕等より後の人間には、尚更通じるとは思はれません」

でしょう。産経のような「乃木殉死万歳」など今の日本においてはさすがに少数派じゃないか。

参考

阿部一族ウィキペディア参照)
 森鷗外の短編小説。江戸時代初期に肥後熊本藩で起きた、阿部一族が上意討ちで全滅した事件を題材に創作され、大正2年(1913年)1月に『中央公論』誌上に発表された。
■あらすじ
 寛永18年(1641年)、肥後藩主細川忠利の病状が悪化し、側近たちは次々と殉死を願い出た。老臣の阿部弥一右衛門もまた殉死の許可を乞うが、謹厳な彼を昔からけむたがっていた忠利は「生きて新藩主を助けよ」と遺言し、許可は出ないまま忠利は死去する。そのため、旧臣たちが次々と殉死してゆく中で、弥一右衛門は以前どおり勤務していた。だが彼が命を惜しんでいるかのような家中の評判を耳にしたことから、一族を集め、彼らの面前で切腹を遂げる。しかし、遺命に背いたことが問題となり、阿部家は藩から殉死者の遺族として扱われず、家格を落とす処分をされた。鬱憤をつのらせた長男の権兵衛は、忠利の一周忌法要の席上で抗議意思の表明として、髻を切り、非礼を咎められて捕縛され、盗賊同様に縛り首とされた。藩から一族に加えられた度重なる恥辱に、次男の弥五兵衛はじめ一族は、覚悟を決して屋敷に立てこもり、藩のさし向けた討手と死闘を展開して全滅する。

*1:確かに訪日当時の「堀口大学翻訳」は旧仮名遣いでしょうが、新仮名遣いで書いてほしいですね。

*2:中国や韓国、インドならともかく日本に虎や獅子(ライオン)は生息していませんが、時代が時代なのでコクトーがこういうとんちんかんなことを言っても仕方がないのでしょう。

*3:詩人、フランス文学者

*4:台湾総督、第三軍司令官、学習院長など歴任。死後、乃木神社が作られた。

*5:当時、これがおべっかとして通用したらしいということが現在の我々にとっては恐ろしいですが。

*6:少なくとも俺は喜びませんが。

*7:佐藤、田中内閣官房長官、三木内閣建設相、大平、中曽根内閣蔵相、自民党幹事長(中曽根総裁時代)などを経て首相

*8:その種の嫌みの価値を俺は全否定はしません。時に嫌みとして有効な場合もありますが、個人的には、この件では、こんな褒め殺しではなく、「日本社会の天皇万歳は常軌を逸していておかしいよ!」と率直に言ってほしいですね(いずれにせよコクトーの場合は褒め殺しではないことだけは確かです)。

*9:外国人力士が活躍する今の相撲についてどう思うか、コクトーに聞きたいところです(もちろんすでに死去していますが)。

*10:単に「産経の価値観(神風特攻と自爆テロは違う点があるから「自爆テロカミカゼ」というべきでない))」と「フランス人やイタリア人の価値観(神風特攻と自爆テロは共通点があるから「自爆テロカミカゼ」といっていい)」が違うだけで「是非はともかく」、誤用という話ではありません。

*11:著書『「電池が切れるまで」の仲間たち:子ども病院物語』(2006年、角川文庫)、『「特攻」と遺族の戦後』(2008年、角川ソフィア文庫)、『電池が切れるまで』(2009年、角川つばさ文庫)、『対馬が危ない:対馬を席巻する韓国資本』(2009年、産経新聞出版)、『海の特攻「回天」』(2011年、角川ソフィア文庫)、『爆買いされる日本の領土』(2017年、角川新書)、『領土消失:規制なき外国人の土地買収』(共著、2018年、角川新書)など

*12:1944年10月20日、第一航空艦隊司令長官に就任。その後、神風特攻作戦を実行。終戦直後自決(ウィキペディア大西瀧治郎」参照)。

*13:ウィキペディア「門司親徳」によれば、戦後、門司氏は「日本興業銀行総務部長」「丸三証券社長」「ニチロ監査役」を歴任。

*14:著書『立憲君主 昭和天皇 (上)(下)』(2017年、2018年、産経新聞出版)、『孤高の国母・貞明皇后:知られざる「昭和天皇の母」』(2018年、産経新聞出版