今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年11月9日分)

国連制裁決議にも従わず......北朝鮮とウガンダのディープな関係 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

・記録によると、ウガンダ北朝鮮の政府高官が初めて正式な会合を持ち、協力関係を結んだのは1972年4月。ウガンダ軍幹部の使節団が、平壌で開かれた軍事式典に出席したときだ。ここで北朝鮮ウガンダは3つの協定を結んだ。それぞれ軍事交流を進めること、ウガンダ北朝鮮からの武器購入について、そして北朝鮮ウガンダの軍事施設を建設する可能性を探ることが定められていた。
 以後、アミン*1が失脚する1979年まで、北朝鮮ウガンダの関係は軍事援助を中心に深まっていった。それだけではない。アミン後に権力を握った大統領たちも皆、北朝鮮との協力関係を維持した。
 ウガンダではアミンが亡命し、短命政権が続いた後、ミルトン・オボテ*2が権力を掌握した。だがオボテは、1971年にアミンによって1度倒された人物だったため、国民抵抗軍をはじめとするゲリラ組織が直ちに反政府活動を開始。国内の治安は急激に悪化した。
 困ったオボテは、1981年末に平壌を「親善訪問」して、北朝鮮に助けを求めたらしい。両国は新たに、教育、技術、文化、そして軍事をカバーする幅広い協力協定を結んだ。
 だが、1986年1月に(ボーガス注:反政府勢力「国民抵抗軍」指導者)ヨウェリ・ムセベニ*3率いる反政府勢力が首都カンパラを制圧。ムセベニは大統領就任演説で、オボテに忠誠を誓っていた国軍の兵士たちに軍にとどまるよう呼び掛けた。
 その結果、オボテは国外に亡命したが、国軍はほぼそのままの態勢でムセベニの指揮下に入った。このとき、ムセベニは歴代政権の手に入れた北朝鮮製武器も管理下に置いた。これがきっかけとなり、ムセベニは北朝鮮軍高官をウガンダに招き、武器の使い方を教えてほしいと頼んだ。こうして1988年、北朝鮮ウガンダの警察に武術の訓練を施すとともに、海兵隊の育成を支援し始めた。
・両国関係は深化し続け、ムセベニは1990年と92年に平壌を訪問し、北朝鮮建国の父・金日成*4(キム・イルソン)にも会っている。
 その後、北朝鮮ウガンダ海兵隊育成と警察の訓練を続ける一方、両国は武器開発協力を拡大させていった。ウガンダが1990年代に入り、独自の武器開発・生産に力を入れるようになったからだ。ウガンダ中部のナカソンゴラに今では悪名高い軍需工場ができたのは、こうした背景があったからだ。
・2000年代に入り、米政府が「グローバルな対テロ戦争」でウガンダと協力し始めると、北朝鮮の支援がさらに疑われるようになった。ウガンダは米政府と国連の査察官がナカソンゴラ工場に立ち入ることを拒否したのだ。2007年にようやく査察を受け入れたものの、ごく一部の工程を見せるにとどまった。
 米政府は2004年からウガンダに対し、機密扱いになっている軍事関連予算の開示を求めた。そこから北朝鮮との防衛上の協力関係を示す情報を引き出せると考えたからだ。ところが2007年には開示請求を打ち切った。
 なぜか。当時のジョージ・W・ブッシュ*5米大統領北朝鮮の核の脅威も重視していたが、最優先に位置付けていたのは対テロ戦争だった。だから北朝鮮との関係が疑われても、アフリカ諸国の中でも際立って重要な対テロ戦争のパートナーであるウガンダを失うべきではないと考えたのだ。
 2009年6月、国連安全保障理事会北朝鮮の核実験を受けて、決議1874号を採択した。これにより北朝鮮は武器輸出を全面的に禁止されたが、採択後にウガンダ北朝鮮の軍事協力疑惑は解消するどころかむしろ拡大した。
 安保理北朝鮮制裁専門家パネルが2010年に提出した報告書を見れば、ウガンダが決議を無視して北朝鮮との関係を続けたことは明らかだ。
安保理決議に違反する取引は秘密裏に行われたものの、ウガンダ北朝鮮との友好関係を隠そうともしなかった。2013年6月には北朝鮮のリ・ソンチョル人民保安省副大臣ウガンダを訪問。
・また、同年7月に開催された朝鮮戦争休戦協定締結60周年を記念する式典に出席するため、ウガンダエドワード・セカンディ副大統領が北朝鮮を訪問。さらに1年余り後、当時の北朝鮮最高人民会議常任委員長だった金永南*6キム・ヨンナム)がカンパラに4日間滞在し、ムセベニ大統領とも会談。
・このように両国が大っぴらに示す協力関係には、制裁違反も多く含まれており、当然ながら韓国の注意を引いた。
 特に2013年2月に発足した朴槿恵(パク・クネ)大統領率いる韓国の保守政権は、ウガンダ北朝鮮の関係に神経をとがらせた。
 それが明らかになったのは、2016年夏に朴がアフリカのサハラ砂漠以南の4カ国を歴訪したときだ。朴は韓国の大統領としては史上初めてウガンダを訪問。ウガンダ政府と10を超える協定を締結した。
 協定は、ウガンダ北朝鮮との協力を断ち切るという条件で結ばれた。ウガンダの政府高官がこれを否定したと報じられるなど情報が交錯したが、サム・クテサ外相がニュース番組で正式に北朝鮮との協力関係の中断を認めた。
 2017年1月に誕生したドナルド・トランプ米政権は、北朝鮮政策の方向を転換し、あらゆる国に北朝鮮との協力関係を完全に断ち切るように迫り始めた。
 ウガンダに対する圧力もさらに高まった。同年8月には北朝鮮からの石炭や海産物などの輸入を全面的に禁止する国連安保理決議第2371号が採択され、アメリカは北朝鮮包囲網を狭めていった。
 同年(2017年)9月に開催された国連総会でも北朝鮮は懸案事項の1つだった。各国の代表が演説で問題に言及するなか、ウガンダのムセベニ大統領も制裁決議を遵守していると強調した。しかし同時に、北朝鮮への好意と過去の関係への謝意も付け加えた。
 「北朝鮮への制裁を履行するという小さな問題に、ウガンダは従う。北朝鮮との貿易は必要ではない。ただし、過去にわが国の戦車部隊の構築に北朝鮮が協力してくれたことに感謝している」
 ウガンダはその後も、北朝鮮との数十年来の関係を中断したとする証拠を国際社会に示してきた。2018年1月に国連安保理に提出した報告書では、「市民権・移民局は北朝鮮の医師9人と空軍の指導官14人の入国許可を取り消した」「全ての軍事契約を解除している」など、具体的な措置を挙げている。
 ただし、ウガンダのこうした主張を、かなり懐疑的に見る人々もいる。
・2018年12月、ウォール・ストリート・ジャーナル紙が一部の懐疑論を裏付けるように、ウガンダ北朝鮮の関係が続いており、国連の制裁決議に違反していることを、現地の取材で詳細に報じた。
 ウガンダのある軍幹部は、(ボーガス注:ウォール・ストリート・ジャーナル紙に)精鋭部隊が北朝鮮の特殊作戦部門の協力で訓練を行っていると語った。
 記事によると、軍事以外の分野でも関係が続いている。ウガンダ国内で操業する北朝鮮の鉱業会社や建設会社は、ウガンダでの登録を「中国」あるいは「外国」企業に変更しているにすぎない。病院でも北朝鮮の医療関係者が数多く働いている。

 一応コメント抜きで紹介だけしておきます。


「北朝鮮=飢餓の国」という図式を疑うべきこれだけの理由(伊藤 孝司) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

・10月に北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)取材に行った。昨年に続き、今年も年3回の訪朝となった。10日の朝鮮労働党創建74年の祝賀行事と、15日のサッカーW杯アジア2次予選の北朝鮮と韓国との試合を取材するため13日間の滞在となった。
 ちなみに、結論からいうと、サッカーの試合の取材は出来なかった。
・「一切の取材ができない」との連絡を受けた。競技場の中だけでなく、その前での取材もダメだというのだ。
・インターネットで無観客試合だったことをすぐに知ったが、テレビでの中継どころか試合に関する報道は一切なかった。0-0の引き分けになったため、翌日にでも編集したものが放送されるのではと思ったが、それもない。
・試合を無観客にしたのは、米韓合同軍事演習や新兵器導入をする韓国の文在寅ムン・ジェイン)政権を完全に無視する姿勢を示すためだろう。
北朝鮮での取材先は、私が日本からリクエストした場所ばかりである。取材の意図を汲んで用意してくれることはあまりない。ところが今回は、希望を出していなかった「錦繍山(クムスサン)太陽宮殿」へ行くことが決まっていた。
 ここは、(ボーガス注:金日成国家)主席と(ボーガス注:金正日朝鮮労働党)総書記の遺体が安置されている、この国でもっとも重要な場所だ。木曜日と日曜日には外国人にも公開され、ちょうど祝日と重なったためセッティングされたのだろう。
・この国を初めて訪れた1992年にも、こうした光景はあったが、その当時と比べて今は、人々の服装がカラフルでおしゃれになった。そして決定的に異なるのは、スマホで写真や動画の撮影をするのが人々の日常的な行為になっていることだ。
・個人宅を取材するために「未来科学者通り」へ行き、高層アパート群を歩きながら撮影。
・訪ねた大学教授の自宅には、ピアノや冷凍冷蔵庫があった。これは(ボーガス注:田舎より豊かな)首都・平壌の最新アパートでの光景ではあるが、この国が緩やかではあれ経済発展を続けているのは確かだと感じた。
 平壌市郊外の大城山(テソンサン)西麓にある「中央動物園」へも行ってみた。平日は先生に引率された小学生が多い。爬虫類館には恐竜の頭の双眼鏡があり、子どもたちに大人気だ。
・園内には動物ショーを見せる施設があり人気になっているのだが、今年5月に見ようとしたら入場を断られた。それは今も続いている。「外国人は動物ショーを動物虐待だと非難するから」というのが理由だ。
 少し前まで撮影できたものが、次々と不可能になっている。
・市民たちがどのような食生活をしているのか取材したくて、何度か申請したものの許可が出ない。具体的な店名を挙げて交渉してもダメなのだ。それは、店側が拒否するからなのだという。
 新しくできた商業施設でオープン直後は自由に撮影させてくれたところでも、今はまったく不可能になった。「店内で写真を撮った外国人が、帰国後に事実と異なる発表をする」という話が伝わるからだという。
・そうした状況の中で、ある総菜売り場を何とか撮影することができた。食卓に欠かすことのできないキムチでさえ、工場で作られたものを買う時代である。総菜を店で買って帰る人も増えたという。
・稲刈り風景など簡単に撮影できると思っていたが、実に手こずった。それは、この国の農業制度の改革が関係している。
 2014年2月の「全国農業部門分組長大会」へ金正恩委員長が書簡を送り、「圃田(ほでん)担当責任制」の導入を宣言。「分配における平均主義は農場員の生産意欲を低下させる」として、労働に応じて分配での差別化をはかることが明確にされたのだ。
・この制度によって農場員たちの“やる気”は一気に高まった。
・稲刈りに合わせて取材日程を立てたつもりだったのに、どの農場も作業を一気に終わらせてしまったのだ。農作業中の人たちにインタビューしても、誰もがその手を止めようとしない。
・「社会科学院経済研究所農業研究室」の金光男(キム・グァンナム)室長は「今年は不利な天候だったが収穫量は増えた。山間部でも最高の収穫」と語る。
 ところが先ごろ、「国連食糧農業機関(FAO)」が「北朝鮮穀物生産量は5年ぶりの最低水準」との報告書を発表。10月23日の国連総会人権委員会では、トマス・オヘア・キンタナ*7北朝鮮人権担当特別報告者は「経済・農業政策の失敗により、人口の約40%にあたる1030万人が栄養失調で、3万人の子どもが死の危険に直面している」と報告している。
・私は以前から、北朝鮮の食糧事情に関する国連機関の報告は、実態とかけ離れているのではないかと思ってきた。(ボーガス注:北朝鮮が秘密主義で調査に協力的でないために?)それらの機関が地方で十分な活動ができないため実態を正確に把握できず、過大な数字を出しているのではないだろうか。
その結果、「北朝鮮=慢性的な飢餓の国」というイメージが定着してしまった。このことは、北朝鮮を冷静かつ客観的に捉えることを大きく妨げている。

 一応コメント抜きで紹介だけしておきます。
 なお、筆者の伊藤氏には『朝鮮民主主義人民共和国:米国との対決と核・ミサイル開発の理由』(2018年、一葉社)、『ドキュメント 朝鮮で見た〈日本〉:知られざる隣国との絆』(2019年、岩波書店)と言う著書があります。

*1:1925~2003年。軍参謀総長だった1971年、ミルトン・オボテ大統領の外遊中にクーデターで大統領に就任。1979年に失脚し、サウジに亡命。

*2:1924~2005年。ウガンダ独立時の首相(1962~1966年)。その後、大統領(1966~1971年、1980~1985年)

*3:1944年生まれ。1986年から現在までウガンダ大統領

*4:朝鮮労働党総書記、北朝鮮国家主席

*5:テキサス州知事を経て大統領

*6:朝鮮労働党国際担当書記、副首相兼外相、最高人民会議常任委員会委員長など歴任

*7:アルゼンチンの弁護士。アルゼンチン軍事独裁政権(1976年~1983年)に奪われた孫たちを捜す人権団体「五月広場の祖母たち」メンバー。国連ミャンマー人権担当特別報告者(2008~2014年)、国連北朝鮮人権担当特別報告者(2016年~現在)を歴任(ウィキペディア「トマス・オヘア・キンタナ」参照)