高世仁に突っ込む(2019年10/14分)

香港の若者は「暴徒」なのか3 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2019年10/12分) - bogus-simotukareのブログで紹介した香港の若者は「暴徒」なのか2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。
 すでに 高世仁に突っ込む(2019年10/12分) - bogus-simotukareのブログで指摘していますが、平和的デモならともかく暴力デモは暴徒だと俺は思います。
 そうした暴徒について「先に警察が殴ったのが悪い」「警察の暴力を黙認するのか」などと暴徒当事者や「支援者」が居直って「暴徒じゃない」と強弁したところで道徳的是非*1はひとまずおくとしても政治的に良い成果があるとも思えません。

 香港のデモ隊で警察との衝突を辞さない「勇武派」。彼らの実態は、これまでもこのブログで書いてきたが、日本の怖い過激派*2のイメージとは全く異なる。常設の組織はなく、見知らぬ者同士が現場で知り合い、催涙ガス対策の防塵マスクやゴーグル、ペットボトルを配る兵站係、警察の動きを知らせる連絡係、催涙弾に交通規制用の円錐形のカラーコーンを被せて処理するグループと役割分担して動いている。

 安田峰俊も「常設の組織はあるだろう」と批判していましたが信じられないですね。
 平和的デモならまだしも暴力デモなんてやばい代物について「常設の組織はない」なんてことがあるとは思えません。
 しかも「常設の組織がない」のに「グループで役割分担」なんかできるわけがないでしょう。誰がどうやって「君は兵站係、君は連絡係」などと役割分担するのか。そんなことが可能ならどう可能なのか教えてほしいくらいです。
 単に「常設の組織がないかのように偽装、隠蔽してるだけ」でしょう。
 おそらく偽装、隠蔽の理由は
1)中国公安の刑事摘発や、各方面からの政治的批判をかわすため
2)常設組織のない自由な集団であるかのように政治アピール
といったところでしょう。
 正直「嘘つくな!」と不快感を禁じ得ません。
 「中国公安の刑事摘発を逃げる」つうのは「大目に見てもいいかもしれない」(もちろんこれだって「平和的デモならともかく暴力デモなんて刑事責任追及されて当然」「刑事摘発を逃げるためだけなら『組織については秘密事項』といえばいいだけで常設組織がないなんて嘘つく必要はない」つう批判はあり得ますが)。
 しかし「社会的批判を逃げるため」「自由な集団であるかのように政治アピール」するために「常設組織がないとウソをつく」なんてただの詐欺師じゃないですか。そんな詐欺師を評価する気は俺にはありません。
 おそらくここに俺が書いたような「疑念」は高世だってあるでしょう。しかし「勇武派」を持ち上げるために高世はそうした疑念を無視するわけです。いつもながら高世のデタラメさには呆れます。
 なんかカダフィ時代リビアの「直接民主主義」つう「どう見ても実態に反する詭弁」を連想させますね。
 まあ正直、小生もカダフィの言う「直接民主主義」つうのがどういう代物なのか、さっぱりわかりませんが。
 小規模な自治体ならまだしもリビアレベルの国で「直接民主主義」なんかやりたくてもできないわけです。
 「間接民主主義(つまり選挙)」を公然と否定するためにカダフィが持ち出してきた詭弁のようですが、それにしても意味不明ですね。
 まあカダフィはともかく、繰り返しますが「暴力デモに常設の組織はない」てのはウソでしょう。
 そして、今はともかく全盛期の過激派は「組織外部にもシンパがいた」ので「外部に支持者がいる=常設組織がない」なんてことにはなりません。

 私が会った「勇武派」はいずれもごく普通の心優しい若者たちだった。「いいヤツ」なのである。

 おいおいですね。そんな事で暴力デモが正当化出来ると高世は本気で思ってるのか。
 まず第一に高世に会う奴は「高世が取材に来た」と知っています。当然ながら「いい奴を演じる可能性」は否定できないでしょう。
 過去のマスコミの訪朝取材を「北朝鮮にだまされた*3」と悪口するヤツがよくもまあこんな記事が書けるもんです。
 第二にですが、クリストファー・R・ブラウニング『増補・普通の人びと:ホロコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫)が指摘するように「ナチホロコースト」をやったのは「ドイツの普通の人々」でした。
 関東大震災朝鮮人を虐殺したのは「日本の普通の人々」でした。
 「ドイツの普通の人々」は「俺たちとユダヤ人は違う、ユダヤ人は殺してかまわない」あるいは「命令を断ったら俺が見せしめでナチに処刑されかねない。俺がやらなくても別の人間がやるだけだろう。やるしかないんだ」としてユダヤ人を虐殺し、「日本の普通の人々」は「俺たちと朝鮮人は違う、朝鮮人は殺してかまわない」あるいは「殺害参加を断ったら俺が見せしめで殺害されかねない。俺がやらなくても別の人間がやるだけだろう。やるしかないんだ」などとして朝鮮人を虐殺しました。
 「誰もが虐殺者になりうる」(クリストファー・R・ブラウニング『増補・普通の人びと:ホロコーストと第101警察予備大隊』(ちくま学芸文庫)の書評)という認識が重要かと思います。「普通の人間である」俺だって「洗脳により正しいと思い込んで」「命令に逆らったら殺されかねないという保身によって」様々な理由から虐殺者になることはあり得るでしょう。
 「普通の人間」である高世だって「救う会や家族会の連中にへいこらして、『蓮池透氏除名』『田中均氏外務省退官』など連中の数々の無法に実情加担してる」のだから「普通の人間」が時として無法に平然と加担することは良く理解できるはずです。
 何が言いたいかと言えば、高世の会った「普通の青年」が「俺たちと中国シンパは違う、中国シンパには何してもかまわない」あるいは「当初は暴力デモではなかったと思うが暴力デモになってしまった。出来れば暴力デモ隊を辞めたいが辞めると言ったら俺が暴力デモ幹部の命令でリンチされるかもしれない。それに暴力デモには俺の知人、友人も多数参加しているから辞めづらい(ある種の保身)」という認識で暴力に及んでるのなら、「普通であること」は何ら「暴力デモの正当性の証明にならない」ということです。
 普通の人々がやったからと言って「ホロコースト朝鮮人虐殺が正当化できない」のと同じ事です。
 第三に高世のやり口で

・私が会った「朝鮮学校高校生」はいずれもごく普通の心優しい若者たちだった。「いいヤツ」なのである。
・私が会った「朝鮮学校幼稚園児」はいずれもごく普通の心優しいこどもたちだった。「いいヤツ」なのである*4

と書いて「そんないい奴を苦しめる朝鮮学校の高校無償化、幼稚園無償化*5からの除外を許さない」と主張したら高世は賛同するのか。聞くだけ野暮でしょう。
 高世は「それとこれとは別」というでしょう。いつもながら高世も呆れたバカです。
 もちろん高世がこうなるのは「無償化除外を何が何でも正当化する」「暴力デモを何が何でも正当化する」という「結論が最初にあるから」です。
 およそ高世の態度はジャーナリズムと呼べる代物ではありません。俺は高世を心の底から軽蔑しています。高世の知人(妻子含む)や友人はよくこんな奴と付き合えるものだと心底呆れます。

 ある男子大学生は「勉強は未来のためにするものだよね。でも僕らには未来が見えないんだ。勉強している場合じゃないよ」と言う。そして「デモでは催涙弾の処理など、大学では教わらないことを学んでる」と笑顔で語った。
 家族に遺書を書いてデモに参加する若者も少なくない。一人の若い男性の遺書にはこう書かれていた。
「もう家に帰れないかもしれない。中国人民解放軍に殺されるかもしれない*6。でも、妹や甥にこんな濁った社会で生きてほしくない」。

 お涙頂戴で「暴力デモの違法性」をごまかそうとする「暴力デモ連中」&「暴力デモを擁護する」高世らしい汚い態度です。
 「特攻隊員の遺書」で特攻を美化するのと「暴力デモ連中」や高世がやってることは何一つ違いません(実際、「暴力デモ連中」や高世も、自己正当化に遺書を持ち出してる)。
 「勉強してる場合じゃないからデモする」というのなら「支持するかどうかはともかく」わかる。別にそれで彼の学業成績が悪くなろうが彼個人の問題です。彼がそれで納得してるなら部外者にとってはどうでもいい。
 しかしそれは何一つ暴力デモを正当化しません。平和的デモすればいい話です。
 遺書を書けばその人間のやってることは正しいのか。冗談じゃありません。「遺書を書くくらい真剣に悩んでる」つう話でしかない。
 「真剣に悩んでた」って「間違ってるものは間違ってる」わけです。
 結局高世も「暴力デモ連中」も「暴力デモをまともな方法で正当化すること」に完全に失敗しています。
 つうか高世が過去に「非暴力のチベット素晴らしい。非暴力のダライラマ*7素晴らしい」と言ってたのは何だったのか。
 「おい、高世、手前、非暴力派なのか、暴力派なのか、はっきりしろよ」ですね。
 もちろん高世には「アンチ中国活動家」として「中国批判派は常に持ち上げる」つう考えしかないでしょう。
 だから「香港の暴力デモ」を「中国が悪いから暴力振るっても仕方がない」と擁護する一方でためらいもなく「ダライ一味」を「非暴力ですばらしい」と恥知らずにも言えるわけです。明らかに矛盾だと思いますが高世には「中国批判派は常に持ち上げる」つう考えしかないからそんなことはどうでもいい。
 高世の知人、友人も俺と違い高世にそんな突っ込みは入れないのでしょう。

 こういう思いつめた「いいヤツ」が暴力を使うようになったのはなぜか。

 そもそも今でも平和的デモは行われています。「いい奴が追い詰められて暴力デモ」と言う認識には疑問符がつくと俺は思います。そもそも「暴力に肯定的な人間」が暴力デモに参加してるだけではないのか。

 尋ねると返ってくる答えは「100万人が街頭に出ても、政府は市民の声を聴いてくれなかった。平和的な手段だけではだめだ」というものだ。

 つまり勇武派は「香港に観光客が来なくなってもいい、そうなれば政府が困って妥協するかもしれない」と「経済を人質にとろうとしていること」をもはや公然と「部外者」「取材記者」の高世相手に認めています。普通はこういう場合「経済を人質に取るのはいかがなものか」という「中国批判派からでてもおかしくない批判」に躊躇してここまで公然と「経済を人質に取ってること」を建前では認めないと思うんですけどね。
 もはや彼らの暴力は「警察の暴力へのカウンター」ではありません。この理屈なら安田峰俊が危惧するように「香港で営業している企業」はほとんど全ての企業がいつ暴力デモの攻撃対象になっても不思議ではありません。今のところ「彼らが親中国企業と見なした企業(企業幹部が香港当局支持を表明など)だけ攻撃」ですが安田峰俊もいうように「彼ら暴力デモ隊を明確に支持しない企業」「中国政府を明確に批判しない企業」「中国本土で営業してる企業」もいつ「親中国企業」とされて襲われるか分からない(そして香港の大企業はほとんどそれに該当するでしょう)。そもそも「経済を人質にとろうとしている」のだから企業襲撃について暴力デモ隊には「世論の批判」以外に怖い物はないでしょう。
 そんな行為が正当化できるわけがないでしょう。

 そして実際に実力行使が効果的だったと「勇武派」は考えている。逃亡犯条例改正を政府が撤回したのは9月4日。その前、8月12-13日にはデモ隊が香港空港を占拠して発着便が欠航となり、9月1日には再び空港への交通を妨害し到着客が空港で足止めされている。空港機能をマヒさせるという経済的ダメージを香港政府に与えたことが条例改正案撤回につながったとして、「勇武派」は実力行使への傾きをいっそう強めることになったのである。

 やれやれですね。それは単に中国政府にとって「条例案撤回」については「譲歩してもよかった」というだけでしょう。
 相手が暴力デモとはいえ、「条例案を議会で通すため」にデモ隊を軍で潰すことや、警官部隊が銃撃で排除すること(つまり死者が出ること)は勿論、機動隊で催涙弾やゴム銃でガンガン排除すること(死者が出ないレベルの鎮圧)すら中国が乗り気でなかったからといってなんで「暴力デモを続ければ議会の普通選挙でも何でもかなう」なんて理解になるのか。
 そもそも「条例案」については非暴力デモも批判していたし、香港議会の親中国派議員の中からも「正式に撤回した方がない」「そもそもそんな条例は最初からなかったんだから撤回してもたいした傷にはならない」つう声がありました。
 だから中国としても「暴力デモまで始まったし、譲歩するか」「香港議会の親中国派議員まで敵に回したら香港統治がかえって難しい」と思って譲歩した。
 ところが中国が譲歩したのに、落としどころも考えずに「議会の普通選挙を認めろ」「今の行政長官を首にしろ」などとさらに要求をエスカレートしたら中国が「あいつらどこまで要求する気だ」「条例案正式撤回で譲歩したのは失敗だったかもしれない」ということになりかねません(つうか既にそうなってると思いますが)。
 当然、中国は「これ以上譲歩しない」となるでしょうね。そして暴力デモ側が「暴力をエスカレートさせれば」中国の厳しい弾圧だけでなく、市民や国際世論の離反(あんな暴力デモは支持できない)を招くだけででしょう。
 しかし

北朝鮮「拉致を認め、生存する被害者も帰国させ譲歩」→救う会、家族会「そんなんじゃ足りないと経済制裁」、高世仁救う会、家族会を支持します」
・中国「条例案を正式に撤回し譲歩」→暴力デモ「そんなんじゃ足りないと暴力をエスカレート」、高世仁「暴力デモを支持します」

と言う意味で香港デモと拉致問題はよく似ている気がします。
 どちらも一部の過激な「反北朝鮮、反中国」の連中が運動を乗っ取り、事態をさらに悪化させてると思いますね。

*1:勿論俺は非だと思いますが

*2:「怖い過激派」と言う高世ですが過激派連中だって個々の人間は「いい奴だった」でしょうし、急進化する前の過激派は外部にも多数シンパがいました。

*3:まあ、そういう面は確かにあるでしょうが。

*4:小生は残念ながら「朝鮮学校の高校生や幼稚園児」に会ったことがないですが、まあ「ごく普通の心優しいこどもたち」「いいヤツ」だろうと思います。そしてそんな彼らをくだらないへりくつで差別する無償化除外やそれを容認する連中(勿論高世を含む)に心底怒りを覚えています。

*5:なお、朝鮮学校のみが除外された高校無償化とは違い、幼稚園無償化においては「外国人学校全て」が除外されています。幼稚園無償化において「差別の悪質さ」はある意味「在日朝鮮人差別から外国人差別へと更に深刻化した」といえるでしょう。

*6:本気でそんなこと思ってるとは思えませんね。むしろ、国際世論は勿論、「香港議会の親中国派議員」すら軍投入に否定的なので、「軍の投入はないとなめてる」から暴力デモに参加するんじゃないのか。そこでついに香港当局も「マスク禁止法」「暴力デモへの拳銃発砲許可」などと締め付けを強めていくわけです。

*7:ダライが非暴力というのははっきり言ってウソですが