三浦小太郎に突っ込む(2020年1月27日分)(注:映画『セックス・チェック 第二の性』、ドラマ『仮面の女』のネタばらしがあります)

逢魔名画座次回上映会は、怪作「セックスチェック 第二の性」3月28日です | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
 『セックスチェック 第二の性』(1968年)については後で紹介します。「男性、女性なんだから半陰陽って第三の性と違うんかい」つう気はします。どうも映画公開(1968年)と同時期*1に日本で翻訳出版されたボーボワール*2第二の性ボーボワールの「第二の性」は「女性」の意味です)』の人気に当て込んで「ボーボワールと何一つ関係ないのに話題造り、受け狙いでこういう名前にした」というとんでもない話のようです。こんなタイトルにしたからと言ってボーボワールファンが見に行くとも思えませんが。
 当時の大映映画ならやりそうな無茶苦茶な話ではあります。
 また、何というか「両性具有(半陰陽)&陸上選手」つう辺りがこの映画は「一時、話題になったセメンヤ選手」を連想させる話です。ググったらセメンヤ以外にも似たような「両性具有の女性陸上選手」が本当にいるんですね(セメンヤらはリアルで映画はフィクションですが→後で紹介します)。
 しかし三浦も随分とマイナーな映画を上映するもんです。緒形拳が準主役(主役は安田道代)とはいえ『セックスチェック 第二の性』(1968年)は「高倉健*3主演の『君よ憤怒の河を渉れ*4』(1974年)」レベルに無名ですよね。
 高倉健映画といったら『君よ憤怒の河を渉れ』ではなく

・『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)
・『野性の証明』(1978年)
・『遙かなる山の呼び声』(1980年)
・『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)

などが代表作としてあげられるように緒形拳*5出演映画と言えば『セックスチェック 第二の性』(1968年)ではなく、

・『砂の器』(1974年)
・『鬼畜』(1978年)
・『復讐するは我にあり』(1979年)

などが代表作としてあげられるわけです。


【参考:セックスチェック・第二の性

◆セックスチェック 第二の性ウィキペディア参照)
 1968年公開の日本映画。原作は、『オール讀物』(文藝春秋社)に連載された寺内大吉*6の『すぷりんたあ』。半陰陽(両性具有、インターセクシュアル、(俗称で)ふたなりとも呼ぶ)と診断された実業団女子短距離選手とコーチとの、師弟を超えた愛憎を描いた作品である。
◆ストーリー
 名スプリンターと謳われながら戦争で五輪出場の夢を断たれた宮路司郎(緒形拳)は、キャバレーホステスの情夫となり、自堕落な生活を送っていた。そんな宮路を見かねた選手時代の同期で医師をしている峰重正雄(滝田裕介)から、木下電気陸上部のコーチを勧められるのだが、宮路は自分の欲望を抑えきれず峰重の妻・彰子(小川真由美*7)を強姦してしまったことで、自分に対する不甲斐無さから一旦は断る。しかし、その直後、バスケットボール部を退部処分になった南雲ひろ子(安田道代(現:大楠道代*8))に陸上短距離100mの素質を見いだして、前言を撤回しコーチを自らかって出て、ひろ子を陸上部にスカウト。宮路は、過酷なまでの猛練習を強いる一方で「勝つためには男になれ!」と、ひろ子に「ひげ剃り」までさせて徹底的に鍛え上げる。
 猛練習の甲斐あって、記録会で日本記録まで0秒1にせまる11秒7の好記録を出して、宮路の期待に応えたが、直後の「目視によるセックス・チェック」を担当した峰重から、半陰陽と宣告されてしまう。オリンピック代表選手候補から外されたひろ子は、陸上部から去っていった。宮路は、失意のひろ子に男性の闘争心と女性の身体を併せ持たせて、再び記録会に出場させるために「ある行動」に出る。
◆備考
 『すぷりんたあ』を原作にした映像作品は、他にドラマ『仮面の女』がある。(1998年TBS放送、大映テレビ制作)
 なお、この映画は公開された時期から分かるように、1968年10月開催のメキシコシティ五輪を意識して作られたものだが、実はそのメキシコシティ五輪では、短距離走を含めた女子陸上競技全種目で日本代表選手は一人もエントリーをしていない。

 しかし浄土宗宗務総長を務めた人間がこんなトンデモ小説を書くんですね。
 まあ寺内大吉と言えば

寺内大吉ウィキペディア参照)
 作家としてだけではなくスポーツ評論家としても活躍しており、TBSのキックボクシング中継及び競輪中継の解説者としてテレビに出演するなどした経歴がある。1973年に放送された『ウルトラマンタロウ』(TBS系)の第2話「その時ウルトラの母は」・第3話「ウルトラの母はいつまでも」にボクシングジムの会長役として出演し、オープニングには、「特別出演」と記載されていた。
 競輪は小説の師匠にあたる作家・富沢有為男(1902~1970年)に教えられたものである。やがて競輪評論家として、競輪の作品やエッセイを執筆するだけでなく選手のニックネームの名づけ人としても有名になった。また長らく南関東自転車競技会に「世話人」として名を連ね、毎年抽選で選ばれたファンと共に、日本競輪学校への日帰り旅行に同行するなどして、一般のファンとの直接対話にも努めていた。往時を知るファンや選手からは「競輪和尚」と呼ばれている。
 競輪界では生前の功績を讃えるため、2008年より毎年12月に行われるKEIRINグランプリシリーズのS級戦を寺内大吉記念杯として開催している。

という型破りな御仁ではありますが。

緒形拳の出たとても変わった映画の話・・・『セックス・チェック 第二の性』 - ohnosakiko’s blog
・スポ根ドラマの中に半陰陽インターセックス)というモチーフが組み込まれており、とてつもなく変な映画だった。
(以下、ネタばれあり)
 宮路(緒形拳)は学生時代に名スプリンターと言われた陸上選手だったが、戦争で夢を絶たれやさぐれてしまい、今はホステスのヒモに甘んじる身。大学の同期で医師の峰重の推薦で、ある実業団の女子陸上部のコーチを引き受けたその日に、峰重宅でかつてプロポーズしたことのある奥さん(小川真由美)を、旦那の出かけた隙にレイプしてしまう。
 その後、戦地の中国で敵を惨殺し村の女をレイプする回想シーンが挿入され、戦争のせいでこんな鬼畜になってしまったのだということがわかる。始まって10分で意表を突かれるエグい展開。こうしたエグさがこの先ずっとついて回り、その半分以上が宮路の喋る台詞に集約されている。
 宮路はすぐ反省してコーチを一旦は断るも、ひろ子(安田道代、現・大楠道代)という選手の素質に目をつけ、ひろ子オンリーのコーチに就任。自分が果たせなかったオリンピックへの夢を彼女に託して、猛特訓を始める。ここからの宮路の台詞がいちいちテンションが高い。
 いきなり髭剃りをひろ子に渡し、「こいつで髭を剃れ。毎朝剃ってりゃそのうち男同様、髭が生えてくる」。「いやだ、男になるなんて」と逃げ出そうとするひろ子に、「(女子100メートル11秒の)壁を超えるには、女の中に潜んでいる男の能力を揺すり起こして、一歩でも男に近づかなきゃいかん。お前は女らしい女だから俺がお前を男に作り変える!」「スカートなんか穿くな!」「男の言葉を喋れ!」。ほとんど恫喝。
 この「男に作り変える」という言葉は後で効いてくる。で、ひろ子は宮路の迫力に押されて渋々ついていく(言いつけ通り、顔に石鹸つけて産毛を剃ってるシーンまである)。
猛特訓で疲れきったひろ子に、夜、布団の上でマッサージを施しながらのやりとり。
 「ひろ子、俺が好きか?」「嫌いじゃない‥‥」「なんだ、はっきり言え」。「好きだよ」とふてくされた顔で言うひろ子に、「そうだろう。いつも平気で体を揉ませているんだからな」。なんかセクハラ臭い台詞です。
 「どうだい、俺たち恋人になろうぜ」「恋人?」「バカ、恋人てったって気持ちだけの話だ。俺は有名な女誑しだがお前に妙な真似はせん。第一俺はお前を男に改造しようと思ってるんだ。抱くわけがない」。
 ものすごく嬉しそうな緒形拳
「じゃあなぜ恋人になるんだい?」とひろ子が聞くと、「女ってやつは自分では独り立ちができん。亭主か恋人か親父か誰かに引っ張ってもらわんと生きられん。そうだな?」「そうだ」「だから俺が恋人になってやる。お前も恋人の俺を喜ばすために走れ。どんな苦労もしろ。わかったか」。
 そんな理不尽な‥‥とか、それ女性蔑視じゃ‥‥という反論を一切受け付けなさそうな勢いである。「鬼の大松」と言われた女子バレーの監督の、「黙って俺についてこい」という台詞が有名になったのが、この4年前の東京オリンピックの頃。宮路は大松監督をモデルにしているのかもしれない。
 ひろ子は順調にタイムを縮めるが、セックスチェックで半陰陽と診断され、出場資格を得られなくなる。18歳になっても生理がなくて内心不安だったが、それが的中してしまったと。
 絶望して田舎に帰ってしまったひろ子を宮路は追っていき、「俺が証明してやる。お前が正真正銘女だってことをな!抱いてやる!」。浜辺でそのままセックスに及ぶ。「どうだった?」と恐る恐る訊ねるひろ子に、「女だよ。間違いない。ただ、ちょっと疑問をもたれやすい体なんだ」。疑問をもたれやすい‥‥? 微妙な表現。
 「ひろ子、女になりてえか? 女になれたらどんなことでもするか?」。
 もちろんジェンダーが女のひろ子に異存はない。これまでは「男に作り変える」ことを目標としてきたけれども、今度は逆をやるというわけで、「これから毎晩お前を抱いてやる。一ヶ月も立てば立派な女になるだろう」。‥‥??
 その日から、昼間は激しいトレーニング、夜は激しいセックス(トレーニングに見える)で、ある日なんと生理が訪れる。毎晩セックスに励んだ御陰で? んなことは実際ありえないだろう。でもそう思わせたいような男根中心主義な展開。
 再び峰重の診断を仰ぎに行くが、証拠を見せるため峰重の前でひろ子を全裸にし、ソファでセックスしてしまうという無軌道ぶり。結局、前のは誤診で「擬半陰陽。内部にはちゃんと卵巣がある」ということになる。
 さて、晴れて予選に出場したひろ子だが、なぜか記録が出ず4位に終わる。その理由を宮路はこう呟く。
 「女にし過ぎたせいだよ」。
 「女ってやつは不幸な時は爆発する。やけっぱちで突っ走るが、幸福になっちゃあおしまいだ」。
 ここまでくるともう期待を裏切らないなぁという感じである。
 オリンピックのメダルの野望は果たせなかったが、肩を寄せ合って競技場から去る二人は、別の幸せを掴んだように見えないこともなかった。
 常に斜め上を行くトンデモなストーリー、力みっぱなしの緒形拳、しかし妙にしみじみした後味。こんな変なの初めて。
 まあ1968年という時代を考えれば多少は仕方のないことかもしれないけども、増村保造*9も随分変わった作品撮ったものだなあ‥‥57本も撮っていれば、中にはちょっと変なのもあるのか。
 半陰陽は(中略)本人の性自認とのズレにより、深刻なアイデンティティの危機*10を招くこともあるらしい。
 今、半陰陽を作品中で取り扱うなら、そうした複雑な位相を描くことになるだろう。
 しかしこの作品はほとんどそれには触れず、ひたすら男*11が女*12を「男にするか女にするか」だけで話が進んでいく。
 半陰陽というモチーフは、原作の小説ではおそらく「奇想天外さ」で目を引くためと、エロ描写サービスをする場面のためにだけ選択されていたのではないかと思われる。結果、今のセックスやジェンダーの観点からすると、どこから突っ込んだらいいのか困るくらい突っ込みどころ満載の作品になったということだ*13
 68年はメキシコオリンピックの年なので、それにひっかけて大映が観客を動員しようとしたのだろうか(「メキシコオリンピックではセックスチェックが厳しい」という台詞が出てくる)。
 そもそも、タイトルの「第二の性」がボーヴォワールの同名著作と同じく「女」を指しているようにしか思えない点が大変気になる。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」というあのフレーズも、そこだけ取り出せば(ボーガス注:映画中の緒方の台詞と)何となく一致しているようにも思える。
 大映のプロデューサーか監督のどちらかが、『第二の性』という本にその有名なフレーズがあることだけ知っていて、あのタイトルをつけたのだろうか。いや増村保造は東大出のエリートだから、ボーヴォワールくらい読んでいた可能性がある(もちろんボーヴォワールが映画見たら憤死したかも)。当時の評価はどういうものだったんでしょうかね。
 映画の作りは極めて真面目である。緊張感のある構図にめりはりの効いたスピーディな展開で、ダレたところはまったくない。
 宮路という主人公は、増村保造が度々描いている、諦観や絶望の中で生きる目標を見つけ、それに向かってがむしゃらに邁進する自我の強い人間として人物造形されている。己の欲望にのみ従って生きるギラギラした男を演じて評価の高かった緒形拳だが、映画出演三作目にしてそれを完全に実現していると言える。
 他の増村作品に比べて濡れ場が全然エロくないのは、主人公が五輪出場、メダル獲得という最終目標を達成するためのプロセスとしてしかセックスを捉えていないからだ(一応表向きは)、ということで納得できる。
 ただ、この頃の大映独特のいささか大袈裟な演出*14のせいか、見ている最中、このテンションの高さがどこに向かっているのかよくわからなくて困った。いったいどこに連れていかれるのやら‥‥と思いつつ見終わってやっと、逆境の中の男女の愛を描いていたんだなと思った。
 「男コーチにしごかれる女子」というモチーフとドラマチック過ぎる展開で思い浮かべたのが、大映系のテレビドラマ『スチュワーデス物語*15(1983〜84)。調べてみたら、増村監督は映画から離れた後、『スチュワーデス物語』の監督、脚本に参加しているのだった。道理で。

 何というか「復讐するは我にあり」の榎津(緒形拳主演)を連想させる「頭が狂ったキャラ」のようです。
 つうか、これ紹介文を読む限り

・「スポ根と半陰陽」で味付けした純愛風(?)エロ映画
ウィキペディアふたなり」が説明するいわゆる「ふたなりもの」と似たり寄ったりの興味本位、妄想炸裂による「半陰陽」の扱い

としか思えないんですが(ただし映画では主人公は本当は半陰陽ではないことが結局分かるというトンデモ展開ですが)。
 そもそも主役の安田道代(現・大楠道代)は

大楠道代ウィキペディア参照)
 1967年、『痴人の愛』でナオミ役を演じたのをきっかけに、1968年から1969年にかけて低予算の「秘録おんな」シリーズ、「関東おんな」シリーズなどの「大映エログロ・異色時代劇路線」と呼ばれる一連のシリーズに主演。

ということで若き日は「お色気女優」として活躍した人ですしね。
 しかし、こんな役をやる御仁・緒形が一方では「砂の器」の「善良な巡査」ですからね。
 うまい役者は、善人を演じればほんとに善人、悪人を演じればほんとに悪人に思える - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ということなんでしょう。個人的には見たらあまりのバカらしさに吹き出した上「これ、緒形拳にとって、橋本忍*16にとっての『幻の湖*17』なみの黒歴史じゃねえの?」と思いそうです(そういえば三浦は『幻の湖』も見たことがあるそうですが、この種のトンデモ映画が好きな『洋泉社映画秘宝(?)体質』が三浦なんでしょうか?)。
 まあ橋本も緒形も一応「日本が世界に誇れる名脚本家にして名俳優」とは思いますが。


【参考:仮面の女】

◆仮面の女(ウィキペディア参照)
◆キャスト
・南雲ひろ子(雛形あきこ
・宮路司郎(石田純一
 かつては将来を嘱望された天才ランナーだったが、奈保子との一件で、責任をとって引退。ひろ子と運命的な出会いを果たし、彼女を一流のランナーに育てることを誓う。同時に恋愛感情を抱く様になる。 
・峰重奈保子(斉藤慶子
 宮路の元婚約者。かつては将来を有望視されるランナーだったが、宮路の過失により、片足を切断。宮地がコーチをするひろ子に対して嫌がらせを展開。
・峰重耕三(小林稔侍)
 大学教授で奈保子の夫。
◆備考
 映画『セックス・チェック 第二の性』(1968年)はこの作品と原作が同じで、映画の主役も南雲ひろ子(安田道代)と宮路司郎(緒形拳)だがストーリーや設定は大きく異なっている。

ヒロインがまさか。。。センセーショナルなドラマだった『仮面の女』 - Middle Edge(ミドルエッジ)
 オール讀物に連載された寺内大吉「すぷりんたあ」を原作にした大映テレビ制作のドラマ。1998年10月15日から12月17日までTBSで木曜22時より全10回放送されました。
◆あらすじ
 宮路(石田純一)はマラソン界の花形選手として活躍していました。しかしある事故で当時マラソン界の女王として君臨していた奈保子(齋藤慶子)の片足を切断させてしまう。競技生活は望めなくなった奈保子に責任を感じ、宮路はマラソン界を引退します。
 落ちぶれてしまった宮路を見ていられない奈保子の夫・峰重(小林稔侍)は企業の陸上部のコーチとしての職を斡旋しますが、宮路は乗り気ではありません。が、その中に南雲ひろ子(雛形あきこ)を見た途端、宮路のマラソンへの情熱がよみがえり、宮路はコーチとしてひろ子を育てることを決意します。
 しかしそれは宮路が一生を奪ってしまった奈保子の嫉妬を買うこととなります*18。奈保子はひろ子の競技成績の良さを逆手に取り、「南雲ひろ子は女性ではなく、男性だからこそ成績が良いのではないか?」とデマを流します。
 デマに反論するためセックスチェックを受けるひろ子。しかし結果は宮路に恋をしていた彼女にとって大変残酷なものでした。
 検査で女性でなく男性であることが判明したひろ子。性(セックス)だけでなくマラソンランナーとしての生きがいも奪われてしまい彼女は一時自殺も考えます。しかし検査の結果を受け止め生きていこうと決意する彼女に、宮路はプロポーズし想いを伝えます。そして彼女のために開催された「独りだけの国際女子マラソン」。そこで彼女は女子の日本記録を更新します。それだけでした。しかし”彼女”はプライベートの幸せをつかんだのでした。

 まあ映画版のトンデモ鬼畜キャラは「藤枝梅安」「榎津巌(映画『復讐するは我にあり』)」「児童虐待父親(映画『鬼畜』)」と「人殺し」「悪人」役を平然とこなす名優・緒形拳には出来ても「二枚目俳優・石田純一」には一寸無理でしょう。というか、映画が公開された1960年代ならまだしも1990年代に映画のままやったら「女性差別だ」「半陰陽を馬鹿にしてる」といった非難も確実に避けられませんし。
 というか1960年代当時ですらこんなトンデモ鬼畜キャラを喜んでやる人は少ないんじゃないか。「緒形拳って本当に変な人だな(褒め言葉のつもり)」と思います。

仮面の女 | 玉虫色のインク
 思い切り設定がかつての大ヒットドラマ『スチュワーデス物語』と被っているのだが、同じ制作会社(大映テレビ)が手掛けているのでそこはまあ目を瞑るとしよう。見ていて思うのはこうしたスポーツを題材にしたドラマの場合、アスリートでは無い俳優(女優)が如何に選手役を本物らしく見せるかで大分印象が変わってくる。勿論、ヒロイン役の雛形あきこはアスリートではないので走り方に問題があるのは否めないが、回を追うごとに徐々に走り方が様になってきている辺りに彼女の頑張りを感じる。
 さてストーリーはと言えば大映テレビの制作したドラマだけに無茶ぶりの嵐。ツッコミ所が満載なのは言うまでもない。但しこの手の話は通常はマラソンランナーとして脚光を浴びる事を最終目的とするものだが、このドラマの場合ヒロイン(?)の性別が違うと言う大前提があるため、まさかそれまで乗り越えてしまうわけにはいかない。大映ドラマならもしかしたらアリなのかも知れないが、流石にそれをやってしまうと常識を覆す大問題となってしまう。そのためラストはまあ順当な結末が用意されている。
 それはそうと陸上競技のドラマはどうしても絵柄が地味になりがちで、このドラマも例外ではない。そこがこのドラマのネックだろう。

「仮面の女」
 木曜日の夜10時から、TBS系列で放送されているドラマ「仮面の女」はめちゃくちゃ面白い。 といってもまだ1回しか見ていないのだけれど、いままで見ていなかったことを激しく後悔する面白さである。
 雛形あきこが実は男っていう設定もすごい。 制作は大映テレビ大映テレビが撮ると必ずこうなるというのもすごい。
 復讐に燃える斉藤慶子が、失った足を義足に換えて石田純一扮する宮路の前に現れるシーンなどは、 宮路を踏みつける義足と、痛みに耐える石田純一の顔をひとつの画面で切り取ってみせる粋な演出で、 笑ってしまうのを通り越して背筋がぞーっと寒くなる。

HAGGYの台所:仮面の女
◆インド選手の銀メダルはく奪へ・アジア大会、性別検査で問題
>ドーハ・アジア大会の陸上女子800メートルで、銀メダルを獲得したサンティ・ソウンダラジャン(インド)が性別検査で問題点を指摘され、メダルをはく奪されることがほぼ確実になった。
>性別検査の結果は「女性としての性的特徴を持っていない」とするもので、アジア・オリンピック評議会(OCA)の理事会へ報告された。
>ソウンダラジャン選手は性別の問題で就職を断られた過去があったとの報道もあり、今後はインド陸連がそうした事実を事前に把握していたかどうかが焦点となりそうだ*19
 ほとんど大映ドラマ『仮面の女』(98年TBS)じゃん。
 マラソンランナー(雛形あきこ)がセックスチェックを受けた結果、染色体の異常で両性共有だったというドラマなんだけど。
 まさか、現実にこんな事があるなんて。
 そういや『仮面の女』も再放送しないなぁ。
 肝心の両性共有よりも、斉藤慶子の悪女っぷりがインパクト大で、そっちばかり注目してたっけ。
 ガチャーン、ガチャーン。ロボコップのような足音で、突然現れる義足の慶子。
 「わたしの足を返して!」
 鬼のような形相で、石田純一を義足で踏みつける慶子。
 まさに『スチュワーデス物語』の片平なぎさ*20状態。
 大映マニアを喜ばせる演出だったけど、ストーリーがいまいちで、盛り上がりには欠けた。
 その点は、オリジナルの大映映画『セックスチェック・第二の性』のほうが面白かったかも。
 「女性ではない」と診断されたランナーを、コーチが「よし、お前を女にしてやる!」と犯したりして(笑)
 セックス三昧のおかげで、女性にはなれたものの、その代わり、ランナーとしての身体能力を失うというオチもなかなか。
 キワモノながら、もう一度観てみたい作品の一つ。


【参考:セメンヤ選手ほか】

キャスター・セメンヤ(1991年生まれ、ウィキペディア参照)
◆概要
 南アフリカ陸上競技選手。2009年ベルリン世界陸上、2011年大邱世界陸上、2012年ロンドン五輪、2016年リオデジャネイロ五輪、2017年ロンドン世界陸上の金メダリストである。現在は南アフリカリーグ・女子サッカーのサッカー選手。
 男性のような見た目から男性疑惑もあったが両性具有との診断が出た。国際陸上競技連盟は女性として記録を認めている。
◆性別疑惑
 世界陸上2009での金メダル獲得後、前回大会(世界陸上2007)の金メダリストで2位のジェネス・ジェプコスゲイ*21ケニア)に2秒以上の大差をつけ今季世界最高のタイムで圧勝したことや、筋肉質な体格、低い声などから性別を疑われ、国際陸上競技連盟 (IAAF) は医学的な調査を始めた。9月11日付のオーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルドなどによると、医学的検査の結果子宮と卵巣が無く体内に精巣があり、通常の女性の3倍以上のテストステロン(男性ホルモンの一種)を分泌していることが判明し、性分化疾患が判明したと報じられた。
 最終判断は11月20、21日の両日に開かれるIAAFの理事会で行われ、テストステロンの大量分泌は故意ではなく疾病によるものであるため、セメンヤの金メダルが確定した。
 国際陸上競技連盟(IAAF)は2018年4月に「テストステロン値が高い女性の出場資格を制限する」という内容の新規定を2018年11月から導入すると発表した。セメンヤと南アフリカ陸連は、同規定の無効を求めて2018年6月にスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えた。スポーツ仲裁裁判所は2019年5月1日に「テストステロン値が高い女性の出場資格を制限する」という国際陸上競技連盟の新規定を容認し、セメンヤらの訴えを棄却した。
 2019年9月、セメンヤはJanine van Wykが所有する南アフリカ SAFA Sasol女子リーグ協会のサッカークラブJVW FCに加入した。

「生物学的に女性ではない」とされた銀メダリスト、どう向き合えば?
 女性として生きてきたのに、突然「あなたは女性ではない」と言われたら……。陸上競技の世界で、そんな問題を巡る議論が過熱しています。(朝日新聞ヤンゴン支局長兼アジア総局員・染田屋竜太)
 8月29日、インドネシアジャカルタであったアジア大会の女子100メートル走。11秒32のタイムで銀メダルを手にしたインドのデュティ・チャンド選手(22)は、うれしそうに報道陣に話しました。
 アジア大会での勝利は格別なものでした。前回、2014年の仁川大会は出場できなかったからです。
 チャンド選手は2012年、18歳未満のインド国内の大会で優勝し、頭角を現します。翌年にはアジア陸上大会の女子200メートルで銅メダルに輝き、世界ユースの100メートルでも決勝に残りました。
 しかし、その名が知られるようになった2014年、「女子選手として認めるべきではない」との声が上がり始めます。生まれつき、一般的な女性よりも血中の男性ホルモン(テストステロン)の値が高い体質だったのです。
 生物学的に両性の特徴を持った人は、一定の割合で存在しています。
 インドの陸上連盟はこの年にあったアジア大会への代表チームから、チャンド選手を除外しました。
 チャンド選手はスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴し、2015年に「テストステロンの値による出場停止」という規定を保留する決定が出ました。2016年にはリオ五輪に出場しています(100メートル予選敗退)。
 アジア大会の100メートル予選後、チャンド選手の思いを直接聞く機会がありました。
 「とにかく出場できたことがうれしいです。今までいろいろな人に支えてもらったから、お返しがしたかった」と、穏やかに話してくれました。
 裁判も経験したチャンド選手。辛かったですかときくと、「はい、でも、今日のために努力してきたから。決勝もいいタイムを目指します」と笑顔。控えめな性格なのが伝わってきました。
 性別をめぐる陸上競技の問題では、南アフリカキャスター・セメンヤ選手も知られています。中距離で圧倒的な強さを見せる一方、他の選手から「女性ではない」などと発言され、性別検査をされました。2016年にリオ五輪の女子800メートルで金メダルを獲得しましたが、いまだにそれに異を唱える人もいます。
 国際陸上連盟(IAAF)は18年4月、400メートルから1600メートルの競技については、テストステロンの値が高い女子選手について、ホルモンを低下させる処置をとらなければ出場を認めないという決定をしました。
 セメンヤ選手はこの規定について、CASに提訴。覆らなければ、薬などでテストステロン値を下げないと東京五輪には出場できません。
 しかし、ホルモンの値で「女性でない」と決めることは、果たして正しいのでしょうか。
 実は、専門家の間でも意見が分かれています。
 スポーツと法律を専門にしている、アメリカ・デューク大ロースクールのドリエン・コールマン教授は、「IAAFの規定は、スポーツを公平に行うことにとって必要だ」と主張します。
 「『生物学的な女性』が、女性によるスポーツで競争できる環境を維持することが重要だ。生物学的な女性は、生物学的に男性と判断された人*22と競争して勝てる見込みはない」。
 「テストステロンは『男性』の体をつくるもの。このことがスポーツに大きく影響する。『男性』の体を持った選手*23と女子選手が競うことは、フェアとは言えない」
 コールマン教授は「テストステロン値で、社会的に女性と認めるなという話ではない。少なくともルールのあるスポーツでは線引きをすべきだ」と主張します。
 反対する意見もあります。
「テストステロン値で女性の中に線引きをするのは、『女性は女性らしくいろ』という考えから来るものだ」と主張するのは、アメリカ・バッファロー大学のスーザン・カーン教授(ジェンダー学)です。
 「女性として生きてきた人に『あなたは(ボーガス注:半陰陽だから)女性ではない』ということが(ボーガス注:アイデンティティの危機などをもたらしかねない精神的に)どれだけ重大なことか理解するべきだ」とカーン教授。
 ジェンダーとスポーツ史の両方が専門の中京大・來田(らいた)享子教授も、「テストステロン値の差に競技上の一定の合理性があるのかもしれないが、その値だけに固執するのは疑問がある」と指摘します。
 筋肉の量や質、骨格など、人間の体にはスポーツに関わる条件の違いが他にもたくさんあります。それ以外でも、例えば、スポーツの英才教育を受けられる社会に生まれた子どもと、スラムに生まれた子どもには経済格差があります。
 「テストステロン値以外に、結果に影響を与える要素には目をつぶるのか」
 チャンド選手の短い取材から感じたのは、彼女が競技をできることを心から喜んでいる、ということでした。
 (ボーガス注:半陰陽による)先天的なテストステロン値はドーピングでも違反でもなく、選手自身に責任はありません。にも関わらず、薬などでその値を下げなければ、競技に出場ができない。そんな状況を認めるべきかどうか。

「世界陸上断念の女子陸上セメンヤ選手はただの女性、レイプのような検査をやめて出場させてほしい」小林恭子
 <「レイプのような検査をされた上、選手生命を絶たれれば自殺するしかない」
 セメンヤを「生物学的に男性」と決めつけた社会の無知が、「DSD性分化疾患)」をもつ人々をいかに追いつめているか、日本DSD患者家族会連絡会のヨ・ヘイル氏に聞いた>
 7月末、南アフリカ出身の陸上女子中距離キャスター・セメンヤ選手(28歳)が、この秋に開かれる世界陸上ドーハ大会に参加しないことを代理人を通じて発表した。
 男性に多いホルモンであるテストステロン値が生まれつき高いセメンヤ選手は、今後も女子陸上選手として競技に参加できるのか、できないのか。
 この問題は過去何年もくすぶってきたが、昨年4月、国際陸上競技連盟(IAAF、「国際陸連」)が、テストステロンなど男性に多いホルモンが基準より高い女子選手が400メートルから1マイル(約1600メートル)の種目に参加しようとする場合、薬などでこれを人為的に下げる、とした新規則の採用を発表したことで、セメンヤ選手は取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS、本部スイス)に提訴した。今年5月、訴えは棄却。セメンヤ選手側はスイス最高裁に上訴した。
 7月末、最高裁は、国際陸連のテストステロン規制の一時保留命令を撤回。2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪で女子800メートルの金メダルを獲得したセメンヤ選手は、今後も競技を続けられるのかどうか。大きな壁が立ちはだかった。来年夏の東京五輪ではどうなるだろうか。
 「薬を飲んで、人為的にホルモン値を下げる」行為が義務化されるというのは、英国に住む筆者からすると、同性愛者であることで性欲抑制剤を摂取せざるを得なくなった科学者アラン・チューリングをほうふつとさせ、人権の抑圧に見えてしまうのだが、皆さんはどう思われるだろうか。
 その一方で、「高テストステロン症の女性を相手に競技するのはつらい」という他の女性選手の声をどう判断するのか、という点も考えなければならないのだろう。
◆「両性具有」ではなくDSD
 セメンヤ選手のような体の状態にある人は、時として「両性具有」「男でも女でもない性別」などと言った言葉で説明されてきた。筆者自身もこうした言葉を使ってきた。
 しかし、このような言葉遣いは実は不正確で、当事者を傷つける、侮辱的な表現にもなりかねないことを知った。
 正しくは、国際陸連も使っている、性分化疾患、あるいは「DSD (Differences of Sexual Development)」(「体の性の様々な発達」状態)である。
 そこで、DSDに詳しい非営利組織「ネクスDSDジャパン」(日本性分化疾患患者家族会連絡会)のヨ・ヘイルさんにじっくりと状況を聞いてみた。
(中略)
◆小林
 ネクスDSDジャパンがセメンヤ選手を支援するのは、なぜでしょうか。
◆ヘイル
 セメンヤさんは、(国際陸連に)同意なく無理に検査をされたり、あるいは「お前は実は男性だった」という説明になったり。あるいは社会の誤解で、「両性具有なのだ」という見方をされてしまったり。彼女は一時、自殺予防センターに入っていたという話もありますね。
 そういう体験自体が、DSDを持っている人たちの体験と非常に近いのです。多くのところで重なっていると。人ごととは思えません。
 彼女自身の話をちゃんと丁寧にやっていくことで、DSDを持っている人たちの体験が伝わるとも思っているのです。
 実は彼女のような体験をした人たちというのは、日本でもいます。
◆小林
 スポーツの領域でしょうか。
◆ヘイル
 スポーツにおいてもそうです。名前と具体的な体験についてはお話ができませんが、セメンヤ選手がいかに扱われたかを見て、諦めてしまっている人がいます。怖くなって、自分から身を引いている女性が、実際にいるんです。
 また、本当に個人のプライベートな話であるにもかかわらず、ほぼ暴露という形で議論が行われていますよね。そういう話をしてもいいものなのだということを、皆さんが前提としています。他人の家の娘さんの生殖器の話をみんながやってしまっている、と。
 今の社会状況の中では、これが当たり前のように思っても仕方ないのだろうとは思いますが、当事者家族の実際の体験としては、とても考えられないようなことをしてしまっています。
 そういう報道をされること自体が、すごく辛いのです。
◆小林
 セメンヤ選手とその周囲にとって、何が最善なのでしょう。このまま、女性であるということで進んで、他の女性選手の意識を変える方向でいく、ということでいいのでしょうか。
◆ヘイル
 こちらの希望としては、やはり、無理矢理な性別検査のようなことは無しにしていただきたいと思っています。
 セメンヤさんや、思春期前後に判明するDSDを持っている女性というのは、本当にただの女性です。誰とも変わらない女性なので、暴き立てることを一切せずに、女性競技にそのまま参加させてもらいたいというのが、こちらの願いです。
 こちらの印象としては、昔よりも、状況が強迫的になっている感じもします。
 NHKの「いだてん」というドラマで、人見絹枝さん*24(1907-1931年)という日本初の女性オリンピックメダリストが取り上げられました。
 調べてみると、彼女も「女じゃない」とか、「化け物」とか、「おとこおんな」とか、結構あの時代から言われていました。女性だけが、速く走ると、なぜか「女じゃない」と言われてしまうのです。でも無理やり検査をしろという話にまでならなかった。とてもおおらかだったと思います。今はとても強迫的になっている。
(中略)
 ご理解をいただければありがたいという1点目が、DSDを持っていると疑わしい女性に対する検査というのは、ほぼ、レイプのような検査になっている点です。言葉ではなかなか言えないようなもので、ドーピングの検査どころの話ではありません。そういう検査をされて、しかも選手生命を絶たれるというのであれば、もう自殺するしかない、というのが当然だろうというレベルです。
(後略) 

 セメンヤら「半陰陽の女性選手」に同情的な記事を紹介しましたが、小生も「『砂の器』や『火垂るの墓』を見て、『本浦千代吉の絶叫』『節子の死』に号泣するような涙もろい性格」なのでどちらかというと「理屈抜きで」彼女らに同情的な立場です。ドーピングのような不正行為とは違いますしね。
 「お前は、ダライラマとか拉致被害者家族会とか散々罵倒してるのに、何が涙もろい人間だ!」と「ダライ愛好家」id:Mukkeや「アンチ北朝鮮id:noharraは激怒しそうですが「それはそれ、これはこれ」です。
 俺は「何一つ悪いことはしていない」セメンヤらには同情しますが「安倍晋三を称え、未だに救う会のウヨ連中(救う会西岡力会長、島田洋一副会長ら)にへいこらするような家族会」「田中均氏を外務省退官に追い込んだり、蓮池透氏を不当除名したりするような家族会」や「オウム真理教から1億円受け取って恥じないダライラマ一味」「日本ウヨ(櫻井よしこなど)と野合して恥じないダライ・ラマ一味」といった「人間のクズ連中」には同情しないと言うことです。
 家族会連中やダライラマ一味(チベット亡命政府)が「家族を北朝鮮に拉致されよう」とも「中国によってインドに事実上追放されよう」とも、そんなことで「かわいそう」と同情できるほど、俺は寛大な人間ではありません。連中のクズさには憎悪や軽蔑、殺意と言った「負の感情」しかありません。
 なお、

第10話 オリンピック史に汚点を残すセックスチェック - とってもDEEPなオリンピック(@takisan1980) - カクヨム
 1960年代のオリンピックでは、男子選手が女子選手になりすましてメダルを獲るも、後に発覚して剥奪された例がいくつかある。ローマ大会、束京大会でそれぞれ金メダルを獲得しているソ連の陸上選手タマラ・プレス、イリーナ・プレス姉妹は、女子離れした容姿で、テレビの前の日本人に金メダル以上のインパクトを与えた。
 彼女(?)たち以外にも、東京大会での女子400メートルリレーで優勝したポーランドの1人の選手や、1966年のアルペンスキー世界選手権の女子滑降優勝者が、後に男性であることが判明し問題となった。
 性別を偽って出場する選手が相次いだため、1968年のメキシコ大会を契機に、オリンピックやアジア大会などでは、女性かどうかのセックスチェックが実施されるようになった。するとプレス姉妹は、表舞台から逃げるように消えてしまった。
 導入されたセックスチェックは、能力の平等さを保つことを建前としていたが、スポーツ史上類を見ない女性差別と言っても過言ではないものだった。何人もの医師の前で全裸になり視認検査が行われたり、さらには直接性器をチェックするなどしていたのだ。
 このあまりに露骨なチェック方法に、選手からはクレームが殺到する。それを受けて、1968年のメキシコ大会以降は、頬の内側の粘膜を採取する遺伝子検査が行われるようになった。
 ところがこの検査方法では、生まれながら染色体に異常のある女性が「男性」と判定されかねない。生まれてからずっと女性として育てられてきたのに、DNA的には男性、あるいは半陰陽インターセックスなどであると判明し、オリンピックに出場できなかった選手が少なからず出てきたのだ。 

ということで「実際に性を偽って出場するトンデモ選手」が過去に存在したこと、だからこそ一時「全選手のセックスチェック」が導入されたようです。そして「セックスチェック 第二の性」のネタにもなるわけです。
 ちなみに第10話 オリンピック史に汚点を残すセックスチェック - とってもDEEPなオリンピック(@takisan1980) - カクヨムが紹介するプレス姉妹については

◆タマラ・プレス(1937年生まれ、ウィキペディア参照)
 旧ソ連(現在のウクライナ)の陸上競技選手。1960年ローマ五輪で砲丸投金メダル、円盤投銀メダル、1964年東京五輪砲丸投金メダル、円盤投金メダルを獲得した。砲丸投円盤投とも6回の世界記録を樹立している。1960年ローマ五輪の80mハードルと1964年東京五輪の五種競技で金メダルを獲得した妹のイリーナ・プレス(1939~2004年)とともに、プレス姉妹と呼ばれた。
◆疑問
 男性的な風貌と、驚異的な成績から、果たして彼女たちは女性だったのか?という疑問がある。実際彼女たちの性別に対してのチェックは行われなかったといわれている。すべての国際的なスポーツ大会で全ての選手への性別検査が義務化されるようになったのは1968年からである(性差別だという批判から、2000年シドニー五輪から廃止。全ての選手ではなく、『疑惑が指摘された場合』にのみ検査することとなった)。その後、彼女たちはスポーツの舞台から姿を消した。「単に強い女性にすぎなかった」とする見方もある反面、彼女らが性別検査を受けないまま、事実上引退したことから「男性の性別偽装」「両性具有者」「男性ホルモンをドーピング注射していた」などの説がある。「プレス兄弟」と中傷したものも一部にいた。

を紹介しておきます。
 まあスポーツの性別偽装はともかく、フィクションの世界ではこういう「性別偽装ネタ」は多いですよね。

手塚治虫リボンの騎士』のサファイア
池田理代子ベルサイユのばら』のオスカル

とか。

*1:ただし原書自体は1940年代の出版です。

*2:1908~1986年。著書『人はすべて死す』(岩波文庫)、『第二の性』、『他人の血』、『人間について』、『招かれた女』(以上、新潮文庫)など(ウィキペディアボーボワール』参照)

*3:1931~2014年。1963年に『人生劇場 飛車角』で高倉は準主役に抜擢された。これ以降、仁侠映画を中心に活躍。1964年から始まる『日本侠客伝シリーズ』、1965年から始まる『網走番外地』シリーズ、『昭和残侠伝シリーズ』などに主演し東映の看板スターとなる。しかし、1973年には『仁義なき戦い』がヒットすると、東映の岡田社長は「高倉健任侠映画はしばらく止める」と実録ヤクザ路線に変更したため、高倉と東映の関係は悪化。高倉は1976年に東映を退社する。フリー転向後、1977年に『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』の2作品に主演し、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞と、第20回ブルーリボン賞主演男優賞のダブル受賞に輝いた。これによって長年のヤクザ俳優イメージからも脱却する。その後も映画『動乱』、『遙かなる山の呼び声』(1980年)、 『駅 STATION』(1981年)、『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。また、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年には文化勲章を受章(ウィキペディア高倉健』参照)。

*4:ただし中国では『高倉健映画』として超有名な映画ですが。

*5:1937~2008年。1965年、NHK大河ドラマ太閤記』の主役・豊臣秀吉を、1966年にNHK大河ドラマ源義経』の武蔵坊弁慶を、1976年にNHK大河ドラマ風と雲と虹と』の主役・藤原純友(この作品は「将門・純友の乱」を描き、平将門役の加藤剛藤原純友役の緒形拳のダブル主役)を演じて、人気を博す。『鬼畜』(1978年) 、『楢山節考』(1983年) 、『火宅の人』(1986年)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。2000年、紫綬褒章受章(ウィキペディア緒形拳』参照)。

*6:1921~2008年。生家は浄土宗の大吉寺である(ペンネーム「寺内大吉」は大吉寺からとっている)。1945年に大正大学宗教学部を卒業し、生家である大吉寺の住職となる。1960年に小説『はぐれ念仏』で直木賞受賞。また浄土宗僧侶としても数々の役職をこなし、1991年から2001年までは浄土宗宗務総長を、2001年からは増上寺第87代法主を務めた。著書『化城の昭和史:二・二六事件への道と日蓮主義者(上)(下)』(1996年、中公文庫)、『法然讃歌:生きるための念仏』(2000年、中公新書)など(ウィキペディア寺内大吉」参照)。

*7:1939年生まれ。1979年、映画『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、『配達されない三通の手紙』(野村芳太郎監督)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。役にのめりこんだエピソードが豊富で、映画『食卓のない家』(1985年)では精神を病んだ女性(小川)が金魚を食べるシーンを演じた際、本当に金魚を噛み砕き、共演の岩下志麻から「卒倒しそうになりました」とコメントされた。また、高部知子によると共演したTBSドラマ『積木くずし 〜親と子の200日戦争〜』(1983年)で高部が初めて小川の楽屋に挨拶しに行ったところ小川が「ドラマの役柄上、不良娘役のあなたが母親役の私のこと憎んでくれなきゃ困るの。だから、もう挨拶しにこなくていいから」と言われたという。近年は女優として目立った活動はしていないが引退はしていないとのこと(ウィキペディア小川真由美』参照)

*8:1946年生まれ。1980年の映画『ツィゴイネルワイゼン』(鈴木清順監督)で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞(なお、安田道代、大楠道代ともに本名であり、結婚によって夫の姓である「大楠」に改姓しています)(ウィキペディア大楠道代』参照)

*9:1924~1986年。1947年、大映に助監督として入社。『兵隊やくざ』(1965年)、『陸軍中野学校』(1966年)と、それぞれ勝新太郎市川雷蔵の大ヒットシリーズの第1作を監督するなど、大映絶頂期を支えた。1971年の大映倒産以降は、大映テレビを中心にTBS『ザ・ガードマン』(1965~1971年)、『赤い衝撃』(1976~1977年)などの「赤いシリーズ」、『スチュワーデス物語』(1983~1984年)などのテレビドラマの演出・脚本を手がけ、俗に言う「大映ドラマ」の基礎を作り上げた(ウィキペディア増村保造』参照)。

*10:いわゆる性同一性障害のこと

*11:緒形拳のこと

*12:安田道代のこと

*13:要するに、この映画は『ガチの半陰陽の方』が見たら『ゲイが保毛尾田保毛男に憤激するくらい酷い代物つうこと』でしょう。まあ先日も志位・共産党委員長閣下が「1970年代の我が党のLGBTに対する認識は不適切だった」と謝罪したように当時の日本なんてのはそんなもんです。LGBT性同一性障害などに対する認識がまともになってきたのは早くても1990年代以降のことでしょう。

*14:こうした大映の大げさな演出はその後、TBS『赤いシリーズ』(1974~1980年)、『スチュワーデス物語』(1983~1984年)、『スクール☆ウォーズ』(1984~1985年)、フジテレビ『ヤヌスの鏡』(1985~1986年)、『花嫁衣裳は誰が着る』(1986年)などといった大映ドラマに引き継がれることになります。

*15:スチュワーデス物語緒形拳に当たるのが風間杜夫で、安田道代に当たるのが堀ちえみです

*16:1918~2018年。黒沢明の映画『羅生門』(1950年)で脚本家としてデビュー。同作品はヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。以後、黒澤組のシナリオ集団の一人として、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)などの脚本を共同で執筆。1974年に山田洋次との共同脚本で『砂の器』を製作、原作者の松本清張に原作を上回る出来と言わしめる傑作で、興行的にも大成功をおさめ、その年の映画賞を総なめにした。1977年には森谷司郎監督、緒形拳主演で『八甲田山』を発表し、当時の配給記録新記録を打ち立てる大ヒットとなった。わずか3ヵ月後に松竹で公開された『八つ墓村』(脚本担当)もこれに迫る数字をはじき出し、この年の橋本はまさに空前絶後の大ヒットメーカーぶりを示した(ウィキペディア橋本忍』参照)。

*17:羅生門』(1950年)、『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)、『砂の器』(1974年)、『八甲田山』、『八つ墓村』(1977年)などの成功で築き上げたキャリアを台無しにしたと言われる珍作品。この映画(1982年公開)の大失敗後、橋本は長期に亘って事実上の引退状態となる。

*18:設定が完全に同じ大映ドラマのTBS「スチュワーデス物語」(1983年)と同じですね。石田純一風間杜夫雛形あきこ堀ちえみ斉藤慶子片平なぎさという構図です。

*19:こういうのは本当にかわいそうでなんとも言葉がありません。ドーピングのような不正行為とは性格が違いますのでね。

*20:1959年生まれ。1974年に日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に出演し合格。1975年に「純愛」で、当初はアイドル歌手としてデビュー。同年に「美しい契り」で第17回日本レコード大賞新人賞、新宿音楽祭銀賞などを受賞した。歌手デビューの1975年、映画『青い山脈』で女優デビューし、3年後には歌手としての限界が見えたのか歌手活動を休止し本格的に女優業へ転向。1983年から1984年にかけてのヒットドラマTBS『スチュワーデス物語』では、当時ホリプロの後輩で主人公役だった堀ちえみ(1967年生まれ)をいじめる悪女役を演じて一躍評判となった。1990年代から、日本テレビ火曜サスペンス劇場』の『小京都ミステリー』シリーズ(1989~2001年、全30作)、フジテレビの『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』(1992年~、現在まで37作)など、2時間サスペンスドラマの主演シリーズを持つようになり、以降「2時間ドラマの女王」の異名で知られるようになる(ウィキペディア片平なぎさ」参照)。

*21:2008年北京五輪800メートル陸上の銀メダリスト(ウィキペディア『ジェネス・ジェプコスゲイ』参照)

*22:もちろんセメンヤ、チャンドといった半陰陽の女性のこと

*23:もちろんセメンヤ、チャンドといった半陰陽の女性のこと

*24:1928年アムステルダム五輪の女子800メートル陸上で銀メダル。「いだてん」では菅原小春(1992年生まれ、ダンサー、振付師)が演じた。