今日の産経ニュース(1/1分)(追記あり)

 「安倍が首相でトランプが大統領だからあけても嬉しくない」「沖縄基地問題などの不条理があるから(以下略)」つう面は「皆様同様」あるのですが、「あけましておめでとうございます」。今年もよろしくお願いします。
■年のはじめに 論説委員長・乾正人 さらば、「敗北」の時代よ
https://special.sankei.com/f/column/article/20190101/0001.html
 いつの間にか、安倍万歳で悪名高い政治部長の乾が論説委員長に出世していたようです。

『平成は「敗北」の時代だったな。』
 年の瀬に訪ねたある財界人の言葉に、平成の30年間をボーッと生きてきた私は、ハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 平成(1989〜2019年)の間に起こった「山一証券北海道拓殖銀行の倒産」「ダイエー(経営不振でイオングループ傘下入り)」「西武百貨店(経営不振でセブン&アイグループ傘下入り)」「日産自動車(経営不振でルノー傘下入り)」「シャープ(経営不振で鴻海精密工業の傘下入り)」などといった従来は「到底倒産したり、経営不振で他企業の傘下入りしたりするとは思えない大企業」が軒並みそうした悲劇に見舞われれば「敗北の時代」つう認識も一つの認識としてあり得るでしょう。

 30年前、世界の上位50社(時価総額)中、日本企業が32社を占めていたなんて若い人には想像もできないだろう。今や50社に食い込んでいるのはトヨタのみだ。
 なぜ、平成日本は敗れてしまったのか。理由はいくつもある。
 個人的には、(1)焼け跡からの奇跡の経済復興に慢心してしまった(2)30年間に首相の座に就いた政治家がのべ18人*1を数えるほど政治が混迷を極めた(3)中国の共産党独裁体制を支援した−の3つの敗因を挙げたい。ことに3番目は、取り返しのつかない失策である。

 (1)はまあいいとして「(2)、(3)」は全くの的外れですね。
 (2)についていえば「経済がいいから長期政権となる(例:高度経済成長期の池田*2や佐藤*3、バブル期の中曽根*4)」「経済が悪いから国民の不満から短命政権となる」ことはありえても「長期政権でないから経済が悪くなる」「長期政権だから経済が良くなる」ことはないでしょう。
 そもそも戦後においても長期政権は「池田、佐藤、中曽根」くらいしかありません。「佐藤から中曽根の間」の「田中*5から鈴木*6まで」は長期政権とはいえないでしょうがならばその頃ずっと景気は悪かったのか。といえば「池田、佐藤、中曽根時代に比べれば悪い」かもしれませんが、「ずっと深刻な不景気だった」なんてこともないでしょう。
 (3)についていえば、むしろ「経済という観点」でいえば「中国市場の成長が、中国への輸出増という形で日本企業、日本経済の成長を支えてる」面があるので全く話は逆です。もちろん日本が中国を支援したのも単純な善意ではなく「中国ビジネス」という要素が大きかったわけです。
 たぶん「成長した中国企業が日本を追い抜き追い越した」と乾はいいたいのでしょうがそれは極めて一面的見方でしょう(なお、その乾の理屈だと日本の韓国支援も、日本企業のライバル・サムスンの存在などを理由に間違っていたことになりかねません)。
 一九八〇年代の日米貿易摩擦で「米国の対日タカ派」が「GHQは日本支援などしなければ良かった、その結果成長した日本企業に米国企業が(以下略)」という位、間違った見方でしょう。
 かつ、中国において「日本の支援がどうでもいい」とはいいませんが、何もそれだけで中国は経済大国になったわけではない。欧米の支援もあったし、中国側(政府の政策や企業の経営など)の自主努力もあったわけです。よほど、宮沢*7内閣の天皇訪中と「その後の天安門事件の制裁解除」が気にくわないのでしょうが、「日本の支援を過大評価しすぎ」でしょう。


■【新時代・第1部 日本はどこへ向かうのか】科学力 日本人が足りない 研究室は外国人が仕切る。このままではノウハウが消える
https://www.sankei.com/life/news/190101/lif1901010010-n1.html

 科学力の指標である論文数のランキングで、日本は近年、独り負けの状態だ。文科省によると、10年前に米国に次いで2位だったのが、現在は急速に台頭する中国に抜かれて4位。引用回数が多く質が高いとされる論文では9位に落ちた。国の科学技術予算は、19年度から10年間の伸び率が10%にとどまる。この間、中国は2・6倍に急増した。

 まあ、安倍政権は研究費を増やす気がないからどうしようもないですね。安倍が下野すればすべてが劇的に変わるわけでもないですが、まずは安倍下野でしょう。 


■4月1日に新元号公表 安倍首相、年頭会見で発表
https://www.sankei.com/politics/news/190101/plt1901010009-n1.html
 NHKも速報で流してましたけど、速報で流すようなことなんですかね。これが「新元号が発表されました」ならまた話も違うかもしれませんが。
 「4/1に新元号を発表します」て「どうでもええがな、そんなもん」ですね。

1月4日に伊勢神宮三重県伊勢市)参拝後の年頭記者会見で正式発表する。

 普通の総理ならともかく「極右総理安倍」が「東京の神社や寺(明治神宮浅草寺など)」でもいいのに「わざわざ伊勢神宮」にいく(三重選挙区選出でもないのに)。
 そこに安倍の政治的思惑を感じない人間はいないでしょう。
 つうかどうせなら、我が埼玉の高麗(こま)神社(日高市)にでも来て日韓友好でも訴えてほしいもんです。三重に比べたらずっと近いし(半分冗談ですが半分は割とマジです)。
 そういえば現天皇が高麗神社を訪れ、過去の

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html
 私自身としては,桓武天皇の生母が百済武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

とも考え合わせ、「現天皇はそれなりに日韓友好への思いがあるのではないか」なんて指摘されたことがありましたね。

参考

https://www.sankei.com/life/news/170921/lif1709210019-n1.html
■産経『両陛下が3年ぶりの埼玉県内ご訪問 日高市民ら1万人が歓迎』
天皇、皇后両陛下が20日、埼玉県日高市を訪問された。
・両陛下は最初に、高麗神社(同市新堀)をご訪問。同神社には昭和51年に皇太子さま*8も訪問されている。同神社は、約1300年前に朝鮮半島高句麗から来た高麗王若光が建立した。

https://dot.asahi.com/wa/2017092700011.html?page=1
週刊朝日『高麗神社参拝の天皇陛下を「反日左翼」と呼ぶ人たち』
 9月20日から1泊2日。天皇陛下美智子さまは、埼玉県へ私的な旅行に出かけた。だが、訪問先のひとつ、朝鮮半島からの渡来人にゆかりのある日高市の高麗神社への参拝を巡り、ちょっとした騒ぎが起きた。参拝の数日前から、ネット上には両陛下を「反日左翼」などと非難する意見や、「反ヘイトメッセージでは?」と、その「ご真意」を臆測する書き込みであふれた。
 そもそも高麗神社はどのような場所なのか。「続日本紀」には、東国7カ国に住んだ高麗人が716年に武蔵国に移住し、高麗郡を建郡したと記される。
 宮司の高麗文康(ふみやす)さん(50)がこう説明する。
「神社にまつられるのは、私の祖先にあたる高麗王若光(こまのこしきじゃっこう)。初代郡長です。この一帯は朝鮮半島から渡ってきた高麗(高句麗)人によって栄えた土地。昨年は建郡1300年の祝賀の年でした。境内に若光の石碑が建立され、除幕式には高円宮家の久子さまも出席されています」
 高麗宮司によれば、両陛下のご訪問が決まったのは3カ月ほど前。両陛下の私的旅行先は、お二人の思い入れの強い場所であるのが常だ。それだけに高麗神社参拝に意味を見いだそうとする見方が後を絶たないのだ。翌21日には、朝鮮日報が<高句麗の王子まつる高麗神社に天皇・皇后が初訪問>と高揚した見出しとともに、<明仁天皇は日ごろから日本の過去について心から申し訳ないと考えて、韓日古代交流史にも関心が高いと言われている>と書き、訪問の意義を熱いトーンで報じた。
 周囲の熱視線とは裏腹に、当事者の反応はいたって穏やかだ。高麗宮司は「反ヘイトメッセージですか。うーん。それはわかりませんが、高麗ゆかりの地に関心を示してくださっただけで光栄です」と感想を述べ、神社庁周辺も「特別な意図があるような話は出ていませんね」。

https://twitter.com/kazuhirosoda/status/911369589233262592
想田和弘
 僕はかねてからネトウヨと呼ばれる人々は単なる嫌韓・嫌中のレイシストであり、右翼思想*9とは関係ないと申し上げています。高麗神社を参拝した天皇夫妻を「反日左翼」と呼ぶネトウヨがいるのは何の不思議もないことであり、僕の説の正しさを裏付ける現象といえるでしょう。

 脚注で磯部について触れましたが磯部の天皇への怒りについて簡単に紹介しておきます。

磯部浅一(非公式bot)
https://twitter.com/isobebot?lang=ja
磯部浅一『獄中日記』
http://binder.gozaru.jp/226isobe.htm
■磯部の獄中日記 一九三六年八月五日より抜粋
 佐幕流の暴政時代*10、南*11朝鮮総督、杉山*12教育総監、西尾*13次長、寺内*14大臣、宇佐美*15侍従武官、鈴木貫太郎*16、牧野*17、一木*18、湯浅*19、西園寺*20等々、指を屈するにいとまなし、今にみろッ、必ずテンプクしてやるぞ。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月十日より抜粋
天皇陛下は十五名*21の無双の忠義者を殺されたのであろうか、そして陛下の周囲には国民が最もきらっている国奸らを近づけて、彼らのいいなり放題におまかせになっているのだろうか、陛下 われわれ同志ほど、国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがしても決しておりません、その忠義者をなぜいじめるのでありますか、朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなりません、仮りにも十五名の将校を銃殺するのです、殺すのであります、陛下の赤子を殺すのでありますぞ、殺すと言うことはかんたんな問題ではないはずであります、陛下のお耳に達しないはずはありません、お耳に達したならば、なぜ充分に事情をお究(きわ)め遊ばしませんのでございますか、なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございますか、何というご失政ではありましょう。
 こんなことをたびたびなさりますと、日本国民は 陛下をおうらみ申すようになりますぞ、菱海*22はウソやオべンチャラは申しません
・陛下がどうしても菱海の申し条をおききとどけ下さらねばいたし方ございません、菱海は再び陛下側近の賊を討つまでであります、今度こそは宮中にしのび込んでも、陛下の大御前ででも、きっと側近の奸を討ちとります。おそらく陛下は、陛下の御前を血に染めるほどのことをせねば、お気付きあそばさぬのでありましょう、悲しいことでありますが、陛下のため、皇祖皇宗のため、仕方ありません、菱海は(ボーガス注:楠木正成七生報国の精神で、生まれ変わったら)必ずやりますぞ。
・悪臣どもの上奏したことをそのままうけ入れあそばして、忠義の赤子を銃殺なされましたところの陛下は、不明であられるということはまぬかれません、かくのごとき不明をお重ねあそばすと、神々のおいかりにふれますぞ、いかに陛下でも、神の道をおふみちがえあそばすと、ご皇運の涯てる*23こともござります。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月十四日より抜粋
 天皇陛下 何という御失政*24でござりますか、なぜ奸臣を遠ざけて、忠烈無双の士をお召し下さりませぬか。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月十五日より抜粋
 十五同志は一人残らず偉大だ、神だ、善人だ、しかし余だけは例外だ、余は悪人だ、だからどうも物事を善意に正直に解せられぬ、例の奉勅命令に対しても、余だけは初めからてんで問題にしなかった、インチキ奉勅命令なんかに誰が服従するかというのが真底の腹だった
■磯部の獄中日記 一九三六年八月十六日より抜粋
・毎日大悪人になる修業にお経をあげている、戒厳司令部、陸軍省参謀本部をやき打ちすることもできないようなお人好しでは駄目だ、インチキ奉勅命令にハイハイというて、とうとうへこたれるようないくじなしでは駄目だ
陸軍省をやき、参謀本部を爆破し、中央部軍人を皆殺しにしたら、賊といわれても満足して死ねるのだったに、奉勅命令にも抗して決死決戦したのなら、大命に抗したといわれても平気で笑って死ねるのだったが、なまじッかな事をしたので、賊でもない官軍でもないヨウカイ変化になってしまった。
・(ボーガス注:萩の乱を起こした)前原一誠*25が殺される時「ウントコサ」といって首の坐に上ったのも、(ボーガス注:西南戦争を起こした)西郷*26が新八(?)どん「このへんでようごわしょう」といってカイシャクをたのんで死んで行ったのも、二人がどこまでも大義のための反抗をして、男児の意地をたてとおしたからの大満足から来る安心立命の一言だ、大義のために奉勅命令に抗して一歩も引かぬほどの大男児になれなかったのは、俺が小悪人だからだ
■磯部の獄中日記 一九三六年八月十七日より抜粋
 この時代、この国家において吾人のごとき者のみは、奉勅命令に抗するとも忠道をあやまりたるものでないことを確信する。余は、真忠大義大節の士は、奉勅命令に抗すべきであることを断じていう。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月二十四日より抜粋
・日本がわれわれのごとき大正義者を国賊奴徒として迫害する間は、絶対に神の怒りはとけぬ、なぜならば、われわれの言動はことごとく天命を奉じたるところの神のそれであるからだ。
・俺は死なぬ、死ぬものか、日本をこのままにして死ねるものか、俺が死んだら日本は悪人輩の思うままにされる。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月二十八日より抜粋
 陛下が私どもの挙をおききあそばして、「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂いました。
 「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワサによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそれであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高まりました、だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申しております。
 天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザマです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。
■磯部の獄中日記 一九三六年八月三十日より抜粋
 余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、地ゴクに行って牧野、西園寺、寺内、南、鈴木貫太郎、石本*27等々、後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるのだ


猪瀬直樹東京都知事、女優の蜷川有紀さんと再婚【注:脚注で「美女シリーズの一部ネタばらし」があります】
https://www.sankei.com/politics/news/190101/plt1901010012-n1.html
 ウィキペディアによれば「2006年より女優業を休業し、画家として活動」だそうなので女優としての彼女をテレビで見たつうのは相当のおっさんだと思います。で、そのおっさんが小生ですが。「なつかしい名前見たなあ」感があります。
 ウィキペディア蜷川有紀」でもわかりますが

・土曜ワイド劇場 (ANB)
江戸川乱歩の美女シリーズ 化粧台の美女:江戸川乱歩の『蜘蛛男*28』」(1982年): 山際洋子
 この美女シリーズは「天知茂」バージョンで、美女役は萩尾みどりです。
「探偵神津恭介の殺人推理7・呪縛の家」(1987年)
江戸川乱歩の美女シリーズ 赤い乗馬服の美女:江戸川乱歩の『何者*29』」(1987年) :伸子
 この美女シリーズは天知死後の「北大路欣也」バージョンで、美女役は叶和貴子です。
「西村京太郎トラベルミステリー18 オホーツク殺人ルート さい果てツアーの謎!」(1990年): 木村真
火曜サスペンス劇場 (NTV)
松本清張スペシャル・黒の回廊」(1984年10月): 星野加根子

つうことで若い頃には「主演までは務めてない」ものの、「その他大勢」ではない「名前付きの役」もやっています。小生が見たのは「美女シリーズ」ですね。
 それにしても猪瀬も「金銭疑惑」で都知事辞任に追い込まれてからはさっぱり表舞台に出なくなった感があります。
 

*1:竹下、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田の17人(産経が延べ18人としてるのは就任時期が違うと言うことで安倍をダブルカウントしているからです。)

*2:元大蔵次官。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相などを経て首相

*3:元運輸次官。吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*4:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*5:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*6:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相

*7:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相などを経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*8:文脈からして「昭和51年当時の皇太子(現天皇)」ではなく「今の皇太子」でしょうね。

*9:まあ想田氏的には「天皇崇拝は右翼思想の重要な要素」「だから右翼なら何があろうと現天皇非難なんかあり得ない」んでしょうね。つうことは「美智子妃を失語症に追い込むようなバッシング報道」を行ったことで、会社に右翼の銃弾が撃ち込まれた文春(週刊文春)や宝島社(宝島30)(あるいは銃弾は撃ち込まれなかったものの当時、文春のようなバッシング報道をしていた新潮社(週刊新潮))は、想田氏的には「右翼じゃない」つうことです。ただ226事件の中心人物で死刑になった磯部浅一が『「日本も(ロマノフ王朝が革命で倒された)ロシアの様になりましたね」と昭和天皇が側近に語ったとの新聞記事を読んで磯部は「なぜ愛国者の我々が共産党と同列扱いされるのか」と激怒し、「今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今は陛下をお叱り申上げるところに迄精神が高まりました、だから毎日朝から晩迄陛下をお叱り申しております。天皇陛下、何と云ふ御失政でありますか。何と云ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」と昭和天皇への怒りを獄中日記で爆発させた(ウィキペディア磯部浅一」参照)』ことでわかるように、「自らの期待を裏切る天皇に悪口するウヨ」は昔からいると思いますが。想田氏にとって磯部は「右翼じゃない」んでしょうか(まあ磯部は「嫌韓・嫌中のレイシスト」じゃありませんが)。なお、ウィキペディア磯部浅一』によれば『磯部によると、日本は明治維新革命以来「天皇独裁国家でも、重臣独裁国家でもなく、天皇を中心とした近代的民主国」であったのだが、「今の日本は重臣と財閥の独裁国家」となった。そしてそうした磯部の認識を理解しなかった昭和天皇を獄中から「御叱り申して」いた。』。

*10:「磯部らウヨが敬愛する吉田松陰大老井伊直弼に弾圧を受けたような時代(井伊直弼=西園寺元老ら磯部を弾圧する既存権力、吉田松陰=磯部と彼の同志)」とでも言う意味でしょう。

*11:参謀次長、朝鮮軍司令官、第二次若槻内閣陸軍大臣関東軍司令官、朝鮮総督などを歴任し、東京裁判では終身刑(後に仮釈放)となった南次郎のこと。

*12:陸軍省軍務局長、陸軍次官、参謀次長、陸軍教育総監、林、第一次近衛内閣陸軍大臣、北支那方面軍司令官、参謀総長、小磯内閣陸軍大臣を歴任し、戦後自決した杉山元のこと(二二六事件当時は参謀次長として磯部らを鎮圧する側にあった)。

*13:関東軍参謀長、参謀次長、陸軍教育総監支那派遣軍総司令官、東京都長官などを歴任した西尾寿造のこと。

*14:朝鮮軍参謀長、台湾軍司令官、広田内閣陸軍大臣、陸軍教育総監、北支那方面軍司令官、南方軍総司令官などを務めた寺内寿一のこと。

*15:陸軍騎兵学校長、第7師団長、侍従武官長などを歴任した宇佐美興屋(うさみ・おきいえ)のこと。

*16:磯部らが襲撃し、瀕死の重傷を負わせたが殺害できなかった当時の侍従長(後に戦前最後の首相)。

*17:磯部らが暗殺ターゲットとして襲撃したが、護衛の警官に阻止され殺害できなかった内大臣牧野伸顕のこと。

*18:法制局長官、第二次大隈内閣文相、内務相、宮内大臣、枢密院議長などを歴任した一木喜徳郎のこと。

*19:警視総監、内務次官、朝鮮総督府政務総監、会計検査院長宮内大臣内大臣などを歴任した湯浅倉平のこと(二・二六事件当時は宮内大臣として磯部らを鎮圧する側にあった)。

*20:磯部らが「君側の奸」扱いしていた元老・西園寺公望(元首相)のこと。

*21:1936年7月12日に、磯部と村中孝次(1937年8月19日に死刑執行)を除く15名の死刑が執行された。

*22:磯部のこと(磯部は山口県大津郡菱海村(現長門市)出身)。

*23:磯部の言うのとは違う意味で「不明(米国相手の無謀な戦争)」をやらかして、米国相手の政治工作により、冷戦の激化や「国民の天皇支持」もあって「象徴として生き残った」ものの最高権力者の地位からは転落したのが昭和天皇ですね。

*24:磯部の言うのとは違う意味で「ご失政(米国相手の無謀な戦争)」をやらかしたのが昭和天皇です。まあ、磯部の226事件を阻止できなかったのもある意味「ご失政」ですが。

*25:参議、兵部大輔を歴任

*26:参議、陸軍大将、近衛都督を務めた西郷隆盛のこと

*27:二・二六事件軍法会議判士を務めた陸軍将校・石本寅三のこと。

*28:原作の蜘蛛男は「殺人は芸術」などと放言するただの猟奇快楽殺人鬼(『蜘蛛男』以外にもそういうキャラは『盲獣』など、乱歩作品には良く出てきます、一方横溝作品はそういうキャラは意外とあまり出てきません)です。蜘蛛男というのも「蜘蛛のように犠牲者に罠を仕掛けて殺人を行う恐ろしい男」という意味でした。しかし、それでは「ファミリー向けで放送できない」という判断からか、美女シリーズでは「復讐による殺人」「毒蜘蛛による殺人」と大幅に改変されています。

*29:原作は「徴兵制を逃れたいが、厳格な陸軍将校の父を持つため、徴兵逃れなんか到底出来ない息子」がどうしても徴兵逃れがしたいがために「自作自演の襲撃事件」を起こしたのを明智が暴くという話です。ただ徴兵制のない現在において「徴兵逃れ」なんて動機になり得ないので、ドラマ化においては「犯行動機」は改変されています。また原作では「自作自演の襲撃事件」しか起きないのですが、それでは二時間ドラマになり得ない(せいぜい1時間ドラマ)ので「自作自演を知り、脅してきた人間を殺す」という形で殺人事件が起こっています。