6月23日は沖縄慰霊の日だった。1945年のこの日、(ボーガス注:第23軍の司令官・牛島満、参謀長・長勇が自決し)沖縄での(ボーガス注:日本軍の)組織的な戦闘*1が終わったとされる。
沖縄戦関係の記事として以下を紹介しておきます。「岸田の軍拡」への懸念、批判が各方面から表明されてるところが興味深い。
◆沖縄戦から78年「慰霊の日」 沖縄はどう迎えた|NHK 沖縄県のニュース
◆沖縄戦から78年「慰霊の日」次の世代への記憶の継承が課題 | NHK | 沖縄県
◆【全文】玉城知事「平和宣言」沖縄 慰霊の日 | NHK | 沖縄県
◆玉城デニー知事、防衛強化に「大きな不安」 沖縄慰霊の日 | 毎日新聞
◆「沖縄 二度と戦場にしない」 玉城知事が南西諸島の自衛隊増強に懸念 全戦没者追悼式に4000人、平和の決意新た - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
◆玉城知事 平和宣言「地域外交による平和の構築に努める」|FNNプライムオンライン
◆<社説>慰霊の日平和宣言 外交と対話で平和築け - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
赤旗
◆沖縄「慰霊の日」全戦没者追悼式/デニー知事が平和宣言/対話による外交を訴え
◆沖縄全戦没者追悼式/玉城デニー知事の「平和宣言」
◆沖縄戦の悲劇くり返させぬ/ミサイル配備中止を/「慰霊の日」 小池書記局長が会見
◆主張/6・23「慰霊の日」/沖縄戦の惨禍 再び起こさせぬ
米軍統治下ながらとても貧しい生活をしていた沖縄で「観光」がはじまった。本土から遺族会の慰霊団を受け入れることになったのだ。元参院議員の糸数慶子さん*2は、当時バスガイドで、殉国美談を語っていた。
「犠牲の側面より国のために命をかけて戦って、ここまで追い詰められて亡くなったんだと説明した」
摩文仁の丘の頂上に牛島満司令官と長勇参謀長が祀られた「黎明の塔」があるが、そこでは「二人は別れの盃を交わし、牛島司令官が『私が先に逝く』と言葉を残し、白い布の上で愛刀をもって腹を十文字にかっさばいて割腹してお亡くなりになったようです」と語った。あるバス会社のシナリオでは、「古武士の型にならった見事な最期だった」と伝えている。
糸数さんは、「なぜ私たちの案内の中に、住民の話が全く語られないんだろう」という疑問を会社にぶつけたことがあるという。疑問をもったきっかけは、元ひめゆり学徒にかけられた言葉だった。
「あなたの説明はていねいで分かりやすいけど、間違っているよ。戦場に駆り出された人たちの本音を語っていないよね」
その後、糸数さんは、軍隊本位の戦跡案内をあらため、住民の視点に立った戦跡ガイドに踏み切った。
沖縄の住民が、戦争の実相を語り出すのは1970年代に入ってからのことだった。
(つづく)
本土遺族会相手に殉国美談とは「少し長い」ですが、以前紹介した以下の話を思い出しました。
新刊紹介:「歴史評論」8月号 - bogus-simotukareのブログ
◆(ボーガス注:特攻隊美化という)想起を介した(ボーガス注:日本軍の残虐行為の)忘却:日比におけるアジア太平洋戦争の碑と観光(カール・イアン・チェン・チュア:訳・岡田泰平*3)
(内容紹介)
◆産経『この夏、特攻隊員の像が立つ「カミカゼ神社」に行ってみては』(吉村英輝)
http://www.sankei.com/column/news/170714/clm1707140006-n1.html
◆夕刊フジ『【賞賛される日本】フィリピン・ルソン島で経験した神風特攻隊の慰霊祭』(井上和彦*4)
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140129/frn1401290719000-n1.htm
◆ザ・リバティ*5『神風特攻隊を誇りに思うフィリピン人 自虐史観の下では愛国心は理解できない』
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8691
などでhttp://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140129/frn1401290719000-n1.htm
・地元記者のジョジョ・マリグ氏(25)はいう。
「この式典は、日本とフィリピンの関係を知るよい機会です。私自身、カミカゼについて多くの書物を読みましたが、その尊い命を国家にささげた関大尉*6は“英雄”だと思います」
・式典に参加していた画家のダニエル・ディゾン氏は、自宅に「カミカゼ・ミュージアム」を設けて、神風特攻隊の顕彰を行っているフィリピン人だ。
「35年前、私は神風特攻隊の本を読んで涙が止まらなかったのです。当時、白人は有色人種を見下していた。日本は『世界のあらゆる人種が平等であるべきだ』として戦争に突入していった*7。神風攻撃隊は、白人の横暴に対する最後の抵抗*8だったのです。こんな勇気や忠誠心を聞いたことがなかった。同じアジア人として、このような英雄を誇りに思います*9」という発言*10から「神風特攻はフィリピン人も称える英雄的行為だ」と強弁する日本ウヨが批判されています。
残念ながら、カール氏の論文に寄ればこうした産経らの言い分は全くのウソではないようです。
そういう動きはフィリピンに残念ながら存在する。
ただし「一部のフィリピン人が特攻を英雄的行為と称えようとも」、それは特攻の真実とはとても言えないし、またそうした称賛が「フィリピン人の真意かどうか」も極めて疑わしい。
それはカール氏の論文の副題に「観光」の二文字があることでも分かるでしょう。
つまりはこの慰霊碑、「日本ウヨに媚びる事によって日本ウヨに気持ちよくフィリピン観光をしてもらいカネを落としてもらおう」という話にすぎないわけです。人間は時として「カネのため」「私利私欲のため」に良心や常識を捨てることがあります。
カール氏に寄れば当然というべきか「フィリピンを日本の侵略から救ったと見る人間が多い欧米人観光客」と「大東亜共栄圏万歳の日本ウヨが多い日本人観光客」の戦地観光コースはまるで違います*11。
要するに欧米人相手には米軍兵士が死亡した「バターン死の行進*12」が観光ガイドから語られる一方、日本人相手には語られないわけです。
つまりはダライ・ラマ、ペマ・ギャルポやラビア・カーディル、楊海英らが「日本ウヨに調子あわせてデタラメ放言したりしてること」とフィリピンの件は本質的には全く一緒です。
当然ながらダライやペマ、ラビアや楊と同様、そうしたフィリピン側の「日本ウヨに媚びる動き」*13は「日本ウヨの歴史修正主義に荷担する愚行」として批判されるべきでしょう。
まあ、id:Mukkeさんだと「フィリピンに霞を食えとは言えない。日本人観光客にリップサービスして何が悪い*14」と言い出すかも知れませんけど、ハハハ(大笑い)、て俺も我ながら底意地が悪いな(苦笑)
つうかいい加減「ノルウェーに霞を食えとは言えない」つう屁理屈を撤回しろよ、id:Mukke。全くいつまではてなブログから「長期お休み」名目でトンズラしてれば気が済むのやら。まあトンズラするだけid:noharraよりはマシな気もするけど。
まあ、それはともかくフィリピン出身のハラニーリャ判事が東京裁判において「被告全員の死刑」を主張したこと、フィリピンのBC級戦犯裁判で本間雅晴・元第14軍(フィリピン)司令官が「バターン死の行進」の責任を、山下奉文*15・元第14方面軍(フィリピン)司令官が「マニラ虐殺事件」の責任を問われて死刑になったこと、あるいはhttp://booklog.kinokuniya.co.jp/hayase/archives/2010/03/19451953.html
帰国の途につくためにマニラ港埠頭に向かった戦犯たちは、「沿道の人達からあらゆるば声を聞いた」。
取材のために来ていた新聞記者も、「戦犯たちの乗ったトラックがモンテンルパからマニラの港まで走る間、これを見送る路傍のフィリピン人たちの大部分は白い眼を向けて、「ドロボー」と叫んだ」と書いている。戦犯のひとりは、「比島人全体の対日感情をよくするためにはまだ日がかかると思う」と語り、記者は、フィリピン人の恨みや憎しみは、「生きているうちに消える日が来るかも知れない。しかし、それでも少くとも、十年、二十年の歳月はかかるにちがいない」と、一種のあきらめを感じた」ほどであった。ということでわかるようにフィリピンはあの戦争で酷い被害を受けており、決してそう言う意味では日本ウヨの言うような「大東亜共栄圏の大義を支持する親日国家」ではまったくありません。
またフィリピン戦といえば大岡昇平『野火』『レイテ戦記』の舞台であり日本兵にとってまさに生き地獄*16でした。そういう意味でも、産経のような美化は許されることではないでしょう。参考
http://news.livedoor.com/article/detail/9401510/
◆フィリピンで特攻隊が観光客を呼び込む 慰霊祭には抗議の声も
新華社は25日、フィリピン北部のルソン島で、旧日本軍の「神風特攻隊」の隊員たちのために、同日に慰霊式典が行われたとする日本メディアの報道を伝えた。1944年10月25日に、旧日本軍の「神風特攻隊」が自爆式の攻撃を開始したという。
「神風特攻隊」の出撃基地跡地がある同島のマバラカット市で25日に行われた慰霊式典には、同市市長や日本の僧侶ら約150人が出席。犠牲となった特攻隊員や、日米の激戦によって死亡した110万人のフィリピン人に祈りをささげた。
同市は悪名高き「神風特攻隊」の基地所在地として知られ、常時日本人観光客や元兵士、学生などが訪れるという。これに対して同市はあろうことか、日本人観光客呼び込みのために数年前に「神風特攻隊」隊員の像を作ったのだ。英メディアによれば、主に出資したのはフィリピン人だという。
旧日本軍による残虐な統治に耐えて生存した人びとからは、猛烈な抗議の声が噴出。抗議者には元「慰安婦」のフィリピン人女性の姿もあった。
*3:東大教授。著書『「恩恵の論理」と植民地 : アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制』(2014年、法政大学出版局)
*4:著書『親日アジア街道を行く:日本近代史の真実』(2005年、扶桑社)、『日本が戦ってくれて感謝しています:アジアが賞賛する日本とあの戦争』(2013年、産経新聞出版)、『日本が戦ってくれて感謝しています2:あの戦争で日本人が尊敬された理由』(2015年、産経新聞出版)、『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』(2015年、PHP研究所)、『ありがとう日本軍:アジアのために勇敢に戦ったサムライたち』(2015年、PHP研究所)、『大東亜戦争秘録:日本軍はこんなに強かった!』(2016年、双葉社)など
*6:ただし、関自身は『報道班員、日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍の隠語で妻)のために行くんだ。命令とあらば止むを得まい。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。僕は彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ。素晴らしいだろう。』という位、特攻作戦には批判的だったようです(ウィキペ「関行男」参照)。
*7:そんな「立派な人種平等国家」日本が「アパルトヘイト南ア」から「名誉白人」という称号を戦後もらったわけです(皮肉のつもり)。
*8:そもそも「大東亜戦争はアジア解放の戦争」というのはウソですが仮にそれを真実と認めても神風特攻なんて自殺攻撃が正当化出来るわけがないでしょう。
*9:焼身自殺を美化するダライと言い、特攻を美化する井上やディゾンと言い「なら手前も焼身自殺や特攻をやって見ろよ」といいたくなります。
*10:「井上の捏造」か、「マリグ、ディゾンらフィリピン人の井上に対する媚び」かはともかく読んでてあまりのデタラメさに怒りと悲しみを禁じ得ません。まあ、カール氏の論文を信じれば捏造ではなさそうですが。
*11:ちなみにカール氏に寄れば「朝鮮戦争戦跡ツアー(韓国や北朝鮮)」の場合も「中国人観光客(韓国の場合:中国非難はできる限り避ける)と欧米人観光客(北朝鮮の場合:欧米非難はできる限り避ける)」ではガイドの扱いが違うそうです。もちろん「韓国+欧米(というか西側)」VS「北朝鮮+中国」で戦争が行われお互い「俺は悪くない、相手が悪い」つう建前ですからある意味当然ですが。そもそも朝鮮戦争は建前ではいまだ終戦していません(現状は建前では休戦、停戦でありいわゆる38度線も国境ではなく停戦ラインにすぎない)。俺的には「欧米人の北朝鮮戦跡ツアー」「中国人の韓国戦跡ツアー」がどんなものか興味があります。政府公式見解を、韓国が中国人客相手に、あるいは北朝鮮が欧米人客相手に無神経にぶちかましたら客が激怒するのは必然ですからね。
*12:この事件についてはバターン死の行進7 右派論壇の「否定論」 を紹介しておきます。
*13:もちろんフィリピン国内において批判がないわけではありません。
*14:お断りすれば俺も「商売上のリップサービス」を否定はしませんがモノには「限度」というモンがあるはずです。度を超えたリップサービスは許されるもんではない。
*15:陸軍省軍事調査部長時代に皇道派幹部として226事件の青年将校に好意的態度をとったことがたたり失脚。その後は陸軍省中枢から外れ、支那駐屯混成旅団長、北支那方面軍参謀長、第25軍(マレーシア)司令官、第1方面軍(満州)司令官、第14方面軍(フィリピン)司令官を歴任。戦後のBC級戦犯裁判で「シンガポール華僑虐殺事件」「マニラ虐殺事件」の責任を問われ死刑判決。
*16:これについては例えば◆高世仁の「諸悪莫作」日記『ルソン島 伯父さんは逝った』(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20150818)参照