「生ポのポエムさん」という漫画について 最後まで漫画家であろうとした意志に敬意を表したい | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
俺がコメントをした『ラグタイムララバイのアマゾン書評』とほとんど同じ内容であり、「ラグタイムララバイ」の正体が三浦であることがモロバレです。
従って「三浦の記事内容」について、改めてはコメントしませんが、「三浦の卑劣な態度」については改めてコメントしておきます。
「三浦の卑劣な態度」について以下、コメントしますが、「生ポのポエムさん」については自ブログに「ラグタイムララバイ名義のアマゾン書評」とほぼ同内容の記事を掲載した三浦も、古谷経衡『愛国商売』については「ラグタイムララバイ」名義ではコメントしても、「三浦小太郎」名義ではコメントしないのでしょうねえ。
「チャンネル桜常連出演者」右翼活動家・三浦小太郎が「チャンネル桜関係者たち(小説はよもぎちゃんネル)」を
野心と嫉妬が渦巻き、裏切りや出し抜きが横行する下劣な世界
と描き出す小説を
・現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろうが、もっと広く、かっての新興宗教界、ネットの怪しげなビジネス、すべてに共通する「自分だけが情報や真理を掴んでいる」という妄想に駆られた人々の姿と読むこともできる作品であることは間違いない。
なんて他人事の感想(ラグタイムララバイ名義での感想)を「三浦小太郎」名義で書いたら「お前だってチャンネル桜関係者の一人だろ。その他人事の感想は何だよ?(呆)」と言うことになりますからねえ。
しかし「中立の第三者(ラグタイムララバイ)」を装って*1
現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろう
などと書いて、「古谷『愛国商売』のウヨ批判」による「ウヨ業界へのダメージ」を少しでも減らそうとするのだから三浦も呆れたクズです。
例えば
対してやったら*2「実名で批判しないで第三者を装うとは卑劣な行為」と批判してるのが三浦ではないのか。そのくせして自分は「実名で批判しないで第三者を装う」卑劣な行為をやるわけですからね。三浦には心底呆れます。
そういえば例の「id:Mukke」も「I浜Y子の弟子(N澤君?)」と言う事実を隠して「中立な第三者面してI浜擁護した」あげく、その事実を某氏から暴露されて「何も言い返せずに黙り」なんて醜態をさらしたことがありましたね。奴がはてなブログをプライベートモードにしている理由の一つはそれでしょう。
◆ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン書評
◆吠夢(ポエム)『生ポ*3のポエムさん』(2018年、エンペラーズコミックス)
◆ラグタイムララバイ(三浦小太郎)
「生活保護を受けるしかなくなった漫画家の物語」ではなく「追い詰められ、希望を持てなくなっても、それでもマンガ家であり続けようとした人間の物語」としてきちんと評価してあげたくなった。
役所で「漫画家をやめたつもりはないけど、仕事が来なくなって‥」というのは泣き言ではない。これは作者なりの、自分に描く場さえあれば描き続けるという意志の表れ。自分の才能の限界は自分でもわかっている。でも、だからこそ、漫画を描きつづけなければ自分は自分でなくなってしまうのだ。
ネットの記事によれば、いつもアポをきちんと守っていた著者が急に打ち合わせをキャンセル、泥酔しているか*4のように電話口でひたすら謝った後は連絡が途絶え、そのまま孤独死していたという。死者のことを勝手に想像するのは非礼かもしれないけど、もしかしたらマンガにも書かれている糖尿病が進行し、ついに絵が描けなくなってきたんじゃないだろうか。
とにかく、著者は力が尽きるまで漫画家であろうとした。その姿は誰にも笑うことなどできない。
「あがきもしなくなったらその先はないんだからな」
ノートに書きつけられていたこの言葉は、どんな苦悩の中にある人間にも当てはまる一言だ。
「売れない自営業者」三浦には身につまされる話なのかもしれませんが、それはさておき。
これは三浦のように「美談にすべき話」じゃないでしょうよ。
「経済的に食えない売れない漫画家」が「糖尿病という持病を抱えてる」のに、精神的ストレスからか「糖尿病を確実に悪化させる酒に溺れ」、(独身で一人暮らしでもあったのか)周囲の十分な支えもなく(糖尿病で?)孤独死するなどというのは単に「悲惨な話」でしかなく、「周囲がなんとか救えなかったのか」と言う話です。もはやこうなると「漫画をかける状態」ではなく、入院でもすべきではなかったのか。
「遺作を出版しないで埋もれさせるのもかわいそうな気がします」が一方で「こんなマンガを死後に出版するくらいなら生前、なんとか支援できなかったのか」という気はします。
◆古谷経衡『愛国商売』(2019年、小学館文庫)
◆内容紹介
気鋭の若手評論家の初小説!
南部照一は、孤独な自営業者だった。茨城県取手市在住*5。猫と車を愛する27歳の平坦な人生は、ネット上のとある出会いによって狂っていく。
ひょんなことから保守系言論人の勉強会に参加し、中堅警備会社「シュトケイ」の懸賞論文に応募するや、入選。一躍、保守論壇の新星に祭り上げられ、日本唯一の右派系テレビ局「よもぎチャンネル」レギュラー出演者への道が拓けていく。
順風満帆の照一だったが、彼が足を踏み入れたのは、野心と嫉妬が渦巻き、裏切りや出し抜きが横行する下劣な世界だった。
『愛国商売』(2019年、小学館文庫)は『愛国奴』(2018年、駒草出版)の文庫化だそうです。
ということでこれは古谷による「愛国商売連中批判」なんでしょうね。古谷の立場はどうやら「生前、モリカケ疑惑などで安倍批判をしていた西部邁のような立場(つまり古谷が極右であることには変化はない)」であって「雨宮処凛氏、鈴木邦男氏のように極右から、リベラル保守や中道、左派に変わったわけではない」ようですが。
「三浦も自ブログで古谷に触れなくなったなあ」と思っていましたがなるほどこういう事情があったわけです。
「三浦と古谷がやっていた江東映像文化振興事業団(例えば6月11日 江東映像文化振興事業団上映会&トークのお知らせ | 三浦小太郎BLOG Blue Moon、3月9日、江東映像文化振興事業団上映会「明治大帝と日露大戦争」 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon参照)」について三浦が最近自ブログで触れなくなり、それにかわって逢魔名画座上映会&忘年会のお知らせ(12月22日 四ツ谷にて) | 三浦小太郎BLOG Blue Moon、逢魔名画座次回上映会は、怪作「セックスチェック 第二の性」3月28日です | 三浦小太郎BLOG Blue Moon、
逢魔名画座上映会「セックス・チェック 第二の性」上映会無事終わりました | 三浦小太郎BLOG Blue Moon、逢魔名画座、6月はまだ未定ですが、9月26日は「からっ風野郎」(三島由紀夫主演)上映します | 三浦小太郎BLOG Blue Moonなんて記事が書かれるのも
ということなのでしょう。
「よもぎチャンネル=チャンネル桜」「南部=古屋」でしょう。
さて「チャンネル桜(よもぎチャンネル)常連出演者の三浦」にとって「彼(古谷)が足を踏み入れたのは、野心と嫉妬が渦巻き、裏切りや出し抜きが横行する下劣な世界だった」なんてウヨをコケにした小説は平常心で読める作品ではないでしょうが
◆古谷経衡『愛国商売』(2019年、小学館文庫)
◆ラグタイムララバイ(三浦小太郎)
現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろうが、もっと広く、かっての新興宗教界*6、ネットの怪しげなビジネス*7、すべてに共通する「自分だけが情報や真理を掴んでいる」という妄想*8に駆られた人々の姿と読むこともできる作品であることは間違いない。その意味で、疑問は感じるが星4つ。
考えてみれば、自分自身もその世界にいたことのある作者はこれである意味自分の一時代に別れを告げたのかもしれない。今後作家活動を続けるのか評論家に徹するのかはわからないが、作者にとってある種の「リハビリ」にもなった作品なのだろう。
だそうです。必死に「中立の第三者(ラグタイムララバイ)」を装って
現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろう
などと書いて、「ウヨ業界へのダメージを少しでも減らそう」とするのだから三浦も呆れたクズです。事実でないならはっきりと反論すべきだし、事実なら「自分の所属するウヨ業界」に対する正当な批判に対し真摯に反省を表明すべきだろうに、そのどちらも三浦には出来ないわけです。
そのどちらも三浦には出来ないという時点で「古谷のチャンネル桜批判には一理ある、と三浦が考えてるが、不誠実な三浦はこうした卑劣な行為に及んだ」ということがモロバレですが。id:noharraもよくこんな卑劣漢・三浦と交際できるもんです。俺なら「御免被ります」ね。
いずれにせよ「現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろう*9」「疑問は感じるが星4つ」という言い訳がましい文章、「作者はこれである意味自分の一時代に別れを告げたのかもしれない」という古谷から距離を置いた文章からは三浦が内心では「古谷の野郎、俺たちウヨをバカにしやがってふざけるな!」と思ってることがうかがえます。
まあ、「実名出して、まともに古谷に反論できないなら三浦は黙ってろ」「恥さらしも大概にしろ」と言う話です。ほとんどのウヨ連中は古谷については「無視してる」ようですしね。
そういえばこのようなことをプロのジャーナリストが発言するのはさすがに驚かされる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)で高世仁は批判されていましたが「批判するなら実名でやれ」などと言っていた高世に「ラグタイムララバイ(三浦小太郎)」のふるまいを「どう思うか」聞いたらなんと答えてくれるんですかね?
三浦の場合、正体を隠してる理由は必死に「中立の第三者(ラグタイムララバイ)」を装って
現実の保守業界がこれほどひどいかどうかは議論の分かれるところだろう
などと書いて、「古谷『愛国商売』のウヨ批判」による「ウヨ業界へのダメージ」を少しでも減らそうとすることなのだからこれほど卑怯な行為もなく、高世の立場なら、三浦批判して当然なんですが。
まあ、
稲川和夫さん、高世仁さん、こういう人たちが正当に評価されないのが今の日本ジャーナリズムの現状 | 三浦小太郎BLOG Blue Moon
・尊敬するジャーナリストの一人、高世仁氏
三浦小太郎が斬るNY平壌公演1 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
畏友、三浦小太郎さんが、先月、この公演を批判するすばらしい文章をある雑誌に書いた。「月刊日本」というマイナー*10な媒体でほとんどの人の目に留まることはないだろう。あまりにもったいないので、2回に分けてここに転載する。
この三浦さんという人、政治だけでなく、文化・芸能にも強い。阿久悠*11やZARDの坂井泉水*12が亡くなったときには、味わい深い追悼文を書いたし、クラシックからジャズ、ロック、はてはサブカル系アート、少女漫画まで何でもありの実に幅広い教養人だ。
嘘の人権 偽の平和 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
・畏友、三浦小太郎さんの先月発売の著作『嘘の人権 偽の平和』(高木書房、1200円)が届いた。
・以前から、彼の見識の深さ、確かさには教えられることが多かった。
・かねがね、私は三浦さんは思想家としてもっと注目されるべき人物だと思っていたが、ついに本が出た。今の日本の思想状況に切り結ぶすばらしい内容である。多くの人の目にとまってほしいと思う。
2019年に読んだ10冊の本 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
今年を締めくくるにあたって、印象に残った本をあげてみよう。
(ボーガス注:1~7は省略)
8.三浦小太郎『なぜ秀吉はバテレンを追放したのか―世界遺産「潜伏キリシタン」の真実』(ハート出版)
・三浦さんは長い付き合いの畏友である。
・膨大な文献を丁寧に読みこんだうえで、バテレン追放には理由があり、それは当時の日本にとってむしろ望ましい方向だったことを明らかにしている。
潜伏キリシタン関連施設が世界遺産になったこともあり、バテレン追放は残酷な宗教弾圧事件として描かれ、弾圧した側の非道とキリシタン側の英雄的抵抗と悲劇が強調される。この本は十分な説得力をもってその常識をひっくり返し、歴史の再構成を迫ってくる。刺激的な本で快感さえ感じる。
と「尊敬するジャーナリストの一人、高世仁氏(三浦)」「幅の広い教養人・三浦さん(高世)」「畏友・三浦さん(高世)」などと「お互いにおべっかを言い合ってる関係」の三浦に対し、高世が「ラグタイムララバイなんて名前で正体を隠すなんて、三浦氏は卑怯だ」ということはないでしょうが。
小生なんか、「畏友」なんて言葉は「うかつに使えない(あんなろくでもない奴を畏敬するの?、なんて言われたらつらいし『畏友なんて言われたら壁が出来る、そんな大げさなことは言わないでくれ』と『畏友』も言うのではないかと思うので)」と思うし、俺も誰かから「畏友」なんて言われたら*13むしろ「冗談でも、恥ずかしいから止めてくれ」と言うところですが高世と三浦の関係は違うようです。まあ、それ以前に俺は「つくる会理事」などという「南京事件否定論のデマ右翼」三浦を畏敬しませんが(むしろ軽蔑している)。
あ、そうか、高世さんは「少なくともジャーナリズムに関わるものは、批判するなら実名でやれ」といっていたから「三浦さんはジャーナリストではない!。作家、評論家は普通ジャーナリストとは言わない!。三浦さんが実名で批判しなくても問題ない!」で逃げるのかな。しかし、ジャーナリストであろうとなかろうとここでの三浦の行為は卑怯以外、何物でもないでしょう。何せ名前を隠す理由が「名前を隠さずに批判したら報復の恐怖がある(例:財務官僚の森友疑惑批判、検察官僚の検事長定年延長批判、自民党広島県議の河井夫婦批判)」なんて正当な物ではなく「第三者を装ってのウヨ批判への反論」ですからね。
名前を出したら「他人事みたいなこといってんじゃねえよ!。お前は古谷『愛国商売』が批判するチャンネル桜の関係者の一人だろ!」と言われるのを恐れて「実名隠し(ラグタイムララバイ名義)」が三浦なのだから繰り返しますが卑怯な行為です。
つうか、そもそも「安倍批判者」の高世が「モリカケは濡れ衣」と言って恥じない「安倍信者」三浦を何一つ批判せずに「畏友」「幅の広い教養人」と呼ぶこと自体おかしな話です。
高世も本当にデタラメな野郎であり、こうした「デタラメさ」も高世が「自分の会社」ジンネットを潰した一因かもしれないと思います。俺は「デタラメ野郎」高世が会社を潰したことには何一つ同情しません。
参考
評判の「愛国奴(古谷経衡著)」を読み終えた - オウマー日記
主人公の南部照一は私設私書箱で糊口をしのいでいたが、ふとしたきっかけで保守派の勉強会に参加し、論文が雑誌で入選したことをきっかけにチャンネル桜と関わりを持つ。文中では「よもぎチャンネル」となっているが、どう考えてもチャンネル桜である。
そして、その中での醜い嫉妬やポジション争いや金まみれや打算等、愛国とは程遠い「実態」。そして「よもぎチャンネル」のスター波多野と土井との確執、そしてついに「よもぎチャンネル」襲撃計画に発展し… と、こんな感じで、チャンネル桜や保守村の住民がいかに醜いかを描いた小説である。
正直、ルポルタージュにして欲しかった。最初はその予定だが、名誉毀損になるので小説になったらしい。しかし、どう考えても舞台はチャンネル桜。
副主人公の波多野のキャラは、どうしても倉山満を想像してしまう
どこまで事実をトレースしているのだろうか。
*1:三浦は「ラグタイムララバイ名義のアマゾン書評の一部」については「生ポのポエムさん」の場合のように「ほとんど同じ内容」で「三浦小太郎」名義でも発表していますので、偶然、「この事実に気づく」と「ラグタイムララバイ」名義は何の正体隠しにもなりませんが。ちなみに俺が「三浦小太郎=ラグタイムララバイ」と気づいたのは、「三浦が書評を書いた本ってアマゾンではどう評価されてるんだろうな」と思ってアマゾン書評を見ていて1)「ラグタイムララバイ(三浦)以外にその本(何の本だったか覚えていませんが→追記:コメ欄でのご教示に寄れば拙記事「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート56(追記・訂正あり) - bogus-simotukareのブログで批判的に取り上げた荒木和博『山本美保さん失踪事件の謎を追う:拉致問題の闇』(草思社)のようです。)についてのアマゾン書評がほとんどなかったこと」、2)「ラグタイムララバイ書評と三浦の自ブログでの書評がほとんど内容も表現も同じ事(ほとんど書き換えがないこと)」から気づきました。俺のように「三浦小太郎=ラグタイムララバイ」と気づいた人間は他にもいるかもしれません。
*2:まあ、例は何でもいいのですが、今思いついたものをあげました
*4:「しているか」ではなくほぼ確実に泥酔によるアポのキャンセルでしょう。
*5:ウィキペディア『古谷経衡』によれば古谷は「千葉県松戸市在住」
*6:そもそも日本の新興宗教には「幸福の科学」「崇教真光」「佛所護念会」「モラロジー」など「日本会議などとつながりがあるウヨ宗教」が多いことをどう思ってるのか三浦に聞きたいところです。
*7:そもそもネットの怪しげなビジネスに関与していたことが週刊文春に暴露された「小川榮太郎」が「三浦らのウヨ仲間であること」をどう思ってるのか三浦に聞きたいところです。
*8:三浦らウヨが垂れ流す「南京事件、慰安婦否定論(自分だけが南京事件や慰安婦がデマだという真実をつかんでいる)」「新型コロナ・中国細菌兵器説(自分だけが新型コロナが細菌兵器だという真実をつかんでる)」などの「デマ、陰謀論」は「自分だけが情報や真理を掴んでいるという妄想」の典型なのですが、三浦もよくもこんな文章が恥知らずにも書けたもんです。まさに三浦は「サイコパス(平たく言えばキチガイ)」といっていいのではないか。id:noharraも三浦と良く付き合えるもんです。id:noharraも「チャンネル桜などから離れた古谷」のように「愛国商売人」「野心と嫉妬が渦巻き、裏切りや出し抜きが横行する下劣な世界の住人」三浦らウヨを批判したらどうなのか。まあ、何があろうと、id:noharraには三浦批判は出来ないようですが。id:noharraより古谷の方がずっとましに見えます。
*9:古谷に対し、はっきりと「古谷氏による我々ウヨ活動家に対する事実無根の誹謗中傷。古谷氏に謝罪や撤回を求める」と言えない辺り、そして一方で「ここでの指摘は、一部に誇張や勘違いがあるとしても、全くの嘘ではない。ウヨ活動家の一人として、古谷氏の指摘するウヨ業界の問題点は真摯に反省し是正したい」ともいえないで「まるで右翼活動とは無関係の傍観者、第三者のようなこと」を書く辺り、「つくる会理事」「チャンネル桜常連出演者」という右翼活動家・三浦も全く滑稽で無様です。
*10:マイナー云々以前に極右雑誌ですがその点に触れない高世も実に姑息です。
*11:1937~2007年。1959年(昭和34年)に広告代理店・宣弘社(現・電通アドギア)へ入社。当時、KRTテレビ(現・TBSテレビ)の『月光仮面』で売り出し中だった宣弘社が、企画部で脚本家を募集していたのを知り、脚本家志望だったため、入社したという。当初、阿久は『月光仮面』の後番組である『豹の眼』、『怪傑ハリマオ』の脚本を書かせてもらえると思っていたという。しかし、入社後はテレビCMの仕事ばかりをこなす羽目になり、「俺は何のためにここに入ったんだ?」と思いながら仕事をしていたが、そのCM作りの仕事が後に作詞家として活躍するための土台となり、本人の予期せぬ方向で才能が開花した。1966年(昭和41年)に宣弘社を退職し、作詞家としての活動を本格化させる。また、1982年に小説『殺人狂時代ユリエ』(角川文庫)で横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ&ホラー大賞)を受賞。作詞家としての代表作として「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり)、「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「UFO」(ピンク・レディー)、「北の宿から」(都はるみ)など。著書『書き下ろし歌謡曲』(1997年、岩波新書)、『愛すべき名歌たち』(1999年、岩波新書)、『歌謡曲の時代』(2007年、新潮文庫)、『生きっぱなしの記:私の履歴書』(2007年、日経ビジネス人文庫)、『夢を食った男たち:「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代』(2007年、文春文庫)、『テレビ、このやっかいな同居人』(2008年、朝日文庫)、『作詞入門:阿久式ヒット・ソングの技法』(2009年、岩波現代文庫)、『瀬戸内少年野球団』(2013年、岩波現代文庫)、『無冠の父』(2018年、岩波現代文庫)など(ウィキペディア「阿久悠」参照)
*12:1967~2007年。当初は、モデルやレースクイーンとして活動していたが、1991年2月、「ZARD」のボーカルとして歌手デビュー。坂井が所属した事務所ビーイングでは、当時、女性アーティストのメディア露出を極力抑えるメディア・コントロール戦略が取られていたこと、また坂井が極度のあがり症だったことにより、特に6thシングル「負けないで」(1993年)が大ブレイクしたあとは、ほとんどマスメディアに登場せず、また、ライブもほとんど行われなかった。2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。2000年に「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。2007年5月27日、入院先の慶應義塾大学病院で転落し、後頭部強打による脳挫傷のため死去。享年40歳(ウィキペディア「坂井泉水」参照)。
*13:もちろん畏敬されるような立派な人間ではないので言われませんが。